39 教育学文献学習ノート(34) -1倉持祐二『食べることから始めてみよう~生活科・社会科・総合的な学習~』(喜楽研)

 (2023.3.1刊行 2024.5.21-7.18通読 ノート作成 2024.7.23/9.2-9.9)

  倉持祐二さんと私のおつきあいの始まりは、かれこれ40年以上前に遡ります。私が京都大学大学院教育学研究科の院生の時か、あるいは神戸大学大学院文化学研究科の助手を務めていた1980年代前半じゃないかと思うんですが、私は近畿教育系学生ゼミナール大会の社会科教育分科会に助言者として呼ばれ、分科会でたぶん世話人的な仕事をしていた倉持さんとの交流がその時から始まったと記憶します。当時、倉持さんは奈良教育大学の学生でした。その彼は大阪教育大学大学院に進学され、当時石井郁子さんの研究室や後には森脇健夫さんの研究室で開催されていた「社会科学と教育研究会」で私は倉持さんとも同席するようになったと記憶しています。
 私はその後宮城教育大学を経て1989年に三重大学教育学部に赴任し、そしてその2年後の1991年に森脇健夫さんも三重大学に赴任しました。私が教育課程論、森脇さんが授業論担当で、一緒に演習(と言っても研究室ゼミではなく、教育学専攻の専門科目)をやろうかという話になって、1992年度に教育課程論・授業論の合同演習を行ないました。学生を連れて学校現場に行こうという話になって、当時奈良教育大学附属小学校の教員になっていた倉持さんにお願いし、クラスに受け入れてもらいました。最初は倉持さんの授業を観察して分析していたのですが、何か新しい実践を作れないかということになり、ちょうど第6期小学校学習指導要領の全面実施年で倉持さんが担任している5学年で理科「ヒトの生命の誕生」単元が新設されたこともあり、性の授業をつくろうという話になりました。全8時間の「いのちのはじまりから新しいいのちへ」という単元計画を倉持さんが作成され、その中の1時間の授業プランを三重大学の学生たちが作成し、学生代表が授業を実施することになりました。学生の担当は、母親の胎内に生命が誕生して生まれる直前までです。その後の赤ちゃんが生まれるところについては、ちょうどその年にわが子の誕生を迎えられた倉持さんが父親としての感慨も含めて授業されることになりました。ところがその後事情があって(念のために申しますが、学生たちに何か落ち度があったわけではありません)、三重大生による授業は実施できなくなってしました。しかし、せっかく準備してきたプランを活かしたいともう一粘りして、学生の代わりに私が授業をさせてもらうことになりました。学生たちにとっては残念だったと思いますが、私自身にとって倉持学級で授業をさせてもらったことは、その後三重大学教育学部附属小学校や三重県内の小学校で繰り返し「ヒトの生命誕生の授業」を飛び込みで行なっていくことの発端となり、とても感慨深い体験でした。
 その後倉持さんは京都橘大学に移られ、2010年代には三重大学教育学部の「人権と教育」授業にも学外講師として来校されていました。あるとき授業に来られた倉持さんから京都橘大学で特任教授を募集しているという情報を聞いて私は応募し、採用していただくことになりました。2019年、30年間勤務した三重大学を停年まで1年残して退職し、ふるさと京都へ戻って京都橘大学(京都教育大学連合教職大学院兼任)に勤務し始めました。6年間という契約だったのですが、三重大にゼミ生も残していて三か所の勤務となったこともあり体調をこわしてしまい、残念ながら1年で退職することになりました。せっかく倉持さんと同じ職場の教員となったのに、まことに残念なことでした。ただ、たった1年の勤務の中で担当した児童教育学科3回生対象の「教育演習Ⅰ」の中で、私自身の1992年度奈良教育大学附属小学校での授業を紹介することにし、1992年当時に三重大の教員・学生グループを受け入れてくれた倉持さんがいまは縁あって同僚として同じ学科におられるので、私の授業だけでなく当時の倉持さんの授業も学生に紹介し(VTRも視聴)、倉持先生を私の「教育演習Ⅰ」に招いて学生からの質問に答えていただきました。最初の実践から17年後にこうした形で実践交流ができたことをとてもうれしく思っています。また私の京都橘大赴任の時期に合わせて、倉持さんや、以前から交流がある河崎かよ子さん、八木英二さんなどをメンバーとする「子どもを語ろう会」(季節に1回程度長岡京市で開催)に加えていただき、以後現在まで継続的に参加すると共に自分自身の大学教育実践を報告させていただいたりしています。実は今回取り上げる倉持さんの著書も、「子どもを語ろう会」の例会の折に倉持さんからいただいたものです。

 本書の構成は、以下の通りです。
第1章 子どもの食をめぐる今日的な状況
 1.家庭の食事の変化
 2.家庭の食事風景の変化
 3.食事をつくる料理の変化
 4.食べ物に関する関わりの変化
 5.食に対する意識の変化
 6.食のブラックボックス化
第2章 教育課程における「食に関する指導」の検討
 1.教科教育の中での「食に関する指導」の変遷
 2.教科外教育の中での学校給食指導の位置づけ
 3.「食育」の取り組みに求められるもの
第3章 生活科・社会科・総合的な学習における食べ物教材
 1.食べ物を教材にして何を教えてきたのか(学習内容)
 2.食べ物を教材にしてどのように教えてきたのか(学習方法)
 3.食べ物を教材にしてどう授業が変わってきたのか(教育実践の変遷)
 4.食の総合的な学習を構想する
第4章 食べて見つける自分のくらし
 【1年の生活科実践 おうちの人のカレーづくり】

  1.子どもから見た家庭や家族の移り変わり
 2.いま、家族をテーマに何を教えるか
 3.カレーづくりを通して家族の仕事を教える
 4.カレーをつくって食べて知る家族の仕事
 5.「カレーづくり」から「おうちの人のしごと」へ
 6.子どもが見た「家族みんなのための仕事」
 【1年の生活科実践 給食ののカレーをつくろう】
  1.牛の顔が見たい!
 2.じゃがいもでつながる人たち
 3.給食のカレーをつくろう
 4.「食べる」実践の広がり
第5章 食べて調べる地域の生産と労働
 【3年の社会科実践 森さんの奈良漬けづくり】

 1.「森さんの奈良漬けづくり」の魅力を教材化する
 2.「森さんの奈良漬けづくり」から子どもたちが見つけたもの
 3.子どもたちが知りたいことを追究する授業に
 【4年の総合的な学習の実践 10クラスのおもちをつくろう】
  1.きっかけはクラスの父親の言葉から
 2.農業体験の4つの教育的効果を活かす
 3.子どもたちの学びに目標と流れを
 4.おいしいおもちが食べたい
第6章 食べて考える現代社会の課題
 【5年の社会科実践 米づくり農家34人に聞きました】

  1.「お米調べ」から始まった農業学習
 2.米づくり農家の今
 3.米づくり農家34人に聞きました
 【5年の社会科実践 日本の漁業は生き残れるか】
  1.食べ物から現代社会の課題を見つめさせる
 2.漁業はわたしたちの重要な食料産業
 3.漁業の町・那智勝浦に日本の漁業の姿をみる
 4.日本の漁業は生き残れるか?
 5.ぼく・わたしたちが考えた「日本の漁業の今とこれから」
第7章 食べて考える日本の歴史
 1.きょうのごはん なあに・縄文
 2.きょうのごはん なあに・弥生
 3.きょうのごはん なあに・奈良
 4.きょうのごはん なあに・室町
 5.きょうのごはん なあに・江戸
 6.きょうのごはん なあに・明治
 7.きょうのごはん なあに・大正
 8.きょうのごはん なあに・学童疎開
 9.きょうのごはん なあに・現代
 10.食べて考える歴史の教育課程をめぐって
おわりに


 「食べることから始めてみよう」というタイトルがまずおもしろそうだなと思いました。ここ何十年か子どもの健康と食の問題は学校教育の内外で繰り返し取り上げられていますし、「食育」という言葉ももはや一般化しています。ただ、学校教育で子どもたちと向き合って学習に取り組む教師にとって、《食べることから始める》というのはそう簡単に言えることではないと思います。確かに毎日の学校生活で「給食指導」を行なっていると思いますが、授業の中で《食べること》を扱う、そこから《始めよう》というのは、簡単に言えることではないと思います。

【子どもたちは食いしん坊である。教室で、見学場所で、子どもたちは食べて学んだことを忘れない。
 はじめから意識して食べ物を教材に選んだわけではない。子どもたちと社会との出会いを考えた時、知らず知らずのうちに授業の中で子どもたちといっしょに食べていた。それに気づいたのは、「倉持実践は食べる社会科やなぁ」というサークルの仲間のひと言だった。
 子どもが社会に目を開くきっかけはさまざまにあるだろう。では、なぜ食べることにこだわったのか。
 子どもたちをとりまく食事情があまりに貧困に思えたのが直接のきっかけだった。食べ物に季節感がなく、しかも、だれが・どこで・どのようにつくったのかがわからない。そんな食べ物を前にして、現代社会の課題と向き合うきっかけがつくれると思ったのだ。
 ところが、食べ物の教材としての値うちはそれだけではなかった。育てて食べることで労働の意味を学ばせることができる。食べ物が生産物であることから、生産と労働の学習でも使える。歴史学習では、だれが何を食べるかで、社会の特徴やしくみにふれることもできる。食べ物を教材化すると、生活科・社会科の授業や総合的な学習で次のようなさまざまなメリットを生み出す。

(中略)
 自分たちで調べたり、体験したりしてわかる授業を進めるためには、何より子ども自身が問いをもつことである。食べるという活動は、子どもの五感をフル回転させ、子ども自身の中に問いを生み出しやすくする。しかも、食べる活動は「つくる」「調べる」「比べる」「まねる」などのさまざまな学習活動へとつながり、子どもが問いを楽しく追究する方法になる。問いを持ち追究することで、子どもにとって楽しくわかる学習が生み出されていく。(後略)】(P.3-4)

 古い話になりますが、私は47年前に京都大学教育学部に提出した卒業論文「社会科教育における児童の認識形成過程についての検討」の中で、1950年代半ばから1960年在前半期の教育科学研究会における社会認識の指導をめぐる議論を取り上げました。そこでは、戦後復活を遂げた生活綴方実践をベースに子どもに自らを取り巻く生活現実を徹底的に見つめさせることからそこからの解放を見通そうとする「生活綴方的教育方法」による社会認識指導論と、そのようなドロドロして捉えにくい生活現実に拘泥せずに、社会を科学的に分析する科学的認識を学問の系統性に従って獲得させた上で現実の分析に取り組ませるべきだとする「系統主義」の社会認識指導論が対立し、まことに残念なことに教科研内では後者が主流となって1960年代に社会科系統試案の試案が作成されるという流れに進みます。そこには《科学的認識は科学の系統に沿った学習過程を通じてしか形成されない》という機械的で頑迷な《科学教育観》がありました。しかしそれだと、学習指導要領の強力な「法的拘束力」の下、学習指導要領や検定教科書に記載されていない学習内容を教えることに強い規制がかかっている日本の学校教育においては、いつまでたっても子どもたちに科学的認識を形成することは望めないことになります。
 前出の倉持さんの述懐を読むと、まずは子どもたちの食べることへの強い関心に共感し、子どもたちとともに食べる体験を特に意識もせずに授業の中にも取り入れてきたこと、サークル仲間の指摘を受けてそれを意識化してみると、食に取り組んだ契機は子どもたちの貧困な食事情にあったことがわかります。しかしそこからさらに食べ物を媒介に現代社会の課題と向きあうことができるという仮説を持たれたことは、倉持さんのすぐれた着眼だと思うのです。
 この《食の学習の意識化・課題化》の経緯を読むだけで、そこでは《生活か科学か》みたいな不毛な対立は意識されていないことがわかります。子どもたちの置かれている現状とそこでの子どもの認識や行動を見つめて、その中から解決すべき課題を発見して子どもたちとともに取り組んでいく。これは特に生活綴方を持ち出さなくても、日本の良心的な教師たちが伝統的に取り組んできたことと言っていいでしょう。しかも倉持さんの課題発見の流れは、《子どもたちの食事情が貧困だから、食生活改善の指導をする》という直線的なものではなくて、そこから「現代社会の課題」(この言葉でどのような内容が意識されているかはまだこの「はじめに」部分ではわかりませんが)に結び付けるという、言わば食という問題を単独で取り上げるのではなくて社会の現状の中に位置づけて科学的に把握する方向へ向かおうとするものです。そこですでに生活現実の経験的把握とその科学的分析という二つのレベルの思考の往復運動が始まっていると私は捉えました。
 まずは「労働の意味」を結び付けています。たとえば農産物が農業労働の成果であるということを単に論理的に学習させるということではないのです。子どもたち自身が「食べて育てる」体験を通じて、労働の「意味」を体得させるというのです。目の前にある食べ物が突然自分に与えられて食欲や嗜好を満たしてくれる単なるモノではなくて人間の労働の成果・産物であることを、リクツだけでなく子どもたち自身が栽培活動を体験することでつかませるというのです。もちろんそこから、農産物生産・農業労働それ自体の学習へと繋げていくこともできます。制度やイベントの変遷に偏りがちな歴史の授業でも《その時代の貴族が、農民が、何を食べていたか》という情報を入れることで、現代に生きる子どもたちの生活との接点、その時代の人々について考える手がかりができます。自分の毎日の生活、そこでの関心事と何らかの繋がりを持つ形で学習対象・学習課題を設定することは、子どもたちが意欲的主体的に学習に取り組むことができる大事なきっかけになるでしょう。そのようなきっかけは様々に存在し、それをどれだけ発見できるかが教師の専門性の一つの重要なポイントになると思いますが、「食べること」はまちがいなくその大きなきっかけとなります。「『つくる』『調べる』『比べる』『まねる』などのさまざまな学習活動へとつなが」るのです。

 倉持さんから本書をご恵贈いただいたことへの返礼の意味も込めてこの文章を書き始めたものの、倉持さんが「社会科教育実践史の中で自分自身が実践した授業を意味づけて刊行」(ご恵贈いただいた本書に添えられたメッセージより)された包括的な内容を持つ本書について、この「学習ノート」でどのように紹介しコメントしたらよいか少々迷っていたんですが、「はじめに」への上記のコメントを書く中で少し見えてきました。それは、《子どもたちのリアルな食の体験を手がかりにして、倉持さんがそこからどのように子どもたちの認識を科学的な(方向へと広がり深まる)ものに高めようとしたのかを追跡する》ということです。このために、本書第1章~第3章・第7章については私自身が深く学ばせていただいたということを述べるに留めて失礼ながら紹介から割愛し、第4章~第6章について検討させていただきます。

 第4章 食べて見つける自分のくらし
【1年の生活科実践 おうちの人のカレーづくり】
1.子どもから見た家庭や家族の移り変わり

【ここ25年の間に、家庭や家族はずいぶん多様化した。「家族みんなで夕食を食べて」とか、「お父さんがいて、お母さんがいて」とか、もはや一様に家庭や家族をくくれなくなった。しかし、家庭や家族が多様化したといっても、家族みんなで仕事をしながら支えあっていっしょにくらしていることに変わりはない。そのことに気づかせることが教育実践上の課題になっているように思える。】(P.53)
2.いま、家族をテーマに何を教えるか
【子ども自身が調べたり体験したりしながらつかんだ事実から、家族の実態を知り、子どもの家族観・労働観を豊かにしていくようにと、次のような目標を立てて実践に取り組んだ。
<佐藤註・下線部分は原著で□で囲まれていた部分です。以下も同様。>
〇毎日のくらしの中にはいろいろな仕事があり、家庭によって、いつ、だれが、どのような仕事をしているのかには、ちがいがあることに気づかせる。
〇家庭での仕事には、自分のための仕事だけでなく、家族みんなの仕事があることに気づかせる。
〇家族みんなのための仕事は家族の生活を支えていることに気づかせ、家族の一人として協力できるようにする。
】(P.54)
3.カレーづくりを通して家族の仕事を教える
【カレーは食べ物である。教材にするには、カレーから何を学ばせるかを吟味しなければならない。さらに、子どもたち自身がカレーに関わりながら学んでいく筋道をつくる必要がある。】(P.55)
【残念なことに、家の仕事の体験はお手伝いを推奨することに結びつく。そうではなく、気づいたこと、たいへんだったこと、喜んでもらったことなどを交流させ、家事労働の意味と家族の役割を考えさせることが大切である。
 こうした課題をふまえ、おうちの人といっしょにカレーをつくることに挑戦させた。材料の買い出しから、調理・片づけまでのひとまとまりの仕事を体験させると、カレーづくりの仕事の過程や一つ一つの仕事の意味がわかる。そうすれば、カレーづくりが家族の仕事のモデルとなり、他の仕事をとらえる視点にもなる。】(P.55)
4.カレーをつくって食べて知る家族の仕事
【1ヵ月前から、子どもといっしょにカレーをつくることをおうちの人にお願いし、授業の準備を始める。】(P.55)
⇒各家庭に親子でのカレーつくりを提案し実行していただくことで、日頃家庭でカレーをつくってくれている親(あるいは家族の他の人)の労働を追体験してその努力・苦労に思いを致す子どももいるでしょう。しかし前節の引用を見れば、倉持さんはそこから各家庭の多様な事情を無視して「いつもカレーをつくってくれるおかあさんに感謝しましょう」みたいなパターン化されたエセ「徳目道徳」に流し込むような指導を拒否して、子どもたち自身が「ひとまとまりの仕事」というものをそっくり体験することで、子どもたちが自分をいつも《食べるだけの側》に置くスタンスにとどまることなく、また食事だけに視野を留めるのではなく、家庭での様々な仕事が展開されていることに目を向けて、その中に自分も生活していること(そしてもしかしたら自分も何らかの仕事に参画できるかもしれないこと)に、(《感謝》により《強制》されることなしに)に気づいていく子どももいるかもしれません。
●やすしくんの作文抜粋
【さいしょに、ざいりょうを かいにいきました。(中略)おもたかった。(中略)じゃがいもと にんしんも きりました。にくも きりました。かたくて かたくて おもいっきりきらなくっちゃ きれなかった。(中略)たべると、すごく おいしかった。おとうさんは、「おいしい、おいしい」って いってくれた。ぼくは、2はいたべた。おかあさんは、1ぱいちょっと たべた。おとうさんは、2はいたべた。】(P.55-56)
(1)カレーづくりのしごと
【カレーの材料を確認している時だった。野菜の上手な買い方を教えてもらった子どもが得意げに発表する。すると、自分のカレーづくりをみんなに聞いてもらいたくてうずうずしていた子がしゃべり出した。】(P.56)

⇒《わたしのおかあさんは、〇〇をとても上手にやってすごいと思いました》という発表ではないんですね。そういう驚きとか、それを友だちに気いてほしいと思う子どもももちろんいたのでしょうが、それよりも《自分がカレーづくりに参加していたこと》《うまくいかないなとか大人はすごいなと思ったりもしながら、とにかく自分も参加して家族みんなで協力してカレーをつくったという体験》を友だちみんなにも聞いてもらって、共有共感したいという思いだったんでしょう。家事労働を学習しているわけですが、そこに自分も参加して体験していることがとても大事だと思うのです(私の単なる推測ですが、倉持さんは1年生の子どもたちの各家庭の中にそういう《共同家事労働》を楽しく実行するには困難をかかえているような家庭はないと担任として判断した上で、各家庭に依頼を出されたのだろうと思います)
(2)カレーをつくるお母さん・お父さん
【授業は、自分と比べながら、カレーをつくるお母さん・お父さんの腕前に気づかせることをねらい<と>した。】(P.57)

●授業記録抜粋 <佐藤註:教師の発言は『 』、子どもの発言は「 」で表示されています。>
『自分とおうちの人を比べて、上手だなあと思ったところはどこですか』
「お母さんがじゃがいもを切っている時、トントンというきれいな音がしていたよ」
『自分が切る時はどうだったかな』
「カタンカタンという音。きれいじゃない」
「切ったあとのじゃがいもの大きさが、お母さんはみんな同じだった。ぼくはばらばらだった」(P.58)

⇒子どもは母親の包丁さばき=労働技術自体を詳細に伝えているわけではありませんが、音や形で伝えようとしていること(自分との違いを把握していること)が子どもらしく、また体験を通じてしか到達できない把握だと思います。
(3)カレーづくりの工夫
【食事づくりの裏側にある家族への思いを引き出すために、カレーづくりの工夫に注目させた。】(P.58)

●授業記録抜粋
『おうちの人は、カレーをつくるのに何か工夫をしていたかなあ』
「ゆっくり煮ながら、カレーのルーを入れてた」
「みんなが食べやすいように、細かく切った」
「お肉だけじゃなくて、エビやイカを入れてた」
『どんな工夫をしてカレーをつくっていたんだろうね。ノートに予想を3つ書きましょう』

(中略)
『みんなの予想が当たっているかどうか、おうちの人に聞いてごらん』(P.58)
【後日のインタビュー報告会で確かめられたのは、「ぼくが考えたよりお母さんはいろんなことを考えてカレーをつくっていた」ことだった。】(P.58)

⇒家庭でのカレーづくり(共同家事労働)について授業でシェアし合い、大人の労働の「工夫」(技術的専門性)を分析したり仮説を立てたりし、それを家庭へ持ち帰って検証した上再度授業でシェアする。つまり、子ども自身の体験をも含み込んでいる家事労働について家庭→授業→家庭→授業と二往復させながら認識を深めています。倉持先生は1年生相手の授業で分析とか仮説とか検証という概念には言及していないでしょうが、これはまさに科学的思考の基礎レッスンを行なっていると言えるんじゃないでしょうか。
5.「カレーづくり」から「おうちの人のしごと」へ
【カレーづくりを家族の仕事のモデルにして、おうちの人の仕事の全体像に迫る調査にとりくませていく。
 まず「見える仕事」を調べて調査用紙に書き、次に「見えない仕事」を聞き取って赤で書き加えていく方法をとった。二度の調査結果をまとめた表から、子どもたちはさまざまな発見をしていく。
 「お母さんがいちばん働いている」
 「お母さんが言った方(見えない仕事)がいっぱいある」
 「夜にする仕事が多い」
 「思っていたより、おうちの仕事が多い」
 そして、おうちの仕事の全体像がうかびあがってくると、「お母さんばっかり働いてたいへん」と性別役割分業のおかしさに目を向け始める。】(P.59-60)

⇒食事から他の家事労働へと対象を広げて子ども自身が観察や聞き取りの調査を行なうことで、まさに家庭生活において《子どもがすでに見えているもの》から《まだ見えていなかったもの》へと探索活動が広がっていきます。きっとおかあさんや他の家族の仕事について単に《知った》というのではなく、多くの驚きや疑問を伴った発見であったことでしょう。
 ただ、子どもにとって家族の家事労働をじっくり観察したり検討する作業は、時代に変化、家族像の変動などに伴って、簡単ではなくなってきています。このことをどう受けとめるかを倉持さんは次節に書いています。
6.子どもが見た「家族みんなのための仕事」
【わたしのカレーづくりの実践は、今から25年前に始めた。カレーをつくって食べることによって、カレーづくりには、調理に必要は腕前や工夫があること、家族に対する思いが込められていること、「おいしい」と言って食べてくれたときの喜びがあることなどを知らせ、家族にとってなくてはならない仕事が家事労働であることに気づかせようとしていた。
 ここ25年の間に、家庭や家族はずいぶん多様化した。もはや一様に家庭や家族をくくれなくなった。しかも、低学年から習い事で子どものくらしが忙しくなり、家事労働さえ子どもには見えにくい労働になってきている。だからこそ、子どもたちには、何のために家族の仕事をしているかを根本的に問う必要があるように思う。そこで、「自分のためのしごととみんなのためのしごと」という授業を考えた。
 あらかじめ調査させておいた家族の仕事を、「自分のためにしている仕事」と「家族みんなのためにしている仕事」に分けさせる。すると、家族みんなのための仕事は家族全員でしていることに気づくとともに、家族みんなのための仕事をたくさんしている人がいることにも気づいていく。

(中略)
 ここで、「なぜお母さんは、みんなのための仕事をたくさんしているのか」に答えてもらうために、3人のお母さんに登場してもらった。
(中略)
 次の時間までに、全員が同じ質問を自分のお母さんにして、お母さんの話を聞いてくることにした。子どもたちの調査結果を見ると、家族みんなのための仕事を一番しているのはお母さんだった。その事実を知った子どもたちは、「ふとんたたみなら ぼくもできる」「みんな がんばってるなあ」と言う。事実をきちんととらえさせることができれば、家族の仕事に対する共感や理解は自然に生まれてくる。こうした共感や理解は、子どもたちの中に、自分も支え合う家族の一員として参加したいという思いも生み出しているように思う。】(P.60-61)
⇒本節まで読んできて、前節までの実践報告は倉持さんの25年間の実践全体を集大成しての報告であることがわかりました(子どもたちの発言や作文は特定の年度のものでしょうが)。その間家族・家庭の実像は大きく変化し、子どもたちの目からは家事労働がますます見えにくくなってきた現実があります。そこで倉持さんは、家族の各成員の行動(仕事)を「自分のため」と「家族みんなのため」という目的の違いで分類することを通じて、毎日あたりまえのこととして見ている家族の行動が《家事労働を通じての支え合い(母親を中心とした過重負担を含んで)》という構造を持つものとして捉え直されることを目指します。事実を捉えることで「家族の仕事に対する共感や理解は自然に生まれてくる」と倉持さんはいいます。外からお仕着せの《家族規範》をあてはめて《親に感謝させる》必要などないのです。家事の担い方も家族によってそれぞれであり、最近話題にされるようになったヤング・ケアラーのように、親子の支え支えられる関係が逆転せざるを得ない家庭だってあるのです。現実をしっかりとリアルに見つめながら、そのことを通じて家族の絆を深めたり、あるいは不信・対立などの困難がある場合には、(必要な場合には外部の他者からの援助も得ながら)解決に取り組むことが必要です。

【1年の生活科実践 給食のカレーをつくろう】
1.牛の顔が見たい!

【「給食で飲んでいる森永牛乳は、どこの牧場の牛のお乳からできているの?牛の顔が見たいなあ」
 一学期の「給食場のおばさんのしごと」の学習をしている時に出た、とも君が知りたい不思議だった。とも君の不思議のおもしろさを学級のみんなも感じたのだろうか、学校のことをよく知っている人に聞いてみることになった。聞き歩いているうちに、栄養士の先生から牛乳をつくっている工場を教えてもらい、今度は手紙を出すことになった。子どもたちは期待しながら待っていたが、工場からは、「どうしても牛の顔を特定することはできませんでした」という返事だった。牛の顔を見ることができなくて残念だったが、人のつながりをたどっていくと行き先にたどり着くことを子どもたちは学んだ。
 入学して間もない一年生でも、興味が持てる素材さえ選べば、ものの来歴に注目させることができる。それなら、<もとのものをたどる>学習で、学校での自分たちのくらしが、学校の外にある社会とつながっていることに気づかせることができるのではないか。自分をとりまく社会の存在を認識していく第一歩にもなりうると考えて実践を展開した。】(P.62)

⇒唐突に思われるかもしれませんが、私は上記を読んですぐに吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(1937)の中でコペル君が考えついた「人間分子の関係、網目の法則」を思い出しました。以下、関係部分を紹介させて下さい。主人公で中学2年生のコペル君から彼の叔父さんへの手紙の一節です。
      僕は、こんどの発見に、「人間分子の関係、網目の法則」という名を付けました。(中略)
      最初、頭に浮かんだのは粉ミルクでした。だから僕は、この話をしたら、きっとみんながひやかすだろうと思うんです。僕だって、もっと立派なものを考えたかったんですが、自然に粉ミルクが出て来てしまったんだから、仕方がありません。
      月曜日の晩に、僕は夜中に眼がさめました。なにか夢を見て眼がさめたのですけれど、なんの夢だったか忘れました。眼がさめたら、どうしたんだか、僕は粉ミルクのかん
<佐藤註・「かん」には傍点が付いていますが省略します>のことを考えていました。うちで、おせんべいやビスケットをいれておく、あのラクトーゲンの大きなかんです。そうしたら、お母さんのいったことを思い出しました。僕が赤ん坊のとき、お母さんの乳がたりなかったので、僕は、毎日ラクトーゲンを飲んで育ったのだと、いつかお母さんはいいました。今のラクトーゲンのかんは、その時の記念だそうです。僕は、その話を聞いたとき、じゃあオーストラリアの牛も僕のお母さんかな、といいました。だって、ラクトーゲンはオーストラリアで出来て、かんにも、オーストラリアの地図がかいてあるからです。僕はそのことを床の中で思い出しました。そして、オーストラリアのことを、いろいろ想像しました。牧場や、牛や、土人や、粉ミルクの大工場や、港や、汽船や、そのほか、あとからあとから、いろんなものを考えました。
      その時、僕はニュートンの話を思い出しました。3メートルか4メートルに高さから落ちた林檎を、もっともっと高いところにあったと考えてみて、どこまでも考えつめてゆくうちに、ニュートンはすばらしい考えを思いついたのだ、と叔父さんがいったでしょう。それで、僕も、粉ミルクに関係のあることを、どこまでも考えていったら、どうなるかな、と思いました。
      僕は、寝床の中で、オーストラリアの牛から、僕の口に粉ミルクがはいるまでのことを、順々に思って見ました。そうしたら、まるできりがないんんで、あきれてしまいました。とても、たくさんの人間が出て来るんです。ためしに書いてみます。
      (一)粉ミルクが日本に来るまで。
      牛、牛の世話をする人、乳をしぼる人、それを工場に運ぶ人、工場で粉ミルクにする人、かんにつめる人、かんを荷造りする人、それをトラックかなんかで鉄道にはこぶ人、汽車に積みこむ人、汽車を動かす人、汽車から港へ運ぶ人、汽船に積みこむ人、汽船を動かす人。
      (二)粉ミルクが日本に来てから。
      汽船から荷をおろす人、それを倉庫にはこぶ人、倉庫の番人、売りさばきの商人、広告をする人、小売りの薬屋、薬屋までかんをはこぶ人、薬屋の主人、小僧、この小僧がうつの台所までもって来ます。(このあとは、あしたの晩、また書きます。)
      (つづき)僕は、粉ミルクが、オーストラリアから、赤ん坊の僕のところまで、とてもとても長いリレーをやって来たのだと思いました。工場や汽車や汽船を作った人までいれると、何千人だか、何万人だか知れない、たくさんの人が、僕につながっているんだと思いました。でも、そのうち僕の知っているのは、前のうちのそばにあった薬屋の主人だけで、あとはみんな僕の知らない人です。むこうだって、僕のことなんか、知らないにきまってます。僕は、実にへんだと思いました。
      それから僕は、床の中で、暗くしてある電灯や、時計や、畳や、そのほか、部屋の中にあるものを、次から次と考えてみました。そうしたら、どれもみんな、ラクトーゲンと同じでした。とても数えきれないほど大勢の人間が、うしろにぞろぞろとつながっているのです。でも、みんな、見ず知らずの人ばかりで、どんな顔をしてるんだか、見当はつきません。
      (中略)
      だから、僕の考えでは、人間分子は、みんな、見たことも会ったこともない大勢の人と、知らないうちに、網のようにつながっているのだと思います。それで、僕は、これを「人間分子の関係、網目の法則」ということにしました。(後略 以上岩波文庫版P.84-88)
 これに対して叔父さんから、コペル君の「人間分子の関係、網目の法則」よりももっと言い名前を考えてほしいというリクエストに応えて、「君が気がついた『人間分子の関係』というのは、学者たちが『生産関係』と呼んでいるものなんだよ。」(P.89)として詳細な解説がなされます。
 さて、中学2年生のコペル君(架空の人物ですが)が自分が赤ん坊の時におかあさんにつくってもらって飲んだ粉ミルクから想像を飛ばして、オーストラリアの牛から絞られた乳が加工されて運ばれ赤ちゃんだった自分の口に入るまでの道筋を考えた、その想像力には(吉野源三郎さんによるフィクションではありますが、そういう中学生がいたとしたら)舌を巻きますが、しかし倉持学級の1年生とも君も、コペル君の想像力の入口くらいには立っていたと私は思います。1年生の子どもたちも自分たちが毎日給食で飲んでいる牛乳は牧場にいる牛から絞られたものであることを知っています。だけどとも君は、その牛がいるのはどこの牧場なのか、僕が飲んでいる牛乳を出してくれる牛はどんな顔なのか、知りたいと思いました。きっととも君は給食の牛乳が大好きなんでしょうね。「牛の顔を見てみたい」というとてもかわいらしいとも君の疑問は、クラスの子どもたちの共感も生んだんでしょう。倉持先生は「さあねえ、どんな牛かなあ…」と流してしまうことをせずに、栄養士さんの協力を得ながら牛乳工場に照会します。工場からの返事は「どうしても牛の顔を特定することはできませんでした」という内容だったということですが、その文面にも子どもたちの疑問に答えてあげられなかったという残念さを私は感じます。コペル君は自分一人でどんどん想像を膨らませて粉ミルクの来歴を考えたんですが、倉持学校ではとも君とクラスの友だちと倉持先生と栄養士さんと工場の人というように《人と人の繋がりを拡げながら探索したこと》が素晴らしいと私は思います。この探究自体は初期的な段階で頓挫しましたが、コペル君が粉ミルクで終わらずに電灯、時計、畳……と次々と応用問題を解こうとしたように、倉持さんが言われる「ものの来歴」を辿るという活動経験、学習経験は、他の様々な経験を重ねることと相俟って、《目の前にみえているものから見えていないものへの繋がりを辿る》という科学的探究の初歩へと子どもたちをいざなっているんじゃないでしょうか。
2.じゃがいもでつながる人たち
【まずは、給食のカレーの材料をつくる生産者に出会うことをめざした。栄養士の先生に食材を購入している地域の八百屋さん(山本商店)を紹介してもらう。山本さんにはダンボールに表示されている出荷先や生産者名を野菜ごとに見せてもらった。その上で、出荷先の農協などに電話で問い合わせをした。
 結果として生産者までたどりつけたのは、北海道のじゃがいも農家・佐藤さんだけだった。しかし、それでも有意義だったのは、今まで自分とは無関係だった人たちが、給食のカレーの材料でつながり、自分の目の前に現れてきたことだった。子どもたちにも、こうした人びとのつながりで社会が動いていることを具体的に感じとってほしいと思った。
 給食のカレーの材料のうち、じゃがいも以外の材料は生産地などわかったところまでを知らせ、じゃがいもだけは生産者の佐藤さんにたどりつけるように計画を立てて学習を開始した。】(P.62-63)

⇒倉持先生の配慮、こころにくいですね。牛乳の体験から、子どもたちは自分たちの口に入る食べ物のルーツを辿ることに関心を持ち始めたでしょうが、それを1年生の力だけで実行するのは困難です。栄養士さん→山本商店と流れを辿って出荷先について情報を得る作業は、倉持先生が行なったのでしょう。その上で、唯一辿り着いたじゃがいも生産者の佐藤さんについては、後で見るように子どもたち自身が《自分たちと繋ぐ》活動に取り組めるように、情報探索の《余白を残した》わけですね。
3.給食のカレーをつくろう
(1)おうちのカレーと給食のカレーを比べる

【『今度は、給食のカレーとそっくりそのまま同じカレーを、みんなでつくって食べてみない?』
 私の呼びかけに対し、子どもたちからの反応は早かった。
 「きゅうしょくのほうが いれるやつがおおかった。」
 「どこから やさいとこめがきているか、しりたいです。」
 「どこで ざいりょうをかうの。わかんなかったら つくれないよ」
 子どもたちから出される疑問は、次の授業の学習課題になっていった。】(P.63)
(2)給食のカレーの材料を調べる
【給食のカレーの材料の出所を確かめるための授業をした。それは、カレーの材料は、学級園や大学の農場で育てた米や野菜を使っていると予想した子どもが少なからずいたからだった。】(P.63)

⇒子どもたちの発想はおもしろいですね。奈良教育大学のキャンパス内にある小学校という特殊性もあると思いますが、多くの子どもたちは自分たちの想像が及ぶ手近な範囲でカレーの材料が手に入ると予想したんですね。
【栄養士の森先生への質問は、どうやってカレーの材料をそろえているかに集中した。
 『学級園では、682人の材料はつくれません。だから、みんな野菜は八百屋の山本さんから買っています』
 「だれが買ってるの?」
 『注文するのは森先生がします。電話でね。』
 「山本さんの八百屋さんは、どこにあるんですか?」
 『ここから歩いて 10分くらいのところにあります』
 「お金。お金払ってないやん」
 『お金はちゃんと後で払っていますよ』】(P.63-64)

⇒おもしろいですね。この子は自分がおかあさんと買い物に行く時のことを思い出したんでしょうか。商品を手に取って、レジでお金を払う。《電話で注文しただけやったら、お金払ってないやん》と思ったんでしょうか。買うという行為について、八百屋さんで買う⇒その場でお金を払う、というイメージに加えて、電話で八百屋さんに注文する⇒八百屋さんが品物を届けに来る⇒(その場でか、つけか、わからないですが)後で料金を払う、という新しいイメージが追加されたことでしょう。
【ここではじめて、カレーの材料は八百屋の山本さんから買っていることを知り、お店の場所をつきとめた。もとのもとをたどる第一歩を踏み出したのである。それとともに、給食をつくる前に、材料選びをしている栄養士の先生の働きがあることを子どもたちは初めて知ることができた。】(P.64)
⇒コペル君は粉ミルクの缶からすぐに乳を出したオーストラリアの牛まで飛んで、そこから赤ちゃんの自分へのルートを考えました。中学2年生の彼は、ものを作る仕組み、運んで届ける仕組みなどについておおよそのことを知っています。だからその知識を結集し組み立てて牛から赤ちゃんの自分までを繋ぎました。これに対して倉持先生は、子どもたち自身がカレーをつくるという子どもたち自身の活動計画から出発して、そのために必要となるモノや人を一つずつ手繰り寄せていこうとします。
(3)山本さんに野菜がどこからきたのかを聞く
【子どもたちがいちばん聞きたかったのは、山本さんは、八百屋で売る野菜をどのように手に入れるのかだった。(中略)
 山本さんから聞いたのは、給食で食べるメークインは北海道産であることだった。さらに、山本さんの話から、北海道のメークインはどのようにして学校までたどりついたのか、どんな人がメークインを育てているのかに思いを馳せる子も出てきた。】(P.65)
(4)メークインをつくる佐藤さんに手紙を書く
さとうさん はじめまして。さとうさん おいしいメイクインをつくってくれて ありがとう。それで、12月21日(木)に きゅうしょくのカレーをつくることになって、さとうさんの おいしいメイクインがひつようです。それで あえないから かきました。それと ほっかいどうは さむいですか?       (おうせい)
⇒先取りしてしまいますが、佐藤さんは翌年3月9日に倉持学級に来てくれるのです。まだそんなことを知る由もないおうせいくんは「あえないから かきました」と書いています。子どもたちみんなが手紙を書いたんだと思いますが、おうせいくんは遠く北海道でじゃがいもをつくっている佐藤さんに願いを伝えるために自分も手紙を書くことが必要だということ、つまり、自分(たち)の力で見知らぬ人とつながるために手を伸ばすのだということを意識したでしょう。用件だけでなくて「さむいですか?」なんて聞いているのが、かわいいですね(^_^)。
(5)佐藤さんのメークインで給食のカレーをつくる
【八百屋の山本さんのお店でカレーの材料の買い出しをすませたころだった。子どもたちの手紙を読んだ佐藤さんから、カレーづくりに間に合うようにとメークインが教室に届いた。
 カレーづくりの日は、おうちの人に協力してもらいながら、佐藤さんのメークインを使った100人分のカレーをつくった。試食会には、子どもたちのアイデアで、給食のカレーと同じ味かどうかを判定してもらうために、栄養士さん・調理員さんにも参加してもらった。
 盛大にとりおこなった給食とそっくりのカレーをつくる試食会の様子を、子どもたちは次のように表現している。
 さとうさんのメークインは おいしかった。きゅうしょくの人もきゅうしょくのカレーよりおいしいとゆってくれました。わたしもおいしかったです。
  とくに さとうさんからもらったやつです。                      (はるな)
 そして、子どもたちの喜びの声を集めてつくったカレーづくりの文集と試食会の写真を、佐藤さんへのお礼として送った。】(P.65-66)
⇒はるなさんは「さとうさんのメークインは おいしかった。」「さとうさんからもらったやつです。」と2回も書いています。カレーには他の食材もいろいろあったでしょうが、自分たちが手紙を書いた結果北海道の佐藤さんが送ってくれたじゃがいもを使って作った、それがおいしかったということが特に印象に残ったんでしょうね。スーパーや八百屋さんでの買い物経験がある子どもはいるでしょうが、《この人が作ったこの食材でできた食べ物がおいしい》と意識する体験は初めてだったんじゃないでしょうか。
 もう一つ、子どもたちがすごいと思うのは、自分たちの活動を《カレーづくりごっこ遊び》にとどまらせようとしていなかったことです。給食のカレー=大人の本物の労働の産物と「同じ味」にしたいために栄養士さん・調理員さんに試食に参加してもらったというのです。まねごとではなくて本物の労働を体験できるか(そこに近づけるか)に子どもたちはこだわったというのです。コペル君が言う「人間分子の関係、網目の法則」に、子どもたちは《当事者として》参加したいと考えたわけです。
(6)うれしい手紙がとどく
 生産者の佐藤さんから、【3月9日に、1年2組に元気な声を聞きにいきたいと願っていますが、そちらの都合はどうでしょうか。】(P.66)と手紙が届きます。
⇒すごいですね。倉持さんがお礼とともに佐藤さんに何らかの打診、依頼をされたのかどうかはわかりませんが、ともかくもはるか遠い北海道に暮らす佐藤さんから、奈良教育大学附属小学校の子どもたちに会いに行きたいとリクエストがあったのです。
(7)北海道の佐藤さんがやってきた!
【3月9日。「佐藤さんとお話しする会」には、子どもたちのほかに、佐藤さんの顔をひと目見ようと、おうちの人や給食場の人たちが教室に集まった。
 佐藤さんを迎え、じゃがいものお礼を兼ねて、給食のカレーづくりの報告から始めた。はじめは緊張していた子どもたちも、やさしい人柄の佐藤さんにひかれて、北海道のこと、じゃがいもづくりのこと、家族のことなど、つぎつぎに質問をしていく。中でも、農家の佐藤さんを前にして、自然にじゃがいもづくりの仕事にふれた質問が多く出たことが印象的だった。
 佐藤さんとのやりとりがよほど強く心に残ったのだろう。どのじゃがいもを食べても、「北海道の佐藤さんがつくったじゃがいもだね」という反応が子どもたちから返ってきた。「北海道・じゃがいも・佐藤さん」の3つの言葉が結びつき、しばらく子どもたちの記憶からなくなることはなかった。】(P.68)

⇒1年生の子どもたちの親たちは、子どもたちの給食のことをもちろん日頃から気にかけておられたでしょうが、給食の食材を提供してくれている生産者がわざわざ北海道から来られると聞いて驚き、自分たちもお話を聞きたいと思ったんでしょうね。また食材購入ルートを子どもたちに照会した栄養士の森先生も、八百屋の山本さんが北海道からじゃがいもを仕入れておられることまではもしかしたら事前にご存じだったかもしれませんが、その生産者が子どもたちのために附属小に直接来られるという展開になったことには驚かれたのではないでしょうか。給食のカレーの食材を辿る子どもたちの学習は、親たちや附属小の他の教職員も巻き込む大きな活動へと発展していったわけです。
 そして本書P.67には、「奈良教育大学付属小学校から 厚沢部産メークを使って給食のカレーを実現~新栄の佐藤誠紘さんとの交流も~」という見出しのもとに1年2組の子どもたちと倉持先生の大きな写真と、子どもたちのカレーづくりと佐藤さんとの交流についての紹介文、そして2人の子どもから佐藤さんへの手紙が紹介された何かの記事のようなものが掲載されています。倉持さんは特に説明していないのですが、見出しからこれは北海道のじゃがいも生産者の側の交流誌か何かの記事だと推測されます。農業生産者の側から見ても附小の子どもたちのこの活動は刮目すべきできごとだったんじゃないでしょうか。
4.「食べる」実践の広がり
【低学年社会科のころから取り組まれている「つくって食べる」実践は、原料から食べ物への加工過程を学ぶ、地域の働く人の姿を学ぶことが中心だった。それに対し、つくって食べる前に、育てることを取り入れた「育てて、つくって食べる」実践では、飼育や栽培を学ぶ、ものづくり体験から昔の人びとの知恵を学ぶという新たな内容が加わった。さらん、「育てて、売って、つくって食べる」実践では、売ったり買ったりする活動を入れたことで、自分たちの活動が社会とつながっていることを子どもたちに意識させることができるようになっている。
 さらに、食べる実践に新たな提起をしたい。「給食のカレーとそっくり同じカレーをつくる」という強い動機が子どもたちの中に芽生えれば、食べ物の来歴に注目させることができる点である。もとのもとをたどることで、1年生の子どもたちにも、地域の人びととの出会いばかりでなく、より遠くの大きな世界に手をのばしていけるのではないだろうか。】(P.69)

⇒食べるという、子どもたちが強い動機と大きな関心を寄せる活動を真ん中に置いて、学校内の身近な(だけど日頃その役割を子どもたちは十分認識していなかった)栄養士さんや調理師さんに始まり、地域の八百屋さん、そして遠い北海道のじゃがいも生産者へと子どもたちの《繋がり》は広がっていきました(もちろん関係する大人たちの好意と支援があってこそですが)。子どもたちはすでに「より遠くの大きな世界に手をのば」す体験をしたわけです。これもまた《科学の方法の基礎の習得》と言ってしまうこともできますが、一人一人の子どもが《世界に繋がっていく方法の経験》をしたことこそが重要で、うまくいけばそれが次の学習活動へとどんどんつながっていくんじゃないかと思います。

第5章 食べて調べる地域の生産と労働
【地元の食材を使った給食が増えている。おかずに使う野菜や鶏肉、イチゴなどの果物、毎日飲む牛乳は、地元産だった。「給食で食べているイチゴをくくっている人の顔を見に行こう」と呼びかけると、中学年の子どもたちなら喜んでついてくる。地域で生産されるイチゴを扱えば、子どもたちは、イチゴ農家の仕事を具体的に学びながら、自分たちのくらす地域を知り、地域のイメージをつくっていく。
 そもそも食べることと「生産と労働」は不可分に結びついている。それゆえ、生産と労働を教える授業では、食べることが授業づくりのポイントになる。】(P.70)
【3年の社会科実践 森さんの奈良漬けづくり】
1.「森さんの奈良漬けづくり」の魅力を教材化する

【わたしは、奈良の伝統産業としての「奈良漬け」を教材化するのははじめてだった。それまでは、奈良の伝統産業として、「墨」を教材化していた。伝統産業としての墨づくりには、原料が人の手によって製品につくりかえられる過程の変化が子どもたちにもはっきり見えるからである。墨づくりの過程のほとんどが人間の手仕事にたよっていることから、生産の過程における労働の役割を教えるには格好の教材であった。
 しかし、材料をつけかえるという作業をくりかえす奈良漬けづくりは、原料がダイナミックに製品に変化してはいかない。だからこそ、奈良漬けを教材化したすぐれた先行実践は、おいしい奈良漬けをつくるための秘密をさぐることを学習課題にして、職人さんの手仕事の技なり、知恵のみごとさなりをうきぼりにしようとした。ここに、奈良漬けの教材としての魅力をわたしも感じていた。】(P.70-71)

⇒第4章からの続きで、まだ《カレーの口になってる》(^^;)状態で読んでいるので、正直「奈良漬けかぁ」と思ってしまいました(私自身は奈良漬けが好きですけど)。しかしここでの倉持さんの考察は、《食べ物を教材化する》という一直線で進められているわけではありません。3年生の社会科地域学習で《伝統産業を学ぶ》という別のラインがあります。もともと倉持さんの実践史でこのラインに沿って取り上げられていたのは食べ物ではなく「墨」でした。生産活動の過程、とりわけ人の手による労働が見えやすいからというのが着目理由でした。しかし奈良漬け生産ではモノの変化が見えやすくないという難点があり、先行実践も生産物としての奈良漬けよりも作る人の技術や知恵に焦点を当てたものでした(P.70)
 ところで、遡って考えるのですが、1年生の子どもたちの中にカレーが嫌いな子どもはいなかったんでしょうか? もしいたらカレーづくりから始まる学習を苦痛に感じたかもしれません。ただ推測ですが、多くの子どもたちはカレーが大好きだったんでしょう。翻って奈良漬けについてはどうでしょう。少し後の記述に、
【奈良らしいみやげ物として奈良漬けをあげる子どもは多いが、食べたことがあるのは10名程度と少ない。】(P.72)
とあります。この部分で食べた10名の感想は紹介されていませんが、想像するに苦味もありお酒の味もする奈良漬けに対する子どもたちの好みは分かれると思います。ただ、1年生のように《大好きなカレー》というスタンスで学習に臨まなければ関心や学習のエネルギーが持続しないとは言えないのかもしれません。3年社会科で自分たちが住む(たぶん)奈良に目を向けるようになり、《土産物として人気な品物》として奈良漬けがあることを知っているならば、自分自身の好みは別として《なぜ奈良漬けに人気があるのか》を学習課題とすることにも向き合える子どもたちが多いのでしょうか。このあたりに着目しながら続きを見ていきます。
【ところが、奈良漬け工場での森さんとの出会いから、わたしは奈良漬けの教材としての別の魅力にとりつかれてしまった。それは、職人さんの手仕事の技と知恵を支える生産者としての森さんの奈良漬けづくりへのこだわりだった。
 森さんは、材料となる野菜やくだもの、塩漬けの塩、酒かすを厳選し、「甘味料・調味料・添加物なし」の酒かすの風味だけを生かした奈良漬けの味をつくりだしている。その姿に、生産者としてのこだわりを感じた。
 森さんのこだわりは、伝統の味を守るというだけのものではない。むしろ、今の消費者が好む商品として「森の奈良漬け」の味を売りにだしていることである。
 森さんの奈良漬けづくりへのこだわりは、工場の中での奈良漬けづくりの学習からはみ出して、いまの社会と繋がる森さんの姿も見せてくれる。さらに、子どもたちを食の安全性の問題にも導いてくれると感じたのだった。
 森さんとの出会いからつかんだことをもとに、わたしは次のような2つの目標をたてて実践に取り組んだ。
〇自分たちがつくった奈良漬と森さんがつくる奈良漬とを比べて、森さんは、材料である野菜やくだものの塩漬けをしてから、ちがった酒糟に4回つけかえ、一年から二年かけて奈良漬をつくっていることをわからせる。
〇森さんの奈良漬とスーパーの奈良漬おのちがいから昔ながらの奈良漬の味をつくりだしている森さんの姿について考えさせる。
】(P.71-72)

⇒(一人一人の子どもがそれを好きか嫌いかは未知数な)奈良漬けの味、伝統にこだわり、しかも今の人の口に合う味づくりへの生産者森さんのこだわり。倉持さんが強く心を動かされたその職人像に、子どもたちはどこまで迫れるでしょうか?
2.「森さんの奈良漬けづくり」から子どもたちが見つけたもの
(1)「7C(7クラス)づけ」をつくろう

【子どもたちと奈良漬けとの距離を少しでもちぢめるために、自分たちの手で奈良漬けを作ってみることにした。自分たちがつくった奈良漬けと、森さんの奈良漬けを比べれば、その材料や作り方にちがいがあることもすぐ気づくはずである。
 さっそく、子どもたちと「7Cづけ」(子どもたちがつけた奈良漬けの名前)をつくる。材料は、にんじん・きゅうり・だいこん・ほうれん草・なす・たまねぎ・キャベツの7種類の野菜。酒かすは森さんからいただいたものを使った。子どもたちが言った通りに、とにかく野菜を酒かすに突っ込み、漬けた野菜の上から石をのせた。
 5日間ほどねかせてから、試食する日。「7Cづけ」を食べた感想を次のように書いた。
 1時間目のとき、7Cづけを食べてみました。にんじんを食べてみたら、はきそうになりました。だから、にんじんはだめだなと思いました。つぎは、きゅうりでした。酒かすがよくきいていました。でも、あんまりおいしくありませんでした。だから、見学にいって、ちゃんとしたならづけを作っているところをみたいです。       (隆旭)】(P.72)

⇒倉持さんはここでも、《子どもたち自身がつくること》から学習をスタートさせています。「子どもたちと奈良漬けとの距離を少しでもちぢめる」ことをねらってのことですが、食べ物つくりの進め方は第4章のカレーづくりに比べてある意味ずいぶん乱暴です。野菜と酒糟を使うわけですから別に安全性に問題はありませんが、子どもたちの思いつきのやり方でつくったのでしょう。その結果隆旭くんが書いているように、吐きそうな味のにんじん漬けや酒糟は効いているけどおいしくないきゅうり漬けができました。そこから隆旭くんが「ちゃんとしたならづけを作っているところをみたい」と思ったとは、(失礼な言い方ですが)まさに倉持さんの思う壺ですね。
 ところで酒糟は森さんにわけてもらったものを使ったということですが、「7Cづけ」試作以前に有名老舗店の(と思われる)職人である森さんのことについて、子どもたちはどこまで知っていたのでしょうか? 特に「7Cづけ」づくりで森さんからもらった酒糟を使うということを、子どもたちは試作の前に知っていたのでしょうか? あるいは試作品の味見をした時点で、倉持先生は「実はこの酒糟は森さんの名店の奈良漬けと同じものなんだよ」と明かしたのでしょうか?
(2)森さんの奈良漬け工場の見学
【試食をしてから、森さんの奈良漬け工場で見たいこと・聞きたいことを考えさせた。子どもたちの質問に共通していたのは、奈良漬けの作り方・作る量・つける期間・つける時に気をつけていること、材料の種類とその産地、工場で働いている人の数、工場の創業時期、働く人の苦労と喜びなどだった。
 奈良漬け工場を見学して、子どもたちが気づいたことはいっぱいあった。
 「酒かすにつける前に塩づけをしている」
 「樽に野菜をちゃんと並べて、野菜と酒かすをサンドウィッチのようにはさんでる」
 「1回つけたらいいのでなく、何回もつけかえてる。何ヵ月もつけるのにかかる」
 「ひょうたんもつけてるで。これスイカや」】(P.73)

⇒「7Cづけ」の試作経験が、しっかり効いています。塩漬け(これで野菜のうまみを引き出せるんだろうと推測します)、並べる・サンドウィッチにする(適当に突っ込まない)、何回もつけかえる、何ヵ月もかかる(5日ではできない!)、子どもたちの気づきの多くが、「7Cづけ」の試作(失敗)の経験をベースにしています。我流の奈良漬けづくりは、その意味では大成功でした。最初からプロの職人の話を聞き、プロの製造工程を見学したのでは「(よくわからんけど)すごいなー」で終わってしまうんじゃないでしょうか。
(3)森さんの奈良漬けと他の奈良漬けを比べる
【森さんの奈良漬けのこだわりの味に目を向けさせるためには、森さんがつくる奈良漬けの特徴をつかむ必要がある。そこで、子どもたちがさがした他社の奈良漬けと森さんの奈良漬けを比べさせる「奈良づけ ちがいさがし」の調査にとりくませた。そこから、子どもたちが奈良漬けをどう見ているのかを引き出し、森さんの生産者としてのこだわりと向き合わせようとしたのだった。】(P.74)

⇒倉持さんは、《伝統産品・奈良漬けの生産者としての森さん》という一事例を取り上げることで満足していません。他業者とは違う「森さんの奈良漬けのこだわりの味」に気づかせようとしています。子どもたちの日常生活においてはさほど身近とは言えない伝統産業とその製品について、さらに一歩掘り下げて捉えさせようとしています。
 大志くんのの「ならづけ ちがいさがし」調査報告には、次のように書かれていました。
【森さんがつくるならづけ:森さんの作るならづけは、うりとキュウリとスモモとスイカとニンジンとひょうたんとナスがありました。うりに酒かすを入れて作っていました。味は酒かすの味もきつくなくてちょうどたべやすいおいしさです。
自分が見つけたならづけ 名前(そごう):そごうの店にあるたるまさの奈良づけ スイカキュウリうりニンジンがありました。酒かすは少し森さんのにくらべて少なかったです。中からしるみたいな物が出ていました。味は、酒がきいててにがかったです。】(P.74)

⇒大志くんは、森さんの奈良漬けとたるまさの奈良漬けの酒糟の効かせ方の違いに気づきました。森さんのは「ちょうどたべやすいおいしさ」で、たるまさのは「酒がきいててにがかった」というのは、大志くんの正直な観察結果でもあり、また森さんの奈良漬けについて調べてきたことによる《身贔屓》も多少入っているかもしれませんね。(^_^)
(4)「森さんの奈良づけづくり」の授業
◆みんなで調べた奈良漬けと森さんの奈良漬けとのちがい

【『前の社会の時間、みんなで調べた奈良漬けと森さんの奈良漬けとを比べて、違っているところをまとめましたね』
 ・にがい ・からい ・防腐剤なし ・酒かすだけ】(P.74)

⇒先に登場した大志くんの挙げ足をとるわけではありませんが、森さんの奈良漬けは他社の製品より苦いというのが一致した判断のようです。大志くんもたるまさの品が「にがかった」と書いているものの、森さんの品は「たべやすい」としているだけで苦くないとは書いてませんが。味覚には主観的要素もあるとは思います。
◆森さんの奈良漬けをあてよう
【『ちがいがたくさん見つかりました。今日は、先生が三つの奈良漬けを持ってきました。お皿にはABCと書いています。どれが森さんの奈良漬けか当ててください』
「Bや。Bや。にがい」と子どもたちはBを支持した。】(P.75)

⇒「7Cづけ」試作には失敗した子どもたちですが、味覚でプロの味を味わい分けることはできると倉持さんは考えたんでしょう。また、当てる子どもも当たらない子どもも出てくる中で一人一人の味覚の違いを子どもたちは互いに意識するかもしれませんね。
◆森さんの奈良漬けの味
【『Aは、スーパーで買った奈良漬け。Bは、森さんの奈良漬け。Cは生協の奈良漬け。食べてみてどう思った?』
「AとCはBよりにがくなかったけど、Bはにがい」
「AとCはあまい」
「(Bは)酒かすがよくきいていて、つーんとする」
『みんなに三つの奈良漬けを食べてもらったんですが、どれもみんな奈良漬けでした』
「でも、味がちがう」
『なんでこんなに味がちがうんやろ?』
「作り方がちがう」
「材料がちがう」
「つけてる時間がちがう」
「酒かすの量がちがう」
『どれが本当だろうね。森さんに聞いてみないとわからないな。森さんになんて聞こう』
「スーパーに売っている奈良漬けと森さんのところで売っている奈良漬けの味はどうしてちがうの?」】(P.75)
◆森さんの奈良漬けのちがいは他にもある
【『実はね、ちがいがまだあります』
 森さんのお店で買ってきた奈良漬けの箱を示して、どこがちがうのかをたずねた。
「スーパーの入れ物はビニールだけど、森さんの入れ物は箱」
『ちがいは、まだありました。先生は、スーパーと森さんの奈良漬けを両方買ってきました。スーパーのは338円でした。森さんのはいくらだったと思いますか』
「森さんの方が高いんやろ」
『そう、700円で買いました』】(P.76)
◆森さんの奈良漬けは、なぜ高い?
【『両方とも同じ重さの奈良漬けです。どうして森さんのはこんなに高いのでしょう』
「作りたてですぐ売っているから、おいしいから高い」
「野菜とかつけてる時間が長くて、酒かすとかしみこんでいるから高い」
 ここで、スーパーの奈良漬けと森さんの奈良漬けの品質表示表に書かれているそれぞれの材料を子どもたちに示した。
『森さんのは、「吟味しました酒かすのみ」と書いています』
「でも、なんぼ言っても、700円は高い」
『スーパーのは、「さとう・水あめ・かつおエキス・調味料」と書いてあります。スーパーの方が材料をいっぱい使ってるね。それから、酒かすを使っているよ」
「だから甘いんや」
「スーパーのは一つ一つが少ない量でやっているけど、森さんのは酒かすをみんな使ってやっている」
『材料がつがうから値段が高くなるって言ったけど、スーパーはこれだけの材料を使っているのに安い。森さんのは酒かすだけなのに高い。なんで高いんやろなあ』
「(スーパーのは)あんまりいいものが入っていない」
「スーパーの方は分量が少ない。森さんの方がいっぱい分量を使っている」】(P.76-77 ここでの下線は佐藤)

⇒倉持先生が森さんの奈良漬けとスーパーの奈良漬けが同量であることを確認したことが重要だと思います。そうしたからこそ、子どもたちは奈良漬けの量ではなく質に集中して比較することができました。
 もう一つ重要なのは、子どもたちが森さんの奈良漬けの質の吟味を価格との関係で行なっていること(「なんぼ言っても、700円は高い」の発言にあるように)です。子どもたちは他の2つの奈良漬けよりも甘くなくて苦いということ、酒かすの味がよく効いていることを森さんの奈良漬けの特徴と捉えて(そしてそれが森さんの奈良漬けの人気の原因であるとおそらく把握して)いると思うのですが、倉持先生から338円と700円という倍以上の価格の差を知らされて、《森さんの奈良漬けには価格の高さに見合ったねうちがあるのか?》という新たな検討視点を得ました。
◆森さんに聞きたいこと
【『これも、森さんに聞いてみないとわからないね。森さんに自分だったらなんて聞きますか』
「なんで、森さんの奈良漬けは高いのですか」
「森さんより、スーパーの方が材料がいっぱい入っているのに、森さんの奈良漬けは高いのですか」
「どうして酒かすだけなのですか」
「スーパーの奈良漬けはなんで安いのですか」
『みんな、よく考えました。どう、森さんに聞いてみようか。教室に来てもらえるかな。たのんでみようか』
(5)これだけは聞きたい
【森さんが本当に教室に来てくれるとは思わなかった子どもたちは、大喜びで森さんをむかえた。つぎつぎにインタビューしていく子どもたちに、森さんはていねいに説明をしてくださった。とりわけ、「なぜ、スーパーの奈良漬けは材料をいっぱい使っているのに安くて、森さんの奈良漬けは酒かすだけでつけているのに高いのか」という質問には、子どもたちは熱心に聞き入っていた。】(P.77)

⇒またちょっと先取りしてしまうのですが、この部分からあと4ページ分の本実践記録の終わりまでに、子どもたちに答えた森さんの説明は収録されておらず、子どもたちが疑問に思ったことやわかったことの紹介に留められています。教室まで来て附属小3年生の子どもたちの質問に丁寧に答えて下さった森さんですが、伝統産品の製造販売業を経営されている以上、他社に知られるわけにはいかない企業秘密だってあるでしょう。倉持さんはそのあたりを配慮されて森さんの言葉を直接収録することは控えられたんじゃないかなと、私は勝手に推測しています。
 森さんへのインタビューの後に子どもたちが書いた「森さんへの手紙」を、倉持先生は文集にまとめて森さんに送るとともに、教室で読み合いました。その中で注目されたのが以下のなつみさんの手紙でした。

 森奈良づけ店は、スーパーよりせいぞうコストがかかるのはわかったけれど、やっぱり700円は高いと私は思うけれど、でも、しんせんでおいしいから、ねだんがたかいとも考えてもいいと思います。
 私は、700円と550円は、くらべると、どうしても700円というねだんにはなっとくできません。そこで、おしえてほしいのですが、ねだんを半がくにしないのですか。
 また、聞きたいことができたので、しつれいですが おしえてください

 なつみさんの手紙の中にある「スーパーと比べたら、それでも700円は高い」というなつみさんと同じ思いをもっている子どもが数人いた。これだけは、森さんに話を聞いた後でも、まだ納得がいかないという。どうして納得がいかないかと尋ねてみると、「値段が高くなる理由はわかるけど、そんなに高かったら、森さんの奈良漬けは売れなくなってしまい、店がやっていけない」というのだった。】(P.78)

⇒おもしろいですね。私は最初、《700円は高い》というのは、子どもたちがたとえば自分のお小遣いで買えるものの値段を想定してそれと比較して《これだけ高いと割に合わない》と判断したのかと思ったんですが、値段の高さを気にした子どもたちは森さんのお店の経営を心配しているのでした。大人だったら、《現に経営が成り立っているならこの値段でも大丈夫だろう》と判断してしまうところですが、子どもたちは森さんの奈良漬けとそれをつくっている森さんへの共感を強めているためか、売れなくなったら大変だと心配したのかもしれません。
(6)もう一つのインタビュー
 森さんから「手紙」への返事が来てそこで子どもたちの疑問に答えてくれた(回答内容は掲載されておらず不明)んですが、子どもたちはまだ「700円は高い」と言い、これについて議論します。
【「たしかに700円は高いけど、だれも買わなければお店も工場もやっていけない」
「わたしのおばあちゃんは、700円でも森さんの奈良漬けを買うと言ってたよ」
「じゃあ、森さんの奈良漬けを買った人にインタビューしてみようよ」
『買った人に何を聞きますか?』
「森さんの奈良漬けは700円で値段が高いのに、どうして森さんの奈良漬けを買うのですか?」
 さっそく森さんの奈良漬けを買った人へのインタビューを開始した。家族はもちろん、森さんのお店の前でお客さんにインタビューする子もいた。】(P.79)

⇒いや、子どもたちの行動力、感じた疑問を自らの行動で解決しようとするフットワークの軽さはすごいですね。家族なら簡単に聞けますが、森さんのお店の前で知らない人にインタビューするとは。
 ただ、それに続いて掲載されている調査結果報告を見ると、店のお客さんから聞けたのは、【奈良のお土産だから】(P.79)ということだけで、これに対して家族の聞き取りからは様々な理由が出されていました。子どもたちが聞き取り結果から得た、お客さんが700円でも買う理由は、次の通りでした。
◇森さんの奈良づけは、奈良のお土産として売れる。
◇森さんの奈良づけは、家族みんなに喜ばれる味。
◇森さんの奈良づけは、添加物がなく、安心。(P.80)

⇒子どもたちは商品の値段として高すぎるのではないか、これで売れるのか(森さんのお店の経営は成り立つのか)?と心配しました。調査の結果、森さんの奈良漬けの人気が高いこと、価格が高くても支持して買っていく人がいることがわかりました。ここから商品の価格設定、市場での競争、流通の仕組み等に学習を拡げていくわけではないですが、少なくとも子どもたちは、商品の製造コストが原材料費だけでは決まらないこと、商品の販売には他社との競争もあるが、必ずしも安いものほどよく売れるわけではないことなど、商品製造・流通の仕組みの一部を知ることはできたでしょう。そして、おそらくまだ疑問が解決していない子どももいたんじゃないでしょうか。それでいいと思います。その疑問を持つことがさらに社会について知りたいという探究心に結びついていけばすばらしいと思います。
3.子どもたちが知りたいことを追究する授業に
【子どもの中に、学ぶことに自らかかわろうとする力が弱いのではないかと思うことがある。それは、子どもが喜ぶようなさまざまな楽しい学習活動を授業の中に取り入れれば解決するというような問題ではない。子どもが提起しているのは、自分たちが学ぶ対象となる知識や技術に対してどうかかわっていけばいいのか、そのかかわり方の質を問題にしてほしいということではないだろうか。子どもが学んで楽しいと思えるのは、学んでいることが自分にとって値うちのあることだったり、今の自分にとって意味のあることだと感じるときだったりすると思う。
 また、学ぶ子どもの側の問題で言えば、子ども自身の主体的な学びが成り立ちにくくさせられている状況がある。忙しいくらしの中で、子どもたちは、自然や社会の具体的な事実を、感覚を通して学んでいく時間も場所も奪われているように思えてならない。忙しいくらしは、事実やものごとに対する感性をもにぶらせてしまう。子どもたちが自分のくらしの主人公になるには、まず自分のくらしがどうなっているのかを見つめる視点を子どもの中に育てていかなければならないそのためには、今の子どものくらしをどうみるか、子どものくらしの何にどうはたらきかけるかをさぐることは欠かせない。わたしは、そこから出発して、今こそ子どもたちが知りたいことを追究する授業にとりくんでみたいと思う。】(P.80-81 ここでの下線は佐藤)

⇒そう考えると、森さんの奈良漬けに関する学習活動の中で、子どもたちが関心を持ち調べようと思った様々な事柄の中のあくまで一つではあるとは思うんですが、おそらく子どもたちの多くが学習を通じて共感を寄せるようになったであろう森さんの奈良漬けが《なぜそんなに高いのか?》という疑問へのこだわりについては、さらに分析してみてもおもしろいと思います。(子どもたちみんなが奈良漬けが好きかどうかは別として)多くの子どもたちが共感を寄せる(奈良漬け一般ではなくて森さんの)奈良漬けについて、子どもたちはそれが多くの人に好まれてたくさん売れるといいと願ったんじゃないでしょうか。そしてそのためには、この値段(700円)では高すぎると思った。もっと値段を下げればもっと売れるんじゃないかと思うのに森さんはなぜそうしないかと疑問に思ったんだと思います。そこには《価格が安いものほど好まれ、よく売れる》という子どもたちなりの《流通観》がある。それはおそらく、自分自身で買うことを決められるのはもらったお小遣いの範囲に限られる(あるいは買い物をする時はそのつど親にお金をもらうが、高い物を買うことは認めてもらえない)という子どもたちの消費行動ルールが関係しているんじゃないでしょうか。
 例えば大人の観光客の場合であれば、奈良観光でさまざまな消費を行なう中で森さんの奈良漬けに出会った時に、まずはその人の日常の経済状態によって、700円を高いと思うか妥当と思うか安いと思うかの違いが出るでしょうし、自分の日常生活の買い物に比べて高いと判断したら手を出さないかもしれないし、あるいはそれでも旅の思い出に購入しようと思うかもしれません。あるいは子どもたちの親の場合なら、子どもたちが奈良漬けの価格比較の学習をしていることを知ればなおのこと、有名でおいしいようだけどやっぱり安いスーパーの奈良漬けにしておこうと思うかもしれないし、普段使いはスーパーの品にしておいてお届け物の場合は森さんのを買おうと思うかもないし、あるいはお盆とか正月に来客がある時にははり込んで森さんの奈良漬けを買おうと思うかもしれません。そうした多数の選択肢を想定できない子どものばあいには、もっと単純に判断するでしょう。
 また本実践では(当然難しすぎるために)話題にされていませんが(私も経営学がわからない素人として考えているに過ぎませんが)、商品価格=必要経費+利益であると考えると、価格中の利益率をどのくらいにするかという判断が必要になります。たぶん子どもたちもその問題に一部は頭を突っ込んでいて、1個700円で売れば1個あたりの売上金額は単価338円や550円の場合は多いけど、「半がく」にしておいたら100個売れるところが(売上金額35000円)、700円であるために20個しか売れないとしたら(売上金額14000円)結果的に損をする。価格を下げて販売個数を増やす方が結果的に得なのではないか…実践記録に売上金額の計算の話は出てきませんが、先の作文を書いたなつみさんなどは、そういう計算をしてみたことも考えられます。実際のところ名産品、人気商品である森さんの奈良漬けの価格は、店の営業活動の《看板》とも言えると思うので、そう簡単に上下させるわけにはいかないでしょう。いったん決定したら一定期間維持しないと、店の信用にも関わるでしょう。1個の奈良漬けを売ることで何円の利益を得ようとするのかは、難しい判断になると思います。しかも商品価格の構成要素である必要経費も、その時々のさまざまな経済的要因で変動します。必要経費が増えても商品価格を変更しなければ、当然利益が減少するわけです。必要経費を価格転嫁するのか、それともがまんして利益を減らすのか……こういう難しい話を子どもたちにしても理解できないであろうし、またいくら好意的に子どもたちの学習に協力してくれている森さんでも、店の経営事情をリアルに話すわけにはいきません。
 つまりそうなってくると、《森さんの奈良漬けはなぜ700円なのか?》という素朴な疑問は、いずれは解決できない行きづまりに到達することになります。とは言え子どもたちは森さんの奈良漬け店を経営する当事者ではないわけで、《そこまで自分事にして考える必要はない》という事柄でもあるわけです。むしろ子どもたちは消費者として、人気だけど高い森さんの奈良漬けを買っておいしく食べるのか、それとも他の安い奈良漬けを買うのか(あるいは奈良漬けは好きじゃないから買わないので、そのことで悩まなくていいのか)を家族といっしょに考えて行動するところで探究を終わらせてもいいと思います。ただ、価格問題ではそういう行きづまりに到達する可能性があるとしても、奈良の伝統産品で子どもたちも知っている奈良漬けをそれを作って売っている森さんという人の営みを自分たちの経験を通して知り得たことの中には、この子たちの将来に繋がる大切なものがたくさん詰まっていると思います。

【4年の総合的な学習の実践 10クラスのおもちをつくろう】
1.きっかけはクラスの父親の言葉から

 クラスの彩さんのお父さん(農業者)から、【子どもたちに農業体験をさせてあげてください。】(P.81)というリクエストを受けとった倉持さんは、こう考えます。
【食べ物を教材にするなら、小学生のうちに一度は育てて食べる体験をさせてやりたい。農業とは何をどうする仕事なのかがわかる。しかも、育てて収穫したおいしい農作物を食べたときの喜びを肌で感じることもできる。手間ひまかかる学習だが、農業を学ぶうえでの基本になると思うからだ。
 ところが、内容的にも、時間的にも、今の社会科学習の枠の中ではおさまりきらない。生活科での「お米ができるまで」をたどる学習でなく、5年生の生業としての「日本の農業」のような扱いでもない、4年生らしい農業学習を展開するには、米そのものをまるごと扱う学習がふさわしいと考えた。さらに、米を材料にして総合的に学ぶことで、自分たちのくらし(文化も)と米(稲)とのつながりという、今までじゅうぶん扱えなかった内容に真正面からとりくむことができる。
 こんなことをぼんやりと考えながら、4年生に向けて、米を教材にした総合的な学習の構想を始めたのは、3年生を担任していた9月のことだった。】(P.82)

⇒これはつまり、倉持さんの在任中の(現在のことは私は知らないので)奈良教育大学附属小学校では、2学年連続して担任をすることがルールになっていたということですね。だから3年生の2学期時点で倉持さんは翌年度に4年生を担任する時の社会科学習について計画を開始することができたわけです。
2.農業体験の4つの教育的効果を活かす
(1)子どもが農業にまるごと向き合う場をうみだす

【以前から、「米づくり」を学んだ子どもたちの中に何が育ったのかをみるたびに、わたしの社会科の「米づくり」の学習に何か物足りなさを感じていた。
 一つは、子どもたちの米への思い入れの弱さだった。これまでにも、「米づくり」の見学、田植えなどの体験、バケツでのイネの栽培・観察など、さまざまな活動をとり入れてはきたしかし、活動が細切れになってしまい、結果的には学習対象にはたらきかける子どもたちの力の弱さとしてあらわれていたように感じた。それゆえ、これまで社会科学習の中ではじゅうぶん保障しきれなかった農業体験をベースにして、子どもたちと農業とを向き合わせてみたいと考えた。】(P.82-83)

⇒私が1896.10-1989.3に在職していた宮城教育大学の附属小学校では、校地内に田んぼを作って米づくり体験をしていました。ある時何年生だか忘れましたが田植えか何かの活動を参観しに行った時に、活動の後ある女の子が「私はこれから、休み時間になったら田んぼの様子を見に来たいと思います。」と発言したのを今も覚えています。子どもにしたら《一生懸命お世話をしたい》という趣旨の発言だったと思うのですが、私が心の内で思ったのは、「そうか、米つくりは子どもにとっては所詮、勉強の合間の休み時間に面倒を見る活動なんだ」ということでした。米づくり農家の人たちにとっては、籾播き・苗床づくりから稲刈り・脱穀・精米・袋詰めまで、半年以上にわたる一連の活動の連続なわけです。農閑期にも田起こしとか肥料入れとか。そして猛暑や台風があるとその度に対処しなければなりません。それを学校の田んぼで《米つくり体験》をする子どもたちが全部体験できないのはもちろんだし、その必要もないと思うんですが、倉持さんが書かれているように自然相手の米作労働の中から学校教育にとって《都合のいいところ》《やれるところ》だけを切り取って子どもに体験させる学習活動で果たしてほんものの農業労働の何にどこまで迫れるかというのは、実体験を取り入れた労働学習を行なおうとする教師にとっては大変重要な、悩ましい課題です。
 それと、倉持さんが指摘される「学習対象にはたらきかける子どもたちの力の弱さ」というのは、別の側面としての子どもたちの食生活において《米への愛着、こだわり》がどの程度あるかということとも関係していそうです。はるか60年くらいも前の1960年代の私の小学校時代には、給食に白米が出ることはほぼなく、毎日食パンでした。1970年代以降の米余り時代になって米飯給食が広がったんじゃないでしょうか。今では米飯給食もどの程度かわかりませんけど全国に普及してはいるんでしょうが、その給食を含めて一日3食の食事の中で子どもたちはどの程度お米を食べているんでしょうか。帰宅してすぐ塾へ、というような忙しい生活の中でファストフードや、ひょっとしたらスナック菓子で空腹を満たしている子どももいるんじゃないかと思います。自分の毎日の生活の中に《米を食べる》ということがしっかり位置を占めていなければ、米づくりへの関心、思い入れも、強くなりようがない気がします。しかしそうは言いつつも、《生まれてから今まで全く米を食べたことがない》という子どもは(外国から来た子どもにはいるかもしれませんが、日本生まれの子には)おそらくいないと思うので、米と自分との関わりを意識するような学習活動の筋を一方で設定することで子どもたちの学習への《食いつき》も替わってくるんじゃないでしょうか。
 ともあれ倉持さん自身は、《農業体験のいっそうの充実》という方向で実践を改善しようとしました。
(2)地域で有機無農薬農業をすすめる水越さんや親との共同をうみだす
【農業体験をベースにした学習をすすめていくためには、地域の人や父母の協力は欠かせない。これは、米づくりそのものが共同的な仕事だからである。】(P.83)

⇒何気なく読み流してしまいそうですが、重要なことが書かれています。米づくりが「共同的な仕事」だというのはわかります。今では極少人数で大規模経営をする農家や農業法人などもあるでしょうが、一定規模の田んぼを経営するためには、節目節目で多人数の作業が必要になるでしょう。それはまあ、農業体験をほとんど持たない私だってわかります。注目すべきは、倉持さんが米づくりは「共同的な仕事」だからそれを学ぶにも「地域の人や父母の協力は欠かせない」と考えたことです。農業労働と農業学習は違います。農業学習は、教科書に載っている農家のエピソードをちゃちゃっと読んだだけでも「学習しました」と言ってしまうことはできます。農業を学ぶために活動体験を媒介することが重要だということだけではなくて、農業労働の《共同性》から学んで学習過程にも《共同性》を実現することが肝要だとは、なかなか誰もが思いつくことではないと私は思いました。
【彩さんのお父さんの紹介で、地域に住む有機無農薬農家の水越さんと出会うことができた。水越さんの田んぼは、学校から歩いて約40分(バスで20分)のところにあり、子どもたちの足でちょうど通える範囲内である。
 まず、水越さんと彩さんのお父さんとわたしとで、米を教材にした総合的な学習の構想を練り始める。話し合う中で、農業を肌で感じとってほしい、自分たちが食べるお米はどうやってつくっているかを知ってほしい、育てたものを食べる喜びを子どもたちに味わってほしいなど、さまざまな願いが生まれてきた。】(P.83)

⇒ここでも驚かされました。教師が社会科などの教材研究・授業プランづくりをする際に、外部のその道の専門家とか地域住民にインタビューしたりして情報提供を受け、それを織り込んで授業づくりをするということはままあると思います。しかし倉持さんは2人の農業者と共同で「米を教材にした総合的な学習の構想を練」ったと言うのです。もちろん2人の農業者は教育の専門家ではありませんから、実際に行なわれたことは上述の教師の一般的な教材研究とそれほど変わらないかもしれません。しかし倉持さんがやったことは、おそらく単に《専門家から授業の素材をもらう》という方法的なことだけではないと思うのです。食べているお米がどうやってつくられるか、また生産したものを食べる喜びを子どもたちに知ってほしいというのは、(倉持さん自身も想定していたことではあるでしょうが)生産者の願いが学校における学習の目標に反映されるということであり、直接の協力関係なしには実現しない《学習指導の新たな質》を生み出していると私は思います。
【ここで一つ気になっていたのは、育てて食べて終わりではなく、活動をつないで学習を広げていくことができないかという点であった。そんな折、「子どもたちといっしょにもち米を育てて、餅をつくりたい」という私の呼びかけに水越さんは快く応じてくれた。もち米をテーマにした総合的な学習は、子ども・父母・地域の人・教員との協力・協働が欠かせないことがはっきりしてきた。】(P.83)
⇒ここもすごいと思うのですが、倉持さんは(1)で記述している実践者としての懸案を、生産者の水越さんにも投げかけたということです。農業労働における共同性(協働性)という本質を、そのまま子どもたちに体験させることはできなくても、餅米を育てて餅に加工し食べるという一連の活動の中で別の共同性(協働性)を実現したいという倉持さんの構想を農業者の水越さんがどのように受けとめられたかまではわかりませんが、とにかく快諾されました。
 また先に私が指摘した《子どもたちと米との親縁性》の問題との関係で言えば、収穫した農産物から食品を自分たちで(様々な人たちの協力の中で)作るという活動体験が《親縁性》を深める効果を持つだろうということは予想できます。次項のはじめの部分を読んでそう思いました。
(3)自分のくらしを「米」から見つめる学習をうみだす
【4年の学習としては、「自分のくらしと米とのつながり」に焦点化させたい。目に見えない文化を含めて、自分たちのくらしそのものが米と深いつながりをもっていることを感じとってほしい。そのためには、4年の社会科の学習である「奈良盆地の米づくりと水」で、自分たちが米を育てる田んぼの水はどこからくるのかを調べる活動も必要だし、植物としてのイネ成長を学ばせることも必要になってくる。その点では、「米」にかかわる中でうまれてくる子どもの問題意識にそって、学習を広げていきたいと思っている。「米と自分のくらし」というテーマでの学習は、自分のくらしから米づくり農家がかかえる今日的な問題を考えるという5年の日本の農業の学習にもつながっていく。】(P.83-84)
(4)仲間との共同をうみだす

 共通の目的の下「つくる」「食べる」学習経験を重ねて、子どもたち同士の結びつき、共同行動を進めたいという倉持さんの期待が述べられています。
3.子どもたちの学びに目標と流れを
 倉持さんは、【教師の問題提起(課題提起)を子どもたちがうけとめ、学習経験を広げていきながら、そこからうまれた子どもの問題意識にそて、子どもたち自身が学んだことを関連づけながら学習を深めていくような指導】(P.84)を行なうという基本方針の下、【子どもの学びと向き合い、子どもが何を考えて、何に目を向けているのかをつかみ、子どもの考えを子どもどうし、あるいは外の世界のさまざまな事象や人の考えとつないでいくこと】(P.84)に留意した指導を行なうこととし、総合的な学習の授業でも【認識の内容と方法をあいまいに】(P.84)しないとして、以下の学習目標を立てました。
〇10クラスみんなでもちを食べるために、有機無農薬で米づくりをしている水越さんに米づくりのやり方を教えてもらいながら、もち米を育てる仕事(もみまき・田植え・草取り・稲刈りなど)から、もち米をもちにつくりかえる仕事(とぐ・蒸す・つく・まるめる・味をつける)までを、自分たちの力でとりくませる。
〇イネの成長を追いながら、栽培植物であるイネは、種から芽が出て、分けつを繰り返しながら成長し、花が咲いてたくさんの実がなることをわからせる。
〇雨が少ない奈良盆地では、米づくりに必要な水を確保するために、田んぼからは遠くはなれた山間にまでため池(丸尾池)をつくっていることをわからせる。
〇稲(ウルチ米ともち米を合わせて)の体のそれぞれの部分は、自分たちのくらしのさまざまなところに利用されていることをわからせる。
〇「10クラスみんなでもちをつくって食べたい」という共通の願いを実現させることを通して、学級の仲間づくりをすすめる。
(P.85)
4.おいしいおもちが食べたい
(1)4月 10クラスのおもちをつくろう

【「学校から歩いていけるところに、水越さんの田んぼがあります。水越さんは、みんなが米づくりをするなら、田んぼをかしてあげてもいいと言ってくれています。みんなどうする?」
 子どもたちに提案して、子どもたちの中に米づくりに対する願いがうまれるように、焦らずじっくりと話し合う。子どもたち自身に目標がなければ、息の長い米づくりのとりくみなど到底できない。話し合いの焦点は、どのようにして食べるかに向けられた。「もち米を育てて、おいしいおもちが食べたい」と言った真梨奈さんの願いが子どもの中に広がり、学級のめあてとして、「10くらしのおもちをつくろう」ができあがった。】(P.85-86)
(2)もみまきから稲刈りまで
[5月1日(土) もみまき・苗代づくり]

 茉里子さんは、もみを【かさならないように置くことは、思いもよらないほどむずかしくて、後でならすのがしんどかったです。】(P.86)と書きました。
【苗代づくりを終えて、米づくりをする田んぼを見学した。みんなで田んぼの大きさを歩いて測る。子どもたちの足で、一周およそ290歩。前に1キロメートルの歩数を数えたこともあり、子どもたちもおおよその大きさならわかる。教室2つ分より大きめの田んぼであった。】(P.86-87)
⇒田んぼを見学したわけですから、子どもたちは目の前の田んぼの視覚的な大きさはわかったでしょう。また、「周囲〇メートル」と教えられれば、数字でもわかります。しかし倉持さんは、歩いた歩数で田の大きさを体感させました。数字だけでも、ものさしや巻尺でもなくて、自分の歩幅の何倍かで田の大きさを実感することは、労働の場としての田んぼを体感的に把握することにつながるでしょう。
【次の日、学校でもバケツにもみまきをして、イネを育てていくことにした。日常的にイネの成長をつかませながら、水越さんの田んぼでの米づくりの仕事の計画をたてさせるためである。】(P.87)
⇒私は三重大学在職時代に、JA三重の「バケツ稲キャンペーン」で少量の籾と肥料をもらって、自宅庭や大学でバケツ稲栽培をしたことがあります。その時、自ら畑づくりもされている同僚のF先生から「ちっぽけなバケツで稲を育てることで農業の何がわかるか」みたいな批判をされて、議論したことがあります。私にとっては籾から芽が出て茎を伸ばし、やがて分蘖するのを観察し、夏の朝にたった30分くらいしか見ることができないというイネの開花の写真を撮ったりできたことは、感動の体験でした。バケツ稲作りはもちろん農業体験でも何でもありませんが、しかしイネという植物の生態を知る一助にはなります。F先生には無意味でも、私には大いに有意味でした。プロの農業者のように毎日田んぼを見回ることができない子どもたちにとっても、毎日観察できるバケツ稲を見ながら田んぼの稲の成長に思いを馳せることは決して無意味ではないでしょう。
[6月16日(水) 田植え]
「田植えって はまるなー」
 田んぼのとなりに、ビニールをかぶせてある所で、水こしさんにうえかたをおしえてもらいました。
 いよいよ田んぼに入ります。入ってみると ぐちょぐちょの土の中に入って、足がしずむようでした。わたしは、田んぼってあさいもんだとおもっていました。でも、じっさい田んぼにはいってみると、けっこう深かったです。だんだん、なえをうえていくうちに、このぐちょぐちょかんが楽しくなってきました。すると、なえをうえるのも、だんだん早くなっていました。田植えって、楽しいなーと思いました。
もっと もっとやりないなー。こんどは、きかいにのって田植えをしてみたいなー。(彩)
(P.87)

⇒この実践記録冒頭での紹介によれば、彩さんのお父さんは農業者です。しかし彩さんにとって田植えは初めての経験だったようです。彩さんのお父さんは当然ながら機械植えをされているのでしょう。
 裸足で田んぼに入った時のあのなんとも言えないヌルヌル感は、子どもたちに強烈な印象を与えるでしょう。中には気持ち悪いという否定的感想だけを持つ子もいると思いますが、足だけでなく体中泥々になる感覚体験は、他では味わえないものであり、子どもたちにとって貴重な機会だと思います。しかしそれ自体は、今の農業では(田植え機で植え残した田の縁の部分に植える場合などを除いて)すでに《克服》されたものであり、そこだけにこだわると労働体験というより《昔の人の生活の追体験》か泥んこ遊びになってしまいます。しかしながら、ぬるぬるする泥に体をとられながら軽い苗を植えるというより泥の中に置いていく田植えを体験すること、そして彩さんも書いているように、子どもなりに上達して作業効率を上げていける喜びを体験することなどは、敢えて言えば《昔の人の労働のsimulation》ではありますが、こうして小さな苗を田の中に植えていくことが米つくりの第一歩なんだということを体感できる得難い経験だと思います。そしてまた、自分たちがこれだけ苦労してやった苗植えを機械が軽々とあっという間にやっていくという事実を知って、人間の労働技術の進歩に驚くことにつながります(農業機械化が農業者に経済的な苦労を負わせていることの認識は次の段階でもいいでしょう)。
[7月17日(土) 草取り]
 イグサという草をとりました。草はあんまり見つかりませんでした。前行った時とくらべると、水がそんなに入っていませんでした田んぼの中には、カエルや、アメンボや、名前はわからないけど、すごく小さくて飛ぶ虫がいました。足を入れると、何だか気持ちが悪かったです。でも、がんばってイグサをさがして歩き回っていました。
 いねの葉と形がよく似ていて、せの高さが少し小さめなのがイグサです。水こしさんが、カブトエビがいるからイグサが小さいと言っていました。ぼくは、5~6本のイグサを見つけました。みんなでいっしょうけんめいとったから元気に育ってほしいと思いました。  (裕希)
(P.88)

⇒水越さんは有機無農薬栽培をしているということですから、雑草は多く生えるんじゃないでしょうか。たまにしか来ない子どもたちに変わって水越さんが草取りをしていたのでしょうか、裕希くんは草はあまり見つからないと書いています。カブトエビは「日本では6-7月、水田などに大量発生する」(wikipedia)そうです。田んぼに農薬を撒かなければより多く発生するのでしょうか。イグサの成育をカブトエビが妨げるという自然の摂理を水越さんは積極的に活用しているんでしょうか。
[8月26日 イネを見にいった]
 今日、いねを水こしさんの田んぼへ見にいった。ぼくは、花ってどんなのだろうと楽しみにしていたけど、「花はまださいていない」と先生が言ったのでがっかりしました。いつもとちがて、今日は行きもバスにのりました。
 水こしさんの田んぼについたら、まず休けいをしました。それから、いねを見に行きました。ぼくは、90cmもあったので、びっくりしました。学校のは70cmだったので、やっぱりちがうんだなあと思いました。
 水こしさんが先生に話していたのを聞くと、日あたりにも関係があると言っていました。水こしさんは、いねの先がまっすぐの時は、水を入れなければならないけど、いねの先がまがったら、水はいいと言っていました。
 ぼくは、いねを見た時、前とちがってずいぶんのびたと思いました。 (裕希)
(P.88-89)

⇒裕希くんやクラスの子どもたちにはお気の毒ですが、イネの「開花時間は午前中から昼頃までの2-3時間と短い」(wikipedia)のであり、そう簡単には遭遇できないと思います。私自身は自宅でプランター稲作りをしていた1990年8月4日(籾蒔きから94日後)に開花を観察し、撮影することができました。籾が開いてから閉じるまで、約30分間の出来事でした。
 でも子どもたちは後日、学校のバケツ稲で開花を確認できたようです。よかったですね。
[9月18日 奈良盆地の米づくりと丸尾池の見学]
【奈良盆地の6月~9月の降水量は少なく、人びとは米づくりに必要な水を確保するために、たくさんのため池をつくってきた。子どもたちが稲を育てている田んぼも、ため池の水を使っている。
 これまでにも、4年生の地域教材として、「奈良盆地の米づくりと水」をテーマにした学習にとりくんできた。今回は、米をテーマにした総合学習とタイアップさせてとりくんだ。「稲を育てておもちを食べたい」と願う子どもたちに、水の管理の大切さを肌で感じとらせることができると考えたからである。
 当日は、すり鉢のような形をした丸尾池へとむかった。そこから、池の水が田んぼまでつながっていたのを確かめた。】(P.89)

⇒降雨の少ない奈良盆地ではため池に農業用水を確保しなければならないこと、水は高いところから低いところへ流れるから、田んぼの標高よりも高いところに池を置かなければならないこと、これらのことは知識としてでも子どもたちに理解できると思いますが、倉持先生は子どもたちに山を登らせて丸尾池まで連れていき、さらにそこから田んぼまでのルートを歩いて辿らせます。農業に不可欠の水を自然を開拓して確保してきた先人の苦労の一端を体験的に理解させたかったのだと思います。
[10月20日 稲刈り]
(前略)これまでにも、おうちの人への参加を呼びかけ、子どもたちといっしょに米づくりにとりくんできた。しかし、稲刈りには、これまで以上にたくさんのおうちの人が集まってくれ、午前中かけて一気に稲刈りを終わらせることができた。「簡単そうに見えたけどむずかしかった」という。】(P.90)
 きょう、田んぼへいねかりに行きました。水こしさんと彩ちゃんのお父さんが、いねを切ったり、ひもで結んでいるのを見てたら、かん単そうだったけど、自分で最初たばになっているのを結んでるうちにむずかしくなって、結べても、そんなにうまくありませんでした。
 次に、わたしが、かまでいねを切るばんがきました。1回できれません。少しずつひくようにやってた切れました。近くであきおくんのおじいちゃんが1回でどんどんきっていきます。前をみると、もういねがちょっとしかありません。みんなが集まってきて、いっせいに切りにきました。いねは、全部きれたので、あとはひもで結んでさげるだけです。
 まこちゃんとゆきなちゃんと、まりなちゃんとお弁当を食べました。早くもみとりをして、もちつきをして、みんなでおもちを食べたいです。      (桃子)
(P.91)

⇒桃子さんはプロである(であろう)あきおくんのおじいちゃんの稲を刈る作業、水越さんと彩さんのお父さんの刈った稲を束ねる作業を間近にみて、自分との手際の違いに驚きます。でも単に「大人の人はすごい!」と感心しているのではなくて、自分なりに試行錯誤して少しずつ手技を身につけていきます。こうした作業を経て桃子さんは友だちと弁当を食べながらもちつきへの期待を膨らませるのですが、そこでのもちつきのイメージはどこかで出来合いの餅米を調達して行なう餅つきとは相当違う思いを込めてのものになるでしょう。
 ちなみに桃子さんは稲を刈ることをずっと「切る」と書いています。刈るというような行動が日常生活の中にないからでしょうか。
(3)くらしの中の稲さがし
[11月19日 稲からできるものさがし]

【子どもたちには、くらしの中で見られる稲からできるものさがしの調査をさせた。予想以上の多さにびっくりするとともに、食べ物だけでなく、くらしの道具などにも数多く使われていることに気づいたようだ。調査したものの中から、「食べる物としてもちをつくりたい」「道具としてしめ縄をつくりたい」という子どもたちの声で、今後のとりくみの方向がきまった。】(P.91)

⇒餅米を栽培して収穫し、餅を作るという一直線の活動だけではなくて、米というものをその成育過程を含めて身近に体験的に理解できたことを土台として《社会の中の米》という新たな視点を倉持さんが導入することによって、子どもたちはより広い視野から米というものをとらえるようになったことでしょう。米つくりから餅つくりまでの活動を完結してから視野を広げるのではなくて、米の栽培活動から加工調理活動へと転換する変わり目でこの活動を位置づけたことにも意味がありそうに思います。
(4)稲でつくる
[11月29日 おもちを作る会]

 田んぼについて、お母さんたちがよういをしていました。そして、いよいよおもちつきが始まった。
 Aグループからつくから、ゆかのグループはAだから、いちばん最初でした。ゆかは、(5月からずーっと11月まで育ててきたんだなあ)と思いながらついた。きねを持つと、けっこう重かった。ゆかは、一つだけ不思議なことがあった。(つく前はふつうの米だけど、きねでつくと、ねばねばしてくるかなぁ)と思った。
 そして、赤米と黒米とふつうのおもちの三種類つきました。そして、たのしみの食べる所がきた。おもちは、ほっぺたがおちるほどおいしかった。他の物もおいしかった。ゆかが前に日記に書いていた願いがかなった。うれしかった。  (由佳)
(P.92)

⇒調理や食事の便宜を考えたら学校の家庭科室でも使って餅つきをした方がやりやすかっただろうと思うのですが、また天候上のリスクもあっただろうと思うのですが、子どもたちの米づくりの場であった田んぼに敢えて道具を運び、みんなが集まって餅つきをし、食べたということの意味が大きいんだと思います。この場での活動であったことにより、由佳さんの「5月からずーっと11月まで育ててきたんだなあ」という感慨は、より強まったことでしょう。餅米を蒸す作業も田んぼのそばで行なったのかどうか、由佳さんがその作業を目撃したのかどうかはわかりませんが、由佳さんは搗く過程で「ふつうの米」「ねばねばしてくるかなぁ」とその変化に関心を寄せています。
[12月1日 しめ縄づくりの会]
【「明大くんのおじいちゃんに、しめ縄づくりを教えてほしいという子どもたちの願いがかなう。(中略)おじいちゃんのしめ縄づくりを見たことがある明大くんも、自分の力でしめ縄ができるとは思っていなかったようだ。】(P.93)
 じいちゃんが、しめなわのせつ明をしてから、しめなわ作りがはじまりました。
 まず、ひねりをしました。10回ぐらい右ひねりとかいうのをやってしまいました。けど、一応最後には左ひねりができました。そして、まるくしてひもでくくり、わらを7本・5本・3本ずつさしました。そして、ひもでくくりました。それから、むらさきのかみで、ひもの所をかくしました。そして、ついにできあがりました。3時間ほどかかりました。じいちゃんが手伝ってくれたので、うまくできました。
 ばあちゃんも、お母さんも、「けっこう うまい」と言ってくれました。自転車
につけたいです。    (明大)
(P.93)

⇒縄を綯うプロセスについての明大くんの説明はよくわかりませんが(^^;)、見よう見まねでじいちゃんの助けももらいながら一生懸命しめ縄を仕上げたことはわかります。「自転車につけたいです」がかわいいですね。
[12月 障がい児学級との交流会]
(前略)12月に入って、障がい児学級(19クラスと呼ぶ)から10クラスとの交流会の申し入れがあった。さっそく話し合いをして、10クラスと19クラスとの交流会をすることに決定。それぞれのクラスから実行委員を出して、実行委員が中心になって交流会をすすめていくことにした。
 19クラスに交流会の申し入れを受けることを返事する日。どんな交流会にしたいかの10クラスの案を学級で話し合った。19クラスも交流会の案を考えているから、両方の案をもとにして、実行委員が交流会を計画していく。
 「エンドボールをして、いっしょに あそぼう」
 「そんなんでけへんで。だって、体育の時間にやってへんやろ」
 「1年生もいるから、おにごっこがええわ」
 『いっしょに あそぶのはいいけど、10クラスにしかできないことをしたらどうかな』
 「そうや、おにごっこやったら、他のクラスでもできるわ」
 しばらく沈黙がつづいた。「10クラスにしかできない交流会とは何か」という問いが、教室の空気を重くした。
 「もち米はまだある? あったら もう一回19クラスとおもち作りをしたらどうかな」
 『水越さんにお願いしたら、分けてくれるかもしれないね』
 10クラスからもち作りの案を提案して、19クラスのみんなにも賛成の意見をもらった。そして、実行委員による交流会づくりがはじまった。まず、お互いの名前を知り合って、仲よくなるために、合同給食とあそぶ会を計画した。】(P.94-95)

⇒10クラスらしい19クラスの交流会として何ができるか? 教室の空気が重くなっても、倉持先生は具体的提案はしなかったんですね。おもち作りの案は子どもたちの中から出てきました。10クラスの餅米づくり・餅作りの活動は終了し、収穫した餅米はもう残っていないのですが、倉持先生から水越さんに頼んでみようという提案をしています。子どもたちが思う存分取り組んで終了した餅米・餅作り。それをもう一度活かしたいという思いが、子どもたちの中から沸いてきたんですね。
①19クラスの人との交流会(あそぶ会)
【19クラスはカードゲームを、10クラスはわらをなって輪をつくり、輪なげを計画した。19クラスの友だちといっしょにゲームを楽しんでいた様子が日記には綴られている。】(P.95)

 優子さんは日記に、【輪投げをしました。輪は、この前みんなで作った物です。(中略)わたしは、今日の会で、のりちゃんと仲よくなれました。18日のおもちつきが楽しみです。】(P.95)と書いています。
⇒(これは先生方からのアドバイスもあったのかもしれませんが)自分たちが取り組んできて経験を持っている餅づくりに19クラスの子どもたちをいきなり引き込むのではなく、まずは互いに知り合い仲良くなるためのゲームの会を設定しました。そこでも自分たちの餅米づくりの産物である藁からつくった輪をおもちゃとして使うとは、なかなか心憎いですね。餅米作りをやり遂げたという子どもたちの自負がそうさせたのかもしれません。
②おもちを作って食べる会
【交流会第2弾として、10クラスで育ててきたもち米を使って、19クラスのみんなといっしょにおもちを作って食べることにした。いっしょにあそんだり、もちをつくって食べたりしながら共同の輪ができあがっていく。
 もち作りの会は、10クラスと19クラスのおうちの方の協力で、ぶた汁つきの豪華なメニューになった。もち作りでの子どもたちの相互の協力はもちろんのこと、もちができあがるのを待っている時間にも、中庭で集団あそびがはじまった。子どもたちの自然な結びつきが微笑ましかった。】(P.95-96)

⇒10クラスと19クラスの交流を盛り上げようという保護者の人たちの協力がすばらしいですね。子どもたちの交流の様子を見ることで保護者の人たちも学ぶところ、思うところがあったんじゃないでしょうか。
(5)もちづくりから学んだことを表現する
【『今年は全校美術展の作品を何にしようかと迷っています。今年の10クラスにしか描けない作品を出したいんだけど…』と子どもたちに呼びかけた。
 「じゃあ、もちづくりの絵しかないなあ。どこを描いてもいいの?」
 「絵を描いたら、水越さんに見てもらおうよ!」
というわけで、全員が全校美術展にもちづくりの作品を出すことになった。
 図工の学習課題としては、「横向きの人の重なりを絵に表現させる」ことをねらいにしてとりくむ。しかし、その場面を描くかは子どもによってもさまざまである。そこで、作品を描く前には自分が絵に何を表現したいのかをはっきりさせてとりくませることにした。
 「10クラスだけの米ができるのが楽しみ」と、もみまきをした後で『社会日記』に描いた茉里子さんは、稲刈りの場面を描いた。しゃがんでイネを刈っている場面で、実際のイネの背丈を測って、自分のしゃがんだ時の身長と比べながら絵に表現していったのはなるほどなあと感心した。
 イネがぐんぐん成長していく姿が楽しみだったという裕希くんは、田植えの場面を選んだ。「いのちを育んだ大地を色でどう表現するかが課題だよ」と呼びかけたことにこたえて、田植えの時の田んぼの色を工夫していた。
 半数以上の子どもたちは、もちつきが強く心に残っているから、もちづくりの会を描いている。
 全校美術展には、案内を出して水越さんにも来てもらった。美術展にならんだ自分たちの作品を水越さんにみてもらう際、なんとも照れた表情でうれしそうにしている子どもたちの表情は忘れられない。】(P.96-97)

⇒全校美術展への取り組みについても、倉持先生から《せっかく長い間取り組んできたもち米づくり・もちづくりをテーマにしよう》と提案するのでなく、「もちづくりの絵しかないなあ」という提案を子どもから引き出しています。私がさすがと思うのは、総合的な学習として取り組まれてきた一連の活動ですが、単にその活動を表現する手段として絵を用いるということではなく、図工学習としても「横向きの人の重なりを絵に表現させる」という表現方法上の課題を立て、また「いのちを育んだ大地を色でどう表現するかが課題だよ」と、子どもたちが個々に選んだ題材を超えた表現のテーマについて倉持先生から投げかけをしています。生活科や「総合的な学習の時間」の活動の終末に表現して伝える活動を置くことはよくありますが、《子どもの自主性》を《口実》にして教師が準備過程での適切な指導を怠ると、おざなりで退屈な報告になってしまって聴く側もおもしろくなくて飽きてしまうというような悪循環も起こります。表現・発表活動において子どもらしい楽しい報告ができるということはもちろん大切ですが、そうなるためにも教師が日頃の教科学習の成果も意識的に活用しながら、子どもたちの積極性を損なわないような《指導》を入れることは大事です。
 総合で外部の専門家に協力を得た場合、教師や子どもたちが何らかの《お礼》をする(文集を作ったり発表会に招待する)ことは社会的な礼儀として当然ですが、本実践の場合、子どもたちが水越さんを招待して全校美術展の作品展示を見ていただいたということは、そうした一般的儀礼の意味を越えています。専門家の水越さんの指導や全面的バックアップをいただいて餅米作りを完遂した子どもたちが、改めてその活動過程を振り返り、記憶を辿りながら絵に表現する。それを専門家の水越さんに見ていただくわけです。「なんとも照れた表情でうれしそうにしている子どもたち」の様子が全てを物語っていると思います。記録を読んでいるだけの私には分析しきれませんが、この場面こそ(言語化されていなくても)一連の餅米作り・餅作りの活動の、子どもたち一人一人にとっての大事な総括場面だったんじゃないでしょうか。

第6章 食べて考える現代社会の課題
【5年の社会科実践 米づくり農家34人に聞きました】

1.「お米調べ」から始まった農業学習
【まずは、自分たちが食べている米を調査することから学習が始まる。
 子どもたちは、1日に食べる米の量(お茶わん何杯分)から、1年間に食べる米を生産するための田んぼの広さ(およそ教室1つ分)を計算し、日本の集約型農業の特徴をつかんでいく。
 また、家庭で自分たちが食べている米を調べて、調べた米の名前と産地を日本地図に表した。自分たちが食べている米は、奈良県産の米と、米の単作地帯と呼ばれる東北地方の米が多いことに気づいていく。】(P.98)

⇒前章の4学年での餅米作り・餅作りの活動と実践史として接続しているのか、それとも別の子どもたちなのかはわかりませんが、4年実践での「『自分のくらしと米とのつながり』に焦点化させたい」(P.83)という倉持さんの実践課題は、この5年実践にも通底しています。5学年社会科と言えば、中学年での地域学習から離れて日本の産業を学ぶことになるため、教師が意識的に指導しないと子どもたちが自分とのつながりを意識することが難しくなるかもしれません。倉持先生は単元の最初に《自分が毎日食べている米》という視点を子どもたちに強く意識させます。それも、ただ「みんな食べてるよね」で終わらせるのではなくて、自分たち自身の米の年間消費量、それを賄うのに必要な田んぼの広さを知り、さらに家庭で食べている米の産地を調べさせます。自分たちが食べている米、食べたい米という消費者としての要求を強く意識させる。それは後に生産者の要求との一致・不一致を検討さることのへの布石でしょうね。
【米の調査をもとにした学習の中で、子どもたちは米の名前に目を向け始める。300種類以上ある米の品種のうち、子どもたちが興味を示すような米の品種(名前)を選んでいく。
 『農家がいろんな品種を望むのは、病気や寒さに強く、たくさん収穫できて味のよいイネを育てたいからです。だから、新しい品種ができるたびに名前をつけて売り出していったんだよ』
 「こんなにたくさんの米の品種改良をよくやったなぁ」
 「“森のくまさん”っていうお米を食べてみたい」
 『300種類以上ある日本の米の中から、あなたならどういう基準で自分が食べる米を選びますか?』
 自分の考えを練り上げさせるために、友だちや家族の米を選ぶ基準と比べさせた。その結果、子どもたちが考えた米を選ぶ基準のベスト3は、①安全、②体にいい、③おいしい、だった。子どもたちの安全や健康に対する意識の高さがこれほどだとは思わなかった。
 ところが、実際に生産されている米はどうだろう。現在、日本の米づくり農家のほとんどが農薬を使っている。それは農薬を使わないと米づくりを続けていけない状況があるからだ。この矛盾と対面させるには、米づくり農家との出会いが不可欠であった。】(P.98-99)

⇒素朴な疑問として、なぜ米の値段のことが選ぶ基準に入ってこないのでしょうか。同じ世代ではないかもしれませんが、3学年で森さんの奈良漬けについて学んだ子どもたちは、価格設定に非常にこだわっていました。もちろんそれは奈良の名産品を売る森さんの店がつぶれずに続いてほしいという子どもたちなりの願いが背景にあってのことでしょうが、同時に自分の家で森さんの高い奈良漬けを買うかどうかという値踏みもあったと思います。この5年生の討論では、米はあくまでも親が買ってきてすでに家にあるものとして捉えられていたんでしょうか。おいしい、安全な米の価格がどうなのかということは、後で問題になります。
2.米づくり農家の今
【日本の米づくり農家は、限られた耕地での米の生産性を高める集約型の農業をすすめてきた。たび重なる農業政策の転換の中でも、農家が農家として生きてこられたのは、まさに集約型農業をすすめる努力があったからこそである。
 ところが、ここに大きな落とし穴があった。効率性を追求するがゆえに、大量に使用されてきた農薬や化学肥料が、農作物の安全性を脅かし、環境問題を引き起こすようになったのである。と同時に、米づくりに従事する人たちの間で、頭痛がしたり、くしゃみが出たり、全身がだるくなったりするような体の変調を訴える人がつぎつぎとあらわれた。
 それでも、米づくり農家は米が売れなければ暮らしが成り立たないから、売れるようにと農薬をお使う。化学肥料も使うし、農作物の見栄えが良いようにと植物成長調整剤なども使う。その一方で、体や環境によい米づくりをしたい、米づくりへの誇りと喜びは持ち続けたいという願いを多くの米づくり農家は持っている。こうしたジレンマの中で、多くの米づくり農家は生きている。その渦中に子どもたちを立たせてみたいと思った。】(P.99)

⇒生きた社会の学習、現実に社会に生きる人たちについての学習は、簡単に一つの正しい結論がでるわけではないものだということを、子どもたちに実感してほしいわけですね。
3.米づくり農家34人に聞きました
【食の安全性に対する子どもたちの関心の高さを学習の原動力にしながら、食の安全性に対して、米づくり農家は何を願い、何に悩み、その中でどう生きているのかをつかませたい。その過程で、子どもたちが、農業政策や消費者との関係といった新たな視点から米づくり農家の姿をとらえていくことを期待した。
 また、現代の農家の姿をいくつかの視点でとらえていこうとする学習の中で、自分中心の思考や行動をとることが多い子どもたちに、自分の暮らしを振り返るきっかけを与えたいとも思った。
 消費者の側から生産者の側へという流れで実践は展開していく。】(P.99-100)

⇒子どもたちの日常生活上の意識や関心を大事にしながら学習を進めている倉持先生ですが、ここでは生活指導上の課題が顔を出しています。政策や農業技術や消費者の嗜好、経済動向等の様々な要因の中で揺れ動く生産者の姿に迫る多角的な学習が、翻っては自分自身の置かれている状況とそこでの認識や行動への自己反省を呼びさますかもしれないとも期待しているわけですね(もちろん、そこへ無理やり徳目道徳的に学習の帰結を持っていくという意味ではないと思います)。
(1)米づくり農家を調べる
【米づくり農家はどんなお米を育てているのかを探るために、子どもたちといっしょに米づくり農家への質問づくりにとりかかった。子どもたちの関心は、農薬を使うことに対する農家の人の考えと米づくり農家の願いに集中した。】(P.100)

 P.101に掲載されている調査票によると、質問項目は、①生産者名・②場所・③田の面積・④米以外の作物・⑤収量・⑥出荷先・⑦手作業・⑧農薬を使わないとどうなるか?・⑨米作の履歴・⑩収入・⑪機械代・⑫何を大事に?(米の味など)・⑬楽しみ・⑭苦労や努力、困ること・⑮育てた米をどう思う?・⑯どういう米を育てたい?の16項目あります。
【夏休みの課題として、子どもたちは米づくり農家への聞き取り調査を行った。富山県の米づくり農家である松島さんから届いた新米を食べるというおまけまでついたこともあり、子どもたちは聞き取り調査に夢中になっていった。】(P.100)
P.102には【米づくり農家34人への調査結果 一覧】が掲載されています。34人の生産者から回答が集まったということに驚きます。5年学級の児童数がわからないのですが、おそらく約40名くらいまででしょう。8割以上の子どもたちが特定の農家に調査を依頼できたのか、それとも一人で何件も調査した子どももいたのかどうかわかりませんが。親の熱心な協力もあったのでしょうか。奈良県内の生産者からの回答が10名。なかには「おじいちゃん」(三重県熊野市)からの回答もありました。子どもたちが親の協力も得てあらゆるつながりをたどって調査したんでしょうね。
(2)調査結果から見えてきた米づくり農家の現実
【体と環境に良い米づくりをめざすのは、特別な農家の願いというわけではなく、米づくり農家共通の願いであることがわかった。さらに、新米をプレゼントしてくれた松島さんから届いた生産者の声は、子どもたちの心に響いた。
 できることなら農薬を使わないほうがよいに決まっています。わたしたちのところでも、農薬をなるべく使わない努力をしていますが、完全には農薬を使わないでいることはできません。なぜなら、これまでの農業が、農薬にたよりきっていたので、農薬に強い雑草や害虫が出てきているからです。
 わたしたちの栽培方法は、農薬を減らすための作業などが加わるために、普通の栽培方法の倍くらいの手間がかかります。困ることは、高く売れるお米と自分たちがつくりたい安全な米がちがうことです。たとえば、農薬を使わないで害虫の被害にあったお米がまざっているもの出((ママ))荷すると、安く買い取られてしまいます。しかし、本当に食べる人の体にとってよいのは、多少虫の被害を受けていても、農薬を使っていない米であるという矛盾があることです。

 子どもたちが見た米づくり農家に共通する姿は、2~3の米づくり農家の調査では得ることのできない到達点を示している。しかし、調査結果だけにたよるしかなかっただけに、具体性に欠ける面があった。そのため、個々の農家の人が話す内容を具体的な事例でもって補足することが多くなった。農家の共通性と独自性の両面をどう子どもたちにとらえさせるかが実践上の課題として残った。】(P.102-103)

⇒お米の価格や商品としての見栄え、つまり消費者のニーズとの対応関係という問題が入ってくると、判断が難しくなってきますね。松島さんの回答によると、生産者にも消費者にも安全な米をつくるために農薬の使用を抑制すると、栽培に大きく手間がかかります。しかしそれが生産コストに反映して高い米になってしまうという単純な話ではないのです。農薬を抑制すると虫食いの米が出る。虫が生きていたということは人間にとっても安全だということだから、虫を取り除いて米を食べれば問題ないわけですが、《虫が入っていた》という事実が消費者には悪印象を与えるし、それを見込んで買い上げの際に安く買いたたかれる。つまり農薬を抑制したために虫が混ざり安価で買われた米は、高価なブランド米も出回る消費世界においては《価値の低い商品》と見なされてしまう。価格も安く販売数も多くならないとすると、農家にとっては打撃になります。この授業の話から外れますが、現在では消費者が生産農家に有機無農薬米をダイレクトにネット注文して購入するような仕組みもあると思いますけど、大手流通ルートに比べると零細であるためにコスト高になったりもするでしょうが、安全でおいしい米を食べるためにはコスト高もやむを得ないと価値判断する消費者もいると思います。しかし、いいものを生産しているのにあたかも価値が低いかのように見なされるのでは、大規模流通市場の中で持ちこたえていくのはかなり困難でしょうね。
 こうした問題を、子どもたちがどこまで議論したのか、詳細はわかりません。社会科の教科書にも「専業米作農家の〇〇さん」というようなエピソードが掲載されたりもすると思いますが、アンケート調査とは言え、子どもたち自身が動いて34人の生産者の声を集めたのはすごいと思います。しかし倉持さんはアンケート回答を読むだけでは学習として不十分なので具体的事例を補ったと書いています。ただこの学習テーマは、アンケート回答という間接的なデータに基づいたものであったから深めることが難しかったというより、松島さんの回答が如実に示しているように、いまの日本の米作農家がかかえる問題が何重もの制約下に置かれていて、こちらを解決しようとすればあちらで問題が起こるという深刻な状況にあるからこそ学習が困難であったということじゃないかと思います。アンケート回答という情報の範囲でも、松島さん以外にも様々な意見が表明されていたんじゃないでしょうか。
 かつて私は、論文「現代の日本人の『生きる課題』と学校カリキュラム(試案第2版の1)」(2000)の中で、「現代日本に生きる人間として直面せざるを得ない課題について、既存教科の区分にこだわらずに学校のカリキュラムの中に積極的に位置づけて、学習を組織することが必要である」という自分の提案の中の一つの項目として、以下のような提案をしたことがあります。
 <10.価値葛藤>
名古屋市の藤前干潟へのゴミ処分場建設問題は、代替地を探す方向で一応決着したが、この間題の議論で提示された「自然環境を保全すべし」という価値判断と「大都市のゴミ処理を適切に行なうべし」という価値判断は、そもそもいずれを優先すべきものだろうか。具体的文脈から切り離して一般論として論じれば、誰もが納得するような普遍妥当性を持っ優先順位を付けることば困難であり、「どちらも大切」ということに落ち着かざるを得ない。しかし現実のsituationでは、どちらか一つの価値判断を選択することを迫られる場合が往々にしてある。マクロな社会問題に限らず、隣人間のトラブルのような身近なsituationでもそのような価値葛藤(異なる価値観が対立して互いに譲らない膠着状態や、何らかの収拾が必要とされる状態)が起こりうる。もちろん価値葛藤は一個人の内面においても起こりうるが、そこにはその人間をめぐる人間関係が何らかの形で反映しているだろう。ここでは個人内よりも個人間、社会関係における価値葛藤を取り上げる。
 価値葛藤を含んだ社会問題を学習において取り上げた場合、学習の終末において何らかの結論とか方向性を確認できないかもしれない。しかし、「容易には解決できない価値観の対立」という人間社会の現実を知ること自体が大切な学習であり、安易な結論付けはむしろ意識的にさけるべきであろう。但し、「人間とはどうしようもないものだ。」という絶望感を与えて終わるのは望ましくない。価値観の違う相手と共存していくための人間の知恵のようなものを学びとらせることができないかと考えている。世界の各地の民族紛争や宗教紛争にそういう面から光を当てることはできないだろうか。

     (上記論文は以下のweb pageのリンクをクリックするとダウンロードできます。
         https://mie-u.repo.nii.ac.jp/records/2701 )
 上記で論じてきた《安全でおいしく、リーズナブルな価格の米の生産・流通・消費》というsituationに関わる問題群も、私が《価値葛藤》と命名した社会的あるいは個人的な検討課題の一つだと思います。拙論の中で私は「価値葛藤を含んだ社会問題を学習において取り上げた場合、学習の終末において何らかの結論とか方向性を確認できないかもしれない。しかし、『容易には解決できない価値観の対立』という人間社会の現実を知ること自体が大切な学習であり、安易な結論付けはむしろ意識的にさけるべきであろう。」と一般論的見解を述べていますが、これでは一般論過ぎるのであり、倉持学級の5年生の子どもたちは、《どの米を買って食べるのか》という問題について各家庭において判断を下さないといけないわけです。《う~ん、迷うけど、うちではこのお米を食べることにしたわ》と子どもたちが語り合って、もやもやしたものを残したままとりあえず学習を終える、というのも、社会科学習の一つのあり方としてよいというのが私の考えです。


なお、【5年の社会科実践 日本の漁業は生き残れるか】(P.106-116)は、奈良教育大学附属小学校5年生の恒例行事である那智勝浦町に出かけての水産業学習を含めて、子どもたちの魚との関わりを意識しながら日本の産業としての漁業は生き残れるのかという問題を考えていくスケールの大きな学習活動ですが、ここまで見てきた農業学習の流れとは違うものなので割愛します。
 また第7章 食べて考える日本の歴史は、6学年歴史学習の各時代(縄文・弥生・奈良・室町・江戸・明治・大正・学童疎開・現代)の学習中にきょうのごはん なあに というトピック学習のシリーズを挿入するという大変おもしろい実践ですが、これも歴史学習の流れの中での実践ですので、ここでの検討は割愛します。

 実は本書第4~6章の検討に先立って、私は「あくまで上記の私の個人的関心事に沿って紹介するため、各実践の全体像の詳細は伝えられないということをお断りしておきます。」という断り書きをしていたのですが、ノートを全部書いてみてその文章を削除しました。「各実践の全体像の詳細は伝えられない」というのはもちろんなのですが、実践記録の各項目の中には全文を書き写したところも多々あります。あくまでも倉持実践の私がすばらしいと思う箇所をできるだけ詳細に伝えたいという趣旨からではありますが、市販されている本書のかなりの部分を書き写して紹介するということは、著作権上も、また研究倫理上もそれでよいのかという思いもあります。
 ただ一方で、実践記録の流れに沿って自分のコメントを書く時に、抜粋紹介の際に自分の関心が大きくない一部分だけをカットして紹介した上でコメントを付けるというのは、何かフェアではないという気もしました。それで敢えて全文を紹介した上で自分の意見を書いた項目もたくさんあります。
 ともかくもここまでで原稿がすでにA4×38ページに及んでいますので、ここで締め括ります。当初は倉持さんからより最近にいただいた論文「小学校社会科に求められる『社会的な見方・考え方』を考える」(2024)と併せてノートを書こうと思っていたのですが、本書の検討を始めてそれは無理と判断しました。それで本ノートを「(34)-1」とし、後日改めて「(34)-2」で上記論文を取り上げさせていただく予定です。

 最後の最後に、一点だけ私の個人的関心・願望を述べます。それは、奈良教育大学附属小学校での倉持さんの実践を《編年史的にも知りたい》ということです。本書の実践記録は、学校現場における活用の便宜も考慮してだと思いますが、小学校1学年から6学年へと学年を追って掲載されています。そして、各実践の実施年度については掲載されていません。奈良教育大学附属小学校における教育実践は、昨今のような不当な攻撃を受けるよりはるかに以前から各方面からの注目を受けています。ここからは私の邪推ですが、実践記録に「〇〇年度〇学年クラス」と記載すれば、実践記録に登場する子どもが(たとえ仮名の記載だとしても)特定される危険もあるでしょうから、個人情報保護の配慮もあって倉持さんは実践年度を書かれなかったのかなと私は推測しています(見当はずれかもしれませんが)。そしてもしも私の推測が概ねあたっているならば、その私が編年史的な実践の記録を公表するよう要求することは不当だということになります。ですから、個人的に教えていただければいいことですし、私もそれをどこかに書いて公表するようなことはもちろん考えていません。ただ、実践の手引き的役割も意識して編集されていると思われる本書は、全体として大変わかりやすく楽しく読めるのですが、一人の教師である倉持さんが同僚教師とともに奈良教育大学附属小学校の同僚と協力し、民間教育運動からも学び、そしてなによりその時々に出会う子どもたちや親たちと関わりながら実践をつくりあげてきた、その苦闘の(と、私が勝手にドラマに仕立ててはダメですが^^;)実践史を、小学校を離れて京都橘大学で教員養成に取り組んでおられる現在の地点からどう振り返っておられるのかを、いつか聞かせてほしいなと願っています。

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