14 教育学文献学習ノート(26)瀬成田実『震災を語り伝える若者たち みやぎ・きずなFプロジェクト』(かもがわ出版)
(2022.3.11刊行 2022.3.15通読 20223.16-18ノート作成) 本書が出版されることを、私は2月16日に瀬成田実先生からいただいたメッセージで知りました。出版されるご著書で私の名前を記載し、私の三重大時代に瀬成田先生にお願いしたゲスト講義のことを紹介してよいかという大変丁寧なお尋ねでした。私はもちろん快諾し、出版を楽しみにしていました。 まずは私が掲載を快諾した該当部分から紹介します。 【震災から6年後、三重大学教授の佐藤年明さんに招かれて震災特別講義をしました。佐藤さんは、学生に「当事者意識」をもたせるために熱心に震災を学ばせていました。その中で、『当事者』を『自分事』ととらえてみようと語っていたのです。少しニュアンスは違うかもしれませんが、自分事という言葉だと、遠く離れた西日本の若者たちも考えやすいようでした。】 (P.154-155) 私の三重大学時代の震災学習の取り組みの、まさに核心を突いた紹介だと思います。「自分事」云々については、後に説明します。 しかしその前に、三重大学教育学部で瀬成田先生の特別講義を実現するまでの私と瀬成田先生の交流の経緯を説明しなければなりません。そしてそのためには、宮城の元小学校教師だった徳水博志氏についても触れなければなりません。いつもながら廻り道の多い私の「学習ノート」ですが、しばらくお付き合い下さい。 徳水博志氏は宮崎県出身、京都で学生時代を過ごし、教師をめざしておられた頃、1980年代初めに私と出会います。ともにうたごえ運動の洛北青年合唱団の2期研究生となり、修了後団員となっていっしょに活動していました。1986年10月に私は宮城教育大学に採用されて家族で仙台に引っ越しました。奇しくもその半年前、徳水さんは宮城県の小学校教員採用試験に合格して石巻に赴任していました。二人ともに宮城県民となったわけです。 私の宮教大時代は短く、2年半後の1989年4月には三重大学に移ったのですが、その間に徳水さんの結婚式の媒酌人を務めたりしました。 私が宮城を離れて22年後の2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。私は情報が少ない中で宮城の知人と連絡を取ろうと努力しました。メールを送っても返信がなかった徳水さんからようやく電話があったのは1ヶ月ほど経ったときでした。いま何が必要かを訪ねる