6 教育学文献学習ノート(23) 田中茂樹『子どもが幸せになることば』(ダイヤモンド社2019)

 
                              (2019.2.27刊行 2021.8.21-9.17通読 2021.9.17-21ノ-ト作成)

 田中茂樹氏のプロフィールを本書奥付から転記します。
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1965年東京都生まれ。医師・臨床心理士。文学博士(心理学)。京都大学医学部卒業。共働きで4児を育てる父親。
信州大学医学部附属病院産婦人科での研修を経て、京都大学大学院文学研究科博士後期課程(心理学専攻)修了。2010年3月まで仁愛大学人間学部心理学科教授、同大学附属心理臨床センター主任。専門領域は、fMRIを用いた高次脳機能の研究および失語や健忘などの高次脳機能障害。
現在は、奈良県の佐保川診療所にて、プライマリ・ケア医として地域医療に従事。病院と大学の心理臨床センターで17年間、不登校や引きこもり、摂食障害やリストカットなど子どもの問題について親の相談を受け続けている。これまで5000回以上の面接を通して、子育ての悩みを解決に導いてきた。著書に『子どもを信じること』(大隅書店)、『認知科学の新展開4 イメージと認知』(共著・岩波書店)などがある。

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 田中氏は、2021.6.19に開催された第11回関西教育科学研究会6月集会(奈良教育大附小/zoom)で、「子育てにおける親の(大人の)成長について」と題して講演して下さいました。専門家としての知見と4人の男の子の親(うちと同じ!)の経験を踏まえて、とてもざっくばらんで楽しいお話でした。子育て真っ最中の頃に夫婦で聞きたい話でした。
 その後本書を入手し、講演会から2ヵ月近いブランクがありましたが読み始めました。本の内容もとてもおもしろい! 紹介したいところがいっぱいなので、とにかくどんどん紹介していきたいと思います。各章の節のタイトルもとてもおもしろいので、引用がない節のタイトルも記載しておきます。


はじめに  「出来杉くん」と「ちびまる子」

第1章 0~3歳 子どもが世界と出会う時期
 ①予防接種の注射をこわがっているとき……
       言いがちなことば  「泣かずにがんばろうね」
   信じることば     「痛かったね。よくがんばったね」


 ②歯磨きをしないとき……
       言いがちなことば  「歯を磨かないと虫歯になるよ」
   信じることば     「困ったもんだ!」

 ③子どもが急かしてくるとき……
       言いがちなことば  「待っててって言ってるでしょ!」
   信じることば     「ほんとに楽しみだね!」


  ④食べものをこぼしてしまったとき……
       言いがちなことば  「だからこぼすって言ったでしょ!」
   信じることば     「大丈夫だよ。拭いとくね」


【子どもは、幼くても、親が愛情を示してくれたことを必ず覚えているものです。といっても、「おねしょしたときに文句を言わずに片づけてくれたね」というように、言葉で出来事を思い出して語ることができるということではありません。
 出来事のイメージ、たとえば夜の寝室の光景や肌寒さやオシッコのついた衣服やシーツの感覚やにおいなど。そして、それに伴った気分や感情、たとえば親が世話してくれたときの態度や言葉がけから受けとった安堵感などとして、漠然と記憶されます。】(P.47)

  ⑤買い物でダダをこねているとき……
       こう思ってしまいがち(こんなわがままを許していていいのだろうか……)
   こう思えると楽しい (思い通りにならなくて泣くのも、いまだけだよな)


【思っていた通りにならなかったときの悲しみは、子どもにはとても大きいようです。そして、自分の思い通りにしてくれなかった親に対して、激しい怒りや、かんしゃくが出ます。】(P.51)

 コラム  「子育て本」を読むべきか?

第2章 3~5歳 「その子らしさ」が出てくる時期
 ⑥野菜を食べられないとき……
       言いがちなことば  「野菜も食べようね。健康にいいんだよ。」
   信じることば     「ふーん、野菜が苦手なんだね」


【「うちの子は野菜が苦手なので、残すことを許してやってください」などと、あえて親が立ち入らないことも大事かもしれません。もちろん、アレルギーなどの場合はまた別ですが。】(P.66)

 コラム  小さい頃から英語を学ばせるべきか?

【会話をするのは生きていく上で大切な要素だから、下心を取り払って、しっかり話せと、子どもに教えられました。】(P.70)

 ⑦弟や妹ができて、わがままが増えたとき……
       言いがちなことば  「赤ちゃん泣いてるから、ちょっと待って!」
   信じることば     「あなたが生まれて お母さんもお父さんもすごく幸せたっだ」


【この男の子は、妹ができて、妹が大事にされているのを見ているうちに、自分でも妹をかわいがっているうちに、自分が小さいときに甘えそこなっていたことに気がついたのかもしれません。本人は、意識していないでしょうが。】(P.76)

【赤ちゃん返りをした子どもは、赤ん坊のように大事にされたり、思い通りにならずに泣き叫んだりかんしゃくを起こしても、見捨てられることがないことを「体験」することで、「そのままのあなたでいい」という確信を得ていきます。教えられて学ぶものではなく、体験で実感するものなのです。
 この母親自身も、下に弟や妹がいて、幼い頃から母親の手伝いをして弟の着替えや食事を手伝っていた記憶があるそうです。母親の両親は、あまり仲がよくなく、父親が母親を怒鳴っていたり、母親が泣いていたりするようなことが多かったといいます。「自分はお母さんを助けてあげないと」と、彼女はいつも、そう考えていたそうです。
 その話を聞いて、この男の子は、かつて母親が甘えそこなった分をとり返してあげるかのように、甘えているのかもしれないと私は思いました。】(P.76-77)

  ⑧こぼさずになんとか食べられたとき……
       言いがちなことば  「えらいね!」
   信じることば     「おいしかった?」

  ⑨指しゃぶりしたり爪を噛んだりしているとき……
       言いがちなことば  「もう小学生になるんだからやめなさい!」
   信じることば     「小学校、楽しいといいね」


【目に見える「子どもの問題」を、すぐに取り去らないといけないやっかいなものと思わないこと。
 代わりに、この「問題」はこの子が一所懸命あみだした大切な対処法なのかもしれないと思って向き合うこと。】(P.87)

第3章 6~8歳 学校生活がはじまる時期
 ⑩好きな番組が始まる前からテレビの前で待っているとき……
       言いがちなことば  「テレビをそんなに真剣に観なくていいの!」
   信じることば     「たいした集中力だな! お茶、置いとくよ」

  ⑪「もう学校には行かない!」と言ったとき……
       言いがちなことば  「そんなことを言わないの!」
   信じることば     「それぐらい嫌だったんだね」

  コラム  わが子が「発達障害かもしれない」と思ったら


【ほかの発達障害にも共通することですが、親が、その障害の表面的な特徴を見えなくしようと一所懸命になってしまい、自己流で対処して、子どもも親もしんどくなっているケースがよくあります。
 他の子と比べて落ち込んだり、悲観したりすることのほうが、障害そのものよりもずっとずっと不幸な状況を作り出しているケースが多々あるのです。】(P.105-106)

【できないことをできるようにすることよりずっと大切なことは、子どもがこの世の中を好きになることです。これはどんな子にも共通することですが、発達に障害のある子ではとくに大切です。】(P.107)

【行動力や好奇心が先に育ち、自分をコントロールする能力は遅れて育ってくるのだとしっかり意識して、子どもに向き合うことをすすめます。】(P.107)

【「親が自分を理解してくれたということがいちばん嬉しかった」と、あるLDの子は言いました。】(P.109)

 ⑫いっしょにスポーツやろうと誘ってくれたとき……
       言いがちなことば  「やるからには、きちんとできるようになろう」
   信じることば     「これ、なかなか楽しいなぁ」

  ⑬子どもに自身をつけさせたいとき……
       言いがちなことば  「そんなすごいことができて、すばらしい」
   信じることば     「いまのままで、すばらしい」


根拠のある自信と、根拠のない自信、どちらがより強力なのでしょうか。
 それはもう明らかに、根拠のない自信のほうです。

 根拠のある自信は、根拠となる事実がなくなれば消えてしまいます。何かが達成できなかったり、失敗したりすると消えてしまう自信なのです。
 一方、根拠のない自信は、予感と信念のようなものです。理由はないけれど、なんかうまくいくような気がする。いいことがあるような気がする。そんな感覚です。】(P.117)

その楽観性を失わないように関わることで、「理由はないけど、いいことがあるような気がする」心の根っこの部分を、育てることができると思います。

  ⑭親からみて間違ったことを主張してきたとき……
       言いがちなことば  「いやそれは間違っている。その理由は……」
   信じることば     「自分の意見を言えるのはいいことだ」

  コラム  「親の言うことをよく聞く子」にも問題はある

 ⑮おもちゃを自分のやり方で遊ぼうとしているとき……
       言いがちなことば  「君がやったら壊しちゃうからね」
   信じることば     「壊れちゃったかぁ。残念だね」


第4章 9~12歳 思春期が始まる時期
 ⑯いつまでも宿題をやらないとき……
       言いがちなことば  「宿題終わったの?」
   信じることば     「いつ声をかけたらいいのかなぁ」

  ⑰夜遅くまでテレビを観ているとき……
       言いがちなことば  「いつまでテレビ観てるの!」
   信じることば     「先に寝るよー。おやすみ!」

  コラム  子どもの「遊び」につき合う意味

 ⑱よその子の手助けをしてお礼を言われなかったとき……
       こう思ってしまいがち(この子の親、どんな教育してるんだろう……)
   こう思えると楽しい (困ってる子を助けられるのは、幸せなことだ)

 ⑲とんでもないイタズラをしたとき……
       言いがちなことば  「そんなことをする子は、うちから出ていきなさい!」
   信じることば     「おまえは私の宝物だ!」

  ⑳親が言わないと何もしないとき……
       言いがちなことば  「どうして言われる前にできないの!」
   信じることば     「あなたがやる前に言っちゃって、ごめんね」

  ㉑遊園地などで、大声ではしゃいでいるとき……
      言いがちなことば  「そんなに騒ぐなら二度と連れてこない!」
   信じることば     「今日は、いっさい小言は言わない!」


【こういう場面で必ず怒りまくっている親がいます。

 「車の中でもあんだけ怒られて、まだわからないの!」
 「もう今度騒いだら、すぐ家に帰るから!」
 「きちんと並んどけって言ってるやろ!」

 などと、怒声が聞こえてきます。
 遊びに来てるから、子どもははしゃぐんですよね。
 はしゃぎに来ているわけだから。

 でも、学校の遠足で先生が生徒を叱るように、子どもを叱っている、いや、子どもに怒っている。せっかく子どもを楽しませようと連れてきているのに、すごくもったいない話です。】(P.170-171)

  コラム  感謝を言葉にする3つのメリット

【言葉としてのバリエーションもそうですが、抑揚や「間」、表情やアクションも、同じくらいに大事です。
 さらに重要なのは、それらの言葉を生み出すもとになる「自分の心の動き」に敏感になることだと思います。
 相手がしてくれたことに気がついた。そこで心が動く。その動きを逃さない。深いところから、ぐっと水面まで引き上げて、言葉にして外に出す。その心の働きも、筋トレをすれば筋力が上がるように、トレーニングするうちに強くなってきます。これらは、実践の場で何度も何度も練習することで、洗練されていきます。】(P.175)

【ときには本人が気がついていないような行動の結果にも、いいコメントをしてもらえると、言われたほうはうれしい驚きを味わえます。】(P.176)

【子どもたちは「ありがとう」とか「わーい!」などと、お礼の表現がとても上手です。私や妻よりも、ずっと自然にできています。そこスキルは家庭内にとどまるはずがありません。これから彼らが生きていく人間関係の中で、いろんな場面で発揮されるはずです。】(同)

 ㉒学校の先生から電話がかかってきたとき……
       言いがちなことば  「もっとまじめにやりなさい!」
   信じることば     「先生、○○のこと大好きらしいよ」

【 さて、わが家の大原則があります。
 子どもには、電話があったことを知らせません。
 子どもが一緒にいるときは電話があったことがわかってしまいますが、そういう場合も、内容は知らせません。
 子どものほうではおよそ見当がついています。子どもから自分の「罪状」を白状することもありますが、言わないことのほうが多いです。
 どちらにせよ、学校での面倒を家庭には入り込ませないというのが、わが家の基本方針です。

 子どものほうから、「先生、なんか言ってた?」と聞いてくることもあります。そういうときに言うことも決めています。

 「うん、先生はな、まあいろいろあるけど、先生は、君のことが大好きですって言っといてくださいって、話してたよ」

 子どもには、そういうふうに話します。子どもは、ほっとしたような顔をして「そんなこと言うわけないやろ!」などと笑いますが、まんざらでもなさそうに見えます。
 これは、保育園の頃からの一貫した方針です。
 「~に噛みつきました」とか「噛みつかれました」など、連絡帳にいろいろ書いてくださっていますし、お迎えのときに、いろいろお小言をいただくこともあります。
 でも、とにかくがんばって1日すごしてくれたな、面倒見てくださったな、で満足です。家に戻ってまで保育園での生活に文句は言いません。

 外の面倒を家庭に持ちこんで、子どもの、そして親の心の安らぎを破ることに、いいことは何もないからです。
 このような話をすると「でも、内容によっては、やはり家でも注意したほうがいい場合があるのではないですか?」という質問をよくいただきます。
 それはたしかにそうなのかもしれませんが、内容によって伝えたり伝えなかったりという基準で考えていると、悩みますし、そこで腹が立ったりもします。
 なので、もうとにかく「学校からの電話は入り口でシャットアウト」と決めているんです。決めていることなので迷いませんし、動揺もしません。決まりなんですから。

 こうすることで、家でくつろいでいる子どもや親を、無用のストレスから守ることができます。学校のことは学校で片づけてもらおう。そのかわり、家のことは家で片づけて外に持ち出さない。
 もちろん、例外もあるでしょう。こればかりは、どうしても、親からもひと言、伝えておいたほうがいいと考えられるような場合には、親子で話し合ったりもするつもりです。ただ、いままで20年ぐらい子育てをしてきて、実際には、そのようなことは一度もありませんでした。

 念のために書いておきます。この話は、「わが家ではこうしていて、そこそこうまくいっている」ということをお伝えしたいのであって、「こうしなさい」と言いたいわけではありません。
 学校から電話がくるたびに、せっかくくつろいでいたのに、子どもも親もつらい気分になってしまう、という話をカウンセリングでよく耳にします。そういう人が、少しでも気持ちをラクにしてもらえばと思って紹介しました。】(P.179-182)

 ⇒T.Satou:感服します。すごく潔い割り切りですね。保育園でわが子はいろいろわるさもするかもしれないが、園生活を楽しむ一方で子どもなりに気を使ったり悩んだり傷ついたりもしてるかもしれませんよね。保育園生活で克服しなければならない問題があったらそこはわが子もがんばらないといけないとしても、叱られてしゅんとしたにせよ、反発してぷんぷんしてたにせよ、取り敢えず保育園の中で一度「終わった」ことをうちに帰ってまたもう一度「おさらい」されて親からも怒られるのでは子どももたまらんだろう、という発想だと思います。
 上の例と全然同じではないんですが、わが家の4人の子育てにおいて私が一つの信条としてたことは、「ステレオで叱らない」ということでした。子どもを座らせて父親と母親が両方から異口同音に叱るのは、子どももダメージが大きいしうんざりもするだろうからやめよう、と。これは実は私の体のいい逃げ口上でもあって、子どもにこまごまと叱ることが多いのは嫁さんだったので、「おかあちゃんが叱ったのと同じことをおとうちゃんが繰り返し叱ることはしない」と、日常生活で自分が親として子どもを叱る役割を回避しようとしていたとも言えます。そうしておいてたまに私が大きい声で強く叱ったりすると子どもにはけっこうこたえて「効果がある」という面もありました。だから決して振り返って自慢できるような親としての対応ではないんですが、それでも、子どもを指導して考えや行動を改めさせるべき時にはそうすることが親の責務だけれども、(親がステレオで怒ることで)いたずらに感情的にダメージを与えることはない、それは必要ないという考え方自体は間違っていなかったと思います。


  ㉓反抗的なことばかり言うとき……
       言いがちなことば  「それが親に向かって言う言葉か!」
   信じることば     「なかなか、言うじゃない」

【実は、Dさんの父親は、いわゆる「口より先に手が出るような人」であり、子どもの目の前でも、母親を怒鳴ったり、ときには暴力を振るったりしていたとのことでした。Dさんも何度もたたかれたそうです。Dさんは、親からの暴力のトラウマを抱えていると考えられます。
 そして、自分が親になったいま、子どもから生意気なことを言われた場合に、本来のDさんならばそこまで腹がたつわけでもないのに、父親と自分の関係が重なって、怒りに我を忘れてしまうようでした。
 つまり、Dさんは、親として子どもと接しているけれど、かつて父親から受けた暴力の恐怖が蘇り、子どもとして恐怖を感じているのかもしれません。】(P.185)

【怒鳴ったり、暴力で言うことをきかされると、子どもは、今度は他の人との関係でも、暴言や暴力に屈するようになるかもしれません。もっと悪い場合は、相手、たとえば結婚すればパートナーを、子どもができれば子どもを、暴力で押さえ込もうとするかもしれません。
 「暴力はダメなんだ」という原則がしっかり伝われば、子どもがこの先の人生で、相手との交渉に暴力を用いる可能性を低くすることができるでしょう。】(P.186)

 コラム  なぜ「怒る」はダメで「叱る」がよいのか?

【「怒る」というのは、目の前の出来事を受け入れられない、現状を受け入れたくないという混乱です。「取り乱している」わけです。
 子どもが何か望ましくないことをした場合に、「怒る」という反応は、親が混乱している自分をそのままだしてしまっている状態と言えます。】(P.190)

【一方で、「叱る」というのは、良い意味で感情が入っていません。】(同)

【怒って感情に任せて、怒鳴って、小突いて、相手にいうことを聞かせる。親はそれほどとは思っていなくても、子どもにしてみれば脅威です。】(P.191)

【怒鳴られても平気な子、つまりタフな子、言い方は悪いけれど鈍感な子だって、鍛えられてそうなったのではありません。「感覚への敏感さ・鈍感さ」は生まれついての素質です。】(同)

第5章 13歳以上 親子の別れが始まる時期

【子どもは、親が思うよりずっと、世の中のことや自分のことを考えています。】(P194)

  ㉔元気づけようと思って……

      言いがちなことば  「型にはまらず、自由に、自分らしく生きてほしい」
    信じることば     「そのままがいい。そのままで大好きだ」


【親も子もラクになる声かけとしては、「そのままで大丈夫」「そのままのあなたが好き」など、そのままの子どもを受け入れるような言葉がいいと、私は思います。】(P.197)

【子どもは親のことが好きだから、親を喜ばせたいと思うでしょう。親の思いを果たそうと、子どもは背負い込むかもしれません。ちょっと大げさかもしれませんが、子どもの健気さは、大人の想像を超えていることがよくあります。

 「好きにしたらいいのよ」とか「楽しく生きてくれたらそれでいい」という「願い」も、「要求」となって、子どもに同じような問題を引き起こす可能性があると思います。
 本当に「好きにする」のを認めるのなら、何も言わなければいいのです。「好きにしたらいい」という言葉には、「あなたは私のために、楽しく生きねばならない」とか「幸せにならねばならない」という要求の一面があり、子どもにとってはやっかいなのです。
 楽しく生きたり、好きにするというのは、大人になっていくほど難しいということは、誰もが知っていることです。でも、大人は、生き延びてきた間に、妥協する方法を身につけているので、まあ平気です。
 でも、子どもは、これから現実の壁にぶつかるのです。
 なので、自由に生きよう、幸せに生きよう、個性的に生きよう、などと思えば思うほど、身動きが取れなくなるでしょう。真面目な子ほど、聞き流せないので、そうなりやすいと思います。】(P.199-200)

【良かれと思ってかけてしまっている言葉が、知らず知らずに子どもにいろいろなことを要求してしまっているかもしれないことを、親は意識しておくことが大切なのです。】

  ㉕服を脱ぎっぱなしにしているとき…… 

       言いがちなことば  「脱いだ服は洗濯機に入れてっていってるでしょ!」
   こう思えると楽しい (片づけはいい運動になるなぁ!)


【私は、片づけができる子になることよりも、とにかく家ではリラックスできることを育児の目標にしていましたので、苦になりませんでした。
 中学、高校と進むにつれて、どの子もいつしか脱ぎ散らかしはなくなりました。小言を言わなくても、いつまでも脱ぎ散らかすわけではなかったのです。

 私は、「いつかはできるようになるだろう」と思って、片づけていたのではないのです。この違いが大事だと思うので、書いておきます。
 もし「いつかはできるようになるだろうと信じて」やっていたら、片づけながら、「いつになったらできるようになるのやら」と不満に思ったことでしょう。
 そうではなくて、たとえこの先ずっと脱ぎ散らかしたって、いくらでもいつまでも、自分が動ける限りは自分が片づけてやるぜ、という明るい、楽しい気分で片づけていたのです。
 家でリラックスして、エネルギーを蓄えて、外の厳しい社会で生き延びてもらいたい。これが私の育児の最重要な目標です。家でのんびりできれば、心の元気がたまるはずです。ゆとりも生まれるし、試練にも、必要なら耐えられるでしょう。もしくは、嫌だと感じたら早々に撤退することもできるでしょう。
 生きることを好きになる。自分を大事にできる子になる。そういう可能性も、家でのんびりできれば、高くなると思います。】(P.204-206)

【無理はしなくていいと思います。私は、自分の目標が子どものリラックスなので、「服を片づけなさい!」と小言をいういよりも、自分でさっさと片づけるほうがずっと、自分の気がラクなんです。】(P.206)

  ㉖失敗してしまったとき……
       言いがちなことば  「だから言ったでしょ。言う通りにしないからよ!」
   信じることば     「たいへんだったね」


【子どもに対して「あの子は頼りないから私が助けてあげないと」と気にかける親は、「まだ子どもは自分のもとを去らない」「子どもから見捨てられることはない」と、どこかで安心しているのかもしれません。】(P.208)

子どもが自分で選んで、自分で楽しんだり苦労したりして、親以外の人や出来事から学んでいくことの大切さ、そのような子どもの経験へのリスペクトをしっかりもちましょう】(P.209)

【子どものためにと「正しい」アドバイスをして嫌われるより、子どもが、親から見れば「正しくない」「未熟な」選択をするのを、勇気を持って見守る。】(同)

【親は、自分の「正しさ」に注意が必要だと思います。正しさを押しつけることが、いつも子どものためになるわけではない、ということに。】(P.210)

【「母親は、子どもに去られるためにそこにいなければならない」

 これはエルナ・フルマンという心理学者の、有名な論文のタイトルです。
(中略)
 また、「そこにいなければならない」という言葉は、たいへん意味深いものです。困難に出会ったり孤独を感じたとき、振り返れば自分を見守っている親の姿を確認できることは、子どもにとって不安な独り立ちの始まりには、とても大切な支えになります。
 「そこにいる」というのは、子どもの選択を見守り、必要なときにはいつでも安全な場所に戻れることを保障する態度です。
 「そこにいる」ことは「何かをする」ことよりも、ずっと難しいのです。】(P.210-211)

 コラム  「自傷行為」を親はどう受け止めるか?

【子どもは誇り高くあろうとする存在だと思います。
 辛抱強いことは長所でもあるけれど、必要なときにSOSが出せないこと、しんどいときに「助けて」というのが苦手なことはまた、弱点でもあります。そのバランスを、親は意識したいものです。

 「助けて」と言えない場合、子どもは別の形でSOSを出します。忘れ物をする、友だちにいじわるをする、宿題をしない、朝起きない、爪噛み、チック、登校を渋る……。これらは安全なほうだと思います。
 よく誤解があるのですが、そういうことを子どもは「わざと」やっているわけではないのです。
 ストレートに「いまとてもつらい、苦しい」と言うことができない。それで、親に、ときには先生や周囲の信頼できる大人に伝わるような行動が「選ばれて」発信されているのだと、私は思います。】(P.212-213)

【髪を抜くという行為は、「やめさせなければならない困った行動」ではないのです。子どもが自分を守るために必死で生み出した行為であって、子どもにとって大切な行動です。
(中略)
 抜毛を「選んでくれた」子どものやさしさ、賢さ、強さを、親が受け止めることは大事です。】(P.214)

  ㉗進路に悩んで立ち止まりそうなとき……

      言いがちなことば  「あの高校に入れさえすれば……」
   信じることば     「おつかれさま。悩んでいるみたいだね。」


【子どもにしてみれば、自分の人生の大きな問題に取り組む作業が始まろうとしているときに、混乱し動揺する親のことまで気を配らないといけないのは、本当にしんどいことだろうと、私には感じられました。】(P.221)

【いずれのケースでも、親は子どものために必死で応援しようとしてはいます。しかし、子どものほうは、いまのやりかたでやっていくのが、もうしんどくなっているようです。それでも親は、そのしんどさが見えないかのようにふるまっています。】(P.223)

【自分が何をしたいのかよくわからない状態のままでは、いわゆる「修羅場」と言えるような紫漣に出会ったとき、乗り越えられない可能性が高いでしょう。
 そのような場合には、いったん立ち止まって、自分の気持ちやその先の人生についてじっくり考えてみるという姿勢は、むしろ正しい対処法だと言えるのではないでしょうか。】(P.224-225)

 コラム  私の子育てを支えてくれた言葉

  ㉘ずっとスマホを見ているとき……
      言いがちなことば  「スマホはしばらく没収!」
   信じることば     「大事なことだから、意見を聞かせてほしい」


  ㉙サンタさんからのプレゼントを楽しみにしているとき……
      言いがちなことば  「プレゼントをあげてるのはお母さんだよ」
   信じることば     「サンタはいる。大人になったらわかる」


【神様や精霊など、見たり触れたりできない大いなる存在を感じ取ることは、子どもが生きていくうえで「この世はいいところが」とか「生きていくのは素晴らしいことだ」と、根拠はないけど確信できるための力になるでしょう。】(P.238)

 コラム  深刻な相談と無責任なアドバイス

 コラム  絵本の楽しみ方と21冊のおすすめ本


【五味さんは、「子どもの心や子どもの人生へのリスペクトやおそれ」を大人は持つべきだと言いたかったのだと思います。】(P.247)

おわりに

【このような、日常の中の些細で切ない別れが積み重なって、親の心の中に、子どもの人生へのリスペクトが育っていくのだと思います。この本を読んでくださった方が、育児の果実ともいうべきこのような場面を見逃さずに味わえること。少しでもそのお役に立てれば、この本を書いた意味があったと私は思います。】(P.255)




 途中一箇所を除いて私のコメントを差し挟むことなく、田中氏の言葉を抜粋、紹介してきました。田中氏が多くの具体例を挙げながら述べておられることの、結論部分だけを引っ張ってきていて、そこだけ読まれる方にはわかりにくい部分もあるかもしれません。ぜひ原著も手に取ってほしいです。
 わが家の4人の息子たちはそれぞれ、高校卒業・大学進学の時点でわが家から巣立っていきました。末っ子が東京へ引っ越して11年。私たち夫婦にとって子育ては、遠い思い出となりました。そういう意味ではすでに「自分事」ではないのに、田中氏の言葉とその背景にある田中氏自身の親としての経験やクライアントとのやりとりには、なるほど!と思うことが多々ありました。「ああしておけばよかった!」という強い後悔とか、「やっぱりあれでよかったんだ」という自己肯定とか、そのどちらとも感覚としては遠いんですけど、なぜか納得できることが多かったです。

 最後から二つ目の「五味さん」云々の引用は、五味太郎『がいこつさん』についてのコメントです。『がいこつさん』というちょっとシュールでユーモラスな絵本はわが家でも人気で、タ行がサ行になってしまう次男が「がいこすさん読んで」と言ってたのを思い出します。絵本はふんだんに与えましたし、小学校低学年頃までは毎晩寝る前に読んでやる習慣がありました。『がいこつさん』もそうですが、本書でとりあげられている長新太『ごろごろにゃーん』とか、他には『三匹のヤギのがらがらどん』とか……もうたいてい忘れてしまいましたが(^^;)、繰り返し読んでとせがまれる定番絵本がありました。4人の息子のうち3人までが父親になり、孫が7人できたので、誕生日などに新しい絵本をプレゼントするとともに、わが家に置いている絵本を孫達が訪ねてきたときにあげたりしました。けれど、2年半前に30年住み慣れた津市の家を引き払って京都へ引っ越すときに大規模な断捨離をして、ほとんどの絵本を手放しました。
 こうして、子育ての思い出の「モノ」の大部分は私たちの暮らしから消えたんですが、日々の暮らしのふとした一コマの記憶は、いまでも折に触れて蘇ります。
 最初に戻って田中茂樹氏のお話は、教育科学研究会の会員として、関西教育科学研究会の講演として拝聴したわけで、現在の私にとっての日々の「自分事」とのつながりはうすかった(もちろん今も教育学を学び続ける者としての関心の範囲内には入っていますが)のですが、私が本書に大変大きな魅力を感じて、こうしてその断片を紹介しようとしているというのも、ある意味ではそれを現在の自分の「自分事」、自分にとっての「糧」にしようとしているということだなと、ノートを書き終える今思うのです。

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