50 【アーカイブ14】「総合的学習」の「総合」概念(1999.10.29脱稿・未発表)
昨日の投稿49の末尾に書きましたように、中村(新井)論文の検討と関連して、26年前の私の学会発表資料をここに残しておきます。
私は日本教育方法学会第35回大会(1999.9.30 金沢大学)で標題の自由研究発表をしました。発表後約1ヵ月でこの資料を再構成して学会誌『教育方法学研究』に投稿しましたが不採用でした(^^;)。しかし私自身としてはここで述べたことは「総合的な学習の時間」について考える上で重要であると思いますので、その後現在に至るまで「教育課程論」等の授業でこの文書を配付し、その一部を解説しています。しかし、1999年の日本教育方法学会発表では配付したもののその後《公的な活字版》として世間に公表してはいないので、(未発表)と付記しています。
まずは資料本体を掲載します。
(↓P.1)
(↓P.2)
(↓P.3)
(↓P.4)
(↓P.5)
(↓P.6)
以上です。
25年半を経た現在、特に昨日の投稿49で城丸章夫氏や中村(新井)清二氏の「総合学習」に関する研究成果から学んだ後では、私の総合学習研究(特に「総合」概念の検討)の底の浅さは覆うべくもありません。特に、辞書及びいくつかの先行文献検討の範囲から「総合」の語義について規定している部分(➀学習プロセスとしての総合 ②課題の総合性)は、当時は《うまく言い得た》と悦に入っていたのですが、教育学的考察とは言えない代物でした。ただ、上記2要素(2側面)は「総合学習」の全体を正しく説明できていないとしても、その要素として含まれるものであるとは思います。
私がこの学会発表資料を再構成した文書で言いたかったのは、第7期学習指導要領を準備した教育課程審議会の「初等教育教育課程分科審議会」(上記資料P.4~5に第2・3・7回の議事録抜粋を収録)の審議過程で、主張した委員名は不明であるが、教課審の審議のベースであるはずの1996中教審答申における「横断的・総合的な指導」の提案を、《それよりも子どもの興味・関心こそ大事》とする主張が凌駕しようとしたこと、最終的に教課審答申及び告示された学習指導要領では「総合的な学習の時間」の具体的な学習活動として「例えば国際理解、情報、環境、福祉・健康などの横断的・総合的な課題、児童生徒の興味・関心に基づく課題、地域や学校の特色に応じた課題など」と3カテゴリーが並列され、横断的・総合的な学習も残されたけれども、それでもP.6で紹介している波巌氏(筑波大附小)のように、「子どもの興味・関心に基づく課題」であることが「総合的な学習の時間」の必須条件であってそれを満たさないものは総合的な学習とは言わないというような(学習指導要領の解釈としても正当ではない)極端な主張も出されていました。
私の主張はP.6末尾に書いたとおりで、子どもの興味・関心から出発する学習活動の意義を決して否定するものではないが、そうした学習が常に《総合的》な性格を有するとは限らず、従って興味・関心にもとづく学習を無限定に「総合的な学習」と呼ぶことは概念の混乱を招く、というものでした。
教課審内でのこうした《総合的である学習活動の意義》から論点をそらす議論からすれば、投稿49で取り上げた中村(新井)清二論文が吟味している1970年代の民間教育研究運動における「総合学習論争」から我々はよほど豊かな理論的成果を汲み取れるだろうと思います。
コメント
コメントを投稿