28 教育学文献学習ノート(31)ケアについて考える

 (2023.3.9-10)

 今回の「学習ノート」は従来(単独著書or論文の抜き書きとコメント)とは違う形で書いていきます。また取り上げる文献の多くは教育学分野のものではありませんが、一連の学習経験は私自身の教育学的思考に大いに影響を与えたので、「教育学文献学習ノート」シリーズに加えました。


(1)
 2023.2.18に京都教育科学研究会第343回例会が乙訓教育会館での対面とzoomのハイブリッド開催で行なわれました。いつもならばwalkingも兼ねて向日市の会場まで出向く私ですが、当日は18:30の同例会開始の1時間半前まで自宅で教科研教育学部会の例会にzoom参加していたため、移動していては間に合わないと思い、京都教科研例会にもzoom参加しました。
 当日のテーマは、『教育』No.925(2023.2)掲載の岡野八代「子どもを大切にする社会とは?(教科研大会2022記念講演)」の検討でした。岡野講演は、2022.8.8-10開催の第60回教育科学研究会全国大会の冒頭、8/8午後に行なわれました。私はこの大会に京都からzoom参加したのですが、大会前日の8/7に長男一家がわが家を訪れ、このうち一番年上の6年生の孫が一人だけじいちゃんばあちゃんちに泊まりたいというので、翌日は京都から常滑まで一人で帰る孫を京都駅まで送って行っていました。帰宅したのは岡野講演が終わる頃だったと思います。そういうわけで3日間の全国大会の中で岡野講演だけがリアルタイムでは聴き逃したプログラムだったので、京都教科研例会で取り上げられることを楽しみにしていました。
 京都教科研例会では、芦田安正会員が「教育における『ケア』ということについて 22年全国大会記念講演 岡野講演を聞いての感想」と題して、ご自身の教育実践における「ケア」のリアルな体験を交えて報告されました。続いて、山田真理会員が指定討論として「岡野八代 ケアの倫理からの問題提起を受けて考えたこと」と題して報告されました。お二人の報告はあくまでも京都教科研内での会員を対象とするものですので、その内容を私が公開で発信している本ブログの紙上で勝手に紹介することは差し控えたいと思います。

 私はこの例会に向けて、以下のような文章を作成していました。例会ではzoomの画面共有で提示した上、チャットにファイルをアップロードしました。その後吉益敏文先生が私の文章も京都教科研通信第361号に収録して下さいました。ありがとうございました。ここにその文章は再録します。但し後半部分の資料紹介は冗長になるのでうんと小さい活字で付け足します。

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『教育』No.925(2023.2) 教科研大会2022記念講演 岡野八代「子どもを大切にする社会とは?-ケアの倫理から考える」を読んで
                            2023.2.18 佐藤年明

・昨夏の大会当日、所用で外出していて聴けなかった岡野講演を誌上で学べてよかった。全体としては大変示唆に富み賛同する。『ケア宣言』は昨夏入手し、読み進めている。
・ちょっと重箱の隅的な疑問であるが、概念に拘って文献研究を進めているものとして、以下のことが気になっている。
 「現代リベラリズム」への指弾⇒これは、「現代リベラリズム」という外延を明示できる思想的集団を対象とする批判なのか? それとも「リベラルであろうとする」ことを標榜する全ての論者に向けられているのか? liberal概念そのものを、女性、少数者、被抑圧者を除外して構想されたものとして否定するのか?
 岡野論文には「リベラリズム」が6回、「現代のリベラリズム」「現代リベラリズム」が各1回登場する。また「リベラルな」という形容動詞も以下のように2回登場する。

「したがって、新自由主義批判者として日本では紹介もされているフェミニスト理論家のウェンディ・ブラウンは、リベラルな主体とは、徹底的な男性中心主義者であると批判する。なぜなら、リベラルな主体像は、依存に関わる活動、人をすべて政治の場から排除するからである。」(P.58)

 文脈からは岡野が紹介するブラウンの「リベラルな主体」「リベラルな主体像」とは新自由主義に関することであるとは推測され、援用した岡野もそれ以外の一般的文脈において《リベラルであること》を全般的に批判・否定しているわけではないと推測はしている。
 素人論議で恐縮だが、政治思想の呼称としてのliberalismと比較して、それを含みながらも人間社会と人間生活の中でより一般的に使われるliberalという形容詞は政治的文脈でないものを含めてはるかに広い意味を持っている(後出の『ランダムハウス英和大辞典』参照)。
 私は、そうした広い(ある意味曖昧な)意味を含んだ「リベラルな」という形容動詞を自分自身の人格に関わっても慣用的に使ってきたし、今後も使っていこうと思っている。自分や他者を「リベラルである」と形容すること自体が、ケアの視点から政治思想史的に見て盲点を含んだ欠陥思想であると見なされてしまってよいのかという危惧を持っている。
 むろん岡野氏がそのように述べているとは見なしていない。ただ、人間世界の営みの中で正当に評価されてこなかったヘアやそれを担う人びとへの顧慮、共感、連帯をケアの思想が持ち、それを強調するのであれば、それを妨害し広がりを押しとどめようとするものたちへの厳しい批判は必要だと思うけれども、ケアへの着目には到っていなくても人間のより人間的なあり方を求める(「リベラルな」思想や生き方を含めた)流れに対して、敵対的ではなく寛容で説得的であることも必要なのではないかと思う。

 【参考】
自由主義 liberalism(森宏一編『哲学事典 増補版』(青木書店 1976)
 近代社会、すなわち資本主義の成立・発展にともなってあらわれた主張である。これは封建制、絶対主義、宗教的権威による支配にたいしてあらわれ、経済的・政治的、また哲学的に主張されたブルジョア思想である。経済的には自由放任をもとめ資本家の活動の自由を要求したものであり、政治的には立憲的議会政治をもとめ専制による支配を排撃し、思想的には思想・言論・信教の自由をたてまえとする。しかしこれらの特徴は、勤労人民が社会的に力をえてくると、自由主義が勤労人民をもふくめた民主主義の主張とは一致することができず、資本家階級の支配を保障するかぎりでの自由の行使をみとめるものである。したがって、勤労人民からもとめられる民主主義の徹底化にたいしては、ことごとに反対の態度をとってきたのが歴史上の事実である。たとえば、すでに17世紀から自由主義が唱えられていたイギリスで、いっさいの勤労者をふくめた普通選挙権が制定されたのは、ようやく第一次世界大戦の末期、ロシアに十月社会主義革命が成功した翌年、1918年のことで、このときにも婦人の選挙権は30歳以上とされていた(のち、1928年に男子と同年齢に引きさげられた)。日本では成年男子だけの普通選挙権制定は1925(大正14)年、婦人参政権は第二次世界大戦後の、1945年であった。これらはいずれも、支配階級が労働者階級はじめ勤労者に譲歩をよぎなくされて、はじめてあらわれてきたのである。

liberalism (『ランダムハウス英和大辞典』小学館 1979)
 1(行動・立場などが)寛大なこと、因習に縛られないこと、厳格でないこと
 2(自由党の主義および政策としての)自由主義
 3 自由主義:思想的には個人の権利と市民的自由の保障、政治的には個人の自由と議会主義の擁護、経済的には個人的活動の自由放任を求めて、制度の平和的な修正を主張する政治的・社会的思想潮流
 4(現代プロテスタンティズムの)自由主義運動:伝統や権威の束縛から脱し、信仰を科学や人間の精神的能力に調和させようとする運動

リベラル (『新明解国語辞典特装愛蔵版』三省堂 1990)
①自由・(寛大)な様子。 ②自由主義的。

liberal (『ランダムハウス英和大辞典』小学館 1979)
1(宗教・政治上の)自由主義の、改進主義の
2(進歩的政治改革を唱道する)自由党の
3(君主制・貴族制に対して)代議制政治の
4 自由主義(liberalism)の、自由主義に基づく;自由主義を擁護(主張)する
5(特に法が保証する限りで)個人に最大限の自由を認める、個人の自由の概念に反しない
6(特に個人の信仰・表現に関して)活動の自由を認める
7 偏見のない、偏狭でない、(自己の信念に)凝り固まっていない(free from prejudice or bigotry)
8(新思想などを)広く受け入れる、心の広い(open-minded);(特に)慣習(因習)に縛られない(unconventional);公平な(impartial)

9 物惜しみしない、気前のよい、けちけちしない(not sparing)
10 惜しみなく与えられた(given freely);十二分の、豊富な(abundant, ample)
11 厳格(厳密)でない(not strict or rigorous);字義にとらわれない(not literal)
12 自由人(freeman)の;自由人にふさわしい
13(体の部分・輪郭などについて)大きな、豊かな(large, full)
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 ここから私のケアについての学習、そして岡野らによるフェミニズムのケア理論の立場からのリベラリズム批判についての学習が始まりました。


(2)
 京都教科研例会から4日後の2023.2.22に私はFacebook上に以下の「読書メモ」を投稿し、「京都教育科学研究会交流掲示板」(http://www3.ezbbs.net/38/kyoukakenkyoto/)にも転載しました(Facebook投稿には、鹿島和夫『一年一組せんせいあのね』、『続一年一組せんせいあのね』、ケア・コレクティヴ『ケア宣言』、トロント/岡野『ケアするのは誰か?』、『教育』2月号岡野講演の一部の写真も載せました)。
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読書メモ
 鹿島和夫先生の本を2冊読みました。『一年一組せんせいあのね それから』『一年一組せんせいあのね いまも』もこれから読もうと思っています。
 鹿島先生には僕が約40年前の神戸大学助手だった頃に故・杉山明男先生のゼミにゲストとしていらっしゃった時に出会っています。しかしその後は、恥ずかしながらその出会いは記憶の底に沈んでしまっていました。
 思い起こしたのは、先月吉益敏文先生から最新のご論稿「生活綴方を実践する教師の『まじめさ』に関する考察-5人の教師の聞き取りから-」をいただいて読んだからです。5人の筆頭に鹿島先生が取り上げられていました。
 一方、京都教科研2月例会で『教育』No.925(2023.2)掲載の岡野八代論文(教科研2022記念講演)「子どもを大切にする社会とは?-ケアの倫理から考える」が取り上げられました。写真下段真ん中は、岡野論文の中の僕が「う~ん」と引っかかってしまった部分です。「リベラリズム」と「リベラル」の評価をめぐる部分です。これについてはさらに学習を続けます。
 岡野論文(講演)で紹介されているケア・コレクティヴ(岡野他訳・解説)『ケア宣言 相互依存の政治へ』は昨年の教科研大会より少し前に入手して読みかけていたのですが、2月号岡野論文で紹介されているトロント(岡野訳・著)『ケアするのは誰か? 新しい民主主義のかたちへ』も新たに入手しました。
 昨日は朝から、トロント/岡野本の第2章の岡野先生によるトロントの紹介を読み、並行して鹿島和夫『続一年一組せんせいあのね』を読んでいました。1年生のちびっこたちの傑作な「せんせいあのね」作品を横にいる嫁さんに音読して聞かせていっしょに笑ったりしていました。
 今朝、鹿島先生の同書後半の解説を読みました。そこにも子どもたちの作品がいっぱい出てきて、さらに先生の思いも書かれています。
 読み終わる直前になって、障害を持つ子どもとクラスの友達のかかわりのところを読んでいるときに、僕の直近の2種類の読書の流れは繋がっていることに気づきました。
 鹿島実践、鹿島学級の子どもたちについて、「ケア」の観点から読み深めることができそうだと。

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 上記で私は、自分がまだ学び始めたばかりのケア理論と兵庫県の小学校教師であった鹿島和夫先生の実践から掴んだものを直感的に結びつけて、説明もせずに自己満足的に文章を結んでいます。この時はまだ学習の途中でのネットへの「つぶやき」、あるいは自分のための備忘録的な投稿だったのでご了承下さい(^^;)。今回のノートも、まだ学びの途上での報告ですので、どれだけ理性的に整理して見解を述べられるかは自信がありませんが、私個人としては上記引用文中でも言及している吉益敏文先生の論文「生活綴方を実践する教師の『まじめさ』に関する考察-5人の教師の聞き取りから-」を「教育学文献学習ノート」の次回で取り上げようと考えていることもあり、京都教科研例会での岡野講演・ケア理論をめぐる議論と鹿島和夫実践をも取り上げている吉益論文からの学びを自分の中でつなぎたいという個人的な願いがあります。


(3)
 京都教科研例会後、以前から読み始めていたものを含めて、ケアに関わる以下の文献を読みました。読了した順に挙げてみます。
 ①ジョアンナ・C・トロント(岡野八代訳・著)『ケアするのは誰か? 新しい民主主義のかたちへ』(白澤社 2020.10.20刊行 2023.2.21-22通読)
 ②ケア・コレクティヴ(岡野八代他訳)『ケア宣言 相互依存の政治へ』(大月書店 2021.7.15刊行 2022.7.17-2023.2.25通読)
 ③村上靖彦『ケアとは何か 看護・福祉で大事なこと』(中公新書 2021.6.25刊行 2022.11.26
 ④岡野八代『フェミニズムの政治学 ケアの倫理をグローバル社会へ』(みすず書房 2012.1.16刊行 2023.2.24-3.5通読)
 ⑤ネル・ノディングス(佐藤学監訳)『学校におけるケアの挑戦 もう一つの教育を求めて』(ゆみる出版 2007.8.20刊行 2017.3.1-2023.3.7通読)

 また、未読了ですが、現在以下の3編を通読中です。3編中1番目・2番目は、上記③の中で紹介されていて知ったものです。
 ●中西正司・上野千鶴子『当事者主権』(岩波新書 2003.10.21刊行)
 ●宮野真生子・磯野真穂『急に具合が悪くなる』(晶文社 2019.9.25刊行)
 ●佐々木亜紀子他編『ケアを描く 育児と介護の現代小説』(七月社 2019.3.31刊行)

 上記5編の読了文献のうち岡野八代氏(西洋政治思想史・現代政治理論)が関係している①②は、もちろんケアをめぐる問題状況や理論を学べる基礎文献として読んでよかったと思います。また(たぶん臨床教育学会で情報を得たと記憶する)③は村上靖彦氏(現象学的な質的研究)による岡野氏とは異なる分野からのケアへのアプローチであり、豊富な語りの事例も収録されていて具体的に理解できました。
 先の京都教科研例会で生じた疑問との関係で、岡野氏の④はどうしても通読する必要があると考えて、400ページを越える他分野の学術書を約10日で通読しました。私が素人であるため、内容が難解で読み進めるのに難儀する部分もなくはなかったのですが、全体として論旨は明快で、中心的論点はそれぞれの箇所の文脈に沿いながら何度も提示されるので、わかりやすかった部分も多くありました。この文献を読む中で、岡野氏の主張に100%納得したというわけではありませんが、私が先に書いていたような、「リベラリズム批判はわかるけれども、それではいわゆるリベラルなもの全てを否定するのか?」というようなレベルの問題ではないと思うようになりました。「リベラル」というような物言いが多義的に流布されているという現代世界の一コマとしての事実と、古代中世近現代と続く政治思想史の中での「リベラリズム」が人間存在をいかに「片面的に」と言おうか歪んでとらえてきたかについての学問上の批判を、同列に並べてくっつけて混同して議論しようとしても生産的ではないと考えるようになりました。
 噛んで含めるように説明してくれる岡野氏の文章を私が十分に理解したかどうかは自信がありませんが、いくつか引用してみます。

【リベラリズムの言説を支える諸理念を、たしかにフェミニズムも共有している。だが、フェミニズムにとって見過ごすことのできない問題とは、リベラリズムが、具体的に社会を構想するさいに、「特定の存在や特定の活動領域」を排除し、それらは社会正義の射程外にあるとしてすっかり忘却してしまうことにある。さらに、そうして排除された存在や諸活動は、リベラリズムの言説が正統化されるためには不可欠なのだ。したがって、リベラリズムの力は、それらを脱政治化・自然化し、現状のままで維持する形に作用するのである。】(第一部第三章第二節リベラリズムとフェミニズム P.106-107)

【あらゆる個人を「自律的な主体」として想定することは、一方では、歴史的な負荷や傷を負わされてきた者たち-女性をはじめ、さまざまなマイノリティとしての烙印を押されてきた者たち-を、国家の法の下に包摂し、平等な人格として扱うことを可能にした。しかし、他方で、この包摂は、主体内部においては、意志に反する自らの服従を促し、主体の外部においては、国家の統一的な意志、すなわち主権への服従を余儀なくさせる。
 しかし、そのような服従が適わない存在、そもそも自らの意志の統御の下に行為し得ない者は、わたしたちの意識の外へ放擲されている。そのことが、<わたしたち>の問題として意識されないままでいられる装置こそが、リベラリズムを貫く公私二元論であった。
 リベラルな公私二元論は、一つの国家において平等に包摂されているはずの市民同士の社会的責任を不問に付すことを可能にする。それは、依存する存在-ここには、依存する存在をケアする存在が必然的に含まれる-を論理的にも、政治的にも否認することで、市民の責任を、主権国家の原理の下で自らが確立した法に従う義務に縮減する。自ら確立した法にのみ従う者だけが、自律的な主体として自由な存在なのである。
 他方で、自律的な存在でない、依存する存在として、市民たちの責任の埒外におかれた者たちと、依存する者のニーズに応える、という意味における責任を果たす者たちは、不自由だとみなされ、公的な市民としては相応しくない存在だとみなされる。しかし、公的領域には相応しくない者は、リベラルな公私二元論における私的領域へと排除されたかというと、そうではない。リベラルな公私二元論の残酷さは、私的領域を最も自由な自由意思の砦とするために、私的領域においてさえ、公的領域において不自由な存在は、存在さえせず、忘却されている。】
(第一部小括 忘却された主体の来歴 P.131-132)

【従来、家族は政治的では(佐藤註:以下4文字に傍点)ないものとして否定形で語られてきた。政治思想における家族は、「政治的なるもの」「公的なるもの」が平等な存在・開かれた空間・自由な行為として特徴づけられるさいに、それらに対比されるもの-不平等な者たちのあつまり・閉鎖的な空間・必然的労働-として後景化されるか、政治を支える非歴史的な自然として、語られることなく議論の前提とされているか、であった。
 換言すれば、家族は、「公的なるもの」を饒舌に論じる政治的な言説のなかで構築された
(佐藤註:以下3文字に傍点)政治的存在である。歴史を振り返れば、実際の家族は政治的に利用され、権力の行使を不可視化させるための装置として、その機能を十分に果たしてきた。すなわち、性別役割分業を通じたジェンダー構築、異性愛主義の貫徹、市場経済が要請する労働力の再生産、未成年者の社会化・国民化といった、近代国家にとって欠かせない重要な役割を家族は担わされてきたのである。】(第二部第一章ケアの倫理からの出発 家族の両義性 P.143-144)

【ここから注目していきたいのは、<わたし>という意識が育まれるためには、「あなたはそこにいる」と応じてくれた他者がともかく存在した、という事実の中にある関係性である。それは、「わたしがここにいる」ことの重みを感じ、労苦を引き受けてくれる他者の存在によって、自分の存在が確かなものとなる、そうしたケアと信頼と葛藤からなる関係性である。わたしが、<わたし>であるという意識を持つようになるのは、本当にあったのかどうかさえ定かではない、他者から受けたケア、つまり注視、気遣い、労苦、葛藤、そして愛情があったからこそ、なのだ。そのような他者がいたからこそ、<わたし>が生まれる。
 わたしたちが、他者と別個の人格として、自らを意識する以前には、こうした過去が存在する。それは、すでにわたしたちの意識の外に放擲されてしまっているかもしれない、脆い記憶である。しかし、この記憶から始めることこそが、主体が構築されるまさにその瞬間に、なにが抹消され、その代りに、どのような物語が政治的に捏造されてきたのかを考えることにつながるのである。】
(第二部第一章第二節ケアの端緒としての他者の存在 P.151)

【なぜ政治思想史上の言説は、一人一人の尊厳にかかわる承認の場でもあるケア関係と、様々な価値に対する評価や臨機応変な判断力が試されるケア実践を、あたかも個人の自由に任せておけばよいかのように論じ続け、政治的に公的領域から排除してきたのであろうか。】(第二部第二章私的領域の主権化/母の自然化 ケアの倫理の私化 P.185)

【依存をめぐる営みを国家に人質に取られてきた「家族」から解放し、脱私化することは、わたしたとが社会を、傷つきやすい存在を中心に構想する道を拓いてくれる。ひととひととの間に形成される呼応関係=責任関係とは、自立した平等な個人間で結ばれる契約関係では決してなく、むしろ、他者の行動に左右され、傷つきやすい立場に置かれたひとの存在ゆえに築かれる。まず傷つきやすい身体があり、そうした身体に呼びかけられた者たちが、依存を中心とした関係性のなかに包摂されていくのである。自律的主体に「なる」ことによる包摂とは、まったく異なり、包摂を呼びかける主は、通常の意味での呼応関係を結べない人びとなのだ。そして、その呼びかけは、主体として国民国家に包摂されているのではない人びとに対する責任論へとつながっていくことも示唆している。すなわち、家族を主体中心の私化から解放することは、責任関係を国家から解放する道をも示しているのだ。】(第二部小括 家族の脱私化から脱国家化へ P.248)

【近代のデモクラシー論とリベラリズム論の前提をなす理想的な市民像(=依存を認めない自律的主体)を批判することが、自律的で主権的な主体を構成員として要請してきた主権国家を批判することへと繋がり、したがって、自律的・主権的主体批判こそが、非暴力的な共同性の在り方を模索する作業の一つであるうということを明らかにしたい。】(第三部第一章 政治思想と暴力性の消去 P.259)

【政治思想における個人像は、「自分が現実に行っている依存と社会的従属を否認する、捨象の行為によって作り出されて」いるために、「繕い」の行為が前提とする、人間世界の脆さや自らの傷つきやすさを、「残酷な事実」として認めることができない。「その結果、この人物の自由とは、他者の統制や侵入に対する防衛だけで構成されることになる」。ここに、他者とは自らに敵対する存在であるがゆえに、事前にその危険を取り除いておこうという安全保障の考え方が生まれる。】(第三部第二章第三節安全保障からケアへ P.303)

【わたしたちの生にとって、原初の脆弱性(ヴァルネラビリティ)からくる他者への依存はしかし、根絶することもできないし、むしろ、するべきではない。なぜならば、人間存在の脆弱性こそが、他者との交わりを生み、複雑な関係性の網の目を紡ぎだす源泉であり、他者との間で紡がれた関係性の網の目のなかで初めて、わたしたちは、自らのユニークさ、かけがえのなさに気づき、そこに個としての尊厳が宿るからだ。
 (中略)ケアの倫理を学ぶことでわたしたちは、すべてのひとに備わるとされる自由の核心としての尊厳もまた、「非決定の他者を、権力関係がない形で自分が受け入れ」てきた人びとの営みによって、支えられなければならないことを理解するのである。】
(第三部終章新しい共同性に向けて 荒野のなかのフェミニズム P.351)

【政治思想史は、自分が自由に選んだわけでもない他者が私の身体に関わってきたこと、自分の近くに自らの意志とは関係なく、誰かが近くにいてくれた、という身体の「社会的条件」を、主権的意志を備えた自律的主体を社会の前提として想定することで、抹消してきた。身体が「公共圏における社会的現象のひとつとして構築された」という事実を、私的領域からも公的領域からも忘れさろうとしてきたのである。】(同 P.352)

  以上、引用文献等の紹介は全て省略して、先行研究の紹介部分も含めて岡野氏の文章を抜粋してきました。上記で紹介した部分を含めて岡野『フェミニズムの政治学』から私が学びとったことは以下のことです。政治学の素人による学びですので、不正確さとか誤解を含むかも知れませんが、述べてみます。

《人間とは本来他者の存在や他者との関係を大前提としてこの社会に生きている。その関係は当然ながら他者に依存し、また他者から依存されることを含んでいる。ところがリベラリズムが提示する「自律的市民」像は、市民の存立要件から「依存」を排除し、従って現実社会で依存し依存される関係に生きる人々を「市民」から除外し、またその「市民」自身が実は他者への依存なしには生存できないことを否定し、忘却しようとする。私たちは構築していくべき社会は、現状のように「自律した市民」と忘却された依存関係に生きる人びとからなる社会ではなくて、相互に依存し合う人間同士によって築き上げていく社会である。》

 なんだか書いてみると陳腐な理想主義と誤解されてしまいそうな説明になってしまいましたが、とにかく現時点の私はこのように理解しています。そしてこの理解からすると、ちまたに流布された用語法としての「リベラル」ではなくて、リベラリズムの主体=市民の思想や資質としての「リベラル」な生き方・考え方というのは、やはり批判され乗り越えられるべきものかなあと思えてきます。リベラルな市民の結合・協力によってつくられようとする社会ではなくて、ケアの関係で結ばれた社会を目指さなければならないのかなあと思えてきました。

ただ、一言だけ。冒頭に再録した2023.2.18京都教科研例会に出した文書のように、専門用語を一般常識的に解釈する誤りをもう一度繰り返してしまいそうな危惧はあるのですが、敢えて書いてみます。
 引用箇所として適当なのかどうかわからないのですが、言葉を取り出すために以下を引用します(下線は佐藤)。

 【すなわち、国家の自由も<わたし>の自由も、その内部に存在する異なり・多様性を一つの意志によって統制することによって達成される、という自由観である。さまざまな欲望・要望・傾向性を意志の力によって統制・抑圧し、かつそれを忘却することによって生起する<主体>は、概念的な状況に対してであれ、他者に対してであれ依存する存在を自由で責任ある構成員ではないものとして扱う、とする主権国家において初めて、構成されうる存在なのである。しかも、その主体は(佐藤註:以下6文字に傍点)忘却する主体として構築される。】(第一部第二章第四節自由意志と主権国家の結託 P.88-89)

 この部分の記述自体への疑問ではないのですが、上記の行論や文献④の他の箇所で、「主体」という用語も「主権」という用語も批判的・否定的に用いられていると私は読みました。
 「主体」は、かなり幅広く用いられそうな用語なので、ここでは立ち入りません。また「主権」も上記引用では「国家」を修飾する語として用いられているので、政治学の国家論を理解しない私が「主権」という用語だけを文献④の文脈から切り離してあれこれ論じようとすることは、上述したように「専門用語を一般常識的に解釈する誤り」の繰り返しになるかもしれません。しかしそれでも、素人としては気になるのです。私たちは「主権」という用語を、日本国憲法の前文「ここに主権が国民に存することを宣言し」、第1条「主権の存する日本国民の」等にあるように、日本国憲法の三大原則の一つである「国民主権」を構成する用語として使うことに慣れています。ですから私は「主権」という用語が批判の対象となることに違和感を感じるのです。もちろん私にも、その「主権」が存するとされる「国民」には例えば外国から移入する人びと等が含まれていないことはわかります。この人たちを無視したり除外したりした上で現在の日本社会のあり方を考えることが誤っているのもわかります。ただそれでも一方で私は、例えば社会科教育その他で「主権者教育」が行われることが重要だと思います。それとも今の日本では「主権者となるために」という目標を掲げて行なう教育は、社会のある部分に目を塞ぐ偏狭な教育に陥る危険があるのでしょうか。


 なお、文献⑤は佐藤学氏による紹介から知って以前から入手して少しは読んでいたのですが、今回通読してみてものすごく刺激的でした。教育分野におけるケア論として学んだということと同時に、カリキュラム論・教育課程論研究者として、とても多くの具体的なことを学びました。これについては、また別の機会に自らの「教育課程」観を問いなおす作業と重ねて取り上げてみたいと思います。


(4)
 さて、(2)で再録した2023.2.22のFacebook投稿で言及した鹿島和夫氏の著書の件です。読んでいるうちに鹿島ファンになってしまい、以下の諸著作を続けて読みました。

 ⑥鹿島和夫・灰谷健次郎『一年一組せんせいあのね 詩とカメラの学級ドキュメント』(理論社 1981刊行 2023.2.15通読)
 ⑦鹿島和夫編『続一年一組せんせいあのね』(理論社 1984刊行 2023.2.21-22通読)
 ⑧鹿島和夫・灰谷健次郎『一年一組せんせいあのね それから』(理論社 1994.7刊行 2023.2.24-3.2通読)
 ⑨鹿島和夫『希望をありがとう ダウン症児・由子ちゃんと一年五組の記録』(講談社 1987.3.20刊行 2023.3.8通読)

 さらに以下の本も入手し、これから読もうとしています。

 ●鹿島和夫『ダックス先生と40人の子どもたち 1ねん1くみの365日』(小学館 1983.3.30刊行)
 ●鹿島和夫『1ねん1くみダックス先生』(小学館 1987.4.10刊行)
 ●鹿島和夫・灰谷健次郎『一年一組せんせいあのね いまも』(理論社 1994.7刊行)
 ●鹿島和夫『しあわせのおなら』(法蔵館 1995.7.10刊行)
 ●鹿島和夫『せんせい、あのね ダックス先生のあのねちょう教育』(ミネルヴァ書房 2010.2刊行)

 繰り返しになりますが、2023.2.22Facebook投稿の末尾に、文献⑦に関して以下のように書きました。

「今朝、鹿島先生の同書後半の解説を読みました。そこにも子どもたちの作品がいっぱい出てきて、さらに先生の思いも書かれています。
 読み終わる直前になって、障害を持つ子どもとクラスの友達のかかわりのところを読んでいるときに、僕の直近の2種類の読書の流れは繋がっていることに気づきました。
 鹿島実践、鹿島学級の子どもたちについて、『ケア』の観点から読み深めることができそうだと。」


 Facebook投稿では文献⑦の内容の紹介もせず、思わせぶりな終わり方をしていますので、ここで改めて紹介させていただきます。同書末尾の「解説=鹿島和夫 わが幼き詩人たち」の中の「3 学び合う子ら」の一部を抜粋します。教育実践の記録ですので、切れ切れに抜粋すると流れがわからなくなります。長い引用になりますが、御容赦下さい。


     まつひらくん    わだ まさよ
    まつひらくんは
    ときどきおもらしをする
    けどええとこある
    あのねちょうかいとうし
    きゅうしょくがんばってたべとう
    まつひらくんは
    みんなになかされるけど
    ばばゆきおくんとはなかよしだ
    ときどきいじめられても
    あそんでくれるひとがいるときは
    まつひらくんうれしそう
    みんながまつひらくんすきになったら
    まつひらくんもっとよろこぶ
    まつひらくんはこころのびょうきやいうけど
    わたしはちがうとおもう
    それはまつひらくんはやさしいから
    こころのやさしいひとは
    こころのびょうきじゃないというしょうこや

 松平剛君は、基本的な生活習慣ができていない子どもでした。自分の力では、ほとんどなにもできません。又、一年生の学習内容も全然理解ができない子どもでした。
 剛君の特徴的なこととしては、一日一回は、確実におもらしをしてしまうということがありました。
 入学してきた頃、剛君に関わる子どもというのは、剛君をまるでペットのように扱うところがありました。
 というのは、子どもたちが遊ぼうと誘うと、剛君は、全体に拒否をすることはありません。だから、動作言語が幼いために、自分より年下のものに命令するような調子で遊べるわけです。
 男の子たちは、仲よく遊んでやることもありましたが、暴力で、いじめることもありました。
 何げなしに近づいてきて、突然に、頭を拳でごしごしとこすりつけて痛めるということやら、机の間を歩いてきた剛君を足蹴りしてひっくりかえすということをしたのです。
 ところが、そのように痛めつけられた相手でも、泣きやむと、「あそぼう」というのが、剛君です。
 剛君は、人に対して怒るとか憎むといった感情は、もっていないのではないかと思われる子どもでした。
 女の子たちは、剛君に対して、いつもやさしく親切に接していました。剛君がお尻をむずむずし始めると、「先生、剛君、おしっこやで。」といって、トイレに連れていってくれるのは、由美子ちゃん。剛君の鉛筆を、右手の上からにぎってやり、字を書いてやるのは、泉ちゃん。
 女の子たちが剛君に関わっている様子を見ていると、実に細やかな神経のいきとどいた思いやりがこめられていることがわかります。
 例えば、本を読んでやることでも、実にていねいで、心のこもった読み方をしてやっています。
 教え方は、わたしが剛君にしていることよりも、実にていねいで親切です。
 さらによく観察していると、剛君を自立させようと努力している女の子の考えが見えてくるのです。

     つよしくん    きむら せいこ
    せいことゆきちゃんとつよしくんとてをくらべた。
    つよしくんが1ばん大きかった
    2ばんはゆきちゃん
    せいこはどんげやった
    つぎはてつぼうのどっちがはやく
    5かいできるかをしてみた
    そしてせいこが1ばん
    ゆきちゃんが2ばん
    つよしくんはさいごだけど
    がんばっていたから
    二人ではくしゅをしてやりました
    つよしくんはよろこんでいました。
    せいこはそのとき
    つよしくんはなんでもがんばって
    さいごまでやろうとするから
    えらいわとおもいました

 本当の思いやりというのは、剛君が自立できるように考えてやることなんだと、色々な場面で、わたしに示してくれていました。
 剛君も給食当番をみんなと同じようにするのは、当然であるといったのは、女の子たちです。そして、エプロンを着せて、パン係をさせました。
 又、剛君にプリント係を任命しました。これは、学校からのお知らせの紙やドリルのプリントを、みんなに配る仕事です。日番の仕事も、順番がくると同じようにさせました。たとえ、その仕事ぶりが遅く時間がかかっても、最後まで、本人の力でさせなければならないというのが、女の子たちの考えでした。

 
 自分の力でやり遂げるということは喜びになり、次に、やる気をおこさせます。
 ある時、剛君は、すばらしい冒険を体験します。

(中略 以下で剛君のがんばりとそれを支えた美江ちゃんの素敵なエピソードが紹介されるのですが、長くなりすぎるので残念ですが割愛します。)
 
 障害児学級に、4年生の馬場幸夫君という男の子がいました。幸夫君は、知恵遅れで言語能力が低く、もう一人の男の子と共に、この学級で学んでいたのです。
 幸夫君は、身体が大きくて肥満体。時々、わけもなく暴力をふるったりかぶりついたりすることがありました。又、担任の先生のいうことをきかないどころか、先生にも暴れたり、抵抗したりすることもあったくらいです。
 障害児学級の教室は一年一組の隣りにありました。だから、幸夫君が暴れているのを、一年生たちは、よく見かけていました。
 そんな幸夫君を見ていて、一年生たちは、幸夫君に対してある怖れをいだいていたことは確かでした。
 ところが、幸夫君が、あるきっかけから、一年一組で学習することになったのです。
 実際に幸夫君との交流学習が始まると、子どもたちの幸夫君への見方が、だんだん変わってきたように思えます。幸夫君は、やっぱり四年生だったのです。
 相撲をすると、一年生たちのだれがかかっていっても歯が立ちません。
 授業中に、幸夫君は、一年生たちよりもずっと進んだ知識を示すこともありました。
 幸夫君がどんな子どもであるかということが、少しわかってくると、子どもたちは、いっしょに遊ぶようになってきました。その上、勉強も教えてやろうとし始めたのです。
 時計の読み方やら漢字の書き方を教えてやりました。
 みんなといっしょに勉強している時の幸夫君は、笑顔ではちきれんばかりの表情をしています。きっと、学習の喜びを味わっているのでしょう。
 担任の先生と対になって教えてもらっている時は、このようにじっと座っていることさえ続きません。机に向かって書いたり本を読んだりすることは、ほとんど続かないのです。けれども、一年生といる時には、机に向かうことができるのです。
 幸夫君が、一組の子どもたちと、友だちになっていきましたが、その中で、特に気に入って、よく遊んだ友だちというのは、松平剛君だったのです。
 幸夫君は、毎日一時間は、必ず教室にやってきました。教室に来ると、当然のように剛君の横に座りました。
 漢字のテストをしていたときの風景です。剛君は、隣の聖子ちゃんの書いているのを見て自分の答案に書くのです。すると、今度は、幸夫君の答案にも、書いてやるのです。幸夫君は、書いてもらうと、手をたたいて、喜びます。そして、わたしを呼びつけるのです。
「まる、つゅけて。」
といって、赤まるをつけることを要求するのです。
「まる、もうたあ。」
といいながら、高く掲げてみんなに見せびらかせます。
 又、剛君が幸夫君に、教えるということもありました。教えられることばかりであった剛君にとって、教えることができるというのは、いい気分のようです。
 剛君が本を読んでやります。絵を指しながら、「これ、何。」というようにたずねています。すると、幸夫君が、「ぞうちゃん。おちゃるちゃん。」というように答えます。
 幸夫君は、剛君といる時が一番楽しそうです。剛君も、同じ気持ちなのでしょう。
 二人の楽しげな様子を見ていると、子どもというのは、子どもの世界にいるときが、一番幸せなんだなあと思えます。

     ゆきちゃん    あさおか みえ
    ゆきちゃんはこころのびょうきやから
    4ねんせいのべんきょうがわかれへん
    ゆきちゃんはかぶりついたり
    かみのけをひっぱったりして
    わるいことをする
    一年せいの子をなかしたことがある
    ゆきちゃんもいいとこがある
    わるいことしたらあかんでゆうたら
    すぐゆうことをきくし
    おいでゆうたらすぐくる
    なんでも「はい」てゆうからかしこいで
    とびばこのとき
    「まえにならえ すわれ」ゆうて
    せんせいのまねしした
    ゆきちゃんが手をたたいてわろてるときはいいきぶんやから
    いっこもわるいことせいへん
    だれもなかしたりせえへん
    ゆうことよくきくよ
    みんなできげんよくやっとったら
    ゆきちゃんはわるいことせえへんかしこいこどもになる

 幸夫君がいると、クラスがたいへん明るくなるように思えます。
 幸夫君がいると、剛君がやる気をだして、勉強に励みます。
 幸夫君がいると、女の子たちが、人にやさしくするとは、どんなことなのかということを学んでいます。
 そして、幸夫君がいることによって、学級全体が、明るく活動的になります。
 四年生の幸夫君が、一年生の教室に入ってきて、学んだことは、子どもたちにとっても、私にとっても忘れ得ぬ出来事です。】
(P.215-226)

 最初に出てくる一年一組の松平剛君は、生活習慣や学習に遅れのある子どもと説明されています。当初はクラスの子どもたちに翻弄されいじめられることもあったようですが、学級生活が進むにつれて女の子たちを中心に剛君をクラスの仲間として関わろうという動きが出てきます。つまりは、友だちが剛君をケアするようになったと言えます。「c」ではその剛君が、クラスに出入りするようになった知的障害がある4年生の馬場幸夫君につきあい、かかわるようになります。他の子どもたちの中にも幸夫君を一人の友だちとして認め関わる動きが現れ、そのような中で鹿島先生は「幸夫君がいると、クラスがたいへん明るくなるように見えます。」と述べています。
 一読者である私がしたり顔で絶賛するようなことは避けたいと思いますが、一年一組では必ずしも鹿島先生に導かれ教えられてではないところでもケアの関係が成立しつつあったし、鹿島先生はそのような子どもたちの関係から謙虚に学んでいらっしゃるとに思いました。

 また、文献⑧の中に「5 ないとうゆうこの詩・23編」という一節があり、クラスメートの久語君が大好きな内藤由子(ゆうこ)さんのほほえましい詩がたくさん紹介されているのですが、同書末尾の鹿島先生と灰谷健次郎さんとの対談の中で、そのことが以下のように紹介されていました。

【鹿島 ありがとうございました。それでね、この子の続きの話があるんですが、このカップルの延長上に、別府由(よし)子(こ)ちゃんというダウン症の子どもがこのときにおったんですね。その実践は、『希望をありがとう』(講談社)に発表したんですが、障害児とともに学び合う世界というものを、内藤由子ちゃんやら久語育弘君が築いていたんです。
灰谷 あ、そうなの……。
鹿島 つまり、この内藤由子ちゃんのような、じつにするどい人間をみつめる目をもった子どもたちがたくさんいた学級だから、別府由子ちゃんは、健康的で、向上的で、ドラマティックな一年間を過ごすことができたんです。別府由子ちゃんというダウン症の子が健康的で著しく成長をみせた一年間というのは、こういう子どもに支えられていたということなんですね。こういう子どもたちがいろいろと由子ちゃんに関わって、楽しい学校生活を送らせたということなんです。
灰谷 由子ちゃんの話を少ししてください。
鹿島 はい。別府由子ちゃんというのは、生まれたときは、ダウン症という病気だといわれた子どもだったんです。お母さんの律子さんは、最初、障害児だと聞かされて驚くのですけど、その上、由子ちゃんは、多くの難病をもった子どもだったのです。医師から、学校に入学するまでは生きられないだろうとはっきりと宣言されるのですが、律子さんの献身的な介護で、少しずつ健康体になっていくんですね。それで、寿命の短い子どもであるのなら、せめて、子ども時代には、より人間らしく育てたいと熱望されて、由子ちゃんをふつうの学校へ入学させるんです。そのときに入ったのが、ぼくのクラスというわけだったのです。入学当初は、さまざまな問題を起こしてくれました。とにかく、社会性というものがないためか、学級のなかばかりか、学校のなかで、いろいろと問題を起こしたんです。でも、学校という社会に慣れてくると、まわりにいる子どもたちも、自然な目で由子ちゃんをみつめ、由子ちゃんも自分のことは自分でできるようになったらいいねえいう関わりを示しはじめるのです。由子ちゃんも学ぶ楽しさを感じはじめると、みんなと同じように勉強しようとするし、生活力もつけようと努力しはじめるのです。そんな由子ちゃんも同じようにできたらいいねえという思いで気をくばってくれたのが、「あのねちょう」を書いていた級友なんです。由子ちゃんをいろいろとみつめるうちにさまざまな気くばりをして、優しく関わろうとしていくのです。反対に、まわりの子どもたちも、由子ちゃんからいろいろと学んでいることがあるんですね。そんな相乗的な学びあいの関係があって、体が弱くて、体育のほとんどができなかった由子ちゃんがマラソン大会に参加して、完走するという快挙をなしとげるのです。じつにドラマティックな出来事でした。この実践が世にでたとき、健康な子どもと障害のある子どもの学びあう理想的な学級として、多くの賛辞をうけたのです。
(後略)(P.242-244)

 上記の鹿島和夫氏の解説を読んで、私は文献⑨も入手し通読しました。これは一冊の本でありここで紹介することは無理ですので、上記の鹿島先生による別府由子ちゃんの紹介にとどめます。別府由子ちゃんと子どもたちの学級物語の中から、私は子どもたちの中でのケアの関係の成立の事実をいくつも読み取ることができました。


 この「学習ノート」を「ケアについて考える」と題して書き始めながら、ここまでケアとは何かについてきちんと書いてきませんでした。私自身、この間読んだ文献①~⑨やさらに現在も読中の諸文献や実践記録からケアについて多くのことを学びつつあるのですが、それを自分の言葉で過不足なくまとめることはまだできません。ですので、安直ではありますが、文献②『ケア宣言』の冒頭の一節を紹介することで、この「学習ノート」を閉じたいと思います。

【この『ケア宣言』のなかで私たちは、ケアを前面にかつ中心に据える政治の必要に迫られていると論じます。しかしながら、ケアという言葉によって、私たちは単に「直接手をかける」ケア、すなわち、他者の物理的、感情的なニーズに直接手当てをするときに人々がなしていることだけを意味するのではありません。もちろん、ケア実践のこうした役割は、重要で、かつ急務であることには変わりありません。しかし、「ケア」とはまた、生命の福祉と開花にとって必要なすべての育成を含んだ、社会的な能力と活動でもあるのです。とりわけ、ケアを社会の主役の位置に立たせることは、私たちの(佐藤註:以下5文字に傍点)相互依存性を認識し、抱擁することを意味しています。この宣言のなかではしたがって、「ケア」という用語を、家族ケアや、ワーカーたちがケア・ホームや病院で、そして先生たちが学校で実践している直接手をかけるケア、そしてその他のエッセンシャル・ワーカーたちによって提供されている日々のサーヴィスを含む、広範な意味で使用しています。それだけでなく、以下のようなケアも意味されています。すなわち、様々なモノを貸し出すライブラリーの運営、つまり協同組合的な代替案(オルタナティブ)である、連帯経済の構築に関わる活動家たちによるケアや、住居費を低く抑えたり、化石燃料の使用を抑え緑地を拡大させようとしたりする政治的な政策などです。ケアは、政治的、社会的、物質的、そして感情的な条件を提供するという、個人的かつ共同的な私たちの能力であり、そうした条件によって、この地球に生きる人間とその他の生物のほぼすべての生命が、この地球とともに生きながらえ、繁栄することが可能になるのです。】(P.9-10)

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