61 【アイカイブ16-1】京都教科研連載「私の研究ノート」第29~49回 勝田守一『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(1964)  〔3分の1〕

  私が所属している京都教育科学研究会の交流誌である「教育科学研究会通信」の337号(2021.3)から、吉益敏文編集長のご厚意で「私の研究ノート」連載を担当させていただいています。最新の391号(2025.9)で51回を数えます。
 この連載では、連載開始から365号(2023.7)までに坂元忠芳『情動と感情の教育学』(2000)、神代健彦編『民主主義のそだて方』(2021)所収の神代健彦「はじめに」「教育的価値論-よい教育ってどんな教育?」、中村(新井)清二「民主教育論―身に付けるべき学力として」、大日方真史「『私事の組織化』論―教師の仕事にとって保護者とは?」吉益敏文「生活綴方を実践する教師の『まじめさ』に関する考察――5人の教師の聞き取りから――」(2022)を取りあげました。これらは、もともと私の「佐藤年明私設教育課程論研究室のブログ」に紙数制限なしに書きまくっていた(^^;)ものを京都教科研通信の読者のみなさん向けに編集し直して掲載したものです。
 これらに続いて勝田守一『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(1964)を取りあげようと考え、当初まず自分のブログに掲載する原稿の準備も始めていたのですが、著作集231ページ分の勝田の大著についてまずブログ投稿用の原稿を作った上でそれを改訂して京都教科研連載原稿を作るという計画ではいつになったら連載原稿の着手できるかわからないと考えて、ブログを経ずにいきなり京都教科研通信連載のための原稿を書くことにしました。
 こうして京都教科研通信367号(2023.9)から389号(2025.7)まで、約2年近く、21回に渡って勝田を取りあげました。その間、リモートでの小さな研究会「勝田守一教育学ゼミナール」を3人で立ち上げて改めて勝田から学ぶ作業を始めたこともあり、勝田教育学の大海のほんの波打ち際に足を突っ込んだくらいの現段階ではありますが、私の勝田守一からの学びのほんの暫定的な報告として、このブログに再録したいと思います。

 

 連載・私の研究ノート(第29回)    (京都教科研通信第367号 2023.9)
勝田守一『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(1964) 【1回目】

  1ヵ月のお休みをいただきました。連載を再開させていただきます。私の連載中でも何度か予告していた勝田守一先生の古典的文献にようやく取りかかります。何回で締めくくれるかまだわからないので、【○回中の○回目】とは書けません。
 実はこれまでの28回で取り上げた坂元忠芳『情動と感情の教育学』、神代健彦編『民主主義の育てかた』、吉益敏文「生活綴方を実践する教師の『まじめさ』に関する考察」については、私の「佐藤年明私設教育課程論研究室のブログ」に「教育学文献学習ノート」シリーズとして字数無制限で書いたものを再構成して、本連載の原稿をつくっていました。そして勝田『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』についても、 上記シリーズに加えるつもりで2021.6.11から原文抜粋とコメント作成の作業を開始しました。その作業は他の文献の検討を優先する必要から2021.8.29で一旦中断し、2023.5.16に再開しました。
 最初にノート化作業を始めたときから、これが完成したら改めて再構成して本連載に加えたいと考えていました。しかし今年ノート化を再開してみて、文献の量が膨大でこの作業自体いつ完了するかわからないし、いったんノート化(抜粋とコメント付記)できたとして、それをいくら大々的に再構成したとしても、きっと本連載の何十回分にもわたってしまう量になるのではないかと思えてきました。それで、勝田『能力と発達と学習』の全体を一応過不足なく紹介しながら自分のコメントも書くという方針を断念し、佐藤個人の関心に限定した特殊な書き方(まあ、これまでもそういう書き方だったと言われれば、そうなんですが^^;)で書くこと、また書き下ろしは「佐藤年明私設教育課程論研究室のブログ」掲載の「教育学文献学習ノート」で、という従来のやり方を変更して、最初から本連載用に原稿を作成することにしました。

 「佐藤個人の関心に限定した特殊な書き方」というのは、連載読者の皆様に「そんなんどうでもいいやん」と思われてしまったらそれまでなんですが、本書を私が京都大学教育学部の卒業論文の中で取りあげた、という自分個人の原点に立ち戻って読み直してみる、ということです。
 47年前の1976年冬に卒業論文に取り組んでいた時に、勝田先生の『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』にうんとお世話になりました。しかし、その後も座右において時々繙いてはみたものの、この40数年間改めてきちんと学び直す機会がありませんでした。それで、60代もあと残りわずかというこの時期に改めて読み直し、学び直すことにしました。
 全7巻の勝田著作集を、大学4年生だった1976年8月に学部の先輩から全巻一括で廉価で譲り受けました。第6巻「人間の科学としての教育学」に、卒業論文第2章をほぼそれに依拠して書いた『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』が収録されています。当時著作集の目次ページに残していたメモによると、同書を私は卒論執筆終盤の1976.12.17-19に通読しました。3日で読んだわけです。自分が卒論で考えまとめようとしていることにこれほどマッチする著作はないと半ば有頂天になって読みました。ところが、読み終えてそれを自分の頭脳を通して構成し直して論文原稿にしようとして、全く筆が進まないことに愕然としたのをよく覚えています。わかったつもりで読んでもそれを簡単に他者には説明できないだけの深みを同書は備えていたわけです。それでもなんとか1977.1.17の締切までに論文を提出しました。子どもの社会認識の形成過程について研究しようとしていた私は、勝田の認識について、認識の発達についての深い考察に大いに学び、救われました。

 勝田守一著作集第6巻『人間の科学としての教育学』に収録された『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(『教育』に1962年1月号より連載 初刊 国土社 1964)の構成は、以下の通りです。
  能力と発達と学習--教育学入門Ⅰ
   まえがき
   序章 未来にかかわる時点で
   第一章 人間の能力をどうとらえるか
    (一)能力と知能    (二)知能をなぜはかろうとするのか
    (三)知能の高低は生まれつきか   (四)能力に対する社会的刺激
    (五)能力の定義   (六)能力の諸因子   (七)能力観の歴史的展望
    (八)学力とはなにか
   第二章 人間が成長するとはとういうことか
    (一)発達という視点   (二)言語と思考   (三)言語と子どもの発達
    (四)ヴィゴツキーとピアジェ(1)   (五)ヴィゴツキーとピアジェ(2)
    (六)発達と学習   (七)発達と教育   (八)状況的思考と言語的思考
    (九)思考の社会化   (十)発達のまわり道   (十一)思考の二つの類型
    (十二)社会生活と発達
   第三章 人間の学習を指導する条件はなにか
    (一)学習の定義   (二)学習と教育   (三)教育の条件
    (四)人間への成長   (五)行動の言語化   (六)なにを教えるか
    (七)教育と経験   (八)文字記号と科学的認識   (九)科学の諸類型
    (十)科学学習と人間の発達   (十一)労働経験と文字記号の結合
    (十二)科学への要求
   第四章 能力の発達と人間的価値の実現
    (一)国民的教養   (二)教養と教育実践   (三)現代と教養
    (四)職業と労働   (五)職業訓練と人間形成   (六)労働と人間的発達
    (七)全面発達と教養概念   (八)無限の可能性   (九)労働と文化
    (十)能力の人間的基底  (十一)学習の基礎  (十二)社会の進歩と人間の発達


 卒論以来47年ぶりに勝田先生の著作とどう再対面するか考えたあげく、私の卒業論文「社会科教育における児童の認識形成過程についての検討(本文400字×44ページ 50ページが上限という規定)の中で勝田から集中的に学んで書いた第二章第一節を全文再録しながら、「学び直し」をすることにしました。そんな作業に読者のみなさんを付き合わせることは不遜ではないかという思いはあるのですが、この連載の開始当初からの「自分にとっての○○」という私の研究カラーからは到底脱却できませんので、これで行かせていただきます。お付き合い下さい。
 私が卒論を書いた1970年代には論文原稿はまだ手書きで、いま私の手元には提出した手書き原稿(提出前の最終盤に先輩院生達の懇切丁寧な指導(^^;)が入り、私自身は提出ギリギリまで素稿を手直しし、清書は先輩後輩たちに頼むという、現在ではあり得ない「仕上げ」方をしたシロモノです。たしか7人くらいの筆跡で書かれていると思います^^;)のコピーしか残っていません。卒論自体を社会的に公刊するというのは、戦前あたりのとてつもない大学者にしかなせないわざでしょう(中内敏夫先生が自らの卒論・修論をベースにして出された『学力の社会科学』2009 については、いつかきちんと読みたいと思いつつ果たせていません)。私自身は決してそんな大それたつもりはないのですが、このままではやがて紙切れとして埋もれてしまうしかない若い頃の未熟な研究の産物をどこかに残したいという気持ちがあり、いずれ卒論全編を私のブログのアーカイブに掲載するつもりで「写し」作業を行なっています。ここでは卒論の構成を紹介した上で、連載次回に論文本文を第二章第一節に限って再録させていただきます。

佐藤年明卒業論文「社会科教育における児童の認識形成過程についての検討」(1977.1.20提出)
はじめに
第一章 教科研における社会認識研究の経過
第二章 児童における社会認識の発達と学校教育の役割
 第一節 認識の能力とその発達
 第二節 学校教育における社会認識の指導
第三章 社会事象に対する科学的認識の形成過程-教科研社会科系統試案の編成原理の検討
 第一節 教科研社会科系統試案の概要
  第一項 科学的概念形成の準備期
  第二項  科学的概念の系統的教授-学習
 第二節 「系統試案」における認識主体と認識対象の関係
おわりに



連載・私の研究ノート(第30回)    (京都教科研通信第368号 2023.10)
勝田守一『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(1964) 【2回目】


(承前)
 私が1977.1.20に京都大学教育学部に提出した卒業論文「社会科教育における児童の認識形成過程についての検討」の中で、ほぼ全体を勝田の本書に依拠して書いたのが下記の第2章題一節です。全文を紹介します。

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第二章 児童における社会認識の発達と学校教育の役割
 小学校教育における社会認識の形成過程を具体的に吟味する前提として、本章ではまず勝田守一の見解に依拠しつつ、児童の認識発達の過程に学校教育がいかにかかわるかを考察し、次に認識対象の中に認識主体が含まれるという社会認識の独自性をふまえつつ学校教育における社会認識の指導のあり方を吟味する。
 第一節 認識の能力とその発達
 勝田守一は、客観的実在に対する知的認識の能力を、人間の諸能力の中で特に重視し、個体における認識能力の発達過程を、人類の科学的認識の歴史的発展過程と深くかかわらせてとらえていた。そして、児童の認識発達の指導を学校教育の中心任務として位置づけたのである。
 勝田は人間の能力を
人間がその心と身体で、特定のなにごとかを自分で思うようになしとげることのできる力、そしてそのことで社会がそのねうちを認める結果が生み出される身に具わっている力(P.50)と定義する。すなわち、能力を所有するのは個人であるが、それは人間の社会的行動の中で具体化され、能力として認められるのである。そして勝田によれば、人間の能力はそれが生み出す社会的価値の違いによって、次の四つの相対的に独自なカテゴリーに区別される。
 すなわち、第一に労働技術の能力、第二に人間の諸関係の統制・調整・変革の能力、第三に自然・社会についての認識の能力、第四に世界の状況に感応し、これを表現する能力である。これら四つのカテゴリーは相互に関連しつつ全体として言語能力及び運動能力に支えられている(P.54)
 勝田は、これら四つの能力のカテゴリーの中で、認識の能力をとりわけ重視している。人間の能力は社会の要求によって規定されているが、社会の要求は歴史的に変化・発展してきた。科学・技術が高度に発達し、そのことが社会の発展を規定する重要な要因となっている現代においては、自然・社会を科学的に認識する能力が人間的能力の中で重要な位置を占めるのである。また、四つのカテゴリー相互の基本的な関係においても、知的認識は、他のカテゴリーの能力に
浸透(P.77)することによってその本質的特殊性を一層発揮させるという特殊な関係にある。
 ところで、認識の能力を発達させるためには、
概念あるいは観念をになう言語(P.78)及び言語によって表現され、伝達可能なように組織された知識(P.78)を順序立てて学習していく必要がある。そしてこのことこそが、「学校という定型的な教育の機関」(P.78)の設立を要求するのである。逆に言えば、学校の任務は「認識という知的能力を中心として諸能力を育てる」(P.78)ことなのである。
 学校において形成すべき能力は、大きくわけて次の二つの側面を持つ。
 第一に、
「人間が科学(自然科学・社会科学)として組織し所有している文化に参加しながら、事物・世界を認識する能力を自己のうちに育てることによって、自己を解放していく」(P.79 下線部12文字に傍点)側面である。
 第二に、
「現代の発達しつつある生産方法に組織されている技術を、技術学として学びとる能力を育てることによって、現代の職業の中に参加しながら、自己を確立していき、自己確立の為に環境を変革していく」(P.79 下線部12文字に傍点)という側面である。
 前者は実在の客観的認識の能力、後者は実在の主体的変革の能力であるが、認識の能力は前者ばかりでなく後者にとっても重要なのである。また逆に、認識の能力自身が
「知的過程」(P.79)「労働過程」(P.79)の統一によって発展していくのである。
 このように勝田が、学校教育の中心任務として位置づけた認識の能力の形成とは、狭義には言語及び言語を媒介とした科学的知識の組織的系統的教授による知的能力の形成を意味するが、広義には知的過程と労働過程の統一による実在の客観的認識の発展をも意味していたのである。
 では、勝田は幼児・児童における言語の獲得過程と認識発達過程のかかわりをどのようにどらえていたのであろうか。
 一般的には、人間の思考は一方で生理的成熟に促され、他方で社会的な言語に助けられて発達すると言えるが、その過程は極めて複雑である。
 幼児は、あることばを自ら発声できるようになる以前に、すでにそのことばが他人によって使用される状況の中で、身振りや音声の抑揚からそのことばに対する
「感情的な了解」を成立させている(P.123)
 他方、幼児があることばをしゃべることができるようになった時、必ずしもそのことばの意味を正しく習得しているわけではない。
 つまり、一方において幼児は、獲得したことばを
「叫びやむずかりや身振り動作の延長として低次の伝達に使用」(P.129)し、また事物を表わす単語によって知覚を安定させ、記憶を支え、またその単語を「観念の運搬者」(P.129)として使用する。その限りでは言語は幼児の表現や認識の活動に即して、これらを支えるものとして使用されている。
 しかし他方で幼児は、自ら意味をとらえることができないような複雑な内容を表わすことばや抽象的なことばをも
「自分の中にとりこむ」(P.129)のである。
 つまり、幼児は社会的記号であることばを模倣によって獲得していくのであるが、幼児がふれることばのうち、幼児にもその意味が理解できるものはわずかである。しかし幼児は、おとなからみれば主観的な意味を自ら創造してそのことばに与えつつ、そのことばの使用を模倣する。つまり
「本来、一定の経験あるいは観察から、特定の手続きを通って抽象化され、総合された観念の名辞に、自分の経験の範囲内で直接に表象を結びつけ」てしまうのである(勝田「認識の発達について」(1957) 『勝田守一著作集4人間形成と教育』P.74)。
 しかし同時にこのような幼児におけることばの意味の主観性は、
「人間の象徴使用の能力」(P.124-125)の発達と関係しており、「意味するもの」(P.125)「意味されるもの」(P.125)の分化にもとづく思考の獲得のあらわれなのである。
 社会的記号としての言語の使用は幼児の中にすでに内面的に成長しつつある象徴機能を強化し、一方で
「現在的・知覚的な事物の拘束」(P.129)をうけている幼児の思考を、表象の世界の定着によって発展させていく。そして、「表象が記憶を支え期待を把持させ、それが行動の抵抗感覚と結合することによって、じつは知覚的事物の背後にほんとうの意味で、ますます外がわにある実在が意識に成立する」(P.129)のである。
 従って幼児におけることばの意味の主観性は実在の客観的認識への発展の契機を含むものである。この主観性はまた
「他のひとたちの見地を媒介にして、その差異を確立した意味での主観性」(P.130)ではなく、「他との未分化から生まれた主観性」(P.130)である。従って幼児の思考は、他人特に年長者の考えやことばに影響されやすく、「ステロタイプ化」(P.136)しやすい。
 しかし一方、幼児は言語に支えられた表象によって外部からの知覚を断ち切り、
「あたまのなかで表象や観念を組みあわせてみるはたらき」(P.136)によって知覚した現象の意味を考えることができる。このような思考活動の獲得の意義を思考の内容の主観性ゆえに軽視することなく、逆に幼児の思考の内容を吟味してそこに客観的思考の発展の可能性を見出すことが重要である。
 ところで6、7歳になると、幼児のことばにおいて非日常的な、あるいは幼児の経験の外にあることがらを示す概念は
「依然として主観的な…(中略―引用者)…色彩をもったまま残されている」(P.139)が、一方で幼児の「実用的知性の能力」(P.139)は、日常的な限られた状況ではかなり的確にはたらき、そこで「自発的に生まれた概念は、科学的ではないにしても、有効に目的志向的な行動を組織できる」(P.139)のである。そして、幼児が社会的な知識・技術や事物に関して自発的に形成した概念は、実用的もしくは伝達可能である限り、幼児の生活において許容されており、概念の意味や操作が客観的に正しいものであることをほとんど要求されない。
 学校に入学してはじめて、児童は
「科学的思考や組織的な技術の発達をめざして、その基礎としての文字や記号の基本的操作」(P.110)の組織的な教育を受ける。従って学校教育は就学前の幼児の発達段階に依拠して行なわれるとともに、認識の発達の「異質の契機」(P.141)を持ち込むのである。「異質の契機」とは、文字や記号を媒介として、児童の経験から独立した科学的概念を獲得すること、すなわち「シンボル自身のもつ相対的に独立な可能の世界がそれ自体として開かれていくこと」(P.141)である。
 就学前の幼児の日常的経験とそこで形成される自発的概念は、全く科学的な要素を含んでいないわけではない。しかし科学的思考は児童が直接に日常的経験を再構成するだけでは獲得されず、社会的に形成され、歴史的に蓄積された人類の知識を自己の所有とすることが不可欠なのである。
 だが、科学の学習に論究する前に、学校における言語の学習の意義にふれておく必要がある。学校において児童は、教師の援助のもとで文字の獲得を含む言語の意識的使用の訓練を行なう。教師が児童に対して要求の説明や過去の行動の再現を求め、ことばを意識的に使用させることにより、児童は表象を明確化し、ばらばらな経験や印象を相互に関係づけ、統一的にとらえる訓練を行なっていく。この過程で児童は事象の状態や運動、事象の関係をあらわす言語の規則を学習するとともに、印象や表象が
「自己に属するもの」(P.161)であることを次第に意識化していく。つまり、言語の意識的使用を通じて「主体が対象と自分を区別し引きはがす意識」(P.138)が成立するのであり、このことは科学的認識、すなわち事象の客観的統一的認識の形成の重要な基礎となるのである。
 以上、話しことばを獲得しはじめる時期の幼児から、学校に入学し、教師の援助のもとに文字の獲得を含む言語の意識的使用の訓練をはじめる時期の児童に至るまでの認識発達の過程を言語の役割を中心にみてきたが、それでは学校において言語を媒介として行なわれる科学の学習は児童の認識発達といかにかかわるのか。
 勝田によれば、科学とは、
「人類がその生存にかかわる諸問題を解決する努力の過程で、自然と社会(人間それ自体をも含めて)の実在について試みる合理的思考と、その結果として所有した知識の組織」(P.174)のことである。現代の科学は概念の組織、ことばや記号であらわされる論理的体系として存在している。しかし人類の歴史的発展過程において、科学的思考は環境にはたらきかけてこれを変革する生産労働を通して深められてきたのである。すなわち生産労働は「事物の諸性質あるいは諸形式をあるい分け離し、あるいは再び結びつけて、新しい価値をもつ事物を生み出」(P.175)す過程であり、それを通じて事物の性質と運動に関する認識が深められる。従って科学の学習、すなわち児童における科学的認識の発達とは「実在とかかわりをもちながら組織された知識の意味を理解し、それを所有する過程」(P.174)であると同時に、「概念の形で知識を操作しながら、さらにいっそう広くまた細い網の目を織りなして、実在する事物の関係をとらえる能力が成長すること」(P.174)でなければならない。
 以上のような勝田の見解は学校教育と児童の認識発達の関係について次のような重要な指摘を含んでいた。
 第一に学校における言語の意識的使用の訓練を通じて自己に属する印象や表象を客観的実在と区別し、またことばとそれが意味するものとの客観的な対応関係を学習する。すなわち言語の意識的使用が客観的認識の発展の重要な契機となる。
 第二に、科学は人間の歴史的発展過程における認識の成果であり、言語によって表現される論理的体系として存在している。従って児童が人間の認識の歴史的成果を自らのものとするためには、文字や記号を操作して論理的体系を自ら形成していくことが不可欠となる。
 第三に、実在の客観的法則性は、歴史的過程において見るならば、人間が生産労働を通じて実在に働きかけ、これを変革する過程で
「体認」(P.189)してきたものである。従って、学校教育における科学の学習は、言語によって表現される論理的体系としての知識の学習のみを意味するのではなく、児童自身が獲得した知識を操作して実在に働きかける過程を指導することをも含むのである。そしてこのことを見落とすならば、学校は生活と労働から遊離して「言語主義・文字主義」に陥る危険性をもつ。
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 卒論抜粋だけで紙数を費やしましたので、今回はここまでとします。
 次回からは、上記で紹介した私の拙い卒論の文章を辿り直しながら勝田を再解釈、学び直しするという(私自身しか関心がないかもしれないというリスクを背負った^^;)マニアックな作業に取り組んでみます。



連載・私の研究ノート(第31回)    (京都教科研通信第370号 2023.12)
勝田守一『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(1964) 【3回目】

  前回連載では、一回分丸ごと私の47年前の卒業論文の一部を皆様に読ませてしまうという失礼なことを致しました。私としては前回掲載した拙い文章が、私の勝田先生との出会い(先生はすでに他界されており、文献を通じてのみの出会いでしたが)の初期における私の《勝田教育学認識》のほぼ全貌を伝えていると思いますので、学び直しにあたってそこから再出発する必要がありました。御容赦下さい。
 前回私の当時の認識の全貌を示しましたので、今回からしばらくはそれを叙述順に少しずつ切り分けながら、勝田の原典に照らし合わせて再考察するという作業を行ないます。お付き合い下さい。前回(連載第30回)に掲載した卒業論文の文章を少しずつ再引用します。

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第二章 児童における社会認識の発達と学校教育の役割
 小学校教育における社会認識の形成過程を具体的に吟味する前提として、本章ではまず勝田守一の見解に依拠しつつ、児童の認識発達の過程に学校教育がいかにかかわるかを考察し、次に認識対象の中に認識主体が含まれるという社会認識の独自性をふまえつつ学校教育における社会認識の指導のあり方を吟味する。
 第一節 認識の能力とその発達
 勝田守一は、客観的実在に対する知的認識の能力を、人間の諸能力の中で特に重視し、個体における認識能力の発達過程を、人類の科学的認識の歴史的発展過程と深くかかわらせてとらえていた。そして、児童の認識発達の指導を学校教育の中心任務として位置づけたのである。
 勝田は人間の能力を
「人間がその心と身体で、特定のなにごとかを自分で思うようになしとげることのできる力、そしてそのことで社会がそのねうちを認める結果が生み出される身に具わっている力」(P.50)と定義する。すなわち、能力を所有するのは個人であるが、それは人間の社会的行動の中で具体化され、能力として認められるのである。そして勝田によれば、人間の能力はそれが生み出す社会的価値の違いによって、次の四つの相対的に独自なカテゴリーに区別される。
 すなわち、第一に労働技術の能力、第二に人間の諸関係の統制・調整・変革の能力、第三に自然・社会についての認識の能力、第四に世界の状況に感応し、これを表現する能力である。これら四つのカテゴリーは相互に関連しつつ全体として言語能力及び運動能力に支えられている
(P.54)
 勝田は、これら四つの能力のカテゴリーの中で、認識の能力をとりわけ重視している。人間の能力は社会の要求によって規定されているが、社会の要求は歴史的に変化・発展してきた。科学・技術が高度に発達し、そのことが社会の発展を規定する重要な要因となっている現代においては、自然・社会を科学的に認識する能力が人間的能力の中で重要な位置を占めるのである。また、四つのカテゴリー相互の基本的な関係においても、知的認識は、他のカテゴリーの能力に
「浸透」(P.77)することによってその本質的特殊性を一層発揮させるという特殊な関係にある。
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 論文叙述中に括弧で示しているページ数は、勝田著作集第6巻所収の本書のページ数です。論文ではもちろん註番号を付しているわけですが、本書のどこから引用したかすぐわかるようにページ番号に差し替えました。
 22歳だった私は、勝田からの引用をまず「第一章人間の能力をどうとらえるか (五)能力の定義」から始めました。これは47年を経て現在に至る私のくせ、というか研究者ならあたりまえのことですが、言葉の定義から入るというスタイルです。学術的な議論をするにはこれしかあり得ないと私は思います。卒業論文第二章冒頭に「勝田守一の見解に依拠しつつ、児童の認識発達の過程に学校教育がいかにかかわるかを考察」すると書いていて、私自身の関心の中心にある概念は認識、認識発達なんですけれども、続いて第二章第一節冒頭で「勝田守一は、客観的実在に対する知的認識の能力を、人間の諸能力の中で特に重視し」と紹介しているので、自分が認識について論じるために必然的に勝田の「能力」の定義も確認しておかざるを得ないという流れになっています。
 さて勝田による能力の定義として22歳の私が紹介している文章は本書「第一章(五)能力の定義」の冒頭にあります。ただ、私は定義文の最初の最小限を引用しましたが、勝田の説明はもっと長いのです。定義を含む段落の全文を紹介します(勝田からの直接引用部分は【 】で表示します)。

【人間がその心と身体で、特定のなにごとかを自分で思うようになしとげることのできる力、そしてそのことで社会がそのねうちを認める結果が生み出される身に具わっている力を、私たちは能力とよぶ。これを、外側つまり達成された行動の過程と結果の方からみると、多種多様である。そして、私たちは、この多種多様なことのできる人間の社会を、文化の進んだ社会とよんでいる。それは、前にもいったように、そこで人間のさまざまな行動の仕方にねうちを認めているのだが、それは、その社会が多様なねうち、つまり価値を生み出し保存し、それを豊かにしようと願っているからである。どうして、そういう文化の進歩がもたらされるのか、ということを説き明かそうという努力は、歴史の見方を生み出したのだが、いまはその問題には深くはいることはできない。またはいる必要はない。そこでは、能力の多様さ、深さ、その相互の関係が、社会の歴史の中でつくられてきたものだということを、はっきりさせておけばよい。】(P.50)

 末尾の部分のような含蓄ある書き方は、たぶん勝田の文章の特徴の一つだと思いますが、そういう含蓄部分を読み返してみると、22歳の自分は勝田の文章の全体から自分にとって都合の良い部分だけを引っ張ってこようとしていなかったかが気になります。というのも、卒業論文執筆当時の私の問題意識は、個人としての子どもに焦点を当ててその認識を探ろうとするものであったからです。
 勝田は能力を個人の「なしとげることのできる力」と捉えると同時に「社会がそのねうちを認める」力だと書いています。本書が『教育』誌に連載され、出版された1960年代前半は第一次「学力テスト」全盛時代であり、個人を競争させながら「能力」ある「人材」を選抜する教育政策が露骨に進められつつあった時代です。しかし、勝田は「多種多様なことのできる人間」「多様なねうち」と書いています。序列化され選抜されていく対象として人間を捉えるのではなく、多様性を互いに認め合い育てていく社会のあり方と一体のものとして「能力」を捉えています。22歳の私も、「能力を所有するのは個人であるが、それは人間の社会的行動の中で具体化され、能力として認められるのである。」と書いてはいますが、社会の望ましいあり方にまで考察を及ばせた上で「能力」を捉えるには到っていなかったように思えます。(続く)



連載・私の研究ノート(第32回)    (京都教科研通信第371号 2024.1)
勝田守一『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(1964) 【4回目】 

 前回は、自分の卒業論文記述を介して勝田の本書を学び直すという作業のとっかかりについたばかりで、さっそく卒業論文での勝田能力論の読みの浅さに気づいたというお粗末な結末で終わりました。
 さて、次に進みましょう。前回再掲載した佐藤卒業論文第二章第一節冒頭に出てくる、各方面で繰り返し引用されてきた勝田による能力の4カテゴリについてです。これはどうしても図を入れる必要がありますね。右の通りです(今後しばしば言及するので、「P.54図」と略称することにします)。


 22歳の私は、「人間の能力はそれが生み出す社会的価値の違いによって、次の四つの相対的に独自なカテゴリーに区別される」として「P.54図」自体も論文の註記の中で紹介し、「勝田は、これら四つの能力のカテゴリーの中で、認識の能力をとりわけ重視している。」「現代においては、自然・社会を科学的に認識する能力が人間的能力の中で重要な位置を占めるのである。また、四つのカテゴリー相互の基本的な関係においても、知的認識は、他のカテゴリーの能力に『浸透』(P.77)することによってその本質的特殊性を一層発揮させるという特殊な関係にある。」として、認識の問題という自分の関心の方へ引っ張っていこうとしています。ただ改めて原文を検討する際には、前回連載で引用した本書P.50にすぐ続く以下の部分を見逃すわけにはいきません。

【ここで、私たちは、二つのだいじなことを考えておきたい。一つは、人間の能力というとらえ方で私たちが思いうかべる力は多様だが、それを、社会との関係でいくつかのカテゴリーに整理することができるかどうかということである。もう一つは、多様な力を、個人がひとりで多面的にもつことができるのだが、それらは、相互に関係しあい浸透しあっているのか、それとも別々の能力という形で所有されているのか、という問題である。前者は、社会的な側面から、私たちの子どもが、『能力を身につけていく』ばあいに、どんな価値内容を選択すべきかという問題に光を投げてくれる。そして後者は、その学習の仕方、順序、関連、を考えていく上に、私たちの実践に具体的な作業仮説を導くためにみておかなければならない主体的な側面だといっていい。とはいっても、この二つの側面は、決して切り離されはしない。ということは、社会のあり方の中で、個々の能力といわれるものの『とらえ方』や『身につけ方』がちがうということも考慮にいれなければならないからである。】(P.50-51 下線は佐藤)

 他の学問分野のことはわかりませんが、教育学の世界で上記のような図示が行なわれると、原文を離れてその図の解釈が一人歩きしてしまう傾向があるんじゃないかと思います。勝田教育学を学ぶ際にそうした傾向はあったのかなかったのかわかりませんが、ともかく私自身は、原典に立ち戻って勝田がこの図で表現しようとしたことをまずは忠実に理解したいという思いがあります。
 上記引用部分に続けて、勝田は4つのカテゴリーのそれぞれを説明しますが、その説明は上記引用のうちの人間の能力を捉える第一の視点から、つまり「社会との関係で」のカテゴリー整理です。4カテゴリーの説明(あとで言及します)を終えた上で勝田はこう述べます。

【おおまかに、能力の4つのカテゴリーを区別してみたが、それらは相互に影響しあいながら、しかも独自で固有な本質的性格をおびていることが明らかだ。そこで、それを上のようなあまりうまくないが、しかし単純化した図表にまとめてみる。】(P.55)

 こうして「P.54図」を提示しておいて、勝田はさらに続けて以下のように述べます。

【さっき提示しておいた第二の問題<佐藤註:個人がひとりで多面的にもつことができる多様な力は、相互に関係しあい浸透しあっているのか、それとも別々の能力という形で所有されているのか>にはいらなければならぬ。別のいい方をすれば、個々の能力といわれるものが、ひとりの主体に統一されるとすれば、その統一をどうとらえたらよいのかということになる。ここでお断りしておかなければならないのは、能力を四つのカテゴリーに分けたのは、昔の能力心理学とはなんの関係もないということである。能力心理学は、内省によって、心理現象を、ふつう知・情・意に分けてしらべるものだ。私のカテゴリーは、社会の中の人間行動によって、質のちがう価値を生み出す能力の領域である。そのちがいは、明らかだろう。私のそれには壁はないのだ。】(P.55 下線は佐藤)

 まだまだ叙述は続くのですが、フォローを続けるとおもしろすぎて勝田ワールドにはまってしまう(^^;)というか、私のコメントを差し挟もうにも巻き込まれてしまって抜け出せなくなりそうなので(^^;)、続く部分は後に回すことにして、ここで考察を加えておきます。
 先に《教育学の世界で起こり得る傾向》として、図を使って示されたある理念について、「その図の解釈が一人歩きしてしまう傾向」と述べました。もう少し言うと、理念はあくまでも言語によって示されその理解を容易にするために図が用いられるという関係であるにも関わらず、図は一望の下に把握できるために、図の理解から出発して理念を解釈し、文章に戻らずのその解釈を固定してしまう傾向、ということです。戦後教育学の古典的文献の一つである本書から学ぼうとする際に「P.54図」はしばしば引用紹介されます。誰のどの文献での紹介がどうということを言っているのではないんですが、タイトルがついていない「P.54図」を《勝田の能力構造図》みたいな形で紹介される場合があると思うんです。「能力構造図」と誰かが言ったわけではなく私が勝手に命名したんですが、上記の図はそもそも「能力構造図」なんでしょうか。「○○能力」と命名された認識―、感応―・表現、労働―、社会的―、言語―、運動―という6つのカテゴリー間の相互関係を矢印で表現した(さらには技術と技能の往復運動の記載もある)図なんですが、それではここで表示されている諸能力とは、一個人の中に具わっている、あるいは具わるべき能力を示しているんでしょうか?
 P.50以降の叙述を辿り直してみると、勝田は能力をめぐって2つの問いを設定し、そのうちの第1の問い、すなわち「人間の能力というとらえ方で私たちが思いうかべる力は多様だが、それを、社会との関係でいくつかのカテゴリーに整理することができるかどうか」という問いに応えようとします。この問いへの「答え」の部分の紹介をここまで省略してきましたが、その部分の叙述は以下のようにすすめられています。

【なにより、生産の技術に関する能力を、はじめに私たちは考える。これを広い意味の労働技術の能力とよんでいいように思う。(後略)(P.50)
【次に考えられるのは、人間の諸関係を統制したり、調整したり、変革したりする能力である。この能力をもっぱら生涯の仕事に使っていくのはいわゆる政治家だ。
(後略)(P.52)
【第三には、科学的能力とよばれる自然と社会についての認識の力である。これは、現代社会では、とくに大きな比重をもって、要求されている。
(後略)(P.52-53)
【第四には、私は、世界の状況に感応し、これを表現する能力を考えたい。私たちの存在そのものは、つねに世界の中にあって、それに揺り動かされながら内的な状況を変化させ、これを外に向かって表現している。
(後略)(P.53)

 この叙述の流れと「P.54図」とを対照して見ると、図中段の縦書きで並列された3つのカテゴリーのうちまずまん中の労働の能力が説明され、次に左隣の「社会的能力」、そして次は右端へは行かず、3カテゴリーの上部に横書きされた「認識の能力」を説明し、最後に中段右側の「感応・表現の能力」を説明します。この文章による説明の流れから、勝田自身は上述の能力の4カテゴリーに関して、どれが中核でどれが周辺だとか、どれが土台でどれが上部だとかを言おうとしていないことがわかります。「P.54図」の形状から勝手に推測して《勝田の能力構造》を説明してはいけないと思います。
 ちょっと話を戻すと、「P.54図」は勝田の《第1の問い》に答える叙述の末尾に示されたものでした。この問いの説明で勝田は人間の能力を「社会との関係でいくつかのカテゴリーに整理する」と書いています。個人の能力構造図を描くと言っているのではなく、個人と社会の関係の中で期待される諸能力をカテゴリー分けしてみよう、ということ。「P.54図」は、個人の体内?脳内?を示すものではないのです。
 このことを22歳の私がどれほど意識できていたか。覚束ないものがあります。卒業論文第二章第一節冒頭で「勝田守一は、客観的実在に対する知的認識の能力を、人間の諸能力の中で特に重視し」と書き、自分の関心事である「(知的)認識」の問題へと話を引っ張っていきたいという非常に狭い研究関心から勝田能力論をとらえていました。

 ところで、第1の問い関連はそういうことなのですが、勝田は続く第2の問いで、《個人の多様な能力が相互に関係・浸透しあっているのか、それとも別々の能力という形で所有されているのか》の検討に進みます。これは個人内の問題です。だとすると、「P.54図」を、個人の能力構造図としても読んでいいのか?
 ここで話はP.55に戻ってきます。関係する部分だけもう一度引用します。

【個々の能力といわれるものが、ひとりの主体に統一されるとすれば、その統一をどうとらえたらよいのか】
【能力心理学は、内省によって、心理現象を、ふつう知・情・意に分けてしらべるものだ。私のカテゴリーは、社会の中の人間行動によって、質のちがう価値を生み出す能力の領域である。そのちがいは、明らかだろう。私のそれには壁はないのだ。】


 一つ目の引用からわかるように、勝田は個人の諸能力が「主体に統一される」ことを前提としています。ここは極めて重要な人間観であり、全国一斉学力テスト批判などにもつながっていくと推測します。諸能力は個人の中にバラバラに存在するのではない。「主体に統一される」のです。
 二つ目の引用。私は「能力心理学」については全くわからないのですが、心理現象を「知・情・意に分けてしらべる」ことについて勝田が批判的であることはわかります。勝田は自ら整理を試みた諸能力のカテゴリーが人間の社会的行動によって「質のちがう価値を生み出す能力の領域」であり、諸カテゴリーの間に「壁はない」というのです。人間のいくつもの能力というのは幕の内弁当のように仕切られて配置されていてそれぞれ別々に働くものではなく、人間が行動する過程で動的相互連携的に働きながら(註:ここは佐藤の解釈)、それぞれ質の違う価値を生み出すのであり、棲み分けているのでなく連携し合っているのだ(註:ここも佐藤の解釈)と。つまり勝田の図を《幕の内弁当的な能力構造図》と解釈することは誤りだと思います。誰もそんな解釈をしていないなら文字どおり蟷螂の斧ですが、22歳の自分の解釈の浅さを反省しながら、ここで確認しておこうと思います。

 今回は長い文章になってしまいました。すみません。「P.54図」から本書原文に立ち戻っての勝田能力論の学び直し作業は、本書「第一章人間の能力をどうとらえるか (五)能力の定義」 の後半部分(P.55-58)の検討をまだ残しています。しかしこれまでの4回の検討作業で、著作集で230ページ分ほどある本書(もちろんこの連載で検討しようとしているのはその一部分なのですが)のうちまだ6ページ分ほどしか言及できていません。
 実はここまで連載4回分の原稿を一気に書いてきたのですが、これによって猶予された数ヶ月間に、「第一章人間の能力をどうとらえるか (五)能力の定義」の学び直し作業をまだ続けるのか、それとも卒業論文の叙述に立ち戻って次に進むのかを検討したいと思います。



連載・私の研究ノート(第33回)    (京都教科研通信第372号 2024.2)
勝田守一『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(1964) 【5回目】
 

 連載上は先月に続いているのですが、私の原稿執筆上は前回(勝田4回目連載)分執筆から約2ヵ月半が経過しています。執筆再開にあたり、勝田1~4回目連載の拙文を読み返しました。
 前回連載の末尾で私は、「「第一章人間の能力をどうとらえるか (五)能力の定義」の学び直し作業をまだ続けるのか、それとも卒業論文の叙述に立ち戻って次に進むのかを検討したい」と書きました。読み返しをしてみて、私の卒論は連載上の位置づけの中核ではなく枕であるので、卒論叙述に沿って先に進むことより、勝田の原典の検討を丁寧に行なうことをこそ優先すべきだという結論に至りました。前回連載の中で、私が教育学研究者として概念の定義を重視していると述べました。勝田の本書を冒頭から論述に沿って紹介検討するのではなく第一章(五)能力の定義をまず取り上げたのもその理由からです。すでに勝田1回目連載で「勝田『能力と発達と学習』の全体を一応過不足なく紹介しながら自分のコメントも書くという方針を断念し」たと書いていますが、能力の定義に関する部分は早く先に進むためにという理由で途中で端折ることはできません。論述の進みはさらに遅くなりますが(^^;)、御容赦下さい。

 私自身が言うのもなんですが(^^;)、勝田の原著、22歳の私の卒論、そして現時点での見解という3つの島をあっちへこっちへ飛びながら論述しているため、ほんとに自分で言うのもなんですが(^^;)、論の流れが錯綜していてわかりにくいと思います。ですから面倒でも時々は前に戻って整理する作業をしながら、少しずつ進んで行きたいと思います。

 勝田3回目連載では、22歳の私の卒論が勝田の本書第一章(五)への言及から始まっていることを確認しました。そして現時点から振り返ると私の援用が自己都合的であって、個人としての子どもに焦点を当ててその認識を探るという私の卒論の問題意識に引っ張り込む形でしか勝田の「能力」定義を理解していなかったという反省に立ち、勝田の「能力」定義の全体(P.50)を省略せずに引用紹介して、改めてそこから学ぼうとしています。
 そして勝田4回目連載でその作業を開始しました。まず勝田が能力の説明のために提示している「P.54図」について、その意味するところを、「教育学の世界で上記のような図示が行なわれると、原文を離れてその図の解釈が一人歩きしてしまう傾向があるんじゃないか」という個人的な危惧を背景に、我田引水的でなく過不足なく解釈することを試みています。
 いや、ちょっと話が先走りました(^^;)。勝田は第一章(五)の冒頭に「P.54図」を提示しているわけではありません。まず「能力」を定義します。定義自体については、勝田3回目連載で22歳の私が卒論でそれを狭く絞り込みすぎて紹介したことの愚を繰り返さないために、ここで再度言及することをやめて、勝田3回目連載での定義の引用に譲ります。
 まだ、おさらいが続きます。勝田は定義に続いて能力に関する以下の二つの「だいじなこと」(P.50)を提示します。

 ➀人間の能力というとらえ方で私たちが思いうかべる力は多様だが、それを、社会との関係でいくつかのカテゴリーに整理することができるかどうか
 ②多様な力を、個人がひとりで多面的にもつことができるのだが、それらは、相互に関係しあい浸透しあっているのか、それとも別々の能力という形で所有されているのか

 ➀の問いに関わって勝田は「生産の技術に関する能力」に始まる能力カテゴリーの列挙とその説明を行ないます。 そしてその説明の末尾部分に「P.54図」が登場します(著作集収録分ではなく『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』原著においてこの図がどのページに登場していたのかを確認することはできませんが、おそらく図の掲載位置を大きく変えたりはしていないと推測します)
 そして勝田の叙述は続いて②の問いの考察に入り、自らの立場を「心理現象を、ふつう知・情・意に分けてしらべる」「昔の能力心理学」とは峻別して、「私のカテゴリー」は「社会の中の人間行動によって、質のちがう価値を生み出す能力の領域」であり、「私のそれには壁はない」と強調します(一連の引用は全てP.55)
 勝田4回目連載で私はこの部分までを押さえていたのですが、勝田の叙述はまだあと約2ページ続きます。つまり前回の勝田4回目連載では、私は勝田の➀②の二つの提起を②の途中までしか紹介・検討していませんでした。ということは、私は結局本書での勝田の「能力」定義にすぐ続く➀②の2つの問いの意味、とりわけ➀の問いと②の問いが相互にどのように連関しているかについて自分なりに学び考察する作業を行なえていなかったのです。これでは卒論叙述の次の部分にも、勝田の原典の他の箇所にも移るわけにはいきません。検討作業を続けます。

 勝田は②の問い(個人の諸能力は相互連関しているかそれとも別々に存在するか)について、人の心理現象を知・情・意に区分する能力心理学の立場を拒否して、人間の諸能力はそれぞれ質の違う価値を生み出すが、能力相互には「壁はない」と言います。それに続く論述を見ていきましょう。

【しかし、現実には、能力が特殊化されていて、ある技能や技術にすぐれていても、他の能力で劣っているという分化があらわれている。社会もまた一定の状況では、これを要求し、文化の諸領域の進歩のために、そういう分化を歓迎するし、だいいち、産業社会がその効率をよくするために、特殊化した能力をひとびとに要求する。ある特定の能力の訓練のために、他の能力の発達がぎせいにされるかもしれない。数学教育の専門家は、そろばんや暗算の能力が、かえって高度の数学的思考力の発達に干渉して、それを低下させると指摘している。それがどの程度のものか、どのような原因によるのか、ばあいによってはかなり明瞭に確かめられていても、多くのばあいには全く経験的判断に止まっている。しかし、それは社会的条件や訓練の仕方や学習の態度によるものであって、そのかぎりでは、特殊的である。】(P.55-56)

 勝田4回目連載で私は、特に誰に対する批判ということもなしに、「勝田の図を《幕の内弁当的な能力構造図》と解釈することは誤りだ」 と書きました。この例えを無理やりここへ引っぱり出しますが、勝田の言う「昔の能力心理学」の弁当箱では、人間の心理現象を《知というおかずの枠》《情というおかずの枠》《意というおかずの枠》に区切ってしまうことになるのでしょうか。勝田は《私の弁当箱(=能力図)には仕切り枠はないよ》と言っているようにも思えます。だけど、おかずは分けて入れる必要があるから、《この子にもっと筋肉がつくように焼肉をたくさん入れよう》とすると野菜が入る場所は必然的に小さくなってしまう。こういうことが人の能力形成のための弁当箱で起こるということ?????
 ちょっと例えが荒唐無稽すぎて、元のお話がわからなくなってしまいますね。失礼しました。能力の話に戻して考えると、勝田は人の能力を最初から特定の枠(サブカテゴリ)に区分してそれぞれその中でだけ考察するようなことはしない。いろいろな能力について考察するときに壁は作らない。そう、人間のいくつかの能力は相互に連関して形成され機能している。ところが個人の能力相互の関係のしかたとして《あるものは優れ、あるものは劣っている》という現実があり、またそのことへの社会の影響・圧力として、個人の能力の分化・特殊化が歓迎され推進される。これにより個人において特定能力の形成が伸長されるがその陰で他の能力の発達が犠牲にされる、そういうことが経験的に確認されているというのです。ここではまだ勝田はこうした現実への評価を慎重に保留しているように見えます。次を見ましょう。

【能力の分化と発達の特殊化が、ばあいによっては、他の種の能力の発達に干渉を加えて、それを妨害するということは十分ありうる。また干渉ではなくても、特定の能力の訓練のために時間的にみて、他の能力を発達させる機会と時期が失われるという事実がある。しかしこれを一般化するのはまちがいで、逆にかえって、他の能力の発達をささえることもあろう。】(P .56)

 ここで勝田は、特定能力の発達が他の特定能力の発達を常に阻害するとは限らず、両者がプラスの相互連関を実現する場合もあると述べています。

【ところで、こういう現実では、能力が相互に無関係に個人に所有されていて、個人はその単なる持主として、機に応じて自在に、それを使うことができながら、自分は少しもそれに影響されないと考えていいのだろうか。たしかに器用な人間は、いろいろな能力をその必要に応じて、こともなげにつかいこなして平然としている。万能選手どころか、ルネッサンスのレオン=バッチスタ=アルベルチという人物は、まず肉体的運動能力では、両足を開かずに、立っているおとなの頭を飛び越えたほどであり、乗馬も、剣術も並々ならぬ名主であった。詩をつくり、画を描き、医学と法律学、さらに数学に長じていた。ルネッサンス・イタリア人がほめたたえた普遍的人間であった。こういう人物も人類という存在の中から、稀に輩出する。どうしてなのか、という解明は、ほとんど不可能だが、ただ当時の理想的人間観にしたがって、かれが普遍的人間たらんと自己訓練に精進したことは確かであろう。
 問題は、そういう多面的な才能の持ち主は、それぞれの能力の発達と無関係な自分というものを別に保っていると考えてよいかどうかである。器用な人物のばあいには、そういう感じがあるけれども、たとえば、これも経験的な印象にすぎないのだが、「器用貧乏」などといわれるように、やはりその人物のなにごとをもつきつめない性格が物語られているようだ。ルネッサンスの万能人は、単になんでもできる人間というよりも、そこにはひとりの普遍的人間という人格が生きていると考えられている。
 つまり現実の人間は特殊な能力を発達させ所有しているが、その能力の形成は、その所有主の内部の構造の体制に変化をもたらし、その個人を特定の人間にさせてしまう。このことは、させてしまうという受身で考えてよいかどうか、たしかに一面では、それは受身である。環境からくる刺戟や社会的な要求に応じて、その能力を育てるように訓練し、学習するかぎりそうである。しかし、他方ではそういう刺戟の受け方、社会の要求の受けとめ方は、その個人の発達の状況によって異り、その能力の学習を個人はいわば選びとるのである。いいかえれば、個人はそのことによってどういう自分を育てるのかを選択する。
 この選択を自由だと考えることはできるが、しかしそこに拘束がないどころか、むしろそれは社会的に規定されているのだ。規定されている自由、という実存主義的表現は、その限りで正しいといっていいだろう。この意味で、個人は、時代の子であり、一定の社会に生きる自分の性格を決定するのである。
 しかし、他面では、そういうにはあまりにもその自己に食いいらない能力、あるいは技能や知識の使用もあるように思われる。自我の表層で所有している力はそういうものだろう。それだって、自我内部の体制になにほどかの変化をもたらしてはいるのだろうが、その影響が中核にまでおよばないものだと考えることができる。あるいは、それが浅いせいか、または使用の機会が少ないせいか、そういう理由で、深く定着しないままに、自我におよぼす影響が小さいということもあろう。】(P.56-58)


 長い引用になりました。ここで勝田は、その前段で述べた特定能力の形成のために他の能力を犠牲にせざるをえない人間とは対照的な、ルネサンスの「普遍的人間」の事例を挙げ、多彩な諸能力を一手に獲得している人間もまたいるという例を挙げながら、そうした諸能力を持っている個人において、「自分は少しもそれに影響されないと考えていいのだろうか」と問いかけます。すこしわかりにくいですね。能力を獲得してそれを使いこなすのは《自分》ですが、それとは別に諸能力を持っていることに影響される/影響されない自分がいるかどうか、「それぞれの能力の発達と無関係な自分」を「別に保っている」のかどうかという問いは。
 上記の文中で勝田が敢えて使用してはいない《人格》という語を使って勝田の言うことを解釈してよいかどうかためらいもありますが、ともかく勝田は人間が持つ個別の能力とその人という人間全体、《人格》との関係についてずいぶん慎重に考察を進めています。一人の人が持ついろいろな能力と自分自身(人格?)との関係について、「自分は少しもそれに影響されない」という考え方が存在すること(あるいは、あり得るという仮定かもしれませんが)はまず認めた上で、それでいいのかと問いを立てています。そして、「器用な人物のばあいには、そういう感じがある」ということを「経験的な印象」と断って認めていますが、そういう《世間的評価》もあるということを「器用貧乏」という語の存在で裏付けています。そしてそれは「人物のなにごとをもつきつめない性格が物語られている」 と徐々に批判の論調へ舵を切ります。
 慎重に論を進めてきた勝田の、ここからが真骨頂と私は捉えました。 「能力の形成は、その所有主の内部の構造の体制に変化をもたらし、その個人を特定の人間にさせてしまう」と勝田は書きます。(特定の)能力形成によって、個人の「内部の構造の体制」が「変化」する、個人を「特定の人間」にする、そして「特定の個人」にするやり方には環境や社会の影響もあるが、一方で「その能力の学習を個人はいわば選びとる」「どういう自分を育てるのかを選択する」のです(私はすぐに大田堯「選びながら発達する権利」を思い出しました)。もちろんその選択には社会的拘束があります。
 さらに勝田がおもしろいのはその次で、人間は自らの能力の全てを主体的に選択して形成しているとは言えない、「自己に食いいらない能力、あるいは技能や知識の使用もある」と言い、そうしたものは「自我の表層で所有している力」だと言うのです。ここで勝田は「自我」の語を使っていますが、《人格》は出てきません。しかし、さらにおもしろいのは、勝田は上記のような「」は「自我」に無関係だとは言っていないこと。「自我内部の体制になにほどかの変化をもたらしてはいるのだろうが、その影響が中核にまでおよばないもの」ととらえるのです。「能力」(や「技能」や「知識」)と「自我」との関係はグラデーションをなしているということでしょうか。こうしたグラデーション的な把握は、もしかして勝田が能力のカテゴリー間に「壁はない」と述べていることと関係しているのかなとも思います。

 さてこれでようやく、本書第一章(五)能力の定義をフォローする作業が終わりました。最後の方は文字通り全文を筆写してから辿り直すという作業になりました。
 ここでもう一度、「能力」の定義に続いて述べられた勝田の二つの問いかけをおさらいします。

 ➀人間の能力というとらえ方で私たちが思いうかべる力は多様だが、それを、社会との関係でいくつかのカテゴリーに整理することができるかどうか
 ②多様な力を、個人がひとりで多面的にもつことができるのだが、それらは、相互に関係しあい浸透しあっているのか、それとも別々の能力という形で所有されているのか

 勝田は二つの問いに応えて考察を行なっているのですが、いま確認してきた行論から見ると、二つめの問いに応える考察は途中で変化しているように見えます。つまり、問いは個人の諸能力間の関係(あるいは関係がないこと)についてでしたが、考察は途中から個人の諸能力とその人の「自我」との関係に移っているのです。なぜなのか?
 それは第一章(五)だけを読んでいては明らかにならないのでしょう。私は連載のこのセクションを、勝田の二つの問いとそれに基づく考察は相互にどう関係しているのかについての自分なりのコメントで締め括ろうとしていました。しかし......わかりません。まだ一読者として主観的でもまとまった知見を示すということができません。考察を続けるしかありません。
 ただ、 勝田1回目連載で述べたように、私は勝田の原典検討の際に22歳の私の卒業論文における勝田からの学びを媒介させることにしました。今回連載の行論の流れからすれば、次回は勝田の次の叙述=第一章(六)能力の諸因子に移って(五)で自分が残した課題の究明に取り組んだ方がいいのかもしれないのですが、敢えて当初方針通りに次回は私の卒論記述の続きの部分から始めたいと思います。面倒くさい奴ですが、もうしばらくお付き合い下さい。 



連載・私の研究ノート(第34回)    (京都教科研通信第373号 2024.3)
勝田守一『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(1964) 【6回目】


 私の卒論の【3回目】での引用に続く部分に戻ります。ただ、申しわけありません、【3回目】で引用した部分の末尾の一段落(下線部分)を重複して引用します。
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 勝田は、これら四つの能力のカテゴリーの中で、認識の能力をとりわけ重視している。人間の能力は社会の要求によって規定されているが、社会の要求は歴史的に変化・発展してきた。科学・技術が高度に発達し、そのことが社会の発展を規定する重要な要因となっている現代においては、自然・社会を科学的に認識する能力が人間的能力の中で重要な位置を占めるのである。また、四つのカテゴリー相互の基本的な関係においても、知的認識は、他のカテゴリーの能力に「浸透」(P.77)することによってその本質的特殊性を一層発揮させるという特殊な関係にある。
 ところで、認識の能力を発達させるためには、
「概念あるいは観念をになう言語」(P.78)及び「言語によって表現され、伝達可能なように組織された知識」(P.78)を順序立てて学習していく必要がある。そしてこのことこそが、「学校という定型的な教育の機関」(P.78)の設立を要求するのである。逆に言えば、学校の任務は「認識という知的能力を中心として諸能力を育てる」(P.78)ことなのである。
 
学校において形成すべき能力は、大きくわけて次の二つの側面を持つ。
 第一に、
「人間が科学(自然科学・社会科学)として組織し所有している文化に参加しながら、事物・世界を認識する能力を自己のうちに育てることによって、自己を解放していく」(P.79 下線部12文字に傍点)側面である。
 第二に、
「現代の発達しつつある生産方法に組織されている技術を、技術学として学びとる能力を育てることによって、現代の職業の中に参加しながら、自己を確立していき、自己確立の為に環境を変革していく」(P.79 下線部12文字に傍点)という側面である。
 前者は実在の客観的認識の能力、後者は実在の主体的変革の能力であるが、認識の能力は前者ばかりでなく後者にとっても重要なのである。また逆に、認識の能力自身が「知的過程」(P.79)「労働過程」(P.79)の統一によって発展していくのである。
 このように勝田が、学校教育の中心任務として位置づけた認識の能力の形成とは、狭義には言語及び言語を媒介とした科学的知識の組織的系統的教授による知的能力の形成を意味するが、広義には知的過程と労働過程の統一による実在の客観的認識の発展をも意味していたのである。

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 私の卒論の、上記の下線部分以前の部分では、私は本書「第一章 人間の能力をどうとらえるか(五)能力の定義」に依拠して論を展開していました。そして下線部分では、新たに「第一章(八)学力とはなにか」に視野を広げ、その部分から「浸透」(P.77)という語を紹介しています。そしてそれに続く今回の引用部分では、(八)に依拠して論じています。そこで今回は、私の卒論の行論をベースにしながら(八)の部分を読んでいきたいと思います。
 まず、今回の卒論引用の冒頭下線部分にある「浸透」について。勝田の本書においてこの語を含む一段落を紹介します。

【私が五節に掲げた簡単な図表(54ページ)を想い起こしてほしい。あの表の中で認識の能力を、労働の能力、感応・表現の能力、社会的能力と特殊な関係に位置づけたのは、とくに現代における能力の知性化の傾向を示すばかりでなく、その基本的な関係を明らかにしたつもりである。認識の能力が特殊な側面として意味をもつということは、決して他のカテゴリーの能力が認識の能力に解消することではない。むしろ逆に知的認識が浸透することによって、それぞれのカテゴリーの能力はその本質的特殊性をいっそう発揮するものなのだ。】(P.77-78 下線は佐藤

 私の卒論では、「勝田は、これら四つの能力のカテゴリーの中で、認識の能力をとりわけ重視している。」とまとめてしまっていますが、勝田自身は確かに例の「P.54図」における「認識の能力」の他の能力カテゴリーとの「特殊な関係」「特殊な側面」ということを言っていますけれども、その特殊性とは他の能力カテゴリーを包摂し解消してしまうものではなく、むしろ「知的認識が浸透する」ことにより他のカテゴリーの能力が「本質的特殊性をいっそう発揮する」のだと言っています。学力テストや能力主義的学習競争が日本の学校に浸透していく中で、当時様々な人々が様々な価値観にもとづいて子どもにとっての「知的能力」について論じていたと思われる中、勝田は認識能力の重要性をおさえながらもそれを他の諸能力との関係で慎重に位置づけようとしていたと思われます。

 卒論記述に戻ります。22歳の私は、次に勝田の《認識能力と言語の関係》についての考察に注目しました。それは先ほど紹介した本書原文のすぐ続く以下の部分です。私の卒論では原文をほぼなぞる形で紹介してはいますが、自分の行論から外れると判断したのでしょう、省略している部分もあります。ここでは関連する勝田の原文を省略なしに紹介し、私が省略した部分を下線で示したいと思います。

【ところで、認識の能力を発達させるためには、一つには概念あるいは観念をになう言語と、言語によって表現され、伝達可能なように組織された知識を順次に学習していかなければならない。これが学校という定型的(フォーマル)な教育の機関を必要とさせた理由なのである。学校は、その最初の形態は文字の発明とともにあったといわれるが、もともと言語的・文字的性格をになっていた。アカデミック(学院的)というのはそういう古典的知識と関係をもつことばである。それが同時に生活と労働から遊離して学校が言語主義・文字主義に堕落する傾向をもたせるゆえんなのである。
 ここでいいたいのは、学校は認識という知的能力を中心として諸能力を育てるという任務をもっていることである。もちろん私たちは、そのことから直ちに学校が現実を離れた言語主義や知識の詰め込み主義に堕落していていいといっているのではない。そういう「学力」に、生活主義からの反撃が加えられたことに対して私たちは十分な認識をもつべきなのだ。しかし、同時に、かつてソヴェートで唱えられたような学校死滅論のあやまりにも気がつかなくてはならない。生産の場でこそ生産労働の能力が育てられ、その教師は労働であり技師であるべきだとした学校死滅論の主張は、言語主義、知識の詰め込み主義に対する批判には正しいものがあっても、認識の能力の発達の基礎を組織的に育てていく学校の固有の役割にたいする正当な理解の欠除を示している。それは基本的には人間の能力の発達の事実を見失っていたことを示すものだ。
 ところでもとへ帰って、すべての能力が学校だけで育てられると考えることもまた誤りである。人間の能力は社会の多様な要求と豊かな刺戟の中でこそ花開くのだ。その開花の可能性の基礎こそ学校は育てなければならない。(P.78-79)


 下線部分を見れば明らかなのですが、勝田は認識能力の発達にとっての言語学習の重要性を述べた上で、すぐに続いて学校が「言語主義・文字主義に堕落する傾向」、学校が「現実を離れた言語主義や知識の詰め込み主義に堕落」することへの警戒を繰り返し述べ、しかしまた一方でソビエトの「学校死滅論」のように学校固有の役割を否定することを批判し、しかしまた「すべての能力が学校だけで育てられると考えることもまた誤り」として人間の能力発達における学校の役割を正しく位置づけるべきことを主張しています。勝田の議論は言語の学習から学校の役割全般へと広がっています。
 しかし私の卒論では、言語の学習と認識能力発達の密接な関係、そこでの学校の役割を強調する部分だけに意図的に限定して勝田の主張を取り上げています。勝田の主張の紹介マナーとしては、フェアで妥当だとは言えないですね。私は勝田の主張の中から、学校における言語学習の重要性だけを取り上げて、そのことの持つ一面性への勝田の着目の部分をカットしました。ただ卒論の趣旨が現代における学校教育の限界性に警告を与えることではなくて学校における知的学習の重要性を正当に位置づけたいということであったことから、勝田の主張をそのまま辿るだけの紹介では私の論点が見えにくくなってしまったと思います。引用紹介というのは難しいなと、今にして改めて思います。

 さて再び卒論の行論に戻ります。
 私は続いて、「学校において形成すべき能力は、大きくわけて次の二つの側面を持つ。」と述べて原文を引用していますが、この引用は原文のままです。但し今再検討してみると、私は勝田の文脈を意図的に自分の文脈の方に引っ張り込もうとしています。私は「学校において形成すべき能力」の「二つの側面」と紹介していますが、勝田の原文では以下のようになっています。先に引用した原文にすぐ続く部分です。

【ここではすべてをいいつくすことはできないが、私は「学力」というものを、だからやはり学校で育てられる認識の能力を主軸としてとらえる。それは、一つには(後略)】(P.79)

  つまり、勝田が問題にしているのは、あくまで「学力」なんですね。それが「第一章(八)」のタイトルですからあたりまえです。
 【1回目】に掲載した本書の目次を見直してみると、本書の章及び節の標題に登場する各概念の回数は、「能力」が8回、「発達」が11回、「学習」が6回、「学力」が1回、「認識」が1回、「思考」が5回、「知能」が3回、「言語」が4回、「労働」が4回、「科学」が4回でした。本文全編の各語彙の登場回数を調べたのならともかく、目次だけで何がわかるわけでもありませんが、章節の見出し語のレベルでは「学力」はいま言及している部分に1回登場するだけです。勝田著作集の中では「4 人間形成と教育」にも学力に関する論稿があり、それらを踏まえずに現在検討している原文の箇所からのみ推測を述べるのは不見識かもしれませんが、これまでも何度かコメントしたように、本書はまさに全国一斉学力テストが実施されていた時期に執筆されたわけで、そこでの「学力」論議を勝田は当然念頭に置きながら本書当該部分を執筆していたと思われます。
 これに対して1970年代中盤に卒業研究に取り組んでいた私にとって、(1960年代の学力テストや1960年代のその前後を含む各時期の学力論争のことなどはおおよそ承知していましたが)自分の関心はあくまでも「認識」でした。子どもの頭の中、というか子どものワールドが知りたかったんです。当時、哲学的認識論の学習も始めており、「認識」というカテゴリーにはあくまでこだわりたかったのです。
 勝田は「学力」を「認識の能力を主軸としてとらえる」と言っているので、子どもの社会認識について究明したいという22歳の私の問題意識と接点はあったと思いますが、私にとっては「学力」は重要論点だけれども様々な議論の中で手垢が付いている側面もあり、自分の議論はそこから組み立てるのでなくあくまで「認識」を基盤として考えたかったのです。
 原文に戻ると、勝田がここで考察しているのは、「学力」を「認識の能力を主軸として」どうとらえるか、ということです。しかし、勝田が「学力」について述べているところを、私は「学校において形成すべき能力」と言い換えています。「学力」概念に触れていないのです。勝田の言う「学力」「認識の能力」と私が言うところの「学校において形成すべき能力」は、もちろん互いに同じではありません。自分のこととは言え47年前の話なので、いまの私自身にとっても定かではないのですが、私が「学力」という概念に言及しなかったのは、あくまでも子どもの「認識」について、あるいは子どもの能力としての「認識」について考えたかったからだろうと思います。「能力」の概念についても自分なりに規定したわけではなく勝田の記述に沿って考えていたに過ぎませんが、あくまでも《「認識」の能力》の問題を自分は考えているんだということを明確にしたかったんだと思います。
 さて勝田が《「学校で育てられる認識の能力を主軸として」捉えた「学力」》、それを私が《学校において形成すべき能力》と読み替えたものについては、勝田によれば以下の二つの側面があるのです。
 (1)「人間が科学(自然科学・社会科学)として組織し所有している文化に参加しながら、事物・世界を認識する能力を自己のうちに育てることによって、自己を解放していく」(P.79 下線部は佐藤が傍点を付した部分)側面
  (2)「現代の発達しつつある生産方法に組織されている技術を、技術学として学びとる能力を育てることによって、現代の職業の中に参加しながら、自己を確立していき、自己確立の為に環境を変革していく」(P.79 下線部は佐藤が傍点を付した部分)という側面
 22歳の私は、この二側面を、「前者は実在の客観的認識の能力、後者は実在の主体的変革の能力であるが、認識の能力は前者ばかりでなく後者にとっても重要なのである。」と捉えました。
 客観的認識と主体的変革、もっと短く言えば《客体と主体をめぐる問題》は、私の卒論においては隠れたテーマであったようにも思います。話が飛んで恐縮ですが、私は卒論の「はじめに」の中で、次のように書いています。

「社会認識においては認識主体である児童自身が認識対象である社会の一構成員である。そして児童の社会認識は児童の認識の単なる一分野ではなく、他の分野も含めた全体的な認識のあり方と深く関わっている。従って社会科の中でのみ認識形成過程をとらえるのでは不十分である。」

 また、「第二章第二節学校教育における社会認識の指導」の中で、次のように書いています。

「生活現実は、児童が社会事象を認識対象とする契機となるという意味においても、認識主体を規定して客観的認識を困難にさせるという意味にもおいても重視されたのである。だから、認識主体と生活現実との関係そのものを指導しなければならないと考えられたのである。」

『認識と教育』部会の討議において、勝田は(中略)社会認識においては児童の認識対象となる社会の現実、とりわけ児童の生活現実が、『認識の裏側にくっついて具体的な認識をかえって理性的にさせる』(教科研・認識と教育部会「社会的認識と数学的認識」『教育』No.117  P.124)という形で『主体的』に児童自身を規定するという、認識主体の指導過程を解明していくべきことを強調した。」

 22歳の私は、(子どもの)社会認識というものの特徴を上述のように捉えていました。ものごとを科学的に認識するというのは、主体の側の主観、価値観、感情その他の要因に左右されることなく対象を客観的に把握することだと考えられます。ところが社会認識の場合、ある個人が認識の対象としようとする「社会」には、その個人自身も一員として含まれています。社会というものを個々人の意識やその集積とは別のシステムと捉える立場もあるでしょうが、学校教育において子どもが社会を学習(認識)対象とする場合に、自分というものを抜きにして外から社会を捉えるのではだめだと私は考えました。認識対象の中に認識主体自身が含まれる、これが社会認識の特徴であり、従ってそのことを考慮した指導論が必要であると考えました。
 そして上記の卒論第二章第二節中で引用している勝田の、児童の生活現実が「認識の裏側にくっついて具体的な認識をかえって理性的にさせる」という表現(これは本書でなく『教育』誌上での記載ですが)に、私は強く惹かれていたことをはっきり記憶しています(卒論最終盤でこの部分についての私の分析がよく伝わらないとコメントに来てくれた先輩院生に何度も質問されて、しかし結局うまく文章が直せないままに終わったことも覚えています)。現実が「認識の裏側」にくっつく。そうなることで「具体的な認識をかえって理性的にさせる」という勝田の指摘が、《社会認識で認識主体自身が認識対象の中に含まれている》という私の理解と必ず繋がっているという主観的な確信がありました。
 認識一般ではなく社会認識に限定しての話ですが、私の問題意識としては認識の主体と対象の関係をこのように捉えていました。そして、こういう問題意識があったために、私は勝田の主張を《学校で形成すべき能力には実在の客観的能力の側面と実在の主体的変革の能力の側面がある》というように、かなり我田引水的に解釈したんだと思います。しかしいま読み直してみると、勝田が整理した「学力」の二側面のうち後者の側面の核心は、22歳の私が引き取った「実在の主体的変革の能力」ではないように思えてきました。
 確かに勝田の第二の側面についての叙述の後半には、職業参加を通じての自己確立、環境変革という、主体の積極的活動に関係する事柄への言及があります。しかしそうした主体の活動には前提があります。学校において現代の生産方法の技術を「技術学として学びとる能力」を育てなければならないということです。もちろん二つの事柄は段階論ではないと思います。しかしここでの勝田の行論を改めて見直すと、勝田は「学力」の二つの側面として《科学という人間の文化に参加することで事物・世界を認識する能力を育てること》と《現代の生産技術を技術学として学びとる能力を育てること》という二つのことをセットにして提案しているのです。
 つまり勝田は、学校で《科学を学ぶこと》と《技術を学ぶこと》とは、相互に関連しているけれども相対的に区別されるということを言いたかったんじゃないかと現在の私は推測します。そして後者については、もちろん現実の労働過程に参画して体験的に学ぶことも当然想定していたと思いますが、勝田は敢えて「技術学として学びとる能力」と書いています。詳しく展開されていませんが、学校教育において科学を学ぶ方法と技術を学ぶ方法は相対的に区別されねばならないということを勝田は言っているように思うのです。学校で形成したい「認識の能力」の中に科学を学ぶことで形成される能力と技術を学ぶことで形成される能力とが相対的に区別され、それぞれの指導論、指導過程が確立されねばならないと述べているように思えます。そしてもしも現在の私の推測が妥当であるならば、22歳の私が引き取ろうとした学校生活における客観的認識と主体的変革との関係という課題は、勝田の言いたかったこととずれているように思います。
 なお、こうした関心から改めて「P.54図」を見直してみると、いくつか気になることが出てきます。縦書きの「感応・表現の能力」「労働の能力」「社会的能力」については、いずれも長方形の枠がまん中で左右に仕切られ、「感応・表現」と「労働」の左側には「技術←→技能」と書かれています。さらに「社会的能力」の左横には、括弧付きで「(技術)←→(技能)」と書かれていて、右の2つの能力カテゴリーとは表記の仕方が区別されており、注記としてその理由は「多分に比喩的である」からと説明されています。また、最上部に横書きされている「認識の能力」については、このような技術・技能についての添え書きがありません。
 この「技術・技能」について、原文P.51-55の説明の中で「P.54図」について言及がないわけではないのですが、いまの私には技術についての勝田の見解をきちんと捉え理解する用意がありません。22歳当時の私はもっぱら「認識」のアスペクトから勝田の能力論を捉えようとしていたのですが、今回の作業を通じて見えていなかったものがたくさん見えてきました。その一つが勝田の「技術」把握、技術論をどう捉えるかだと思います。技術論一般から勉強し直すほどの覚悟はありませんが、とりあえず頭の隅に置いておきたいと思います。
 勝田はここで、認識能力としての学力を科学的認識能力の側面と技術学の習得の側面という二側面から論じた後に、私の卒論でも抜粋して引用しているように「認識が手を用いる労働過程と頭を用いる知的過程の統一によって発展するという原則」の重要性を提示しています。私が引き取った《認識主体と対象との力動的関係》みたいな次元とは少し違って、労働過程と知的過程の区別と関連が論じられています。認識という主体の働きは両方の過程にそれぞれ、あるいは相互関連的に関わるのであると思われますが、それについてはここでは勝田はそれ以上展開していません。
 卒論叙述ではここまでの整理として、勝田が「認識の能力の形成」を「学校教育の中心任務として位置づけた」とし、その「認識の能力の形成」が意味することとは、狭義(言語及び言語を媒介とした科学的知識の組織的系統的教授による知的能力の形成)と広義(知的過程と労働過程の統一による実在の客観的認識の発展)の二つがあるとまとめています。
 卒論の記述は次の段落から新たな論点に進みますので、今回はここまでにします。 


連載・私の研究ノート(第35回)    (京都教科研通信第374号 2024.4)
勝田守一『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(1964) 【7回目】  

 22歳だった私の卒業論文第二章第一節「認識の能力とその発達」の、前回引用に続く部分から引用します。ここからは、勝田における「幼児・児童における言語の獲得過程と認識発達過程のかかわり」へと論を転換しています。
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 では、勝田は幼児・児童における言語の獲得過程と認識発達過程のかかわりをどのようにどらえていたのであろうか。
 一般的には、人間の思考は一方で生理的成熟に促され、他方で社会的な言語に助けられて発達すると言えるが、その過程は極めて複雑である。
 幼児は、あることばを自ら発声できるようになる以前に、すでにそのことばが他人によって使用される状況の中で、身振りや音声の抑揚からそのことばに対する
「感情的な了解」を成立させている
(P.123)
 他方、幼児があることばをしゃべることができるようになった時、必ずしもそのことばの意味を正しく習得しているわけではない。
 つまり、一方において幼児は、獲得したことばを
「叫びやむずかりや身振り動作の延長として低次の伝達に使用」
(P.129)し、また事物を表わす単語によって知覚を安定させ、記憶を支え、またその単語を「観念の運搬者」(P.129)として使用する。その限りでは言語は幼児の表現や認識の活動に即して、これらを支えるものとして使用されている。
 しかし他方で幼児は、自ら意味をとらえることができないような複雑な内容を表わすことばや抽象的なことばをも
「自分の中にとりこむ」
(P.129)のである。
 つまり、幼児は社会的記号であることばを模倣によって獲得していくのであるが、幼児がふれることばのうち、幼児にもその意味が理解できるものはわずかである。しかし幼児は、おとなからみれば主観的な意味を自ら創造してそのことばに与えつつ、そのことばの使用を模倣する。つまり
「本来、一定の経験あるいは観察から、特定の手続きを通って抽象化され、総合された観念の名辞に、自分の経験の範囲内で直接に表象を結びつけ」てしまうのである
(勝田「認識の発達について」(1957) 『勝田守一著作集4人間形成と教育』P.74)
 しかし同時にこのような幼児におけることばの意味の主観性は、
「人間の象徴使用の能力」
(P.124-125)の発達と関係しており、「意味するもの」(P.125)「意味されるもの」(P.125)の分化にもとづく思考の獲得のあらわれなのである。
 社会的記号としての言語の使用は幼児の中にすでに内面的に成長しつつある象徴機能を強化し、一方で
「現在的・知覚的な事物の拘束」
(P.129)をうけている幼児の思考を、表象の世界の定着によって発展させていく。そして、「表象が記憶を支え期待を把持させ、それが行動の抵抗感覚と結合することによって、じつは知覚的事物の背後にほんとうの意味で、ますます外がわにある実在が意識に成立する」(P.129)のである。
 従って幼児におけることばの意味の主観性は実在の客観的認識への発展の契機を含むものである。この主観性はまた
「他のひとたちの見地を媒介にして、その差異を確立した意味での主観性」
(P.130)ではなく、「他との未分化から生まれた主観性」(P.130)である。従って幼児の思考は、他人特に年長者の考えやことばに影響されやすく、「ステロタイプ化」(P.136)しやすい。
 しかし一方、幼児は言語に支えられた表象によって外部からの知覚を断ち切り、
「あたまのなかで表象や観念を組みあわせてみるはたらき」
(P.136)によって知覚した現象の意味を考えることができる。このような思考活動の獲得の意義を思考の内容の主観性ゆえに軽視することなく、逆に幼児の思考の内容を吟味してそこに客観的思考の発展の可能性を見出すことが重要である(勝田「認識の発達について」(1957) 『勝田守一著作集4人間形成と教育』P.74)
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 上記の私の論述の典拠は、(勝田の本書以外の論文にも言及していますが、本書については)「第二章人間が成長するとはどういうことか」の「(八)状況的思考と言語的思考」「(九)思考の社会化」です。
 前回紹介しましたように、22歳の私はここまでの卒論叙述で、勝田が人間の能力の4カテゴリーの中で「特殊な側面」を持つとし、「学力」の「主軸」に位置づけた「認識の能力」について検討してきました。また勝田は「認識の能力」の発達において言語の学習が重要であることを(もちろん様々な留保を付けながらですが)強調していました。そこで22歳の私は、就学前から就学期にわたって子どもたちがどのように言語を獲得していき、そのことが認識の能力の発達にどう関係するかを勝田の叙述から読み解こうとしたわけです。

 私は成長過程のいつ頃からかわかりませんが、ちっちゃな子どもたちが大好きで、子どもたちの世界に関心を持っていました。1973年に京都大学教育学部に入った頃には、「だから教師になろう」とストレートに思っていたわけではありませんが、学生サークルで山村の子どもたちと遊んだり話したりすることは大きな喜びでした。22歳で書いた卒論の背景にも、私のそういうワールドが横たわっています。
 最初に粗っぽい言い方をしてしまいますが、私は子どもたちの世界での、何というか「先取りしようとする力」「背のびする力」みたいなことに興味を持っていたと思います。念のために断っておきますが、それは受験のための知的早教育などとは全く関係のない話です。大人に教え込まれたり、ましてや脅されたりすることと全く関係なく、未知のことにチャレンジし、失敗しながら成長していくバイタリティーのようなものが、子どもの《自然な性質》としてあるんじゃないか。卒論を書く以前に数多くの子どもたちとの交流経験を持ってきたとは言えませんが、自分の乏しい経験をベースにしてでも、勝田の記述の中に「おうおう、その通り!」と膝を叩きたくなる叙述がありました。
 勝田の原典に立ち入る前にまず22歳の私による勝田の紹介を振り返りますが、上記引用にあるように、

幼児は、あることばを自ら発声できるようになる以前に、すでにそのことばが他人によって使用される状況の中で、身振りや音声の抑揚からそのことばに対する『感情的な了解』を成立させている
(P.123)。/他方、幼児があることばをしゃべることができるようになった時、必ずしもそのことばの意味を正しく習得しているわけではない。」ということ。

 また、「幼児は、自ら意味をとらえることができないような複雑な内容を表わすことばや抽象的なことばをも『自分の中にとりこむ』
(P.124)のである。/つまり、幼児は社会的記号であることばを模倣によって獲得していくのであるが、幼児がふれることばのうち、幼児にもその意味が理解できるものはわずかである。しかし幼児は、おとなからみれば主観的な意味を自ら創造してそのことばに与えつつ、そのことばの使用を模倣する。つまり『本来、一定の経験あるいは観察から、特定の手続きを通って抽象化され、総合された観念の名辞に、自分の経験の範囲内で直接に表象を結びつけ」てしまう』(勝田「認識の発達について」(1957) 『勝田守一著作集4人間形成と教育』P.74)」ということ。

 つまり、極めて粗っぽい引き取り方で恐縮なのですが、子どもは《使えないのに、使っちゃう》ということ、それで《失敗もするが、乗り越えて成長していく》ということなのです。上記の卒論の叙述に即して繰り返せば、幼児は自分ではしゃべれない言葉について状況の中でなんとなくその意味をつかんでいて、ある段階になるとその言葉を状況の中で《使っちゃう》ということ(そして大人とのやりとりの中で意味を間違えて使っていたと理解したらだんだん訂正していくということ)、ちょっと言い換えると、子どもは自分にとってなんだかよくわからない言葉であってもとにかく自分の中に取り込んで、勝手な意味づけをし、そしてそれを他者に対して使用することに《やぶさかでない》(^^;)ということ。こういう、コミュニケーションの中で失敗を恐れず(というか、「失敗」という認識がないのでしょうが
(^^;)突き進む子どもの積極性というのか、向こう見ずさというのか、野性味というのか、それがとてもおもしろいと私は思うのです。そうやってこそ、子どもは環境世界と交わり、自分(という人格)をつくっていくんだろうなと思うのです。
 もちろん、子どもによる言語獲得過程の個人差はあると思うし、また家庭とか保育施設とかで子どもの発話にまわりの大人が関心を持ち、楽しみ、受け止めてあげるような環境がなく、g逆に例えば周りの人間が子どもの言い間違いとか意味の取り違えを嘲笑したりするような環境であれば、上記のような子どもの突撃的(?)な言語獲得の模索行動は、たとえ発現してもだんだんと影を潜めていくかもしれません。だから私が惹きつけられた事実を直ちに《一般的な言語獲得のモデル》化してしまうことはできないでしょう。しかしともかく、私自身にとっては上記のような関心が自分の子どもとの関わり、子ども研究の初期からあったのだということを(全く個人史的な述懐ではありますが)強調しておきたいと思います。



連載・私の研究ノート(第36回)    (京都教科研通信第375号 2024.5)
勝田守一『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(1964) 【8回目】
 

(承前)
 私にとって心の支え(?)となる、というか本書を初めて読んで以来40数年経っても今も鮮明に覚えている勝田自身の体験談を、ここで紹介させて下さい。

【私の長女について、こういう経験があった。私のうちは古い家だったので二つの玄関があった。一つの方は、子どもたちの専用になっていて、「内(ない)玄関」とよんでいた。もう一つの方は、とくべつに名称はなくて単に「玄関」とよんでいた。4歳くらいの長女は、ある日しきりに「ある玄関」という名称をつかってしゃべるのだが、だれも理解できなかった。よく考えてみると「ない玄関」に対してまさにもう一つの方は、「ある玄関」でなければならなかった。「ない」(内)はかの女にとって、「ある」(有)に対する「ない」(無)であった。これはもう一つワロンのいう「対(つい)」のカテゴリーの発現の例になるかもしれない(「対」のカテゴリーは、子どもの思考にあらわれる最初の分類の型で、なんでも一対としてとらえていく思考の形式だとワロンはいっている)。
 2、3歳の子どもが社会的記号にふれたとき、そこには体系はできていない。その大部分は子どもにとってわかりにくい。そこで子どもは類似の関係で、「意味されるもの」を、おとなからみれば勝手な仕方で創造してしまう。】((八)
の末尾近く P.126)

 家に二つの玄関がある。いつも使ってる方は「ないげんかん」と呼ばれているが、もう一つの方はなんという名前かわからない。一つが「ない(無)げんかん」なら、もう一つは「ある(有)げんかん」かな、それでいいんじゃないか。長女さんが何歳だったか正確にわかりませんが、後半の一般的考察部分から類推すれば、彼女も「2、3歳」頃だったのでしょう。彼女が「ない」⇔「ある」という対で二つの玄関をとらえようとしたこともおもしろいんですが、私にはそれよりも、生活の中での彼女の《必要》(=呼び名がほしい)から発して、彼女がもう一つの玄関を命名したこと、しかもそれを(おとうさんなど家族の人も「?」という反応だっただろうに)堂々と呼び名として使い続けたこと(私が先に書いた、失敗など意識せずに突き進む子どもの積極性)がおもしろく思えるのです。《対で捉える》という思考方法が、言語獲得初期(おおざっぱな言い方ですが^^;)の子どもの外界への働きかけの《仮説》だということは重要でしょうが、同時に、《仮説が間違ってるかもしれないとかためらうことなしに、どんどん仮説をあてはめて発話していく前のめりの積極性》がおもしろいと思うのです。
 ここからは妄想ですが、おとうさんの勝田さんは、あるとき長女さんに「ねえ、『ある玄関』ってどういうこと? そうか、一つが『内玄関』だから、もう一つは『ある玄関』だと思ったんだね。なるほど。」と語りかけたかもしれない。そして、すぐに「もう一つは『玄関』でいいんだよ。」と正解を教えたのか、その前に「君は名前を付ける天才だね!」と誉めたのか。いやいやそれとも《大人のお節介》はせずに、長女さんが正しい用語法に気づいていく過程を見守ったのか。
 「長女」ということですが、もしも上に男兄弟がいたとしたら、長女さんとおとうさんの会話を耳にして、「『ある玄関』だって、へーんなの。やーいやーい」と茶化したかもしれない。もしそういうことがあったとしたら、世界に《仮説》を立てて挑もうとした長女さんの経験は、馬鹿にされて悔しいという傷として残ってしまったかもしれない……
 勝田が(おそらく父としての長女への配慮もあって)本書の中で《抑制的》に紹介しているエピソードを、私が勝手に妄想で拡張してしまいました。それでも私が本書におけるこのエピソードの紹介を「心の支え」と先に書いたのは、現実には様々な子どもの実態があり、それに対する《識者》の様々な捉え方が存在する中ではあるけれども、《とにかく突き進む積極性》というのが、少なくとも自分にとってはとてもおもしろい、興味津々の、(大人として)救われる子どもの姿だと思っているからです。
 言語発達の話ではないんですが、1歳を前後する時期に子どもは這い這い、つかまり立ちを経て、歩き始めますよね。ものにつかまることをやめて右足、左足(時に、右足、右足^^;)と踏み出していく子どもの足取りは、大人から見ればとても危なっかしくて、ついつい手を出したくなります。だけど子どもは、《自分にはちょっとまだ足の力が足りないから、歩き出すのはやめよう》と判断する(もちろん文字通りそのように言語(内言)で判断する力はまだないですが)のではなくて、よちよちふらふらしていても前へと足を踏み出しますよね。もちろんそれによってごろんとひっくり返って顔をしたたか打ったりしたら大泣きするでしょうが、それでもその後もう金輪際歩くのはやめる、というのでなくてまたチャレンジするでしょう。こうやったらこうなる(足の歩みが覚束ないから、踏み出すとひっくりかえるかもしれない)と予想できないから、ということでもあるでしょうが、とにかく先のことをあれこれ考えずに前に向けて行動する、ということはあると思います。私の全くの素人考えですが、この《歩行獲得への歩み》と《コトバの獲得への歩み》は、似ていると思うのです。生活年齢上の時期は同時並行ではないとは思いますが、素人の大人として《子どもの中に同じようなことが起こっている》と見ています。
 あと、歩行について補足すると、1歳前後の子どもは、よちよちふらふら歩き出しながら、(とんでもなくしかめっつらをすることもあるでしょうが)にこにこしてまわりの大人を見たりしますよね。これも言語化された認識ではないでしょうが、自分は歩こうとしている、歩けるかもしれない、その自分をおかあさんやおとうさんが見ている、よろこんで、はげましてくれている、という、認識と感情がないまぜ、自己認識と対人認識がないまぜになり、感情としてはまちがいなく《嬉しい》状態を楽しんでいると思います。つまり言いたいのは、子どもの歩行獲得(言語獲得でもそうだと思います)における親など他者との対人関係(乳幼児保育の場では子ども同士の関係も含まれるでしょう)の重要性、ということです。

 ここまで、架空の話のような、妄想のような、子どもの話を書いてきました。22歳の卒論執筆当時で言えば背景にあった私の《子ども体験》は前述の学生サークル(これは小学生相手)とか、親戚の赤ちゃんと遊んだとか、それくらいしかありませんでした。しかしその後私は結婚して妻といっしょに4人の息子たちを育てました。今でも、ほんの断片的な記憶ばかりですが、小さかった息子たちの行動や、話したことなどを思い出すことがあります。《教育学研究者として子どもを育てた》というつもりはないのですが、2000-3000g台でこの世に登場し、どんどん大きくなって巣立っていった4人の子どもたちと、それぞれ十数年間生活を共にした経験は、未整理ではあっても自分の教育学研究の中に息づいていると思っています。



連載・私の研究ノート(第37回)    (京都教科研通信第376号 2024.6)
勝田守一『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(1964) 【9回目】

 本書の検討の最初からずっとそうなのですが、あまりにも個人研究史的なバイアスをかけて本書に言及しているので、多少ではあっても《客観化》の努力をしたいと思います。いま言及している卒論の箇所で主な典拠としている本書第二章「人間が成長するとはどういうことか」の、22歳の私が取りあげた部分までの構成は、以下の通りです。
 (一)発達という視点
 (二)言語と思考
 (三)言語と子どもの発達
 (四)ヴィゴツキーとピアジェ(1)
 (五)ヴィゴツキーとピアジェ(2)
 (六)発達と学習
 (七)発達と教育

 当時の私の問題意識からすれば(二)(三)(六)(七)も取りあげて当然なのになぜそちらに行かなかったのかについては、あとで考えたいと思います。ヴィゴツキーやピアジェについても当時の私は関心は持っていたと思いますが、私自身に勝田の視野を通して彼らについて学び、なおかつさらに自分自身の視点で読むだけの覚悟がなかったんじゃないかと思います(卒論の参考文献にはヴィゴツキーもピアジェも挙げていますが、本文中で引用してはいません)。
 ともかく、(見出しを見ただけですが)本書第二章の勝田の叙述は上記のような流れで「(八)状況的思考と言語的思考」に至ります。その冒頭で勝田は次のように書いています。

【ここで、考えようと思うのは、思考と言語が、どのようにかかわって、両者の発達がみられるのだろうかということである。もちろん言語と心理学や思考心理学の固有の問題としてではなく、どこまでも私たちの問題として、つまり人間の発達をとらえるために私たちはみていきたいのである。どんな意味か、といえば、人間の発達では、いつもある一定の段階で、諸能力がうまいぐあいにバランスをとって、その環境にその水準でつごうよく適応しているのではないということなのである。肉体的にもそうである。】(P.119-120)

 この後、勝田が17,8歳の頃のおもしろい経験が紹介されますが、ここでの検討の筋から外れるので割愛します。

【不細工な不均衡は青年期の特徴だが、それは肉体ばかりでなく、精神的にもそうなのだ。青年期のはじめには、人と話がうまくできなかったり、へまなことをやったり、そのくせ内面的には人並み以上の豊かな思考をもっているつもりなのである。
 この不均衡は、青年期には、しばしば意識されるので、ますますへまをやることになる。しかし、この不均衡こそ、じつは発達のもっとも重要な兆候であろう。挫折の危機をはらんでいるが、能力相互の不均衡をいっそう高い水準で協調させていく過程が、いってみれば発達の特性なのではないか。】(P.120)


 私自身、本書全体を改めてきちんと読み直して第二章(八)の位置づけを意識した上で書いているのではなくて、22歳だった私の卒論叙述を手がかりに、そこで取りあげた箇所を恣意的に取りだしているので、見当違いの解釈もあるかもしれません。そのことをお断りした上で、この(八)自体の出だしがおもしろいと思うのは、思考と言語の関わりを「人間の発達をとらえるために」見ていきたいと書き出した勝田が、自身の経験談も含めて《青年期》から議論を始めていることです。この叙述の後すぐに、「小さな子ども」(P.121)の話に入っていくのですが、その前の《枕》がなぜ青年期の話題だったんでしょうか? 本節の始めに勝田は「人間の発達では、いつもある一定の段階で、諸能力がうまいぐあいにバランスをとって、その環境にその水準でつごうよく適応しているのではない」(P.119)と書きました。その《諸能力がバランスや適応を欠いた状態》で剝き出しになっている姿として読者の青年期への注意を喚起したのだと思いますが、本節でのその後の検討の主人公はどう見ても幼児です。ただそこへとフォーカスを当てていく前に、「能力相互の不均衡をいっそう高い水準で協調させていく過程が、いってみれば発達の特性なのではないか。」(P.120)として、幼児と青年期はもちろん発達の段階は違うけれども、《不均衡→協調》というサイクルを次元を換えて繰り返している、という発達の捉え方を勝田がしていた、もっと常識的な解釈を言えば幼児期、就学期、青年期(これらは私が勝手に並べた言葉であり、勝田の語彙使用をチェックした上での叙述ではありません)の人間の発達を《繋げて》捉える勝田の発達理解のあらわれではないかと思います。

 さて、このまま行くとまた勝田の叙述を紹介してそれに対する現時点での私のコメントを述べるという方向に行きそうなので(その方が読者のみなさんにはわかりやすいかもしれないのですが^^;)、元の方針通り卒論叙述との対応において勝田を読むという方向に戻します。

 私は卒論での「勝田は幼児・児童における言語の獲得過程と認識発達過程のかかわりをどのようにどらえていたのであろうか。」という問題設定に続いて、以下のように書きました。

「一般的には、人間の思考は一方で生理的成熟に促され、他方で社会的な言語に助けられて発達すると言えるが、その過程は極めて複雑である。」

 卒論では、勝田の原典の叙述を括弧付きで引用しながら論述を進めていますけれども、原文そのままでなく佐藤が省略したり要約したり箇所には括弧を付けず、地の文の中で勝田の主張を紹介している部分もあります。また、細かな括弧書きの引用がいくつも続きそうだと煩わしいので地の文にしたところもあります。全体として勝田の主張であることを明確にして紹介しながら、ここぞというところでは自分のコメントを付けるという論述なので、勝田の主張を佐藤のものであるかのように語る《剽窃》は犯していないと自分では思っていますが、40数年経って読んでみると勝田が言っているのか佐藤が言っているのか自分でもはっきりしない部分もありました。その一例が上の卒論叙述です。今回の勝田連載9回目の最初の方で、私は第二章(八)の最初の部分の叙述を紹介しましたけれど、原文のそれに続く部分の中で上の卒論叙述に関係する部分を探しても、しばらく見つけることができませんでした。探していくと、原文で2ページちょっと先に、以下の叙述を見つけました。

【このように人間の思考の発達が、一方では生理的成熟に促され、他方では、社会的な言語によって助けられていることを見た。】(P.123)

 読者の皆様にとってはまどろっこしい、どうでもいい作業なのかもしれませんが、佐藤の論述と勝田の論述を並べて見ます。

●佐藤「一般的には、人間の思考は一方で生理的成熟に促され、他方で社会的な言語に助けられて発達すると言えるが、その過程は極めて複雑である。」
●勝田「このように人間の思考の発達が、一方では生理的成熟に促され、他方では、社会的な言語によって助けられていることを見た。」

 私が何か他のことを論じている文章の中に括弧も付けずに上記の叙述を入れたら、それは勝田からの《剽窃》と言われてもしかたがないでしょう。卒論ではその直前に「では、勝田は幼児・児童における言語の獲得過程と認識発達過程のかかわりをどのようにどらえていたのであろうか。」と書いていて、勝田の考え方を検討するという文脈の中なので、かろうじて《剽窃》の罪は逃れうるかもしれません。ただ、本書の叙述からの切り出し方としては、きわめて唐突だと言われたとしてもしかたありません。
 なぜこういう切り出し方をしたのか? 47年の星霜を経て取りだしてみると、自分が書いた文章であるという実感がほとんどないため(^^;)、他人事のように想像するしかないのですが、検討してみます。
 勝田は「見た」と書いているように、「生理的成熟」と「社会的な言語」により促される「人間の思考の発達」について、第二章(八)のこの部分まで(先に見た青年期への言及に続く部分)に具体的に考察していたのです。そしてその部分に私の卒論では全く言及していません。いや、「全く」というとちょっと語弊がありますが(後述します)。
 先の引用部分(P.120)に続いて、勝田は以下のように述べます。

【感覚的・運動的な思考の発達は、それ自体、言語の介入なしにも進行する。神経組織の成熟に促されている部分があることはもちろんだが、経験によって、小さな子どもは、次第に目的と手段との関係を、行動的にとらえるようになる。こういう言語以前の能力を、田辺振太郎は「習能」と名づけた。】(P.121)

 こうして勝田はまず言語と関わらない思考の発達に言及するのですが、そこで「しかし、習能によって行動が組織されるようになって、複雑な行動が発達してくる。」(P.121)として、その事例としての実験結果を紹介します。
 第1の実験。中が見える箱に菓子を入れて簡単な掛金をでフタをし、掛金をはずして箱を開けられるかどうか、「高等の猿」(同)「2歳以下の十分言語が発展していない子ども」(同)にトライさせる(いずれも、試行錯誤の結果、成功)。
 第2の実験。フタを開ける装置を隠して、ボタンを押して開けるようにする。猿は第1の場合と同じように試行錯誤でクリアする。2歳以下の子どもも同じ。ところが、「2歳以上の言語の発達がある程度みられる子どもは、第一の課題は、箱をちょっと見ただけで、すぐに解決してしまった。ところが、反対に第二の課題の方は、全く解決できないか、または、できても、ひじょうにまれであった。」(同)というのです。これをどう解釈したらいいのか。勝田は次のように述べます。

【第一には、こういう習能の発達に関しても、人間のばあいには、言語の能力の寄与がひじょうに大きいということを示している。言語によって表象が安定し、対象知覚の空間的な関係が明瞭になる。つまり一見して簡単な装置の構造を理解するいわゆる知的能力が発達するのである。
(中略)
 こうして、ことばは、子どもの知的発達にとって、大きな意味をもつのだが、しかし、ことばが概念を支え、合理的な思考をひとり立ちさせていくには、暇がかかる。】(P.122)


 (中略)部分にはもう一つ心理学者の実験が紹介されているのですが、省略します。

【そこで、第二の問題を考えよう。箱のフタをあける課題でそのフタの装置がかくれていてボタンを押せばいいのだが、これを、ある程度ことばの発達した子どもはかえって解決できないのはなぜかという問題である。第一の方は、知的に解決するが第二の課題ができないのは、猿やことばを十分発達させていない子どものように、試行錯誤でやるやり方をとらないからだ。つまり、言語の機能が発達するにつれて、試行錯誤的な、行き当りばったりのやり方を使うことが次第に困難になってくることを示している。しかし、第二のばあいには、装置の関係を見渡しても、それを理解することができないから、むしろ試行錯誤の方がいっそうよく課題を解決することができるわけだ。】(P.122-123)

 言語獲得と思考の発達の関係について勝田は、言語以前、あるいは言語と直接に関係しない「感覚的・運動的な思考」の存在に触れた上で、言語を獲得するということが外界との関係、そこでの処し方の前進とストレートに結びつくわけではないこと、具体的には、言語を介した思考を獲得していくことによって、単純な試行錯誤の活動は妨げられるようになり、その結果課題解決が遅れることもあると、いくつかの心理学的実験の結果を踏まえて述べています。

 そして、これに続き、私が卒論の地の文で「一般的には、人間の思考は一方で生理的成熟に促され、他方で社会的な言語に助けられて発達すると言えるが、その過程は極めて複雑である。」と紹介した原文=「このように人間の思考の発達が、一方では生理的成熟に促され、他方では、社会的な言語によって助けられていることを見た。」の直前にあたる以下の文章が来ます。

【動物が身にそなわった能力で、みごとな問題解決をするのを、人間である私たちは、しばしば本能によるものだと考えている。それに反して、私たち人間の方が、考える力をもっているために、戸惑いも多く結果としては不正確な行動をするばあいもある。不適応は未発達だけの兆候ではない。】(P.123)

 「不適応は未発達だけの兆候ではない。」これが私が《勝田の発達観》に魅入られる理由の一つです(もちろん勝田は多くの先人たちの指摘を踏まえて述べているのだろうし、勝田以後も同様のことを多くの人が言っていて私が知らないだけかもしれませんが)。そして私が卒論で勝田の「このように人間の思考の発達が、一方では生理的成熟に促され、他方では、社会的な言語によって助けられていることを見た。」という言説を地の文に移して紹介したときに、勝田が書いていない「その過程は極めて複雑である。」というコメントを付け加えたのは、(47年後の自分としてう~んと贔屓目に見ての自己評価ではありますが)この、あるもの(ここでは言語)を獲得したのにそのことが当面子どもの外界への働きかけの障壁となるということ、そこから立ち上がり乗り越えるには、(そこで「試行錯誤」という言葉を使うと話がややこしくなってしまいますが)子ども自身のもがきというか苦闘というか…そういう過程が必要だということを知るにつけ、発達の過程は一直線ではない、複雑なんだ…という感慨の表明でもあったと思う、思いたい、ということです。
 不適応=未発達ではない、という勝田の把握と、前々回(勝田連載7回目)に書いた子どもの《身の程知らずに飛び込んでいくチャレンジ・マインド》(だんだん書き方がずれて不正確になっているかもしれませんが)みたいなことは、つながるんじゃないかと思うんです。言語という記号を獲得しつつあるけどまだうまく使いこなせない、それは大人から見たら子どもの《周囲の世界への不適応》かもしれないけれど、それでも子どもは《不適応》のままにがむしゃらにまわりの世界に飛び込んでいって、けがしたり失敗したりしながらだんだんと《自分が世界とつながる装置》を組み立て直し、充実させていく、それによって少し長い目で見ると周囲の世界に適応したり、さらに積極的にそれにはたらきかけて変革しようともしていくのではないか。

 卒論での「(八)状況的思考と言語的思考」にもとづく考察はまだ続き、さらに「(九)思考の社会化」を援用しての考察へと続いていきます。この流れでの考察に、もうしばらくおつきあい下さい。


(「62 【アイカイブ16-2】 京都教科研連載「私の研究ノート」第29~49回 勝田守一『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(1964)〔3分の2〕」に続く)

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