63 【ア-カイブ16-3】京都教科研連載「私の研究ノート」第29~49回 勝田守一『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(1964)〔3分の3〕
連載・私の研究ノート(第45回) (京都教科研通信第385号 2025.3)
勝田守一『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(1964) 【17回目】
本連載も45回目となりました。皆様、長い連載におつきあいいただきありがとうございます!
これまで、以下のことについて書いてきました。
第1回(2021.3 通信337号) 自己紹介
第2~9回(2021.4-11 通信338-345号) 坂元忠芳『感情と情動の教育学』(2000)を読んで(その1~8)
第10回(2021.12 通信346号) 「連載・私の研究ノート」第9回目までを終えて
第11回(2022.1 通信347号) 神代健彦編『民主主義の育てかた 現代の理論としての戦後教育学』(2021)(その1)はじめに(神代健彦)
第12~13回(2022.2-3 通信348-349号) 神代健彦編『民主主義の育てかた 現代の理論としての戦後教育学』(2021)(その2~3)第7章教育的価値論―よい教育ってどんな教育?(神代健彦)
第14~20回(2022.5-11 通信351-357号) 神代健彦編『民主主義の育てかた 現代の理論としての戦後教育学』(2021)(その4~10)第8章民主教育論―身に付けるべき学力として(中村(新井)清二)
第21~25回(2022.12-2023.4 通信358-362号) 神代健彦編『民主主義の育てかた 現代の理論としての戦後教育学』(2021)(その11~15)第2章「私事の組織化」論―教師の仕事にとって保護者とは?(大日方真史)
第26~28回(2023.5-7 通信363-365号) 吉益敏文「生活綴方を実践する教師の『まじめさ』に関する考察―5人の教師の聞き取りから―」(武庫川臨床教育学会『臨床教育学論集』第14号2022.12.10所収)
第29~44回(2023.9-2025.2 通信367-384号) 勝田守一『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(1~16回目 ※継続中)
連載第20回・中村(新井)清二論文検討の最終回で、私は連載を読んでいただいた芦田安正氏、岸本清明氏からのご意見を踏まえて、叙述を補足しました。このことを含めて、これまでの連載の過程で読者のみなさんから京都教科研通信を編集していただいている吉益敏文先生宛てに私の連載へのご感想・ご意見が寄せられると知らせていただいたり、またその一部を京都教科研通信に掲載していただいたことが何度かありました。一番最近では前号=384号(2025.2)にFさん、Gさん、Hさんのご感想が掲載されました。ご感想をいただいた3人の方にお礼を申し上げます。そして今回は、勝田『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』の検討作業を先に進めることを1回お休みして、3人の方のご意見にお応えしたいと思います。
なお、今後も私の拙い連載に対して、吉益編集長宛にご意見やご質問をいただくことも歓迎いたしますが、私に対して直接連絡をいただいてもかまいませんので、今回から連載の冒頭に私のメールアドレスを掲載しました。また、過去の回でも書いたかもしれませんが、私は「佐藤年明私設教育課程論研究室のブログ」というweb pageを持っています。実はこれまでの私の連載での神代論文、中村(新井)論文、大日方論文、吉益論文については、いずれも同ブログに字数無制限で好きなように書いて掲載した文章を、当連載用に再構成して掲載したものです。一番最初に取り上げた坂元先生の著書は、まだ自分のブログを持っていない時期にfacebookに投稿した文章を再構成したものです(現在継続中の勝田本のみ、文献やそこから私が学びたいことの量が膨大であるため、先にブログに書いてからではいつから連載用に書き直せるか見通しが立たないので、直接連載の文章として書いています)。ブログには当連載関連以外にもいろいろ書いておりますので、ご覧いただけるとありがたいと思い、メールアドレスの下にURLを掲載しました。
前置きが長くなってすみません。それでは3人の方のご感想を読んでの私の意見を書きます。
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Fさん
通信 383 号の勝田論文「能力と発達と学習」の紹介を拝見しました。
ピストル強盗殺人犯で未成年(犯行時)ながら死刑になった永山則夫を思い出しました。 本人が書いた「無知の涙」を読むと、人間の可変性、可能性について考えさせられます。
北海道の網走で、波止場の魚を拾って生き延びた少年時代、字も書けないまま中学校を卒業。逮捕・裁判・死刑確定の拘禁生活での学び。紙の余白もないほどのギッシリと難しい漢字が詰まった、獄中での学習ノートには圧倒されます。自伝、小説や評論を発表するまでに変化しました。新たな知識を得たから、何か作品を発表したからと言うよりも、そのプロセスに 人間の可能性を強く感じます。勝田論文が提起する「遺伝か 環境か」の問題は永遠のテー マです。軽はずみに結論を出すことは許されません。ナチスの反対派、ユダヤ人などの虐殺に先だって、「不良遺伝子」の保持者である「障がい者」がナチスによって大量に殺されました。学校、いわゆる慈善施設、病院などがその尖兵になり、「青いバス」に乗せられて処刑場へ送られました。通信では常に根本問題を取り上げ続けてこられました。勝田論文が1964 年発表と知り、80 年前の論文を今なお研究されている姿勢に感服します。
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Fさん、『無知の涙』のご紹介ありがとうございました。1968年の永山則夫による連続殺人事件や、そのうち1件の現場が京都市内の八坂神社であったこと、また服役してからの永山が歌人として活動し高く評価されていたことなどは私も以前から知っていましたが、それ以上のことは知りませんでした。『無知の涙』は断続的に2週間ほどで読みました。正直、読み続けることに難渋しました。Wikipedia「永山則夫」の記載(どれくらい正確なのかわかりませんが)を参照しながら読みました。私が読んだのは1971年の初版本ではなく1990年の「増補新版」(河出文庫)で、初版や角川文庫版(1972)と異なり、永山が「無知ノ涙」と題して書いた「ノート」のNo.1-10の全てを収録したものです。執筆時期は1969.7.2-1970.10.30の約1年4ヵ月間であり、「ノート1」は東京地裁での第一審初公判(1969.8.8)の約1ヵ月前から始まっています。Wkikipediaには裁判過程とそれへの永山の対応についての詳しい紹介がないのですが、一審判決はなんと裁判開始から10年後の1979.10であり、永山は死刑判決を受けています。その後二審の東京高裁判決(1981.8.21)は一審判決を破棄して無期懲役、さらに最高裁小法廷判決(1983.7.8)は二審判決を破棄して差し戻し、東京高裁差し戻し審判決(1987.3.18)は死刑、永山は上告しましたが最高裁第二次上告審(1990.4.17)は上告を棄却し、死刑判決が1990.5.9に確定しました。1997.8.1に永山の死刑が執行されました。
永山が殺人事件を起こした当時、私は中学校2年生でした。当時は世間で大きく騒がれたので、もちろん事件のことを認識していましたが、死刑判決確定の1990年、死刑執行の1997年は私が三重大学に赴任して初期の頃、年齢は35歳、42歳の頃でしたが、当時永山について話題になったことは知っていたでしょうが、今では全然記憶にありません。
ところで、Fさんが私の383号連載(第43回・勝田15回目)から『無知の涙』を想起されたのは、「知能の発達」ということをめぐる《遺伝》《環境》の二要因と関連してでしょうか。
1969.7.30に他界した勝田は、病床で永山の事件について知っていた可能性もありますね。そこはわからないし、また『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』執筆の時点では永山の事件は起こっていないので、そこでの勝田の思考とは無関係なんですが、私には『無知の涙』を読むことで思いあたった勝田の言説があります。私は連載と並行して「勝田教育学ゼミナール」という小さなサ研究会に参加しており、これから書くことはたしか勝田ゼミの方で話題にしたことで連載ではまだ言及していなかったのではないかと思いますが、『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』第二章「(二)言語と思考」の中で勝田は次のように書いています。
【私たちは学校の引き受ける子どもたちが、それぞれの過去を背負っていること、そしてその過去が、かれらの現在の発達に影響を与えているということを認識することによって、私たちの子どもをとらえる眼は、いっそう正しくなるはずだということだけをいっておきたい。】(P.92)
つまり、子どもの発達を論じるときに遺伝か、環境か、生まれつきか生まれてからかというような二者択一的な机上の議論に流れがちだけれども、実は子どもが生まれてから育っていく環境の中で、生まれたときはどうかわからないけれども内在的に可能性として保持している能力が実際に発揮できるのかできないのかということが大きく左右されてくるということ、言わば《その子の生育史の中での生活経験の積算》として《現在のその子の能力》を捉えるならば、その子に即しての処遇が大切であるということに思いを致すことができるはずだ、ということだと思うのです。末尾の「だけをいっておきたい」に、私は学校生活で自分のせいではないのに正当な処遇を得ることができていない子どもの存在に対する勝田の怒りを感じます。
永山の著作や永山に対する論評を、申しわけありませんがこれ以上読むつもりがないので、想像でものを言ってしまうことになりますが、4人の連続殺人を犯した永山に対して世間は驚くとともに、おそらくマスコミ・評論家・犯罪研究者等が、《恵まれない家庭環境で学校教育もろくに受けられず、仕事も転々とする中での社会への怨恨》的なことを犯罪行動の原因として書き立てたことと想像します。そして一方、永山が獄中で膨大な本を読み、あるいは裁判の過程で新左翼系学生と交流したり、面会に来る人々との交流などの中で膨大な知識体系(読んでみていい加減な部分も多々ありましたが)や世界観を築き、それを看守や弁護人に主張したり裁判でも発言したり、あるいはいくつもの著作を出版したことなどが世間に知れるにつれ、著名人の延命嘆願が行なわれたりして、永山は殺人者、のちには死刑囚でありながら世間の一部から高く評価されます。そのような永山の「才能」に驚くとともに、《違った環境に育っていれば一般社会的にも高く評価される人間になったのでは》というたらればの議論もできます。
ただ、永山の膨大なノートをなんとか通読して私が把握し得たことは、本書の文章がまだ拘留初期で裁判も始まった段階のものであり、一審死刑判決も結果的にはるかに先となる時期の述懐であるにも関わらず、永山が自分の運命を《死刑か自殺か》の二者択一でとらえていること、また犯罪被害者の家族への自責の念は表明しながらも自分の犯行を社会への挑戦・仕返しとして正当化していることです。いつかはわからないけれど刑の執行によって消える自分の命だと自覚しながらも、なぜ彼がマルクス主義思想を始め哲学・経済学・心理学等々の文献を貪るように読み、書き写したのか? 彼の「学習意欲」とは一体何だったのか? 確かに教育学研究者としては興味もあるところではありますが、私としては永山に関わる思考はここまでとしたいと思います。せっかくご紹介いただいたFさんに対して失礼な書き方になっていましたら申しわけありません。捉え方の違い、ということで御容赦下さい。
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G さん
佐藤年明さんの連載を、毎回読ませてもらっています。難しい回が多いです。勝田守一の『能力と発達と学習一教育学入門 I』を読まねばと思いながら、まだ入手していません。理解不十分ですが、今号の内容は、とても惹かれます。
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Gさん、コメントありがとうございました。「難しい」と感じられる部分を、2、3の事例でもいいですから、ぜひ御指摘下さい。幸い吉益先生が字数制限も連載回数制限もせずに自由に書かせて下さっていますので、一度論じた部分を後にもう一度わかりやすく説明し直すということも可能です。
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Hさん
佐藤年明先生の報告、遺伝か環境かについて興味深い論考でした。人間は教育によって変えられるのか、いや変わるのか、それ以前に人間はもともと多様に作られていることを感じさせられる論文でした。
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Hさん、コメントありがとうございました。勝田の人間の捉え方はとてもやわらかく、そして深いと思います。約60年前の文献を読んでいるわけですが、私は「古い」とは思いません。高度成長期以降でしょうか、社会も人間もどんどん新しく変わっていく、それがいいのだ、という風潮もあると思います。しかし60年前の人間、子どもと現在の人間、子どもを比べて、後者が「新しい」と言えるのでしょうか? 《古い-新しい》というような尺度での人間の捉え方は、Hさんもおっしゃる《人間の多様性》ということを括らせてもう一度捉え直す必要があると思います。
最後に改めて、私の連載に対してなんでもかまいませんので感想・意見・質問などをお寄せいただきますよう、お願いします。私は向こう数年間は週1コマの大学非常勤講師を続ける見込みですので、集中的な思考を要するこの連載の執筆作業は春休み(2~3月)や夏休み(8月)にかためて行ない、数回分の原稿を吉益先生にまとめて送ります。したがって、連載へのコメントをいただいてもそれへのリプライが数ヶ月後(次の集中執筆時期)になる場合もありますが、その点は御容赦下さい。
連載・私の研究ノート(第46回) (京都教科研通信第386号 2025.4)
勝田守一『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(1964) 【18回目】
連載第42-44回(勝田14-16回目)の原稿は昨年9月初めに執筆しました。年が変わり1月中旬から執筆を再開しようと考えましたが、まず前回はこの間私の連載に対していただいたご意見にお応えする回としました。そして今回から勝田からの学びを再開するわけですが、私は70歳を越えて記憶力が衰え、自分の書いたことを忘れています(^^;)ので、2023年秋から開始した本連載の勝田シリーズの最初からもう一度読み直しました。1年6ヵ月前から半年前までの自分に教えられて再学習をしました(実は1月頃にひととおり再読したのですが、2月号(第45回連載)を別内容にしてしばらく間が空いたので、再々読しました^^;)。
2ヵ月前の第44回(勝田15回目)の末尾で予告したとおり、今回からは再び卒論叙述での勝田引用の流れに話を戻したいと思います。
長くつづけている勝田『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』の検討作業なのでおさらいをしますが、
⚫連載第29回(勝田1回目)でまず勝田の著書の章節構成を紹介し、続いて勝田の同著書にかなりの程度依拠して書いた私の卒業論文「社会科教育における児童の認識形成過程についての検討」(1977)の章節構成を紹介しました。
⚫第30回(2回目)で私の卒論「第二章児童における社会認識の発達と学校教育の役割」の「第一節認識の能力とその発達」の全文を紹介しました。
⚫第31回(3回目)からは、私の卒論第二章第一節の文章を細かく区切って再度紹介しながら、私が卒論の各部分で引用参照した勝田の記述の原典(あくまで卒論で言及した部分を中心に、ですが)にあたり、それを吟味する作業に入りました。第31回(3回目)~第33回(5回目)は、勝田「第一章人間の能力をどうとらえるか (五)能力の定義」を検討しています。
⚫第34回(6回目)は、勝田「第一章 (八)学力とはなにか」を検討しました。
⚫第35回(7回目)~第38回(10回目)は、勝田「第二章人間が成長するとはどういうことか (八)状況的思考と言語的思考」「同 (九)思考の社会化」を検討しました。
⚫第39回(11回目)は、勝田「第二章 (十一)思考の二つの類型」「同 (十二)社会生活と発達」を検討しました。
⚫第40回(12回目)~第44回(16回目)は、「勝田守一教育学ゼミナール」に参加したことをきっかけに改めて自覚するに到った、自分の卒論当時の勝田の読みが一面的であったという反省を踏まえて、卒論で最初に注目した「第一章 (五)能力の定義」に到るまでの勝田の叙述を遡って学び直すこととし、具体的には「第一章 (一)能力と知能」「同 (二)知能をなぜはかろうとするのか」「同 (三)知能の高低は生まれつきか」「同 (四)能力に対する社会的刺激」を検討しました。第44回連載の末尾でその4回分の作業・学びのまとめをしました。
⚫第45回(17回目)は、この間いただいた読者の方々の感想・意見を紹介し、自分の意見を書きました。
そういう流れでしたので、今回からは第39回(11回目)の続きとして、卒論で幼児の思考に関する考察を終えて小学校の児童の認識発達に移る部分からです。6回前の連載からの続きで時間が空いていますので、念のために第39回(11回目)連載中の卒論引用の最後の一段落を再度引用し、(1行空けて)さらに続く部分に入ってきます。
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ところで6、7歳になると、幼児のことばにおいて非日常的な、あるいは幼児の経験の外にあることがらを示す概念は「依然として主観的な…(中略―引用者)…色彩をもったまま残されている」(P.139)が、一方で幼児の「実用的知性の能力」(P.139)は、日常的な限られた状況ではかなり的確にはたらき、そこで「自発的に生まれた概念は、科学的ではないにしても、有効に目的志向的な行動を組織できる」(P.139)のである。そして、幼児が社会的な知識・技術や事物に関して自発的に形成した概念は、実用的もしくは伝達可能である限り、幼児の生活において許容されており、概念の意味や操作が客観的に正しいものであることをほとんど要求されない。
学校に入学してはじめて、児童は「科学的思考や組織的な技術の発達をめざして、その基礎としての文字や記号の基本的操作」(P.110)の組織的な教育を受ける。従って学校教育は就学前の幼児の発達段階に依拠して行なわれるとともに、認識の発達の「異質の契機」(P.141)を持ち込むのである。「異質の契機」とは、文字や記号を媒介として、児童の経験から独立した科学的概念を獲得すること、すなわち「シンボル自身のもつ相対的に独立な可能の世界がそれ自体として開かれていくこと」(P.141)である。
就学前の幼児の日常的経験とそこで形成される自発的概念は、全く科学的な要素を含んでいないわけではない。しかし科学的思考は児童が直接に日常的経験を再構成するだけでは獲得されず、社会的に形成され、歴史的に蓄積された人類の知識を自己の所有とすることが不可欠なのである。
だが、科学の学習に論究する前に、学校における言語の学習の意義にふれておく必要がある。学校において児童は、教師の援助のもとで文字の獲得を含む言語の意識的使用の訓練を行なう。教師が児童に対して要求の説明や過去の行動の再現を求め、ことばを意識的に使用させることにより、児童は表象を明確化し、ばらばらな経験や印象を相互に関係づけ、統一的にとらえる訓練を行なっていく。この過程で児童は事象の状態や運動、事象の関係をあらわす言語の規則を学習するとともに、印象や表象が「自己に属するもの」(P.161)であることを次第に意識化していく。つまり、言語の意識的使用を通じて「主体が対象と自分を区別し引きはがす意識」(P.138)が成立するのであり、このことは科学的認識、すなわち事象の客観的統一的認識の形成の重要な基礎となるのである。
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「児童は…」ということで、小学校教育に関する記述に移りました。この部分の引用は「第一章 (六)発達と学習」から始まりますが、その後「第二章 (十二)社会生活と発達」に移動し、さらに「第三章人間の学習を指導する条件はなにか (五)行動の言語化」へ飛び、さらに「第二章 (十二)」へ戻ります。48年前の私の論述は、《勝田の文脈に沿って学びとる》ことになっていませんが、これまでの連載記述との整合性を考慮して、卒論の叙述から勝田の原典を辿る作業を続けます。
幼児期から児童期に引き継がれている(と、私は捉えました)「実用的知性の能力」(P.139)関連の勝田の記述については、既に連載第39回(勝田11回目)で検討しました。その続きからです。
小学校入学に伴う「科学的思考や組織的な技術の発達」の「基礎としての文字や記号の基本的操作」(P.110)の学習。これ自体は常識的な捉え方と言えるので、取り敢えずスルーしておきます。後で立ち戻ることになるかと思いますが。
次にその小学校入学以降の教育が、子どもに対して認識発達の「異質の契機」(P.141)すなわち「シンボル自身のもつ相対的に独立な可能の世界がそれ自体として開かれていく」(同)。「たとえばそれ自体の規則をもつ数の世界が、文字や記号の学習を土台として子どもに発見される機会が必要なのである。」(同 下線は佐藤)ということ。これも、小学校の学習入門期に国語や算数で文字や数の操作の基礎を学ぶんだという誰でも知っていることととらえると、すっと通りすぎてしまいそうですが、勝田が「子どもに発見される機会」と書いていることがとても重要だと私には思われます。22歳の私が卒論で引用している「異質の契機」について、原文にきちんと立ち戻ると、勝田は次のように書いています(第二章 (十二)社会生活と発達)。少し前まで戻って引用します。
【子どもが科学的思考を発達させ、そのために科学的概念という、人類の知識の遺産を組織的に整理したものを学ぶのは、学校においてである。そして、学校は、文字を覚えさせ、思考を明確にする努力を通して、この仕事を積み上げていくという任務をもっている。私たちが、定型をもって組織された教育とよぶものがここからはじまる。
子どもは日常的な生活的概念をかなり豊富に所有しながら、しかも科学的な概念については全くといってよいほど無知なのである。子どもの日常的概念の中に、科学的な要素がすでに含まれているのを認めるのはそれはもちろん正しい。ピアジェがいうように、日常的生活の中で子どもが自分でつくりあげた(もちろん社会とのかかわりの中で)概念は自発的である。
この自発的概念は全く非科学的であるといういい方は正しくない。そこには、科学的なものが含まれている。だから、科学的な概念を形成するには、その科学的な要素を拡大するように再構成させればよいと考えられる。確かにその通りである。そのかぎりでは、経験主義の教育もまちがってはいない。
しかし、再構成ということがここでは問題なのだ。私たちが、しばしばみてきたように、人間の発達は決して連続的なものだけではない。日常的経験がそのまま連続して合理的な思考の能力に育っていくのではない。そこには、媒介が必要であり、異質の契機が求められるのである。シンボル自身のもつ相対的に独立な可能の世界がそれ自体として開かれていくこと、たとえばそれ自体の規則をもつ数の世界が、文字や記号の学習を土台として子どもに発見される機会が必要なのである。
もちろん、そのような世界が、個人の心の中で孤立していたり、それ自身で完結しつくしている観念の世界だというのではない。それは、実在する世界の反映なのだが、その反映の仕方は、反映ということばではつくしがたいほどそこには人間の作業の歴史的な努力が折りたたまれている。】(P.140-141 下線は佐藤)
長い引用になりましたが、勝田の叙述の《ニュアンス》を把握するためには必要でした。
48年前の22歳の私は、勝田の叙述のこの部分にもとづいて、学校教育が「認識の発達の『異質の契機』(P.141)を持ち込む」と書いています。持ち込む、誰がでしょうか? 私の文章では主語は「学校教育」です。一方勝田は、「異質の契機が求められる」と書いています。受動態表現ですが、《この状況において一般的に》というような意味かと思うので、誰が求めるのか?という問いはあまり意味がないかもしれません。
「契機」とは、「物事の成立に直接かかわる本質的要素。」(新明解国語辞典)とあります。幼児期から児童期への子どもの移り行きの過程において、「日常的経験」(にもとづく思考)は「合理的な思考の能力」とは「連続」しておらず、つまり断絶している。「日常的経験」と「合理的な思考」の間には「媒介」が必要であり、「日常的経験」がなんらかのことがらに「媒介」されることで「合理的な思考の能力」に育っていくためには、「異質の契機」、すなわち日常的経験の成立要件とは根本的に違う新しい《本質的要素》が求められるということですね。
その《本質的要素》とはどのようなものなのか? 勝田は「シンボル自身のもつ相対的に独立な可能の世界」と言ったり、もう少し具体的に「それ自体の規則をもつ数の世界」と言ったりしますが、それは言わば認識の《対象》の側の事柄ですよね。私が注目するのは、勝田がそれらの世界が「それ自体として開かれていく」「子どもに発見される」と表現していることです。
私は連載第38回(勝田10回目)の中で、勝田「第二章(九)思考の社会化」から以下の記述を引用しました。
【ここで問題なのは、子どもが主観性(中心性)を離れて、客観的な、つまり論理的な思考を形成するのは、おとなの言語や思考が外がわからはいりこんできて、子どもの主観的な思考を押しのけていく過程だろうか。】(P.128)
【ピアジェの中には、社会の歴史の中で蓄積されてきた概念の体系が、子どもたちの中に同化されて、見地の転換が自由にできるようになり、しかも、社会的に確立されてきた思考の規則(規範・義務)が、最初には習慣の規則のように子どもを拘束しているうちに、次第にそれが正しい思考の操作を可能にする客観性の保障になるという考え方が支配的である。】(P.128)
ここで勝田はピアジェの見解に疑問を呈しています。乱暴に要約すると、《子どもの論理的思考は大人によって外から「型押し」されて形成されるものではない》ということだと私は理解しました。このことと第二章(十二)の記述が繋がっている、と私は考えました。
子どもの日常的経験にもとづく思考と合理的思考の間には断絶があり、後者が成立するためには「異質の契機」が必要である。しかしその「契機」とは《大人が持ち込んだ論理をそのまま受け入れること》ではない。合理的思考の世界は、子どもの中に「開かれていく」のでなければならず、「子どもに発見される」ことが必要なのである。つまり、論理の世界を受け止め、受けいれ、自らのものとしていくために、子どもの思考や感情やおよそ経験総体がどう耕され、豊かになっていくかということがきわめて重要だと勝田は言いたかったんじゃないでしょうか。現在の私はそう理解するのです。しかし48年前の私は、そこを《小学校における科学の学習の開始》とささっと受け止め、「その前に」として「言語の学習」を取り上げています。そこで私が言語の学習に関する記述で引用した勝田の叙述を見て見ましょう。 (次回=第47回に続く)
連載・私の研究ノート(第47回) (京都教科研通信第387号 2025.5)
勝田守一『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(1964) 【19回目】
(承前)
私が言語の学習に関する記述で引用した勝田の叙述を見て見ましょう。まず、前の引用箇所からうんと飛んで「第三章人間の学習を指導する条件はなにか (五)行動の言語化」から、子どもが「印象や表象が『自己に属するもの』(P.161)であることを次第に意識化していく。」として、「自己に属するもの」という叙述を引用しています。
【ここで重要なことは、印象や表象をことばによって再現することは、子どもが社会的なものである言語の規則を学びながら、それらを統一にもたらす努力によって、自己をそれだけ意識的な存在に高めることを知ることなのである。子どもは、そういう努力によって、印象や表象が自己に属するものであることを次第に意識するようになる。ことばで再現された要求や過去の行動場面に自分がいるという意識が、次第にそれに対応しなければならない。
科学的認識を可能にする主観は、成長の過程で形成されるものだ。これが学習訓練によって達成されると考えるところに、教育が成り立つ。教育とは、一面では、行動の言語化の過程だといってもよい。】(P.161 下線は佐藤)
前回(第46回)、勝田が「合理的な思考」は「実在する世界の反映なのだ」という反映論の立場をとることを表明しつつ、しかし「その反映の仕方は、反映ということばではつくしがたいほどそこには人間の作業の歴史的な努力が折りたたまれている。」(P.141 下線は佐藤)として、《反映という後に安住せずに人間の合理的思考が周囲の世界を把握する過程を丁寧に丁寧に把握すべきだ》ということに注意を促していたことを見ました。上記引用はそこから繋がる問題意識で書かれていると私は思います。
つまり、「印象や表象」を「ことばによって再現する」という行為を通じて、それが「自己をそれだけ意識的な存在に高めることを知る」こと、「印象や表象が自己に属するものであることを次第に意識するようになる」こと、「ことばで再現された要求や過去の行動場面に自分がいるという意識」を持つこと、と、勝田が三回もたたみかけるように強調しているのは、子どもが言語による思考を通じて外界を把握することと《同時に併行して》、自分が印象や表象を把持する存在であり、そうした思考活動を言語で表現することができる存在であるという、言わば《メタ認知》(勝田は使っていない用語ですが)を持つことが大事だということ、外界の客観的事実が存在し、それが判で押すように子どもの意識にインプットされるという《機械的反映論》ではなく、外界を認識しながら、そういう認識の道具を形成しつつある存在である自分自身をも《メタ認知》できるということが子どもにおける合理的思考の形成過程であると勝田は述べていると私は解釈します。
ここでまた引用箇所が飛んで、「第二章 (十二)社会生活と発達」へ戻ってきます。前に引用していた箇所の2ページほど前の、(十二)の冒頭の部分です。言語の意識的使用を通じて「『主体が対象と自分を区別し引きはがす意識』(P.138)が成立する」というくだりです。ここも前後の部分を含めて原典の叙述を見てみます。
【人間の能力は、まさに社会の中で発達する。ことばも、道具も社会的なものである。だから、はじめから人間の子どもの思考もことばも社会的である。しかし、だからといってそれは社会化されているのではない。社会化の過程は、決して一方交通的な進み方ではない。
一つは、主体が対象と自分を区別し引きはがす意識、他方では主体どうしの間での自他の明確な区別の意識、つまり自我の意識、の成長が、まさに社会化の契機なのである。その過程で、子どもたちは未来の可能性を秘めながら、まわり道をとる。ピアジェが自己中心性とよんだものがその一つである。それは言語に即していえば、ヴィゴツキーが正しくとらえたように、内言の形成のための必然的な段階である。中心性という主観的な性格を帯びながら、状況の問題解決に、新しい可能性を開いていく構想を、ことばの発生という物質的支えによって遂行していく努力がそこにあらわれている。】(P.137-138 下線は佐藤)
一つ原典の文脈として無視できないのは、私が卒論でそこだけ引っ張ってきた「主体が対象と自分を区別し引きはがす意識」は、もう一つの「主体どうしの間での自他の明確な区別の意識、つまり自我の意識」とセットで、「社会化の契機」と把握されていることです。ただ、対他意識=自我の問題は卒論のこの部分での私の問題意識になかったことなので、今は措きます。また、子どもの思考の自己中心性(中心性)をめぐるピアジェとヴィゴツキーの議論については、本書「第二章 (四)ヴィゴツキーとピアジェ(1)」「同 (五)ヴィゴツキーとピアジェ(2)」「同 (七)発達と教育」などにおいて勝田が取り上げていることですが、ここでの佐藤卒論叙述と勝田原典の対応の検討作業からは外れることですので、やはり横に置きます。そうすると当然原典の叙述の検討が一面的なものとなりますが、私はここで48年前の私の思考に寄り添いながら考えたいと思います。すると、前の部分の原典検討から引き出した、子ども自身が思考をしながら自分が思考しているという行為自体を意識できるという《メタ認知》の力を言葉を替えて表現すると、この部分で言う「主体が対象と自分を区別し引きはがす意識」ということになるだろうということです。そしてこの部分の細かい叙述には立ち入りませんが、子どもはその「引きはがす意識」を簡単に持つわけではなく、「中心性という主観的な性格」や「ことばの発生という物質的支え」を複雑にくぐりながら次第に獲得していく、ということではないかと思います。
さて、卒論では言語の学習について検討した上で、それに支えられて進行する科学の学習の検討に進みます。
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以上、話しことばを獲得しはじめる時期の幼児から、学校に入学し、教師の援助のもとに文字の獲得を含む言語の意識的使用の訓練をはじめる時期の児童に至るまでの認識発達の過程を言語の役割を中心にみてきたが、それでは学校において言語を媒介として行なわれる科学の学習は児童の認識発達といかにかかわるのか。
勝田によれば、科学とは、「人類がその生存にかかわる諸問題を解決する努力の過程で、自然と社会(人間それ自体をも含めて)の実在について試みる合理的思考と、その結果として所有した知識の組織」(P.174)のことである。現代の科学は概念の組織、ことばや記号であらわされる論理的体系として存在している。しかし人類の歴史的発展過程において、科学的思考は環境にはたらきかけてこれを変革する生産労働を通して深められてきたのである。すなわち生産労働は「事物の諸性質あるいは諸形式をあるい分け離し、あるいは再び結びつけて、新しい価値をもつ事物を生み出」(P.175)す過程であり、それを通じて事物の性質と運動に関する認識が深められる。従って科学の学習、すなわち児童における科学的認識の発達とは「実在とかかわりをもちながら組織された知識の意味を理解し、それを所有する過程」(P.174)であると同時に、「概念の形で知識を操作しながら、さらにいっそう広くまた細い網の目を織りなして、実在する事物の関係をとらえる能力が成長すること」(P.174)でなければならない。
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ここでの原典から4か所の引用は、「第三章 人間の学習を指導する条件はなにか (八)文字記号と科学的認識」からのものです。卒論での取り上げ方と前後している部分もありますが、ここについても前後を含めて原典の該当部分を紹介します。
【第一の問題は、科学とはなにかということであり、さらに、子どもの科学的認識の発達とはどういうことかということであった。そこで、私たちは、科学とはなにかという途方もなく大きな問題にとりくまないわけにはいかないのである。もちろんここでは、それを先にいったように、「科学的認識の発達」の立場からとらえるという特殊な仕方で果たさなくてはならない。いいかえれば、現代の発達した科学の段階で、子どもの成長にとってそれがなにを意味するのかという仕方でとらえられなくてはならない、ということなのである。
科学とは、人類がその生存にかかわる諸問題を解決する努力の過程で、自然と社会(人間それ自体をも含めて)の実在について試みる合理的思考と、その結果として所有した知識の組織のことである。それを知識の組織の側からみると、現在、人類は無数に分岐した対象領域にわたる「科学」を所有している。またそれを諸問題の解決の努力の過程の側からみれば、つねに新しい真実の発見と技術の創造・発明のいとなみとなってあらわれている。
科学的認識の発達とは、実在とかかわりをもちながら組織された知識の意味を理解し、それを所有する過程である。また、それだけではなく、概念の形で知識を操作しながら、さらにいっそう広くまた細い網の目を織りなして、実在する事物の関係をとらえる能力が成長することなのである。】(P.173-174 下線は佐藤)
【ところで、実在の認識は、環境にはたらきかけ、これを変化させる人間の労働を通して深められてきたものだ。人間は、事物の諸性質あるいは諸形式をあるいは分け離し、あるいは再び結びつけて、新しい価値をもつ事物を生み出しながら、事物の性質と運動について思考を深めてきた。】(P.175)
上記2つの原典記述から私の卒論では4か所を引用していますが、原典の叙述の流れとの関係では一つめ・三つめ・四つめがP.174からであり、間の二つめに少し離れたP.175から引用しています。卒論の叙述では、勝田P.174に従って、科学を人類史における自然・社会(人間)を対象とする合理的思考思考の所産としての知識の組織であると捉え、ついでその科学的思考は生産労働を通じて深められてきたものであるとして、勝田P.175から生産労働が事物の性質・形式の分離と結合の行為であってそのことを通じて自分の性質・運動を認識する(=科学的認識)ことを押さえた上で、P.174に戻って科学的認識の発達が➀実在との交渉による知識の獲得・所有、②概念としての知識を操作して実在の関係をとらえる能力の成長、という二側面を持つことの理解に達しています。 (次回=第48回に続く)
連載・私の研究ノート(第48回) (京都教科研通信第388号 2025.6)
勝田守一『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(1964) 【20回目】
https://gamlastan2021.blogspot.com/2022/08/blog-post.html
(承前)
とりあえず、続く卒論「第二章児童における社会認識の発達と学校教育の役割 第一節認識の能力とその発達」の末尾部分まで進んでしまいましょう。
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以上のような勝田の見解は学校教育と児童の認識発達の関係について次のような重要な指摘を含んでいた。
第一に学校における言語の意識的使用の訓練を通じて自己に属する印象や表象を客観的実在と区別し、またことばとそれが意味するものとの客観的な対応関係を学習する。すなわち言語の意識的使用が客観的認識の発展の重要な契機となる。
第二に、科学は人間の歴史的発展過程における認識の成果であり、言語によって表現される論理的体系として存在している。従って児童が人間の認識の歴史的成果を自らのものとするためには、文字や記号を操作して論理的体系を自ら形成していくことが不可欠となる。
第三に、実在の客観的法則性は、歴史的過程において見るならば、人間が生産労働を通じて実在に働きかけ、これを変革する過程で「体認」(P.189)してきたものである。従って、学校教育における科学の学習は、言語によって表現される論理的体系としての知識の学習のみを意味するのではなく、児童自身が獲得した知識を操作して実在に働きかける過程を指導することをも含むのである。そしてこのことを見落とすならば、学校は生活と労働から遊離して「言語主義・文字主義」に陥る危険性をもつ。
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ここはまとめ部分なので勝田からの引用は一か所しかありません(あとで検討します)。
佐藤による「学校教育と児童の認識発達の関係」についての勝田の見解のまとめです。
第一点。自己の印象・表象と客観的実在の区別/言語とその指示対象との客観的対応関係の学習/言語使用が客観的認識発展の契機であること。⇒やはり48年前の私は、客観的認識の道具としての言語獲得とその言語を使用しての科学的認識の発展という《認識活動における内容と方法の相互発展》のようなことに関心を集中していたようです。
第47回(勝田19回目)で見た本書P.161の勝田の記述の趣旨をいまの私が私なりに汲みとるとすれば、認識とは主体の主観(意識)の中に成立するものであり、それは決して外界から切り離された独立自尊的なものではない(それでは生きていけない)けれども、とは言え、それが外界そのものではなくて自分の意識において成立しているその反映であり解釈であるということ、(反映と言うと受動的印象があるが)そうした認識は主体が外界に働きかけ、また獲得した思考道具を活用して自ら形成したものであることを認識主体自身が明確に意識することが重要であり、子どもの学習を指導・援助する教師は、そうした、縮めて言えば《メタ認知》的な思考作用が、認識内容・認識活動の成果物と共に子どもたちの中に成立していくよう、(どのように働きかけることがそれを導くのかはなかなか簡単には解明できないけれども)配慮し、努力していかなければならない、ということじゃないかと思うのです。48年前の私は、残念ながらこうした視点は持ち得ていなかっただろうと思います。
第二点。 科学は人類史における認識の成果であり言語体系として結晶している。従って子どもたちが認識の成果をわがものとするためには、ツールとしての言語の論理体系をわがものとする必要がある。⇒それは、その通りなんですが、そのツール獲得過程を《教え込み》とか《機械的反復による定着》とかではなくて、《その意味・意義がわかって、納得してわがものにしていくこと》が勝田によれば重要なわけですね。48年前の私は、そこには注目していなかったと思います。
第三点。まとめの最後ですが、ここには新規の引用箇所がありました。「体認」です。「実際に自分で経験して、需要さ・必要さなどがよく分かること。」(新明解国語辞典)です。学生時代の私にとっては、たぶん本書で初めて出会った言葉だと思います。その後もあまり使った記憶がありません。原典にあたりましょう。「第三章 (十)科学学習と人間の発達」からです。
【アリストテレスは、技術知や経験知と区別して科学知を次のように規定している。それは、「別のようにはありえない」「必然性」をもった知識であり、それは、「論証」によって、すでに知られている知識から引き出されるという性格をもつものである。
のちに、このような科学知の必然性については近代の人々からの反撃が開始されるのだが、ここには、やはり科学知が成立する一つの本質的要素がとらえられている。純粋に真理を論理的関係の中にみようとする人間の態度が、科学知をそのようなものとして意識させたのである。
しかし、そのような契機に固執し、それが一つの契機であることを忘れ去って、科学知を概念とことばの論理的関係としてだけとらえると、それはそのはじめのいきいきとした誕生のすがたから遠ざかる。純粋に概念の意味の関係を見て、その精細な関係の糸をあやつる人間精神のみごとなはたらきに目を奪われるだけでは、その溌剌とした生命を組み上げる生活の土壌から科学を引き離してしまう。発明的エネルギーが失われるのである。
労働、自然にはたらきかけて、形を変え、事物の性質を利用しながら、その新しい効用をつくり出す労働の過程で、事物を支配する法則が体認され、それにしたがいながら環境を変革する知識が生み出される。しかも、その労働は社会的協力で行なわれ、その知識は交換の可能な手段(ことば)によって、定着する。発明は労働の仕方、生産の方法を、さらに労働の社会的な関係を変えていく。】(P.188-89)
ここでは、科学知の本質の一つが、「純粋に真理を論理的関係の中にみようとする人間の態度」によって成立したこと、しかしその一面だけにこだわり「科学知を概念とことばの論理的関係としてだけとらえる」と、つまり「純粋に概念の意味の関係を見て、その精細な関係の糸をあやつる人間精神のみごとなはたらきに目を奪われ」 てしまうと、「自然にはたらきかけて、形を変え、事物の性質を利用しながら、その新しい効用をつくり出す労働の過程」こそが知識、科学知の起源であることが見失われます。「労働の過程で、事物を支配する法則が体認され、それにしたがいながら環境を変革する知識が生み出される」のです。科学知の起源は人間の労働の経験、モノと挌闘するその試行錯誤の経過を通じて、「事物を支配する法則が体認され」ることなのです。
このことを48年前の私がどう引き取ったか? 「学校教育における科学の学習は、言語によって表現される論理的体系としての知識の学習のみを意味するのではなく、児童自身が獲得した知識を操作して実在に働きかける過程を指導することをも含むのである。」とし、「このことを見落とすならば、学校は生活と労働から遊離して『言語主義・文字主義』に陥る危険性をもつ。」と警告も発しています。しかし....70歳の私は、22歳の私に言いたい。「順序が逆や!」と。
上記の48年前の私の《引き取り方》を、指導の順序を表すのではなくて、並列=《両方とも大事》と解釈するならばまあそれでいいかもしれないですが、勝田の叙述から学んできたとしたら、《言語による学習だけじゃなく実在への働きかけの指導も大事》じゃだめだろうと思うのです。子どもは、(幼児に関する記述のところで私自身の子育て経験も混ぜて論じたように)行動においても、言葉使用においても、大胆な冒険をして失敗もし、そこで学ぶことで認識も行動も広げ、深めていきます。《満を持して後に、そろそろと外界へ歩み出る》のではないのです。もちろんそういう局面もあるでしょうが、打って出て⇒得意になったり/失敗したりして⇒学ぶ、という方略を持っている、あるいは持つようになっていくんだと思います。そういうベースがある上に立ってことばを獲得し、知識を学んでいく、いけるわけです。先に言葉という枠組みをインプットしてから経験の世界へ打って出るわけではないのです。経験はもっと豊かでもっと複雑で、その過程での知識や情報の獲得過程は本来とても個性的で特殊的で、大人の丁寧な見守りや励まし(や、「指導」の抑制)を必要とするんだと思います。
こういう子どものおもしろさ、人間のおもしろさというものを、48年前の私は勝田の幼児研究からはつかみかけていたと思うのですが、それを自分の児童研究には自覚的に活かすところまでいかなかったんじゃないかと、48年後の私は残念な思いで総括します。
連載・私の研究ノート(第49回) (京都教科研通信第389号 2025.7)
勝田守一『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』(1964) 【21回目】
さて、前回まで連載20回分を費やして行なってきた《佐藤の卒論の典拠を確認し、再検討し、学び直すという形での勝田『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』再学習の試み》は、今回で終わりとなります。本書内で取り上げてきた部分は、下記の目次の中の太字で記載した節のみです(わかりやすいように、それ以外の節は薄い字で表記しました)。
第一章 人間の能力をどうとらえるか
(一)能力と知能 (二)知能をなぜはかろうとするのか
(三)知能の高低は生まれつきか (四)能力に対する社会的刺戟
(五)能力の定義 (六)能力の諸因子 (七)能力観の歴史的展望
(八)学力とはなにか
第二章 人間が成長するとはとういうことか
(一)発達という視点 (二)言語と思考 (三)言語と子どもの発達
(四)ヴィゴツキーとピアジェ(1) (五)ヴィゴツキーとピアジェ(2)
(六)発達と学習 (七)発達と教育 (八)状況的思考と言語的思考
(九)思考の社会化 (十)発達のまわり道 (十一)思考の二つの類型
(十二)社会生活と発達
第三章 人間の学習を指導する条件はなにか
(一)学習の定義 (二)学習と教育 (三)教育の条件
(四)人間への成長 (五)行動の言語化 (六)なにを教えるか
(七)教育と経験 (八)文字記号と科学的認識 (九)科学の諸類型
(十)科学学習と人間の発達 (十一)労働経験と文字記号の結合
(十二)科学への要求
第四章 能力の発達と人間的価値の実現
(一)国民的教養 (二)教養と教育実践 (三)現代と教養
(四)職業と労働 (五)職業訓練と人間形成 (六)労働と人間的発達
(七)全面発達と教養概念 (八)無限の可能性 (九)労働と文化
(十)能力の人間的基底 (十一)学習の基礎 (十二)社会の進歩と人間の発達
これらのうち第一章の(一)~(四)は(五)に到る勝田の行論を辿るために丁寧に紹介していますが、その他の太字の節は、あくまで佐藤卒論の典拠を確認するという趣旨で勝田の原典を断片的に紹介することにとどまっています。
連載第29回(勝田1回目)で私は、「勝田『能力と発達と学習』の全体を一応過不足なく紹介しながら自分のコメントも書くという方針を断念し、佐藤個人の関心に限定した特殊な書き方で書くこと」、具体的には「私の卒業論文『社会科教育における児童の認識形成過程についての検討』の中で勝田から集中的に学んで書いた第二章第一節を全文再録しながら、『学び直し』をする」ことを宣言してしまっています。そしてそれは今回までで達成できました。
私の非常に個人的な学び直し作業に20回もお付き合いいただくことで、読者のみなさんが勝田守一大先輩の名著、おそらく代表的な著作と言ってよいと思われる『能力と発達と学習―教育学入門Ⅰ』について、何らかの意義ある学びを体験していただけたかどうか、筆者としては全く心許ないところです。私自身の勝田教育学の学びとしても、連載途中に書きましたように吉益敏文先生、佐藤広美先生との「勝田守一教育学ゼミナール」でまさに本書を学習中であり、2025年3月のゼミでようやく第四章に到達する予定で、まさに「学びの途上」にあります。ですから、本連載で勝田の本書を取り上げての考察をここで終わってよいのかという思いはあります。しかし、一つの文献に20回、1年半以上も留まっていることを考えると、課題を残しながらもそろそろ「小結」(こむすび、でなく、しょうけつ)としていいかなと思います。
今後の連載なんですが、次は何を取り上げるか、しばらくゆっくり考えたいと思っています。この第49回連載が掲載されるのが京都教科研通信第389号(2025.7)となる予定ですあり、「弾切れ」となる2025年8月は、前期授業が終わってレポート採点・成績提出に追われているはずの時期ですので、もしかしたら連載は1~数ヶ月お休みをいただくかもしれません。暑さも和らぐ爽やかな秋の頃に、記念すべき?第50回として再スタートしたいと思います。
なお、第45回連載に書いたお願いの繰り返しになりますが、私の連載に対してなんでもかまいませんので感想・意見・質問などをお寄せいただきますよう、お願いします。吉益編集長宛にご意見やご質問をいただくことも歓迎いたしますが、私に対して直接連絡をいただいてもかまいませんので、最近は連載の冒頭に私のメールアドレスを掲載しています。私はあと数年間は週1コマの大学非常勤講師を続ける見込みであり、集中的な思考を要するこの連載の執筆作業は大学授業がない春休み(2~3月)や夏休み(8月)にかためて行ない、数回分の原稿を吉益先生にまとめて送っています。次の《連載端境期》が今年8月頃になりますので、もしもそれまでにコメントをいただきますと、連載再開時にみなさまからのコメントへの私のリプライを掲載することもできると思います。
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