69 教育科学研究会における現代学校批判の議論において「男性性」という名辞を共通のtoolとして使用することについて再検討を提案します(第2版) リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 12月 23, 2025 2025.12.23脱稿第1版:2025.12.20京都教科研例会で報告第2版:2026.1.11関西集会で要旨を発言予定 -1- - 2 - - 3 - - 4 - - 5 - - 6 - - 7 - - 8 - - 9 - - 10 - - 11 - - 12- リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
52 教育学文献学習ノート(39)浦田直樹「『人間のぬくもり』を生み出す教育実践―秋桜高校の実践記録―」(日本臨床教育学会編集『臨床教育学研究』第13巻) 6月 04, 2025 (2025.4.25刊行 6.3通読) 秋桜高校の実践報告を初めて聴いたのは、2024.3.24の関西教育科学研究会3月集会「 子どもを大切にする学校―大阪の私学高校実践に学ぶ―」において浦田直樹校長が話されたときでした。不勉強な私はそれまで秋桜高校という学校の存在も存じ上げなかったと思います。そこで配付された分厚い報告資料とその年の秋桜高校の卒業文集は、自分だけ読むのではもったいないと思って当日の研究会には参加されなかった京都教科研の仲間にお貸ししています。 2025.2.15-16に京都市内で全国地域民教交流研理論学習会が開催され、夜の懇親会の時に浦田先生がわざわざ私のところへ話しに来て下さいました。私のFacebook投稿を読んでくださっていると聞いてうれしく思いました。学習会の後2.18に私から浦田先生に送信したメールの一部を以下に紹介します。 「校長先生が『直樹』と生徒から呼ばれる。《規律》から入る学校生活の組立からは考えられないことです。だけど、どの学校でも校長や担任を陰で(児童生徒間で)呼び捨てにしたりあだ名で呼んだりということはあると思います。しかし、(表面上)《荒れてない》学校だったら、授業中には子どもたちは『〇〇先生』と言うだろうし、生徒同士で教師の噂話をしていても廊下で教師とすれ違ったらやめるでしょう。秋桜で生徒が浦田先生を『直樹』と呼ぶのは、呼び名という点では友だちと同等ということでしょうね。友だちと同等扱いすることが教師を《下げて扱う》ことではなくて垣根をなくしてなんでも話せる気楽さを醸し出すのでしょうか。こうしたことを含めて、秋桜高校での教師も生徒も含めた人間関係にとても興味があります。 」 懇親会の席で私は「秋桜高校を訪ねたい」と浦田先生に申し上げていました。このことについても2.18のメールで以下のように改めて書いています。 「交流会の席で私は先生に『秋桜を訪ねたい』と言いました。私は神戸大で3年半・宮城教育大で2年半、三重大で30年、京都橘大で1年大学教員をつとめ、いまは京女大で非常勤5年目です。正規教員の時代は学生の教育実習指導や現場の研修会等で小学校を中心に多くの学校に足を運びました(そんな研究スタイルだったので、教科研全国委での福井さんの「研究者は現場を知らない」発言には猛反発しました)。... 続きを読む
59 戦後世代に「加害責任」はあるのか?―『渡り川』(1994)と『過去は死なない』(2014)から考える 9月 25, 2025 1.幡多高校生ゼミナール編『渡り川』(1994)との出会いと小さな疑問 以下は第1回「自由主義史観」研究会セミナー(1995.4.8)での私の報告全文です(以下、「1995佐藤レポート」と略記)。 私と幡多高校生ゼミナールとの出会いについては、「1995佐藤レポート」の冒頭に簡単に紹介しています。私の大学教育実践史においては重要なできごとでした。本稿の主題からは外れるので詳細は省略しますが、教科研の活動の中で幡多ゼミ卒業生の安岡三智さんが和光大学の梅原利夫氏のゼミにおられることを知り、梅原氏にお願いして安岡さんと連絡を取り、三重大学「平和問題」の授業にお招きして三重大生たちとのディスカッションを行なったことなどを懐かしく思い出します。 一方、「1995佐藤レポート」では、高知県におけるビキニ水爆被災調査に取り組んだ幡多ゼミ初期世代(1980年代中盤に活動)から数年を経て高知県における朝鮮人強制連行・強制労働の調査に取り組んだ後輩世代の高校生たちの活動を報告した 幡多高校生ゼミナール編『渡り川 四万十川流域から創造する高校生の国際交流 』(平和文化 1994) 及び ドキュメント映画 『渡り川』 (1994) を取りあげ、1995年教科研全国大会で『渡り川』を鑑賞した感想として、 「見終わった後、第1作より映画としてはより完成されているという感想は持ったが、感動はしなかった。幡多の高校生たちの活動は確かにすばらしいものだった。しかしそれを見た私の感想は、『やはり一部の特別な青年たちではないか」というものだった。(中略)『渡り川』に対しては、前作同様の共感も感じないではないが、どちらかというと違和感の方を強く感じた。地域の朝鮮人強制連行の歴史を調べ、神戸朝鮮高級学校の生徒と交流し、韓国に渡って従軍慰安婦の体験を聞く高校生たちの活動は、確かにすばらしい。彼ら自身は多くのものを得たであろう。しかし、今回は率直に言って、『三重大でもこうした活動を!』とは思わなかった。」 と書いています。自分の当時の職場である三重大学において学生たちと平和学習をどう進めていくかという関心をベースとした感想ではありますが、『ビキニの海は忘れない』の頃の幡多ゼミの活動に接した時と比べて、明らかに引き気味の感想を述べており、自分が受けとった感覚として「感動はしなかった」とまで述べ... 続きを読む
57 animal welfareについて―2025教科研全国大会「道徳性の発達と教育」分科会・渡部裕司報告から考える― 9月 01, 2025 1975年の伊豆長岡大会に初参加して教育科学研究会に入会してからちょうど50年となる今年の武蔵野集会にリモートで参加しました。大会2日目(8/7)の分科会は、いろいろ迷った末に2019年以来継続して参加してきた「教育課程と評価」分科会ではなく、「道徳性の発達と教育」分科会に参加しました。昨年秋以来数回、「道徳と教育」部会例会にリモート参加してきたことと、今大会「道徳性の発達と教育」分科会の「子どもの<食>から考えるケア・倫理・共同性」というテーマに関心があったからです。 分科会では基調報告の後2つの報告についてじっくり議論されました。一つ目の報告・谷中哲也「『こども食堂』に集う子どもと大人」も大変おもしろく、「子ども食堂」への自分の関心を強めるきっかけとなりましたが、ここでは二つ目の報告・渡部裕司(横国大附属鎌倉中)「中学校社会科で動物福祉について議論し考える実践」を聞く中で自分で考えたことを書きます。 最初に断っておきますが、この投稿は2025.8.7の渡部裕司報告自体を検討対象とするものではありません。 当日の渡部報告pptによると渡部氏は同実践について『子どもと自然学会誌26』(第19巻第1号 2024.3.31)に実践研究論文「中学校社会科地理分野における動物福祉を考える実践―『北アメリカ州』の工業式畜産に着目して―」として投稿されています。私は、まことに幸運なことに、同誌同号を所持しています。同じ号に実践報告を投稿された兵庫の岸本清明先生から以前にご恵贈いただいていたからです。ですから同誌掲載の渡部論文を精読して私なりのコメントを書くことは可能なのですが、それは後日の課題としたいと思います。 教科研大会「道徳性の発達と教育」分科会については、大会フライヤーに「中学校社会科で食と動物福祉を学ぶ」という報告テーマは記載されていますが、分科会で配付された渡部氏の報告資料や分科会での議論の内容を一分科会参加者である私の判断で公開設定しているこのブログの場で紹介することは適切ではないと考えます。また、 本投稿で私が(素人ながら)考えてみたいのは、animal welfareをいう理念を学校教育においてどのようにとりあげたらいいのかという一般論であり、渡部実践自体について意見を述べることではありません。 そういう経緯ですので、ここから... 続きを読む
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