53 教育学文献学習ノート(38)-1勝田守一「学校の機能と教科づくり」(1960)
(『勝田守一著作集4 人間形成と教育』所収 初出:『教育』1960年12月増刊号 1976.12.19初読 2025.6.10-11再読 2025.6.10-17 ノート作成)
2025.5.25教育科学研究会教育学部会での本田伊克報告「教科研は学力をどう論じてきたか、いくべきか」に沿って、私も教科研での議論を参照しながら学力問題について改めて学習していきたいと思います。予告編(38)-0で述べたように、当日の研究会で本田氏及び佐貫浩氏が配付された報告資料は、これ自体は研究会内で配られたものでありそのまま公刊されたものではないと思われますので、報告資料全体の内容に言及することはしません。但し、これから検討する文献を本田氏がなぜ取りあげておられるかを紹介することは先行研究者に対するマナーであるとも考えますので、その前後の文脈だけは紹介することにします。
本田報告ではまず教育科学研究会の「研究活動方針 危機の時代のなかで子どもとともに生きる教育実践を社会的共同の力で創造する ─新自由主義社会への子どもの根源的な問いに応えて─」(2023)に言及されていますが、これについては「文献学習ノート(38)」の一連の検討を終えた上で改めて検討することにします。
本田氏は次に中内敏夫『「教室」をひらく―新・教育原論(著作集Ⅰ)』(藤原書店 1998)における学力検討・学力像明確化の意義に関する中内の主張を紹介していますが、私は残念ながら同文献を所持していません。Amazon、ヤマノヰ書店も検索してみましたが、ヒットしませんでした。なのでスルーします。
続いて本田氏は、教科研の学力論を検討する際に勝田守一が提起した「ペダゴジーとしての教育学」構想を想起したいとして、以下の文献を取りあげています。
勝田守一「学校の機能としての教科づくり」(1960)
そこで勝田のこの文献から学ぶことをこの「文献学習ノート(38)」シリーズの最初の課題とします。
まずは本田報告の中で勝田論文(1960)についてどのように言及されているかを紹介します。
上記引用文中には二つの註が付されていて、一つ目の「3」の出典としていま検討している勝田論文(1960)が示されています。二つ目の「4」の出典は同じく勝田の「教育学とは何か」(1960頃)であり、これについては稿を改めて検討します。
勝田論文(1960)について、もうひとつ先行研究の解説を紹介します。『勝田守一著作集4 人間形成と教育』の藤田昌士による「解説」のうち、本論文に関係する部分は以下の通りです。
本田報告と藤田解説に導かれながら、しかし勝田論文(1960)を初めから順に読んで深めていくというやり方はとらず、本田報告冒頭の、
及びそれに続く「1.学力(論)を検討する意義」の冒頭の
という問いかけに共感する立場から、「学力」について考えるという自分の軸を意識しながら勝田論文(1960)を読んでいきたいと思います。
藤田解説でも紹介されているように、本論文は教育科学研究会第5回全国研究集会(1960.8)の全体会議提案です。勝田がそれを準備した経緯については、論文の冒頭で以下のように紹介されています。
この、ややぐだぐだな(^^;)経過説明から、1960年夏の教科研全国研究集会に向けて《教科研の教科論確立》の必要性をめぐって議論されたものの、それについての共同討議の余裕がなく、勝田が教科研メンバーの意見も踏まえながら個人提案としてまとめたものが本論文であることがわかります。私は1960年当時の『教育』誌バックナンバーなど教科研の研究協議に関する資料を持っていないので、残念ながら勝田の提案が当時どのように受けとめられ議論されたのかはわかりません。《教科論確立の必要性》が議論に上った経緯もわからないのですが、推測できる一つの背景としては、1958.10.1に改訂された小学校・中学校第3期学習指導要領(高校第4期は2年後の1960.10に改訂)が第2期までと異なり官報告示、「法的拘束力」を持つものとされ、学校教育の学習内容・活動内容が国家権力によって強制される事態が発生していたことがあったと思われます。教育政策の反動化を批判するとともに、それまでの民間教育研究運動の到達点も踏まえて改めて《教科とは何か、どうあるべきか》を教育科学研究会として検討していくべきだという問題意識が共有されつつあったのではないかと推測します。
というか、上記引用に続く以下の勝田の言葉からもうかがえるように、教育界を含む当時の日本社会が日米安全保障条約改定という戦後日本史上の大激動のさなかにあり、その中で教科研の中においてさえ《教科論》という原理的課題を立てることについて特段の意義確認が必要であったようです。
勝田は続いて、【さて、教科論に入るまでに、わたしの考えている学校の機能と役割というものについて、みていきたいと思う。】(P.225)と述べ、ワロン論文(1939 佐藤註・なぜか論文名は紹介されておらず出典と滝沢武久による翻訳文のことだけが書かれています)のファシズム分析に依拠しながら学校の機能について述べます。この部分については先の藤田解説に従って「勝田は、学校の機能として社会統制(自発的社会統制)、職業準備、文化遺産の内在化(教養)の三つを挙げ(中略)、この三つの機能を統一する学習の組織として教科をとらえる」 とおさえることにとどめますが、私自身「教育課程論研究者」を自称してきたので、以下の部分には注目しておきたいと思います。
これは勝田が学校の機能を三つに整理して述べる直前に書いていることです。
私の勝手な読みですが、これは《初めに学習指導要領ありき》《教師と子どもたちは学習指導要領に準拠して学習を展開することが当然》という文部省路線に対する異議申し立てではないでしょうか。子どもたちの成長・発達について教育実践が明らかにしてきた道理と、激動する日本社会における国民形成の課題を踏まえて(「法的拘束力」で学習指導要領が押しつけられようとしている現状ではあるけれども)教科のあり方を原則的に考察しよう、ということであると私は受けとめました。
ところで本論文において、勝田は(私の見落としがなければ)「学力」という用語を用いていません。ですから本論文は《学力問題》を主題とするものではないと言っていいと思いますが、私自身が本田報告に触発されて本論文を読み返す機会を持ったので、本論文の中で《学校教育は子どもがどのような力を、どのようにつけていくということを、どのように励ますべきなのか》ということをめぐって勝田が述べていることを意識しながら、勝田の叙述をピックアップしてみたいと思います。
まずは、ワロンからの孫引きですが、ワロンがファシズムを激しく批判しながらそれに対置される民主主義的教育のあり方を述べている部分の紹介です。(勝田自身の主張の部分ではないので、他の勝田からの引用と区別して黒字で表記します。下線は佐藤。)
ここに言う「その時代の文化享受に参加すること」というのが、含蓄ある言葉だと思います。それが、すぐに続くワロン紹介の中で私が注目したい部分と繋がっているように思うのです。
勝田がわざわざ【(ここがだいじだと思うが)】 と注記しているのは、学校が子ども・青年の能力を《判定》するだけでなくそれを《発展させること》に注力しなければならないということであり、そしてそこにも繋がっていると考えて私が注目するのは、「民主主義教育原則憲章草案」(その全体や作成経緯を私は不勉強で知らないのですが)において、学校教育が子ども・青年に人生における活動選択の機会を与えることだけではなくて、【のちにこれをかえる機会を与える】ことが必要だと述べていることです。現代日本のようにテレビやネットで《転職をサポートする》アプリや会社のCMが溢れかえっている社会に生きる私たちにとって「これをかえる機会」というフレーズはさほどのインパクトを持たないかもしれません。しかし私はここがとても重要だと思うのです。
唐突ですが、拙著『「生きる力」論批判』(三重大学出版会 2019)で私が批判した1996中教審答申の「生きる力」提案では、「生きる力」について以下のように書いています。
社会は激動している。どう変わるかわからない、しかし常にそれに適応していけるように備えよ、そのために必要な資質・能力は○○○○であり、それが「生きる力」だ、それを身につけよ、というわけですね。ここには《人々が一致協力してより望ましい方向を目指して社会を変革していく》という観点は全く、全くありません。国家権力自体も今後の社会がどうなっていくか予測委がない面があるが、しかしどうなったにしても国民はついてこい、というわけですね。
これに対して勝田が紹介してくれている民主主義教育原則憲章草案の該当部分では、国民の政治参加のことに直接言及しているわけではありませんが(それを述べた部分もきっとあるんだろうと思うのですが私が調べられていないので^^;)、全ての人々の諸能力の発展を学校教育が保障すべきだという文脈において、子ども・青年が人生における活動を選択して取り組んでいく中で、本人の興味・関心とか自分の能力や達成への自己評価とかが当初と変わっていくことがあり得て、その場合に学習活動や人生の営み方を当初考えていたものから変更していくことについて、「機会を与える」ですから、教師が親身になって相談に乗ったり、いろいろな選択肢を参考情報として提供したり、学びのコースや進路希望等を変更することに伴う不安や負担感を子ども・青年が克服して新たな道へ進めるように、またもし失敗したら途中まで引き返して別の道を検討することもできるように相談相手になってあげることなどを想定し推奨しているのではないでしょうか。
人生において、《もしもつまづいたり、迷っても、やり直しがきく》という見通しを子どもたちが持てるように励ますことと、《社会はどう展開するかわからないがとにかくついてこい。それができないのは負け犬だ。》と突き放すのと。教育にかかわる者のスタンスとして、どれほどの開きがあることでしょう。
次に進みましょう。(私は藤田解説の引用で済ませてしまいましたが)勝田は学校の機能を①社会統制、②職業準備、③文化遺産の内在化(教養)の3点に整理していますが、その直後にこう述べています。
短い文章からは勝田が三つの機能の《統一の契機》という表現で何を意味していたのかについて十分読み取れませんが、私には勝田が学校の3つの機能全てを《社会が子どもにこう働きかける》という方向からのみ捉えてはならない、それどころか学校の機能は《子どもという主体の学習という営みの中においてこそ統一的に把握されなければならない》と強調しているんだと解釈しました。
そしてここから繋がると考えられるのが、勝田が学校の三つの機能を一通り説明した後にこう述べていることです。
このことは、おそらく真面目に実践に取り組んでいる小学校教師であれば、日常の中で気づいていることではないかと思います。問題は教科担任制の下で仕事をしている中学校・高校教師です(小学校でも教科担任制等が導入されつつありますが)。私は教育課程という枠組でものを考えるので、「生徒は1時間目に数学を、2時間目に理科を……と学んでいく。同じ一人の子どもが、毎時間毎時間違う教師の指導を受けて学んでいく。しかし学んでいるのは同じ一人の子どもである。このことを教科担任制で授業を担当する教師たちはどれだけ意識しているのだろう?」ということをよく思うのです。もちろん中学校の教師は、1時間目は1組、2時間目は3組…というように毎時間担当クラスが変わります。1時間目に自分が担当したクラスの生徒が2時間目に他教科の授業でどのように学んでいるのかは知りようがありません。それ自体はこのシステムではしかたないことです。しかし、少なくとも学年研修などの機会に、各教科担当教師がそれぞれの授業での子どもたちの様子を出し合い交流して、関連したり共通したりする教育課題を探るという営みは必要ではないでしょうか。私がかつて校内研修に参加していた三重県四日市市の中学校では、授業をVTRに記録していろいろな教科の教師が一緒に見て意見を出し合うという(たぶん中学校では画期的な)研究をしていました。異なる教科における生徒の学習態様を比較検討するというのは簡単なことではないかもしれませんが、授業のVTRを見て「この生徒は部活では…」みたいな話が出たりして、けっこうおもしろかったです。こういう営みが教師の学校生活の中に位置付いていると、「国語は国語科教師が、社会科は社会科教師が(そして他教科のことには口を出さない)」というような閉鎖的思考から少しでも脱却できるかもしれません。私がよく思うように、《同じ生徒が国語も数学も体育も学んでいる。それぞれ学んでいることはその子の人格にどのような影響を与えているだろうか?》という発想を持つことは、人間を教える教師だという自負があれば、難しいことではないと思うのです。
勝田論文からの学びに戻ります。勝田はこう言います。
これは極めて重要な指摘だと思います。「子どもの能力をあきらかにする」、つまりは能力を測定したり評価するという教師など教育関係者の営みの背後に、(すくなくとも測定という作業にとどまっている限りは)そこに固定的、生得的な能力観が入りこんでいる、ということですね。判定、そして《選別》のために能力の測定が行なわれている。しかしながら能力が生得的に固定されているということの学問的根拠はなく、能力に「生まれつき」の部分がないとは言えないとしても、それは環境や教育によって変化させることができるということ、いや、ここでは肯定的な変化の可能性のことより、生得的ではなくても生まれてからの環境や教育によって能力差が生み出されること、そしてものの見かたとしてそうした外的要因が軽視されて《生まれつきの能力差だから仕方がない》という捉え方が横行していることへの勝田の批判と言ったらいいでしょうか。
次に進みます。勝田はこのように述べています。
勝田がここまで《子どもの学習》と《教科》について述べてきたことを再度列挙すると、以下の通りです。
●子どもの学習という契機が、学校の三機能(①社会統制・②職業準備・③文化遺産の内在化(教養))を統一する。
●三機能に即して各教科が配列されるのではない。各教科はそのうちに三機能を含んでいる。
●三機能に即しての子どもの学習をもっとも意図的、計画的に遂行する組織が教科である。
学校の教科において子どもが学習する。この、日常的に行なわれている《あたりまえのこと》について、勝田はなぜ原理的なこだわりをもって考察しているのか。もう少し行論を追ってみましょう。
勝田は、【そこで、私たちは、子どもの主体的学習を組織するという視点で先の機能<佐藤註・①社会統制・②職業準備・③文化遺産の内在化(教養)という学校の三機能>をどうとらえたらよいかを考えなくてはならぬ。】(P.237)として、順次検討していきます。ここで改めて「学習」の語に「主体的」という修飾語を付けていることにも注目しておきましょう。
長い叙述なので、途中のワロンの引用や数学教育からの事例紹介などは(中略)としようかといったん考えたのですが、いやここは省略してはいけないと考え直して全文を引用しました。
子どもの学習という契機が学校の三機能を統一するという基本的立場に立ち、子どもの主体的学習の組織という視点で三機能を改めて考察するという勝田の視点に立つと、まず第一の《社会統制》については、確かに子どもは学校教育を通じて《文化的価値に適応》し、《その時代の文化享受に参加》するのだけれども、その《適応》や《享受》というのは、子どもにとって《外側》で起こっている文化の発展に関与するということではなくて、《子ども自らが参加することによって文化の発展を主体的に担う》というものでなくてはならないと勝田は述べます。子どもに文化を与えることは決して《教化》=外から《すでに完結したもの》として押しつけることではない。文化の学習は《子どもにとっての価値の再創造・再発見》でなければならない(それは集団形成とそれによる自発的統制についても同じ)。子どもが文化(たとえば数学)の規則を学習することは、欲求にもとづく学習によって必然性を認識してこれに統制され、統制されることでより高い認識に到達できると意識すること(目的志向的な学習意欲の形成)であると。
勝田はさらりと述べているのですが、外部からの統制によって強制されて《この世界の規則》を学習させられるのではなくて、認識においては《統制》でもある科学の規則をわがものとすることで《世界に対する認識を自分が広げていっているのだと自覚する》というのは、とてつもないこと、素晴らしいことを言っていると私には思え、同時にこれこそ学校の教科学習を通じて全ての子どもたちの内面において実現したいことだと強く思いもします。勝田がさらりと述べた数学教育の事例にとどまらずに多くの教科学習の実践経験を通じてこの方向性を検証したいものだし、意図的に探せば日本の教師たちの教科学習実践の中にその宝庫があるだろうと思うのです。
つまりは一人一人の子どもの内面において、教科の学習を通じてそのような《世界の描き変え》が起こっていかなければならない、ぜひともそれが起こってほしい。そうした場面に立ち会うことができれば、教師自身の《指導観》、《教育実践観》もまた揺さぶられ、変わっていかざるを得ないはずです。だとすれば教師の教科学習指導計画は【平板な内容の系列づけ】で終われるはずもなく、当然のこととして【それに即した教育の方法的意識】の結合が求められます。そしてその《方法的意識》は、実践に先立つ仮設設定としても必要であることはもちろんですが、実践過程での子どもたちと教師の模索の中で常に検証され改善されなければならないものだと思います。そして、(勝田は書いていませんが)そうした学習方法・指導方法・教授-学習過程における模索の中から、場合によっては次の学習内容系列の変更(追加や削除)が必要な場合も出てくると思います。学習活動とその指導の過程というのはそのように流動的なものであり、だからこそおもしろく醍醐味があるものなんじゃないでしょうか。
第二の機能に進みましょう。
勝田の議論の進め方を《温厚》であると受けとめてきた私としては「敵」という強烈な言葉に驚いたのですが、《現在の「学校的状況」》には子どもが「主体的学習」を進めていく(ことを通じて職業準備を進める)上で《二つの「敵」》が存在すると勝田は見ています。一つは、職業準備の内容を特定の産業が要求する知識・技能に限定すること、もう一つは、職業に役立つ知識・技術を蔑視する「教養主義」です。私なりに捉え直すと、学校教育における職業準備とは最初から特定産業に従事するという前提で個別的な知識・技能を伝授することではないし、さりとてどのような特定職業にも関係のない《一般教養》のみを身につけさせて事足れりとすべきものでもない、ということだと受けとめました。
では、《二つの敵》を打ち破るためにどうすればいいのか?
人間の知識や技術は、人間が自らの幸福のために環境を変革する努力の賜であること、それを子どもたちは人間の歴史を学ぶことで知らなければならない。現実の資本主義社会においては人間が歴史の中で発展させてきた知識や技術の基礎を《労働力としての子ども》に形成するよう要求している。しかし学校教育はあくまで《人間としての発達》のためにこそその仕事をしなければならない。具体的には、子どもたちが職業選択を行なう際にその能力を発揮するための基礎を育てるということにとどまらず、《将来希望すれば職業を選び変える能力》をも育てなければならない。そのためには、生産技術と専門諸科学の知見に基づく合理的内容と結合して子どもの学習を組織しなければならない。独占資本の要求と子どもの主体的な学習の権利の保障とはぶつかるが、そこでのたたかいとは有効な知識・技術の学習の機械的否定ではない。そうではなく現代の生活方法を支え発展させる人類の知識・技術の基礎を子どもたちの学習のために組織することが必要だ。一般教養と有効な知識・技術の獲得を対立させず、【合理的な生産労働能力のための科学の基礎教養というとらえ方】が重要である。――言葉の並べ方を少しいじっただけですが(^^;)、勝田の言いたいことはこういうことではないかと私は受けとりました。
しかし現実はなかなか難しいですね。資本の要求に直接奉仕するような知識・技術の伝達ではなくて、子どもたち自身が主体的に就きたい職業を選択し、さらに必要なら将来において職業を選び変えることも可能にするような、そのことに資するものとして生産労働の成果を科学の知によって組織し直した内容を学ぶこと――しかもそれは、民主的に組織された研究者や教育実践者が協力共同して《創り上げた学習内容》を《成果としていただく=鵜呑みにする》ということではなくて、子どもたち自身が《価値を再発見する営み》としてわがものにしていくことが望ましい……教師の仕事のあり方も、教師と専門科学研究者との協力共同のあり方も、そしてもちろん、子どもたちと教師との関係も、大きく変わっていくことなしには実現できない壮大な営みです。しかもこのことに、《学習指導要領による拘束》が現実に働いている中で着手しなければならない…。しかし逆に言うと、こうした展望を教育統制がいよいよ強化されつつあった1960年代の入口に立って示すことができた勝田はすごい、ということでもあります。
第三、教養について。
教養とは《人格の開花の過程》。そして《人格》の語に過去の歴史の中で多少手垢が付いていることを念頭に置きつつ、人間が持つ知識や技術(観念や行動)に「内的統一」をもたらす、そのことによって知識・技術を「主体化、人間化する」、その営みの「主体を人格と」勝田は呼びます。そしてその「人格を育てる過程」と「血肉になった中み」を「教養」というのだと。知識や技術は、子どもたちが毎日の学校生活の中で学習しているものです。しかしその実際は《理解できないままに捨てられ、忘れ去られたり》、《習得したつもりだったがその後有効に活用されることなく忘れ去られたり》している知識・技術もあるでしょう。それら全てを学習主体・発達主体である子どもにとって《有効化》するというのは現実的ではないとしても、できることなら学習した一つ一つの知識・技術をそれまでに子ども自身が形成してきた《人格》の中に有意味に、有機的に定位させ、その意味をわかりながらその後の人生のしかるべき機会に有効に発揮し活用できることが望ましいのではないか。そのような人間的な営みを自ら遂行していく人格を自己形成することこそ、その過程と成果をこそ我々は《教養》と呼ぼう、ということですね。《教養ある人》という言い方が素直な賛辞である場合だけでなくどことなく皮肉な響きを持ちかねない世の中において、これはなんと新鮮な響きでしょうか。《教養》とは地位や財力がある人が特権的に備えうるものではなく、全ての人がそれぞれに《教養ある人》であることが望ましく、学校教育は本来それを目的とすべきものです。
人間は「知識・技術(文化)」の学習を通じて外の世界への支配を拡大し、それが同時に「人間自身の内面の豊富化」をもたらすべきものである。しかし現実には《教養》の前者の面が切り離されて「実践性」が希薄な「ジレッタンティズムや虚飾的教養に堕してしまう」。これを打破するためには、「教養がもともと人間を結びつける一般性を本質として含むという関係」に注目しなければならない。そして勝田はその「一般性」の根拠を科学の「普遍的人間性とその外界支配(法則の認識による)の力とを統一し、頭脳と手の分離を再び克服する可能性」に求め、「教養を生産労働(仕事)と統合して、人間的に回復すること」を科学の可能性として期待ます。
ここまでは私にもわかりました。しかし、その後の行論で勝田が「人間的労働は単に知的能力を高めるだけではない」として、人間の感情の問題、芸術的創造の問題に考察を広げていくと、なんとなく私にはついていけなくなります。芸術もまた歴史的に労働から派生したという一般論とか、人間の教養として知的な面とともに感情的、感性的、芸術的な面も同様に重要だとかの一般論は頭では理解しているつもりなのですが、人間の人格の知的側面にこだわって考察を続けて来た私としては、《それに並び立つもの》としての人格の感情的/芸術的側面について《一方において考察すべきこと》はよくわかっていても、両側面の相互関係のところがわからないのです。しかしここでは、「教科づくり」を考察する本論文において勝田が芸術的領域についての考察を忘れなかったことは当然だ、とおさえておくことにしましょう。
教養の側面からの考察の最後に、勝田は次の三つの「原則」を提案します。
さらに勝田は、教科を組織する際の【なお重要な他の諸条件】として、以下のことを挙げます。
勝田はこのように本論文の最後における提案(それは教科研第5回全国研究集会における討議の視点や論点として提案されたものと思われます)として、まず学校の三つの機能の3番目に提示した《教養》の視点から教科研究の3つの原則(科学性・民族的連帯性・歴史性)を提示し、さらに教科組織の他の諸条件として、以下の5点を提示します。
①到達目標の明確化
②子どもの発達(目的志向的な教育の働きかけを含む自発的学習の運動としての)に即すること
③文化的諸組織の内容(専門的分野の水準における)を子どもの発達に即して組織すること
④全面発達の理論を現実的歴史的に捉えて深めること
⑤子どもたちの生活の基盤にある親(国民大衆)の生活要求を文化的価値に結合して組織し直すこと
先の三原則が本論文冒頭で確認された《子どもの学習という契機によって統一される》学校の三機能の中で、しかも《三機能が各教科に配分されるのではなくて各教科がそれぞれに三機能を含む》という横断的な視野を持ちながらの教科研究について、特に三機能の三番目の《教養》の視点から教科研究について勝田が提起しようとしたものであるとすれば、続く5つの重要条件とは、単に学校の教育課程において国語をどうするか、算数をどうするかという狭い教科研究の枠内にとどまることなく、教科学習を計画し実践し総括する教師(と子どもたち)の営みを国民の生活の中に広く位置づけて、その現状を分析しながら未来の担い手を育てるという壮大な事業として改めて位置づけ直そうではないかという勝田の提案であろうと私は受けとめました。
上記の私の解釈を裏付ける、と言ったら我田引水に過ぎますが、最後の最後に勝田は以下のように述べています。
過去からの経緯や現実の文部省学習指導要領による《法的拘束》のもとでわれわれが行なう教科研究は単なる研究ではなく、それは教科研究運動として展開されなければならないと勝田は言います。その上で、既に先にも述べているにも拘わらず最後の2行を付け加えたのはなぜでしょうか。教科研究は、言わば《闘いの中で》進められる。政府によって強制される教科内容を批判し、文化・科学の成果に立って子どもたちが学ぶにふさわしい教科内容を対置しなければならない。しかしそれは《悪しき内容に対する良き内容の対置》に留まってはならない。良き学習内容は、それを子どもたちが受けとめ摂取し主体的にわがものとすることができる学習過程の展望を示しそれを実践すること、つまり教育方法論を持たないと意味がないのだ、と勝田は再び強調して筆を置きました。このことはもしかしたら、1950年代後半以降の文部省の学習指導要領《法的拘束力化宣言》以降特段に強化された教科書検定、その結果として出てくる検定教科書に内容に対して日教組が教科書批判活動を展開する一方で教育内容の自主編成運動を展開していった、その進むべき方向について、単にイデオロギー攻撃をイデオロギー的に批判することに留まってはいけないと注意を促しているのかなと、私は思います。
さて、私自身(1954年生まれ)がまだ小学校にも入っていなかった1960年に書かれた勝田の論文を読んできましたが、最初に戻って本田伊克報告に学びながら《「学力」について考えるという自分の軸を意識しながら》勝田論文(1960)を読むという私自身の課題設定に照らして、私は何を読み取ることができたのでしょうか。
本田報告では「勝田は、社会の様々な矛盾や本質的な諸関係が子ども・青年の『全面発達』の歴史的・現在的疎外条件として立ち現れるととらえ」たということの証左として本論文をとりあげており、それ自体はもとより私も本論文から読み取ることができると考えます。但し、本田報告の当該の文章における強調点は上記文章の続きにおいて、子ども・青年の置かれている現状のそうした把握にもとづいて打ち出された勝田の「ペダゴジーとしての教育学」 にあったと思われ、勝田がそのことを語っている「教育学とは何か」(1960頃)については稿を改めて検討します。
私が繰り返し読み返しても「学力」という言葉が登場しない本論文から学んで《学力》について考えるというのは、けっこう至難の業ではありますが(^^;)、子どもたちが現実の生活の中で何を経験し、その中で特に学校生活において何をどのように学んでどういう《力》(世界と関係を結びそこで生きていく手がかりやエネルギー》を得ていくのかについて、いや(子どもを主語にして述べていなくても)少なくともそのことをしっかりと念頭に置きながら教師は子どもたちとどのように関わり、《指導》していくべきなのかについて、勝田は明確に語っています。
まず勝田はワロンを引きながら、子どもが《その時代の文化享受に参加すること》を教師が励ますべきことを強調します。文化の《伝達を受けとる》というのと《享受に参加する》というのとでは、格段に開きがあります。「享受」とは「積極的にその対象に接し、そのよさを生活の中に取り入れること」(『新明解国語事典』第四版)です。主体の能動性ということ、また鵜呑みではなくて自らにとっての意味を理解して摂取し活用することを意味するのです。
次に勝田は、学校には3つの機能があるが、それを統一するのは《子どもの学習という契機》だと述べています。学校は子どもの生育以前に厳然と存在している社会機関であり、子どもをそこに参加させることで《社会性》を身につけさせて社会へと送り出す機関である、と、学校を全面的に子どもの外にあって子どもに影響を刻印する社会機能だと捉えることもできるでしょう。しかし勝田は敢えて、《そこに子ども自身の学習が成立してこそ、学校の機能は発揮されたと言える》と捉えたのです。子どもが学習すること(主体的に生活・行動すること)こそが学校の存在の意義だと。
次に勝田は、学校の主要な役割の一つである教科学習に論を進めて、学校が持つ3つの機能を各教科が分担して担うのではなくて、各教科のそれぞれが3機能を含むのであると強調します。と、言うことは、学校の3機能の要が《子どもの学習》であるわけだから、各教科のそれぞれで子どもによる学習の遂行によって3機能が統合されていなければならないわけです。「数学は教養に属し、社会科は社会統制に属すると考えるべきではない」のです。子どもたちの中に広がる《常識》の一つである《社会科は暗記教科》などというのはもってのほか、ということになります。どの教科の学習でも《①社会統制・②職業準備・③文化遺産の内在化(教養)》 という3機能がきちんと成立していなければならない、逆に言うと、もし《社会統制》だけでしかないと思わざるを得ないような教科学習の実態があったとすれば、それは教科学習・教科指導の名には値しない、ということですね。3機能を統括する《子どもの学習》が成立していることが、教科成立の要件なんです。これはある意味、革命的な主張だと思います。子どもの生活に役立たないから、生活経験のように価値がないからと教科の系統的学習を退ける生活経験主義の主張とは違うのです。子どもの学習・子どもの生活の視点から学校の存在意義を明確にした上で、その存在意義に耐えうるだけの存立根拠を教科は示せているか、と問うているわけですから。
本論文の後半は学校の3機能に照らしての教科学習のあり方の検討でしたから、ここでそれを改めて繰り返すことはしません。私が勝田はすごいなと思うのは、勝田が本論文で子どもたちの現実態を縷々語るという手法をとることなしに、しかし、大人からの働きかけとしての学校教育について、徹底して《子どもの側の視点》からそれを捉えようとしていることです。そうした視点からの検討が子どもの生活と学習の事実に照らして妥当かどうかというのは、本論文からはわからないし、それが本論文の主要課題ではないだろうと思います。しかし、この「ノート(38)」シリーズで私がこれから継続的に学力について考えていく際に《徹底して子どもの立場に立つことを忘れてはいけない》ということを、本論文から勝手に学び取りました。
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