46 長太(なご)の大樟の歌 ―2025.2.25都留文科大学『教育』を読む会に参加して考えたこと
昨日(2025.2.25)、都留文科大学『教育』を読む会に、通算10回目のリモート参加をしました。都留文科大学の先生たちやそのOBの方たち、学生さん、卒業生の先生たち、その他私のように全くの「外部者」も含めていろいろな立場の多彩な方々の参加があり、毎回大きな刺激を受け、学んでいます。
昨日の会は、『教育』No.949(2025.2)の特集2「他者・社会につながる国語教育」をめぐって議論が行なわれました。その全体については、おそらくいつものように「読む会」の中心メンバーである新東さんが報告されるだろうと思います。
今回のハイライトは、2月号特集中の「子どもの暮らしと表現」の執筆者である吉田直人さん(大阪府公立小学校教諭)がリモート 参加されたことです。私は事前に吉田報告を学習していて驚いたんですが、P.52にQRコードが提示されていてそこにアクセスすると吉田先生の歌声、そして2年生の子どもたちの歌声が聞けるのです。すでに検定教科書などにもQRコードの提示があり、そのことの功罪も議論されているかと思いますが、『教育』を50年近く講読している私にとって、掲載された報告から《音声》が聞けるというのは新鮮な驚きでした。もちろん一般論としては、著作権とか個人情報保護をめぐって検討すべきこともあるのかもしれませんが、例えば音声のみの情報なら写真や動画と違って個人が特定されることは(ごく親しい人が聴いた場合は別として)ないし、こうした文字以外の情報が入ることで実践報告が俄然いきいきしたものになると思います。事前に吉田学級の歌声を聴くことができて、「読む会」本番でもみんなで聴ければいいなと思っていたんですが、新東さんが画面共有で聴けるように設定してくださって、ありがたかったです。
この研究会への参加を通じて考えたことを、最後の方で2点発言したんですが、時間がない中で早口でしゃべったので、この場でもう一度発信したいと思います。
1点目。私自身の大学教師としての経験の中で、ちょっとだけ吉田先生と似たことをやったことがあるという話。
私は三重大学に30年間勤めていました。名古屋方面から近鉄で四日市から鈴鹿市に入る頃、車窓から鈴鹿山脈方向を見ると、一面田んぼが広がる中に忽然と立っている大木が目に入ります。それが長太(なご)の大樟(おおくす)です。
https://www.kankomie.or.jp/spot/21667
私はいつ頃どういう経過でこの大樟を知ったのか覚えていないのですが、とにかく大好きになりました。教育学部でクラス担任をしたとき、また非常勤で行っていた2つの看護学校では毎年のように、学生たちをこの木の下に連れていきました。どういう意義がある学習として、とか難しいことは言いませんでした。ただこの大木の下に立つだけで、それぞれの人がなにごとかを感じるはずだと思っていました。
2008年にユマニテク看護専門学校の学生さん達を連れていったときのことです。下は、その時の写真です。
いつも大樟を訪問したときには木の下で思ったこと、感じたことを自由に文章にして出してもらっていたのですが、2008年に大樟と出会ったある学生が下のような文章を書いてきました。
私は、この学生さんの文章をもとに詞を作りメロディを付けて、「いのちについて」という歌を作り、この年度の最後の授業でクラスのみんなに披露しました(このへんが吉田先生の実践とちょっと似ているところ)。
ちなみに、今日17年ぶりに自分で歌ってみた音源が、これです………と、アップロードしようとしたのですが、bloggerでmp4ファイルを添付する方法がわかりません(T_T)。いつかわかったら追加でアップロードします。
さて、発言したことの2点目です。昨日の研究会で吉田直人先生が、『教育』2月号報告に書かなかったこととして付け足されたお話がありました。しょうたろうさんの日記から吉田先生がつくられた『じごくのシャワーをあびれば』の歌は、2年生の子どもたちに大人気。ところが、その次に担任した(とたしかおっしゃいましたね)1年生に、「ぼく音楽大っきらい」という男の子がいて、音楽の時間にはひっくりかえって拒否する。そこで先生は『じごくのシャワーをあびれば』には「きゃーっとさけんじゃう」という子どもたちに大人気のフレーズがあるから、「〇〇くんもそこできゃーっと叫んだら?」みたいな誘いかけをされたら、その子が『じごくのシャワーをあびれば』を歌うことに加わってくるようになった…みたいなお話だったと私は理解したんですが、不正確だったらすみません。
この話を私は、吉田先生は子どもたちが《表現》に参加する、アプローチする道筋を柔軟に、多様に、受けとめようとされている、と受けとめました。
今からもう40数年は前のこと、学生か院生だった私は、地域に根ざす教育運動や生活綴方実践が盛んだった京都の北桑田地域で開かれた研究会に参加しました。生活綴方の実践などが昼間の研究会で報告されていたと思います。当時北桑田高校美山分校におられた村山隆先生が研究会の中心メンバーで、この研究会には村山先生と同郷(長野県上田市)のシンガーソングライター・黒坂正文さんも参加されていて、彼のライブも行なわれました。夜、自由時間に黒坂さんと話しているとき、彼は「どうして学校の先生たちは、《書くこと》にこだわるのかなあ? 子どもたちの表現ってもっともっといろいろあるのに…」みたいなことをぽつりと呟いておられました。
私は日本の教育実践史における生活綴方実践の重要な意義を認める点で人後に落ちるものではありません。しかし、《教育専門家》ではない黒坂さんのこの発言は傾聴に値するものだとこの時思いました。黒坂さんは子ども向けの歌もたくさんつくられ、子ども向けのイベントもつくってこられました。つまり、教師ではないけど教師とはまた別の《専門家》として子どもたちに関わり、子どもたちについてよく知っておられる方だと思います。《教師の世界だけで教育や子どもの成長発達を考えてはいけない》とこの時思った、という話です。
大樟のこと、「いのちについて」 、黒坂さんのことについて、私が短時間に話したことに対して、都留文大の泉先生が関心を示してくださり、研究会の終わり頃の短い時間にチャットでやりとりしました。「いつかその歌を聴かせてもらえたら」「ぜひ、都留の学生にも」と書いていただき、光栄な話に舞い上がっています。
コロナ期のリモート授業の経験から、自分のパソコンの貧困なAV装置の前でギターをつまびいて歌っても、zoomの向こうのみなさんにとってはかなり聞き苦しいものになると危惧します。昨日の研究会のように音源ファイルを画面共有で流すのが無難かなと思います。「読む会」は次回以降また違うテーマで行なわれますから、そんな機会はめぐってこないかもしれませんが、仮にめぐってくるようなら工夫してみたいと思います。
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