56 教育学文献学習ノート(38)-2勝田守一「教育学とは何か」(1960頃)

 (『勝田守一『教育と教育学』所収(未発表原稿未完)岩波書店 1970.7.15刊行 2025.7.26通読 2025.7.28-8.1 ノート作成)

 教育科学研究会教育学部会での本田伊克報告「教科研は学力をどう論じてきたか、いくべきか」(2025.5.25)に沿って、教科研での議論を参照しながら学力問題について改めて学習していくシリーズの第2弾です。
 本田報告では、「教科研の学力論を検討する際に勝田守一が提起した「ペダゴジーとしての教育学」構想を思い起したい」として、勝田守一「学校の機能としての教科づくり」(1960)を及び「教育学とは何か」(1960頃)に以下のように《連動的に》言及しています。
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 勝田は、社会の様々な矛盾や本質的な諸関係が子ども・青年の「全面発達」の歴史的・現在的疎外条件として立ち現れるととらえ3、そうした疎外条件のもとでの全面発達の意味を「子どもの成長過程において実現するように指導する技術とその意識的反映としての知識」、「人間の成長、発達、社会的形成についての科学によって明らかにされた法則性の認識を含みながら、人間と人間との、相互のはたらきかけの中で教育を受けるものに、習慣・能力・知識・理想が変容し、形成される過程についての技術知」を探究するものとして、ペダゴジーとしての教育学を打ち出した4
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 上記引用文中には二つの註番号(わかりやすいように大きなポイントで表示しました)が付されています。
 一つ目の「3」の出典は、このシリーズの前回=(38)-1で取りあげた勝田守一「学校の機能としての教科づくり」(1960)です。
 そして二つ目の「4」の出典が、今回取りあげる「教育学とは何か」(1960頃)です。
 「ノート(38)-1」で勝田守一「学校の機能としての教科づくり」(1960)を取りあげた際には、本田氏による勝田の2つの論文への言及のしかたについて私は特にコメントせず、さらっと通り過ぎてしまいましたが(^^;)、今回はここにちょっとこだわってみたいです(限定された参加者による教科研教育学部会での報告時配付資料なので、このシリーズの予告編=「ノート(38)-0」では「これ自体は研究会内で配られたものであって公刊されたものではないので、直接言及することはしません。」と書いたのですが、ここは勝田教育学研究において重要な箇所ではないかとも思うので、敢えて言及させていただきます。本田氏にはのちにご了承を得て、できればコメントをいただきたいと考えています)
 「学校の機能としての教科づくり」(1960)は、教育科学研究会第5回全国研究集会(1960.8)の全体会議提案文書です。「ノート(38)-1」で私は、同文書での勝田自身の説明を踏まえて、「1960年夏の教科研全国研究集会に向けて《教科研の教科論確立》の必要性をめぐって議論されたものの、それについての共同討議の余裕がなく、勝田が教科研メンバーの意見も踏まえながら個人提案としてまとめたものが本論文であることがわかります。」と紹介しています。
 一方「教育学とは何か」(1960頃)は、勝田の没後約1年の時点で刊行された『教育と教育学』(岩波書店 1970)に収録されています。大田堯の「あとがき」によると、同書は勝田の「未発表の論稿と、すでに版が絶たれて世の人の眼にふれにくくなった文章とを集めてつくられるはずであった」が、「その後、著者から親しく教えを受けたものどもを中心につくられた勝田守一著作集刊行委員会で、いろいろ吟味を重ねるうちに、さきにあげた文章のほかにも、若干の論稿を加えることによって、この一冊を、勝田守一の教育研究のもっとも原理的な部分を浮きぼりにする方向で、編集をすすめることとなった」(P.673)とのことです。同書の出典記録では、「教育学とは何か」は「未発表原稿未完」と記載され、執筆時期は「1960年頃」と書かれています(なお、この論文は『勝田守一著作集第6巻 人間の科学としての教育学』(国土社 1973)にも収録され、そこでは出典は「『教育と教育学』1970年(執筆1960年頃)」と記載されています)
 勝田が「教育学とは何か」を執筆した時期は「1960頃」と収録書(『教育と教育学』)に記載されていて、1960年8月の教科研全国研究集会で公表された「学校の機能としての教科づくり」との前後関係は不明ですが、きわめて近い時期に執筆されたと思われます。そして本田報告では、前出の引用の通り、両文書を一文の中で紹介していることから、本田氏は両文書を内容的にも一連のものととらえていると思われます。

 ところで私は、本ブログへの投稿53 教育学文献学習ノート(38)-1勝田守一「学校の機能と教科づくり」(1960) 」(https://gamlastan2021.blogspot.com/2025/06/5338-11960.html)において、本田報告が勝田(1960)を取りあげていることに一言言及しただけでその《取り上げ方》については検討せずに、すぐに自分なりの勝田(1960)の検討に移ってしまいましたが、ここで改めて本田氏の《取り上げ方》を検討してから勝田(1960頃)の検討に進みたいと思います。
 もう一度本田報告における勝田「学校の機能としての教科づくり」(1960)「教育学とは何か」(1960頃)への言及箇所を、今度は二つに分けて援用します。まず前者から。
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 勝田は、社会の様々な矛盾や本質的な諸関係が子ども・青年の「全面発達」の歴史的・現在的疎外条件として立ち現れるととらえ3、
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 改めて本田氏が勝田(1960)のどこをピックアップされたかを確認してみました。それは同論稿末尾の以下の箇所と思われます。勝田は同論稿で、学校の機能を3点(①社会統制、②職業準備、③文化遺産の内在化(教養))においてとらえ、次に子どもの主体的学習を組織する観点から上述の3つの機能をどう捉えるべきかを考察し、その中の教養の面から教科の原則として①科学性、②民族的連帯性、③歴史性の3点を提示した上で、以下のように述べています。
【教科を以上のような視点でとらえて、組織しようとするとき、私たちは、なお重要な他の諸条件を考慮しなければならない。
 (中略)
 第四、全面発達に関する理論を深めること(全面発達を、現在の子どもの疎外条件の中で歴史的にとらえること)。】(P.142)

 私が勝田(1960)を何度か読み返した限りでは、勝田が同論稿で「全面発達」に言及したのはこの箇所だけのようでした。ですから本田報告ではこの箇所を同論稿全体の趣旨を踏まえて敷衍し、「社会の様々な矛盾や本質的な諸関係が子ども・青年の『全面発達』の歴史的・現在的疎外条件として立ち現れるととらえ」と紹介したものと私は理解します。
 次に本田報告での援用部分の後半は、
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そうした疎外条件のもとでの全面発達の意味を「子どもの成長過程において実現するように指導する技術とその意識的反映としての知識」、「人間の成長、発達、社会的形成についての科学によって明らかにされた法則性の認識を含みながら、人間と人間との、相互のはたらきかけの中で教育を受けるものに、習慣・能力・知識・理想が変容し、形成される過程についての技術知」を探究するものとして、ペダゴジーとしての教育学を打ち出した4。
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 となっています。骨格だけを取り出すと、(歴史的・現在的)疎外条件の下での全面発達の意味を探求するものとして勝田は「ペダゴジーとしての教育学」を打ち出した、ということになります。
 そして、ペダゴジーとしての教育学が探究しようとしたものとして、本田報告は勝田(1960頃)から2カ所を引用しています。引用箇所を少し広げて、原典の文章を紹介します。下線部分が本田報告における引用箇所です。
【このように考えれば、社会科学的方法にもとづくいわゆる教育科学は、むしろわれわれの志向する教育学の一部として、というよりも、教育学的課題の展開とともに、それと構造的に連関を保ちながら、自らを社会科学の一研究領域として、貫徹する。しかし、ペダゴジーとしての教育学は、歴史的社会の現実の中で、子どもと青年の可能な限りの発達の意味を明らかにし、その意味を子どもの成長過程において実現するように指導する技術とその意識的反映としての知識の探究である。】(『教育と教育学』 P.45)

【このように教育学は、まさに技術知である。それは、基本的に人間が人間を育てるというはたらきに即した技術的認識を中核とする。したがって、教育学は、人間の成長、発達、社会的形成についての科学によって明らかにされた法則性の認識を含みながら、人間と人間との、相互のはたらきかけの中で、教育を受けるものに、習慣・能力・知識・理想が変様し、形成される過程についての技術知として成立する。】(P.46)


  「ノート(38)-1」にも書きましたが、この「ノート(38)-2」でも、本田報告に導かれながら、勝田論文(1960頃)を初めから順に読んで深めていくというやり方はとらずに、本田報告冒頭の、 
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  本報告では、2000年代から現在まで、教育政策の基調が「学力」から「資質・能力」へと転換している状況に対峙しながら、学校で育てるべき力、目標とすべき力とはどのようなもので、それをどのように育てていくべきかを考えてみたい。
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及びそれに続く「1.学力(論)を検討する意義」の冒頭の
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  そもそも、学校教育で目指すべき学力像や学力観について考えることにはどんな意味があるのだろうか。
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という問いかけに共感する立場から、「学力」について考えるという自分自身の軸を意識しながら勝田論文(1960頃)を読んでいきたいと思います。
 ところで、「ノート(38)-1」で検討した勝田(1960)と同様に、勝田(1960頃)でも、私が何度か通読した限りでは「学力」の語は出てこないのです。「ノート(38)-1」では、「『学力』について考えるという自分の軸を意識しながら」とは言いながら、結局は勝田(1960)の中で自分が関心ある部分を列挙して意見を述べるという形になりました。その反省をちゃんと活かせるかどうか自信はないですが、今回はちょっと違うやり方を試みたいと思います。
 つまり、「教育学とは何か」における勝田の論究は(未発表原稿のため勝田がどこに向けてどういう意図での問題提起として同論文を書いたかは不明ですが)文字通り教育学とはなにかを明らかにしようとする原理的考察であり、しかもそれは「教育科学の一領域(P.45)としての「教育科学的方法にもとづくいわゆる教育科学(同)とは区別される「ペダゴジーとしての教育学(同)の学的根拠を明らかにしようとするものであるわけですが、勝田が考える「ペダゴジーとしての教育学」の特質を論述に従って読み取っていくという形の学習ノートにしてしまうと、本ブログの読者のみなさんにとっては勝田(1960頃)自体を通読された方が話が早い、ということになってしまいます。
 そこで私としては、本田報告が取りあげた勝田(1960頃)末尾の上記2カ所をどう読むかという《結論を急ぐ読み方》を敢えてして、そこから遡及して勝田の《学力構想(仮)》を読み取ることを試みたいと思います。先に書いたように、「学力」の語そのものは本論文の中に見当たらないので、検討のしかたが曖昧な手法ではありますが、取り敢えず勝田が《知識》や《能力》について述べている部分の《周辺を嗅ぎ回る》というやり方をしてみたいと思います。

 まず、勝田(1960頃)から先に引用した部分のうち「ペダゴジーとしての教育学」に関する部分を再引用します。
【ペダゴジーとしての教育学は、歴史的社会の現実の中で、子どもと青年の可能な限りの発達の意味を明らかにし、その意味を子どもの成長過程において実現するように指導する技術とその意識的反映としての知識の探究である。】(P.45)
 教育学について論じている文章ですが、私は敢えて、教育とは「歴史的社会の現実の中で、子どもと青年の可能な限りの発達」を「子どもの成長過程において実現するように指導する」営みである、とこの文を読みました。その人間の営みとしての教育というもののメタ認知(勝田が使っている言葉ではありませんが)としての「ペダゴジーとしての教育学」 は、子ども・青年の発達の「意味を明らかにし」 、子ども・青年の発達を実現するよう「指導する技術とその意識的反映としての知識」 を探究する学問であると。
 ただ、私が勝田の文章から《教育》と《教育学》を二つに分けて定義しようとした試みには、一カ所気になるところが残ります。前半で「発達の意味を明らかにし」と勝田が述べているのは、発達の主体は子ども・青年であり、また「意味を明らかに」するのは「ペダゴジーとしての教育学」の研究者の仕事であると私は理解したのですが、後半の「その意味を子どもの成長過程において実現するように指導する」という件まで来ると、《意味》とは研究者による解釈なのかどうか自信がなくなりました。「子どもの成長過程において」「意味を」「実現する」というのは、教師(指導者)と子どもとの関わりの中で現実に進行していくことであり、それを研究者が傍観的に解釈することではないようにも思えます。だいたい「意味」というのは誰にとっての意味なのか? この文章では(明示されているいないに拘わらず)子ども・青年/教師(指導者)/教育学研究者の存在が前提されていると思うのですが、「意味」を「明らかにし」たり「実現する」の主語としてどの主体までが含まれるのかはっきりしません。
 文章全体の解釈に手間取っていますが、上記引用の末尾の「知識の探究」というのは、その前に「技術とその意識的反映としての」 とあることから教師や研究者の認識のことであって子どもに関することではないと思われます。
【教育学は、人間の成長、発達、社会的形成についての科学によって明らかにされた法則性の認識を含みながら、人間と人間との、相互のはたらきかけの中で、教育を受けるものに、習慣・能力・知識・理想が変様し、形成される過程についての技術知として成立する。】(P.46)
 ここでは(教育学の研究対象としての)子どもの中に育まれるものについてのやや具体的な記述=「教育を受けるものに、習慣・能力・知識・理想が変様し、形成される過程」があります。「習慣・能力・知識・理想」 とあります。
 そこで、子どもに形成されるものについての本論文末尾でのこうした考察がどのようにして導かれるのか、遡及して検討することにしました。本論文は教育学の学的根拠を探究するものと思われるため、この遡及のしかたは本論文を執筆した勝田の意図から離れてしまうかもしれませんが。

 あらためて勝田(1960頃)を冒頭から読み返してみると、私には本論文の考察が、《教育する人間が、同じく人間である子どもをどう見るのか》に関するものであると見えてきました。カッシラー、アリストテレス、デュルケムという先学の見解の紹介部分をとばして(^^;)、《働きかけられる子どもについての見方》に関連すると思われる記述をピックアップしてみます(下線は佐藤 便宜的に通し番号を振りました)

①【人類が人間とはなにかと問いはじめたのと時を同じうして、どのように人間を育てるのかという問いは必然的に出現する。人間がなんであるかを問うのは、人間がどうならなくてはならぬか、どのようにすれば人間はならなくてはならぬものになるのかと問うことを自己のうちに含んでいる。】(P.38)

②【技術とは、ものをつくることにかかわる心(プシュケー)のはたらきである。そこでは、つくられるもののめあては、きまっているが、それがどうつくられるかは、つくられる前には、決定されていない。いいかえれば、目的に達する過程には複数の仕方があるということである。そして、その仕方は、心のはたらきによって特殊的・具体的に選択する工夫や熟慮としてはたらく。その仕方の差によって、より有効であるか、そうでないかという幾通りかのちがいが生じてくる。「もっと違った仕方でもあることができる」というのは、そのように技術の本質を表現する。】(P.39)

③【熟達も技能も、考えてみる(熟慮する)という行為を含んで成り立つものである。いいかえると科学と同じように、技術も考えることを含んで成り立つのだから、それは単なる習熟した技能ではないし、技能が技術であるといわれるかぎり、それは熟慮、つまり考えてみることを含んでいる。】(P.40)

④【ひじょうに重要なことは、ここでペダゴジー、すなわち、子どもを導く技術を考えると、それは、他の、人間以外のものをつくる技術と同じく、人間にはじまるのだが、しかし、異なるのは、つくられるものも人間だということである。人間が人間をつくる技術をペダゴジーとよぶとすると、ここには重大な問題がある。ペダゴジーは人間をつくることはできない、という事実が忘れられている。人間がつくられるのは、いいかえると人間が自然として生み出されるのは、人間自身の自然によってである。】(P.40-41) 

⑤【したがって、人間をつくる技術をペダゴジーというばあいには、つくるというはたらきがかかわるのは人間そのものではなく、人間の所有するある側面である。人間の存在そのものは「必然的に存在しまた生ずる」のであって、それは教育にはかかわらない。しかし、ある人間がある性格あるいは能力を所有したり、あるいは一定の知識を覚えたりするのは、教育にかかわる。しかし、教育がかかわる人間は、自己の学習という主体的行為なしには、変化しないという特性をもっている。このことは、いま教育は、人間の所有する能力、あるいは性格、習慣、思想をつくるはたらきであり、ペダゴジーはその仕方についての知識(エピステーメー)だとしても、他のものをつくる技術と基本的に異なる性格をもつということを示している。】(P.41)

⑥【教育というはたらきは、人間の精神と身体にかかわり、また個人的・社会的な諸条件に依存する複雑な過程である。したがって、人間が変化するという全体的現象を説明する法則的知識はきわめてわずかの部分にしか到達していない。現在まで所有されている教育の技術といわれるものは、熟達によって磨かれてはいても、その多くは経験によって蓄積されてきたものである。】(P.42)

 ここまでが「ペダゴジーとしての教育学は、……」(P.45)以前の箇所、次はそれ以後の箇所です。

⑦【私はかつて教育を技術として規定したことがある。もちろん教育は技術だけではない。それはいっそう正確にいえば、子どもの主体的成長を社会的に意味づけていく、人間が意識的に参加する過程である。そして、それを、合理的に意識的なはたらくとする技術知としてペダゴジーが成立する。】(P.45)

⑧【人間は、自己についてのなにかをつくり出すのには、外からのはたらきかけを必要とするが、同時にそれは自己が主体的に学習するという行為を媒介にする。このような関係の中では、ペダゴジーにとっては、目的は、単に与えられているだけではなく、はたらきかけるものと、はたらきかけられながら、学習するものとの相互の間でつねに探究される。これが基本的に他の技術と異なる点である。】(P.46)

⑨【ペダゴジーのばあいには、はたらきかけられる資材(教育を受けるもの)そのものが、自ら、変化する運動の目的を意識しなければならないし、はたらきかけるものは、それを意識させるように導かなければならないはたらきかける人間がいだく目的は、いわば、はたらきかける人間と自分とをともにつつむ歴史的社会の絶えず動的に発展する現実の動向に即して、探究されるものなのである。】(P.46)

 この後に、「教育学は、……」(P.46)の引用箇所が来ます。

 さて、教育学(ペダゴジーとしての)の学的根拠を考察する勝田の文章を《教育学論》としてではなく《教育という事象についての考察》として読み取るという私の試みは、教育学の対象が教育であることを考えれば的をはずしているとは言えないものの、勝田(1960頃)の趣旨を把握する作業としては不十分なものだとは思います。しかし繰り返し述べてているように、私の意図は勝田(1960頃)を(無理を承知で)《学力論として読む》ということでした。そして、その読み方にも成果があったと自分なりに思っています。それは上記9カ所の抜粋引用を通じて、勝田が技術としての教育、あるいは人間にかかわる技術としての教育の技術一般との違いを強調して考察してくれていることで、人間の人間への、あるいは大人の子どもへの《教育的かかわり》の本質が明らかにされていると考えるからです。下線を付した部分を中心に勝田の叙述を振り返ってみましょう。

 勝田は教育を「技術」と捉えます。「技術」とは、「ものをつくることにかかわる心(プシュケー)のはたらき(②)です。「もちろん教育は技術だけではない(⑦)わけですが、勝田は他の対象についての技術と比較しながら、《技術として教育を捉えること》にもこだわっているように見えます。
 ところで勝田は「ペダゴジー、すなわち、子どもを導く技術(④)とも書いていて、「ペダゴジー」の用語を人間の教育という営みにも、またそれを研究する教育学にも適用しようとしているようです。
 そのことを踏まえて、教育という人間(=大人)の営みを「子どもを導く技術」と捉えるとして、勝田は教育という技術の「人間以外のものをつくる技術(④)との共通性は「人間にはじまる(同)ことだけれども、相違は「つくられるものも人間だということ(同)だと述べます。ごくあたり前のことを言っているようですが、ここから勝田の独自の論理展開が始まるのです。勝田はここに生じる「重大な問題(同)は「ペダゴジーは人間をつくることはできない、という事実(同)だと言うのです。《教育(ペダゴジー)は人間をつくろうとしてはならない》というような《べき論》や、《教育によって人間をつくれるのだ》というような希望的断定?の次元の話ではなくて、事実の問題としてつくれないのだ、というのです。人間は「自然として生み出される(同)のであり、「人間がつくられるのは」「人間自身の自然によってである(同)というのです。ここは哲学・心理学・教育学などの研究者から異論も出されうるところだと思いますが、勝田はこれは「事実」だと言います。
 教育(ペダゴジー)は「子どもを導く技術」であるけれども、しかし「人間をつくることはできない」とすれば、教育には何ができるのか? しかし勝田はなお「人間をつくる技術をペダゴジーという(⑤)という用語法は捨てず、その場合に「つくるというはたらきがかかわるのは人間そのものではなく、人間の所有するある側面である。(同)と言います。「ある側面」とは? 「ある人間がある性格あるいは能力を所有したり、あるいは一定の知識を覚えたりする(同)ことです。ここで「性格」「能力」「知識」という人間の「側面」への言及が登場します。それらは教育(ペダゴジー)という「技術」がかかわることができる「側面」であると。
 しかし勝田は、間髪を入れず「教育がかかわる人間は、自己の学習という主体的行為なしには、変化しないという特性をもっている。(同)と但し書きを付けます。性格・能力・知識については大人が働きかけたままに子どもの中に形成されるものではない。「自己の学習という主体的行為」によって媒介されることが不可欠であると。勝田はそのすぐ後に「教育は、人間の所有する能力、あるいは性格、習慣、思想をつくるはたらきであり(同)として人格(という言葉を勝田は使っていませんが)の諸側面に新たに「習慣」、「思想」を追加し(ここでは「知識」は落とされています)、なおかつ「能力」と「性格、習慣、思想」を区分けして書いていますが、それらの諸側面の形成においても「自己の学習という主体的行為」が不可欠であり、そのことにおいてこそ教育という技術が「他のものをつくる技術と基本的に異なる性格をもつ」ということを強調しているわけです。
 そしてまた、子どもは大人から教育という技術による働きかけを、学習という主体的行為を不可欠の媒介として受けながら成長していくわけだけれども、そうして「人間が変化するという全体的現象を説明する法則的知識はきわめてわずかの部分にしか到達していない(⑥)のだということをも勝田は強調します。 
 そしてここにおいて教育を技術と捉える見方を捉え直し、「子どもの主体的成長を社会的に意味づけていく、人間が意識的に参加する過程である(⑦)と規定し直しています。そうです。教育とは大人が自らを(教え導く存在として)子どもから区別して自己規定した上で子どもを導く、変えるという営みではないのです。大人が子どもとかかわりながら「子どもの主体的成長を社会的に意味づけ」る、その過程に「意識的に参加する」営みなのです。なんと深い……教育とは人間にとっての、大人と子どもが共同しての「意味づけ」の過程なのでした。先行世代が後継世代を予め定められた鋳型に嵌め込んで、鋳型通りにつくられた後継世代を送り出していく営みではないのです! ですから教育の目的も、後継世代にとっては規定の観念として予め設定されているものではなくて、「はたらきかけるものと、はたらきかけられながら、学習するものとの相互の間でつねに探究される(⑧)ものなんです。教育の目的提示は、《大人の言うことは聞くもんだ》《今わからなくても大人になったらわかる》では済まないのです。「はたらきかけられる資材(教育を受けるもの)そのものが、自ら、変化する運動の目的を意識しなければならない」(⑨)わけです。子どもに働きかける大人は、働きかけの目的は予め決まっていてわかりきったものとしてそれを子どもに提示するのではなくて、「はたらきかける人間と自分とをともにつつむ歴史的社会の絶えず動的に発展する現実の動向に即して、探究されるもの(⑨)でなければならないんです。いやあ……深い。深いです。
 学力論を深める手がかりとして勝田(1960頃)をここまで読んできたわけですが、これは「学力」というカテゴリー設定自体を問い直さないといけないという話であることがわかってきました。学力形成とは、何か実体的なものとして大人(教師)の頭の中に、あるいは技の中にあるものを子どもの中に転写する、移し替えるような作業ではないのです。《人間は人間をつくることはできない》(ここでは勝田は人間の生殖行動については想定していないでしょう)ということを前提にして、それでは大人(親・教師)は子どもという人格のどの側面にどのように働きかけることができるのか? その際《働きかける》とは《大人の思うままに子どもを変える》ことではなく、大人の働きかけはあくまでも子どもの主体的行為を媒介として子どもに受け入れられて血肉化されたり、あるいはスルーし排除されていく場合もある。 そしてまた大人の子どもへの働きかけは、大人の側の一方的配慮によって匙加減されるべきものではなく、《働きかけられて活動し成長していく子ども自身がいま行なっている活動の目的・意味を大人との共同討議を通じて納得してこそ、子どもの発達にとって意味ある活動が展開していく》のであり、《いま生きている社会の中でどのような目的、どのような活動こそが成長発達のために必要なのかを大人と子どもがいっしょに探究していかなければならない》のである。このことを勝田(1960頃)から学びました。
 勝田は人格(とは言っていませんが)の側面として一方で能力、知識、他方で性格、習慣、思想を挙げ、しかし敢えてそれらを構造化しようとしていません。能力や知識についてもそれ以上分節化して述べていません。考えてみるとそれらの人間に関わるカテゴリーは、人間が人間を捉えるための媒介項に過ぎません。「学力」ももちろんそうです。人間全体をいっぺんに捉えることは困難なため、そうしたカテゴリー、側面、媒介項を設定すると考えるのに便利なわけですが、気をつけないといけないのは、そうした人間や子どもを捉えるための便宜である道具が、設定するやいなや一人歩きしやすいということです。いまの世の中、「学力」の概念規定がいっこうに曖昧でも、《学力が高い》《学力が低い》などの言葉を躊躇せずに使う人が圧倒的に多いんじゃないでしょうか。
 ここでは勝田(1960頃)からの私の勝手な学びとして、以下のことをおさえることでまとめとしたいと思います。
●子どもの中に形成されていくなんらかの力があるとしたら、それは子どもと大人(教師や親)、あるいは子ども相互の働きかけ合いを通じて形成されるものである。
●子どもの中での力の形成には人生の先輩である親や教師からの援助が有効である場合は多いが、それが有効であるのは、あくまでも子ども自身が大人の援助を得つつ行なっている学習活動の自分にとっての意味を認識し納得していることが大前提であり、また《言われるままに行なう》ような活動ではなくて自ら意味がわかり意欲を持って取り組める主体的能動的な活動の中で何事かを達成したりまた失敗したりの試行錯誤の中で自らの成長を実感できる行動を通じて実現してこそ意味があるものである。

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