29 教育学文献学習ノート(32)吉益敏文「生活綴方を実践する教師の『まじめさ』に関する考察――5人の教師の聞き取りから――」 (武庫川臨床教育学会『臨床教育学論集』第14号 )
私は、4年前に京都へ戻る少し前から参加させていただいている京都教育科学研究会で、吉益敏文先生ごいっしょさせていただいています。この「教育学文献学習ノート」の(30)では、昨年12月の京都教科研・関西教科研合同研究会での吉益先生のご講演を前にして、『子ども、親、教師すてきなハーモニー』(1995)について書かせていただきました。また、過去にfacebookに投稿してブログに未収録だった以下の2つの投稿を、【アーカイブ】として本ブログに新たに収録しました。 ●【アーカイブ 09】教育学文献学習ノート(8)吉益敏文「教職志望の学生がもつ『子ども理解』概念についての考察-大学生の授業感想をもとに-」(2018)/「人間発達援助職としての教師論の考察(1)-勝田守一の教師論に着目して-」(2020) ●【アーカイブ 10】 教育学文献学習ノート(9)吉益敏文・山﨑隆夫・花城詩・齋藤修・篠崎純子『学級崩壊 荒れる子どもは何を求めているのか』(高文研) 今年に入って、吉益先生から新たに今回取り上げる論文をご恵贈いただきました。その際の吉益先生の添え書きに、以下のように述べられていました。 【2年前に『人間発達援助職としての教師論の考察』(1)勝田守一の教師論に着目して-を研究ノートとしてまとめました。今回の研究ノートは私自身は人間発達援助職の教師論(2)にあたるものと考えています。ただ人間発達援助職の教師論の概念や定義を明確に展開したものではありません。勝田守一が注目した恵那の教師たちの生き方、とりわけ生活綴方教師の「まじめさ」にしぼって考えてみました。その方法として5人の年齢の異なる教師、生活綴方を実践の中核に据えた人たちから聞き取りを行いました。聞き取りに協力していただいた方にあらためて感謝いたします。 今日の時代に「子どもとともに生きる教育実践」とはどういうことなのか。 「まじめさ」とは何に対して大切なのか。私は勝田守一の論文からなぜ恵那の教師たちが安易に戦後の新教育になじまなかったのかという問いをもちました。勝田は恵那の教師たちの「負い目」に注目したのではないか、その「負い目」とは何なのかなどを考えてみました。さらには「子どもとともに生きる」という思想はどういうものなのか、いくつかの問いがうまれました。私は「まじめさ」とは無批判に権力に迎合することでは