3 教育学文献学習ノート(22)-1 神代健彦編『民主主義の育てかた 現代の理論としての戦後教育学』(2021) はじめに(神代健彦)・第8章 民主教育論(中村(新井)清二)

 (2021.7.10刊行 2021.8.20-27通読 2021.8.29-9.3ノ-ト作成)

 教育科学研究会の若手研究者として活躍されている神代健彦さんたちが世に問われた論集です。近いうちに読まねばと思いつつもいろいろ読まないといけないものがあるなあとちょっと積ん読状態になりかけていたのですが、2021.8.31にリモートで本書の合評会があると知り、どうせならそれまでに読んで合評会にも参加しようと思った次第。全271ページというかなりのボリュームなのですが、数日間で全ページ読破できました。重要な問題提起がそれぞれなされながらも、大変読みやすくわかりやすかったという印象。各章の論者が他章の論文を意識して相互に関連する部分には必ずリンクを張る叙述があります。きっと執筆過程でかなり綿密な読み合いがあったのではないかと推察します。
 合評会で実際に何かを発言するかどうかはわかりませんが、合評会までには一応この「ノート(22)」を書き上げて、自分の考えをまとめておきたいと思います(実際に今回の投稿を仕上げたのは合評会から3日後の2021.9.3でした^^;)。

 最初に各部・各章のタイトルと著者だけを紹介します。各章内の構成については、その章に言及するときに紹介します。

はじめに
第1部 「公」教育の理論-分断社会を超える
 第1章 「国民の教育権」論-教育の公共性を編み直す(杉浦由香里)
 第2章 「私事の組織化」論-教師の仕事にとって保護者とは?(大日方真史)
 第3章 「地域と教育」論-コミュニティ・スクールは誰のために(三谷高史)
 第4章 公害教育論-生存権・環境権からのアプローチ(古里貴士)
 第5章 青年期教育論-「大人になること」をめぐる問い(南出吉祥)
第2部 価値論の復権-原理の問いを取り戻す
 第6章 発達論-子どもを主体とした全面発達の追求(丸山啓史)
 第7章 教育的価値論-よい教育ってどんな意味?(神代健彦)
 第8章 民主教育論-身に付けるべき学力として(中村(新井)清二)
 第9章 障害児教育論-「子どもに合わせる」教育のなりたち(河合隆平)


 以下、「学習ノート」であることを口実に、自分の研究関心と近い論文から順不同に紹介・コメントさせていただこうと思うのですが、それでも私のあまりにも牽強付会なコメント表明に終わることを恐れますので、まず、「はじめに」(神代健彦)から、本書の公刊趣旨を理解する上で役立つ文言を抜粋します。
(なお、原典からの引用は「 」で表示することが通常だと思いますが、「 」を用いるとその中に引用する原文の「 」は『 』で表示することになり、原文の表記を変更しなければならなくなる煩わしさがあるため、今後本「学習ノート」のみの恣意的な表記方法とはなりますが、引用文の始めと終わりは【 】で表示します。)

【いわゆる「戦後教育学」なるものの可能性を、いま改めて明らかにする-趣旨としては、ごくごくシンプルなのです。本書はこれを目指して編まれました。

「民主主義の育てかた」としての「戦後教育学」
 ここにいう「戦後教育学」(以下「 」外す)とは、日本の国内外に甚大な被害をもたらした後、1945年に日本の敗戦をもって終結したアジア・太平洋戦争への深い反省に基づき、平和・人権・民主主義という戦後的理念を共有しながら構築された、一群の教育学の総称です。それはそんな三つの戦後的理念にかなう(以下2文字に傍点)人間形成をめあてとした教育学であると同時に、そのことをもって、民主主義的な(以下2文字に傍点)社会を育てる教育学でもあったと言えます。本書タイトル「民主主義の育てかた」は、戦後教育学が試みた、そんなしごとを表現したものです。】(P.3)

【そして、このような一連の革新派教育研究運動のなかで育まれ、またそれらをけん引してきた理論こそが戦後教育学です。教職員の実践や運動と深くかかわりながら発展してきたこの理論的潮流には、大学や学会で営まれるアカデミックな教育学にはない、独特の「実践性」が編み込まれることになりました。論者の固有名を挙げるならば、宗像誠也、宮原誠一、勝田守一、そして勝田の弟子筋にあたる堀尾輝久といった人々は、戦後教育学の担い手として一定の共通認識が得られる教育学者といえるでしょう。彼らを含む戦後教育学者の一群は、それぞれのユニークな教育学を大学や学会で論じる傍ら、日教組の教育研究集会やそれらと近しい民間教育研究団体において中心的役割を担いました。そしてそのなかで、「国民の教育権」論、教育的価値論、教育における「内的・外的事項区分」論、発達論といった、戦後教育学の代表的な理論を立ち上げ、多くの賛同者と、そして多くの批判者を得ました。】(P.5)

【しかし、東西冷戦構造、保革対立という現実政治のなかで明確に革新派にコミットした戦後教育学は、冷戦構造の崩壊、日本政治における革新勢力の衰退、さらに、市場原理による社会システムの改革を掲げる新自由主義の台頭といった、その後の日本と世界の政治や社会の変化を受けるかたちで、影響力を大きく減じてきました。とくにアカデミズムのなかでは、ほとんど価値を失った旧教育学とみなされているといっても過言ではないでしょう。日本社会の変化、また人文社会科学の議論の進展のなかで、その理論的・実践的成果は-議論の文脈に応じて消極的にはあるいは積極的にかの違いはあるにせよ-、「硬直的な近代主義的教育学」「古臭い左翼教育学」として忘れさられようとしているように思われます。
 そして本書が目指すことの第一は、このようなレッテル貼りに再考を促すことです。戦後教育学とは、現在を生きるわたしたちが参照可能な未整理の教育学「遺産」である-これが本書の執筆者たちの見立てです。わたしたちは、混乱と困難を極める現代の教育の現実をより深く考え、未来への展望を語りだすために、理論を必要としている。そして戦後教育学が、そのような来たるべき理論そのものとは言えずとも、来たるべき理論をもとめる探求の「スタート地点」を形成している-、この本の執筆者たちは、そのように考えたわけです。】(P.6)

別様の教育を切り拓く/対抗的言説圏のために
 また本書は、ただ狭義の教育学研究上の理想を語るものではありません。戦後教育学の批判的継承と復権は、グローバル化する社会の「必要」の名のもとに進められる性急な教育改革に対して、それに必死になって「適応」するだけでなく、そこから一定の距離をとって「よい教育」を考えるための対抗的な言説圏の形成を促します。そのような言説圏の創出は、改革に次ぐ改革によって疲弊した現在の教育界に、地に足の着いた建設的議論を生み出すための条件であると考えます。】(P.6-7)

【もちろん本書の執筆者たちは、新しい教育のビジョンやその実現のための新しい制度設計の重要性や必然性を頭から否定しているわけではありません。また、数々の実践的困難を乗り切るための実践的なテクニックが必要だということも、否定するつもりはないのです。教員の多忙が問題視される現状において、その場を「しのぐ」技術のニーズが高まるのは、むしろ当然というべきかもしれません。しかし、それだけでいいのでしょうか。
 必要なのは、そうした現実そのものを深くかつ批判的に理解し、別様の未来へ向けて変えていくための見通しです。硬めの表現を使うなら「教育の理論」、平たく言うなら「教育のそもそも論」、ともかくそういった(以下6文字に傍点)実践的な理論が、必ずしも現在のアカデミックな教育学が供給しえていないそんなタイプの知が、いまこそ求められているのではないかと思うのです。時代の「必要」に駆動される教育制度や実践の改革・改善の激流から一定程度距離をとり、その総体を捉え返し吟味するための-。しかしとはいえ、そんな教育の理論をゼロから作り上げようとするのは、無謀であると同時に非学問的でもあります。そこでこの本の執筆者たちは、戦後教育学という先人たちの蓄積に目を付けたということなのでした。先人たちの蓄積の可能性と限界の両方を見極め、そのうえに-未来永劫普遍的に価値ある、とは言わずとも-「歴史において最良」と言えるような新しい知見を積み上げたいと考えています。】(P.7-8)

【改めてまとめるとこういうことです。現在進行形の教育改革のなかで「適応」を競うわたしたちは、むしろだからこそ、それらを問い返すための理論的足場を必要としている。そしてその理論的足場の可能性が、戦後教育学の蓄積にはある。だから、そうした教育の現在を考えるための足場を求めて、いまだ全容を概観することもままならない戦後教育学について、少しでも見通しをよくすること、そしてそのうえに、「歴史において最良」と言えるような新しい教育学を展望すること-、謙虚なようでいて、いささか尊大にも聞こえるような言い方になってしまいますが、これが本書の「めあて」です。」(P.8)

戦後教育学批判を超えて
 以上のように本書は、戦後教育学を改めて吟味するということのうちに、学問的価値と実践的価値の双方を見込んだうえで編まれています。もちろんそれは、戦後教育学を必要以上に美化するということでないのは言うまでもありません。ちなみに、1970年代後半から1980年代はじめの生まれである本書の執筆者たちは、本書で取り上げる戦後教育学者たちから直接に大学院等で研究室を受けてはいないのであって、そのようなことを行う理由も必然性もない世代にあたります。
 むしろ、戦後教育学者たちから数えて、研究者として数世代後で研鑽を積んできた執筆者たちの学問形成期(2000年代~2010年代)は、戦後教育学の否定的評価が「常識」となった後の時代でした。率直に言ってその否定的評価の一部に、冷戦体制の崩壊後に生じた「気分」としての反革新・反左翼、あるいはポストモダン思想の名を借りた単なる冷笑主義がなかったとは言えないと思います。そのような時代性を相対化するという意味で、また単に学問の正統的な進め方として、本書は、そのような学界の「常識」を疑おうとするものです。戦後教育学にまつわる「常識」の問い直し-、それは、戦後教育学批判の嵐がひと段落した現在において若手から中堅にさしかかったわれわれだからこそできることであり、あるべきことでもあると、われわれは考えています。自分たちの研究の新奇性を打ち立てるために戦後教育学という先達のしごとを過度に否定的に見る必要もない、むしろそれをいったん「歴史」として受け止め、そこから可能性をくみ出すことに特段の抵抗もない、その意味で戦後教育学を改めて吟味し語り直すのに適した世代がわれわれだ、ということです。】(P.8-9)

 ⇒T.Satou:上記から本書の9人の執筆者が40歳前後から40代半ばの年齢層の人たちであることがわかります。ちなみに、本書の執筆者紹介(P.270-271)では各執筆者の現在の所属機関、専門領域、著書等が記載されていますが、生年や出身大学・大学院などは記載されていません。本書の論稿を理解するときに、研究内容上の背景情報以外の年齢・学歴等の属性から判断しないでほしいというメッセージかなと思いました。なお、各執筆者のプロフィールの最後に2~3行のメッセージが添えられているのはユニークだと思いました。


本書の構成について
 本書は、全体として、勝田や堀尾らに局限することなく、広く戦後教育学の理論を渉猟しています。そのことによって、狭い視野のなかで対象を切り取って観察しないように努力しました。また分析に際しては、例えば近代主義か否かといった抽象的な単一の分析軸ではなく、現代日本の教育の錯綜した問題状況を重ねながら、それと響き合う戦後教育学の理論的可能性を引き出そうと試みました。理論(戦後教育学)に対して理論(ポストモダン思想)の格子を特権的にあてがうのではなく、理論(戦後教育学)と現実(実践)を対話させることにした、とも言えます。ちなみにこうした、理論と現実の対話のなかで問題をつかみ、そこに新しい教育のあり様を模索するというスタイルは、戦後教育学の、あるいは、そんなユニークな学のゆりかごであり、またそれがけん引する当の研究運動でもあった民間教育研究(団体)の伝統的なそれでもあるということは、ここで付記しておきたいと思います。そうした理論と現実の対話のなかで問題を把握するまさにそのことによって、本書は、もしも戦後教育学を全面廃棄するならば失われてしまうであろう点、いまこそわれわれが掘り起こし批判的に継承すべき諸点を明らかにしようとしています。このことは、本書の方法上の固有性として強調しておきましょう。もちろんその成否また是非は、読者の判断に委ねられるわけですが。】(P.11-12)

 ⇒T.Satou:神代氏は上記の直後に【「はじめに」にしては、いささか込み入った話になってしまいました。】(P.12)と書いておられますが、私にとっては本書の執筆者集団と彼らを代表する神代氏が本書公刊にかけた意気込み、狙いがよくわかる文章でした。
 今後のコメントで、私自身の専門との関係での遠近の違いもあり、9つの章の全部を十分に理解した上で意見を述べることはできないだろうと思いますが、読み終えての率直な実感として、その「遠近」に関わらずその論稿も大変わかりやすい、わかりやすいというのは内容が平易だということでは必ずしもないのですが、「なぜこのような行論をしようとしているか」が明確に伝わるので、内容自体は難解な部分を含んでいてもそれなりに筆者の言いたいことが伝わってくると思いました。このことが、遅読である私が全271ページの本書を意外に短期間で通読できた原因ではないかと思っています。




 さてここからは、私の研究関心と比較的近いと思われる論稿から、順不同で取り上げていきます。これまでの私の「教育学文献学習ノート」の、印象に残った叙述を逐一抜粋紹介して、その全部ではなくて一部分についてコメントを付す、というやり方では、たぶん明日夜に迫っているネット合評会までにノート作成作業が終わらないので、どうやろうか迷うのですが.....とにかく書き進めながら考えていくことにします。(^^;)



中村(新井)清二 第8章 民主教育論-身に付けるべき学力として
 1 民主主義が教育実践の内側に入り込む
   1、教育学のことばでない「民主主義教育」
   2、城丸章夫の民主教育論
 2 城丸の教育課程論と学力概念
   1、「学力と人格」問題
   2、思想と行動能力の統一的把握
 3 城丸の民主主義教育論からさらに考えたいこと



 最初に本章における中村氏の課題意識に関わる部分を抜粋します。

はじめに
 学校あるいは教育と民主主義という教育学のテーマがあります。しかし、21世紀の日本社会にとってこのテーマが大切であることは言わずもがな、ましてや教師ならばその重要性を十分に心得ているはずのこと……と言ってみたところで、虚しく響くかもしれません。】(P.202)

【民主主義が一人ひとりの存在を大切にする、ともに生きやすい社会の基本であるならば、毎日の教科書で子どもたち一人ひとりを大切にすることに民主主義という名前が与えられていても良いはずです。ところが、日々の仕事と民主主義を結びつける発想は、言ってみれば「非常識」であるようです。
 (中略)公教育としての全ての教育活動、とりわけ教室での具体的な指導場面が民主主義とつながっているか否かという点は関心事であっていいはずです。
 にもかかわらず、「民主主義が教師の関心の外にある」としたら、このことはなにを示しているのでしょうか。教育と民主主義のつながりについて関心を持っていない教師の意識の(強いていえば専門性の)なんらかの欠如を示しているのでしょうか。それともそのように教師の卵を育ててこなかった教員養成の欠陥、あるいはそれを担うそれぞれの大学教育の課題でしょうか。あるいは、それを忘却させる日々を強いる教育行政施策の様々な無理でしょうか。】(P.203-204)

 ⇒T.Satou:私自身、40数年教育学研究と教育学教育に取り組んでくる中で、民主主義教育あるいは民主教育というのは教育理念と教育実践と教育制度と、とにかく教育全体をカバーする「望ましいビジョン」として、またその基盤は日本国憲法において保障されているものの現実においては極めて不十分にしか実現されておらず、現在から将来にかけてより完全?な実現をめざすべき教育の理想、というように、要するに「目指す教育の全体的ビジョン」みたいに捉えており、教育の各具体的局面において民主主義を担う主体の形成をどのように行なっていくかという発想は弱かったと思います。私が、不十分にしか実現されていないけれども教育の必須の理念だと考えてきた民主主義教育、教育における民主主義は、実は子どもにとっても教育にとっても「常識」でもなんでもないこと=「非常識」であるという中村氏の指摘は、耳が痛いです。現実を冷厳に踏まえた教育実践や教育学を作ろうとしているかと問いかけられているんだと思います。


 次に本章の構成について、中村氏は以下のように説明しています。

【本章では、公教育制度と実際の教室にまたがっているはずの民主主義をテーマにし、一人ひとりが大切にされる民主主義の学校の形を考えたいと思います。以下、本章の流れを示しておきます。
 1960年代、民主主義の教育という理念が、まず制度的側面から追求されてきたこと、その中で「教育過程の内部」の民主主義を追求することが研究課題として自覚されていったことを確認します(第1節1)。そして、教育課程における教科外教育論を展開しながら、この課題に取り組んだ城丸章夫の仕事を紹介します(第1節2)。
 その上で、城丸の民主主義教育論が持つ現代的な意義について述べます。その意義は学力論にあります。民主主義が「教育過程の内部」に入ったかどうかは、民主主義を子どもたちが身につけたかどうか、言い換えれば、学力になったかどうか、あるいは学力とどう関係するのか、ということと繋がっているからです(第2節1)。ただし、城丸が民主主義の教育を論じたことは知られていますが、学力を論じたとは一般に受け止められていません。よって、城丸の学力概念を描く必要があります。私見ですが、城丸の教育課程論をよく読んでみると、そこに学力概念が潜んでいることに気づきます。そのことを紹介したいと思います(第2節2)。
 最後に、城丸の民主主義教育論からさらに何を考えないといけないのか、断片的にはなりますが、戦後教育学の代表的な学力論である中内敏夫の論との関係で、触れたいと思います(第3節)。】(P.204)


 教育課程論を専攻分野とする私としては、第2節を中心に検討したいのですが、もちろん第2節は第1節の行論を前提として展開されているので、第1節で取り上げられていることに簡単に言及します。

1 民主主義が教育実践の内側に入り込む
 1-1.教育学のことばでない「民主主義教育」


 中村氏はまず、『講座・現代民主主義教育』(1969)全5巻の第一巻巻頭論文である五十嵐顕「現代教育史における民主主義教育の発展」の以下の一節をとりあげます。

【民主教育は教育運動の性質や目標をいいあらわすとしても、この運動の目標や、運動の過程において認められた価値観は現代の教育学においてはかならずしも教育的価値としてみとめられてはいない。教育的価値は、教育の事業においては教育の目的という地位を与えられるけれども、民主的な教育目的は、「外から押しつけられた目的」として排除されるか、または教育活動に内面化されねばならないという理由のもとに、ほんらいの現実性をとしさられて位置づけられるのである。】(五十嵐 P.33-34)

 中村氏は五十嵐の指摘を丁寧に解説した上で次のように述べます。

【五十嵐が述べているのは、<教育活動・教育実践の内部に根付いた民主主義>という把握が教育学の「常識」になっていないという時代診断です。この非常識のために、民主主義は理念に過ぎないあるいはその理念は抽象性が高いなどと言われてしまっている、というのです。
 まず、五十嵐の認識が示された当時の時代状況について確認しておきましょう。1960年代は、「国民の教育権論」が、勤務評定導入をめぐって労働組合と保護者が一緒になって反対した運動(勤評闘争)や日本軍に関する記述を巡って争われた家永三郎教科書裁判を通じて展開され、「学習権としての教育権」や「国民の教育の自由」といった骨格が形成されてきた時代です。それらは、1970年の教科書裁判における「国民の教育権論」を展開した「杉本判決」に結実します。
 当時はこうして、民主主義と教育というテーマが社会的にも広く認知され、学問的にも深まった時期です。そうした時期であるにもかかわらず、学校教育における民主主義は非常識のままだと五十嵐は危機感を表したのです。どういうことでしょうか。
 五十嵐は、民主主義が教授・教養・教育という学校教育活動全体の中に現れなければならない、といいます。特に力点を置いているのは、民主主義が「教育過程の内部」に入ることです。この主張が示しているのは、「国民の教育権」が結局のところ、国家と教育の関係を中心として、「教育の制度的運営に対する国民の参与の形式」を述べるにとどまる、ということです。例えば、「教育の無償」や「教育の機会の均等」があげられます。たしかに、これらは教育の民主主義的な原則であり制度運営で欠かせないことです。五十嵐は、これらが「教育過程の内部」に「関係がないとは言えない」といいます。しかし、「関係がある」と述べるべく、説明を試みると、教育学としての説明がうまくできない、というわけです。つまり、冒頭で述べたような毎日の教室で一人ひとりを大切にしようとする努力に民主主義を結びつけることが教育学の取り組むべきテーマだ、というのです。】(P.208)

 ⇒T.Satou:勤評闘争や教科書裁判は結局、国家が権力的に教員の活動や教育内容を統制しようとすることに反対し、子どもの教育を行なう権利が父母・国民やその負託を受けた教師にあること、そこに国家が権力的に介入することは民主主義社会の理念に反することを主張したんだと思います。そして国家の権力的介入を排して行なわれるべき学校教育においては、教師が自己の職業的専門性と子ども・親との信頼関係を基盤として教育のあり方を判断し実行するという「教育の自由」を尊重すべきことを主張するものの、その教師-子ども関係や教師-親関係あるいは管理職を含む教師集団全体において《どのように民主主義が実現されるべきか》について、教育学においてもまだ本格的な探求が行なわれていなかった、ということでしょうか。


 さて、ここで城丸が登場します。

【では、民主主義が現実性を失わずに「教育過程の内部」に入る、ということをどのようにイメージすれば良いのでしょうか。そのことについて述べたのが城丸章夫でした。城丸は『講座 現代民主主義教育』の第五巻の中で、現在からするとやや物々しい言葉になりますが、「民主的諸闘争の教訓」の「教育の内容と方法への転化」について述べています。「民主的諸闘争の教訓」とは、五十嵐が述べた「ほんらいの現実性」のことです。次節で城丸の議論を追ってみましょう。】(P.208)


 1-2.城丸章夫の民主教育論
              
 この部分については、城丸の原典についての中村氏の丁寧な紹介・解釈の行論を省略して、末尾部分での中村氏のコメントのみを紹介します。

【城丸が言わんとしているのは、学校外の民主的な「考え方や行動のし方」のモデルは、地域社会の具体的な問題・トラブルで対立したとしても、暴力によらず(民主主義的に)ことに当たろうとする人々(「民主諸勢力」)の姿であり、この姿と学校で教え・学ぶ教師や子どもたちの姿が関連づけ合うような要(媒体)が、求められなければならない、ということです。その「要」として城丸が見出したのが「自治」です。
 民主主義にとって人々が集団の組織と管理の能力を身につけることが欠かせない、という教訓の媒体(「同じ」をつなぐもの)として城丸が主体として考えていたのが自治活動です。五十嵐のいう、民主主義が現実性を失わずに教育過程の内部に入るということは、学校生活の中での自治活動を通じて、ということになります。
 城丸は「教育的指導」を追求した研究者でした。「教育過程の内部」に入るということは、そこに意識的な働きかけが存在するということです。そうしなければ、「転化」するということはありえない、そう考えていました。その意味では、自治活動は、子どもたちが組織と管理の能力を身につける媒体であるだけでなく、教師の働きかけの媒体でもあるのです。その転化を推し進める働きかけの方法が生活指導であり、具体的には、自治活動を通じた「学級集団づくり」と呼ばれる実践形態でした。これが、五十嵐が課題としていた民主主義に関わる「教育的価値」ということになります。付け加えれば、城丸においては、生活指導の「現実性」を保証するものとして、教師自身の民主勢力としての経験が示されています。教師自身が自分の生活・職場に民主的に関わり、「苦労してもがきながら進む」ときに得た教訓が、自治活動を転化の媒体とする生活指導の現実性を保証するというわけです。】(P.214)


2.城丸の教育課程論と学力概念

 本節における中村氏の課題設定は、以下の通りです。

【以上のように、戦後、民主主義を教育に結びつけることはその最初から焦眉の課題でした。その課題にたいして城丸は、当時の人々の「闘争の教訓」に学びながら、教育過程内部に「生活指導」を拓いていくことになりました。この城丸の学問的成果の特徴は、よくある「海外の理論の当てはめ」ではなく、1960年代の日本の社会的現実の中から汲み出し、練り上げたものだというところにあります。
 さて、このような民主主義教育の理論はどのような現代的な意義を持つのでしょうか。わたしは、一つには「学力」概念との関係でその意義が浮き彫りになると考えています。なぜなら、民主主義が「教育過程の内部」に入ったかどうかは、民主主義を子どもたちが身につけたかどうか、言い換えれば学力とどう関係するのか、ということと繋がっているからです。】(P.215)

 ⇒T.Satou:城丸を引き取っての中村氏のこの課題設定は興味深いです。城丸は日本社会における民主主義運動の「闘争の教訓」に学び、それを「生活指導」という形で「教育過程内部」に引き入れ位置づけた。そして中村氏は、それが成功したかどうかを「学力」形成において検証しようというのです。もちろん学力形成は教科指導で、行為行動の形成は生活指導でというような単純な領域区分論は現実に即していないことは私も理解していますが、それでも常識的には教科学習をメインのフィールドとして形成されると考えやすい「学力」を敢えて民主主義教育の成否をはかる焦点と捉えるというのはおもしろいです。


 2-1.「学力と人格」問題

 中村氏は2010年代以降の教育政策を批判して次のように述べます。

【こうした問題の中でもその最たるものは、「学びに向かう力・人間性等」という文言です。「人間性」という文言は重大です。どのような人間であるべきか、その内容を国家が法令などにおいて扱うことは、20世紀の二つの世界戦争を経て、強く戒められてきたからです。】(P.216)

【つまり、「資質・能力」という学力モデルは、それが人格に相当するまでに膨張することを妨げません。学力がそのまま人格と重なってしまうのであれば、学力テストによる数値評価が当然視される今日の状況下では、人格が測定可能で、評価可能であるような、そういう酷い誤解を招き、ひいては学校教師に人々の人生の選別を許すという甚だしい過ちすら招きかねません。】(P.216)

 そして中村氏は、教育基本法に教育の目的規定として「人格の完成」と書かれていることに言及しつつも、以下のように注意を喚起します。

【確かに、大きくは、教育は人格形成にかかわる営みです。それでも人格と学力を結びつけることには慎重さが求められるのです。なぜでしょうか。
 人格を人格たらしめているものの一つに「思想」というものがあります。思想は、誰にも奪われてはいけない、そのひと自身であることの根本的な要素の一つとされています。民主主義社会では、基本的人権として思想・信条の自由が保障されているのです。
 どんなひとも思想を持っています。思想をもたない人などいません。子どもであっても子どもなりの思想をもっています。そして、どのような思想をもつかは、その人の自由として保障されなければならないのです。そして、これは、現代社会の教育の基本原則です。人格の完成を、あくまでも大きな方向として、目指しつつも、子どもの思想の自由を私たちは厳に保障しなければならないのです。この原則から見ると、この「資質・能力」論には、思想の自由の保障という視点が欠落しているのです。】(P.216-217)

 さらに中村氏は中内敏夫による「教育」【人格形成に関わるとしても、個人の思想の自由を保障することに注意を払う文化・科学の伝達のあり方】と「教化」【個人に優先して既存の社会集団の都合を優先するあり方】(P.217)の区分を紹介し、「資質・能力」は【「教育」ではない可能性が濃厚】と指摘します。

 こうして最近の教育政策動向を批判しながらも、中村氏は【この学力と人格をめぐる問題は、「資質・能力」論に特有の問題ではなく、先例があります。】(P.218)として、次のように述べます。

【この問題は、民主主義の教育と不可分の関係にあるのです。民主主義も「思想」だからです。民主主義教育論がかつて熟考した学力と人格をめぐる問題を再訪することは、「資質・能力」の育成を求められて困惑する教師たちにとってきっと手掛かりになるはずです。】(P.218)

 そして中村氏は、【私の見るところ、民主教育を追求した城丸は、この問題を視野に入れつつ、教育的指導を具体的に明らかにしようとした教育学者でした.。】(P.218)と指摘し、そのことを坂元忠芳『学力の発達と人格の形成』(1979)における以下のような坂元の城丸評価によって裏づけています。

【城丸は、まず、1960年代当時の「人格」概念が教養主義的であり、加えて人権意識、労働能力、さらに社会的行動能力などを欠落させていることから、主知主義的であると問題視しました。
 ここでいわれる主知主義的な人格把握とは、人格を、認識と行動という能力のうち、認識つまり「知」を主体として捉えようとすることです。その問題とは、人格形成をもっぱら思想とそれを構成する認識の形成として捉え、そのために、思想が一定の人間関係のなかでの行動の変化と結びついていることを軽視してしまったことです。城丸は、これを問題とし、60年代の人格形成論における一面性、すなわち「陶冶〔認識の指導〕だけで人格を変えることができるという一面性」(坂元1979:224)を批判したのです。そして、思想(認識)と行動能力の両者を切り離さずに、なおかつ行動能力との関わりで人格形成を構想するべきだと主張しました。坂元は、城丸のこの方向性が、従来の民主教育研究内にあった人格理論の主知主義的傾向を批判する重要な観点だった、と評価しています。】(P.219)


 2-2.思想と行動能力の統一的把握
  (1)思想と行動能力の統一としての人格


 中村氏が紹介している以下の2つの引用は、城丸が執筆したと思われる全生研常任委員会『学級集団づくり入門 第二版』(1971)の「生活指導の目的」の一部です。

【思想と行動能力との統一されたものが人格である。人間はこの両面を発展させるとともに、絶えずその統一をめざさなければならない。そしてこの統一にあたっては、社会的行為・行動は決定的に重要である。なぜなら、いかに行為・行動するかこそが、彼の思想の決着をつけるものだからである。思想は行動を導きつつ、行動において実証をもち、社会的責任を負うものとなるからである。しかも、行動は一定の行動能力なしには成立しない。】(P.220 原著P.25)

【民主的思想と行動能力を発展させるものは、民主的行動そのものである。行動において行動能力が形成されるだけではなく、行動は思想の産出者であり、思想のもつ抽象性や一面性に対して具体的であり豊富であり、思想を支えつつ思想をのりこえる性質をはらんでいるのである。】(P.221 原著P.25-26)

 さらに中村氏によれば、城丸は「生活認識と価値観の形成」(1967)の中で思想(子どもの)について以下のように書いています。

【子どもの人格形成を考えた場合に、思想の形成ということがたいへん重要なものとなる。ここで思想というのは、既成のあれこれのイデオロギーという意味ではない。さしあたり、子どもの見方・考え方のことだとしておこう。ようするに、子どもは子どもなりに、現在までに持っている認識を、何らかの形で概括し、それなりに事物についての見解を示す。それは、「お母さんは苦労している」とか「自動車が通る道は危険だ」とかいうふうに「母」とか「道路」という局限されたものについての概括に始まって、次第に自然や社会についての統一した見解に近づいていく。】(P.222 原著P.173)

 ⇒T.Satou:ここで突然、おぼろげな記憶が蘇ってきました。40数年前の卒業論文「社会科教育における児童の認識形成過程についての検討」(1977)に取り組んでいる過程でのことだと思います。鈴木喜代春『社会科の新しい研究授業』 (1960)で紹介されていた子どもの作文に見られる認識の実例だったんじゃないかと思います。高度成長が始まり農業の機械化も進行する中での農家の小学生の話です。当時はまだ牛を飼う農家もあり、牛糞は肥料としても活用されていました。しかし牛に代わって機械を導入した農家もあり、その子の家では牛はおらず機械を使っています。そのことについて、その子は「牛ボロ(=牛糞)ないから、おらの家は景気が悪い」と書くのです。牛を飼うと牛ボロが取れる→でもうちの家には牛がおらず牛ボロが取れない→だからうちは景気が悪い、というわけです。この子どもの認識の世界には農業機械化の事実認識が含まれていません。だから社会科の学習の視点からは「一面的な認識」と捉えることもできるのですが、しかしこの子が「牛ボロ」と「景気」を結びつけてわが家の経済についての一つのまとまった認識を形成したことはまちがいないですよね? 誤謬を含んでいるけれども、自分をとりまく世界の事実と事実を結びつけながらあるひとまとまりの「概括」(城丸)を形成し、「事物についての見解を示す」(同)。そういう思考の働き(の積極性)に注目し、高く評価すべきではないか。卒業研究当時、私は城丸を読んでいませんでしたが、城丸の言う子どもの「思想」と、私が注目した子どもの認識の働きとは、それほど遠くないように思います。
 突然の脱線で読者には迷惑かと思いますが、いまこの文章を書きながら手元の卒業論文を見直してみて再発見した一節を紹介させて下さい。卒論「第二章児童における社会認識の発達と学校教育の役割 第二節学校教育における社会認識の指導」の中で、教育科学研究会第4回全国研究集会(1959)「社会と認識」分科会の議論を紹介している部分です。


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 1959年の「社会と認識」分科会で提起された仮説においては、社会認識の発達の筋道を、児童の「生活経験に基づく認識から出発して高次の社会科学的概念」に到る過程としてとらえられていた。そこでは、児童のありのままの生活経験が「社会認識の端緒的形態」として重視されていた。たとえば、「おらの家は景気が悪い。」という児童の作文における表現には、社会的な経済構造の中に自分の家の経済状況を位置づけようとする認識活動であると考えられた。児童の社会認識に関しては、彼らの視野が地域の生活に「釘づけられ」ており、さらに彼らが家庭の文化的、経済的環境の影響をさまざまな形で受けているために「かたより、ゆがみ、分裂、混乱」を持っていると考えられた。故に、いきなり科学的概念を学習に持ち込んでも、「子どもの現実との間に隙間を作る」ことになり、詰め込み教育に終わる危険があるとされたのである。
 *印の引用箇所の出典は全て、大槻健「『労働』概念の形成と科学的認識」(『教育』No.109)
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 卒論執筆当時、京都大学教育学部図書館所蔵の『教育』バックナンバーをコピーしまくってかなり広範囲に手元に置いていた教育科学研究会関連の論文や報告資料等も、その後の職場の異動や研究関心の変遷の中で、特に2019年度末に最終的に大学の研究室を撤収する際の大規模断捨離作業で多くを手放してしまいました。今も少し書斎を探してみましたが、上記の大槻報告は発見できませんでした。「おらの家は景気が悪い。」という子どもの一言は正確に覚えていましたが、1959年の教科研「社会と認識」分科会でそのことを報告したのが私の記憶通り鈴木喜代春氏なのかどうかは確認できません。また大槻による分科会討論の記録全体を正確にトレースすることもできません。ですからあくまで私の卒業論文のレベルでの理解をくり返すことになりますが、「おらの家は景気が悪い」に見られる子どもの認識がありのままの生活経験に基づく
「社会認識の端緒的形態」と位置づけられ、社会的な経済構造の中に自分の家の経済状況を位置づけようとする認識活動であると考えられたのです。そこには、「かたより、ゆがみ、分裂、混乱」があるけれども、そこにいきなり科学的概念の学習を持ち込んでも「子どもの現実との間に隙間を作」り、詰め込み教育になると警鐘が鳴らされたのです。
 残念ながら1960年代に入って教科研の社会科研究では上記のような生活現実に規定された子どもの認識を丁寧に指導する考え方は受け継がれませんでした。それはまた戦後民間教育研究運動における大きな総括課題だと思うのですが、ここでの議論から外れるので言及を打ち切ります。
 なお、別の「学習ノート」にも書いた記憶があるので詳しくは申しませんが、私自身が上記のような子どもが生活の中で形成する素朴な認識、ひとまとまりのものの考え方に注目するのは、京都大学教育学部の学生・院生だった1970年代に「芦生
(あしゅう)グループ」のサークル活動で京都大学農学部演習林がある北桑田郡美山町芦生に年数回入り、そこで複式学級に学ぶ子どもたちと遊び交流しながら彼らの言葉、ものの考え方に触れたことが大きく影響しています。

 1950年代後半の教科研においては「認識」「社会認識」に関わる問題として議論が行なわれたのですが、城丸は子どもの
「思想」の問題と位置づけています。ここで私の個人的な研究史回顧談から中村氏による城丸紹介・解釈に戻ります。


 一つ前の城丸の引用に続いて、中村氏はそこに言う「概括」は城丸独自の言葉遣いだとして、さらに城丸の次の文章を紹介します。

【思想は、考えたり研究したりする上での方法となるだけではなく、人間が生きていくための生きかた、すなわち、実践の方向性や指針を示すものとなり、また実践への用意ある態度となる。「お母さんは苦労をしている」というい概括は、その背後に、「だから、わたしはお母さんに、こんな態度で接しよう」とか、「こうしてあげたい」という実践の方向性や態度を秘めている。思想は、このように、認識のたんなる概括ではなくて、人間主体を動かす概括である。】(P.222 原著P.174)

 この引用を受けて、中村氏は次のようにコメントします。

【概括とは、「さまざまな事物を共通した性質から概念としてまとめること」を意味する哲学用語ですが、城丸は、「概括」を、事物にたいする認識のたんなる一般化ではなく、同時に行動(「実践」)の方向性を示し、態度を含んで、人間を動かすものと考えています。つまり、思想は、認識を素材とし、それらをまとめ上げつつ実践の方向性を示す「概括」だと考えられているのです。(中略)無数の概括のあつまりが思想だという事になります。】(P.222-223)

 ⇒T.Satou:「概括」の語から私が記憶を辿って思い出したのは、以下の文献の一節です。

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川合章・城丸章夫編『講座 日本の教育 5教育課程』(新日本出版社 1976)所収
 水内宏 第一章 教育課程の基礎理論
  二 教科の本質とその編成 3 教科における知的概括と指導の系統性 <1 教科における概括の重要性
>

 (前略)
 こうみてくると、教科の系統性-教科内容の系統的な編成と、内容の系統的な指導-の確立のための基本原則を明確にすることが、民主教育とその教育課程論にとって必須の課題となってくる。
 教科の系統性の確立にとってカナメともいうべき重要な観点は、教科における概括を重視することである。概括が欠落すると、既習内容の必然的な発展としての新しい学習の成立という系統学習の要諦が危うくなる。学習指導要領や文部省編の各教科指導書には、この概括という観点が不十分である。教科は系統的でなければならないが、「系統的」とは本来、「すでに学んだことの(以下3文字に傍点)必然的な発展として新しいことが学ばれる」(傍点は原文)ことをさす*。ということは、既習内容それ自体の内部に、次の学習の推進力が形成されていなければならない。そしてそのような推進力を形づくるのが、概括、あるいは整理や総合にほかならない。
   *城丸章夫「低学年の教科と授業について」『教科経営の創造・1年』国土社、1969年、9ページ
 概括や総合は、一連の分化を経たのちの過程としてとらえられがちであるが、そのような過程としてのみ
(以下2文字に傍点)把握されることは機械的・一面的にすぎる。分化のプロセス自体が、実はその内部に概括や総合をともなうべきことを見落としてはならない。分化された諸要素の学習の各ステップは、それまでに学習した諸要素についての概括を同時的・並行的にともなうことなしには、学習者にマスターされないのである。概括しながら分化していくのである。従来、認識過程論として、個別的・具体的認識から一般的・抽象的認識へ、ということがいわれたが、教科における認識発達の実際に即してみるとき、このテーゼは一面的で不十分である。個別的・具体的認識自体、概括をたえず並行せずしてはゆきづまるものとみなければならない。
 学習指導要領や指導書の重大な欠陥は、「現代化」や「系統性」をいいながら、概括や整理の問題を無視してきたことにあり、それが今日、授業についていけない子を大量に生みだす有力な一要因となっている。これに対して、近年、「総合」の必要性と「総合学習」の設置を主張する動きがあるが、その意図としての一面の積極性は評価されてしかるべきである。しかしながら、複数教科間の「総合」や「総合学習」を真に意味あるものにするためにも、それ以前に、一教科内部における概括・総合をこそ重視することが重要である。
 本来、一時間一時間の授業のなかにも概括がなければならないし、すぐれた教師は日常の実践としてそれを行なっている。指導要領や指導書、教育課程の諸プランは、そうした教師の努力に示唆と方向を与えるものでなければならない。また一時間一時間ごとの、あるいは単元ごとの概括や整理が遂行されてこそ、高学年における本来の総合も生きてくるといわねばならない。
 概括の重視は、認識の量から質への転化を促進する。すなわち教科においては、個別的な認識のつみあげをふまえ、認識全体の質的転換が見通されねばならないが、それは概括の遂行によって可能となる。量から質への発展は、認識の内実としてみれば、それは、子どもが事物を概念として把握し、一定の法則をつかんだことを意味する。そして獲得した概念・法則の駆使による新たな認識の形成への意欲と展望がひらけてくる。ここにおいて、子どもの認識発達にとって一つの
(以下2文字に傍点)ふし(節)が形成される。自然や社会をとらえる結節点=(以下2文字に傍点)ふしになるような基本的な概念や法則をあきらかにしていくことが、今後の教科論に課せられた課題である。
 なお概括の重要性は、知的学習(科学的認識)の場合だけでなく、芸術的認識や技能の学習についても基本的にあてはまる。ただ科学的認識が、主体として言語を介しての法則的認識や概括を特質とするのに対し、芸術的認識の場合は、音・色・形など形象を通しての事物の認識という点で特徴的である。また認識主体の「感情についての概括」をふくんでいるという点でも、特徴的である。しかし、非本質的なもの、基本的でないものをふるいおとし、本質的・基本的なものを識別してとりだすという概括固有の特質は、芸術的認識、技能の学習、科学的認識の三者に共通している。(P.52-55)
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 上記引用の最初から2段落目では、 中村氏が援用した文献とは別のものですが、城丸の論文が引用されています。がしかし、該当部分は「系統的」とは何かについての城丸からの引用であり、「概括」に関係する引用ではありません。そして上記の水内宏論文の「概括」に関する説明を読み進めてくると、やはり城丸の「概括」とは議論のステージが異なるように思われます。上記水内論文の引用の末尾部分には、「非本質的なもの、基本的でないものをふるいおとし、本質的・基本的なものを識別してとりだすという概括固有の特質」という総括的な「概括」の概念規定があります。しかし、先に紹介した中村氏のコメントを再度引用すると...
【概括とは、「さまざまな事物を共通した性質から概念としてまとめること」を意味する哲学用語ですが、城丸は、「概括」を、事物にたいする認識のたんなる一般化ではなく、同時に行動(「実践」)の方向性を示し、態度を含んで、人間を動かすものと考えています。つまり、思想は、認識を素材とし、それらをまとめ上げつつ実践の方向性を示す「概括」だと考えられているのです。(中略)無数の概括のあつまりが思想だという事になります。】(P.222-223)
とあり、「概括」とは「事物にたいする認識のたんなる一般化ではなく、同時に行動(「実践」)の方向性を示し、態度を含んで、人間を動かすもの」であるというのが城丸に基づく中村氏の説明です。
 もちろん、研究上の行論の文脈を無視して教育学におけるの
「概括」定義として城丸論が水内論が正しいかというような議論の仕方は意味がないと思います。
 水内は最初から教科学習について論じています。水内は城丸を援用しながら
「『系統的』とは本来、『すでに学んだことの必然的(●●●)な発展として新しいことが学ばれる』ことをさす」と指摘し、これまでに行なってきた学習活動がこれからの学習活動に必然的につながっていくと子どもたちが納得しながら学習過程を歩んでいくために、「分化された諸要素の学習の各ステップは、それまでに学習した諸要素についての概括を同時的・並行的にともなうことなしには、学習者にマスターされない」と述べています。私はこれはものすごく重要なことを言っていると思います。例えば教科の授業の中で、うまく具体例を挙げられませんが、「そうか! 先生、これはこないだ習った○○と繋がってるんだね」と子どもが膝を打って納得するようなそういう学習体験。現実にはなかなかそういう興奮を伴う体験は起こせないかもしれませんが、水内はあることを学習するときに、以前の学習内容と結びつけたり以前の学習の意義を意味づけたりすることを意識的にやろう、それによって子どもはいま学んでいることの意義を意識し自覚できる、と言っているように思うのです。また、その意識的努力なしには、過去の学習は速やかに忘却のかなたに去っていってしまう、ということじゃないでしょうか。また逆に言うと、以前の学習経験と結びつけ・意味づけることによって子どもたちの学びの世界を豊かに広げていけるような学習内容でないと学ぶ意味がない。そういう視点からの学習内容の厳しい吟味を教師など教える側に求めているんじゃないでしょうか。水内はそうした「概括」作業を毎時間の授業の中で行なわなければならないとしています。単元の導入とか総括という節目だけではなくて、毎時間の学習活動に必然的に「概括」の活動が含まれていなければならないというのです。こういうことがきちんと行なわれて、子どもたちが毎時間うんうんと頷きながら学んでいくさまを想像すると、私はわくわくしてしまいます。
 ところで、そのような
「概括」は、教科学習の中で具体的にどのようにして、どのような場面で成立するのでしょうか。水内は「既習内容それ自体の内部に、次の学習の推進力が形成されていなければならない。そしてそのような推進力を形づくるのが、概括、あるいは整理や総合にほかならない。」と書いています。とすると、教科内容を選択し編成する教師が学習活動における「概括」の機会を意識的に設定する必要があることは自明でしょう。しかし、具体的な学習場面における「概括」の展開としては、「みんながいま学んでいるAというこの内容は、先日学習したBという内容とこのように関係しているんだよ」と教師の口から説明するだけでは、やはり決定的に不十分でしょう。子どもたち自身が学習内容相互の結びつきや意味を発見するよう導くような学習過程は、教師からの一方的説明よりはましでしょうが、予め構想した「発見過程」を辿らせるというのでは、子どもたちは教師が期待するように興奮したり喜んだりしないかもしれません。大きな学習の流れを、子どもたちがその都度「概括」を行ないながら辿っていけるように設定するとしても、「学んだことの繋がりや自分にとってのその意味を発見し納得し、次の学習の推進力にする過程」は一人ひとりの子どもにおいて個性的なものになるはずです。
 水内はそうした
「概括」という学習活動の一人ひとりの子どもにおける個性的な展開ということについては述べていません。それよりも「概括」を可能にする科学的な共通の学習過程をいかに構成するかに関心を集中しているように思われます。中村氏が紹介している城丸の「概括」論の方が9年早く発表されており、水内は「概括」を論じた上記論文の中で別の城丸論文(「概括」に関する論文の2年後に発表)を援用しているものの、城丸の「概括」論自体には言及していません。
 水内論文で子どもの側から見た学習活動としての「概括」の具体的イメージが明確でないことを上で述べましたが、さらに言うと、水内論文では「概括」があくまでも学校における教科の学習活動の中でのことがらとして捉えられているのか、それとも「概括」は学校外を含む子どもたちの生活全般の中での試行錯誤や経験の蓄積とも積極的な関係をもちつつ意識的にすすめられるものと考えられているのかが明確ではありません。仮にそこまで意識的に視野を広げて論じられていたら、城丸の《子どもの思想を構成するものとしての概括》という発想ともっと接点ができたのではないかと、勝手に残念に思います。


  (2)教科外の教育(行為・行動の指導)と教科の教育(思想形成にかかわる指導)

 城丸は教育課程を以下のように把握します。

【教科の授業は、主として子どもの認識や技能を指導する。これに対して、生活指導は主として子どもの行動を指導する。】(P.223 原著:全生研常任委員会『学級づくり入門 第二版』 城丸章夫著作集第3巻所収 P.34)

 城丸のこの教育課程把握について、中村氏は以下のように述べます。

【ここで城丸は、思想と関わりがある認識の指導を教科へ結びつけ、他方で、行動を生活指導すなわち教科外教育へ結びつけ、教育課程の二つの領域の基本的な違いを把握します。この把握は注目に値します。教育学では、通例、二領域を陶冶と訓育の違いとして把握するのですが、城丸は「指導」の違いに結びつけるのです。これは独自の把握といってよいと思います。】(P.223)

 私は40年以上にわたって自らを「教育課程研究者」と名乗ってきましたから、中村氏に従って城丸の教育課程把握を改めて学んでいる必要があります。城丸には『やさしい教育学 上』(あゆみ出版 1978)の中に「第七章 教育課程」がありますが、中村氏は行論の前の部分から続いて全生研常任委員会『学級集団づくり入門 第二版』(1971 城丸著作集第3巻所収)を典拠としています。本節の末尾まで、引用は全て同書からなされています(引用文中では中村氏の「同右:○○」の表記を「原著P.○○」に変えました)。
 以下、当分の間中村氏の行論のほとんど全文を引用する形になってしまって恐縮なのですが、行論の中に私が最近改めてきちんと学び考えたいと思っている「人格」の問題も登場しますので、問題を正確に捉えるために、つまみ食い的に抜粋してしまわずに、ほぼ全文引用とさせていただきます。

 まず教科外教育について。

【城丸は、生活指導を、「行為・行動の指導によって、民主的人格を形成する教育活動である」とし、以下のように述べます。

   行動は、こうした人間自身を教育する教育力=自己形成力をもっている。生活指導は、この教育力を作用  させて民主的人格を形成することに、大きく寄与しようとするものである。(原著P.34)

 注目すべきは、「行動」それ自身が「自己形成力」をもつというところです。ここが、「行動は思想の産出者」であり、「思想をのりこえる性質をはらんでいる」という先ほどの主張の要となっているところなのです。
 城丸は、この<行動がもつ教育力の作用のしかた>を、「人間は環境を変更することによって自己自身を変更する」という視点から、「働きかける者が働きかけられる」と定式化しています。
 この<行動による変化>は、「自己自身」に起こるというのですから、その人のある特定の行動だけが変化するというわけではありません。城丸は、「対象に働きかけることによって影響され変更されるものは思想と行動能力の全体、すなわち、全人格である」(原著P.34) と言います。
 なぜ、対象に働きかける行動が人格全体へ変更をもたらすのでしょうか。城丸は、「行動というものは、行動することによって、ある社会関係を作り出したり、修正したり、廃絶したり、あるいはまた、その社会関係を強化したり、弱化したりするものである」(原著P.37)といいます。
 加えて、この「社会関係」は強い影響力を持っており、人間の行動はその影響を免れることができず、加えて人間の思考をも規定するといいます(「社会関係のもつ人格への影響力」)。すなわち、社会関係と行動は、相互規定的な関係にあるというわけです。ノイラートの船のように「社会関係という土俵の上でおこなわれ、しかもその土俵そのものを変更するのが行動なのだ」(原著P.38)と。
 この相互規定的関係をもとに、「働きかけることによって社会関係、あるいは関係のあり方が変更され、そのことによって、働きかけた人間の思想と行動が強く規定される」(原著P.38)と把握するのです。行動による社会関係の変更は、人格を規定するものの変更と不可分である。すなわち人格に変更を(以下5文字に傍点)結果としてもたらさざるを得ない、と。これが、行動が主体に対する自己形成力をもつということの内容です。
 これを踏まえて、城丸は生活指導の役割を次のように述べます。

   生活指導は、子どもの行動を指導することによって、行動にともなうものとして、いかなる社会的関係が発生し、あるいは変更されるかについて、深い注意を払うものである。また、意図的に民主的社会関係を作り出させ、発展させることをとおして、子どもの思想と行動の「総体」を民主的なものとして形成しようとするものである。(原著P.38)

 教育=意図的働きかけとして、民主的な社会の担い手を育てる生活指導とは、民主的な社会関係を子どもたち自身が作り出すよう、行動に働きかけることだと言うのです。その働きかけの結果としての社会関係の変更は、子どもたちの行動と思想の総体に、影響を及ぼしていく。その指導は、あくまでも間接的に、結果として、人格の形成に関わる。これが城丸の民主的人格の形成論でありそれを踏まえた教育論ということになります。】(P.223-225)

 頭を整理するために、もう一度上記の行論の流れを辿ります。
①[城丸]生活指導=行為・行動の指導によって、民主的人格を形成する教育活動。
②[城丸]行動は自己形成力(人間自身を教育する教育力)をもつ。
③[城丸]生活指導は自己形成力を作用させて民主的人格を形成する。
④[中村]「行動」が「自己形成力」をもつことが、「行動は思想の産出者」/「思想をのりこえる性質をはらんでいる」という城丸の主張の要。
⑤[城丸]行動がもつ教育力の作用のしかた=「働きかける者が働きかけられる」(「人間は環境を変更することによって自己自身を変更する」という視点)。
⑥[中村]行動による変化は、「自己自身」に起こる⇒ある特定の行動だけが変化するのではない。
⑦[城丸]対象に働きかけることによって影響され変更されるもの=思想と行動能力の全体、すなわち、全人格
⑧[中村]なぜ、対象に働きかける行動が人格全体へ変更をもたらすのか?
⑨[城丸]行動によって、ある社会関係を作り出したり、修正したり、廃絶したり、その社会関係を強化したり、弱化したりする。
⑩[城丸]「社会関係」は強い影響力を持っており、人間の行動はその影響を免れることができず、加えて人間の思考をも規定する(「社会関係のもつ人格への影響力」)。
⑪[城丸]社会関係と行動は、相互規定的な関係にある(社会関係という土俵の上でおこなわれ、しかもその土俵そのものを変更するのが行動)。
⑫[城丸]働きかけることによって社会関係、関係のあり方が変更され、そのことによって、働きかけた人間の思想と行動が強く規定される。
⑬[中村]行動による社会関係の変更は、人格を規定するものの変更と不可分(人格に変更を(以下5文字に傍点)結果としてもたらさざるを得ない)=行動が主体に対する自己形成力をもつということの内容
⑭[城丸]生活指導は、子どもの行動を指導することにより行動にともなっていかなる社会的関係が発生し、あるいは変更されるかについて、深い注意を払う。また、意図的に民主的社会関係を作り出させ、発展させることをとおして、子どもの思想と行動の「総体」を民主的なものとして形成しようとする。
⑮[中村]民主的な社会の担い手を育てる生活指導=民主的な社会関係を子どもたち自身が作り出すよう、行動に働きかけること。
⑯[中村]働きかけの結果としての社会関係の変更は、子どもたちの行動と思想の総体に、影響を及ぼす。
⑰[中村]その指導は、あくまでも間接的に、結果として、人格の形成に関わる。

 各項目の最初に付した[城丸][中村]のタグは、前者が城丸の主張の紹介、後者が中村氏の解釈ですが、区分はあくまで相対的なものです。最後の⑰は、この後の行論に繋がっていく新たな論点です。
 ⇒T.Satou:教育課程の二領域を粗っぽく「教科指導」「生活指導」としておくと、私自身はこれまでの40数年の研究活動の中で、生活指導については横目に見て、教科指導に関心を集中してきました。もう少し突っ込んで書くと、子どもの行為・行動の指導については、学習活動の指導と密接不離のものであることは理解しながらも、行動そのものを指導するという教師の活動の理論的把握については自分自身の中心課題とすることを避けてきました。ですから上記17項目にまとめた城丸の主張と中村氏の解釈について、自分なりの足場からの意見を言うことができないでいます。
 行動というものが人間の生活の中で重要な意味を持つということは、67歳の社会人としての常識レベルではもちろんわかります。あるいは、これまでの研究生活の中で読んできた教育実践記録に登場する子どもたちや教師たちの行動とその変容を感動とともに受け止めたことも多々あります。また自分の30数年間の大学教師生活の中で、
「行動は自己形成力をもつ」ことも、「働きかける者が働きかけられる」という実感も十分に味わってきました。
 にもかかわらず
「行動」を自分の教育学的考察の正面に据えたり、そこから理論構築をすることに積極的になれないのはなぜなのか? 自明とのことして動的である教育事象について、自分自身は結局静的に観照することを望んでいるのか? 自分でもよくわからないのですが、こうして城丸と中村氏の主張をほぼ写し取り、さらに項目に整理してみてもなお、「行動の指導」に関する自分独自のとば口を見つけることができないのです。しかしながら、行為・行動の指導/形成の含めての人格形成については、とても関心があるのです。このことについて自分としてはどうしようもないため、このまま中村氏の行論を追い続けていくことにします。

(まもなく、『民主主義の育てかた』のオンライン合評会が始まります。合評会までにこの学習ノートを仕上げられればよかったんですが、とても時間が足りませんでした。合評会参加後もさらにノート作成を続けます。)


 さて、ここから城丸における「思想」と「指導」の関係についての中村氏の考察となります。

【教育=意図的働きかけとして、民主的な社会の担い手を育てる生活指導とは、民主的な社会関係を子どもたち自身が作り出すよう、行動に働きかけることだと言うのです。その働きかけの結果としての社会関係の変更は、子どもたちの行動と思想の総体に、影響を及ぼしていく。その指導は、あくまでも間接的に、結果として、人格の形成に関わる。これが城丸の民主的人格の形成論でありそれを踏まえた教育論ということになります。】(P.225)

 ⇒T.Satou:上記の間接的(下線は佐藤)という語に引っかかりました。
 (社会関係の変更→結果として子どもの行動と思想の総体に影響)の指導は、
 間接的に人格形成に関わる
これは城丸の民主的人格形成論+それを踏まえた教育論についてのまとめとして述べられていることですが、ここでの「間接的」という表現はこれまで出てきていなかったのではないかと思い、関連すると思われる部分を少し遡ってチェックしてみました。これまでの私の行論で引用していなかった部分と、繰り返しの引用になる部分の2箇所を紹介してみます。

【形成といったとき、働きかけのある教育とは異なり、その人の自由において、なおかつその自由とは独立に、人格や思想が形作られることをいいます。後で述べますが、このことを城丸は「働きかける者が働きかけられる」と端的に表現しています。】(P.218-219)

 ここは形成と教育の関係を述べた部分で生活指導について述べた部分ではないのですが、意図的働きかけである教育と区別される形成においては、「その人の自由において」「なおかつその自由とは独立に」人格や思想が形成されると述べています。「自由とは独立に」ともあるところから、子ども自身の意識や行動に対して意図的教育とは別に様々な影響を与える社会的諸作用(形成)とのかかわりにおいて、人格・思想がかたちづくられていく(ここで「形成される」と書くとややこしいので敢えて別の言い方をします)ということを含む。教育という意図的働きかけからは二つ(二重)の意味において独立した営みとして、すなわち一方で「自由において」ということで意図的教育の単なる結果ではなく生きる主体である子ども独自の判断・選択等において、そして他方において、主体の自由のままにではなく、子ども自身の自由な意識や行動の展開とは別に様々な社会的諸作用の影響を受けながら、人格・思想はかたちづくられていく、というものです。
 社会の形成作用との関係は少し横に置くとして、「その人の自由において」人格・思想を形成するということが、裏返して言うと教育(生活指導)は子どもの人格を直接かたちづくることはできず
「間接的」にそれに関わるということですね。

 二つめは、城丸の引用です。

【行動は、行動した人間自身を教育する教育力=自己形成力をもっている。生活指導は、この教育力を作用させる民主的人格を形成することに、大きく寄与しようとするものである。】

 上記引用を語群を入れ替えて整理すると、以下のようになります。
 「行動」には「自己形成力」(行動した人間自身を教育する教育力)がある
 ・この「教育力」を作用させるのは「民主的人格」である
 ・
「生活指導」は、「民主的人格を形成すること」に寄与しようとする

 つまりは「生活指導」の教育的働きとは、「行動」による「自己形成力」を作用させるところの「民主的人格」を子どもが形成していくことに「寄与」することであり、「寄与」とは直接的に働きかけて結果を作り出すことではなくあくまで「間接的」な働きかけだ、ということですね。

 私自身は、中村氏がこの部分の行論において典拠としている全生研常任委員会『学級集団づくり入門 第二版』(1971)をたぶん退職時の断捨離の中で手放してしまい手元にないため、取り敢えず手元にある城丸『やさしい教育学(上)』(あゆみ出版 1978)の中で関連しそうな部分を探し、以下を見つけました。つまみ食い的で恐縮ですが紹介します。

【人間が人間に働きかける目的・方法は多様であり、必ずしも教育を目的としているものではありません。勤労大衆にとっては労働を目的として人間相互が働きかけあうことが、いちばんふつうの働きかけあいでありましょう。そして、この労働のための働きかけあいのなかでは、教育を目的としてはいないけれども、私たちの人格への深刻な影響を受けます。教育学的にはこれを<平行的形成>と呼んでおきましょう。教育実践を分析・研究するにあたっては、この<平行的形成>を見落とさないことが大切であります。】(P.26-27)

【教育的働きかけには、相手の認識活動や思考活動に直接に働きかける方法と、相手の行動に働きかけて、行動のなかで平行的に形成されるものを望ましいものにしようとする方法の、ふたつがあります。】(P.26)

【いま、家族のためにたくあんを試食した主婦を想定してみましょう。彼女は直接には、その味を知ります。行動としてはそれだけのことです。しかし、この行動が同時に諸認識・諸能力を総合・統合するという彼女の主体内部の動きと、家族に対する責任感や愛情を育てたり、主婦としての<座>を強めるという働きとを、生み出していることを、認めないわけにはいきません。とくに、家族集団とのかかわりは重大であります。大げさないい方をすれば、
(以下7文字に傍点)たくあんの試食という行動は、味を知ることと平行して、主婦としての人格、主婦としての風格の形成をしているのだといってよいでしょう。先に、私が平行的形成は人格形成にかかわることが多いという意味のことをのべた理由は、ここにあります。
 なお、ここでは、行動がもつ認識や行動能力の統合と社会的関係の対応の問題とをふたつ分けて書きましたが、現実には両者は深くかかわりあっており、そのかかわったちからが、平行的な作用として、人格形成に大きくかかわるのだと考えます。また、これらの平行的形成は、働きかけた人間の主体内部に、いわば、自動的におこる
(以下4文字に傍点)ことがらであるという意味で、伝達による認識や技能の学習とは区別されます。
 「働きかける者が働きかけられる」ということばがありますが、私は、このことを、とりたてて平行的形成にかかわることばとして尊重したいと思います。】

 もちろん、城丸の「平行的形成」論を理解するためには上記の引用の提示だけでは不十分だと思いますが、 取り敢えず私の中村論文理解として、「相手の行動に働きかけて、行動のなかで平行的に形成されるものを望ましいものにしようとする方法」と城丸が言う教育的働きかけ(訓育)においては、
 ・子どもの行動に働きかけるのは教師
 ・子どもは行動のなかで(思想・人格を?-佐藤)形成する
 ・教師はそれ(思想・人格?-佐藤)を望ましいものにしようとする
 ・(佐藤の解釈)しかし教師はそれを「望む」けれども子どもの思想・人格を直接変更することはできない。それは主体の行動のなかで「平行的に形成」されるものである。
 ・「平行的形成」は、「働きかけた人間の主体内部に、いわば、自動的におこることがら(●●●●)」であるから、他者(教師など)によってコントロールできるものではない。
 ・(佐藤の解釈)だから教師が子どもの思想・人格の形成について願い・望みを持つとしても、それを教師の指導によって直接的に達成することはできず、教師の関わり方はあくまでも「間接的」である。

 以上、中村氏の城丸生活指導論解釈としての 「あくまでも間接的に、結果として、人格の形成に関わる」という一節について自分なりに理解を深めるために、廻り道をしました。しかし廻り道の部分は、たぶん私自身にとっては次の部分を理解する上で役立つと思います。
 次に進みます。


【城丸は、人格形成と教育の違いに自覚的でした。それゆえその著作のどこにも「思想を指導する」という言い方は見られません。あくまでも、教育としての意図的働きかけの対象は、社会関係と不可分の行動にあります。その行動を通じてどのような思想を形成するかは子どもの自由に委ねられているのです。】(P.225)

 その上で中村氏は、自らが先に「思想と関わりがある認識の指導を教科へ結びつけ」(P.223)と自ら書いたことに言及し、【まるで城丸が「思想を指導する」と考えていたかのように読めます。】(P.225)と自らの文章を第三者的に論評します。

 ⇒T.Satou:中村氏がわざわざ想起した2ページ前の記述は、実は教科指導に言及している箇所です。もう少し枠を広げて引用してみると、【ここで城丸は、思想と関わりがある認識の指導を教科へ結びつけ、他方で、行動を生活指導すなわち教科外教育へ結びつけ、教育課程の二つの領域の基本的な違いを把握します。】(P.223)と述べています。となると、単純に読めば「思想と関わりがある認識の指導」といままで見てきた 「あくまでも間接的に、結果として、人格の形成に関わる」生活指導とでは、指導の質が異なるのだ、という腑分けで済んでしまいそうにも思うのですが、だがしかし、教科指導と生活指導とが別々の対象に別々に行なわれるものではなく一人ひとりの子どもに対して相互連関的に行なわれるものであることを思い出せば、そんな割り切りはできないですよね。すぐ次を読めばわかるように、中村氏は持論への意図的な再帰をきっかけに、学習指導の問題へ議論を転換していきます。


【先に述べたように、主として認識の指導をするのが教科教育であり、また認識の概括のまとまりが思想とされています。つまり、教科教育における学習指導は思想形成に関わると城丸は考えています。では、どのように「関わる」というのでしょうか。
 以下では、学習指導について述べていきますが、まず最初に、確認しておきたいことがあります。それは、学習と学習行動を分ける用語法です。
 城丸は、行動のなかで随伴して発生する学習という、動物一般に起こる本来的な意味での学習と、それを目的とした行動の特殊な形式としての学習行動を区分しているのです(「学習者の「働きかけ」は…特殊な行動形式をとる」(原著P:36)。城丸は、生活指導と同様、学習指導も行動の指導として位置づけます。両者とも同類のものでありながら、特殊か否かという点で異なるものと区分されます。一般にいう「学習指導」とは、城丸においては「学習行動の指導」ということになります。(中略)
 城丸は、学習行動に、特殊な形式とはいえ行動である以上、「働きかけるものが働きかけられる」という形成の原則が貫かれる、と言います。このことが述べているのは、随伴する「学習」は指導できないということ。あくまでも、指導の対象は学習行動です。科学や文化や技能に働きかけるよう、行動を指導するのが学習指導だ、ということです。】(P.225-226)

 ⇒T.Satou:
 ●(生活指導の対象である行動と同じように)学習もまた学習行動である
 ●学習指導の対象は学習行動(科学・文化・技能に働きかける活動)であって、
  随伴する学習は指導できない。
 この考え方は私にとっては新鮮です。生活指導を自分自身の研究対象としたことがないこともあって、教科指導と生活指導とでは指導の原理や方法が違う、ということ以上に考えを進めてきませんでした。学習指導も生活指導もともに行動の指導だという把握は、一人ひとりの子どもに一人の教師がどちらの領域でも指導を行なうという現実と無理なく整合するようにも思います。もちろん、子どもの学習活動に「随伴して」成立するという学習そのもののこと、学習指導と学習そのものの関係が気になりますが。


【加えて、行動である以上、学習行動には、社会関係も織り込まれることになり、学習行動を取り巻く社会関係が持つ力に従ってその特殊な形式が展開される、ということになります。城丸は次のようにいいます。「学習行動は教師と子どもならびに子ども相互の一定の人間関係のなかで推進される。学習行動はこの関係のあり方、すなわち民主的かどうか、どんな競争や協力かといったことをとおして、人格に一定の影響を与える。また、人格への影響をとおして学習そのものにも影響を与えざるをえない」(原著P.36)。
 城丸は学習行動においても人間関係あるいは社会関係が重要で、そうした関係の民主性が要件になっているというのです。つまり、「学習集団」の民主性が重要だということです。言添えておくと、社会関係を変更しない行動はない以上、学習行動も人格形成を一定伴うことになります。この点は、いわゆる「訓育的教授」として探求されてきた授業における人格形成論に関連すると言っていいでしょう。
 では、その上で、行動の特殊性とは何を指すのでしょうか。それは、意図的に設けられた「教授=学習活動」の特殊性であり、学習行動の主体つまり学習者自身がその働きかけの対象に含まれるということです。

  〔学習者の〕働きかける対象は科学・文化・技能である。「働きかけられる」ということは、働きかけの結果として自己の思考・認識・習熟を変更して科学・文化・技能をわがものとすること((ママ))いうことである。(原著P.36)

 学習行動が「思想形成」に関わるのは、科学・文化・技能の認識を変更する行動だからですが、それが特殊であるのは、まだそれをわがものとしていない自己の変更をその対象に含むことにあります。】(P.226-227)

 ⇒T.Satou:ここでまたわからなくなりました。わからないときには中村氏の行論を私なりの整理で辿り直してみます。
 ●学習行動にはそれを取り巻く社会関係(教師と子ども/子ども相互の人間関係)が
  織り込まれる。
 ●学習行動においても人間関係/社会関係の民主性が要件となる。
 ●学習行動の特殊性とは、意図的な教授=学習活動の特殊性であり、学習行動の主体
  (学習者自身)が働きかけの対象に含まれること
 まず教授=学習活動の「特殊性」というのが何を一般としての特殊なのか。行動一般、ということになるかもしれませんが、それは教師の行動なのか子どもの行動なのかその両方なのか?
 「学習行動の主体(学習者自身)が働きかけの対象に含まれる」というときの「働きかけ」の主語は教師なのか、子どもなのか? 次の部分で中村氏が「まだそれをわがものとしていない自己の変更をその対象に含む」と書いていることからみると、働きかけの主体も対象も子どもということになるのでしょうが、学習行動において子どもが主体でも対象でもあるということは、教科外活動の場面において子どもが様々な対象に働きかけるなかで「働きかけるものが働きかけられる」という経験とはどう違うのか? また教科外活動における行動のなかで子どもが何事かを自問するという活動とはどう違うのか?
 「自己の変更をその対象に含むこと」が学習活動の特殊性であるというが、そのことと学習活動において「科学・文化・技能の認識を変更する」といういこととは、どう関わっているのか?
 わからないことを残して、次に進まざるを得ません。



  (3)認識の変更から思想の形成への飛躍 

 ここで中村氏は、さきの問題設定に戻ります。

【思想の要素である認識が学習指導を通じて変更されるのであれば、先に述べたように、それは「思想の指導」ではないのか、そうであるならば、子どもの思想の自由の保障にはならないのではないか】(P.227)

 そして、【ここには教育から形成への「飛躍」】(P.227)=【学習指導を通してわがものとされた認識に、ある種の飛躍を挟んで、子どもの思想が形成される、と言いうるような飛躍】(P.227)が【存在する】(P.227)と述べます。存在するという表現からは、城丸の主張に断絶があるというような意味ではなく、教育事象がそうなっているという客観的事実の提示のように読めます。
 それでは「飛躍」についての説明を読みましょう。

【この飛躍はどこからもたらされるのでしょうか。
 ヒントとなるのは、先に触れた「行動は思想の産出者」であるという考えです。城丸はこういいます。

  思想は各個人がその行動を媒介として、彼の内的必然性にもとづく自己形成の結果として形成されるものであり、教えこみや「お説教」は思想を知識として与えることはできても、主体的思想には転化しない。(原著P.31)

 思想の形成は、あくまでも、行動を介した自己の変化の結果としてもたらされます。この「自己の変化」を先ほど「飛躍」と言ったのでした。そして、その踏み切り板となるのが「内的必然」です。これは「内的矛盾」とも言われ、また平たい言い方では、「いままでの思想ではやっていけないという自覚」とも言われます。城丸は、この「自覚」について「泳ぎ」をたとえに次のように述べています。

  たとえば、同じ海であっても、泳ぎを知る前の海は恐怖の対象であるが、泳ぎを知った後の海は楽しみの対象となる。変化をおこしたのは彼の行動力量であり、力量の変化は海が彼にせまっていた必然を他の必然におきかえ、したがってまた溺れるという見とおしにかえて遊べるという見とおしを生み出したのである。このように見るならば、内的必然として形成される思想は、行動とのかかわりでいわば見とおしの体系である

 「泳げないと溺れる」という、その人をとりまく世界と結びついた内的必然によって、行動の力量が変化し、その変化が「海」を恐怖から楽しみの対象へと変えます。その変化は、溺れるという「見とおし」から、楽しむという「見とおし」への「おきかえ」です。そのように「見とおし」が変更されるような仕方で、「見とおしの体系」としての思想が形成されるというわけです。補足しておくと、「見とおし」とは、先ほどの「実践の方向性」を指します。ここでは概括と思想が、「見とおし」と「見とおしの体系」と呼ばれているのです。つまり、概括のまとまり(体系)としての思想という把握が認められます。
 思想は行動を介して、結果として形成されるのであり、その契機となるのは内的矛盾だというこの考えは、認識の指導が思想の指導ではないことを説明します。
 思想の形成は、あくまでも、行動(世界への働きかけ)を介した内的矛盾の自覚を通じ、行動力量の変化(自己形成)の(以下5文字に傍点)結果として、もたらされます。学習指導でわがものとされた認識は、そのままでは思想になりえません。行動力量と(ママ)の変化と結びつき、かつ「見とおし」と結びついて初めて、認識は思想形成へと連なるというわけです。しかも、その結び目にはそのひと固有の「内的矛盾」が絡まっていなければなりません。それゆえ、教育的指導としては、主として行動の指導を担う教科外教育と関わることになります。学習指導として教師が意図できるのは、あくまで、行動上の必要と見とおしのおきかえの手掛かりに(以下3文字に傍点)いつかなるようにと期待しながら、認識の変更を主とするものであって、思想形成はやはり子どもの自由に委ねられていると考えるべきでしょう。】(P.227-229)

 ⇒T.Satou:城丸が【思想は各個人がその行動を媒介として、彼の内的必然性にもとづく自己形成の結果として形成される】と述べているのを受けて、中村氏は「思想の形成」「行動を介した自己の変化の結果として」によってもたらされるとし、その「自己の変化」「飛躍」だと言います。そしてその「自己の変化」「踏み切り板」となるのが「内的必然」ないし「内的矛盾」(平たく言うなら「いままでの思想ではやっていけないという自覚」)だというのです。「必然」なり「矛盾」なり「自覚」を契機として「自己の変化」が起こる、と。
 中村氏は続いて城丸の
「自覚」に関する記述を引用しています。これは「自己の変化」をもたらす契機(「踏み切り板」)に関することですね。海に入り、泳ぎを知る(=行動力量」「変化」)ことで、ある必然を「他の必然」に置き換え、海に対して「溺れるという『見とおし』から、楽しむという『見とおし』への『おきかえ』」を行なう。そしてこのように「『見とおし』が変更されるような仕方で、『見とおしの体系』としての思想が形成される」というのです。そして「見とおし」とは「概括」のことであり、「思想」とは「見とおしの体系」であり、「概括のまとまり(体系)」「思想」であるというのが城丸の把握であると整理されます。
 自己を取り巻く世界に対する行動力量の変化(これ自体が生じるプロセスや影響を与える要因についても解明が必要だと思いますが)によって自己にとってのある必然が他の必然に置き換えられる。つまり(世界に対する主体の行動の)「見とおし」(概括)が変更される(この変更の過程についても、それぞれの主体において個性的なものであるとしても、解明が必要と思います)、こうした更新されていく「見とおしの体系」(概括のまとまり)「思想」である、と。
 次に、中村氏によると「思想」「行動力量の変化(自己形成)の結果として、(以下5文字に傍点)もたらされ」るものです。「学習指導でわがものとされた認識」は、「行動力量と(ママ)の変化」と結びつき、そこから上述のような経過を経てはじめて「思想形成へと連なる」というのです。「連なる」ですからようやくそこで接点を持つわけですね。
 子どもの学習成果としての認識は、行動力量の変化と結びつくことで
「思想形成」に繋がっていく可能性があるが、「思想形成」はあくまでも(以下5文字に傍点)結果として」もたらされるのであって、教師の指導によってコントロールできるものではないしそうしようとしてはならない、ということですかね。中村氏はこれ(認識から思想形成への連なり)について、「その結び目にはそのひと固有の『内的矛盾』が絡まっていなければなりません」と述べていますが、この内的矛盾の顕在化や止揚の過程については教育実践の事実に即した解明が必要だと思います。
 さらに中村氏は、学習指導においても子どもの認識の成果から思想形成への連なりについては教師の直接の教育的指導が及ぶものではなく、学習への直接指導でなく学習行動への指導であるならば
「主として行動の指導を担う教科外教育と関わることになります」としています。この部分の表現はやや微妙です。行動に対する教育的指導の原則は教科指導でも学習指導でも基本的に共通すると言っているのか? 教科指導の内部で認識形成から思想形成への道を子ども自身が歩むと期待するのは無理があり、生活指導を含めての教育活動全体の中でこそ子どもの思想形成を捉えるべきだと言っているのか? いずれにしても、教科指導も生活指導も指導方法は基本同じだというような主張ではない、と私は見ていますが。
 上記引用部分の最後で、中村氏は教師の学習指導とは、
「あくまで、行動上の必要と見とおしのおきかえの手掛かりに(以下3文字に傍点)いつかなるようにと期待しながら、認識の変更を主とするもの」であり、「思想形成はやはり子どもの自由に委ねられている」と述べています。私も教科指導(学習指導)において子どもたちの思想形成の自由を全面的に保障すべきであることについては、もちろん賛成なのですが、ちょっとひねくれた見方をすると、子どもの認識の変更」「行動上の必要と見とおしのおきかえ」(以下3文字に傍点)いつかなる」と期待しての学習指導・教育的指導というのは、「子どもの思想形成に対しては禁欲的で期待を持とうとしない学習指導・教育的指導」というのと実態としてさして変わらないような気もします。民主主義教育の実現をめざして奮闘している教師が、一人ひとりのかけがえのない教え子たちがいずれは民主主義社会の担い手にふさわしい人間に育っていく(そういう思想を持ち行動を実行する主権者になっていく)ということを積極的に期待しない、というのは、けしからんことと批判されそうにも思います。でも一方で、教師としての自分は子どもたちの思想形成に関与してはならない(それは自分がめざす民主主義教育の原則にも反する)という理念を持ちながらも、学校教育のいろいろな局面で自分個人の思想信条に基づく行動のしかたを子どもたちに押しつけてしまったりすることはあり得ると思うし、それは「善意から」ではすまない教育上の誤りだと思います。このあたりは、私が拙著『「生きる力」論批判』(2019)で強調したかった《過剰教育の誤り》(拙著ではこの表現は用いていませんが)につながるのですが、論点が逸れすぎるのでこれ以上述べません。
 ただ、上記の私の「ひねくれた見方」をちょっと反省するならば、
「思想形成」というような重大な問題全体についての教師の関与についてではなくて、中村氏が城丸に従って紹介してきた「認識の概括」(教科外活動においても教科学習においても)として子どもによって表明されるものに対しても、教師はどのように受けとめるのか(受容するのか、積極的指導をするのか、静観するのかetc.)をその局面局面で問われるのであり、私が上記で述べた「子どものものの見方考え方感じ方を尊重するのであれば教師としてはそれに介入せずにスルーすべきだ」みたいな考えでは、教育的指導は成立しないですね。
 翻って中村氏が城丸を援用しながら、生活指導においても学習指導においても
「思想形成はやはり子どもの自由に委ねられている」と言う時にも、それはおそらく教師は子どもの思想形成に対して不関与、不干渉、無関心であってよいという意味ではないだろうと私は思っています。


  (4)城丸の「学力」概念

【「学力と人格」問題の焦点は、個人の思想の自由を保障することに注意を払いながら、人格・思想形成に連なる、教育的指導のあり方を描くことでした。これまで見てきたように、城丸は、教科教育も教科外教育も、行動との関係で、思想形成の目的を子どもたちに保障できるよう、注意深く教育的指導を構想していました。
 最後に、もう少し城丸のこの注意深さを吟味しておきたいと思います。そうしておくことで、より城丸の議論の深さを見積もることになるとおもうからです。
 吟味してみたいのは概括と指導の関係です。つまり、思想は、認識の概括のあつまりですが、認識の指導である学習指導は、概括もその対象であると理解してよいのか、ということです。もし指導対象だとすれば、学習指導が思想の自由を侵してしまいかねません。
 この点に関わって、城丸は次のように述べます。「それ〔概括〕は、新しい事態を認識するうえでは方法論となり、行動とのかかわりにおいてえは見とおしと要求を生み出す。」(原著P.30)。これを図式化すれば、
 認識-概括-行動
という関係になります。
 繰り返しますが、城丸は、教科教育の指導では主として科学・文化・技能を内容とする認識を扱うものとします。他方、教科外教育の指導では主として行動を扱うものとします。
 そして、ここが城丸理論の最大の特徴ですが、この認識と行動は互いに関係がない、別々のものとされてはいません。すなわち、二元論的に構成されてはいません。今見たように、双方の間に概括が置かれています。いわば、概括がその結び目となって、双方が関連し合うものとされているのです。
 では、認識と行動は指導の対象ですが、概括はどうでしょうか。城丸は概括が指導の対象であると考えてはいないようです。認識と行動は、教科と教科外という指導の違いと結びついており、互いに還元し得ない、ある種の緊張関係にあります。概括はその緊張関係の真ん中に置かれています。したがって、概括は、いわば宙吊り状態にあり、常に揺れ動き、捉え難いものということになります。ひとの内面に属するそうしたものを対象として指導を具体的に構想することは容易くはありません-城丸は常に具体的な指導を考えています。したがって、概括はその緊張関係の中で形成されるものと理解するのが妥当なところでしょう。強いて、指導との関連について言えば、指導において「深い注意」が向けられるべきものと了解するのが妥当なところだと思います。
 先ほど「学力という言葉は、学校教育として、しかるべき内容をわかち伝え、身につけられた能力という意味を含んで成立している」と述べました。いいかえれば、教育内容と能力を両睨みできるところに「学力」概念が成立することを意味します。これまで見てきたように、城丸は教育課程の二つの領域を、認識と行動の指導の違いとして把握していました。ここには「学力」概念があるとみて良いでしょう。つまり、認識と行動の指導において形成される、認識と行動の能力および両者を繋ぐ概括の三項からなる「学力」概念です。】(P.229-231)

 ⇒T.Satou:中村氏に拠れば、「『学力と人格』問題の焦点」「個人の思想の自由を保障することに注意を払いながら、人格・思想形成に連なる、教育的指導のあり方を描くこと」でした。そして中村氏は、この点での城丸の注意深さの例証として、最後に「概括と指導の関係」を取り上げ、そこから城丸の「学力」概念(記述のされ方から中村氏による推定の部分も含むと思われます)へと進みます。それは、中村氏が「教育内容と能力を両睨みできるところに『学力』概念が成立する」のであり「認識と行動の能力および両者を繋ぐ概括の三項からなる」と捉えるからです。
 ただ私は、
「学力」概念という《子ども側の事柄》(もちろん教師の指導をその形成過程において反映してはいますが)に行く前に、教師による指導のあり方にもう少しこだわりたいのです。
 私は一つ前の部分のコメントで、先走って「『認識の概括』(教科外活動においても教科学習においても)として子どもによって表明されるものに対しても、教師はどのように受けとめるのか(受容するのか、積極的指導をするのか、静観するのかetc.)をその局面局面で問われる」と書きましたが、中村氏がそのことに言及しているのがまさに上記の引用部分です。
 中村氏によれば
「認識」「行動」は、それぞれ「教科」「教科外」の指導に対応し、「互いに還元し得ない」「緊張関係」にあります。「概括」「その緊張関係の真ん中」「宙吊り状態」「常に揺れ動き、捉え難いもの」としてあり、「ひとの内面に属するそうしたもの」について「指導を具体的に構想することは容易く」ない。だから、「概括はその緊張関係の中で形成されるものと理解するのが妥当」で、「指導との関連」は強いて言えば、「指導において『深い注意』が向けられるべきものと了解するのが妥当」だと。
 子どもの思想の自由、思想形成の自由を一貫して大事にしながら、思想の構成部分である概括への教師の関わり方を考えるとき、上記に要約したような慎重な論の運びとなることは十分理解できるのですが、それでも子どもの
「概括」への教師の関わり方について、疑問は残ります。中村氏は「指導を具体的に構想することは容易く」ないとしており、指導を構想すべきでないとか、子どもの「概括」に対して教師は「指導」という関わり方をすべきではない(子どもの思想の自由との関係で)とは述べていません。また、「深い注意」が必要だとしていますが、それは子ども自身の「概括」の営みについて、教師自身が認識し把握しておくこと(そして行動は起こさず静観しておくこと)を意味するのか、それとも注意を払うという教師のスタンスには、子どもに対する何らかの行動、働きかけを含んでいるのかについては書かれていません。


3.城丸の民主主義教育論からさらに考えたいこと

 中村氏は、本章の最後の課題を【民主主義の担い手を、学校教育を通じてどのように育てるのか】に【腐心した】その【城丸がたどり着いた場所から、わたし達はさらにどこに向かって進んだら良いのでしょうか】(P.231)と設定した上で中内敏夫の学力論に言及し、【中内の学力論と比較すると城丸のそれが持つ特徴が浮かび上がります。】(P.231)と述べています。
 ただ、これに続く中内学力論の検討と城丸論との比較については、私の方にまだ理解のための十分な受け皿がなく、行論を全て引用してそれで終わりになってしまいそうなので、紹介を省略します。
 私自身にはいま別の学習ノートとして取り組んでいる『能力と発達と学習-教育学入門Ⅰ』における勝田守一先生の学力論の再学習という課題があり、さらに、たぶん学生・院生時代に二度にわたり集中講義を受講した記憶がある中内敏夫先生の『学力と評価の理論』(1971)・『教材と教具の理論』(1978)・『指導過程と評価の理論』(1985)等の学習・再学習という課題も見通しています。それらを全部終わらせてからという段階論ではありませんが、中内学力論についてもう少し自分なりの理解を深めた上で改めて中村氏の中内・城丸比較を読んでみたいと思います。




 以上、手元の原稿としてはすでにA4版28ページにもなりましたので、ここまでの神代氏「はじめに」と中村氏・第8章の検討の部分までを、取り敢えず文献学習ノートの「(22・上)」として公表します。
 なお、これまでfacebookの私のタイムラインや、内容によっては同じくfacebookの「全国『教育』を読む会」ページ、京都教育科学研究会「交流掲示板」に投稿してきたこの「教育学文献学習ノート」シリーズですが、1回分の投稿があまりにも膨大であり、様々な方が投稿される場に並べることは不適切ではないかと考えましたので、新たにこの「佐藤年明私的教育課程論研究室のブログ」を開設しました。今後はこちらに投稿し、facebook等からもリンクを張ろうと思います。
 

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