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56 教育学文献学習ノート(38)-2勝田守一「教育学とは何か」(1960頃)

 (『勝田守一『教育と教育学』所収(未発表原稿未完)岩波書店 1970.7.15刊行 2025.7.26通読 2025.7.28-8.1 ノート作成)  教育科学研究会教育学部会での本田伊克報告「教科研は学力をどう論じてきたか、いくべきか」(2025.5.25)に沿って、教科研での議論を参照しながら学力問題について改めて学習していくシリーズの第2弾です。  本田報告では、「 教科研の学力論を検討する際に勝田守一が提起した「ペダゴジーとしての教育学」構想を思い起したい 」として、 勝田守一「学校の機能としての教科づくり」(1960) を及び 「教育学とは何か」(1960頃) に以下のように《連動的に》言及しています。 ====================   勝田は、社会の様々な矛盾や本質的な諸関係が子ども・青年の「全面発達」の歴史的・現在的疎外条件として立ち現れるととらえ 3 、そうした疎外条件のもとでの全面発達の意味を「子どもの成長過程において実現するように指導する技術とその意識的反映としての知識」、「人間の成長、発達、社会的形成についての科学によって明らかにされた法則性の認識を含みながら、人間と人間との、相互のはたらきかけの中で教育を受けるものに、習慣・能力・知識・理想が変容し、形成される過程についての技術知」を探究するものとして、ペダゴジーとしての教育学を打ち出した 4 。 ====================  上記引用文中には二つの註番号 (わかりやすいように大きなポイントで表示しました) が付されています。  一つ目の「3」の出典は、このシリーズの前回=(38)-1で取りあげた 勝田守一「学校の機能としての教科づくり」(1960) です。  そして二つ目の「4」の出典が、今回取りあげる 「教育学とは何か」(1960頃) です。  「ノート(38)-1」で 勝田守一「学校の機能としての教科づくり」(1960) を取りあげた際には、本田氏による勝田の2つの論文への言及のしかたについて私は特にコメントせず、さらっと通り過ぎてしまいましたが(^^;)、今回はここにちょっとこだわってみたいです (限定された参加者による教科研教育学部会での報告時配付資料なので、このシリーズの予告編=「ノート(38)-0」では「これ自体は研究会内で配られたものであって...

55 浦田直樹校長と親しく懇談して、秋桜高校の教育実践についてさらに考えてみた

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    参院選投票日の午後、浦田直樹秋桜高校校長に京都まで来ていただき、喫茶店-焼き鳥飲み屋さんで延べ3時間以上かな、親しくお話しさせていただきました。  本ブログでは既に以下の投稿をしています。      教育学文献学習ノート(39)浦田直樹「『人間のぬくもり』を生み出す教育実践―秋桜高校の実践記録―」(日本臨床教育学会編集『臨床教育学研究』第13巻) (2025.6.24)       https://gamlastan2021.blogspot.com/2025/06/523813.html  浦田先生には先生にお話によると2017年の教育科学研究会近江八幡大会でお会いしていたそうなんですが、失礼なことに私はそれを記憶しておりませんでした(^^;)。私の主観上での浦田先生との出会いは、2024.3.24の関西教科研集会で秋桜高校の報告を拝聴して衝撃を受けたというのが出発点です。今年に入って2025.2.15の地域民教交流研の懇親会で先生と親しくお話ができたことから直接の交流が始まり、秋桜を見たいという私の要望に応えていただいて3.14の卒業式に列席させていただきました。またその間のメールのやりとりで浦田先生の東大阪大学等での大学での授業実践のことも少し伺い、また一方で秋桜の実践の報告資料を新たにいろいろ教えていただき、私自身の学びを広げることができました。  上記のブログ投稿は、私自身が初めて対外的に (自分のブログという限られた媒体において、ではありますが) 秋桜高校の学校づくり・教育実践について自分の意見を公表する機会となりました (生徒/学生の名前を呼ぶということをめぐってのごくごく狭い範囲でのコメントになりましたが^^;) 。このブログ投稿を浦田先生も読んで下さり、直接会っていろいろ話したいといううれしい提案をいただきました。それで昨日の喫茶店+呑み会、ということになった次第です(^_^)。  3時間以上にわたってあれこれお話ししました。その中で秋桜高校の歴史と現在についてもこれまで以上に知ることができましたし、浦田先生の教師としての歩みについても伺いました。ただ、メモ用紙も持って行っていて、ほんのひとときメモもしたんですが、それ以外の時は話しまくり、聴きまくっていましたので...

54 【アーカイブ16】 植林恭明「私を変えた漆との出会い」(『教育』No.953 2025.6)をめぐって(2025.6.25都留文大雑誌「教育」を読む会例会に参加して)

以下の投稿は本日早朝(^^;)にFacebookの「全国『教育』を読む会」ページと私のタイムラインに投稿したものですが、そのままではFacebook読者の範囲でしかお目にとまらないので、ここに再録することにしました。 ====================   昨日(2025.6.25)の都留文科大学『教育』読む会に参加しました。昨年5月以来、通算14回目の参加です。とてもおもしろい議論(おそらくその内容は、いつものように新東さんが紹介して下さるだろうと思っています)が行なわれたのですが、私はその議論を聞きながらも(^^;)それとは別の方向から考えていました。せっかく参加しているので発言しようかとも思ったのですが、議論の方向を変えることになるし残り時間も少なかったので、発言しませんでした。それでここに考えたことを書きます。  例会では植林恭明「私を変えた漆との出会い」(『教育』No.953 2025.6)が取りあげられました。植林さんもリモートで参加されました(取りあげる実践報告の著者が参加されることが多いのが、都留文大の読者会の大きな魅力です)。植林先生は教職18年目。公立小学校から東京の私立和光小学校に移られ、さらに担任から「工作技術科」の専任となって12年。2020年度から実施されている特別授業「職人さんから学ぶ~漆器づくりの職人さんをお招きして」について『教育』No.953で報告されました。その実践のことに触れる前に、私の関心を書きます。  私は教育科学研究会に入会(1975)した教育学部学生の頃から院生、そして神戸大・宮城教育大学に勤務していた1980年代末まで、社会科教育を主たる対象として教育学研究を行なってきました。大阪教育大、のちに滋賀大で行なわれていた「社会科学と教育」研究会に参加し、民間教育研究運動における社会科研究や学校現場の社会科教育実践について研究していました。教科研では故・鈴木正氣先生の小学校社会科実践からたいへん多くのことを学ばせていただきました。「社会認識と教育」分科会・部会に参加して、鈴木先生の『川口港から外港へ』(1978)、『学校探検から自動車教育まで 日常の世界から科学の世界へ』(1983)、『支えあう子どもたち 見えない世界に挑む社会科の授業』(1986)ができあがっていく過程のオブザーバーであることができたのは、...

53 教育学文献学習ノート(38)-1勝田守一「学校の機能と教科づくり」(1960)

(『勝田守一著作集4 人間形成と教育』所収 初出:『教育』1960年12月増刊号 1976.12.19初読 2025.6.10-11再読 2025.6.10-17 ノート作成)  2025.5.25教育科学研究会教育学部会での本田伊克報告「教科研は学力をどう論じてきたか、いくべきか」に沿って、私も教科研での議論を参照しながら学力問題について改めて学習していきたいと思います。予告編(38)-0で述べたように、当日の研究会で本田氏及び佐貫浩氏が配付された報告資料は、これ自体は研究会内で配られたものでありそのまま公刊されたものではないと思われますので、報告資料全体の内容に言及することはしません。但し、これから検討する文献を本田氏がなぜ取りあげておられるかを紹介することは先行研究者に対するマナーであるとも考えますので、その前後の文脈だけは紹介することにします。  本田報告ではまず教育科学研究会の 「研究活動方針 危機の時代のなかで子どもとともに生きる教育実践を社会的共同の力で創造する ─新自由主義社会への子どもの根源的な問いに応えて─」 (2023) に言及されていますが、これについては「文献学習ノート(38)」の一連の検討を終えた上で改めて検討することにします。  本田氏は次に中内敏夫『「教室」をひらく―新・教育原論(著作集Ⅰ)』(藤原書店 1998)における学力検討・学力像明確化の意義に関する中内の主張を紹介していますが、私は残念ながら同文献を所持していません。Amazon、ヤマノヰ書店も検索してみましたが、ヒットしませんでした。なのでスルーします。  続いて本田氏は、教科研の学力論を検討する際に勝田守一が提起した「ペダゴジーとしての教育学」構想を想起したいとして、以下の文献を取りあげています。   勝田守一「学校の機能としての教科づくり」 (1960)  そこで勝田のこの文献から学ぶことをこの「文献学習ノート(38)」シリーズの最初の課題とします。  まずは本田報告の中で勝田論文(1960)についてどのように言及されているかを紹介します。 ====================   勝田は、社会の様々な矛盾や本質的な諸関係が子ども・青年の「全面発達」の歴史的・現在的疎外条件として立ち現れるととらえ3、そうした疎外条件のもとでの全面発達の意味を「子どもの成長過程におい...

52 教育学文献学習ノート(39)浦田直樹「『人間のぬくもり』を生み出す教育実践―秋桜高校の実践記録―」(日本臨床教育学会編集『臨床教育学研究』第13巻)

 (2025.4.25刊行 6.3通読)   秋桜高校の実践報告を初めて聴いたのは、2024.3.24の関西教育科学研究会3月集会「 子どもを大切にする学校―大阪の私学高校実践に学ぶ―」において浦田直樹校長が話されたときでした。不勉強な私はそれまで秋桜高校という学校の存在も存じ上げなかったと思います。そこで配付された分厚い報告資料とその年の秋桜高校の卒業文集は、自分だけ読むのではもったいないと思って当日の研究会には参加されなかった京都教科研の仲間にお貸ししています。  2025.2.15-16に京都市内で全国地域民教交流研理論学習会が開催され、夜の懇親会の時に浦田先生がわざわざ私のところへ話しに来て下さいました。私のFacebook投稿を読んでくださっていると聞いてうれしく思いました。学習会の後2.18に私から浦田先生に送信したメールの一部を以下に紹介します。 「校長先生が『直樹』と生徒から呼ばれる。《規律》から入る学校生活の組立からは考えられないことです。だけど、どの学校でも校長や担任を陰で(児童生徒間で)呼び捨てにしたりあだ名で呼んだりということはあると思います。しかし、(表面上)《荒れてない》学校だったら、授業中には子どもたちは『〇〇先生』と言うだろうし、生徒同士で教師の噂話をしていても廊下で教師とすれ違ったらやめるでしょう。秋桜で生徒が浦田先生を『直樹』と呼ぶのは、呼び名という点では友だちと同等ということでしょうね。友だちと同等扱いすることが教師を《下げて扱う》ことではなくて垣根をなくしてなんでも話せる気楽さを醸し出すのでしょうか。こうしたことを含めて、秋桜高校での教師も生徒も含めた人間関係にとても興味があります。 」  懇親会の席で私は「秋桜高校を訪ねたい」と浦田先生に申し上げていました。このことについても2.18のメールで以下のように改めて書いています。 「交流会の席で私は先生に『秋桜を訪ねたい』と言いました。私は神戸大で3年半・宮城教育大で2年半、三重大で30年、京都橘大で1年大学教員をつとめ、いまは京女大で非常勤5年目です。正規教員の時代は学生の教育実習指導や現場の研修会等で小学校を中心に多くの学校に足を運びました(そんな研究スタイルだったので、教科研全国委での福井さんの「研究者は現場を知らない」発言には猛反発しました)。...