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77 教育学文献学習ノート(22)-4 神代健彦編『民主主義の育てかた 現代の理論としての戦後教育学』(2021) 第4章 「公害教育論-生存権・環境権からのアプローチ」(古里貴士)

 (2021.7.10刊行 2021.8.?通読 2022.9.5-16/2026.3.23-4.30 ノ-ト作成)  神代編『民主主義の育てかた』には神代「はじめに」と第1~9章の計10編の論文が掲載されています。教育科学研究会内外の中堅・気鋭の教育学研究者たちの論文集。私がこれまでに読んできた教育学文献の中でも、もっとも魅力的・刺激的だったものの一つです。  これまでにこの「教育学文献学習ノート」で以下の4編を検討させていただきました。     (22)-1 神代健彦「はじめに」/中村清二「第8章 民主教育論-身に付けるべき学力として」 (2021.9.3投稿)     (22)-2 神代健彦「教育的価値論-よい教育ってどんな教育?」                             (2021.9.10投稿)     (22)-3 大日方真史「『私事の組織化』論-教師の仕事にとって保護者とは?」                            (2022.3.1投稿)  上記に続いて古里貴士論文を取り上げようとして作業を始めたのは2022年秋のことでした。しかし、途中までノート化を進めた段階で、自分には古里氏の研究内容について何事かをコメントする力量がないと判断し、作業をいったん断念しました。  古里貴士氏とは、私が三重大学に在職中の時期に中部教育学会理事会で何度か同席したことがあり、また教科研などの場でお会いしたこともあるかと思いますが、本論文を学ぶまでの段階で親しく研究交流を行なってきたわけではありません。ただ、古里氏もfacebookを利用されており、私の投稿に「いいね!」を付けて下さったり(私もたまに)しています。  ところで、今年8月8日-10日に開催される「第64回教育科学研究会全国大会関西大会@大阪暁光高校」の大会実行委員会に加わっている私は、大会第1日(8/8)午前の教科研講座の一つとして、「地域で人と人のおもろい出会いと交流を創り出す」...

76 「聴くこと」、そして「記録すること」~京都教科研例会で荒巻りかさんの報告を聴いて~

  京都教育科学研究会第380回例会(2026.4.18)はリモートで開催され、『教育』No.963(2026.4)「特集1声を聴く/声を生み出す」の荒巻りか報告「森を描くように『聴く』」を取り上げました。著者の荒巻さんも参加され、『教育』誌掲載の報告には書かれていないことも含めていろいろなお話をして下さり大変興味深い有意義な学びの機会となりました。  『教育』誌の同特集のキーワードは「聴くこと」なので、荒巻さんからのお話に先だって行なわれた例会参加者の感想や近況の方法の中で、私は以下のような趣旨の発言をしました(以下では例会時の発言では時間的都合で省略したことも補っています)。 ①大学の正規教員を辞めて授業だけの非常勤講師になって7年目なので、学生の肉声を「聴く」機会がほとんどない。授業では毎回グループ討論をさせるが、私は昔から学生の討論に「なになに、何を話してるの?」と入っていくことは苦手で、遠くから眺めていることが多い。学生と一対一で話すのは、授業の終わりにたまに「前回休んで資料をもらっていません」など主に《困ったこと》を訴えに来るのを聞くことがあるくらい。  毎回の授業後に提出される小レポートで学生の意見を読み、一人一人にコメントを返しているので、学生が《考えたこと》は(もちろんあくまで書かれた範囲で、だが)わかる。しかし、学生の考えを《読むこと》と学生の声を《聴くこと》とは、決定的に違う。たまに授業中にグループ討論の内容を全体の場で発表してもらうと、グループ代表の学生が(自然に話すというよりも)討論記録に書かれたことを読み上げるだけあっても、《声》を聴くことをとても新鮮に感じる。授業中に学生の肉声を聞く機会をなかなかつくれないが、その機会を意識してつくることは大事なことだと思う。 ②ボランティアをしている児童館では日々子どもたちの声に接しているが、耳がキンキンする(^^;)喧噪の中では小さな声で語られることは聴き取りにくいことも多い。それでも子どもの声を聴くことは心地よい。「あっちいって」と言われることもあるので、よけいなおせっかいはしないようにしながら、語りかけてくる子の声には耳を傾けたい。 ③最近約40年ぶりに古巣の合唱団に復帰した。空白の40年間にも、歌を歌うことは好きなので例えば大学の授業でもギターを弾いて歌うことはあったが、合唱団に復帰し...

75 【アーカイブ22】[氾濫する教育のコトバ no.2](俗称)ゆとり教育 (『教育』No.963 2026.6 旬報社)

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  本田伊克教育科学研究会副委員長(宮城教育大学)からお誘いを受け、『教育』誌の新連載コーナーに執筆しました。

74 【アーカイブ21-2】教科研「道徳と教育」部会報告(2026.2.14) animal welfareを道徳教育で取り上げる価値基準としてどう捉えるか?(後半)

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73 【アーカイブ21-1】教科研「道徳と教育」部会報告(2026.2.14) animal welfareを道徳教育で取り上げる価値基準としてどう捉えるか?(前半)

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72 かつて勝田守一先生が住んでおられた若王子(にゃくおうじ)を訪ねる

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  吉益敏文先生(前教科研副委員長)、佐藤広美先生(前教科研委員長)と3人で、「勝田守一教育学ゼミナール」を約2年前からリモートで続けています。次回2/18の第13回ゼミでは勝田守一著作集7『哲学論稿・随想』に収録されている「デカルトと良識」(『山脉』1938年10月号所収)を読むことになっています。  これに関連して戦前期の勝田の研究活動に焦点を当てた桑嶋晋平『勝田守一と京都学派 初期思考の形成過程と忘却された思想の水脈』(東京大学出版会 2021)を読み始めているのですが、同書の序章が「若王子の勝田守一」と題されていて、そこで勝田の随想「若王子の和辻先生」(和辻照編『和辻哲郎の思ひ出』1962年 勝田著作集7所収)のことが紹介されています。  若王子(にゃくおうじ)とは、京都市左京区若王子町のこと。  僕は約7年前にふるさと京都に戻ってきて以来何度となく疎水分線べりの「哲学の道」を歩きましたが、その南端あたりにある若王子神社はまだ訪れたことがありませんでした。  勝田「若王子の和辻先生」には、次のように書かれています。 ========================================  先生のお宅は、東山の若王子のこんもりと茂った樹立の間を適度の勾配になっている細道を登っていった小高い場所にありました。若王子の入口には、疎水に石橋がかけられ、疎水をちょっと上(かみ)にいくと、少し広くなった個所があり、夏などは樹々の緑を映していました。当時はこの疎水に沿った道は、人通りも少なく、下って黒谷の上から法然院の下に出て、銀閣の方に通じている散歩には恰好な「哲学者の道」でした。時折、大学の先生たちの散歩をなさる姿をここに見かけたものでした。先生のお宅は、さらにそこから若王子の前を通って上に登ったところですから、いろいろな種類の小鳥も鳴いていましたし、樹々の葉と幹の匂がするような静かな場所でした。そして、遠く、当時はまだ数も少なかった自動車の響笛が、時折、下の京都の街から樹の間を洩れて聞えてくるのが、いっそう静けさを感じさせました。 ========================================  今朝は8時半頃に自宅を出てから1時間ちょっとくらいかけて哲学の道を北から南まで歩きました。途中の法然院、安楽寺、大豊神社などはこれまでに...