25 【アーカイブ 09】教育学文献学習ノート(8)吉益敏文「教職志望の学生がもつ『子ども理解』概念についての考察-大学生の授業感想をもとに-」(2018)/「人間発達援助職としての教師論の考察(1)-勝田守一の教師論に着目して-」(2020)

 来る2022.12.17(日)の関西教育科学研究会学習会(兼 京都教科研第341回例会)で、今年夏の教科研大会まで副委員長を務められ、現在も京都教科研の中心活動の一人としてされている吉益敏文先生が、「SOSをだしながら続けてこられた-教科研をもうひとつの学校として-」と題して講演されます。ここ数年ではありますが、吉益先生に近いところで京都教科研の活動を続けてきたことで私なりに吉益先生のお人柄に接してきましたので、上記の講演演題は、まことに先生らしいなあと僭越ながら思います。
 このご講演を楽しみにしている者の一人として、それなりの「準備」をして当日に望もうと考えています。下記は、「準備の準備」として、これまでに吉益先生の著作に触発されて私が「教育学文献学習ノート」シリーズに書いたものです。本ブログを立ち上げる前にfacebook等に投稿したものですので、ここに【アーカイブ】として再掲させていただきます。

 

 (2020.12.27 2022.12.13編集)
 2019年2月にふるさと京都へ転居するよりも少し前から、京都教科研の活動に参加していました。京都に戻ってからは、コロナ禍による休会期間を挟んでほとんど毎月、例会に参加しています。(私が三重教科研で活動していた)1992年に京都教科研の創立に参加され、以来ずっと会を支えてこられたのが、教育科学研究会副委員長でもある吉益敏文先生です。
 ここ数年例会に参加する中で、吉益先生から上記2編の論稿をいただいていました。長く小学校教師であった吉益先生ですが、上記は大学教師として、また教育学研究者としての最近の論稿です。

教職志望の学生がもつ『子ども理解』概念についての考察-大学生の授業感想をもとに-」(東大阪大学・東大阪大学短期大学部『教育研究紀要』第16号 2018)

 吉益先生が担当される大学教職科目授業受講生の「子ども理解」を、さらにメタ認知としての彼らの「子ども理解」把握をレポートから分析されています。「様々な事例検討から、子ども理解の視点について考える授業構成」(Ⅱ.大学の授業実践の概略 P.57)を採っておられます。私が特に注目したのは、受講生が書いたレポートの授業における取り上げ方です(下線は佐藤)。

【学生の感想は、事例に対する感想、テーマについての考え、自身の体験などその切り口は多様である。毎回、学生の感想を数点選んで授業プリント(資料)として作成し授業の最初に前回講義の振り返りとして私が感想を丁寧に朗読しその後、読みあい意見交流するようにした。指定討論は名簿順に数人あらかじめ指名しておいて、掲載された感想について自分の意見を述べるように促した。最初はとまどいがあるが次第に感想に対する学生同士の感想が具体的に語られるようになりその時期が一番集中するようになってきた。「Aさんの意見と同じですが…」とか「Bさんの意見は自分が考えてもいなかった事です。」などの言い方で語られるようになると同じ授業を受けた学生のそれぞれの感想意見が明らかになり充実した時間になっていった。筆者はどの講義においても感想を学生に書かせ可能な限り赤ペンをいれ、その中から数点選んで資料として紹介するようにしている。おおむね好意的な反応がかえってくる。感想の中味も読まれることを意識してか量的にも多く書かれるようになり、プライベートな自身の悩みや体験も書かれるようになってきた。もちろん公表するかどうかは書いてもらうようにした。「これは発表しないでください」などと書かれた場合は筆者だけにとどめコメントを書いて返却した。一斉授業、講義の形で学生が自由に意見交流する事は簡単には成立しない。しかし授業の中で仲間の意見を聞く楽しさ、自分が主人公になる嬉しさ、自分の中に問いが生まれることの喜びはどの学生も本来要求として持っていると筆者は考える。そうした事を引き出す授業のスタイルが必要である。授業は多様な方法があるが丁寧に学生の意見や疑問を聞き、可能な限り語り合う空間を作りそこから授業を組み立てることは筆者は大切な事だと考える。】(Ⅲ.授業の中の感想交流と指定討論の留意点 P.62)

 私も三重大学在職30年間(1989-2019)のほとんどの期間、80名から時には百数十名の教職科目講義で毎回受講生にレポートを書かせ、私がコメントした上で受講生にフィードバックしてきました。後半の十数年は三重大学にMoodleという教育用イントラネットが導入され、授業後のレポートをMoodleのフォーラムに投稿させると私はもちろん他の受講生もそれを閲覧することができたので、とても便利でした。三重大退職後1年間在職した京都橘大学にはそうした投稿を相互閲覧できるシステムがなくGMOの無料掲示板を使いましたが、投稿のすぐ下に返信を掲載できるフォーマットではなかったので、やりとりがしにくく使いづらかったです。今年度からの京都女子大学非常勤でもやはりそうしたシステムがないと思い込んで、前期「教育課程論」(遠隔)の毎回の学生からのレポートは全て私がコピペして授業通信に掲載しコメントを付けていたので、その作業だけで毎週2日くらいかかっていました。幸い後期に入るときにTeamsを使えば受講生も講師の私も同じフィールドで投稿やコメントができるとわかり、重宝しています。
 私も三重大にMoodleが入る以前は、B6サイズの紙にレポートを書かせて赤ペンを入れて返すと同時に、いくつかのレポートを授業通信に抜き書きしたり、あるいはレポートを全部縮小印刷して毎回配付したりしていました。電子化すると手書きの良さはなくなります。吉益先生の抜粋して紹介というやり方は、学生のレポートをもう一度書き写すことで咀嚼するという、多くの綴方教師が行なってきた作業の継承の意味も持っていると思います。さらに、授業で吉益先生が学生の文章を丁寧に朗読されるというところも。私の推測ですが、これらは先生が小学校教師として実践されてきたことを大学教育にも活かしておられるのではないかと思います。
 私が自分と決定的に違うなと思うのは、吉益先生が授業で学生のレポートを紹介された後にそれに対する意見表明の時間をとっておられることです。対して私の学生レポートへのリプライは、まずネット上で個々のレポートにコメントを書くこと。前期は上述のように授業通信への転載作業もあったので(私は提出された全てのレポートを、「掲載しないでほしい」という意思表示がない限りは通信に掲載していました。通信は毎回A4×20数ページになりました^^;)、コメントは何人かに一人の割合でしたが、後期はコピペ作業がないので全員にコメントしています。また、投稿者以外の受講生からもコメントできるシステムなので、他の受講生のレポートに積極的にコメントを付けるよう推奨していますが、これは毎回数名かゼロにとどまっています。
 私は、個々のレポートへのコメントの他に、授業通信上で全体に対するコメントを書いたり個人宛てに書いたが全員にも伝えたいTeamsでのコメントを再録したりしています。再録する場合も、学生のレポート自体はTeamsで誰でも読めるので自分のコメントだけを掲載しています。そして授業ではそのコメントの概略だけを紹介します。学生がTeams上で相互にレポートを読み合うことは、義務づけてはいないのでどこまで実行されているかはわかりません。しかし、関心ある学生は、毎回全員とはいかなくても他者のレポートを読んでくれているだろうと勝手に期待しています。ときどきコメントを付ける受講生もいますから、読んでいる人がいることは事実です。
 私の授業はこういうシステムなので、教室で学生の肉声を聞くことがとても少ないのです。たまに発表や発言の機会を設けて何人かの学生の声を聞くととても新鮮で、もっとこういう機会が必要だなあと痛感するのですが、日頃はなかなか実行できません。そういう意味ではzoom利用だった前期の方が、ブレイクアウトセッションに入っていって学生の声を聞くとか、セッション中にヘルプ機能を使って学生から質問が来て話すとか、パソコン越しではありますけれども声での交流がありました。
 吉益先生も教室での発言を求めるときに自由発言ではなくて予め指名されるとのことですので、大学の教室を学生の声が自由に飛び交う空間にすることは容易ではないのでしょうが、大学教育においても教室で受講生が教師の声だけではなくて同じ立場の受講生の「声を聞く」ということはとても大事ですね。考えてみると、生活綴方というのは、子どもが生活を綴ること、教師がそれを読み「子ども理解」を深めることで終わるわけではないですもんね。教師が子どもの作品を学級通信・学級文集に載せ、クラスで読み合い話し合い、そこから学級づくりや教科学習の何らかの行動に繋がっていく。そこには、「文字」だけではなく、「声」の交流が必ずあるはずです。
 私の考察が、吉益先生がこの論文で考察されている学生の「子ども理解」や、「子ども理解」ということ(メタ認知)の内容に踏み込めていないことを申しわけなく思いますが、我流の引き取り方がこの「教育学文献学習ノート」の特徴だということでご了解いただけたらと思います。
 ちなみに、吉益先生が引用文献として挙げられていた田中孝彦『子ども理解と自己理解』(かもがわ出版 2012)を幸い手元に持っていますので、近く読もうと思います。
(⇒佐藤註:田中『子ども理解と自己了解』については、本ノート(10)で取り上げました。いずれ機会を見て本ブログに【アーカイブ】として再録します。)



人間発達援助職としての教師論の考察(1)-勝田守一の教師論に着目して-」(武庫川臨床教育学会『臨床教育学論集』第12号 2020)

 最近吉益先生から抜刷をいただきました。この研究にはまだ続編があるそうで、「生活綴方実践の教師の語りから教師論を考察する」(P.115)作業は未完の同論文(2)に残されているそうです。
 吉益氏は、勝田の所論に学んだ「人間発達援助職としての教師論の仮説」として以下の3点を挙げています。

【1) 子どもの命、尊厳を大切にする教師
 2) 可能な限り人間発達援助の仕事に従事するあらゆる人たちと協力共同する教師
 3) 生活綴方の思想に学び、子どもと共に歩む教育実践を展開する教師】(P.115)


 長く小学校教師として仕事をされ、いままた大学教師として仕事をされている、そして教科研に長く関わられている吉益先生が、教師論の角度から勝田守一の研究と行動に注目されるのは当然かもしれません。そしてそのアプローチは、これまた学生時代以来40数年にわたって教育学研究者勝田守一の影響を大きく受けてきたと意識している私自身とはかなり違うアプローチでもあります。
 いま私の手元には、学生時代に京都大学教育学部の先輩から全巻譲り受けた勝田守一著作集のうち、以下の5冊が残っています。
 2 国民教育の課題
 4 人間形成と教育
 5 学校論・大学論
 6 人間の科学としての教育学
 7 哲学論稿・随想
 なぜか、
 1 戦後教育と社会科
 3 教育研究運動と教師
が、ないのです。大事に保管してきた著作集のはずなのに。大学教師になってから学生・院生に勝田について語る機会はそれほどなかったと思うのですが、誰かに貸して戻ってこなかったのか、自分で研究室引っ越し等の機会に紛失してしまったのか。とても残念です。
 自分の卒論でもっともお世話になったのは、2巻所収の1950-1960年代教科研における勝田の発言と、6巻所収の『能力と発達と学習-教育学入門Ⅰ』(1964)でした。しかし卒論の研究対象は1950-60年代の教科研における社会認識研究であり、1巻もかなり読んだはずなのです。
 吉益論文では、著作集1巻から2箇所、3巻から9箇所引用されています。だから私が吉益氏の角度からの勝田研究にきちんと対峙するには、欠落している著作集を保管する必要がありますね。Amazonで検索したところ、3巻は送料込み1699円だったんで発注しました。1巻は5257円だったんで…パスしました。勝田先生、ごめんなさい。m(_ _)m

 勝田自身、京都帝大卒業後松本高等学校の哲学教師、戦中から戦後にかけて文部省勤務の後、学習院大・東大の教師を務めていますから、教師論を論じることは自分自身の課題であったと思われますが、私自身は1969年に他界された勝田先生の教師としての実像を知らず、教科研運動や教組教研運動に関わられた研究者というイメージで捉えてきました。私自身が勝田の教師論を学ぶとなると、やはり大学教師である自分自身の来し方を振り返り、あとしばらくの行く末を考えながら学ぶことになるでしょう。ただ私としては、出会って40数年となる勝田教育学からの学び方としては、やはりまず彼の研究者としての子どもへの、また学校教育への、また学校教師への向き合い方から学ぶということが先に必要だと思います。健康に生きてもおそらくあと20年も研究生活を送ることはできないと思います。多くの時間はありません。

 ただ、吉益先生も注目されているように、勝田が戦前を旧制高校教師として過ごし、「平和と幸福を願った私は戦争を肯定した」(P.118)と「自らの戦争責任に対して明確に向き合」(同)い、それを悔悟していること、そのことが戦後の教育研究者としての勝田の姿勢の基本に座っていることは、"後から来た世代"である私たちも目を背けることはできない事実です。再びそのような時代に進んでいくことを望みませんが、しかしあり得ないと言えない状況です。そうならないために、何をしなければならないのか、そして、何をしてはいけないのか。
 戦前戦中を知らない私は、必要があって近現代教育史を授業で語るときも、敗戦までについては最低限のことしか語ってきませんでした。戦時中については、総動員体制下天皇のために死ねと教える教育が行なわれ、ごく少数の戦争反対行動をする人は逮捕投獄され、拷問により獄死した人も多い、普通の国民は戦争に反対することはできなかった、というように"自分は知らなかった時代"のことを描いてきました。最近、NHK朝ドラ「エール」を見て、あそこに描かれた古山裕一の人物像はフィクションであるとしても、自分なりの善意から戦争に積極協力し、敗戦後そのことで自分を責め悶々と過ごした人、現実の古関裕而はいざ知らず、作中の古山裕一のような人はきっといたはずだと思うようになりました。大きな時代の転換、それも戦争推進から敗戦・占領・民主化。その中でいろいろな人がいろいろな振る舞いをし、その振る舞いは一様ではなかったと思います。
 負の遺産を背負って出発した戦後の勝田教育学、と、後進が知ったようなことを言ってみても、何もわかっていないのかもしれません。それはそういう時代に勝田が生きたということであって、望んだ重荷ではないでしょう。しかし、そこから出発せざるを得なかった。
 翻って、自分の教育学の出発点は何だろう?と考えます。時代的意味では大きな"負"からの出発ではなかった。しかし、1960年代の能力主義という時代の洗礼を受けて自己形成したことは、やはり勝田とは違う意味での自分にとっての"負"だったと言えるでしょう。私はそれを克服しようとして克服できずに40数年間研究を続けて今に到っているとも言えます。他の人たちの教育学研究者としてのスタートについては知りません。また、戦後の勝田教育学の出発・展開と、私自身の教育学の出発・展開を重ねるのは、おこがましいにもほどがあるでしょう。しかし、負から出発し、大きな"正"の実現にはまだほど遠い時代状況の中でもがいているという点では、1960年代まで生きた勝田と、2020年代を生きている私との間には大きな時代的共通性があるようにも思います。
 どうも吉益論文から離れたコメントの展開になってしまいました。吉益氏の研究に刺激を受けながら、私自身の勝田教育学研究も少しずつ進めていきたいと思います。

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