64 教育学文献学習ノート(38)-3中内敏夫『学力と評価の理論』(の一部)
(国土社 1971.8.5刊行 2025.通読 2025. 10.18-25ノート作成)
「教育学文献学習ノート(38)」の一連のシリーズについて予告した(38)-1において私は、2025.5.25開催の教育科学研究会教育学部会における本田伊克報告の配付資料で列挙された諸文献の中で自分が所持しているものについては自分でも検討してみたいと述べたのですが、その際に「中内敏夫著作集や坂元忠芳氏の私家版論集など、残念ながら所持していないものもあります」と断り書きをしました。
本田報告配付資料では、最初に2023教科研研究活動方針が紹介されています。これについては新しいものなので、一連の諸文献を検討した後に取り上げたいと「(38)-1」に書きました。
本田氏は次に中内敏夫『「教室」をひらく―新・教育原論(著作集Ⅰ)』(藤原書店 1998)における学力検討・学力像明確化の意義に関する中内の主張を紹介していますが、私は同文献を所持しておらず、Amazon、ヤマノヰ書店も検索してみましたが、ヒットしなかったので「スルーします」と「(38)-1」に書きました。そして中内の文献の検討を飛ばして、その次に本田氏が紹介している勝田守一「学校の機能と教科づくり」(1960) について「(38)-1」を、続いて「(38)-2」で勝田守一「教育学とは何か」(1960頃) を検討しました。
しかしその後、「待てよ、中内の著作集は持っていないけれども単著は7編所持してるから、それらの中で本田氏が紹介された叙述を辿ることができるかもしれない」と思い直しました。
本田報告配付資料では、中内の主張について次のような紹介をしています。
【中内敏夫は、学力について検討し、目指すべき学力の像を明確にすることには次のような意義があるという2。
●教師の実践の、あとからの批評ではなく、その実践の当面する困難を打開できる。
●対応する部分を、子どもの精神社会、生理過程にもっている。
●実現されたものとしての学力がつくりだす諸現象を、もらさず説明できる。
●学力史(ひいては学校教育史)を整合的に説明し、さらにはその未来を予測できる。 】
上記註番号2の出典は、「中内敏夫(1998)『「教室」をひらく―新・教育原論(著作集Ⅰ)』、藤原書店、92-94頁」とありますが、前述のように私は中内の著作集を持っていません。しかし、上述の引用に該当する内容を中内敏夫『学力と評価の理論』(国土社 1971 以下、『理論』と略記)します))の中に見つけることができました。
私は京都大学教育学部・教育学研究科在籍時代(1973-1983)に中内敏夫先生の集中講義を(確か2回)受講することができ、『理論』はその際のテキストの中の1冊であったと思うのですが、その当時においてどれくらいその学びが身についていたのか、いささか心許ないところです。この小文で同書の全体を学び直すことはできないのですが、とりあえず本田氏が引用した箇所と思われる「Ⅰ 学力の理論 二 学力のモデルをどうつくるか」を中心に改めて学んでみたいと思います。その際、「(38)-1」にも「(38)-2」にも書いたように、
「本田報告冒頭の、
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本報告では、2000年代から現在まで、教育政策の基調が「学力」から「資質・能力」へと転換している状況に対峙しながら、学校で育てるべき力、目標とすべき力とはどのようなもので、それをどのように育てていくべきかを考えてみたい。
====================
及びそれに続く「1.学力(論)を検討する意義」の冒頭の
====================
そもそも、学校教育で目指すべき学力像や学力観について考えることにはどんな意味があるのだろうか。
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という問いかけに共感する立場から」
ということを意識することで、本ノート「(38)」のシリーズに一貫性を持たせたいと考えます。
中内は『理論』の構成を「Ⅰ 学力の理論」と「Ⅱ 評価の理論」に大きく二つに分け、第Ⅰ部ではまず「一 学力の理論の課題と方法」という節を置いており、この第一節の検討を抜きにしていきなり「二 学力のモデルをどうつくるか」 を検討するやり方は妥当なのかという懸念がありますが、『理論』巻末の初出情報を見ると、「一」は『現代教育学入門』(1966)、「二」は『教育』誌に上中下に分けて(1967.7/9/10月号)掲載されたとのことで、もともとはそれぞれ独立して書かれたものですので、「二」だけを取り出して検討することとしたいと思います。
さて、本田氏が《学力像明確化の意義》として紹介している4点は、『理論』では「二」のP.39/40//41/41に登場するのですが、「二 学力のモデルをどうつくるか―技術教育の位置を手掛りに―」(ちなみに副題部分は『理論』目次にはなく、本文においては付記されています)の冒頭から一部を省略しながら論述の流れを見ていきましょう。冒頭部分からいきます(以下、下線は全て佐藤による)。
【1 学力のモデルとはなにか
問題への出発 本書では、「学力」ということばを、学校教育という、一定の時期に一定の場所一定の成員で集中的かつ系統的に行なわれる教育の目標、もしくは結果の知的側面をあらわすものとして使用することにしよう。子どもたちの生活のなかに働きながら、自分たち教師の授業の立案、実施、そしてその評価の全過程を一貫して指導しうるところの右に述べたような意味での学力のモデルをつくりあげたい。実証主義者・没価値論者のあざけりにもかかわらず、それは、親や教師として子どもにものを教えるという立場にたっているわたくしたちのながいあいだの念願であった。教師のしごとに良心的になろうとすればするほど、そういうものが欲しくなる。
じっさい、教師が抱く、期待される学力像である学力のモデルは、そのしごとのいたるところに姿をあらわしている。(後略)】(P.94)
これに続いて中内は、学習指導要領(取り上げられている中学校学習指導要領は第3期(1958年改訂)学習指導要領です)の各教科の「目標」や指導要録の「観点」に見られる学力モデルを検討していますが、その部分は省略します。
【このように、意識するとしないにかかわらず、モデルとしての学力は、教師のしごとのかなり広い領域に、潜在、顕在に分布して教育実践の質を規定している存在であるにもかかわらず、これを自覚化して、系統化すべき科学的に研究するしごとは、十分に行なわれていない。もちろん、「学力とはなにか」という学力論のかたちで論じられはしてきた。しかし、それには、次に述べるような不満足な点があったし、また、一般的にあるべき学力像を論じても、それが教師のしごとのどの部分をあつかっているものであるかは、必ずしもはっきりさせられていなかった。反対に、「発問の研究」、「板書の方法」、「試験問題の工夫」などの研究が行なわれる場合には、今度は逆に全体的な見通しを失って学力のモデルを問題にしているのだという自覚が失われがちであった。教育の政策や理論の教育学的当否を決定するのはなんといっても教育現場での検証である。発問や板書、試験問題の研究などは、指導要領と要録をよりのぞましいものに改善する有力な基礎データを提供する―そして最後にはひとつの教育学説までも導くところの―ものになりうるものである。そういう理論的な関心からだけでなくても、こうした研究でえられる結論を教材編成のしごとや評価の観点をたてるしごとにまで一般化して、全教育過程に一貫性をもたせることは、教師のしごとに良心的になり、その結果に責任を負おうとすればするほど、つよく要請されてくることがらである。】(P.36-37)
ここまで書き写してきてようやく気づいたのですが、そして考えて見ればあたりまえのことではありますが、中内は「学力」と「学力のモデル」を区別しています。
中内によれば、「学力」とは、(書きぶりからは『理論』におけるひとまずの定義、というようにも読めますが)「学校教育という、一定の時期に一定の場所一定の成員で集中的かつ系統的に行なわれる教育の目標、もしくは結果の知的側面をあらわすもの」 です。中内は非常に限定的で、慎重な規定をしていることがわかります。
まず「学力」は「教育の目標」もしくは「結果の知的側面」であるということ。「目標」ということであるならば、それを措定するのは教師など教育関係者ということになります。「結果」ということになると、それは教師の手の中にあるものではなくて子どもにおいて形成されたものということになりますね。これだと《子どもに学力がついた》的な物言いも可能ということになります。しかし「目標、もしくは結果」という書きぶりから私は、子どもにおいてこのような力がついてほしいという《教師の側の願望》の側面を強く読み取りました。
もう一つは「一定の時期に一定の場所一定の成員で集中的かつ系統的に行なわれる教育」 の目標や結果であるということ。つまりは、生活全般の過程における様々な経験等を通じて形成される《力》は含んでおらず、時期・場所・成員を限定して集中的系統的に行なわれるはたらきかけの結果として形成されるのが学力だということですね。これだけで、「学力」は子どもの人格の重要な構成要素/側面ではあるとしても、人格の一部分であるに過ぎないことがわかると私は思います。
最後に「学力」は集中的系統的な教育的はたらきかけの結果形成されるものだけれども、その「知的側面」であって、感情や意思や行動など「知的側面」には解消されない人格の内実はそこには含まれないということです。
次に中内は、「期待される学力像である学力のモデル」は教師の教育実践において重要な役割を果たしていること、いやそう言ってしまうと先走りしすぎでしょうか、価値判断を加える前に客観的に見たとしても「教師のしごとのかなり広い領域に、潜在、顕在に分布して教育実践の質を規定している存在である」としますが、しかし「それが教師のしごとのどの部分をあつかっているものであるかは、必ずしもはっきりさせられていなかった」と指摘します。ここには私自身がずっと昔から教育実践研究・教育方法研究の《半永久的な検討課題》だと思っていることの一例、つまり《教師が子どもにどうはたらきかけることで子どもに学力が形成されるのか》という問いが提出されていると私は見ました。たしかに中内は、「教師のしごとのどの部分をあつかっているものであるか」として教師の側のはたらきかけの機序を問題にしていますが、それを私は《教師の仕事のどの部分が子どもの人格のどの部分/側面にはたらきかけているのか》と捉え直してもよいと考えます。
一方中内は、発問・板書・試験問題などの技術的な検討が、それが《学力モデルにどのようにつながるか》という「全体的な見通しを失って」いると批判します。学力論の理論的検討も、教育技術の具体的検討も、いずれも教師の子どもへのはたらきかけと子どもの活動という具体的過程において《生きてはたらく学習モデル》の意識的解明の方向に向かっていない、ということでしょうか。
続いて中内は、
【1948年から1949年にかけて、戦後日本のいわゆる「学力低下」現象をめぐって行なわれた学力観の論争は、結局のところ、この学力のモデルをどうつくるかの問題をめぐる論争であったといってよい。その論争は、主題についての一応の解答を生みだした。けれども、このとき、漠然たるものであれ確立をみた「新しい」学力観は、その後本格的に発展させられることも解体されることもないまま、今日に及んでいる。】(P.37)
として、学力モデルをめぐる議論が停滞していることを認めつつも、
【では、没価値論者たちがあざ笑ったように、こうしてモデルをつくるということ自体がもともと無為、無用の試みであったかというと、わたくしたちには、そうは思えない。】(P.37)
と、(私にはどのような人びとを指してのことかわかりませんが)反論しています。学力モデルをつくること自体に意義があるのだ、と。
中内は、【日本の親や教師が、学力の質をカッコに入れたままの水準の高低を云々することに甘んじていた状態は、明治教育の完成とともに終わった。】(P.37)として、大正期の芦田恵之助の学力の「ハク落」現象の指摘や、小砂丘忠義が「優等生」をとらえる学力評価の尺度を問題にしたこと、その後の生活綴方教育運動において【「生活と教育の関係」、「生活と表現の問題」をめぐるかれらの間の論争は、悪条件の二重、三重に折り重なる日本教育の現実を指導し抜くことのできる学力のモデルはどのようなものとしてありうるのかという点をめぐっていたともみられる。】(P.38)と述べ、そのような戦前期の教育実践研究運動の遺産の評価の上に立って、改めて戦後初期の「学力モデル」議論の停滞の原因を捉え直そうとします。
中内は【1948年ごろの学力の本質究明の努力が、以後発展力を失い、その成果すらかえりみられないものになってしまった】(P.38)原因として、以下の2点を挙げます。
【そのひとつは当時確定を見た「新しい」学力像が、学力のモデルとしての条件において欠ける部分があったという点】(P.38)
【もうひとつは、ここ数年すすんだ教材および子どもの認知過程の研究成果が、この「新しい」学力像によってはとうてい整理できない質のものにまで、先進的な日本の教師の教育実践をもっていったという事情】(P.38-39)
ここに来て私は、本ノート冒頭で設定した『理論』における中内の学力論を検討する方針を修正しないといけないように思えてきました。なぜかというと、中内が上記引用で「1948年ごろの学力の本質究明の努力」とか「当時確定を見た『新しい』学力像」と、取り立てての説明なしに述べていることが何を指しているのかがここまでの「二 学力のモデルをどうつくるか―技術教育の位置を手掛りに―」 だけの検討では私にはわからないからです。直前の「一 学力の理論の課題と方法」と「二」の出典は別々で、別々に書かれたものなので、「二」のみを独立に検討してもいいだろうという私の判断は甘かったようです。まだ現時点では《戦後初期1948年前後における学力研究に関する言及》が「一」にあるのかどうか知らずにいるのですが、取り敢えずそういう関心から「一」をつまみ食い読み(いや、それもよくないだろうなあ^^;)してみます。どうせなら、もう一度同じような《読み直し》をしなくてもいいように、『理論』冒頭の「序 教育実践と目標設定」から読み直してみます(ややこしいことをせずにこのノートを『理論』の「Ⅰ」の「一」「二」という叙述順に従って書き直せばいいのですが、私としては失敗も含めて自分の思考過程の記録を残しておきたいので、すみませんがお付き合い下さい)。
「序 教育実践と目標設定」については、以下の2点を覚書として残すにとどめます(下線は佐藤)。
【目的と目標 はじめにことばの約束をしておこう。ここに「目的」とは意図のことであり、「目標」とは目当てのことである。両者は抽象度の違いであるというにつきるものではない。意図は、これを実現しようとする場の構造の違いに媒介されることによって、全く別方向のヴェクトルをもつ目当てにつながる場合が往々ある。】(P.9)
【方向目標と到達目標 (前略)日本の学校教育関係の法に規定されている目標は、それぞれの領域と次元を組織する教育実践にとっての一般的な方向指示を行なっている方向目標とでもよぶべきものであって、マネージメントにとって不可避の評価の基準を、学校という教育実践の場の特殊の構造とその歴史的特質に即して自然科学的な明晰さで提供しうる目標ではない。法における目標規定はこれでよいのだが、実践における目標は、これとは別につくらなければならないときがあることに注意したい。(中略)日本の教育法で多く採用されている方向目標は、実践における目標ということになると、むしろ、学校教育ほどの系統性と固定性をもたないボランタリーな教育形態である点に独自性をもつ社会教育機関か、それども、アトランダムで、ケース・バイ・ケースの教育の体系である家庭教育、つまり養育の目標規定として通用する性質のものであろう。】(P.16-17)
次に「一 学力の理論の課題と方法」に移ります。中内はその冒頭において、学力をこう規定します。
【学力は、ふつう生徒の学業成績としてあらわされる個人および集団の能力のことであると定義されている。(中略)この定義は操作主義的なものであって難点も少なくないが、その限界内ではもっとも破綻の少ないものとして通用してきた。】(P.25)
前半部分の説明が、《学力は個人・集団の能力のことで、それはふつう生徒の学業成績として表現される》という意味なのか、それとも《「学力は生徒の学業成績として表現される個人・集団の能力だ」というのがふつう一般の見解だ》 という意味なのかちょっとわかりませんが、後半の批判的コメントから見れば後者の意味かなと思います。
いずれにしても、「個人および集団の能力」 という学習者に焦点を当てたこの学力規定は、先に「二」を検討したときに冒頭で紹介した「教育の目標、もしくは結果の知的側面」という教師の指導と子どもの達成の両方に足を懸けたようにみえる規定とは異質です。ただ、《教師が子どもに一定の系統的な指導を行なった結果として子どもに学力が形成される》という説明だと考えれば、両方の規定に大きな差異はないのかもしれません。
そのことよりも、上記引用に続く学力研究の2つのタイプ分けの説明の方が、「二」を捉え直す上では重要でしょう。 一つは「モデルとしての学力の理論」(P.25-29)であり、もう一つが「公教育批判としての学力の理論」(P.29-32)です。「二」から検討を始めた私は「中内は『学力』と『学力のモデル』を区別しています。」と書いたのですが、そうではなくて中内は学力研究の2つのタイプを区別しているのでした。
そこで私としては、いずれ「二」の検討に戻っていくために視野を広げないようにする(これがまた新たな判断ミスにならないとは限りませんが^^;)ことにして、「公教育批判としての学力の理論」についての中内の説明には踏みこまないことにして、「モデルとしての学力の理論」についてのみ、そこから「二」の検討作業に繋げていける論点を探そうと思います。
まず、「モデルとしての学力の理論」(P.25)とは、「期待されている学力」(同)を言い換えたものです。期待するのは、教師であり親であり、あるいは企業とか社会ですよね。つまりは、《大人が構想した学力》ということになります。
中内はヨーロッパにおけるローマ自由市民の時代からブルジョワジー台頭、労働者階級の地位上昇という時代の変化を踏まえながら、【モデルとしての学力の理論は、さまざまの学問やそれを教科として組織したものについての能力にたいする、このような価値づけの理論であるという性格をもつ。】(P.26)と述べます。そして「基礎学力」について述べ、勝田守一の「能力の総体図」に言及し、さらに「モデル無用論」の「『価値』を取り扱うということは、科学的でない」という批判に対して以下のように反論します。
【教育実践は、価値の実現を人間精神発達の次元で行なおうとしているものである。したがってそれは、価値にかかわる。そして教育学は、こういうかたちでの価値追求行為がつくりだす精神的・制度的総体を整理し、分析し、関係づけ、あるいは説明し、もってその交通整理の役割を果たそうとしているものである。だから教育学もまた、この説明者であり交通整理役でもあるものの観点から価値にかかわらざるをえない。したがって、この価値追求行為は人間精神発達の過程に内在する固有の論理に即するものであるとか、それと矛盾するものであるとかいうかたちで、ひとつの「価値」の「説明」を行なわざるをえない。あの価値追求行為は、学力の発達にとって有効であるとか、無効であるという観点から、「価値」についての「主張」を行なわざるをえない。こうしてモデルとしての学力の理論が不可欠のものとなる。
だからモデルとしての学力の理論研究は必要である。必要であるだけでなく、上述のような教育学のルールをふまえて行なう場合には、立派な科学的研究となりうる。そして科学となることによって、価値実現行為としての教育実践の必要に有効に答えうるのである。
(中略)
モデルとしての学力の理論研究は、のぞましい学力の形態を、勝手にいわば説明し、描きたてようとしているものではない。そうではなくて、まだ知られていないけれども、教育実践が、客観的世界の側につくりだそうとしているそれを、より本質的なレベルでいわば発見し、自覚化し、認識しようとしているものである。そのための、たえざる仮説の設定であり、その実像への接近の試みである。そういうかたちでつくられたモデルであってこそ、はじめて、現実にたいするモデルとしての指導力をもちうるのであって、先にあげた勝田のモデルも、教育実践が客観的世界の側につくりだそうとしている学力の形成過程の、彼による推論を介した認識の記述の試みにほかならない。】(P.27-28)
要するに、学力のモデルに関する研究はもちろん「モデル無用論」者が言うような主観的願望の表明ではなくて、教育実践という「価値追求行為」の「精神的・制度的総体」を「整理」・「分析」・「関係づけ」・「説明」し、それによって「交通整理」することをめざすものであって、「立派な科学的研究」たりうると中内は強調します。学力のモデルをつくる行為は科学研究なのだ、ということです。そして、科学研究たり得るための構成要件、ということだと思うのですが、【あきらかにしておかなければならないいくつかの問題がある】(P.28)として次の2点を挙げます。
①【人間の精神、とくにその能力の構造を明らかにすること】(P.28)
②【このような能力の子どもにおける発達は、おとなによる行為である教育実践とどのような関係を結んでいるかを明らかにすること】(P.29)
中内は2点のそれぞれについてより具体的な問いを列挙していますが、私は上記2点について当然のこととして首肯できるので、深く立ち入らずに次へ進みます。
中内は、【学力のモデルを有効なものとして構成するには、実は、これらの点を考慮に入れるだけでは十分ではない。この点については、あとでもう一度問題にしよう。】(P.29)と述べ、そして私が取り敢えず検討を省略した「公教育批判としての学力の理論」に関する考察の後に、次のように述べています。
【モデルとしての学力の研究も、それがたとえ価値論的性格のものであっても、歴史的に形成された社会的実態としての学力の把握を媒介とせず、これと切り離され提起されたものであっては、精神過程であると同時にかつまた社会過程でもある学力の形成過程を指導する力を欠いたものになってしまうだろう。それは、子どもの社会生活の現実を離れたところで形骸化していく「学力」の外被をかぶったあれこれの理論的教条以上のものではないからである。実はこれが、先にあずけておいた学力のモデル構成上忘れてはならない第三の留意点である。】(P.32)
「公教育批判としての学力の理論」の検討をパスした私に中内先生が「おまえ、それではあかんで」とおっしゃっているように思えてお恥ずかしいのですが、中内の《学力のモデル》論から学ぼうとする時にそれを純粋理論的に扱うのではなく、それを1960年代後半の日本社会とそこでの教育政策・教育実践の状況をくぐらせて受けとめる必要があるという警鐘として銘記した上で、本田報告でも紹介されていた学力モデル検討の4つの意義に戻っていきたいと思います。
私が「二」の検討を中断する直前の中内の議論を再度確認します。中内は【1948年ごろの学力の本質究明の努力が、以後発展力を失い、その成果すらかえりみられないものになってしまった】(P.38)原因として、以下の2点を挙げていました。
①【当時確定を見た「新しい」学力像が、学力のモデルとしての条件において欠ける部分があった】(P.38)
②【ここ数年すすんだ教材および子どもの認知過程の研究成果が、この「新しい」学力像によってはとうてい整理できない質のものにまで、先進的な日本の教師の教育実践をもっていった】(P.38-39)
先の、私が中内先生から感知した《幻の戒め》を想起すれば、ここで「1948年ごろの学力の本質究明の努力」や「ここ数年すすんだ教材および子どもの認知過程の研究成果」を検討することが必要になるのですが……《幻の戒め》を破って次に進みます(^^;)。
ここで本田報告で紹介されていた「学力の像を明確にすること」の4点にわたる「意義」が述べられるのですが、それは上記①②の原因考察のうちの1点目に関してでした。中内は【モデルとして有効であるためには、その学力像なり学力観なりは、次のような条件をそなえていなければならない。】(P59)として4項目を挙げます。本田報告でも紹介されている4項目を以下に改めて引用します。
【(一)教師の実践の、あとからの批評ではなく、その実践の当面する困難を打開できるものであること。】(P.39)
【(二)対応する部分を、子どもの精神生理過程にもっているものであること。】(P.40)
【(三)実現されたものとしての学力がつくりだす諸現象を、もらさず説明できるものでなければならない。】(P.41)
【(四)学力史(ひいては教育史)を整合的に説明し、さらにはその未来を予測できるものであること。】(P.41)
(一)について。「あとからの批評」とは、【操作主義的な定義】(P.39)、すなわち【学力とは生徒の学業成績としてあらわされる個人および集団の能力である】(P.39)とか【学力とは、教授または学習活動の結果として生徒にあらわれる能力である】(P.39)というような定義のことです。 操作主義が【有効視されたのは、対象の定義から、定義者の主観的願望や価値意識を抜き去り、その規定を中性なものにすることができると考えられてきたから】(P.39)で、【この学力の定義は、教師の実践をあとから批評することはできるけれども、価値指向者としての教師が絶えず直面している困難点を打開するうえには、有効でない】(P.40)のであり、【わたくしたちの求めてきた学力の定義は、教師の教材の選択と配列、発問と指示、教具の使用、ノート指導等々の授業過程を指導し、指導要領の各学年目標と指導要録の学習所見の各観点にむすびついて、これらをどう正し、入れかえるべきかについての原理・原則を提出できるものでなければならない】(P.40)のです。あまりにも当然すぎて、何もコメントすることがありません!
(二)について。ここで中内が「一」でも「二」でも厳しく批判した【没価値論者のモデル無用論】(P.40)が再登場するのですが、これまでと違って《一理あり》という取り上げ方になっています。すなわち、【従来の学力論が特定の理念から、演繹されてきたものであって、往々、子どもの精神生理のどの部分を足場にして構成されているものであるかはっきりせず、机上の空論の気味があった点を衝いているものであり、そのかぎりでは正しい。】(P.40)というのです。そして、批判されてしかるべき机上の空論を列挙している中に【「村を育てる学力」と「中央学力」というかたちで示される学力観】(P.40)が含まれていることにちょっと驚きました。生活綴方研究者としても著名な中内はおそらく別の場所で東井義雄『村を育てる学力』についてもきちんと検討していると思われるので、探してみたいです。
ところで、中内の一読者としての私は、中内の「子どもの精神生理のどの部分を足場にして構成されているものであるか」という叙述を読んで、いよいよ本格的に学力が論じられるという思いを強くするものです。確かに学力は、(一)で論じられたように教師による教育実践の、教育指導の様々な努力の結実として子どもの中に形成されるものであることは間違いないのですが、しかしそれでも《子どもの中に形成されてこそ学力である》ということを私は最も中心に置いて考えたいのです。
中内は、【もちろん、教育(パイデイア)は生成(トロペー)ではない。教師の教育実践の内的構成は、子どもの精神の自然史と同質の構成のものではなく、むしろ、それへの作為の体系であり、そういう意味では、ひとつのである】(P.40)けれども、【われわれの学力論は文字通りのモデルであるとしても、子どもの内言-外言、非言語的-言語的などの複雑に入りくんだ精神の自然史(生活史をふくめた)と無関係にたてられたものであっては、無効有害である。それは、目的概念というよりも、発達概念として構成されるべきものだろう。】(P.41)と述べます。
中内はこれまでの叙述で、【モデルとしての学力】(P.25)は【期待されている学力】(同)であり、【まだ知られていないけれども、教育実践が、客観的世界の側につくりだそうとしている】(P.28)ものであり、【成長の各段階で要求されるものであるから、その構造の解明は、発達論的見地から能力の発達過程を明らかにすることを目標においてすすめられることが有効】(P.29)であり、【教師の実践の(中略)当面する困難を打開できるものであること】(P.39)が必要だと述べてきました。モデル論の出発点は《期待》であり、その主語は大人(教師や親や研究者)であり、そこには教師が子どもにはたらきかける仕事を客観的科学的に意義のあるもの、継承伝搬可能なものにしたいという意識が強く感じられますが、議論の中で(もちろん中内は当初から意識していたのでしょうが)「発達論的見地」からの学力検討の重要性が語られるようになり、そして(二)に至って学力モデルは「目的概念というよりも、発達概念として構成されるべきもの」という言明に到達します。子どもをこのように育てたい、育ってほしいという教師の《価値的なもの》を含んだ願いが教育実践の重要な推進力であることを認めつつ、《そうした教師の願いは発達主体である子どもの中に位置付き、根付き、花開いてこそはじめて意味がある》ということ、《発達概念としての学力モデル》が提唱されるに至ったわけです。
(三)について。ここは中内の考察から50数年を経た現在においても極めて重要な観点だと思います。「受験学力」と通称されるものは、通行許可証みたいなものです。《学力試験》という関門をパスする通行許可証として提示することさえできれば、ゲートを通過した後にポイと捨てても何ら困らない。それは一体その人にとってどんな《力》なのか?
中内はこう述べています。
【学力には、転移、汎化など心理学的に確定できる現象だけでなく、日本の教師が教育実践のなかで観察してきたいくつかの現象―摩滅、ハク落、消化不良症的現象、寄留者的性格、生活の論理と教科の論理(生活概念と科学的概念)のあいだの矛盾的構造など、諸種の現象がある。これらの諸現象が、なぜ、どういうメカニズムのなかで起こるものであるかを説明できるものでなければ、モデルとしての資質にかけたものといわざるをえないだろう。もしこれらの学力の諸生態が虚像であるというのなら、その虚像たるゆえんを証明できるものでなければならない。】(P.41)
指摘されているような子どもの学習と学力をめぐる実態は、これまで良心的な教育実践者によって数限りなく指摘されてきました。中内がこうした実態を学力のモデルの有効性の条件に加えていることには賛同します。しかしこれはモデルを設定することによって解決できる問題ではないようにも思います。
(四)については、中内は何の説明も加えていません。
さてここまで、本田報告に導かれて中内敏夫の学力のモデルに関する考察を追跡してきました。『理論』の「二 学力のモデルをどうつくるか」では、これまで見てきた「1 学力のモデルとはなにか」に続いて「2 従来の学力論または学力像の検討」、「3 試案作成のための観点」、「4 学力と能力」と展開されていくので、中内学力論の本丸はむしろこのあとの部分であろうと思われます。しかし私としては中内学力論のより本格的な展開は他日を期すこととして、本田報告にそって学力論の先行研究の流れを追うという「教育学文献学習ノート(38)」シリーズの流れに戻っていこうと思います。
最後に本田氏が「目指すべき学力の像」として紹介し、中内が「学力のモデル」として考察したものは学力論研究の中でどのような位置を占めるのかについて、若干考察してみたいと思います。
本田氏が「像」と言い、中内が「モデル」と言ったものと、《学力そのもの》とは、どういう関係にあるのでしょうか?
中内はモデルとしての学力とは【期待されている学力】(P.25)だと言います。では《期待する主体》は? もちろん一般論として子ども自身が自己が将来において到達したいと《期待する》目標を設定することはありうることですが、ことが学校における教科学習というように限定して論じられる場合は、普通は《期待する》のは教師だと思います。つまり【期待されている学力】とは、教師(あるいは教育実践研究者)が自らの頭の中に描いている学習到達像であって、《すでに子どもが持っているなんらかの能力》のことではないですよね? もちろん現実には、それまでの学習過程で子どもたちが到達している地点を全く無視しては次の学習の目標としての学力像は設定できないわけですが、しかし極端な話、子どもがついてこようがこまいが教師がどんどん一方的に進めるような学習過程では、学習者の現状と全く無関係に《期待されている学力》を設定することだってできますよね。しかしここでは、そういう一方的な学習過程(子どもから見ればそれは学習ではない)をも念頭に入れることからは決別して、少なくとも《教師のはたらきかけの結果として子どもの学習状態が出発点よりも何らかの前進・向上を遂げることを期待し、そのための配慮を工夫しながら組織される学習過程》を前提として考えたいと思います。
そこで、ですが、《学力のモデル》=教師の期待、ではなくて、子どもの学力、学力そのものとはなんでしょう? もちろん《学力とはあくまで教師が構想するモデル・期待値であって教師の内部に実在するものではない》と考えることもできます。しかしそれは、一般社会の一般ピープルの思考の実態とはかけ離れています。《学力が高い》《学力が低い》《学力のある子》《学力がない(劣っている)子》という把握/評価は、子どもの親や企業人や社会の様々な人びとの中では一般的です。一人一人の人間の内面に何らかの力/ポテンシャルがあって、それがその人の認識能力や行動能力として発揮される、そしてそうした力/ポテンシャルには個人差・優劣がある、というのがごく常識的な学力観ではないでしょうか。もちろん人間の能力は学校生活の結果だけでは決まらない、社会生活の中で培われる《実力》も大事だという考え方もあるでしょうが、その《実力》の中に普通は学力も包摂して捉えられているんじゃないでしょうか。
中内の《学力のモデル》論は、子どもたちの中に生活と学習を通じて形成されるものやその形成にあたって教師の指導が果たす役割へのきめ細かい目配りのもとで展開されていることはこれまでの学びでわかりました。そして、『理論』におけるその後の緻密な論理展開を無視してつまみぐいするならば、中内は「二」の「3 試案作成のための観点」の中で、
【学力は、いわば、モノの世界に処する心の力のうち、だれにでもわかち伝えることのできる部分である。】(P.56)
という学力概念自体の概念規定をしています。
つまり中内によれば学力は「心の力」です。これを実態と言っていいのか、それとも《いざという時になったら顕在化する、ふだんは潜在的なもの》というべきなのか、私にはわからないのですが、ともかくも《現実態あるいは可能態として主体の中に備わっているもの》ということになりますね。そしてそうなると、先ほど言及した世間の常識論としての《学力の高い子》《学力の低い子》、もっとあけすけに言えば《賢い子》《あほな子》という把握と、形態的にはかなり似ているということになります。ただ、中内の学力規定には後半があり、「モノの世界に処する心の力」全般を学力と規定しているわけではありません。「だれにでもわかち伝えることのできる部分」という限定がきわめて大事なのだと思います。その限定の意味をさらに追求しようとするとひとまず中内学力論から離れるということができなくなるので、ここではやりません。ただ、この限定の意味を深く追求しなくてもわかる大事なことは、学力を子どもの人格内部に実在するなんらかのものと考えるということは、そうしたその人の力としての学力は、決してその人の人格の全体ではないということです。《賢い子》《あほな子》という場合には、往々にしてそう指摘された人の人格全体への賞賛や軽蔑を含みがちです。そういう乱暴な《人格評定》の道具として学力を用いないという決意が中内の概念規定には含まれるように思います。
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