62 【アイカイブ16-2】京都教科研連載「私の研究ノート」第29~49回 勝田守一『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(1964)〔3分の2〕

連載・私の研究ノート(第38回)    (京都教科研通信第377号 2024.7)
勝田守一『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(1964) 【10回目】 

  私の卒業論文第二章第一節「認識の能力とその発達」の、下記の部分に関係する考察で連載の過去3回分を費やしてしまいましたが、私としてはとても重要な部分であると考えます。
=====================================
 では、勝田は幼児・児童における言語の獲得過程と認識発達過程のかかわりをどのようにどらえていたのであろうか。
 一般的には、人間の思考は一方で生理的成熟に促され、他方で社会的な言語に助けられて発達すると言えるが、その過程は極めて複雑である。
 幼児は、あることばを自ら発声できるようになる以前に、すでにそのことばが他人によって使用される状況の中で、身振りや音声の抑揚からそのことばに対する
「感情的な了解」を成立させている
(P.123)
 他方、幼児があることばをしゃべることができるようになった時、必ずしもそのことばの意味を正しく習得しているわけではない。
 つまり、一方において幼児は、獲得したことばを
「叫びやむずかりや身振り動作の延長として低次の伝達に使用」
(P.129)し、また事物を表わす単語によって知覚を安定させ、記憶を支え、またその単語を「観念の運搬者」(P.129)として使用する。その限りでは言語は幼児の表現や認識の活動に即して、これらを支えるものとして使用されている。
 しかし他方で幼児は、自ら意味をとらえることができないような複雑な内容を表わすことばや抽象的なことばをも
「自分の中にとりこむ」
(P.129)のである。
 つまり、幼児は社会的記号であることばを模倣によって獲得していくのであるが、幼児がふれることばのうち、幼児にもその意味が理解できるものはわずかである。しかし幼児は、おとなからみれば主観的な意味を自ら創造してそのことばに与えつつ、そのことばの使用を模倣する。つまり
「本来、一定の経験あるいは観察から、特定の手続きを通って抽象化され、総合された観念の名辞に、自分の経験の範囲内で直接に表象を結びつけ」てしまうのである
(勝田「認識の発達について」(1957) 『勝田守一著作集4人間形成と教育』P.74)
 しかし同時にこのような幼児におけることばの意味の主観性は、
「人間の象徴使用の能力」
(P.124-125)の発達と関係しており、「意味するもの」(P.125)「意味されるもの」(P.125)の分化にもとづく思考の獲得のあらわれなのである。
 社会的記号としての言語の使用は幼児の中にすでに内面的に成長しつつある象徴機能を強化し、一方で
「現在的・知覚的な事物の拘束」
(P.129)をうけている幼児の思考を、表象の世界の定着によって発展させていく。そして、「表象が記憶を支え期待を把持させ、それが行動の抵抗感覚と結合することによって、じつは知覚的事物の背後にほんとうの意味で、ますます外がわにある実在が意識に成立する」(P.129)のである。
 従って幼児におけることばの意味の主観性は実在の客観的認識への発展の契機を含むものである。この主観性はまた
「他のひとたちの見地を媒介にして、その差異を確立した意味での主観性」
(P.130)ではなく、「他との未分化から生まれた主観性」(P.130)である。従って幼児の思考は、他人特に年長者の考えやことばに影響されやすく、「ステロタイプ化」(P.136)しやすい。
 しかし一方、幼児は言語に支えられた表象によって外部からの知覚を断ち切り、
「あたまのなかで表象や観念を組みあわせてみるはたらき」
(P.136)によって知覚した現象の意味を考えることができる。このような思考活動の獲得の意義を思考の内容の主観性ゆえに軽視することなく、逆に幼児の思考の内容を吟味してそこに客観的思考の発展の可能性を見出すことが重要である(勝田「認識の発達について」(1957) 『勝田守一著作集4人間形成と教育』P.74)
=====================================
 ここまでの部分の私の議論(正確には42年前の卒論を思い出しながらの、現在の私の議論ですが)の要点は、一言で言えば《子どもの言語獲得過程の尽きないおもしろさ》です。私が経験的につかみとってきた子どもの「先取りしようとする力」「背のびする力」《使えないのに、使っちゃう》《失敗もするが、乗り越えて成長していく》(勝田7回目連載)という子ども把握と、勝田の、長女さんの「ある玄関」エピソード(勝田8回目連載)など経験的な考察も含んでの「不適応は未発達だけの兆候ではない。」(P.123)とを結び付けて、子どもの言語発達のおもしろさを捉えようとしていました。
 1歳前後からでしょうか、子どもが喃語に始まってことばを獲得していくとき、親や周りの大人たちは、舌足らずや呂律が十分回らないことや言葉遣いの間違いを含めてその様を微笑ましいものとして喜んで受け止めます。その関係もとても大事だと思いますが、それを子どもの「試行錯誤」と言ってしまっては言葉が足らないくらいおもしろい豊かなプロセスだと思います。私の4人息子の末っ子。何歳何ヵ月のことだったかは忘れてしまったのですが、あるとき「サイトコロ」という言葉を発しました。たぶんサイコロのことだったと思うのですが、彼が「サイトコロ」と発話したのは「ダイドコロ」に引っ張られての言い間違いかなと当時は思いました(もっとも<t>と<d>を混同するというような発話傾向があったかどうかはわかりませんが)。分析はできませんけど、彼にとっては「サイコロ」と発話するより「サイトコロ」と発話する方がやりやすかったのか、親しみやすかったのか、とにかくそちらを好んだんだと思います。《客観的》に見れば、一音多い「サイトコロ」というラベルは、現実の事物と対応しておらず、彼の発話は単なるミスで、正しい「サイコロ」の語を獲得して発話できるようになる途上の《捨て石》にしかならないかもしれません。しかし、モノを見て、《これは何という名前だっただろう?わからない。だから言うのをやめよう。》ではなくて、一部でたらめを含みながらも突っ走って発話してみることから他者とのコミュニケーションを行なうこと、そして必ずしも直ちに誤りを知ってそれを訂正するというのではなく、正か誤かにこだわらず発話とコミュニケーションを楽しんで、その過程でゆったりとツールを獲得していく、そのプロセスがおもしろいと思うのです。私が言う背のび・失敗・突っ走りと勝田の子どもの「不適応」の捉え方は相通じるものがある。この把握がこの部分で私が勝田の叙述に強く惹きつけられた理由でした。
 私が上記で出したわが子との体験談は、言語の音声記号としての側面でしたが、卒論叙述の中での勝田の見解の紹介では、言語の意味と関わって「幼児は、自ら意味をとらえることができないような複雑な内容を表わすことばや抽象的なことばをも『自分の中にとりこむ』」(P.129)と述べています。意味の面で《背のび》した言語使用を敢えて行なうことで、子どもは言語獲得の次のステップへの手がかりを掴むんだと思います。

 さて、何度も恐縮ですが、それに続く卒論叙述を再掲させていただきます。少しずつ区切って引用しながら考察していきます。

=====================================
 しかし同時にこのような幼児におけることばの意味の主観性は、「人間の象徴使用の能力」(P.124-125)の発達と関係しており、「意味するもの」(P.125)「意味されるもの」(P.125)の分化にもとづく思考の獲得のあらわれなのである。
=====================================

 この部分で勝田はピアジェを踏まえて考察をしているのですが、22歳の私は、おそらく自分自身がピアジェを十分に学んでいなかったという理由と、あくまでも勝田の論旨を辿ることを基礎にして自己の主張を立てたいという理由から、卒論の論述でピアジェに言及することを避けています。
 勝田は私が上記で引用しているより少し前の部分で、「この幼児、多分2歳半・3歳ぐらいから、4歳ぐらいまでの子どもたちのことばは、ピアジェがいうように、象徴的な思考をつくり出すのに、大いに影響していると考えられる。」(P.124)と述べています。そして自分のメイの次のようなエピソードを紹介します。

【私の小さいメイは、まだ4歳にもならないが、私と散歩をすると、おしゃべりをしている。しゃべらないではいられないのである。犬が現われると犬の話をする。しかし、その犬は、かの女の近所のともだちの犬である。おとなのようにかの女は「説明する」のだが、しかし、じつはしゃべりながら自分の思いにひたっていてその思いはいま知覚された犬とは少しも関係がない。】(P.124)

 そして勝田は、メイのおしゃべりが持つ「主観性」について、「ピアジェは「自閉的」とよんだのだが、それはうまいいい方ではなかった。」(P.124)と批判し、続いて(私が卒論で引用したように)「むしろ、幼児の言語のこの面の機能が、人間の象徴使用の能力の発達と関係をもつということに興味がある。」(P.124-125)と述べます。そして「象徴的」(P.125)あるいは「概念以前的(前概念的)」(P.125)な思考とは何かということを、ピアジェに依拠して次のように説明します。

【わかりやすくいえば、ママゴト遊びをする子どもにとって、ボンボンとしてあつかわれている小石は、意識的に「象徴するもの」とみなされ、ボンボンは「象徴されたもの」とおもわれている。このように「意味するもの」と「意味されるもの」とが類似の関係に立っているばあいの前者を象徴というのだ。それに反して、記号というのは、その関係が恣意的で慣行にしたがっているものとする(この定義は、必ずしも一般的ではない。ピアジェのいう記号をも含めて象徴(シンボル)といういい方が、最近の意味論ではふつうになっている)。
 このことは、ピアジェを理解する上でだいじなのである。とくに象徴的能力があらわれるのは、現実の(知覚的な)連関からはなれて、じっさいに存在していない場面を心によびおこすような活動がみられるときからなのである。たとえば、一歳くらいの子どもが、じっさいにねむっていないのにねむったふりをする「あそび」の中に、象徴能力の芽生えがみられる。
 こういう象徴能力があらわれてくることは、いってみれば、すでに外に向かう方向と内に向かう方向という二重の心のはたらきがはじまったことを意味する。それは、つまり「意味するもの」と「意味されるもの」との分化にもとづく思考があらわれてくるというふうにいえるだろう。そして、ちょうどこの象徴の創造の時期に、社会的な記号が子どもによって発見されるのである。
 ことばを覚えるというのは、社会的な記号を自分のものにすることである。しかし、子どもは、自分の経験や知覚の一部分とそれを結合し、それによって、「意味されるもの」を創造する。】(P.125-126
下線は佐藤 (この論述の直後に、長女さんのエピソードが紹介されます。)

 勝田の言う「象徴的な思考」「象徴使用の能力」「象徴的能力」「象徴能力」について、私は勝田の丁寧な説明以上に考察する力を持たないのですが、「外に向かう方向と内に向かう方向という二重の心のはたらき」という勝田の捉え方に注目しました(卒論叙述ではその直後の「『意味するもの』と『意味されるもの』との分化」という部分を取り上げていますが)。子どもがままごと遊びで石ころをお菓子(ボンボン)と見なす。それはホンモノのお菓子ではない石ころを、《お菓子を食べる》という自分(たち)が設定した虚構のsituationの中で《道具》として利用する行為なわけですが、そこで子どもは、外界にある石を認識してそれを遊びに利用する(それは「外に向かう」活動方向だと思います)と同時に、食べることができないただの物体に対して《これをボンボンであるとして》という《見立て・意味づけ》(これは「内に向かう」活動方向だと思います)をして振る舞う(従って本当に食べたりはしない)わけです。一瞬に遂行される子どもの振る舞いにこのような二重の意味が含まれているという気づきは大変興味深いです。思考というのは、このように獲得されていくんですね。
 次の卒論論述に進みます。

=====================================
 社会的記号としての言語の使用は幼児の中にすでに内面的に成長しつつある象徴機能を強化し、一方で「現在的・知覚的な事物の拘束」(P.129)をうけている幼児の思考を、表象の世界の定着によって発展させていく。そして、「表象が記憶を支え期待を把持させ、それが行動の抵抗感覚と結合することによって、じつは知覚的事物の背後にほんとうの意味で、ますます外がわにある実在が意識に成立する」(P.129)のである。
 従って幼児におけることばの意味の主観性は実在の客観的認識への発展の契機を含むものである。この主観性はまた
「他のひとたちの見地を媒介にして、その差異を確立した意味での主観性」(P.130)ではなく、「他との未分化から生まれた主観性」(P.130)である。従って幼児の思考は、他人特に年長者の考えやことばに影響されやすく、「ステロタイプ化」(P.136)しやすい。
==-===================================

 私が取り上げた箇所は、「(九)思考の社会化」に移ります。ここでは「表象」の概念が登場します。子どもの心理発達に関する記述では当たり前のように登場する語ですが、私自身はどう把握・理解したらよい語なのか、あまり自信がありません。卒論当時でもそうだったらしく、上記卒論記述の中に2回登場する「表象」について、特にコメントしていません。
 勝田は、(九)の冒頭の記述で以下のようにわかりやすく説明してくれています。

【ことばの象徴的機能は、このように、内面と外面との分化というまわり道を通って発達する。
 そしてそれが、ことばによって、物についての考えを思いうかべるというはたらきを可能にする。】(P.127)


 上記の「物についての考えを思いうかべるというはたらき」がすなわち表象という心理的活動であると私は理解しました。
 勝田は、「象徴能力」「表象」「ことばの表現活動」との関係について、次のように述べています。

【一方では象徴能力は、模倣(ねむったふりをするなど)とそれにともなって生まれる表象を自由に活動させることによって豊かになるのだから、ことばの表現活動によってつよめられるばかりではない。画を描いたり、歌をうたったりするのを喜ぶのも同じ要求の充足である。きいたことばによって、豊かな心像を結合し動かしていく、物語りをきく(とくに同じ話をくりかえしきく)欲求も、その傾向を示すものだろう。しかしこの問題は、今の主題から少し離れるから、このくらいにしておこう。】(P.127-128)

 …と、勝田はそれ以上の探究をやめるのですが、子どもの象徴能力が言語表現活動だけではなくて、描画、歌唱、物語を聴くなどの活動などの中での模倣と、それにより生まれる表象によって豊かになるのだと言っています。これもまた、言語と象徴能力との関係を重視しつつも、そこだけを切り離してとらえない発達の見方と言えるでしょう。そしてそのこととも関係すると思うのが、それに続く勝田の叙述における以下のような一連の疑問・警鐘?です。

【ここで問題なのは、子どもが主観性(中心性)を離れて、客観的な、つまり論理的な思考を形成するのは、おとなの言語や思考が外がわからはいりこんできて、子どもの主観的な思考を押しのけていく過程だろうか。】(P.128)

【ピアジェの中には、社会の歴史の中で蓄積されてきた概念の体系が、子どもたちの中に同化されて、見地の転換が自由にできるようになり、しかも、社会的に確立されてきた思考の規則(規範・義務)が、最初には習慣の規則のように子どもを拘束しているうちに、次第にそれが正しい思考の操作を可能にする客観性の保障になるという考え方が支配的である。】(P.128)

 こうした疑問の表明もあった上で、私が卒論叙述で抜粋して紹介した部分に至るのですが、ここでは抜粋でなくその部分の全体、そしてその続きを引用します。

【ピアジェのいう社会的記号としての言語が、子どもに同化されてすでに内面的に成長してきた象徴機能を強化するということは、現在的・知覚的な事物の拘束を一方では受けながら、他方では心が表象の世界を定着させていくということを意味する。言語は、直接には知覚的事物に対応するのではなく、表象に対応する。表象が記憶を支え期待を把持させ、それが行動の抵抗感覚と結合することによって、じつは知覚的事物の背後にほんとうの意味で、ますます外がわにある実在が意識に成立する。それまでは幼児の住む世界は画のような世界であろう。現在しかない知覚とともにあり、知覚の消えるとともに消えていく世界である。社会的記号としての言語は、この象徴機能を支え、発達させ、そうすることによって、心に世界を開く。
 この世界は、まさに社会的であるが、同時に人間の心に主観性を育てていく。しかしこの主観性はまだ、他のひとたちの見地を媒介にして、その差異を確立した意味での主観性ではない。むしろ他との未分化から生まれた主観性である。だから子どもは、他のひと、とくに年長者の考えやことばに影響されてその行動を模倣しながら、しかも自分でそう考えついたように思いこんでいるし、逆に自分の思っている通りに、他のひとたちも思っていると考えている。
 このような子どもの思考が示している特性、現実に行動を有効に組織していくにはあまり役に立たないようにみえるはたらき方を、私たちはやはりだいじに考えなくてはならない。そこに、単に現在の狭い範囲や短い距離で有効にはたらく習能とはちがった能力が芽生えている。それは、その段階では、子どもらしく頼りなく無効な心のはたらきにみえる。それは夢のようにもみえる。他方で育っていく運動能力や手の技術にくらべて、現実的効果に乏しいようにみえる。「昼あんどん」のように間が抜けてもみえる。およそ事物を処理する器用さとはかけ離れている能力だ。
 しかし、この現実の有効さからの距離の大きさが、科学的な思考と、感応表現の能力の発達の可能性を秘めている。それは、社会の外での出来ごとではなく、まさに社会における個人の成長の過程なのである。なおその上に、私たちは、思考の社会化ということをなぜいわなければならないのか、といえば、先にものべたように社会化は、知的発達の原因でもあれば結果でもあるからである。】(P.129-130
下線は佐藤)

 切ってしまうことができなくて、(九)のほぼ末尾近い部分まで引用しました。
 そこで私の卒論叙述に戻るのですが、どうも22歳の私が一連の勝田の記述の中で注目したのは、「知覚的事物の背後にほんとうの意味で、ますます外がわにある実在が意識に成立する」(P.129)  という部分だったようです。なぜならその引用に続いて「従って幼児におけることばの意味の主観性は実在の客観的認識への発展の契機を含むものである。」とコメントしているからです。私は子どもの社会認識について研究していました。そして、「社会認識」の「社会」には子ども自身もその一員として含まれるのだから、社会を認識するためには子どもの主観が関与してくるし、それを思考操作としてある程度《引き剥がす》過程を経ないと客観的認識には到達し得ないのではないか、さりとて主体が対象の中に含まれている以上は、対象認識から主観を完全に《引き剥がすこと》は不可能であり、そこに科学的社会認識形成の難しさがあると考えていました。もう少し言うと子どもの社会認識における主観性は排除できる、排除すべきものではなくて、そこに立脚することからしか社会認識形成は始まらないと考えていました。そういう意味で(勝田は社会認識に限定した考察をしているわけではないのですが)子どもの認識の《主観性を抱えての移り行き》に関心があったのです。
 しかし今考えてみると、私が構想していた「子どもの社会認識」とは、やはり言語を使用して対象を理性的に把握し考察する、というイメージで、具体的には小学校の社会科学習や生活綴方の実践の中で示される子どもの認識を念頭においてのものでした。もちろん、小学生の認識活動の源流は就学前の乳児・幼児期にあるので、だからこそ幼児について論じている勝田の叙述のこの部分を取りあげたのだとは思いますが、今思えばもっともっと基礎に立ち戻っての子どもについての学び、考察が必要であったと思います。
 「社会認識」と私が言うとき、どうしても認識の内容から考えてしまいます。大人の視点からの、言語を駆使しての「社会認識」把握です。翻って勝田は「社会的記号としての言語」と言い、子どもが社会と交わっていく際の手段、道具として言語を捉えますが、言語(や思考)は「外がわからはいりこんできて」子どもの思考を刻印していくものではありません。子どもの内面に、瞬時に消える知覚だけの世界から象徴機能が育っていきます。言語が「表象に対応」し、「表象が記憶を支え期待を把持させ、それが行動の抵抗感覚と結合」して、「外がわにある実在が意識に成立する」というのです。繰り返し書き写していても、まだ自分が勝田の言うところを正しく汲み取れているか自信がないのですが、とにかく子どもがまわりの世界(と人々)をとらえ、意識し、関わっていくプロセスは、私が小学生の学習活動を想定してそこから逆算的に推測していたものよりはるかに複雑で、豊かで、わくわくするものでした。
 もう一つ、改めて注目したいのは、勝田が「主観性」「あまり役立たない」「頼りなく」「無効な」「現実的効果に乏しい」「『昼あんどん』のように間が抜けて」「器用さとはかけ離れている」「この現実の有効さからの距離の大きさ」と、否定的な修飾語を並べた上で、《子どもの思考というのは、そうではないのだ》と強調していることです。この勝田の強調の背景を想像し出すときりがないのですが、とにかく大人の目からともすれば上記修飾語のような見方でとらえられがちな子どもの思考には、そうではなくて発達の大きな可能性が秘められているのであり、少なくとも親や教師や子どもの成長発達に関心を持ち関わる責任を持つ人たちはそこをきちんと見きわめなければならない、ということではないでしょうか。



連載・私の研究ノート(第39回)    (京都教科研通信第378号 2024.8)
勝田守一『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(1964) 【11回目】

 私の卒論叙述の続きです。卒論では勝田の原典の「(十)発達のまわり道」は飛ばしてしまっており、「(十一)思考の二つの類型」から一部引用しています。

=====================================
 しかし一方、幼児は言語に支えられた表象によって外部からの知覚を断ち切り、「あたまのなかで表象や観念を組みあわせてみるはたらき」(P.136)によって知覚した現象の意味を考えることができる。このような思考活動の獲得の意義を思考の内容の主観性ゆえに軽視することなく、逆に幼児の思考の内容を吟味してそこに客観的思考の発展の可能性を見出すことが重要である。
=====================================

 該当する勝田の原典の箇所は、以下の通りです。

【反対に子どもが現実の知覚から離れ、その内面にきずきあげていく表象の世界は、器用さとは反対に、発達することばに助けられ、主観的な様相(自己中心性)をともないながら成長する。これも、ワロンが指摘しているようにまず、ステロタイプ化する。月並になる傾向を恐ろしいほど見せつける。ことば主義や既成観念がいつも子どもをおそうのだ。しかし別の可能性がこの能力の中には潜んでいる。想像を生み、あたまのなかで表象や観念を組み合わせてみるはたらきである。このはたらきによって、知覚される現象の意味が考えられるのだし、世界について思いめぐらしたり、認識したりすることができるのである。】(P.136 下線部は原文で傍点)

 勝田の原典の当該箇所と自分の卒論の論述を読み比べてみると、卒論叙述の「幼児は言語に支えられた表象によって外部からの知覚を断ち切り」という部分は上記箇所の内容に対応していませんが、(十一)の続く箇所に以下の記述がありました。

【考えるためには手をこまねいて、外部からの知覚を断ち切る努力がいる。思考の流れを動揺させない努力である。実用的習熟の領域でも、ことばとそれに支えられる観念の役割は無視できないが、そこではその相対的独立は、行動の成果の中へ吸収されてしまう。しかしシンボルと表象は、知覚や運動から独立し、思いめぐらすという思考を支える。しかし、基本的には人間的思考は大きくまわり道を通りながら実践とむすびつくのである。】(P.136)

 ともかくも私は、《幼児は言語に支えられた表象によって、知覚からは独立して、知覚したことの意味を考えられるようになる》と言いたかったようです。
 これに対して勝田の叙述は、子どもの表象の世界が「主観的な様相(自己中心性)」を持つことをまず指摘した上で、別の積極的意味として知覚した現象の「意味が考えられること、「世界について思いめぐらしたり、認識したりすることができる」ことを強調しています。
 (十一)を最初から読んでみると、勝田はまず「道具(まず生産手段として)の使用」(P.135)の人間にとっての意義、子どもの発達にとっての意義を述べ、日常生活での道具の使用は「実用的な能力」(P.135)を育てるが、そこでは「造型的な直観が必要」(P.135)であり、子どもには「私たちが状況的・実用的知能とか、空間的知能とよんでいる能力」(P.135)が育っていく、しかし「実用的な行動には限界があ」(P.135)り、「単なる器用さは、事物の客観的関係についての新しい視野を転換させていくことができない」(P.135-136)のであり、「むしろ逆に器用さは機械的になることによって固定してしまい、活動領域を自由に解体しながら組織しなおす能力が鈍ってしまう。」(P.135-136)というのです。
 これに続いて「反対に…」の段落が来るのであり、要するに勝田は実用的な行動や能力の意義と限界を述べた上で、これに対して表象に支えられた思考の世界は、(主観性に陥る危険を孕みながらも)現象について自由に?考察することを可能にすると言っているんだと思います。

 卒論叙述の紹介を続けます。幼児の思考を検討した部分の最後です。

=====================================
 ところで6、7歳になると、幼児のことばにおいて非日常的な、あるいは幼児の経験の外にあることがらを示す概念は「依然として主観的な…(中略―引用者)…色彩をもったまま残されている」(P.139)が、一方で幼児の「実用的知性の能力」(P.139)は、日常的な限られた状況ではかなり的確にはたらき、そこで「自発的に生まれた概念は、科学的ではないにしても、有効に目的志向的な行動を組織できる」(P.139)のである。そして、幼児が社会的な知識・技術や事物に関して自発的に形成した概念は、実用的もしくは伝達可能である限り、幼児の生活において許容されており、概念の意味や操作が客観的に正しいものであることをほとんど要求されない。
=====================================

 上記の卒論叙述における原典からの引用は、「(十二)社会生活と発達」からです。上記で短く3か所に区切って引用している記述を、勝田の原典に戻って紹介します。

【しかし、他方では6、7歳になれば実用的知性の能力は、日常的なかぎられた状況ではかなり的確にはたらいている。こうして自発的に生まれた概念は、科学的ではないにしても、有効に目的志向的な行動を組織できる。しかし非日常的な、あるいは、子どもの経験の外にあることがらを示す概念は、依然として、主観的な(多分にピアジェのいう象徴的な)色彩をもったまま残されている。】(P.139)

 卒論執筆当時の22歳の私は、どうして勝田の叙述の順序を入れ替えたんでしょうか?
 勝田は、6、7歳の子どもの「実用的知性の能力」「日常的なかぎられた状況ではかなり的確にはたらいている」が、一方で「非日常的な」「子どもの経験の外にあることがらを示す概念」は、「主観的な」状態であると対比的に述べています。
 これに対して、私の卒論叙述では勝田の行論の順序を逆転させて、非日常的あるいは経験外の事象に関する概念の主観性に比して「実用的知性の能力」の的確性を強調する書き方をしています。
 現在から推測すると、おそらく3つ目の引用箇所である「自発的に生まれた概念は、科学的ではないにしても、有効に目的志向的な行動を組織できる」というくだりが、当時の私が最も注目した部分じゃないかと思います。私自身は、小学校入学以降の子どもの思考、概念形成、認識形成の基礎がすでに就学前の幼児期において形成されつつあるということに着目したかったんだと思います。幼児の思考の主観性はもちろん認めつつも、そこから小学校における学習(による科学的認識、科学的概念の形成)への道筋は断絶しているわけではなくて繋がっているということを強調したかったんだと思います。ただ勝田が子どもの経験を通じて形成される概念と「子どもの経験の外にあることがらを示す概念」の《的確性・主観性の状態の乖離》に注目しているということに、22歳の私は十分留意できてはいなかったと思います。

 ところで私の卒論における《幼児の思考》に関する考察の最後の部分=「幼児が社会的な知識・技術や事物に関して自発的に形成した概念は、実用的もしくは伝達可能である限り、幼児の生活において許容されており、概念の意味や操作が客観的に正しいものであることをほとんど要求されない。」は、(自分で言うのも恥ずかしいことなんですが)いったい何を意図したものでしょうか。この部分には勝田からの引用が含まれず、改めてここまででの(十一)の引用箇所の前後を調べてみましたが、勝田の原典から内容的に該当する箇所を見つけることができませんでした。そこで現時点から自分の卒論叙述をまるで他人の文章のように考察してみるしかないのですが、私はそこまでの叙述で、勝田の原典の記述を逆転させてまで実用的知性の能力」によって「自発的に生まれた概念」の有効性を強調してきたわけですから、その概念は「実用的もしくは伝達可能である限り」において幼児の生活において許容され、「客観的に正しい」ということを要求されない、そういう言わば《特権的状態》を活用して幼児は大いにそうした概念を《活用》するだろうということを言いたかったんだと思います。その《活用》というのは、この連載で私が自分の経験の中で形成してきた子ども把握=「子どもの『先取りしようとする力』『背のびする力』《使えないのに、使っちゃう》《失敗もするが、乗り越えて成長していく》」(勝田10回目連載)という子どもの姿の一環ではないかと思うのです。そうしてそうした《試行錯誤》を子どもがさんざん行なうということ、行ない尽くすということが、学齢期における科学的概念、科学的認識形成のための学習活動の重要な基礎となる、ということを私は言いたかったんだと思います。

 さて、私の卒論では上記の一段落をもって《幼児の思考》をめぐる考察が終わりました。その次は小学校の児童に関する考察に移りますが、それについては次回以降の連載で取り上げます。



連載・私の研究ノート(第40回)    (京都教科研通信第380号 2024.10)
勝田守一『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(1964) 【12回目】


第379号(夏休み特別号)では、連載をお休みさせていただきました。前回の連載第39回(勝田11回目)までは本年3月末に書き上げていましたので、実質約5ヶ月ぶりの執筆再開となります。今回は前回の続きではなく、違うことを書きたいと思います。

 実は今年春から、吉益敏文先生の呼びかけで吉益先生、佐藤広美先生(前教科研委員長)と私の3人で「勝田守一教育学ゼミナール」というzoom研究会を始めました。1回目は勝田教育学に学ぶ問題意識を自由に語り合い、2回目から『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』をめぐる議論に取りかかっています。6月に序章、8月の第3回研究会で第1章を検討しました。
 関係ないことに脱線して恐縮ですが、私の10年近く使っているノートパソコンが最近になって例えば自宅から京女大にパソコン持参で通勤するとき、あるいは自宅内で作業場所を移動したときに、いったん電源を切って移動すると必ずと言っていいほど不具合が起こるのです。具体的には、極端に動作が遅くなります。8/22の上記第3回研究会の前にもその不具合が起こってしまい、なんとかzoomにアクセスしてお二人とお話しすることはできたのですが、事前に作成していたレジュメのファイルを立ち上げたり、evernoteでメモを取る作業が全くできませんでした。その研究会に参加して考えたことをこれから書こうと思うので、曖昧な記憶に基づく記述になります。
 ただ、予め明確にしておきたいのは、私が書こうとすることを、「勝田守一教育学ゼミナール」に参加して私自身が考えたことに限定するということです。「勝田守一教育学ゼミナール」は、秘密裏に実行している研究会ではありませんけれども、かと言って例えばネット等を通じて勝田教育学に関心を持つ人に広く呼びかけて大々的に実施しようというものでもありません。3人で気楽に語り合える場としてスタートし、その雰囲気を大切にしたいと思っています。私自身、まだ3回行なったばかりのこの研究会で大いに刺激を受けているのですが、研究会で私以外のお二人の先生方がレジュメで発表されたことや発言されたことを私が勝手に研究会の外で語ることはしません。あくまでも私が思ったことだけを書こうと思います。もちろん、私が思うこともお二人からのレジュメや発言に影響を受けていることは間違いないのですが、それでも敢えて自分の責任において語れることだけを語るように努力します。

 さて私の連載では、身勝手ながらあくまでも私の卒業論文で取り上げた勝田の言説から出発してそこに関係がある範囲で『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』を読むというスタイルを取ってきましたが、上記の「勝田守一教育学ゼミナール」第3回研究会に向けての自分の準備として、すでに公表している連載第39回(勝田11回目)までの文章から、私の卒論の紹介とそれに関わるコメントを全て削ぎ落とし、勝田の原文(第一章部分)とそれに対する私のコメントだけに絞り込んだ文章をつくってみました。その文章はすでにこれまでに掲載済みの連載の文章の一部分ですから、改めてここに記すことはもちろんしませんが、この作業に取り組む中でわかってきたことを書きたいと思います。

 ここで改めて、勝田守一『能力と発達と学習-教育学入門Ⅰ』の構成を紹介します。
   まえがき
   序章 未来にかかわる時点で
   第一章 人間の能力をどうとらえるか
    (一)能力と知能    (二)知能をなぜはかろうとするのか
    (三)知能の高低は生まれつきか   (四)能力に対する社会的刺激
    (五)能力の定義   (六)能力の諸因子   (七)能力観の歴史的展望
    (八)学力とはなにか
   第二章 人間が成長するとはとういうことか
    (一)発達という視点   (二)言語と思考   (三)言語と子どもの発達
    (四)ヴィゴツキーとピアジェ(1)   (五)ヴィゴツキーとピアジェ(2)
    (六)発達と学習   (七)発達と教育   (八)状況的思考と言語的思考
    (九)思考の社会化   (十)発達のまわり道   (十一)思考の二つの類型
    (十二)社会生活と発達
   第三章 人間の学習を指導する条件はなにか
    (一)学習の定義   (二)学習と教育   (三)教育の条件
    (四)人間への成長   (五)行動の言語化   (六)なにを教えるか
    (七)教育と経験   (八)文字記号と科学的認識   (九)科学の諸類型
    (十)科学学習と人間の発達   (十一)労働経験と文字記号の結合
    (十二)科学への要求
   第四章 能力の発達と人間的価値の実現
    (一)国民的教養   (二)教養と教育実践   (三)現代と教養
    (四)職業と労働   (五)職業訓練と人間形成   (六)労働と人間的発達
    (七)全面発達と教養概念   (八)無限の可能性   (九)労働と文化
    (十)能力の人間的基底  (十一)学習の基礎  (十二)社会の進歩と人間の発達


 上記の内容構成のうち、私が連載前回=第39回(勝田11回目)までで言及したのは、第一章人間の能力をどうとらえるか(五)能力の定義(八)学力とはなにか、そして、第二章人間が成長するとはどういうことか(八)状況的思考と言語的思考(九)思考の社会化(十一)思考の二つの類型(十二)社会生活と発達でした。今後は幼児の認識発達の考察を終えて小学校児童の認識発達の考察に移っていく卒論の論述に従って、(十二)社会生活と発達の続きから始まって第二章第三章を往復しながらさらに勝田の原典を紹介・言及していく予定です。

 ところで上記で再び本書の目次を挙げたのは、前述のように自分の卒論と関連させた考察を全部削ぎ落とした文章をつくってみて、改めて47年前の卒論執筆当時の自分が勝田の原典のごく一部の部分だけに焦点を当てた紹介や検討をしていたことに気づいたからです。もちろん私は卒論で『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』の概説的紹介を試みたわけではなく、研究テーマ「社会科教育における児童の認識形成過程についての検討」に即して勝田の紹介・検討をしたわけですから、卒論での本書の紹介が本書の全体をカバーしていないこと自体はかまわないわけですが、いま上記「勝田守一教育学ゼミナール」の議論に参加して痛感するのは、1960年代前半に(結果的に死を数年後に控えた晩年に到っていた)勝田がどのような問題意識や構想で(結果的に勝田教育学の集大成的な位置を占めることになる)本書を仕上げようとしたのか、そして(続編『政治と文化と教育―教育学入門Ⅱ』を含めれば残念ながら未完のまま終わった)勝田の執筆構想と執筆の実際は、当時の教育政策、教育実践、教育学研究、教科研運動などをめぐる動向をどのように反映したものだったのか、というような視野が、勝田の本書執筆から十数年を経過して取り組んだ私の卒論には全く欠けていたことです(学生の私は自分なりに1950年代半ばから1960年代前半にかけての勝田のいくつかの論稿を追い、自分なりの位置づけで論文第二章第一節を本書の紹介に充てたのですが、そのことについてはまた後に書くことにします)

 そこで、卒論の文脈を削ぎ落とした後の私の本書第一章からの引用とコメントを改めて眺めてみると、それは(五)能力の定義から始まっています。五節の冒頭で勝田は「能力」を定義し、続いて能力をめぐって「二つのだいじなこと」(P.50)を提起します。その第一点は能力を「社会との関係でいくつかのカテゴリーに整理することができるかどうか」(P.50)で、これについて勝田は①「生産の技術に関する能力」(P.51)、②「人間の諸関係を統制したり、調整したり、変革したりする能力」(P.52)、③「科学的能力とよばれる自然と社会についての認識の力」(P.52)、④「世界の状況に感応し、これを表現する能力」(P.53)という4つのカテゴリーを提案します。
 そして4つのカテゴリーを説明する文章の末尾に、「P.54図」が登場します。この図について勝田自身は以下のようにコメントしています。

【おおまかに、能力の四つのカテゴリーを区別してみたが、それらは相互に影響しないながら、しかも独自で固有な本質的性格をおびていることが明らかだ。そこで、それを上のようなあまりうまくないが、しかし単純化した図表にまとめてみる。】(P.55)

 こう述べただけで勝田は本文ではそれ以上この図の説明をしていません。上のように図自体に5つの註が付されており、それで十分だと考えたのでしょうか。本文はそのあと、さきの「二つのだいじなこと」「第二の問題」(P.55)に移り、そのまま五節は終わります。

 連載第32回(勝田4回目)の繰り返しになって恐縮なんですが、そこで私はこう書いていました。
「他の学問分野のことはわかりませんが、教育学の世界で上記のような図示が行なわれると、原文を離れてその図の解釈が一人歩きしてしまう傾向があるんじゃないかと思います。勝田教育学を学ぶ際にそうした傾向はあったのかなかったのかわかりませんが、ともかく私自身は、原典に立ち戻って勝田がこの図で表現しようとしたことをまずは忠実に理解したいという思いがあります。」
 そしてさらにこう書いています。
「先に《教育学の世界で起こり得る傾向》として、図を使って示されたある理念について、『その図の解釈が一人歩きしてしまう傾向』と述べました。もう少し言うと、理念はあくまでも言語によって示されその理解を容易にするために図が用いられるという関係であるにも関わらず、図は一望の下に把握できるために、図の理解から出発して理念を解釈し、文章に戻らずのその解釈を固定してしまう傾向、ということです。戦後教育学の古典的文献の一つである本書から学ぼうとする際に『P.54図』はしばしば引用紹介されます。誰のどの文献での紹介がどうということを言っているのではないんですが、タイトルがついていない『P.54図』を《勝田の能力構造図》みたいな形で紹介される場合があると思うんです。『能力構造』」と誰かが言ったわけではなく私が勝手に命名したんですが、上記の図はそもそも『能力構造図』なんでしょうか。『○○能力』と命名された認識―、感応―・表現、労働―、社会的―、言語―、運動―という6つのカテゴリー間の相互関係を矢印で表現した(さらには技術と技能の往復運動の記載もある)図なんですが、それではここで表示されている諸能力とは、一個人の中に具わっている、あるいは具わるべき能力を示しているんでしょうか?」
 さらに、勝田が能力の4つのカテゴリーを説明した文章(P.51-55)と「『P.54図』とを対照して見ると、図中段の縦書きで並列された3つのカテゴリーのうちまずまん中の労働の能力が説明され、次に左隣の『社会的能力』、そして次は右端へは行かず、3カテゴリーの上部に横書きされた『認識の能力』を説明し、最後に中段右側の『感応・表現の能力』を説明します。この文章による説明の流れから、勝田自身は上述の能力の4カテゴリーに関して、どれが中核でどれが周辺だとか、どれが土台でどれが上部だとかを言おうとしていないことがわかります。『P.54図』の形状から勝手に推測して《勝田の能力構造》を説明してはいけないと思います。
 ちょっと話を戻すと、『P.54図』は勝田の《第1の問い》に答える叙述の末尾に示されたものでした。この問いの説明で勝田は人間の能力を『社会との関係でいくつかのカテゴリーに整理する』と書いています。個人の能力構造図を描くと言っているのではなく、個人と社会の関係の中で期待される諸能力をカテゴリー分けしてみよう、ということ。『P.54図』は、個人の体内?脳内?を示すものではないのです。」
とも書いています。

 今年(=2024年)3月頃に書いた上記文章は、私の卒論における勝田の引用・紹介のしかたを反省するという文脈の中でのものです。ちなみに私の卒論では勝田の能力カテゴリー提案と「P.54図」を紹介した後にそれをこのように引き取っています。
「勝田は、これら四つの能力のカテゴリーの中で、認識の能力をとりわけ重視している。人間の能力は社会の要求によって規定されているが、社会の要求は歴史的に変化・発展してきた。科学・技術が高度に発達し、そのことが社会の発展を規定する重要な要因となっている現代においては、自然・社会を科学的に認識する能力が人間的能力の中で重要な位置を占めるのである。また、四つのカテゴリー相互の基本的な関係においても、知的認識は、他のカテゴリーの能力に「浸透」(P.77)することによってその本質的特殊性を一層発揮させるという特殊な関係にある。」
 つまり、卒論のテーマである「社会認識」に直結するものとしての「認識の能力」を人間・子どもの《意識構造》において中核的な位置を占めるものと位置づける自分の《認識構造論》を支えるものとして援用しようとしたのです。《47年前の私》は、《今年3月の私》が自省して見せたように、まさに「原文を離れてその図の解釈が一人歩きしてしまう傾向」に陥っていたんだと思います。
 それでは《今年3月の私》は連載第32回(勝田4回目)において、「P.54図」について「解釈が一人歩きしてしまう傾向」から脱することができていたのか? 自分自身で指摘した《逸脱傾向》に自分も陥ってはいけないということは意識しながら、上述のように「勝田は人間の能力を『社会との関係でいくつかのカテゴリーに整理する』と書いています。個人の能力構造図を描くと言っているのではなく、個人と社会の関係の中で期待される諸能力をカテゴリー分けしてみよう、ということ。『P.54図』は、個人の体内?脳内?を示すものではないのです。」と書いているものの、勝田の言う「人間の能力を『社会との関係でいくつかのカテゴリーに整理する』」ということの《人間の能力を社会との関係でカテゴリーに整理する》ということの意味について、それ以上深く追求しようとしていませんでした。さらに言えば勝田が「P.54図」について「あまりうまくないが、しかし単純化した」(P.55)と形容したことにどのような含蓄があるのかについても考えていませんでした。「うまくない」は謙遜であり、文字通り勝田自身の構想をうまく表現しきれていないというもどかしさを表すのかもしれません。しかし「単純化した」というのは、文章の流れで表現しきれない構想を図によって「単純化」することでわかりやすくしたいという意図があったようにも読めます。
 「P.54図」の解釈だけに執拗にこだわることは、結局は私も「P.54図」を《一人歩き》させることにつながると思うので自戒すべきだとは思いますが、勝田がこの「あまりうまくないが、しかし単純化した」図をもあえて使いながら、《人間の能力を社会との関係でカテゴリーに整理する》と標榜して研究的思考を展開しようとした意図はどこにあるのかをさらに探っていくことは、勝田教育学を学ぶ上で間違った方向ではないだろうと思います。
 次回(第41回・勝田13回目)も今回に続いて、前回(第39回・勝田11回目)までの流れからは外れた考察を続けます。具体的には、前回まで検討した勝田の叙述を遡って、第一章 人間の能力をどうとらえるか(一)能力と知能(二)知能をなぜはかろうとするのか(三)知能の高低は生まれつきか(四)能力に対する社会的刺激を見ていきます。この作業だけで複数回を費やすことになると思います。どうぞお付き合いください。



連載・私の研究ノート(第41回)    (京都教科研通信第381号 2024.11)
勝田守一『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(1964) 【13回目】 

 何度も恐縮ですが、もう一度本書第一章の構成を提示します。
   第一章 人間の能力をどうとらえるか
    (一)能力と知能    (二)知能をなぜはかろうとするのか
    (三)知能の高低は生まれつきか   (四)能力に対する社会的刺激
    (五)能力の定義   (六)能力の諸因子   (七)能力観の歴史的展望
    (八)学力とはなにか

 目次の構成から見れば、第一章で勝田は《能力》と《知能》の関係から説き起こして《知能》そのものを検討し、続いて《能力》について検討し、最後に《学力》について検討しています。私の卒論での検討はいきなり(五)能力の定義から始めたわけですが、勝田の能力規定やそれに関連する五節の主張をさらに深く理解するためにも、五節にどう繋がるのかを意識しながら一節からの叙述を辿っていく作業に取り組みたいと思います。

 (一)能力と知能は、「人間がたがいに能力を競うという思想は古くからのものだ。(P.25)という文から始まります。勝田の「能力」への言及は「競う」こととの関係から始まっています。つまり勝田は《能力を社会との関係で》最初から捉えていると私は理解しました。
 続いて勝田は、「異常の才能を天賦とみる」(P.25)伝統的なものの見方に触れながら、「しかし、今日の私たちの悟性は、天賦の才は、個人に生まれながら具わり、それを己をも含めて人間の力で、左右することが不可能であるとしても、そのような気質が、自然と社会の歴史の過程の結実として、個人に現れているという考え方を受けいれるようになっている。」(P.25-26)と述べます。ここではまだ《才能/才》という言葉で特定の人間に具わる資質というか力のようなものが表現されていますが、誰にどのような《才》が具わるかを人為的に変更することは不可能であっても、そのような《才》が全く突然に、偶然に出現するのではなく「自然と社会の歴史の過程の結実として」出現するのだとしています。《才》は個人の内部から突然現れるのではなく自然と社会、つまり外部世界との交渉の中で形成されるということでしょうか。

 次に勝田は、能力を《天賦のものとして賞賛する》というより、《こうあってほしいという期待としての表現》として注目するという方向に話を進めます。「いわゆる中間層」(P.26)の親たちは、「子どもの能力を見出し、かれに適した場所に導いて、その成功を保障したいと考え」(P.26)ます。親がそう考える条件が二つあって、一つは「かれらには子どもが一生を托するに足るだけの財産もなければ、またそれだけの基礎を持った家業もない。だから、子どもがなんらかの能力を見出し、所有し、そして発揮して、その生存を支えることを期待しなければならない必要がある」(P.26)こと、二つは、「かれらの眼には、無限大の範囲においてとは思わないにしても、その経済的事情から、かなり大きい教育の可能性を期待できるように見られている」(P.26)こと。つまりは中間層の親たちが、わが子と自分たち家族の経済的上昇・安定のために子の能力の発揮に期待し、かつその実現のための現実的な経済的条件をある程度備えているからなおのことその気になる、と。これは1950年代後半以来の日本の高度経済成長と1960年代池田内閣の「所得倍増計画」に期待しながら教育要求を強めていた国民階層の存在を想定しての論述ではないかと推測します(勝田はここではそのような日本の社会動向には触れていませんが)

 勝田はここでもう一度、「人が驚くような特殊な才能」(P.26)のことを持ち出した上で、「しかし、いまでは、この種の才能をもこめて、先にのべたような天才から白痴までつらなる能力の曲線を思いうかべ、これらの生来の可能性は、磨きをかけ特殊化すれば、それぞれに伸びるものだが、しかしその伸び方は、その曲線のどこに位置しているかで決まってくるという考え方がいつのまにか出来ている。つまり、磨きをかけられ特殊化される前に、共通の基礎としての能力の配分がすでに終わっているというのである。」(P.27)と述べます。つまりは、人間の才能あるいは能力(=「生来の可能性」)は、「磨きをかけ」れば「伸びる」ものではあるが、その伸びていく以前に「共通の基礎としての能力の配分がすでに終わっている」、つまり「能力の曲線」「どこに位置しているかで決まってくる」という考え方が「出来ている」というのです。「出来ている」とはどこに出来ているのか勝田は明示していませんが、先ほど言及された「中間層」などを主に念頭に置きながら、《国民の間に広く浸透している》というようなことでしょうか

 さらに勝田は、「経験によるものだが」(P.27)として、「どんな仕事でも、頭のよしあしで成功の差がある」(P.27)「頭のよしあしをはかることができれば、その人の大方の能力の限界を見つもることができそうである。」(P.27)という(一般常識的な?)考え方を紹介しています。余談ながらこの「できそうである」という言い回しが微妙なところで、そこだけ読めば勝田自身もそうした《常識的見解》を支持しているかのようにも見えますが、一方で、《まあまあ、そうした多くの人が信じている見解を頭ごなしに否定しないで、一つじっくり検討してみようではないか》と読者に呼びかけているかのようにも見えます。

 すぐ次の段落で勝田は、「このことは、社会的に前提になる思想があるのだが、これについてはあとで吟味することを約束しておこう。」(P.27)と断っていて、(この部分が『教育』誌連載での初出の叙述と同一かどうかは確認できていませんが)連載の読者が、《え?勝田先生、こんな考え方を肯定するの?》と言いたいところへ、《いや、あとできちんと検討するからね》となだめているようにも読めます。それではそのような《中間層始め国民に浸透する常識的見解に影響を与えている思想》の検討をちょっと後回しにしながら、ここで勝田は何を考えようとしているのか?

【ここでは、こういう考え方を、「科学的」といわれる分析を借用しながら、私たちの健全な悟性で判定する仕事をやってみよう。私たちが暗黙の承認を与えているようにみえる「知能」とか「知性」とかいう概念をまず手がかりにするのはものの順序であろう。】(P.27)

 「『科学的』といわれる分析を借用しながら」という修飾語がなんとも微妙です。なぜ「『科学的』」と括弧を付けたのか?しかしそれは後の記述で確認することにしましょう。おもしろいのは勝田が先に「経験による」とした国民の間に広がる考え方に対して、これを「健全な悟性で判定する」と言っていることです。「科学的」分析も「借用」はするが、「悟性」によって判定可能だというのです。
 「悟性」への勝田の言及は、例えば(以下は勝田個人の見解だけを述べたわけではない教科研1959年大会「認識と教育」分科会の報告文の中ではありますが)認識の質と子どもの生活現実(著作集第四巻「人間形成と教育」所収)にも見られ、おそらく私がまだフォローしていない勝田の他の論文にも出てくると推察しますが、脱線してしまうのでここでは「自分の理解した諸事実などに基づいて、論理的に物事を判断する能力」(『新明解国語辞典特装愛蔵版』 1981)という辞書的語義のレベルで押さえておきましょう。「論理的に」とあるので科学的思考と無関係とは言えませんが、「自分の理解した諸事実などに基づいて」、つまりは経験的に判断することと捉えていいでしょう。勝田は「私たちの健全な悟性」と言っているので、国民の日常生活における相互交流の中から形成された妥当な常識というような意味でしょうか。つまり勝田は、《健全な常識によって不健全?な常識を覆す》と言いたいのでしょうか?

 ここから「知能」「とか知性」)への言及が始まるのですが、もう一度その直前までの勝田の行論の文脈にこだわると、それは「どんな仕事でも、頭のよしあしで成功の差がある」「頭のよしあしをはかることができれば、その人の大方の能力の限界を見つもることができそうである。」というような「こういう考え方」について「私たちの健全な悟性で判定する仕事」「『知能』とか『知性』とかいう概念をまず手がかりに」して行なうという試みなのです。しかも、「知能」「知性」概念を「手がかりに」するとは言うものの、それらは「私たちが暗黙の承認を与えているようにみえる」というわけですから、私たちが「暗黙」のうちに「承認」してしまっていること自体妥当なのかどうかを「健全な悟性」によって問いなおす作業も含んでいるはずです。

 さて勝田は、「知能とか知性」を前者は心理学的、後者は哲学的と腑分けした上で「ここでは、心理学的な概念として、知能とよ」(P.28)ぶものについて検討すると宣言します。そして1921年のアメリカの心理学者のシンポジウムで「知能」の概念について13人の心理学者が13通りの見解を示したこと、「その後再び、これを調整して一つの概念を明確にする討論はない」(P.28)ことから、「これでは、私たちは、知能という概念を用いるのを断念すべきことになるのだろうか。」(P.28)と問い、しかしすぐにそれを否定して、「私たちも、一応せっかちにならないで、経験科学の手続きで、どれだけ事態を明確にしているかを点検しておくことが必要だと思う。」(P.28)と述べて、まずはイギリスの心理学者バーノンの見解を紹介します。
 バーノンによると言語的なテストと空間的・実用的なテストの成績には高度の相関があり、そこには「共通ななにものか」(P.29)を想定できるとしてそれを「一般的能力g」(P.29)としますが、しかしgは、「一般的能力とよんでいいのだが、このばあいにも以上のような経験的手続きから明らかにされた成績の相関性をいうのであって、知能という実体的なものをさしているのではない」(P.29)のです。
 さらにバーノンはヘッブの見解に賛成して、「生まれつきの潜在可能性、あるいは賦与された性能」(P.29-30)である知能Aと、「知能Aをもとにしてその上に人間は幼児・児童・青年の時期を経て、環境との相互作用を通して次第に複雑になる心的な過程を形成して」(P.30)いき、そこで獲得された能力である知能Bと区分します。
 ここで勝田は、「私たちはヘッブの見解を承認するならば、バーノンなどのいうgなるものはどういうことになるかをたしかめる必要がある。」(P.30)と問いを立てます。テストで測定されたものは「知能Bのはたらき方」(P.31)だけれども、それは「環境との相互作用を通して知能Aにもとづいて形成されてきたもの」(P.31)であるわけです。
 そこで勝田はI・Qに言及し、「知的に刺戟を与える仕事や「文化的」な関心は、人間の頭脳を訓練をあまり必要としない仕事やひまつぶしよりも知能の発達に好適だとみられている」(P.31)とI・Qの高低と環境・教育要因の相関に注目する考え方を紹介し、「しかし、このことからすべてを環境に期してしまう根拠が与えられるわけではない」(P.31)と留保しつつも、「I・Qになにか実体的な不変な量を帰している迷信を打ち破るだけの根拠にはなる。」(P.31)と述べます。これが(一)能力と知能の末尾の文章ですから、一節の結論であると私は受けとめました。知能に関係する概念への言及は、「一般的能力g」から「I・Q」に移っていますが、人間の知能あるいは能力を「実体的な不変な量」と捉えることを「迷信」として勝田は退けています。
 では、「実体的な不変な量」とはいったい何でしょうか? これについてはもう少し先へ読み進めながら考えます。次回は(二)知能をなぜはかろうとするのかの検討に移ります。



連載・私の研究ノート(第42回)    (京都教科研通信第382号 2024.12)
勝田守一『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(1964) 【14回目】
 

 前節から知能についての検討が続きます。(二)知能をなぜはかろうとするのかの冒頭で、勝田は改めて「本来の問題に帰る」(P.32)として、知能の「測定がなんのために行なわれるようになったかを考える」(P.32)ことにより、「人間の能力というものの考え方を明らかにするという本来の課題に近づくことができる。」(P.32)としています。
 勝田は湯川秀樹を例に挙げ、また「ある有能な労働者」(P.32)を措定してみせながら、湯川のI・Qが高かろうが低かろうが「かれの学的業績の値うち」(P.32)に変わりはないし、労働者の場合も彼の知能指数によって「かれの仕事の成績やかれの行動の評価に何もつけくわえるものはない」(P.32)と断言します。ここでは知能指数の検査方法やその科学的妥当性についての検討・考察は行なわれていないのですが、知能指数なるものが一人の人間の社会的行動やその達成と何の関係もないと断言していることはやや驚きです。勝田がこの断定をなぜここでしたのか考えながら次に進みます。
 勝田はもう一度問題設定をして、次にように述べます。

【ではいったい、知能といわれるものを実体化しないで、バーノンのいうように経験的に操作して見出された一般能力としてでも、とらえようとするのは、理論的関心は別として、どういう動機によるものかを確かめてみる必要がある。】(P.32)

 「実体化しないで」という表現がここでまた出てきたのが気になるので、前節(一)能力と知能の実体的ということに関する記述をおさらいしてみます。

●一般的能力gについて、「このばあいも以上のような経験的手続きから明らかにされた成績の相関性をいうのであって、知能という実体的なものをさしているのではない。」(P.29)
●バーノンの知能の捉え方について、「いわゆる知能テストというものによってはかられるものが、環境や教育に全く影響されない個人に具わっているある精神能力の高低だという有害な通念をかれは和らげようとしている」(P.29)
●9歳時点でI・Qの数値が同じであったがその後異なる生育環境を歩んだ人たちの大人になってからの再測定結果を踏まえて、「I・Qになにか実体的な不変な量を帰している迷信を打ち破るだけの根拠にはなる。」(P.31)


 つまり知能を「実体的」に捉えるとは、外部の力に影響されない「個人に具わっているある精神能力」、すなわち《生得的なもの》あるいは《生得的な生理的基盤》と捉えるとである<註・ここは佐藤の解釈です>ことかと思われますが、それは「有害な通念」だと勝田は断じています。穏やかに論を進める勝田にしてはめずらしく強い断定でした。

 そこで二節の先の叙述に戻ると、勝田はバーノンにおいては知能の実体的把握は否定されていることを確認した上で、知能を「経験的に操作して見出された一般能力」と捉えることの「動機」を問います。勝田は次の二種類の動機を想定します。
 第一は、「教育的動機」(P.33)すなわち、「勉強や学業が思うように進まないばあいに、教師や親の中には、その原因を明らかにしたいという希望がでてくる。」(P.33)ということ。端的には「この子の頭のはたらきがどの程度のものなのか」(P.33)ということであり、「もし学習の能力がありながら、力がつかないというなら」(P.33)、子どもが怠けているのか学校や教師に適応していないということで「ともかく『見込み』は大いにある。」(P.33)わけです。一方で「頭があまりよくない、とすれば、それにふさわしい教育の仕方や環境の変化を考えなくてはな」(P.33)らないわけです。さらにその頭のはたらきの「程度を知るために、一定の尺度が必要」(P.34)であり、それを知ることで「頭のはたらきの程度に応じた教育」(P.34)を探し求めたいわけです。
 ところでこうした子どもの「頭のはたらきの程度」についての判断は、「注意深い親や教師の経験や観察で、大方のところはとらえられる」(P.34)けれども、そこに「少しでも客観的な裏づけがあるならさらに確実な気持で、子どもの指導を考え、それに、打ちこむことができる」(P.34)し、さらに「経験的な判断では、確信をもてないばあいに、客観的な尺度にもとづく測定ができるなら、それによって、自分の教授技術や教育内容の選択について研究を進め、その子どもに適応させる方法を発見することに安んじて没頭できる」(P.34)というのです。
 後で見るように勝田はこうした教師(や親)の判断に対して必ずしも批判的な書き方をしているのではないのですが、私としては気になることがありました。勝田によれば、日々子どもに接している親/教師と言えども、その子の学習能力や発達の可能性について確信を持って見通すことはできないわけで、「大方のところはとらえられる」けれども「客観的な裏づけがあるなら」さらにありがたいわけです。なぜなら「客観的な裏づけ」を得ることで「確実な気持」「子どもの指導」「打ちこむことができる」「打ちこむ」というのは、(勝田は親と教師を並べて議論していますが以下は教師についてでしょう)「教授技術や教育内容の選択」とそれを「その子どもに適応させる方法」「発見」に専心することである………
 この行論の流れを読むと、子どもの《能力の判定》は《外部者の科学的診断》に任せてそれを前提とした《指導》に専心するという教師の姿が私には見えてきます。子どもの能力について親も教師も通常「経験的な判断」はしているというけれども、決め手としては《外部者の科学的判断》に任せるというのでは、本当に子どもをよく知り関わろうとしていることになるのか? これが私の疑問です。
 勝田の評価は、こうです。

【こういう動機は、ひとりびとりの子どもの学習をできるだけ成功させていくための配慮を支えとしているかぎり、私たちは、これを教育的動機とよぶことができる。これが、どの程度に効用があるかは、もう一ぺんあとでみるとして、その一定の限界とその正しい使用法を心得ているなら、これは教育的に有効だ。】(P.34)

 勝田が付けた留保条件は、やはり私の危惧とも関係しているようです。「ひとりびとりの子どもの学習をできるだけ成功させていくための配慮を支えとしているかぎり」というのは、私が上で「本当に子どもをよく知り関わろうとしていることになるのか?」と述べたことと同じではないかと思います。勝田が《学習の成功》という《配慮》と表現しているのは、子どもが持つ能力や発達の可能性をより深く知って親/教師としてそれにそって効果的に働きかけるための模索の一環として子どもの「知能」を知る、あるいはその情報を活用するということではないか、逆に言うと《他の目的には使わない》ということではないでしょうか。

 ここで勝田の行論は、知能を「経験的に操作して見出された一般能力」と捉えることの「二種類の動機」の二つ目に移ります。

【しかし、もう一つの動機がこれに重なりながら続く。それは、選択の側からの要求に根ざしている。一定の集団(たとえば職場)の方で、その仕事に支障を来たすような頭脳の持ち主を排除するために、客観的尺度による測定を求めるばあいである。これも信頼できるテストがあれば、すべてが無用だというわけにもいかない。このばあいには、その仕事に必要な能力を訓練するわけだから、訓練の可能性の客観的保障を求めるという要求がそこに含まれている。】(P.34)

 ここで問題は企業の人材養成に移ってきました。勝田は「一定の集団(たとえば職場)」として、最初から学校とは別ものとして企業を持ち出す書き方はしていませんが、そのすぐ後に「その仕事に支障を来たすような頭脳の持ち主を排除するために」というあからさまな人材選別の目的を提示しています。学校教育の場で《指導に支障を来すような頭脳の持ち主の排除》が全く行なわれていないとは言えませんが、いったん受けいれた者を後から排除することは(校則違反を理由とする退学処分の行使などのケースを除いて)さすがにあからさまには実行しにくいことでしょう。一方、入試ではそれが公然と行なわれているわけですが。
 いや、私は少し先走りしすぎました。勝田はここではまず「たとえば職場」を問題にしています。利潤追求が最優先の企業体では、それに貢献できないことが明らかなような「頭脳の持ち主を排除」したいわけです。ある労働者が「仕事に支障を来たすような頭脳の持ち主」ではないかどうか、また「仕事に必要な能力を訓練する」として、その訓練の効果が表れる「可能性」はどの程度なのか。つまりは企業内の労働力訓練の費用対効果を予測するためのデータが企業はほしいわけですね。ですが、勝田はここで企業内訓練についてこれ以上言及していません。ここで再び学校教育へと戻ります。以下は、前の引用にすぐ続く文章です。

【これがさらに進んで、現在では、知的な勉強を主とする学校への進学の可能性の診断に、これを用いるという考え方になる。わが国では、これは選抜の制度の中には採用されていない。少し前に、大学進学の際に「進学適性検査」というものがあった。これは、同じような動機と要求によって実施されたものだが、不信と不評によって、廃止された。(中略)
 わが国では、そのかわりにアチーブメント・テストや入学試験という名で行なわれるものが選抜の役割をになっている。「知能テスト」が使われないということは、それだけ不合理が少ないというわけでは決してない。】(P.35)


 私は「進学適性検査」について知らなかったので国立教育政策研究所のホームページ内の「過去のテスト資料 進学適性検査」のページを調べたところ、概略以下のようなことがわかりました(https://www.nier.go.jp/04_kenkyu_annai/kako_test/shinteki.html)。
 1946.10.11に文部省学校教育局長教育研修所(後の国立教育政策研究所)長への指示により「昭和22年度知能検査問題作成委員会」が成立、翌1948年度に「進学適性検査」と改称して、一般的な知能検査に加えて受検者の文理科進学の適性の検出を追加。その後変更を繰り返し、1954年度には文理科適性の測定に重点を置かず大学の課程履修に必要な一般的能力の優劣の検出を第一目的とした。さらに「最後」の1954年度にはさらに方針を限定して「大学における諸課程,講義内容を完全に理解し修得してゆくのに必要な,程度の高い知的能力」を検出する方針に変わった…………いかにも文科省関連のホームページらしいというか、以上で経過の記述は終わっていて、なぜ廃止されたかは説明されていません。せこいですね。勝田は「不信と不評によって、廃止された」と書いています。Google検索のQ&Aでは、「受検者の負担過重や検査管理上の問題があり廃止」とあります。

 勝田の行論の検討に話を戻します。
 「知的な勉強を主とする学校への進学の可能性の診断」。ここから「可能性の」をはずして、《知的な勉強を主とする学校への進学の診断》とすれば、それがまさに現在まで続く入学試験ですね。勝田自身は廃止された「進学適性検査」のかわりに「アチーブメント・テストや入学試験という名で行なわれるものが選抜の役割をになっている。」と書いています。「という名で行なわれるもの」という表現に何か含みがあることを感じます。
 私は評価や選抜の制度/方法というものが《苦手》(それに対する不信があり、あまり考えたくない)なので、アチーブメント・テスト云々については深入りしないことを御容赦下さい。「入学試験」が「選抜の役割をになっている」ことはあたりまえですが、受験生の《最終戦場》である入試につながるさまざまなテスト群も(少なくとも間接的には)選抜機能を担っていることは間違いないと思います。が、それらの検討についてはスルーして(^^;)進みます。
 勝田は「アチーブメント・テストや入学試験」に言及した後で、「『知能テスト』が使われないということは、それだけ不合理が少ないというわけでは決してない。」と述べていますが、これはどういうことでしょうか? かつて戦後初期には「進学適性検査」があった。このデータが実際の大学入学審査にあたってどのように使われたのか、はたまた「適性」=可能性として参考にされた(誰に?)だけなのかわからないのですが、ともかくもそれは結果的に廃止され、大学進学適性について国家が統一基準を設定して診断または予測する制度はなくなった。その後時を経て共通一次試験、センター試験、大学共通テストと、国公立大と一部私立大が(センター以降はアラカルト方式で)利用する《中途半端な共通基準》は現在まで置かれていますが、あらかじめアプリオリに判定された《知能》なり《適性》情報によって受験者を選別し大学に振り分けるようなシステムは作られていません。勝田は、「『知能テスト』が使われないということ」は、使われるよりはよいと考えているんだろうと推測します。けれども「それだけ不合理が少ないというわけでは決してない。」と言うのです。「知能テスト」を動員したりしない選抜システムにも「不合理」が多々あると。

 ここまででようやく、二節冒頭の勝田の問題設定(知能をとらえたいという動機は何か?)に対する2点の回答を辿ることができました。
 すなわち第一の動機は、親や教師が子どもの「頭のはたらきの程度」を把握してそれに対する適切な処遇を講じたいと考えること。
 また第二の動機は、企業における人材選抜やそこへ連動していく入試選抜の必要性。
 第一章冒頭の「人間がたがいに能力を競うという思想は古くからのものだ。」という記述を想い起こすと、上記二つの動機のうち第一の、わが子/児童生徒との交渉から生じる親/教師の要求にも《競争的要素》はすでにはいりこんでいるはずですが、勝田の叙述を見るかぎり第一点目ではあまりそのことは強調されることなく、あくまでも一人の子どもへの親/教師のまなざしに沿った捉え方がされているようにも見えます。

 さて二つの動機の考察を終えた勝田は、「知能テストといわれる客観的尺度をもった測定の技術」について「私たちはその理論や技術にいまは、関心を向けているのではない」と述べて(「いまは」に含みは感じますが)、改めて問題を確認します。

【ここでは人間の能力についてのとらえ方をもっと明らかにしたいという目的が重要だった。そこで考えてみなくてはならないのは、この考え方には、学校教育が知的な、あるいは教科的な学習能力を育てることをめざし、その学習可能性との関係で一般的知能あるいは一般的能力gを、ある個人の知的能力の指数としてとらえようとしていることが根底になっていることである。】(P.35)

 「指数」とは「1 ある数・文字の右肩に記して、それを何度掛け合わせるかを示す数字・文字。 anのnをいう。 2 統計で、物価・賃金・生産高など同種のものの時間的変動を示す数値。 基準となる時点の値を100とし、百分比によって表す。」(コトバンク)のうち2番目の意味で使っていると思われます。とすれば「個人の知的能力の指数」とは、《個人の知的能力をある時点で100としてその時間的変動を示す数値》ということでしょうか。「学校教育」と言っているので、例えば小学校1年生当時を100としてそこからどれだけ伸びたか(あるいは停滞しているか後退しているか)を数値として示すという発想ですね。その指標とされるのが「一般的知能」あるいは「一般的能力g」であり、それが知的・教科的学習能力の「可能性」「関係」を持つと。こういう発想の下に「知能」あるいは「g」が想定されていると。

 そしてここから勝田は、先の第一の動機と第二の動機の絡み合いの考察に入る、と私は見ました。

【しかし、これを集団的な統計上の傾向としてみるときと、特定の個人の能力についてみるときには、その意味がちがってくるということが重大なのだ。テストやその結果の処理の技術が進んで集団的な傾向をあらわすさまざまな数値が意味をもつとしても、個人の能力ということになると、そこにはたちまち重要な問題があらわれてくる。
 さきにもみたように、gは集団的にはvやkというグループ因子
<佐藤註:一節の行論を辿ったときに飛ばしてしまいましたが、vとは「言語的なテストにあらわれる共通な能力」、kとは「空間的なテストに共通にあらわれる能力」のことです。P.28参照>の下にあってそれらに共通ななにものかとしてはたらくとされている。しかし、特定の個人では、言語的といわれる能力と、非言語的、実用的といわれる能力とが平衡を保っていないことがしばしばある。(中略)この二つの関係は、集団的あるいは統計的には相関性が大きいが、しかし、特定の個人では、必ずしもそうでないばあいがありうるということになる。】(P.35-36)

 言語的能力と非言語的実用的能力は集団としてみると相関性が大きいけれども、特定個人については必ずしも平衡を保っていない。そこで、

【これを二つの能力に分けてとらえようとする伝統的な傾向がみえる。そしてその傾向は、社会的選択の視点と教育的視点がかみあう形で強められる。
(中略)こうして、学校系統にも技術的なものと学問的(アカデミック)なものとの二系列が生まれてくる。教育的には、その価値は平等とされ、そうあるべきだといわれもしようが、社会的選抜の上からは「優秀な頭脳」の持ち主は、学問的なものへ進み、そうでないものの中から、技術的なものへ進むものがきめられることになる。こう考えられているのが現実である。】(P.36)


 言語的能力と非言語的実用的能力とのバランスが個人においては様々であることから「二つの能力に分けてとらえ」る、「伝統的な傾向」が存在する、という勝田の説明には、私などが言うのはおこがましいことですが、少し舌足らずな部分があると思います。個人の中の2種類の能力を「分けてとらえ」ることができるは、勝田自身も説明の中で経験的な測定の結果として一応承認してきたのではないでしょうか。ここで勝田が問題にしているのは、2つのカテゴリーの能力の個人における表れの違いをその人間の個性あるいは人格のタイプ分けとするという意味での「分け」る捉え方ではないかと思うのです。「社会的選択の視点」と噛み合うことでより《合理化・正当化》された「教育的視点」として、「『優秀な頭脳の持ち主』は、学問的なものへ」「そうでないもの」「技術的なものへ」と振り分ける。これが個人の能力を社会に受けいれられるものとして、社会(企業)の側は必要な能力を持つものを獲得できる、と。勝田はここでは私の解釈にあるような人間のタイプ分け、その非人間性への怒り、みたいなことを述べてはいませんが、私はそういう思いで受け止めました。

 ここで勝田は、「くりかえしいうが、集団的、統計的には、この二種類の知能の成績は、相関性を示すことが明らかにされている。」(P.37)と改めて強調するのですが、これはどういう意図からでしょうか?
 これについて勝田は「この問題についての都合のよい事例」(P.37)としてイギリスのグラマー・スクールの生徒が英語・算術の成績と知能テストによって選抜されるけれども後のテストでは「非言語的・実用的能力でも、技術学校の生徒に決して劣っていないことがわかった」(P.37)という事実を挙げます。つまりは、教育環境によって子どもたちの言語的能力と非言語的・実用的能力を共に伸ばしていくことは可能であり、最初から前者タイプ・後者タイプが固定されているわけではない、ということですね。勝田はあくまで「集団的、統計的」と断ってはいますが、しかしこれは両カテゴリーの能力を兼ね備えた個人が多数存在したことで個人の能力測定の統計的合算がそうなった、ということですよね。

 ここから本節の締め括りに向けて、勝田は第二の動機にぐっと接近して考察します。

【しかし、現実の要求はそうはいかない。それはちがった能力を発達させることを要求しているだけでなく、その割合も現実の需要に応ずるようになっているからだ。もちろん現実の需要というのはそれほど明確にあらわれないで、伝統的な通念に支配されている。だから現実の需要を代表する側の発言にも、じっさいには食いちがいが起こり、それを決定する基準は現にわが国にみるように明瞭でない。】(P.37)

 40数年前に教科書裁判学生支援運動などの中で学んだだけの私の乏しい戦後日本史・戦後教育史の知識を呼び起こして考えているんですが、勝田はここで(敢えて、かどうか私にはわかりませんが)記述していませんけれども、本書執筆当時=1960年代前半期は、高度経済成長まっただ中、「所得倍増計画」で国民の目をくらましながら大企業が望む労働力確保の露骨な要求を国民に突きつけていた時期でした。経済審議会答申「経済発展における人的能力開発の課題と対策」(1963.1.14)「第二章人的能力開発の課題」の一部を引用します(国民教育研究所編『近代日本教育小史』 1973 からの重引です)。
「教育における能力主義徹底の一つの側面として、ハイタレント・マンパワーの養成の問題がある。ここでハイタレント・マンパワーとは、経済に関する各方面で主導的な役割を果し、経済発展をリードする人的能力のことである。教育が普及した反面、それぞれ特色ある教育を行ないひいてはこれらのすぐれた人材を養成するという体制が十分ととのっていないうらみがある。しかしダイナミックな技術革新時代において、自主技術を生み出す科学技術者、新技術をとり入れ新市場を開拓していくイノベーターとしての経営者、複雑化する労資関係を円滑に処理していくべき労使の指導層等、高度の能力をもった人間の重要性が高まっている。学校教育を含めて社会全体がハイタレントを尊重する意義をもつべきであろう。
 以上のような教育および社会における能力主義の徹底に対応して、国民自身の教育観と職業意識も自らの能力や適性に応じた教育を受け、そこで得られた職業能力によって評価、活用されるという方向に徹すべきであろう。」

 経済界はこのように、支配層予備軍としての「ハイタレント」を国民から選抜し吸い上げる一方で、高まる国民の教育要求(高校全入運動など)を逆手に取り、高校を国民の教育要求実現の場ではなくて資本の各分野が要求する細分化された「人材」の養成機関とすること(高校多様化)を求めていました。勝田が「ちがった能力を発達させること」「その割合も現実の需要に応ずるようになっている」というのは、このような経済界の露骨な学校教育への要求を指すものと私は捉えました。ただ、勝田がそうした「現実の需要」「それほど明確にあらわれない」「食いちがい」があり「決定する基準」「明瞭でない」と言っているのは、経済界、政府、教育政策、現実の学校教育などの各レベルのどこを指してそう言っているのか、私にはよくわかりません。「伝統的な通念に支配されている」と言っているのも気になります。先に言語的能力と非言語的・実用的能力を《分ける》考え方のところでも「伝統的な傾向」という表現がありました。勝田が「伝統」と捉えている傾向は、歴史的にはどこまで遡ってのことなんでしょうか。近代学校成立以来? 戦前の軍国主義教育以来? わかりません。

 さていよいよ二節も最後です。最後の部分を紹介します。

【ただ、現代の社会では、いわゆる学問的な能力がより高いものとされ、非言語的な、実用的な能力は低いものとみなされているということに注目する必要がある。これがなによりも大まかな基準になっている。そして、私たちが、ここで考えなければならないのは、能力といわれているものの本質的な規定なのだ。能力を所有するのは個人だが、それが能力として認められるのは、社会的需要との関係においてなのだ。
 そこで、能力というものを、個人の所有ということだけでは規定ができないという点を、とくに知能の問題を通じて、明らかにしたいと思う。】(P.37-38)


 資本主義社会における経済界・企業の要求として(勝田はそういう言い回しでは書いていませんが^^;)国民はさまざまの分野での労働に対応できる(全体としては)多様な、しかし個人のレベルでは限られた分野の能力の形成を求められる。それに加えて、諸分野の労働能力の間には優劣の関係が設定される。学問的能力は高く、非言語的・実用的能力は低いとみなされる。ということは、前者を身につけている人間の価値は高く評価され、後者を身につけている人間の価値は低く評価されるということにつながると私は思いますが、勝田はここではあくまで《能力の高低評価》に話を限定しています。

 本節の最後に勝田は能力の「本質的な規定」に言及します。「能力を所有するのは個人だが、それが能力として認められるのは、社会的需要との関係において」であるということが本質だというのです。私は再び第一章一節の冒頭を思い出しました。そこで勝田は、「人間がたがいに能力を競うという思想は古くからのものだ。」と書いています。そこで言及されていたのは能力をめぐる競争のことですが、競争が相手を必要とすることは自明であり、また何に向かっての競争かを考えれば、競争が「社会的需要」があればこそのものであることも自明です。ここに到って表明される《本質的規定》は本章冒頭から勝田の問題意識に一貫して貫かれていたと思われます。

 しかし現実的把握としては、子どもは能力を自分が持っているものと考えるでしょうし、親はわが子が持っているものと考えるでしょう。それが常識的《能力観》だと思います。勝田は能力が「個人の所有ということだけでは規定ができないという点」について、「とくに知能の問題を通じて」三節で明らかにしようとします。
 次回は(三)知能の高低は生まれつきかに進みます。



連載・私の研究ノート(第43回)    (京都教科研通信第383号 2025.1)
勝田守一『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(1964) 【15回目】


 前回の原稿を書いてみて、私には一つの迷いがあります。第40回連載(勝田12回目)以来、私はそれまでの自分の卒論叙述との関わりで勝田の原典を論じるやり方を一時中断して、第一章五節における勝田の「能力」規定について改めて理解を深めるという目的のもとに五節に到る一節~四節の叙述から学ぶという方針変更をしました。この方針の下での連載執筆が、すでに今回で4回目となります。残るは三節・四節ですので、見通しとしては今回・次回くらいでこの作業を終えることができるかと思います。
 迷いの一つは、変な言い方ですが第41回連載(勝田13回目)以降の、言わば原典の叙述を嘗めるような取り上げ方が、私自身の学びとしては意味があるにしても、読者のみなさんにとって意味あるものになっているだろうかということです。
 もう一つの迷いは、そのように嘗めるように辿っているにも拘わらず(これ以上引用したら原典を読んでいただく方が早いだろうという思いもあって)紹介を省略している部分はあり、そのことが勝田の古典的名著の紹介として妥当だろうかということです。例えば前回の二節の検討ではワロンによる「状況の知能」の提案(P.36)への勝田の言及については全く紹介していません(勝田によるワロンの紹介については、前回紹介した「勝田守一教育学ゼミナール」でも議論になったにもかかわらず)。もちろん紹介を除外する理由はあって、私はあくまでも一節から五節に至る勝田の「能力」規定の考察の流れを追いたいので、それに直接関係がないことまで紹介する余裕がないということです。
 まあ、そういう二つの迷いをかかえながらも、五節に向けてさらに検討を進めます。

 今回は(三)知能の高低は生まれつきかの冒頭からです。

【能力を知能の問題から考えてみようとしたのは、「知能」は生まれつきの素質によるもので、生まれたときに個人には仕事の能力の未来の発達の可能性が、程度からいって、すでに配分されているという考え方を吟味するためだった。】(P.38)

 ここで勝田が吟味しようとしているのは、一節の「天才から白痴までつらなる能力の曲線を思いうかべ、これらの生来の可能性は、磨きをかけ特殊化すれば、それぞれに伸びるものだが、しかしその伸び方は、その曲線のどこに位置しているかで決まってくるという考え方」(P.27)を少し言い換えたものだと私は理解しました。人の能力を(個人差によって配列される)「曲線」上に位置づけることができるとして、その「曲線」上の位置からどこまで「伸びる」かは予め「決まっている」という考え方です。上記引用で「すでに配分されている」というのが少しわかりにくいのですが、《予め決められて個人に与えられている》ということでしょうか。
 「知能」「生まれつきの素質」「仕事の能力の未来の発達の可能性」の関係がまだ釈然としないのですが、次に進みましょう。

 勝田は、「そういう考え方は、決して直接的な観察や測定では実証できない」(P.38)としつつ、「専門家たちが、それについていろいろな試みを通じて取り組んでいる」(P.38)事例として、知能テストの反復実施、家系調査、一卵性双生児の調査を挙げていますが、その紹介は省略します。三事例の検討を踏まえての勝田の見解を、やや長くなりますが紹介します。

【ともかく、遺伝と環境を知能の発達の二要因として、それを機械的に対立させ、その影響の量的な比重を考えるということそのことの不正確さに気がつけば、この問題について、私たちの理解は一歩前進する。生まれつき、ということと遺伝を私は区別せずに使ってきたが、これも吟味すれば、不正確だ。胎内にいるときに、母親の栄養状態や健康状況によって影響される痕跡、また出産の折の頭部の損傷の影響は、生まれつきといわれるが、遺伝的に決定されたものではない。遺伝的といえば正確には遺伝子によって決定されているということ以外のことを含んでいない。
 一方環境の影響ということばの意味もまた広すぎる。時間的に幼いときに受けた栄養成分の影響や小さいときの習慣の作用もあれば、フロイトのいうような幼児に形成される深層的な痕跡から、大きくなってからの意識的な訓練や社会的要求の作用もある。それらがどのように知能の発達に影響するかを考えれば、環境という概念は粗大にすぎよう。】(P.40-41)


 「知能の発達の二要因」として「遺伝と環境」「機械的に対立させ」ることの「不正確さ」を勝田は批判します。その批判はまず、「遺伝」と言い「環境」と言ってもそれ自体の意味に曖昧さがあるということの指摘から始まります。勝田は自分自身の用語法を自省する形で「生まれつき」「遺伝」は同じではないと指摘します。「生まれつき」というと日常的用語法としては《オギャーと生まれたときから》と受けとめますが、それ以前の受精してから母胎内で成長する過程や分娩時に受ける様々な影響は遺伝的に決定されたものではなく、胎内環境による影響であると思われます。
 「思われます」とやや留保したのは、胎児が体内環境に影響を受けるとき、そこに遺伝子上の要因が関係していないと断定することはできないと思うからです。これは私が京都女子大学「ジェンダーと教育」授業の中でジェンダーの定義を紹介する際に文献から学んだことと関係します。横道に逸れてしまいますが、紹介させて下さい。
 原文献狛潤一他『改訂新版 ヒューマン・セクソロジー』(2020 P.12-19)がかなり難解なので私の授業通信「GENDER/SEXUALITY/EDUCATION」2023年度第2号(2023.10.2)の中で要約紹介をしたのですが、それをさらに短縮して以下に紹介します(勝田の原著と関係のないことですので、読み飛ばしていただいてもかまいません)

 人間の性別が決まる上で、性染色体は大きな役割を果たします。しかし、XX受精卵=全て女性、XY受精卵=全て男性とは限らないのです。Y染色体上に精巣決定遺伝子SRYがあるかどうかが、性別を分ける重要な決め手となります。SRYの有無によって染色体がXXでも男性のようなからだと心、XYでも女性のようなからだと心を持つ人がいます(稀に染色体がXXでもSRYを持つケースやXYでもSRYが欠損しているケースがあります)。妊娠6週頃まで性差がなう性腺原基に対し、SRYから指令が出ると精巣に、出ないと卵巣になります。この性腺原基から精巣・卵巣への変化が性分化の第一段階です。
 妊娠8週頃からSRYにより変化した精巣でアンドロゲン(男性ホルモン)が作られて分泌され、12週頃から内性器の文化が起こります。男性ではアンドロゲン+ミュラー管抑制物質の分泌で(やがて女性内性器に変わるはずだった)ミュラー管が消失し、ウォルフ管が発達して男性内性器に変化します。女性はミュラー観が発達して女性内性器を形成します(ウォルフ管は消失)。妊娠16週頃から男性はアンドロゲンによる男性外性器の分化、アンドロゲンの作用がない女性は女性外性器が分化します。
 内外性器はもともと女性型が基本で、それに上記のような特別な作用が適当な時期にあったときだけ男性型に変わっていくのです。しかし、特別な作用が適当な時期に行なわれたか否かで非定型な文化が進む可能性があります。
 一方脳もまた性分化します。アンドロゲンは脳の性分化にも大きく影響します。胎児期8~24週と出生後数ヶ月に分泌されるアンドロゲンにより脳の男性化が進みます。但し、脳の性分化は遺伝子とは別個の問題です。ホルモン等による性器やからだの性分化と脳の性分化は無関係なのです。さらに、ホルモン分泌が性分化に与える影響には「臨界期」があり、その期間をはずれるといくら分泌されても影響を受けません。アンドロゲンが正常より多いとオンナの新生児でも脳がオトコ化し、逆にオトコの新生児でもホルモン分泌の状況によってはオンナ化した脳を持つ可能性があります。場合によっては遺伝子の性・性器の性と脳の性がずれてしまうことがあるのです。
 さらにおもしろいことに、生後4年間の育て方(文化的要因)によっても脳の性分化は影響を受けますし、また8、9歳でいちおう脳が完成するまでは性の自己認識(gender identity)は固定されないのです。
 結論として、個々の子どもが将来どのような心の性を発達させていくかは、外性器の見た目からでは予測できません。性別の基本となる性染色体がXX、XYであっても、決まりきったような女性男性として成長するわけではないのです。性分化は、アンドロゲンの分泌の程度の違いによって、また内外性器と脳がアンドロゲンに対して反応する臨界期及びそれぞれの感応力の違いなどによって、実に多様になります(性器、性腺、性染色体の分かれ方は決まりきっておらず、70種類以上の組み合わせがあるとされます)。科学的解明が進めば進むほど人間の多様性とそれゆえに一人ひとりの存在の豊かさ、かけがえのなさに気づかされます。人間は一人ひとり違う(同じ人間はいない)ことをあたりまえのこととして受け入れることが重要です。重要なのは性器の状態が男女のどちらに近いかということではなく、自分自身をどのような性的存在として認識するのかということです。


 上記はgender identity(性自認)をどう捉えるかということと関わって私が学んで受講生たちに紹介したことです。世間常識としてはgender identityが後天的に(生育環境によって)決まると思っている人はいないでしょう。オギャーと生まれた赤ん坊がペニスを持っているのかワギナを持っているのかで「男の子だ」「女の子だ」と判断しますよね。しかし、ことはそう単純ではないことが上記の研究成果紹介からわかっていただけると思います。内容を繰り返しませんが、性器の性分化と脳の性分化は違うのです。そのいずれも遺伝子上で決定済みとは言えない事例があり、両者が一致しないこともあります。遺伝子にせよホルモン分泌にせよ、様々な条件を通して複雑に性分化に影響していくのであり、《生得的なものだ》などと単純に決めつけることはできません。さらに、脳の性分化は胎内でも出生時でもすでに確定したものではなくて9歳頃までは流動性があり、そこには「育て方」も影響するのです。ここでは勝田が問題にしている知能・脳ではなくて(一般には主体の意志によっていかようにも変更できないものとみなされている)性別・性分化ということがらについて《遺伝・生得的要因》と《環境要因》の二分法の無意味さを私なりに見てきました。生命科学やジェンダー論の知見を踏まえれば、《受精前・受精時点での二人の親の遺伝子情報》と《受精後の胎内および出生後の生育環境》という区分のしかたの方が意味があるようにも思います。ただその場合も本当に重要で注目すべきなのは両要因の相互関係ですね。そしてこれは勝田が次の段落で述べていることなのでした。

【しかし、いまは、一応遺伝と環境という概念を使うとすれば、もともと環境とかかわりなく、遺伝的因子が発達を決定するということも無意味だし、遺伝的に受けつがれた可能性なしに、環境が発達に影響を与えるということも意味をなさない。一定の生活の歴史を背負っている子どもの、生まれつきで、不変な知能を想定し、これを測定できるとしたり、固定的にとらえられるとするそのことがかえって非科学的だということも明らかである。】(P.41)

 そうですよね。ではなぜ勝田の述べていることが《常識》とならずに、《遺伝か環境か》の不毛な二項対立思考が力を持つのでしょうか。上記引用に続いて勝田が知能テストの意味を限定的に認めている部分を飛ばして、少し先の叙述に進みます。

【問題は、人間の能力に関する思想にある。この、心理測定の技術が、選抜と淘汰を暗々裏に意図して遺伝論や生得論に奉仕する傾きをもつことが重大なのである。】(P.42 下線は佐藤)

 遺伝説に立つか環境説に立つかということより、心理測定の結果をいずれかの原因に帰することを通じて人間を能力によって「選抜と淘汰」していこうとするその思想をこそ衝く必要があるということです。
 続くコメニウス(と、デカルト)の思想の紹介は飛ばして結論だけを見ると、コメニウスは「いままで、無知・無能力とされていた庶民(農民や職人)が、適当な指導のもので学習するならば、その能力を時代の通念に反して発揮することを、かれはその経験をもって知ったにちがいない。」(P.43)と勝田は述べ、すぐ続けて「残念なことに、わが国には、このような思想の伝統は決して豊かではない。三枝博音も、日本には人間を人間として育てるという思想がなかったために、ほんとうに古典的といってよい教育論がないといった。」(P.43)と述べています。
 この三枝博音の指摘に関心をもったので三節末尾の参考文献一覧にある三枝博音『日本哲学思想全書15 教育論一般編』を発注しましたが、まだ手元にないのでいまここでこの件について掘り下げることはできませんが、勝田が近代教育の黎明期を開いたコメニウスの庶民の能力発揮の可能性に注目した教育思想に着目していること、翻って日本においては「このような思想の伝統は決して豊かではない」と(恐らく)嘆いていることを押さえておきます。
 日本の先行教育思想に学ぶべきものがないとして(とまで言ってしまうと勝田を曲解することになるかもしれませんが^^;)勝田はコメニウスの教育思想の意義を現代的に捉え直そうとします。

【コメニウスが示した人間の能力のとらえ方は、現代の状況の中では、科学の裏づけをもって新しく再生している。能力は、「知能」といわれるものの発達の過程とその成果であり、人間の発達は、遺伝子によって決定された神経系、とくに高次神経系の組織の型にもとづくことは否定できないにしても、その具体的、特殊的な発達の過程は社会的環境との相互作用を通して進行するものであり、とくに主体の自発的学習を含む教育の役割が重大なのである。】(P.43-44 下線は佐藤)

 ここで人間の発達における教育の役割を強調する際に「主体の自発的学習を含む」と付け加えることを忘れないのが、(不遜すぎる言い方かもしれませんが)勝田の心憎いところです。なぜなら教育の役割を一般的に強調するのでは、環境説に与することとあまり変わらないからです。「主体の自発的学習」を導いたり支えたり励ましたりするという、《大人が働きかけることで子どもの働きかけを引き出し、子どもからの働きかけを受けて自らの働きかけ方を柔軟に変更していく》という教育の相互作用を不可欠の前提としてこそ、生得(既得)要因にも環境要因にも微妙に影響されながら進んでいく子どもの発達に対するこれまた微妙な教育の作用を妥当な形で定位できると思います。

 さて、コメニウスへの追加的言及の部分を飛ばして、三節の結論を見ましょう。

【このようにみてくると、私たちにとって、たいせつなことは、漸く20世紀にはいってからではあるが、私たちの先輩が、農民や労働者の子どもたちや「遅れた子どもたち」に人間的能力の発達を期待して、希望によってその仕事を豊かにし、その成果によって希望を強化しながら、苦闘を続けた歴史を継承することである。私は主として綴り方教育の努力をここでさしている。くわしいことは後の章で再び触れることにしたいが、その方法と経験が十分に科学的であったとはいえないにしても、そこでは、教育というものが主体の可能性を主体自身に意識させるすじ道としてとらえられているのである。】(P.44 下線は佐藤)

 いいですね。希望によって仕事を豊かにし、その成果によって希望を強化する。教育に取り組む私たちを勇気づける言葉だと思います。
 そしてここで綴方教育が取り上げられます。その成果を無条件でなく限定的に捉えるとしながらも、「主体の可能性を主体自身に意識させるすじ道」を示したと。これもまた綴方教育に取り組んでいる人たちを励ますメッセージであると思います。
 「知能の高低は生まれつきか」を問うてきた三節の考察が行きついた先が綴方教育でした。しかしそれについての追求は「後の章」に延期されています。

 次回は(四)能力に対する社会的刺戟に移ります。(五)能力の定義に到るまでの勝田の能力に関する考察の道行きを辿る作業は、ようやく次回で終了です。



連載・私の研究ノート(第44回)    (京都教科研通信第384号 2025.2)
勝田守一『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(1964) 【16回目】


 (四)能力に対する社会的刺戟に入ります。
 冒頭に勝田はこう述べます。

【能力の社会的要求との関係についてみるなら、さらに知能とよばれる人間的能力を発達の視点からとらえることの正しさを保証してくれるだろう。】(P.45)

 つまりは三節までで勝田は、「知能とよばれる人間的能力を発達の視点からとらえることの正しさ」を主張したかったのでした。「知能とよばれる」ですからこの語を正規に使用すべきかどうかについては保留していると思われますが)人間の能力について生得的に規定されているとか環境によって決定されていると断定するのではなく、また、(支配層から)あたかも社会階層全体として「無知・無能力」であるかのように見なされていた庶民ももちろんのこと「適度な指導」を通じて能力を発揮できると捉えて、個人においても社会においても人間の能力の発達可能性を認める思想を、少なくとも近代以降に人類は獲得したわけです。そして勝田はこのことを「社会的要求との関係」の考察によってさらに強く論証しようとしています。
 いや、論証と言うより例証・実証と言った方がいいでしょうか。本節は実に多くの事例にあふれています。都会の男の子たち、3歳の女の子、2歳の子、海辺の子、曲芸師一家の2歳前の女の子、ヴァイオリンでバッハを弾く3歳ぐらいの子、漁師の子どもたち、3歳のJ・S・ミル、師井恒男校長が紹介する牛飼いの子、小学生だった勝田の隣席の子、「詩をつくるより田をつくれ」という要求に苦しむ青年たち、老農夫、功利的人間。著作集3ページ分に渡ってこれらの人物が次々に登場します。勝田がそれらの人々をどのように考察しているかを書いていくとそれこそ原文のままに紹介することになってしまうので、事例の部分を割愛して、勝田が一般論として述べている部分だけを抜き出すことにします。

【これらの能力が、社会的な要求と結びついていることを認識のはだいじなことだ。都会の子が海を恐れず波をくぐって遊ぶ能力をもたないのは、自然環境によるもののようだが、じつは漁師の子どもたちは、父や兄の暗黙の奨励と友だちの評価の中で、その能力を育てたのである。「そこに海があるから」ではなく、海をいのちとたのむ父や兄や友だちがそこにいるからである。】(P.45 下線は佐藤)

 勝田は「門前の小僧習わぬ経を読む」という格言に異議を唱えているようにも見えます。この格言は《環境が人間を育てる》と言いたいのでしょう。《氏より育ち》にも通じるかもしれません。あるいは人間は放っておいても環境に適応していくもんだ(つまりは大した教育なんかいらない?)と言いたいようにも見えます。しかし勝田は「海があるから」では子どもは育たないといいます。子どもと海の間に父や兄や友だちの働きかけ(教育・援助)があってこそ子どもたちは「海に生きる」ように育っていくというのです。環境と言っても大きく自然と社会があり、自然豊かな環境は、それこそ《自然に》人間を《形成》するという見かたもあるのでしょうが、勝田は人間の発達における社会的関係、そこでの要求が介在することを見逃さないのです。

【子どもの身体の生理的な成熟にともなって、器官の機能が内発的な欲求を目ざめさせる。環境の刺戟が子どもの興味をひく。その刺戟は社会的な関係を通してあらわれてくる。
(中略)
 かれらのまわりにはさまざまな刺戟があり、それに応じてかれらは身体ごとに反応し、筋肉や器官を使用しながら、その変化をさらに新しい刺戟として、さまざまな能力を所有していく。しかし、そこにも社会的な選択が外がわから加えられる。
(中略)
 さまざまな能力といわれるものが、このように社会的なものであるということは、社会と文化が複雑になり、多様な刺戟が豊かになれば、人間の能力の質的な多様さを生み出したことを考えればわかる。そして、現に私たち自身と同じように、質的に多様な差異のある能力を身につけた子どもたちがいる。】(P.46)

 勝田が挙げている豊富な事例を全てカットして引用したため、無味乾燥な言説に見えてしまうかもしれませんが、勝田の主張の骨子をわかりやすく提示するためですので、御容赦下さい。
 「身体の生理的成熟」により、「器官の機能が内発的な欲求を目覚めさせる」、ここまでは身体内部からの動きの説明です。しかしその欲求を外化させるためには「環境の刺戟」による誘発が必要なのです。子どもは様々な刺戟に反応して「筋肉や器官」を通してそれらの刺戟に働きかけます。そのことを通じて刺戟は「さらに新しい刺戟」へと変化し、子どもはまたそれに働きかけるということを繰り返しながら、「さまざまな能力を所有してい」きます。しかしそのような相互作用は《主体内部と外部環境》という単純な図式において捉えるべきものではなく、環境から与えられる刺戟は「社会的な選択」を通じて子どもにもたらされるのです。

 勝田はアダム・スミスを引きながら、四節の結論部分へと進んで行きます。

【社会的分業が、人間の能力を多彩な質をもって生産するとともに、その社会は、軍事的・官僚的・経済的な才能を価値づけの系列化の基準として、社会体制のあり方に即して、その評価を変化させてきた。博覧強記の学者が現在でもその能力を高く評価されているのは中世的な僧侶の支配の残光かもしれない。アダム・スミスは、その神聖な能力観に現実的な社会的観点を代置したのである。
 しかし、資本主義の発展、さらに産業革命の進展とともに、新しい能力観が生まれてきた。近代的自然科学と技術の能力の尊重は、漸く現代にいたって一般化しつつあるといっていい。長い間学校教育でも、古典的な学問的能力と技術(テクノロジー)および自然科学能力の間には、一種の価値ヘゲモニーの闘争が続いてきた。もちろん、それは資本主義社会をいずれの能力がより「健全」に支えうるかという観点からである。】(P.48-49)

 社会的分業の発展が人間の多彩な能力を生み出し、同時に社会体制からの要求にしたがってそれら諸能力を価値づけし、系列化してきましたが、資本主義の発展に伴いそうした「価値ヘゲモニーの闘争」において「近代的自然科学と技術の能力」「古典的な学問的能力」に対して優位を示すようになります。ところが勝田は、そうした社会におけるヘゲモニー闘争をも反映して運営されているはずの学校教育について、以下のように興味深い指摘をしています。

【学校というものは、基本的には、社会が要求する能力観に規定されているのだが、しかし、その人的構成や組織からみて、伝統的な能力観を惰性的に保存する場所でもある。だからしばしば、社会的要求の代表者は、学校の沈滞や立ち遅れをもどかしく思いたがるものである。学校改革論はしばしばそういう要求にもとづいていることがある。現在でも「合理的要求」という形で、学力の向上のための学校改革が叫ばれているというのはそういう一面をあらわしている。
 しかし、学校という場所は、のん気な立ち遅れを保存すると同時に、異質の価値について、じっくりとしかも頑固に反省してみる機会をもつ場所でもある。子どもたち自身が、さまざまな異質の能力を、まだ不定の形で、しかもみずみずしい姿で示しているのを前にして、学校は、能力というものを、この子どもたちとこの子どもたちが住むべき未来の社会のために、どのようにとらえたらよいのかという切実な問いの前に立たされている。】(P.49)


 学校は「基本的には、社会が要求する能力観に規定されている」ものの、一方で「伝統的な能力観を惰性的に保存」してもいて、後者の側面は「社会的要求の代表者」から見れば「沈滞や立ち遅れ」であり、改革を要求すべきものです。ここからがおもしろいのですが、勝田は学校がそうした「のん気な立ち遅れを保存すると同時に、異質の価値について、じっくりとしかも頑固に反省してみる機会をもつ場所」だというのです。為政者・権力者ががもどかしく思う学校の「沈滞や立ち遅れ」を勝田は「のん気な立ち遅れ」と言い換え、その立ち遅れを「保存すると同時に」異質の価値を反省する場だと言うのです。内容上は異質の価値の反省ということが焦点なんですけれども、私は「保存すると同時に」という表現に勝田のしたたかさというか慧眼を感じます。そこでは学校関係者は時代遅れの古い考えにとらわれて新しい考え方を排除しようとしているとは捉えられていません。「のん気」はもちろん全面的な悪とは捉えられていないと思いますし、「保存する」も単に固執しているのではなくて《大切にする》というニュアンスを含んでいるように私には思えます。「異質の価値」すなわち学校教育への新しい要求について、すぐに飛びついてトレンドを追いかけるのではなくて「じっくりとしかも頑固に反省」して吟味すべきだと勝田は言っています。学校教育に対しては様々な外部からの批判がなされてきたし、学校はそれに対応しないわけにはいかないわけですが、しかし勝田は敢えて学校の《じっくり頑固に反省する機能・特質》をこそ大事にすべきだと強調しています。なぜそう言えるかについては、別の機会に勝田の学校論をきちんと学ぶ必要がありますが、ただここで強調されていることとして、学校においては「子どもたち自身が、さまざまな異質の能力を、まだ不定の形で、しかもみずみずしい姿で示している」という(宝物のような)事実があり、そこから謙虚に学びながら我々は能力というものをどう捉えるべきか改めて自問しなければならないと勝田は言います。


 さて、連載第41回(勝田13回目)から今回まで4回分を費やして、第一章人間の能力をどうとらえるかにおいて(五)能力の定義で勝田が能力の定義やその構成要素についての自説を展開するに到るまでに(一)能力と知能(二)知能をなぜはかろうとするのか(三)知能の高低は生まれつきか(四)能力に対する社会的刺激の各節で能力に関するどのような考察を行なってきたか、その流れを追いかけてきました。ここでそのまとめを行なっておく必要があります。
 勝田は(一)~(四)の各節でどのような問いを立てて考察を進めたのかを振り返ってみましょう。

 (一)能力と知能から見ていきます。ここで私は連載第41回(勝田13回目)における私の原典記述の見落としに気づきました。私の一節の読み取りを変更しなければならないほどの大きな見落としかどうかわからないのですが、《勝田が立てた問い》という視点から一節のおさらいを始めてみて気づいたことです。第41回連載における私の一節からの3つ目の引用箇所の後に、私が引用しなかった以下の文章があります。

【天才と白痴の間に、無限の段階があり、人々はその段階のどこかにいる。そして、それが正常分配曲線をなして分散しているとみるのは、合理的思考にとって誘惑に近いものだが、けれどもはたしてそれは、私たちの経験と、同時に私たちの確信にそうものかどうか。これがなによりも問題なのだ。】(P.26)

 何度も述べているように一節冒頭の記述は「人間がたがいに能力を競うという思想」の指摘から始まり、さらに競争の頂点に立ちうる才能を「天賦」としつつも、それが全く偶然に個人にもたらされるのではなくて「自然と社会の歴史の過程の結実として、個人に現れている」(つまりはそうした才能を結実させたい周囲の努力が実を結ぶ場合もある?)ととらえるのが常識的見解(悟性)だと勝田は述べています。その後に上記引用文が続くのです。
 様々な人間の才能が予め正常分配曲線上の決められた位置に位置づけられているという考え方が、これこそ「合理的思考」であるとの旗印の下に正当化されている。このことは、人間の才能を各種の《努力》によって変更し高めたいという願望や努力とは対立する。そこで、私たちの「経験」「確信」に照らして《人間の才能の正常分配曲線上の分布》説を検討しようというわけです。実はこれが一節の問題設定らしいのに、第41回連載執筆時の私は見逃していました。やはり大きな見落としのようです。

 一節ではその後、知能について、あるいはI・Qについて検討していき、節の末尾では、以下のことを結論づけています。
●I・Qの数値に「知的発達についての知的な刺激に富む環境の有無」が与える影響の大きさ(「すべてを環境に帰してしまう根拠が与えられるわけではない」にしても)
●「I・Qになにか実体的な不変な量を帰している」ことは「迷信」であること

 (二)知能をなぜはかろうとするのかの冒頭で勝田は、知能の「測定がなんのために行なわれるようになったかを考える」という課題を設定し、これによって「人間の能力というものの考え方を明らかにするという本来の課題に近づくことができる。」としています。前者が当面の(二節での)課題、後者が「本来の課題」です。「能力観」の追求という五節につながる基本課題のために二節の検討が行なわれます。
 上記のような課題設定ですが、勝田が知能の測定方法に主たる関心を置いていないことはいくつかの箇所(例えばP.35)で言及されています。勝田の関心事は知能の測定の目的・動機です。これについては連載第42回(勝田14回目)で原著P.35まで追跡した段階で私は回答を得ました。下に第42回の記述の一部を再録します。
     ここまででようやく、二節冒頭の勝田の問題設定(知能をとらえたいという動機は何か?)に対する2点の回答を辿ることができました。
     すなわち第一の動機は、親や教師が子どもの「頭のはたらきの程度」を把握してそれに対する適切な処遇を講じたいと考えること。
     また第二の動機は、企業における人材選抜やそこへ連動していく入試選抜の必要性。

 二節の後半では勝田は個人の能力をとらえるときにこれを二つ(言語的と非言語的実用的)に分ける伝統的傾向を問題にし、現代において前者を高く後者を低く見る傾向があるとした上で再び能力の「本質的規定」、すなわち、「能力を所有するのは個人だが、それが能力として認められるのは、社会的需要との関係においてなのだ」ということに注意を喚起します。能力と社会的需要との関係。少し違う表現ですが、再び一節冒頭の問題意識(人間が能力を競うこと)に戻っていると私は捉えました。

 (三)知能の高低は生まれつきかの冒頭では、能力を知能の問題から考えることの意義のおさらいとして、「『知能』は生まれつきの素質によるもので、生まれたときに個人には仕事の能力の未来の発達の可能性が、程度からいって、すでに配分されているという考え方を吟味する」という課題意識を確認します。一節冒頭の課題設定が再度確認されています。
 そして本節の末尾では、20世紀に入って以来、「私たちの先輩が、農民や労働者の子どもや『遅れた子どもたち』に人間的能力の発達を期待して、(中略)苦闘を続けた歴史を継承すること」が必要だとしています。つまり、知能やそれにもとづく諸能力が生得的社会的に決定されているという偏見が、教育実践を通じて実践的に打ち破られてきたということですね。

 (四)能力に対する社会的刺激では、「知能とよばれる人間的能力を発達の視点からとらえることの正しさ」「能力の社会的要求との関係についてみる」ことで確認します。様々な事例に触れながら、そこに示される人間の能力の多彩な可能性は社会的に見れば資本主義の要求により見出されたものだが、しかし社会がそうした多彩な要求を学校に突きつけるとき、学校はそれをストレートに受け入れるのではなく、そこに生活する子どもたちが「不定の形」で、「みずみすしい姿で」示す多彩な能力に学びながらそれをどう受けとめるかという問いを突きつけられていると勝田は捉えます。

 連載第41回以降、それまでの流れから脱線して第一章一節~四節における能力の規定や能力の構成要因の検討にどのようにつながるかの検討を行なってきました。その作業がようやくここで終わります。やってみたんですが、これで勝田が「能力論」を構成するための前提的考察の核心に触れることができているのかどうか、心許ないところがあります(私の自己満足としては、47年前の卒論執筆時と比較して第一章の一節から四節までをはるかに深く理解することができたという実感はあるのですが)
 さて今後ですが、第一章(五)能力の定義については連載第31~33回(勝田3~5回目)で取り上げ、さらに連載第40回(勝田12回目)で再吟味しています。合計4回分を五節に費やしていますので、その後の第41回から今回までの4回分の検討を踏まえてもう一度五節に言及することはやめようと思います(それは自分個人の勝田の読み深め作業として残します)
 今後ですが、第一章六節から八節までの検討を続けることも考えましたけれども、すでに第一章(八)学力とはなにかについては連載第34回(勝田6回目)で言及しており、その後は卒論での引用箇所との関係で第二章人間が成長するとはどういうことか(八)状況的思考と言語的思考(九)思考の社会化(連載第35~38回・勝田7~10回目)、(十一)思考の二つの類型(連載第39回・勝田11回目)まで連載は進んできています。これ以上考察の筋道を複雑にしないためにも、次回からは卒論叙述での勝田引用の流れに話を戻したいと思います。卒論で幼児の思考に関する考察を終えて小学校の児童の認識発達に移る部分からであり、対応する原著の箇所は第二章(十二)社会生活と発達からとなります。


(「63 【アイカイブ16-3】 京都教科研連載「私の研究ノート」第29~49回 勝田守一『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(1964)〔3分の3〕」に続く)

コメント

このブログの人気の投稿

42 読書ノート 児美川孝一郎『新自由主義の40年 「生き方コントロール」の未来形』(青土社)

43 教育学文献学習ノート(35)児美川孝一郎『新自由主義教育の40年―「生き方コントロール」の未来形』(2024)の学びを深める

52 教育学文献学習ノート(39)浦田直樹「『人間のぬくもり』を生み出す教育実践―秋桜高校の実践記録―」(日本臨床教育学会編集『臨床教育学研究』第13巻)