27 教育学文献学習ノート(30)吉益敏文『子ども、親、教師すてきなハーモニー』(かもがわ出版)
(1995.11.25刊行 2022.9.30-12.13通読 2022.12.14-16ノート化) この「ノート」を書き始めた12/14から3日後の2022.12.17(土)に開催される関西教育科学研究会学習会(兼 京都教科研第341回例会 14:00-京都しんまち会館)で、今年夏の教科研大会まで副委員長を務められ、現在も京都教科研の中心で活動されている吉益敏文先生が、「SOSをだしながら続けてこられた-教科研をもうひとつの学校として-」と題して講演されます。 私は1954年京都市生まれで、小中高大院を経て神戸大学大学院文化学研究科助手として勤務していた1986年9月まで京都市在住でした。学部3回生だった1975年に教育科学研究会に入会し、院生時代に京都教育センターの活動にも参加していた関係で、京都在住の終わりころには、教育センターでもお世話になった野中一也先生を囲んで雑誌『教育』読者会を行なっていました。私より2歳年輩で乙訓の小学校教師であった吉益敏文先生がいつから教科研に関わられるようになったか正確には存じませんが、私の京都在住(前半)期終わり頃には吉益先生のお名前はこちらからは存じ上げていたと思います。しかし直接の交流はありませんでした。 「京都教科研略史」( http://www.ne.jp/asahi/kyoto/kyoukaken/profile.html )によると、「1991年2月乙訓地域(京都府)の仲間が集まって”雑誌『教育』(国土社)の読書会が始まりした。」とあり、さらに1992.5.2に京都教科研結成総会が開かれています。以来今日まで、京都教科研は向日市の乙訓教育会館で月例会を続けています。乙訓での読者会開始は、1980年代半ばに私たちが野中先生を囲んで行なっていた読者会とは直接のつながりはないだろうと思います。乙訓の読者会、そして京都教科研結成のころ、私は宮城教育大学を経て三重大学に勤務し始めて間もない頃でした。たぶん、奥谷義一先生のお誘いを受けて三重教科研の例会に参加していた頃だと思います。 この「学習ノート」シリーズの「枕」で何度も書いていることですが、私は2019年2月に京都市へ戻り、第2の京都生活を送るようになりましたが、その少し前から京都教科研や関西教科研の例会に何度か参加させていただいていました。京都に戻ってからはほ