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88 教育学文献学習ノート(38)-4 本田伊克「20世紀末の『成長・発達』と『学校』新局面において、学力と学習はいかに問われたか」(2010)

(『教育』No.775 2010.8 2026.6.23-通読 2026.6.23-10.23 ノート作成)  2025.5.25教育科学研究会教育学部会での本田伊克報告「教科研は学力をどう論じてきたか、いくべきか」に沿って、私も教科研での議論を参照しながら学力問題について改めて学習していきたいと考えて、本ブログ50「教育学文献学習ノート(38)-0覚え書き」(2025.6.6)で予告したように、2025.5.25の研究会における本田報告で言及されている「学力」関連諸文献を年代順に検討していく作業を行なうことにしました。現在までに「教育学文献学習ノート」シリーズで以下のものを公表しています。 51 【アーカイブ15】教育学文献学習ノート(38)-0 覚え書き              2025.6.3 53 教育学文献学習ノート(38)-1勝田守一「学校の機能と教科づくり」(1960)    2025.6.17 56 教育学文献学習ノート(38)-2勝田守一「教育学とは何か」(1960頃)       2025.8.1 64 教育学文献学習ノート(38)-3中内敏夫『学力と評価の理論』(の一部)     2025.10.25  その後時間が空いてしまいましたが、作業を続けていきます。2026.7.5には教科研教育学部会例会での本田報告「<#入門>「学力」とは?立ち止まって考える」が行なわれ、そこではまた新たな論点や情報も提示されましたが、とりあえず今回は本田氏自身の先行論文(2010)を取り上げます。  2025.5.25教科研教育学部会における本田報告「 教科研は学力をどう論じてきたか、いくべきか 」の「 1.学力(論)を検討する意義 (1)1990年代の「学力論」「学習論」の展開と課題 」において、本田氏は次のように述べています。 「報告者は、かつて、1990年代後半から2000年までに刊行された『教育』について論じる機会を得た。1996年から2000年の『教育』誌上では学力・学習論が多様に展開された。」  上記引用の第一文に付された文献註で今回取り上げる本田論文「 20世紀末の『成長・発達』と『学校』新局面において、学力と学習はいかに問われたか 」が紹介されています。  そこで本田論文(2010)を読んでみました。  驚きました……今から16年前、本...

87 「自分事」について

  昨日(2026.10.21)、「都留文科大学『教育』を読む会」の月例会に通算29回目のリモート参加をしました。この研究会ではいつもたくさんのことを学ばせていただいています。  昨日の例会では、『教育』No.969(2026.10)の特集1「知の揺らぎと教育の民主主義」の中から服部涼平「沖縄と私を見つめる言葉」が取り上げられ、服部さんもリモート参加されて『教育』報告には書ききれなかったことも含めて報告して下さいました。服部さんは自由の森学園「日本語科」の先生です。『教育』No.963(2026.6)掲載の服部報告「関係性に支えられる綴り・語り―綴方を読み合うことで深まる自己表現」も含めて、生活綴方を真ん中にすえた服部さんの実践から多くのことを学ばせていただきました。  その上で、私は例会の最後の頃にzoomのchat欄に以下の書き込みをしました。 【言葉だけを捉えて《意見の違い》とするつもりはないのですが…  服部報告の最後に「こじつけの『自分事にする』のではなく、『問われる当事者としての私』との出会い」と書かれています。   私は2015年度後期に三重大学教育学部の「教育課程論」受講生の希望者4人をつれて石巻を訪問したあと、授業で受講生に「自分事宣言」をしました。自分は未災地にいて東日本大震災の「当事者」を名乗ることはできないが、それでも「自分事」にすることはできると考えるに到った、という趣旨です。】  この件について、例会で口頭発言をすることも考えたのですが、残り時間が少なかったのと服部実践をめぐる議論を私個人の問題意識の方向に引きよせてしまうのもどうかと考え、chat投稿だけにとどめました。  服部さんは、沖縄修学旅行に向けて、また旅行期間や事後も含めての自由の森学園の中学生たちの文章を読むことやそのことを踏まえての対話の経験の中から、「自分事」という括りでの自己認識には不満というか飽き足らないものを感じておられたのだと思います。私はそのことを外部の観察者として実践の文脈に即して丁寧に理解できているとは言えないのですが、「こじつけの『自分事にする』」という服部報告の表現から「自分事」という自己認識に納得できないものを持っておられると感じました。例会でも「自分事」ということに対する批判的、否定的な発言がいくつかありました。  私のchat投稿...

86 【アーカイブ26】自分事宣言

  以下に再録するのは、今から10年前の三重大学教育学部在職中に、当時の教職科目「教育課程論Ⅱ」受講生に向けて私が発した「宣言」です。  その経緯については、「宣言」を読んでいただけたらわかると思います。  この後の本ブログへの投稿「88」でこの「宣言」について言及したいのですが、「宣言」は長い文章なのでここに別に再録することにしました。  なお、原文では2025年12月に私とともに被災地石巻を訪問してくれた受講生4名を実名で記載していますが、個人情報ですので再録にあたって削除しました。現地で出会った人たちについては、すでに各方面で有名な方たちですので、実名で記載しています。   自分事宣言     -2015.12.18-20宮城訪問を終えて、教育課程論Ⅱの全受講生の皆さんに-                                                           2015.12.23 佐藤年明 1.  東日本大震災は、私にとって自分事です。  僕は、東日本大震災の当事者です。  今回の宮城訪問を終えて、僕はそう考えることにしました。   皆さんにとって、東日本大震災は自分事ですか? 2.  2日間の宮城石巻訪問が終わりました。実に、実に、実りの多い2日間でした。  僕にとって嬉しかったことは、元雄勝小学校教師の徳水博志さん、鳴瀬未来中教師の制野俊弘さん、亡くなった大川小児童の父親でこの春まで中学校教師だった佐藤敏郎さん、この3人が顔を合わせての学習の場というのは、地元石巻でも大変珍しいことだったということ。僕が徳水君に訪問受け入れを要請したことが発端となって、こちらからお願いした徳水君と制野さんによる講話に加えて、徳水君が佐藤敏郎さんを呼んでくれたことで、この形が実現しました。  僕が要請、と偉そうに書きましたが、もともとは今年8月頃に、前期教育課程論Ⅰについて僕が徳水君にメールで報告したのに対して、彼から「被災...

85 【アーカイブ25】[氾濫する教育のコトバ No.5]生きる力 (『教育』No.969 2026.10 旬報社)

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  ※本ブログのバックナンバー一覧は⇒ こちら   『教育』N0.963(2026.6)掲載の「(俗称)ゆとり教育」に続き、本田伊克教科研副委員長発案の[氾濫する教育のコトバ]シリーズの5回目として掲載していただきました。  4ページの小文ですが、元ネタは私の研究者人生で唯一の単著『「生きる力」論批判』(三重大学出版会 2019)です。同書は私が30年在職した三重大学教育学部での在職最終年度末に上梓したものです。記憶が曖昧なのですが300部程度を印刷していただき、半数を私が買い取ったように思います。手持ち分で買い取っていただいたのは僅かで、ほとんどを謹呈しました。手持ちがなくなると出版会の在庫を追加で買い取りました。手元の販売・贈呈記録では今までに8人に販売、204人に謹呈しています。但し、私の手元の本が残り少なくなったのでPDF版で11人に差し上げました。つまり、私から本(実物)を受け取って下さった方は201人ということになります。印刷部数の3分の2は自分で捌いたことになるので、実質的には自費出版ですね。残り100部くらいはあったはずですが、昨年末に久々に三重大学出版会に問い合わせたところ、在庫はないとのことでした。一般書店で100部も売れたとは思えないので、おそらく多くは返品・裁断されてしまったんだろうと思います。  全269ページの本ですが、PDFファイルでは1.5MBなのでメール添付で送ることができます。関心を持っていただいた方はコメント欄に書いていただければ連絡をとらせていただきます。  7年前の出版のことばかり書きましたが、本文にも書いたとおり「生きる力」なる教育目標概念は約20年くらい中教審・文科省界隈で一世を風靡した後、現在ではほぼfade outしかけていると私は見ていますが、教育政策関係者には捨てるなら捨てるできちんと総括してほしいものです。

84 読書ノート 泉宜弘『いつか どこかで… 子どもの生活と文化*考』

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(2026.5.20刊行  2026.8.25-9.9通読  2026.9.10-12ノート作成)  第64回教育科学研究会全国大会・関西大会@大阪暁光高校(2026.8.8-10)の会場で泉宜彦さんと初めてお会いし、思いがけず本書をご恵贈いただきました。泉さんへのお礼として「必ず通読してコメントを書かせていただきます」と申し上げました。ここでお約束を果たしたいと思います。  泉さんと「初めて」お会いしたというのは、実は「対面では」という意味です。私は2024.5.29以来、都留文科大学『教育』を読む会の月例会にリモートで参加させていただいています。(今年7/22の例会が三重大学名誉教授懇談会と重なってしまったために唯一欠席した以外は)延べ27回休まず参加しています。泉さんは小学校教員(東京)を退職された後、都留文科大学教職支援センター特任教授として学生指導に取り組まれ、昨年度末に都留文科大学を退職された後も件の月例会にも参加されています。  本書「 おわりに 」には、次のように書かれています。 【 1980年から、板橋区立徳丸小学校、高島第一小学校、文京区立小日向小学校、関口台小学校、明化小学校と38年間学校現場で働いてきました。その後都留文科大学で教職支援の仕事を8年間続けてきました。今回は、現場での仕事のなかで書いてきた文章をまとめてみました。さまざまな機会に書き綴ることで、自ら学び得たことがあったのだと思っています。 】(P.318)  本書の、構成は以下の通りです。  黄色のラインマーカーの跡がついているのは、私が泉さんの一文一文を読むたびに印を入れたからです。数えてみると、62の文章が収録されていました。長い文章で11ぺージ、短いものは1ページです。原著の所収誌(掲載順)は以下の通りです。『子ども会・少年団』『子どもの遊びと手の労働研究会会報』『子どもの遊びと手の労働研究』『子どもの文化』『作文と教育』『別冊教育技術』『現代と教育』『演劇と教育』『文京の教育』『しんぶん赤旗』『日本の学童ほいく』『日本の子どもと生活綴方の50年』『教育』『文京自治研・所報』『板教組ニュース』  中でも『文京の教育』がダントツに多く、全62編中27編、4割以上がここからの転載でした。  泉さんと私の共通の研究フィールドである教育科学研究会の機関誌『教育』からも2016年4月...

83 教育学文献学習ノート(40) 渡邉保博『「さびしい人のいない」保育園づくりと生活保育の探究 学校との関係を問い続けたある保育園の実践史に学ぶ』(2023)

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※-02 「教育学文献学習ノート」バックナンバー

 「※-01」の本ブログ全体のバックナンバーの中から「教育学文献学習ノート」シリーズだけを抜粋しました。 (もともと、Facebookにかつて存在した「note」機能などを使用して発信し始めたシリーズなので、ブログ上には未転載のものもあります。徐々に整備していきます。閲覧の便宜も考慮して、シリーズとしての番号の若い順に掲載します。ブログの通し番号は薄く表示します。) 18   【アーカイブ03】 教育学文献学習ノート(6):『教育』2020.10月号櫻井歓論文「立憲的教養の場としての学校」の「立憲的教養を育む場としての学校」の項における勝田守一「学校の機能と役割」(1960)の紹介と勝田の原著を読んで  (2022.8.11) 68 【アーカイブ18】  教育学文献学習ノート(7) 坂元忠芳『情動と感情の教育学』(2000) (2025.12.7) 25 【アーカイブ 09】 教育学文献学習ノート(8)吉益敏文「教職志望の学生がもつ『子ども理解』概念についての考察-大学生の授業感想をもとに-」(2018)/「人間発達援助職としての教師論の考察(1)-勝田守一の教師論に着目して-」(2020)  (2020.12.27/2022.12.13編集) 26 【アーカイブ 10】 教育学文献学習ノート(9)吉益敏文・山﨑隆夫・花城詩・齋藤修・篠崎純子『学級崩壊 荒れる子どもは何を求めているのか』(高文研) (2021.1.9/2022.12.13編集) 19 【アーカイブ04】 教育学文献学習ノート(14):2018-2021教育政策(関連)文書群  (2021.3.11-13)  32 【アーカイブ 11】 教育学文献学習ノート(19)佐貫浩『学力・人格と教育実践 変革的な主体性をはぐくむ』(大月書店 2019.7.12刊行) (2023.8.25) 33 【アーカイブ 12】 教育学文献学習ノート(20)佐貫浩『「知識基盤社会」論批判 学力・教育の未来像』(花伝社 2020.3.5刊行) (2023.8.25) 8 【アーカイブ01】 教育学文献学習ノート(21)藤原辰史「子どもの商品化に抗する思想」(『教育』No.907 旬報社 2021.8)  (2022.2.9) 3  教育学文献学習ノート(22)-1 神代健彦編『...