68 【アーカイブ18】 教育学文献学習ノート(7) 坂元忠芳『情動と感情の教育学』(2000)

  昨日投稿した「67 読書ノート 坂元忠芳「(連載)性の感情と教育」(第1回~第12回)」の中で、「坂元は本連載で『性の感情』について論じています。(連載の検討をすっとばして推測すると)そのことは坂元が本連載後の1996-97年のフランス留学を経て2000年に『情動と感情の教育学』を上梓することに繋がっていったのかもしれません。」と書きました。これから紹介するように、私はすでに「教育学文献学習ノート」シリーズの中で坂元『情動と感情の教育学』(2000)を取り上げています。前もって申せばその取り上げ方は大変一面的なもので、同書で考察されているテーマのほんの一面を検討したに過ぎませんが、今後私が坂元教育学についての学びを深めて「(連載)性の感情と教育」から『情動と感情の教育学』への展開を改めて丁寧に追っていくための足がかりを残しておきたいと考えて、『情動と感情の教育学』に関する過去のコメントを【アーカイブ】として収録することにしました。

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(その1)

(2020.9.24 ノート作成開始)

 9月16日の京都教科研例会で『教育』2020.9月号(No.896)の特集2「能力・発達・学習と教育実践」が取り上げられ、前田晶子(鹿児島大学)論文「情動・感情の教育学と『かたち』」を中心に議論が行なわれた。前田論文の主旨は、坂元忠芳『情動と感情の教育学』を今日的に再評価することである。
 例会に合わせて前田論文や他の特集寄稿を読み、さらに長いこと書架に眠っていた本書を取り出して読み始めたが、もちろん例会までに読了できるはずもない。例会が終わった今、これを好機としてなかなか難解そうでとっつきにくかった本書の読了を試みることにした。
 しかし読み始めてみると、一部事例が挙がっていてわかりやすい部分もあるものの、全体としてはかなり理解に努力を要するし、わからないところもたくさんある。これまでの文献学習ノートは、まず全体を読了した上で最初に戻って気になるところを書き出し、適宜コメント・感想を付けるというスタイルだったが、本書を毎週の大学授業準備の合間に読了するためにはそれなりの時間を要するだろうし、最後まで読み終えたときに最初の方の読後感?が消失している可能性もあるので(^^;)、今回は部分部分で立ち止まって、その部分の抜粋ノートを作っていくことにする(現在、序章・第1章まで読んだところ)。

 本書の構成は、以下の通りである。

 はしがき
 序章 “情動と感情の教育学”への発想
 第1章 情動とはなにか -その本質と起源
  はじめに
   第1節 情動とはなにか
  第2節 さまざまな基本的情動
  第3節 情動の歴史的現れと人間形成における役割
 第2章 情動から情念へ -情緒、感情、情操、情念
  はじめに
  第1節 情動と感情
  第2節 情緒について
  第3節 感情について
  第4節 情操について

(2020.9.29 ここまでで抜き書き作業も中断していたので、再開)
  
第5節 情念について
  第6節 感情、情操、情念などの日本的理解
 第3章 情動と感情の教育学の総体性
  はじめに
  第1節 「情動と感情の教育学」における情念・情動・感情の諸要素の統一と矛盾
 第2節 情動から思考、知性から情念への道行きと矛盾
  第3節 情緒性の病理と治療教育学・臨床教育学を含む教育学の可能性
 第4章 情動と感情の表現としてのかたち-場と手段
  はじめに
  第1節 情動・感情の表現と作品
  第2節 作品の性格とその力動性
  第3節 情動と感情の形成の場
  第4節 情動と感情の表出・表現の手段
  第5章 日本の子どもの情動と感情の表出・表現
  はじめに
  第1節 子どもの言語世界における「象徴主義」
  第2節 子どもの前言語的表現の社会
  第3節 夢における感情表現
 第6章 情動と感情の表現と教育
   はじめに
  第1節 専門家の表現から万人の表現へ
  第2節 感情表現の日本的特性
  第3節 感情表現とそのリアリティ
  第4節 感情表現のリアリティの落とし穴
 第7章 情動と感情の教育の内容と方法
  はじめに
  第1節 情動と感情の教育の内容と方法の条件
  第2節 情動と感情の表現の歴史性と非歴史性
  第3節 体育-遊び表現における「姿勢-動作性」
  第4節 写真表現における瞬間的「美的イメージ」
  第5節 描画表現における「美的イメージ」の創造
  第6節 情動と感情と推論的思考の表現
  第7節 生活綴方表現における生活の「意味記憶」
  第8節 歴史認識における「主体的持続性」
  終章 情動と感情の教育の未来と教育改革
  はじめに
  第1節 人格の「分裂性」について
  第2節 人間的情動を蓄えること
  第3節 地球レベルでの社会的自我(ソシウス)の形成-「ミゼラブル」な感情の       共有
  第4節 現代の「分裂性」のもつ根源性と未来の教育展望
 あとがき

 ここで9/24時点で読み終わっていたはしがき・序章・第1章のノートを作成する。引用箇所が多いので、引用部分は青字、佐藤によるコメントの文章は黒字表示にして区分しやすいようにした。


はしがき

「1996年4月から約1年間、私はパリでアンリ・ワロン Henri Wallonの情動論を中心にして研究生活を送った。その1年間、私は遅ればせながら本書で取り上げるアンリ・ワロンの発達論の源泉のいくつかを調べた。そして、情動論が現代の日本で深めねばならない教育学の重要な概念の一つだと次第に思うようになった。」(P.3)

「徐々に、私は生徒たちの日頃の感情の奥深い内面の様子と同時に、なによりも、身体とともに衝動的にとっさに働く情動(エモーション)を問題の俎上にのぼせなければ、緊急の教育問題の解明も教育の未来も見えてこないと思うようになった。」(P.3-4)

「『感情』ということばはともかく、『情動』ということばは、日本語として普通の会話では使われない。
 情動ということばは心理学畑の研究者がふつう学術書などで使っている。これは émotion が原語である。それにたいして、感情は feeling または sentiment が原語である。しかし我が国では emotion を『情緒』とか『感情』と訳す場合もあって、感情と情動を、理論のうえだけでなく、実践のうえでも区別して、現実に対応することはおそらくこれまであまりなかった。」
(P.4)

「本書で私が試みようとしたのは、情動と感情とをいったんは区別して、現代の事態を考察しなおし、子どもの内面をいっそう深く見つめて、あえて言えば、教育と教育学を構成しなおそうとすることだった。私は『情動と感情の教育学』の成立根拠を、本書で明らかにしたいと思った。いうまでもなく、この仕事は困難な作業だ。それは、そうした新しい教育学の分野が、学問の対象としても、実践の対象としても、はたして一まとまりの全体的な論理をもって言いうるだろうかという問題をはらんでいる。  しかし、私はいま実践的に必要な緊急性と理論的に必要な持続性とを結合して、新しい教育学の地平を開かねばならない必要性を強く感じている。」(P.4-5)

序章 “情動と感情の教育学”への発想

「そこで本書では、『情動と感情の教育学』を構想するにあたって、まずは両者を区別しながら、情動といった、身体や行動にもっとも密接した、いわば『裸の感情』を把握するところからはじめたい。そうしなければ現代の子どもを理解することはおろか、そのちょっとした感覚さえもつかめないと思われるからだ。
 同時に私は本書で、生活者としての自己が、まずは自立とアイデンティティを確立するのに、情動と感情の自己教育を切実だとする考えを、できるかぎり現代の問題にそくして、しかも原理的に展開するつもりでいる。もっといえば、教育学として、この分野が果たして学問として成り立つかの方法論を確かめたいと思っている。」
(P.15-16)

「本書で私が展開しようとする『情動と感情の教育学』とは、現代における子どもの危機的状況のなかで、情動と感情をどのように『かたち』に表現するか、あるいは表現させるか、その技法をも含めて、根本的に提起することにある[木村素衛、1939、1941。Focillon, 1955]。そしてそのあり方を、つねに、社会のあり方、学校のあり方と根源的に結びつけて、子どもはもちろんのこと、教師や親や総じて大人自身の心に染み通らせ、教育の営みを行っていく内容と方法を明確にすること、とまずは言いたい。
 だが、そのように『かたちにする』と言ったとたんに、それはどのようなかたちか、どのような表現種類か-などという議論がすぐ出てきて、その領域は国語表現としての作文か、絵画表現としての美術か、メロディーとリズム表現の音楽か、劇表現としての文化祭での演劇か、とかということが普通の教育論議であり、事態の全体性をとらえないでは、いっこうその本質は見えてこない。まして、情動というような、かたちになるのが瞬間的で、すぐにも消えてしまう。身体に付着した表出・表現を、どのようにして教育と教育学の対象にするのか、という疑問がでてくる。
 だが、観点を変えて見ると、そこに一種の救いがないとは言えない。というのは『国民(あるいは市民)的教養の共通性』が関係してくる場合、重要な問題が出てくるからだ。情動と感情の表出・表現がどんな内容をもたねばならないかの問題は、教育内容のスコープ(範囲)だけでなく、情動と感情の表出・表現のあり方として、誰もが身につけなければならない『かたち』として、それが一般的にどんなものかが議論の対象になってくるからだ。知識にせよ技術にせよ、『国民(市民)的共通教養』という場合、普通ある教育内容の範囲を言うことが多い。しかしすこし考えて見ると、教養とは客観的な文化の『範囲』というより-もちろんそういう側面を否定できないが-生活のなかでどんな態度や心構えが、国民(市民)にとって、普通のなかみとして、つまり権利の内容として身につけていなければならないか、という問題に帰着する。
 ここではなによりも、大人と子どもを含んで、国民(市民)がともに生きることができる接触のあり方、関係のなかみ、あるいはその表出・表現のかたちの瞬間的あり方-そういうある共同の日常的な身体的・情動的・感情的あり方が問題になってくる。とくに少年犯罪とそれらがつながる場合はそうだ。そこから、のちに問題にするように、情動と感情の形成の社会的・心理的・教育学的統一把握が問題になってくる。そうでなければ、私が長年たずさわってきた大学の共通教養の授業の内容としても、あるいは、現在言われている学校カウンセリングの真のあり方としても、情動や感情の形成を国民の共通教養とする問題はおそらく成り立たないし、問題提起にさえもならない。」
(P.19-20)

⇒この部分の坂元の思考の流れ全体をフォローしきれないのだが、情動と感情を「国民(市民)的教養の共通性」と関係づけていることが興味深い。そして情動と感情の表出・表現の内容は「教育内容のスコープ(範囲)だけでなく」、「誰もが身につけなければならない『かたち』として」検討されねばならないとしている。  私自身まだ現段階では坂元の言う「かたち」がよくつかめていない。だが、国民的教養とかスコープという用語も出てきて、教育課程とも関連する議論のようだ。

「私は自己の内面的意識と行為とを自覚的・意識的に変えていく問題として、情動と感情の教育に取り組んできたつもりだ。情動と感情は自己の内面で制御されたり、されなかったり、処理されたり、しきれなかったりする。だが、多くはそれらを外部に表出・表現して行う。だから、情動と感情の教育には、それらを『かたち』に表出・表現することがつきまとう。これは自分の情動と感情を身体のかたちにして表出・表現する場合でも、何かの文化のかたちにこと寄せて、表出・表現する場合も同じことだ。」(P.21-22)

「もっとも素朴なのは、無意識的・無自覚的に情動と感情を制御したり、表出・表現したりする場合だ。そこからもっとも素朴だが、情動と感情の表出・表現の目的が導き出される。それは『他者とともに生き』『自己として生きる』ためでもある。その意味では情動と感情の交流は人間が生命をもって生きている証拠である。生きている証拠なら、なんらかの目的がある。つまり自己の生命の保持である。そして自己の生命の保持にともなって、情動と感情の表出・表現がある。
 そのように考えると、『自己教育としての情動と感情』というような、大げさなことを言わなくても、まずは『生活者』として人は情動や感情を瞬間ごとに行っているといえばよい。」
(P.22-23)

「無意識は、意識から疎外されながらも、意識のなかに、さまざまな形を意識することなく、しかし別のかたちで、言い間違いや、し損じや、ごまかしなどの情動や感情として含まれている。このことを立証して見せたのは、フロイトを批判的に考察しながら無意識を論じたアンリ・エイだった[Ey, 1968]。
 これは情動と感情の教育学にとっても、きわめて重要な要素を表現している。というのも、情動と感情こそ、ある意味で、もっとも自我の意識的統一をはみ出すものだからだ。にもかかわらず、それを統一する構成要素としてこれらを定立する根拠は、現代における情動と感情の構成が、先験的で絶対的に、自我の統一であると現代では言うことがほとんど不可能となっている。このことは情動と感情の教育学における困難な現実的統一問題の焦点である。『情動と感情の形成における分裂と社会的自我(socius ソシウス)』として論じなければならないのは、現代の自我が後に述べるように危機のなかで、分裂しているからこそである。だから統一が問題となる。そこに希望がないとは言えない。
 本書で、人格の『分裂性』について、もっとも力を入れて論じたのは、こういうリアリティがあるからである。」
(P.30-31)

「情動と感情の教育学の成立の基礎について、本書で論じることを約束したのは、情動と感情にかかわる統一とその総体性のあり方と、そこから生じる矛盾の具体的様相を、どのようにとらえるかということにつきる。そしてそれこそが、現代の子どもの具体的把握と教育の技法にまで具体化できる根拠だ。
 そこでまず本書では、情動と感情を構成する多様な要素を取り上げて、情動と感情の教育学を今なぜ言う必要があるのか、またそのような教育学の成立根拠はなにかを問題にするところから、とくに情動 émotion とはなにかという問題からはじめる(第1章)。ついで、情動とその他の感情の要素との関連はなにか、という問題へと行く(第2章)。それから、情動と感情の教育学が学として成り立つ総体性とその矛盾点を論じる(第3章)。さらに、情動と感情のさまざまな表出と表現へといたる(第4章)。そしてそれらが、現代の子どもにどのようなかたちで現れているかを考察する(第5章)。そのうえで、現代の子どもや大人を対象として情動と感情の教育の場面と手段、内容と方法の問題点を論じる(第6章・第7章)。最後に、それが現代における教育制度の変革につながる地点のすぐそばにまでせまる(終章)。」
(P.31-32)

(2020.10.1)

第1章 情動とはなにか -その本質と起源

 はじめに

「人間の生活は、長い歴史を経ながら、当の人間にたいして、新しい社会性、すなわち、新しい自然的・人間的環境と自然的・人間的性質とを与えてきた。新しい世代である子どもは、歴史的に新しい環境と性質とを自らのものとしながら、人類史に登場し、さまざまな歴史的形態をとりつつ生きてきた。そして現代において、歴史上経験したことのない問題と危機とをかかえて生きている。子どもは、現在を生きている大人よりも、いっそう切実に未来に生きなければならないからこそそうなのだ。
 だが現代、子どもは未来に生きる必要と要求とを、現実的にも潜在的にも、十分にかなえられてはいない。それだけでなく、その必要と要求じたいが根本的に子どもたちに感じられ、認識されるにいたらない困難な時代になっている。先はまったく不透明なのだ。大人にはもちろん、子どもにも未来が見えないということ。このことが、子どもたちに生きることへの不安と根本的な懐疑、ある場合には絶望とを与えている。子どもたち自身は、それでもなお、大人以上に、未来を感じ取ろうとして、必死に生きようとしている。そこに現代を乗り越えようとする努力を私たちは見る必要がある。これが、一口に言って、子どもたちの情動と感情をめぐる情況だ。
 近年我が国で起こった一連の中学生や高校生のナイフその他による殺傷暴力事件を見ても、高度経済成長以後今日にいたるまでの日本社会が子どもに与えてきたさまざまな重層的・複合的影響を考えないでは、それらの事態を理解することはとてもできない。
 結論的に言えば、それは、子どもの身体と精神の状態の著しい変化をあらわしている。とりわけ、両者を媒介している情動 émotion と感情 feeling の危機的変化である、と結論づけてよい。しかし私たちはそこに、子どもの現実だけでなく未来を見ようと努力したい。」
(P.35-36)

【引用者註・1998.1.28 栃木県黒磯市立北中学校1年の男子生徒が女性教諭をナイフで刺して死に至らしめた事件について】ところで、この事件にたいして、『かつての80年代の校内暴力が、暴力で先生に言うことをきかせるなどの目的意識が感じられたが、今の暴力には目的意識や文脈は感じられず、暴力が手段から、感情表現に変わっている』という翌日の『朝日新聞』(1998年1月29日)の尾木直樹の談話は、たとえ寸評とはいえ、生徒のこのような状況を批評することばとしては、いささか不適切だった。
 というのは、尾木は、誰もがよくするように、『情動 emotion 』と『感情 feeling または sentiment 』のちがいを区別しないで、中学生の暴力の時代的推移をいかにも対比的に、一見分かりやすく、いわば通俗的に対照して見せたからだ。本書をとおして私はこうした通俗的解釈になによりも反対したい。」
(P.38)

「『情動』と『感情』とは関係しているが、性質の違うものだ。この命題こそ本書の出発点だ。
 さいしょに、両者の違いをやや象徴的に説明しておく。『情動』とは『感情』のもっとも純粋な裸の姿である。しかし、感情はすでに知性や意志や道徳性と情動が結びついた複雑な状態を指す。ことばをかえて言えば、情動はすぐにも、さきの生徒のように、とくに、怒りの場合には、暴力であるナイフで刺す行為と混じり合うが、感情は、一度はこのような行動と直接つながったり、混じり合ったりする状態を抑制して、思考や表象と結びつく状態を含む。
 もっとも、尾木のために一言いっておくと、後にも触れるように、日本人は、これまで、情動と感情との区別どころか、総じて、感情と認識との差違さえも必ずしも明確にはしてこなかったし、日本語そのものが、感情とか情とか、もっといえば、心の状態を分析的に見てはこなかった。だからこそ、さきのような寸評が出てきたのも無理はなかったかも知れない。」
(P.39-40)

「フランスの心理学者であり教育学者でもあったアンリ・ワロン Henri Wallon (1879-1962)は、ある種の運動は子どもの植物性機能のメカニズムに直接応じていると述べた。植物性機能というのは、生物、とくに人間の生命現象のうち栄養、生殖、成長の作用を総括的に言う語で、たとえば、ものを食べたり、消化したり、糞便をしたりする運動として表出される。ワロンの言うように、口と肛門とは一つの管でつながっており、この器官の機能は、もともと赤ん坊がこの世に生まれたときから獲得している植物性機能である。植物性機能は、生命の維持に直接関係する器質的(オルガニーク)機能-生体(有機体)に関係するすべての機能-の根底を形づくっている。それは人間にとって、もっとも原初的機能の一つだ。もっとも運動は植物性機能だけに依拠しているわけではない。手足を動かす運動は、筋肉の緊張と弛緩とによりながら、歩行のように生後の習熟によって獲得される。
 その他の運動は、周囲の環境との『関係の生活』に役立つ器官を中枢にもつ。手足の動きは、周囲にたいする移動の働きをやがてもつようになるし、指の運動はやがて物をつかみ、それを口にもっていき、ものを食べる働きをもつようになる。関係の生活に役立つ器官とは、外界との関係を発展させる器官のことだ。こうした器官は、植物性機能による生活からじょじょに発展しながら、赤ん坊の外に働きかける生活と機能とを発達させていく。」
(P.40-41)

 ⇒ここを読んでひらめいたのは、拙著『「生きる力」論批判』(2019)の「Ⅱ.『生きる力』という教育目標ラベルへの根本的疑問 Ⅱ-2.第1の批判=『生きる力』論の定立にあたり、死との対照がない」の項で書いた以下の文章である。我田引水にすぎないかも知れないが、取り敢えず紹介する。

「私の1996年中教審答申への第1の根本的疑問は,『生きる力』論提案にあたって前記Aの①,Bの1の『命を保つ』『生存する』という『生きる』の基本的意味をどう扱ったのか? ということである。【佐藤註・A、Bとは、直前のⅡ-1で引用した「生きる」の辞書による定義のこと】  仮にAの①の『命を保つ』という意味に『力』の語を接続するならば(『力』の語の妥当性についてはⅡ-3で検討する),『生きる力』とは,「運動・呼吸・活動を続けて命を保つ力」という意味になる。私は医学・生理学方面については素人であるが,敢えて常識的に考察してみると、
・水に溺れて呼吸が止まれば人間は死ぬから,呼吸できることは必須の『生きる力』である。
・大けがをして大量出血すれば人間は死ぬし,何らかの原因で心臓が止まれば人間は死ぬから,血液の循環を正常に保つことは,必須の『生きる力』である。
・大けがをして脳を深刻に損傷すれば,人間は死ぬことがあるから,脳の機能を一定の状態に保てることは,『生きる力』であろう。
・長期にわたり水を飲めなかったり,ものを食べることができなければ,人間は死ぬから,必要な水分や栄養を摂取できているということは,必須の『生きる力』であろう。
 このように,人が生きるとは,『死んでしまわない状態を保っている』ということである。人間が生きているという状態を死んだ状態との対比において規定することは,『生きる』の語義から見ても生きることについて考える際の第一前提である。  1996年中教審答申では,こうした生きることの生理的基盤をどう扱っているか?  『生きる力』の最初の概念規定(1996年中教審答申 第1部(3))を再度引用する(下線は引用者)。

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我々はこれからの子供たちに必要となるのは,いかに社会が変化しようと,自分で課題を見つけ,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,行動し,よりよく問題を解決する資質や能力であり,また,自らを律しつつ,他人とともに協調し,他人を思いやる心や感動する心など,豊かな人間性であると考えた。たくましく生きるための健康や体力が不可欠であることは言うまでもない。我々は,こうした資質や能力を,変化の激しいこれからの社会を[生きる力]と称することとし,これらをバランスよくはぐくんでいくことが重要であると考えた。
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敢えて言えば上記下線部分の『たくましく生きるための健康や体力』という部分で生きることの生理的基盤に言及していると言えなくもない。しかし,問題はある。
 第1に,『たくましく生きるための』という価値的な限定がついているが,逞しかろうが弱々しかろうが,私が列挙したような生きるための生理的基盤は万人に不可欠のものである。また逞しいと言える状態で生きられない,病気や障害のある人もいる。人は『たくましく生き』ないと生きる価値がないのか?誰もが逞しくあれと脳天気に提案するのか? それとも逞しい人間と逞しくない人間を区別して,前者のみに価値あるとするのか?  第2に,『言うまでもない』とはどういうことか? その後の行論を見ると,当然のことなので敢えて改めて深くは検討しないという扱いになっている。人間の生が死と隣り合わせであることを意識しながら生について論じる意識が,1996年中教審答申の『生きる力』論からすっぽり抜け落ちてしまっている。健康に生きることは当然でそこにはさしたる検討課題はなく,健康な人間がどう価値的に生きるかということがもっぱら『生きる力』論の関心の対象となっている。」(拙著P.81-82)

 上記部分は、拙著『「生きる力」論批判』でもっとも言いたかった核心部分であり、なおかつ残念ながら理論的根拠付けがもっとも弱い部分でもあった。
 「生きる力」は常識的に考えれば「生きる」+「力」であり、ごくごく常識的に考えれば生きるための力、生きるために不可欠の力ということである。そして「生きる」のもっとも根源的な意味は自らの生命を維持することであり、従って「生きる力」とはまずもって生命維持のための生理的機能を意味しなければならない。1996中教審答申ではどうもその部分がほぼ素通りされているように思えてならず、生命維持の生理的機能については学問的に素人であるにもかかわらずこの部分を書いた。
 坂元は第1章のこの部分で、ワロンに依りながら、子どもの運動機能の獲得・発達について、生得的な植物的機能、生後の習熟により獲得される機能、植物性機能から徐々に発展する周囲の環境との『関係の生活』に役立つ器官によって獲得される機能に整理しながら論じている。坂元は人間が生きる、生きているとはどういう状態かを論じているわけではない。だから私自身もこの部分から何を引き出せばいいのかをまだつかみ得ていないのだが。  拙稿の「生きることの生理的基盤の重要性」を学生や院生に話すと、「わかるけど、生きるってそれだけじゃない」と文化的価値的な生活や活動の方に話が行く。私の「生きる力」論批判は狭すぎると捉えられ、なかなか支持を得られない。まだ説得力が足りないのだ。でも坂元の論をさらに読み進めることで何か手がかりが得られそうな気がしている。

(2020.10.7)

第1節 情動とは何か

「さてこうした自動作用に対立して発達してくるのが、これから述べようとする情動 émotion である。ここで情動を、情動と感情の教育学の展開のなかで、もっとも最初に問題にし、重視するのはほかでもない。人間には、最初は厳密な意味で明確な意識をともなわない、もっぱら感覚だけをともなう運動から、かすかな意識の光が発生するが、その端緒がまさに情動の発生だと考えられるからだ。
 おそらく情動こそが、人間的内面を動物のそれから進化させ、人間に固有な発達をうながす最初の重要なドラマをつくりだす。
 情動はまず筋肉機能としてのトーヌス(緊張)の活動から発生する。しかしこのトーヌスの活動は、はじめから運動と対立している。トーヌスというのは、もっとも広い意味では、生体にたいする特殊な刺激の拡大によって、生体の感覚の動きから生み出される組織と機能の永続性をもった『活発性』のことだ。生体にたいする刺激の拡大は、かならずある種の効果 effect (effet) を生み出すが、それは動作や行為となって外部に広がっていく。ここで効果というのは、ある生理的機能の働きが、活動のなかで別の生理的機能の働きを結果として生み出すことだ。
……………【中断】 (2020.10.8)【再開】………………たとえば、筋緊張が高まると、震えやけいれんがおこったり、肩こりのような、筋肉の固定が結果として起こる。しかしこうした効果は同時に、ある種の活発さの形で、神経中枢に組織的にも機能的にも蓄積される。トーヌスとは、その際、神経中枢の刺激のさまざまな程度に見合った活動の状態のことをさしている。それは組織のなかでも、とくに筋肉活動が活発になったとき、刺激によって、筋肉の緊張がおこり、運動に抵抗を与えたり、運動を禁止したりするときに、もっとはやく起こる身体機能である。[Piéron, 1968, 445-446]。それがある種の姿勢を生み出すとき、姿勢の緊張としても動く。筋肉の緊張は姿勢の緊張を作り出すので、姿勢が運動を停止させるという意味では、運動と対立するのだ。」(P.43-44)

「ここまでで情動が緊張とともに生まれる意識のもっとも原初的な萌芽であるという意味のことを言った。あらゆる意識とは、動物のそれを含めて、運動や行動に対する妨害や社会や抑制によって発生する。」(P.44)

「ここでトーヌスのことにもどると、トーヌスのもっとも極端な形は痙攣である。緊張は絶頂にまで到ると痙攣になるが、トーヌスが一定の頂点にまで達すると、痙攣の表出をともなって弛緩し、やがておさまっていく。
 情動とは、こうした過程にともなって生み出される一種の内面的表情ともいえるものだ。それは、一種のトーヌスの揺れにともなう、内面的意識の揺れであるといってもよい。内面的表情というと、内面がいかにも顔面の表情のように表面的色合いをもって表出されるように思われるが、これはトーヌス(緊張)の形成と維持と解消にともなう、内部受容性感覚または自己受容性感覚の意識のことである。」
(P.45)

「情動の感覚はなによりも自己受容性的な proprioceptif 感覚であり、自己形成的な autoplastique 感覚である。この種の感覚は、外部の状態に自己を適応させていく外部受容性の感覚ではなくて、刺激の起源である外界の状態にたいして正確に自己を適応させていくことができない性質をもつ。その効果は、反対に『くすぐったさ』の感覚に見られるように、とりとめもなく身体全体に広がっていく。」(P.46)

「このように、情動は筋緊張であるトーヌスの活動とともに生み出されるが、その際かならず一定の効果と表出をうみだす。そのうえ内面的な意識の揺れはたんなる個人的な揺れだけではない。それらは周囲に伝染する。情動は個人に、一定の変化の効果を生み出すが、同時にそれが周囲に対して、一定の効果を与える。たとえば、すすり泣きが涙を注がせ、それが周囲の人びとになんらかの影響をあたえて、悲しみの情動を伝染させることはよくある。」(P.47)

「情動が発生する状態をよく観察していると、次のことがおこっているのに気がつく。情動はトーヌスの活動とともに発生するが、もともとトーヌスの機能は、運動を停止させたり、抑制させたりする意味で、前にも言ったように、運動に対立する働きであるという点である。すなわちトーヌスは緊張だから、運動そのものではなくて、運動の停止をともなう運動の構えや姿勢を現前させる機能である。したがって、トーヌスは運動に多くの抵抗と準備、より具体的に言えば、習熟によって獲得された正確さへの準備を与える。鉄棒運動で、ある運動から別の運動へ移るとき、一時その運動を停止させて、次の運動へ移る姿勢をとる。そこでは瞬間的な停止がある。姿勢が運動形態にたいして、いわばその停止形態をとって、運動と対立しているために、トーヌスとともに生み出される内面的意識の揺れである情動は、運動とは対立して生み出される。このことは、ラテン系のことばとして、情動 émotion の語源が、『現在いる状態』から『外に出させる』(e)『運動』(motio)を意味しているところからも示唆される[フルキエ、1997a、102-103]。」(P.48)

「ワロンは、『落ち着きのない子ども』(Wallon, 1925b)のなかで、多くの障害児を例にしながら、情動の働きについて語った。しかし、それは同時に、健常児の場合にも言いうることを、ワロンは示唆している。いま、子どもの『荒れ』といわれる、一種の『落ち着きのなさ』(多動性)を考えるにあたって、情動のこのような性質、情動が行動(運動)とまじりあいながらも、行動(運動)と対立する心理的性質であること-をしっかりとつかんでおかねばならないのは、このあたりのことをよく理解するためだ。」(P.48-49)

「情動はそうした対立のなかで、あらゆる活動に造形的・表示的機能をつけ加えることによって、一層複雑なものとして発達していく。造形的・表示的機能というのは、情動がもともと、自己受容的な感覚と結びついていたことを思い出していただければよく分かる。造形的というのは、自己にかたちを与える能力をもっていることであり、それは情動がかならず、内面の意識であると同時に、表出・表現されて、外に現れる働きをもっていることだ。情動が自己の内部(内面)意識を変えるのと同時に、それを外部に表示する機能は、情動の反応に関係しながら、情動の反応を引き起こす直接的な感性(感受性)をじょじょに洗練させていく。こうした機能のはじまりは、ごく基本的で素朴なものであり、乳幼児の早期に見られるものである。」(P.49)

「さまざまな情動は、情動の意識そのものであると同時に、それを外部に表出・表現するという二重性をもつにいたる。そして、情動の意識と表出・表現の洗練をとおして、情動の色合いを、人間の社会的相互関係のなかで豊かにしていく。情動とともに、意識における最小限の弁別感覚があらわれる。情動こそ、弁別意識のもっとも最初の段階である[Wallon, 1926, 968]。自己のなかのかすかな感性の差違にたいする弁別の能力、序章で述べた『かすけきもの』への感覚が、こうして洗練されていく。
 この過程は、原初的な情動から複雑な情動、さらには複雑な感情への移行を示している。これをワロンは、次第に情動に、情緒性 affectivité という色合いが社会的・生物学的に付与されていく過程であるとした(第2章の affectivité の項を参照)。」
(P.49-50)

 ⇒「序章で述べた『かすけきもの』」とあるがそこがわからない。まず、「かすけし」の語義を確認してみる。

コトバンクより(https://kotobank.jp/word/%E5%B9%BD-650179)
 幽(読み)ユウ  かすけ・し かそけ・し ゆう イウ ゆう・す イウ‥ 漢字項目

デジタル大辞泉の解説
 [常用漢字] [音]ユウ(イウ)(漢) [訓]かすか 1 暗くて見えない。かすか。「幽暗・幽明」 2 奥深い。「幽遠・幽艶(ゆうえん)・幽玄・幽邃(ゆうすい)」 3 世間から離れてひっそりしている。「幽居・幽境・幽棲(ゆうせい)/清幽」 4 人を閉じ込める。「幽囚・幽閉」 5 死者の世界。「幽界・幽霊」

大辞林 第三版の解説 ( 名・形動ナリ )
 奥深く静かな・こと(さま)。「-なること太古の如し/金色夜叉 紅葉」

精選版 日本国語大辞典の解説
 〘形ク〙 =かそけし(幽) ※読本・椿説弓張月(1807‐11)前「こはいとかすけきものなれど、家裹(いへづと)にし給へ」 ※いさなとり(1891)〈幸田露伴〉八三「沖の白波は暗(やみ)の中に幽(カス)けき光を放ち」 〘形ク〙 音や色などがかすかであるさま。ほのか。 ※万葉(8C後)一九・四二九一「わが屋戸のいささ群竹吹く風の音の可蘇気伎(カソケキ)この夕(ゆふべ)かも」〘名〙 (形動) 奥深くもの静かなこと。遠く深く、はかりしれないこと。また、そのさま。 ※わらんべ草(1660)四「つやと、にほひと、ゆふと、是、にたる物にて」 〔易経‐繋辞下〕〘他サ変〙 人をある所に閉じこめる。おしこめる。監禁する。幽閉する。 ※続日本紀‐天平宝字八年(764)一〇月壬申「衛二送配所一、幽二于一院一」

 ⇒次に、本書序章における「かすけき」への言及に立ち戻ってみる。

「しかし、日常生活に依拠しながら、それを越える言語の世界で、情動と感情の教育の教育の独自の世界を成立させ、構築することがはたして可能か。
 *
 そこでまず一つの例から考えてみる。
 幸田文(1904-1990)に『鳥二題』という随筆があり、鷹の話が出てくる。
 母が湯河原に湯治に行ってきたとき、宿の者が鷹をつかまえてきた。そしてそれを家までもって帰ってきた。少女であった幸田文は鷹をはじめてみたとき、恐ろしく無愛想で野武士のような奴だと思った。鷹にたいして、彼女は湯河原にいるときは、雀などを捕ってきて餌としてやっていた。しかし家に帰ってきてからはそれもできず、牛肉を与えた。鷹ははじめは食べなかったが、父の露伴が気長にやっていると、食べるようになった。
 幸田文はそこのところを次のように書いている。
   『どんな山のどんな木に、どんな巣をつくっていただろう。そこでどんな日をくらしていたのだろう。大樹の枝に、やはりこんな風にずっとしずまっているときもあろうし、餌を求めて殺戮をするときはどんなにして引っ裂いただろう。』
 ここで興味深いことが起きた。父の露伴が文に鷹の様子を活写してやるのだ。彼女は思わず引き込まれていき、『父の活写は私を激させた』と書いている。かすけきものとともに、強靱なものを厚く愛した父のことだ。この話は子どもに聴かせるもの以上の、おそらく文章だった。-と彼女は書いている。そして、次のところが、現代に生きている私たちには、感情教育の点で比類なく感動的だ。
   『深山幽谷など見たことも無い子どもの私である。それでも父の口から写しだされてる、ひえびえしたその光景を描いて見てそこにこの鳥が友を求めずひとり棲むのを想いあたると、悲しさが身にしみて泣いた。』[幸田、1995、288-289]
 幸田露伴(1867-1947)の文学は、およそ私小説の日常からはるかに遠ざかった、東洋独自の世界がことばの芸術として客観的に現出されているそれである。[篠田、1984]。おそらく幸田文のことばは、感情をかたちにした感情教育の独自性を表現したものだろう。というのは、野生の鷹を飼うことは、それを野生にかえしてやることを目的とする。しかし、野生の動物を飼うことは、家畜を飼うこととは違う。野生の動物の気持ちにならねばそれを癒すことさえできない。第一餌をやることさえ難しい。動物園においてさえ、それは考えねばならないことにちがいない。ところが、幸田文の経験したことは、野生の動物を癒すという個別的な経験でありながら、鷹という深い森に住む神秘性をもった鳥のそれである。このことは個別の事実であっても、人間の住む世間を絶した動物世界の特殊性をとおして、野生の生物への情動と感情を育てるという一般性につながる性質をもっている。それだけではない。おそらく野生からいっそうへだたりつつある私たちにとって、命にたいする厳粛な情動と感情を養う一般的な意味を持っている。私的な経験感情はこの場合たんに私的ではないということだ。
 このことは、地球の野生動物の絶滅という極めて深刻な現代の環境問題を見れば自ずと明らかだ。ちなみに現代日本での鷹をめぐる状況は、幸田文の生きていた時代とまったくちがった様相を呈している。一昨年、NHKテレビの夜のニュースを観ていたら、上尾市で、大鷹の住んでいる森が、都市開発で狭められ、絶滅寸前になっているにもかかわらず、そのひなが何者かによって盗まれ、保護団体のメンバーを、怒りとも絶望とも分からぬ感情に陥れたことが報じられていた。鷹の子は法外に高く売れるのだ(1998年7月9日午後11時、NHK『総合テレビ・ニュース』)。
 情動や感情をせまい私的で個別な事実から思い描くのであれば、何か大仰に情動と感情の教育と言わなくてもよい。また文化の系統的習得のなかでそれを言うのなら、それぞれの専門分野で、それについて詳細に言ったほうがずっと具体的だ。それをあえて情動と感情の教育学というのなら、幸田文がいみじくも言ったように、生活のなかで『かすけき』かたちとして表されるものでなければならない。というのも『かすけき』姿は、ある一般的な感情を表す形容詞であって、しかもこのことばの真の意味を、具体的・特殊的経験が表現している。そして、情動と感情があくまで内面的で個別的であるにもかかわらず、それらが私的な経験を越えて、そうしたものを喪失しつつある私たちにとって、その教育が普遍的なものとして成立する根拠を含んでいるからだ。
 そういう独自の領域が教育のなかにはあり、これが人間形成の機微をつくりだしている。-子どもの心が揺れている現代においては、とりわけこうしたことを、教育の大きな要素として言っておく必要がある。そういう場面が現代の教育では非常に少なくなっており、それは情動と感情の教育のまさにひっそりとした重要な領域となっている。これこそ情動と感情の教育学の出発点ではないか。」
(P.24-26)

 ⇒うーん、やっぱりわからない。 鷹を譲り受けて飼う父・幸田露伴。 それを見て深山に棲む鷹の生活に思いを致す娘・文。 父が娘に鷹の様子を活写してみせ、その文章が娘を「激させた」。 「かすけきものとともに、強靱なものを厚く愛した父」が、娘に「子どもに聴かせるもの以上の、おそらく文章」を示した。 「深山幽谷など見たことも無い子ども」の文が、父が語る「ひえびえしたその光景に「この鳥が友を求めずひとり棲むのを想いあたると、悲しさが身にしみて泣いた。」という。 坂元はこれを、「感情教育の点で比類なく感動的だ」と言う。 ……わからない。ここで言う「かすけきもの」が一体何を指すのかが、そもそもわからない。

第2節 さまざまな基本的情動

  楽しみ(快)

  喜び

  悲しみ

  怒り

  不安

  恐怖
「情動はもっとも原初的な場合には、意識をともなうかともなわないかの境目で起こることが多い。しかし情動は次第に情緒性がもつ造形性と表示性を付加するにしたがって、洗練されて複雑になり、意識が加わるにつれて、感情 sentiment の機能へと発展していく。」(P.56)

  
内気と対峙

第3節 情動の歴史的現れと人間形成における役割

「情動は以上のような基本的要素に独自の情緒性の要素を与えられるにつれて、個人の行為のなかに意識された動機を導入していく。それは、運動の禁止や抵抗といった運動との対立から成り立っており、運動と対立する状態が内面に育ってくるにしたがって、いっそのその情緒性は豊かになる。そのうえ、情動はその造形性(自己形成性)による人間相互の響き合いをとおして、いっそう情緒性を相互のものにしていく。情動は、もっとも原初的な場合には、自動作用の正確な展開と混じりあっており、怒りにもっとも顕著に見られるように、泣きながら、涙をながす自動作用のなかで、他者に対する情動の揺れを内面化していく。小さな子どもが負けるのをくやしく感じながら、どうしようもなく、泣いているのを見ると、情動と自動作用とが明らかに混じり合っている状態を見てとることができる。しかし、もう少し大きな子どもがひそかに泣くのを止めて、怒りを内面化させ、相手に対する憎悪による復讐を密かに決心する怒りの情動と憎しみの感情や情念を我がものにしていくのを見ると、情動が発達すると同時に、情動と自動作用の純粋な混じり合いはなくなり、情動が独立に発展していくにつれて、自動作用は姿を消していくことが分かる。以上のことは、またもや情動と自動作用とが対立する正反対のものであることを示している。」(P.57-58)

「情動は、材料をつかってなにかをうまく作り出す、ある種の作業のような外部効果的活動の効果を一時中断してはじめてその固有の効果を発揮する。情動は外部にたいする感覚の活動とは正反対に、元来自己に対する造形的活動であり、それが外部に対してみずから表示的な機能をもっている。このような情動の造形的・表示的機能は、自動作用とは質的に異なる社会的機能である、個人から個人への伝播性、共鳴性、伝染性といった、特殊な性質を付与されている。このようにして、情動は、もともと器質的機能をもっているにもかかわらず、最初から社会的関係において、他者と交流する機能を含んでいる。このことは、特殊な社会的・歴史的・文化的情緒性を情動に付与してきたものであり、それによって情動は、全体的・集団的になると同時に、情緒性の個性的発達によって、個人の性格に大きな刻印を押している。
 まとめて言うと、情動はトーヌスと筋緊張という、器質的機能から発生しているにもかかわらず、しかも運動と対立し、時には運動と切断されながら、姿勢や態度を外面につくり上げ、それに呼応して、それとの対立をとおして、内面的揺れをつくり、それを交流させ響き合わせながら、同時に社会的に発達する。こうして、情動は社会的機能と器質的機能とをその内容として対立したかたちで含んでいる。」
(P.58)

「情動はそれが元来もっている自己に対する造形活動を、他方で状況の多様性をとおして分化させていく。これはもう一つの情動の性質である。この造形活動は、身振り活動から始まって、やがてイメージをともなう真の模倣を生み出すことに示されるように、表象活動の生みの親でもある[Wallon, 1942]。表象が単純な感覚活動から独立して、感覚活動がそれに混じり合えるようになるとすぐ、表象活動は、図式、象徴、イメージ、観念などのあいだの一連の弁別作用をつけ加えていく。そして最後には、推論的思考へと発達していく。これらの発達を可能にするのは、なによりも分節化した発語によって生まれる言語である。」(P.60-61)

「さいしょ感情や思考は情動とは無縁である。情動は象徴的システムや象徴的活動をなにひとつ含んでいない。両者はもともと方向が反対の感覚を起源としているからだ。両者はもともと方向が反対の感覚を起源としているからだ。むしろ情動は表象を呼び覚ましたり表象を結びつけるのに役立つのとは反対に、表象の動きを制限し、ある場合には表象を無くすほどにまでになる働きである。情動に左右されているときには、目の前にある事物に対して、人びとは見たり聞いたりする興味も関心ももつことはできずに、ひたすら情動のままに揺れていることからしても分かる。」(P.61)

「いったん表象が生まれ、表象が情動よりも優勢になったときには、情動は表象に場所をゆずる。両者のあいだには、ワロンの言うように、対立と両立可能性が同時に存在している。情動は表象によって抑圧されたり、抑制されたりする。したがって情動を抑えるもっともよい手段は、情動の動機や情動の対象を正確にイメージし、再現してみることだ。また情動のありさまを互いに交流することだ。」(P.61)

「情動と思考とは対立し葛藤する。しかし情動は他方で人間を結びつけ交流させ、対立や葛藤をとおして、新しい知性の発生の基盤をも作り出す。
 情動は行動から思考への道行きにあたって行動を姿勢によってその都度切断させ、また人間相互を純粋に交流させることによって、今度はイメージや思考を意識のなかで切り取り、そうした交流から意識を一次的に切断させる。同時に、情動は行動から姿勢によって生み出され、その表出機能をとおして、模倣と表象とを生みだし、それらをとおして、それまでにはなかった思考を生み出す大もとともなる。
 行動とイメージや思考にたいして、情動が含んでいるこのような本質的に対立する側面こそ、行動から思考への移りゆきのなかで、媒介的な役割を果たしている情動の機能なのだ。
 今日、教育と人間形成のなかで、情動の機能の発達をとりわけ重視しなければならないのは、情動の機能をとおして人間がその人間性を自己受容性の側面から発達させてきたからであり、それが、現代において発達を妨げられていて、さまざまな深刻な問題を引き起こしているからだ。情動の活動は外部受容性の活動の典型である仕事や労働の活動とは区別される。しかし両者は深いところで対立しながら統一されており、そのことによって、人間性を歴史的にもっとも奥深いところで形成してきた。情動は自己に対する造形性と他者に対する交流性という二つの水準で、また、行動と思考とに対立しながらそれらを媒介する水準で、そうした奥深い人間性を創り上げてきたのだ。」
(P.62-23)

(2020.10.24) ようやく第1章の終わりまで気になる箇所を書き写すことと、合間にわずかばかりのコメントを挿入する作業を進めてきた。本年末を目処に引き続き読み、書き写し、考える作業を続けていこうと思う。本当は、膨大な量になったとしても、終章までこの作業を完了させてから一気に投稿するつもりだった。しかし、Facebook上では「ノート」機能はこの10月末で終了すると通知が来ている。これまでの投稿文については「プロフィール」内に保存されるけれども、書きかけで保存しているものは消されてしまう。そこでともかく、今書けている1章末までの学習ノートを投稿することにした。Fbの「ノート」機能がなくなってしまう11月以降にこの「教育学文献学習ノート」をどういう形で公表していくのかは、改めて検討したい。)

 

(その2)
(2020.10.29) 第2章まで読了したのでノートを作成。坂元先生の古今東西の研究に関する博識に、と ても付いていけない.....

 第2章 情動から情念へ-情緒、感情、情操、情念
はじめに
「情動でさえも、器質的な側面と同時に、社会的・歴史的・地理的内容を含んでいるとす れば、知性や意志を含んで使われてきた感情や情操や情念などの語に、元来原語の段階で、 民族と歴史によって、微妙に異なる側面がかいま見られることは、それほど困難ではない。」
(P.65)

 第1節 情動と感情 「情動が感情のより純粋な側面から発していること、それでいながら、社会的側面をもっ て発達してきていることは、現在でも基本的に首肯できる」(P.71)
第2節 情緒について 「狭義には、情緒はもっとも基本的な情動、すなわち楽しみ(快)と苦しみ(苦)の状態 を指して言われてきた。」(P.72)
「すなわち、情緒の教育はたとえば、ものに触れながら作り上げていく感情教育(学童保 育のなかでのものづくりの実践をとおしての感情教育)の側面だが、情操の教育ははっき りとした知的な訓練を媒介としなければできないものであった。」(P.73)
「さて私たちは、情動についてのワロンの考え方に主に依拠して、感情についての最初の 論理を展開してきた。それはかなり独自の選択であった。そこであらためて、情動と情緒 との関係について、読者のために要約しておく。情動とは器質的起源をもち、身体の緊張 の増大や解消に色合いを与えるものとして、かならず情緒 affect や情緒性 affectivité を含む。だから、情緒や情緒性は、ある場合、ほとんど情動と同じ意味に用いられる。し かし、この両者は、情動が表象と結びついて感情へと移行する場合、情動の内実、つまり、 情動を進行させるエネルギーの意味を持つと同時に、情動の自己意識的内容や、表象に示 される無意識的内容を含む。そのために、私たちは情緒や情緒性にたいして、単純に一般 的定義で満足するわけにはいかない。しかしさしあたっては、情緒や情緒性は情動に以上 のような色合いの内容を与えて、情動を感情へと移行させる特別な機能としてとらえられ るとしておく。」(P.74-75)
「重要なことは、情緒性がしばしば、フロイトの言うように、表象のような認知機能にた いして、無意識の表現をはらんでいる場合があるということだ。さらに、情緒的意識は、 認知機能に対して相補的色合いをもつというよりも、知的意識にたいしては、相反する色 合いをもっているということだ。(中略)これは感情が情緒性の色合いをもった情動にた いして、知的・道徳的な要素がつけ加わった状態として考えられる場合でも、忘れてはな らない重要な事実である。すなわち、情緒性や情動は、表象にたいしては、無意識の表出 ・表現の機能を含んでいるだけでなく、とりわけ情緒的意識は、表象が発展した知的意識 に対して、対立したり、拒絶しているということなのだ。」(P.75)
第3節 感情について感情 sentiment は、情緒が遠心的な身体感覚を指しているのにたいして、一般的によ り広義に、感覚 sens 、感受性 sensitivité 、感覚作用 sensation など、感覚一般に たいして親和的に使用されてきた。」(P.76)
「感情は、より狭義には、感覚作用と親和的であると同時に、対立的なものを含んでいる。 感情は感覚とかならずしも無関係ではないが、同時に、外界の事物と直接関係していない 感覚の側面を指している。その意味で、感情は情動や情緒と同じ性格をもっている。しか し感情は、とりわけ、情動が知的なものや道徳的なものと結びついた状態を指している。 他方で、感情はあいまいな情動を含んで、神秘的な感情をも指す場合がある。したがって、 感情はその内部に両義的なもの ambiguïté を含んだ概念としてこれまで使用されてき た。」(P.76)
「いずれにしても、ごくおおざっぱにたどってきた感情の定義の歴史をまとめて言うと、 感情は、ある場合には、ほとんど感性と同じ意味に使われるが、しかし、私たちは、その ように広義でなく、感情が情動をつねに内面的意識として対象化している心的状態をさす ものとして、つまり、感情を情動が表象やイメージなど知的なもの、さらにある場合には 道徳的なもの、と結合している心的状態としてとらえることができる。我が国で、感情教 育がほとんど『心の教育』と同じ意味に用いられるのも、日本語で言う『心』が、以上の ような意味での複雑な『感情』を指しているからに他ならない。」(P.78)
第4節 情操について 「結論を言えば、情操は感情のなかに広く含めてさしつかえないものと考えられる。もっ とも、情操教育といった場合、これまで、教育界では、知的教育、道徳教育、体育教育な どと並行して、この語が言われることも多く、それ自身で、この語がこれらの領域を総合 する点で弱点があったという意見もある[村井、1976]。これは妥当な意見だ。」(P.80)
(2020.10.30)
第5節 情念について 「情念とは、人間の内面にすべて新たに生じたり、新たに起こることを、受け入れる主体 の側から指して言う概念である。その意味で、受動的である。しかし受動的なものは、意 識と感覚からいえば、それを行使する主体にとっては能動的である。だから、ここでデカ ルトが言う情念とは、身体のほうに受動的に向かう自己受容的作用をもちながら、外的に は一定の表示機能をもつ、現代で言う情動とはほとんど同義のものと考えられていたこと がわかる。情念は情動について述べたように、自己受容性感覚が、外部受容性感覚と同居 していることを前提としており、受動的なものは身体的なものであり、その身体的な状態 を、身体外のものに向かって注ぐものこそ、まずは身体内的・受動的な意味を持たねばな らないことが、そこには前提されていた。このことは近代において、多くの人びとに共通 の意味把握であった。」(P.81)
「したがって、こうした方向で、フランスの心理学もまた情念を、たとえ病的でないまで も、長期間持続する複雑な情動として、位置づけている。たとえば、リボーは、情念はそ の知的状態(観念やイメージ)の不可抗力や優勢によって、またその安定性と相対的持続 性によって、情動と対立していると仮に言っても差し支えないと述べている。一言でいえ ば、情念は、こうした二重の事実に情動を従属させて、必要な変形を作り出しながら、長 く続く知性化された情動であるとされた[cf.,Lagache, 1977, 144, Ribot., 1907]。  こうして情念は、主体のある種の傾向が優勢になり、それが何よりも持続する状態であ り[Malapert, 1897;in Lagache, 1977,144]、とりわけ、知性が関与していることを前提とする。 ある意図でもって、ある目的を追求するという目的性が、知性の参与とともに、情動や感 情に付加されているものが情念である[Lagache, 1983, 745-747]。  したがって、情念を問題にする場合に注意しなければならないのは、そこに人格的なも のと関係し、しかもかなり長期にわたる感情の状態が内容として含まれていることだ。」 (P.83)
「いずれにしても、情念は、このように、愛情、宗教、改革などにたいする偏執狂の病的 追求に病的な形でとりわけ典型的に表れる。いったん妄想が表れると、正常であった際の 感情は、その性格が二次的な役割を演じるように変化するので、情念の状態は、いっそう 強烈に浮かび上がってくるわけである[Lagache, 1977, 139]。  以上の考察によって、情念と感情との相違には、一般に次のような三つの特徴が考慮さ れよう。 ①情念は、かなり強い情緒的・知的状態である。 ②情念の効果と結果は、濃厚なある見通しまたは目的性をもつ。 ③情念の作用は、かなり長期にわたって持続する。 このような定義づけから、ラガシュも言うように、情念にたいする心理学的研究には二 つの方向が示唆される。  第一は、ある程度の抽象化によって、三つに要約した要素をいったんは切り離したうえ で、それぞれの特徴を研究し、精神生活を再構成するものとして、情念をとらえる方向で ある。これは分析的方法である。  第二は、具体的に生きられる経験の多くの統一を情念のそのつどのあらわれをとおして 追求する方向である。これは現象学的方法であると言ってよい。  前者においては、情念のそれぞれの要素を観察したり、実験したりする方法がとられる。 ある事柄に対する情念が、それに取りかかるまで何年を要したとか、どのゆな意図でそれ が行われたかを分析的に研究する。  後者においては、いわゆる『世界内存在』[Heidegger, 1984]における具体的な情念の対 応をはじめから総合的に研究する。愛とか憎しみとか、友情とかといった感情と、その結 果である表現としての作品との統一が、それを生み出した具体的な状況をとおして情念が 追求される。そして、その統一の全体構造、情念が、固定した恒常的態度や行動に方向を 与えたり、世界観を規定したりする構造が研究される[ジャンソン、1967, 74]」。(P.85-86)
「こうして、情念は、主体-客体-主体という関係のなかに働く情動、感情、意志、知性、 価値観など、具体的・多面的な統一と対立とを含んで形成される。そうした事実から、情 動と感情の教育学においては、情動や情緒を含み、さらに、感情や情念を含む主体と主体 相互、さらに主体と客体の関係を扱う場合、教育の対象と方法との分化と結合、その間に ある対立と統合とが、必然的に生まれてこざるをえない。そうでなければ、情動と感情の 教育学を、『ひとまとまりのものやことがら』として、学問の対象として扱うことはでき ない。」(P.86-87)
第6節 感情、情操、情念などの日本的理解 「情動とか感情とかは、ふつう日本語では、『心もち』『心地』『気持ち』といった、『心』や『気』という漢語を含んだ表現によって、そこはかとなくその基本的内容とその分化した状態をこれまで表現してきた[大脇、1958,1]。」(P.87)
「我が国では、感情は、ヨーロッパに見られるように、内と外とを分ける意識ではなく て、すなわち、内部需要感覚や自己受容性感覚だけでなく、外部受容性感覚とも一体にな って、心の内面を映しだしてきた。これは、日本の自然が大量に破壊されていく、高度経 済成長以後の日本人の心にもコード化されていると考えてよい。しかしここは、その内実 が微妙に子どものなかでは変化してきていると想像される重要なところである。そのこと については、後章で述べる。」(P.89)
(第2章の終わりまで来たが、本章は最初から最後まで言葉・概念の海を彷徨っていて、 読者としての自分の立ち位置を定められず、コメントも付けられなかった。だが明日で Facebook のノート機能が終焉を迎えるそうなので、Facebook のノートとしては最後の投 稿をこの区切りでしておきたい。)


 (その3)

(2020.10.30)

 以下の章に入って、急にわかりやすくなったと思ったら、またわからなくなって.... でも坂元先生は本書の検討課題を何度も形を説明してくれたり、ここで述べたことをより詳しく〇章で述べると予告したりしてくれるので、いつもいつも個々の箇所でわからない思いを置き去りにされたまま見切り発車で次に進む、というほどの疎外のされようではない。(^^;)

第3章 情動と感情の教育学の総体性

 はじめに

「情動を含む感情の形成には、情緒、情操、情念、さらに、運動、表象、イメージという、互いに関連する多くの契機(モメント)が存在することが以上の章をとおして確認される。それらのモメントには、連続や関連と同時に、矛盾や葛藤や対立もはらまれていることが明らかだ。
 そのなかで、情動が行動とりわけ運動の抑制や停止である姿勢と関連していること、したがって、情動と運動とが対立の関係にあることも明瞭になった。行動が先立っている場合には、情動はその陰に隠されてしまう。さらに情動はイメージや表象とも対立することも分かった。イメージや表象など外部にたいする知覚が明瞭になるとき、情動はそれほど意識されない。そして、感情や情操や情念は、このように元来対立する情動や表象やイメージ、さらに知的意識や意志とが結びついて形成されることも明らかになった。
 したがって最終的に感情や情念の形成を問題にするなら、運動や行動から発生した情動を出発点にしながらも、それに表象やイメージ、さらに知的で意志的なモメントを同時に考慮しなくては、それらのモメントが感情形成の全体にどのように発達的に影響してくるかの具体的様相もとらえなれないことが分かってきた。
 現代の子どもの内面をリアルに解明するためには、今述べたモメントとその全体構造を明らかにしなければ、不可能なことを意味する。そのうえ、現代の子どもの内面に働きかけようとする教育のなかに、情動と感情や情念の教育を含むためには、まず、こうした情動、感情、情念の形成のあいだの関係を明らかにしなければ不可能なことをもそれは意味する。なぜなら、教育は結局自己教育に転化されなければ、実際の力にはならず、自己教育を考えようとするなら、子どもの内面のなかでも、もっともとらえにくい情動や感情・情念の意識を構造的にとらえることが不可欠だからだ。
 一口に言えば、情動と感情の教育の総体を、どのようにつかむかということとして、それは把握できる。現在日本の各地の学校で起こっている『荒れ』とか『学級崩壊』といわれる現象も、このようなモメントの全体を把握しないでは、その本質を明らかにすることはできない。

 (中略)たしかに、生きた現実のなかの感情の動きは、一気に把握しなければ、対策は立てられない。それも一理がある。とりわけ現象学的研究の立場からすれば、その直観は『世界内存在としての子ども』の感情をつかむことであり、その内容を逐一分析してばらばらにすることは、現実から離れるという理屈がつきまとう。しかしあえて言えば、そこには、充分説得力のある分析に立って、構造をとらえる総合の実が乏しいといわねばならない。それは情動と感情を分節化して、しかもそれらを発達の相においてとらえることの弱点として私には映る。」(P.95-96)

 

「情動と感情の総体は、相互補完的で調和的に成り立っているように見えて、実はまったくそうではない。その総体は、それらのモメントが、矛盾し、対立し、葛藤しながら、結局、全体を形作っている、その総体を意味する。弁証法的にいえば、相田尾は矛盾と葛藤と対立を含みながら、全体として結合されている。
 本章では、情動と感情の教育の総体を形作っている、諸モメントをいくつかに分節化し、その矛盾と統合の様相を探ってみたい。これは、より本質的に言えば、『情動と感情の教育学』が統一的な内容と方法とをはたしてもちうるかどうか、という基本的命題に帰着する問題だ。それは、情動と感情の教育学がはたして成立するかどうかの根拠の問題である。」
(P.97)

「諸モメントは、大別すればおおよそ次のように分類することができる。これを情念から情動という、これまでたどってきたのと逆の方向で問題にしてみる。なぜなら、実際には、子どもの生活は、現実には単純なものから複雑なものへ移行・発達するだけでなく、複雑なものから単純なものへと移行・退行したり、解体したりしているからだ。病的社会では、発達と退行とはほとんどつねに入り交じっている。
 (1)情念 passion が感情 sentiment に多くの他のモメントと価値とを付加して成立しているということ。その意味で、情念は感情の特別な複合体だ。情念が美的・道徳的・意志的・知性的諸価値と結合した複合体である限り、これらの諸モメントが長期にわたる情念のどんなプロセスを経て形成されるか、諸モメントの対立と統一とがどんな複合体を形成するか、それらの形成にどんな法則が存在するか。こうした事実が検討されない限り、情動と感情の教育学の総体は解明されえない。
 (2)感情形成においては、とりわけ情動 émotion が占める位置が明らかにされる必要があるということ。第2章で示唆したように、人間の発達において行動から思考にいたる道行き passage において、両者に橋架しつつ、なお両者を切り裂いて、情動が成り立つという重要な両価的性格を情動がもっていること。このことから、感情形成がその人間形成の諸モメントにたいして、情動を統一的な心理現象として存在させている矛盾、すなわち、情動とその他の心理機能とのつながりと切断-行動・運動と表象・イメージや知的意識とのつながりと切断を与えている事実が、浮かび上がる。
 情動は感情形成の核心的な部分をなしている。しかしたんに感情形成の道行きの一つの重要なモメントにとどまらない。情動こそ、人間の行動から思考への移行を現実に可能にさせる不可欠の人間固有の性質である。それは人間的意識の発生にとって、格別の役割を果たしている。情動が形成されなければ、感情そのものが形成されないだけでなく、行動や意識も豊かな内容をもって形成されえない。表象によってはじまる思考、批判的・推論的思考そのものも形成されえない。
 そうした力動性(ダイナミックス)の解明が、情動と感情の教育学の総体性の解明にとって決定的な意味を持つ。
(3)情動の内容である情緒性が、その機能として無意識的状態と病理学的作用を含んでいることから、情動と感情の形成における精神(心理)医学 psychiatrie 、臨床心理学 psychologie clinique 、精神(心理)療法学 psychotherapie と情動と感情の教育学との関係が問題になってくること。これらも学問分野の対立と総合は、精神分析学 psych-analyse における治療の領域で、これまで典型的に問題にされてきた。しかしそれだけに止まらない。精神医学や精神臨床学の中心は、やはり情緒性をとおしての治療と教育の連関を問題にする。このことは当然、精神と心理(感情)の正常と障害、正常と異常、病的なものとの境界について、古くて新しい問題に直面することを必然的にする。」
(P.98-99)

「情念をめぐって示唆したように、感情形成の時代性(歴史性)と社会性における統一と矛盾、感情と身体・外界をめぐる根本的問題が本質として残されている。情動は交流、融即、伝染をとおして器質的・生理学的現象として普遍的に現出すると同時に、時代的・社会的内容を含んで存在する。」(P.100)

(2020.11.1)

第1節 「情動と感情の教育学」における情念・情動・感情の諸要素の統一と矛盾

「まず第一に、情念が美的価値または芸術的価値と結合している事実。そこから、このような統一性の内容における矛盾をどのようにとらえたらよいかが問われる。
 まず美を取り上げるのは、他でもない。情念というもっとも複雑な感情のなかにも、もっとも単純な要素があるとすれば、自然や技術のなかに、身体でもっとも自由に快く感じる瞬間があり、それがもっとも素朴な意味における美の感覚、すなわち、情動を含んだ自由な感情を構成しているからだ。」
(P.100)

「情念にまつわるさまざまな価値観からもっとも解き放たれている状態こそが美の感情であり、情念の全体を形成しようとすれば、まず、さまざまな価値観から解放されている美の感情を出発点にせざるをえないということだ。しかし、そうした単純な美の感覚と感情にも、矛盾を見いだすことができる。」(P.101)

「以上の事実は美と結びついた快の感情や情念のもつ矛盾をすでに表現している。というのも、まったく無意識の状態、自己を対象化しない状態において快と結びつく美と同時に、目的的で一定の概念に密着した快の感情と情念が美とされるところに、この両者の矛盾が美的な感情と情念のもつ対立を予想させるからだ。」(P.102)

「ゴッホの場合は極端だが、子どもの場合でも、日頃のさまざまな情動の葛藤を離れて、ゆったりとした自然のなかで、自由としての美を味わうと同時に、自分の好きな絵画や模型を制作する目的意識的努力をとおして、執ような美的情念を形成しようとするのは、前者がどちらかといえば、美のもつ自然的・治療的意味が含まれているのに対して、後者が美のもつ技術的追求性が含まれていることを示している。」(P.104)

「ある目的に執着するのが、情念のなせるわざだとすれば、そこには自由な意志による自主的選択が存在する。しかし意志 volonté が元来自由の概念と結びついていると言っても、そのにはある目的を自主的に選択する自由が前提とされており、あることがらにたいする強烈な要求 désir が当然存在する。」(P.105-106)

「意志は自由を基礎とする。したがって、情念は自由への志向のなかにあって、ある意味で決定されない性質をもつ。しかしそのことは自由の向かう現実の条件によって情念がけっていされないということを意味しない。情念が順社会的・反社会的要因をはらみ、同時に社会的にみて、心理学的正常性と心理学的異常性・病理性とのあいだの矛盾を含んでいるのは、このことを意味する。そうであるからこそ、この矛盾をどのように止揚すりかは、古くて新しい問題だ。それがなによりも自由の問題である。」(P.107)

「情念はある目的を実現する強い感情だから、当然そこには目的実現への計測が介入する。情念は目的と手段と動機との関係認識を含んでいる。情念が受苦する感情を能動的なものへと転化する場合、このような関係認識が知性的に働く。
 しかし情念は時にはそうした知性的認識を越えてしまうことがある。
(後略)(P.109)

「以上、情念の形成における総体性とそこに含まれる諸矛盾に触れてきた。しかしこのことは、情念の形成にあたって、情動や情緒性(情動の色合い)の形成と同時に、情動から結局発生する表象やイメージ、とりわけ言語や数を習得する知性の教育の内容と方法とを相対的に独立させて、情動や感情の形成と対立するモメントを意図的に作らない限り、物事に対する実行を推進する情念-その実践性は形成されないことを示している。これは、逆に知性のほうから見た情動と感情の教育の矛盾の側面だ。」(P.112)


第2節 情動から思考、知性から情念への道行きと矛盾

「何度もふれたように、行動から思考への道行きのなかで、情動は内部受容性感覚や自己受容性感覚とむすびついた内的意識を形づくる。そうしたかすかな内面の意識の光は、とくに筋緊張と結びついた身体における内的揺れの効果からくる感覚である。この効果は人間的交流を洗練させることによって、情動を発達させるとともに、意識の内面性をも深め、意識を制御する機能を豊かにする。それは、イメージの発達であり、同時に内部受容性感覚と自己受容性感覚の相互交流における洗練であり、造形的感覚が真の模倣へと発達することによって、外部受容性感覚の発達へとつながる道筋である。
 情動によって動かされやすい不安定性は、外部受容性感覚が、知覚という統一的認識の衛案会へと発達することによって、いっそう表象を豊かにし、ついには、状況的知能や実際的知能を推論的知能-真の思考へと発達させる。この発達は、子どもが数と言語を学習することによって、いっそう明確な段階に達する。情動の豊かな発達が推論的知性の発達を順接的に推進するのではない。情動の豊かな発達が情動の制御を可能にし、情動の制御を豊かにすることによって、情動から知性をある意味で切断させ、知性の発達を相対的に促進する。それはなによりも言語や数を表象する心像(イメージ)によって可能となる。だからこそ、ある場合、知性の出発点である表象のなかに、すでに制御されたかに見える情動の無意識的抑圧と抑制が示されることがありうる。(中略)こうして、心像(イメージ)と表象と状況的知能や実際的知能と推論的知能とは、矛盾のうちに情動と切断しながら同時に接続しつつ発達する。
 情動の発達はそれが依拠している運動と行動の発達と結びつきながら、同時にそれと対立して自動作用的行為を切断し、行動と思考を媒介し、意識の総体を統合と切断とを含んで形成する。
(後略)」(P.113-114)

(前略)『ものごとがわかる』のは、情動や感情と知性との切断と連続との複雑な過程を経てはじめて豊かに形成される。それは、情動と思考への自己意識を引き裂く可能性をはらみながら、情動や感情と知性とを結びつけて自己意識を豊かにし、そのような意識を抑圧する可能性をはらみながら、意識を抑制・制御し、自由を自己意識として創造し、他者との関係を意識をとおして豊かにすることを意味する。だとすれば、情動が行動から思考への道行きをとおして果たすジグザグな役割は巨大であり、独創的だ。
 情動は人間以外にはできない能力の相対的獲得の中核としての役割を背負っている。」
(P.115)

 ⇒これは、1970年代の坂元の「わかること」論、能力論と通底し連続している見解なのか、それとも不連続、飛躍があるのか?
 遠くない将来に、
坂元『子どもの能力と学力』(1976)、『学力の発達と人格の形成』(1979)などを改めて読んで検証してみたい。

「教育の営みは、内面の意識を問題にしないわけにはいかない。だが意識をたんなる意識としてのみ扱ってはならない。教育はある意味で他者の意識を育てる行為だ。しかしその意識を教育しようとする側からだけ見ながら、こちらの自己意識でのみそれを想像したり、そこからすぐにも他者の意識の普遍性を超越的に言うことはできない。人間における行動=運動からの情動の発生は、行動と知性の最初の表象を媒介する情動に依拠してはじめて、意識からだけ意識を説明してはならないことを、私たちに教える。
 意識の普遍性の形成は、もっとも原初的なエコラリー(反響言語)やエコプラクシー(反響動作)をとおして、それにともなう情動の交流によって行われる。しかしそれだけではない。いわゆる現象学でいう『間主観性』が、観念における超越論によって、個々人の意識の個別性を現実的で実体的に普遍性へとつなげることができるのは、融即(溶け合い)のような状態において言えるのであり、一般的に完結した理性的意識の段階や自覚的・反省的意識においてではない。そこには、どんなに主観的同一化がおこなわれても、意味するものと意味されるものとのあいだの差違と矛盾はさけることができない。そのうえ間主観性のなかで差違は連続して起こる。いわゆる現象学的接近は、意識を世界のなかの人間として、何よりも諸関係のなかに、当人と他者とを置きながら、あらゆる矛盾(接続と切断)をとおして、人類が生存する限り永久に行われる行動=実践と認識の運動をとおして、すなわち現実の構造と本質とを探究していく弁証法的営為をとおして、具体化される。それは情動や感情を、古い知・情・意の原子論的・観念論的枠のなかにおさめるのではなく、現象学が批判的に行ったように、世界のなかに具体的に生きる人間としてのそれとして、時間と空間での人間を含めた物事(ものとこと)のするどい矛盾を内包した現実を扱うことを意味する。」
(P.115-116)

「要は子どもをとらえ、つかみ、理解すると言うとき、教える側の意識に映る、あるいはこちらの内観に意識される子どもの意識(と思われる状態)をもって、子ども自身の意識やそのリアリティを判断してはならないことだ。
 教育はまさに『教える』ことが相手の『学ぶ』ことと対立する鋭い人間関係のなかで行われる。その場合、子どもをとらえ、つかむということが、子どもの内面をとらえることとしてこれまで言われてきた。それはけっして子どもを教える側の主観的意識においてとらえることを意味しない。相手である子どもの意識の内面に容易に教える側の意識から入り込めるという内観心理学の経験や直観の残り滓を教育学にもちこむことでもない。
 このことはしかし、教育学が子どもの意識に参与することができないということではない。それは行動心理学が人間の意識に入り込むことを絶対に認めないことを心理学の真実として宣言することを肯定するものではない。それは、子どもの意識を大切にするがゆえに、子どもの意識に一切入り込まないし、入り込むことができないという考え方が絶対的に正しいことをけっして意味しない。こうした教育学的認識に、行動の『組織化』の形成についての、ある意味で正当な考察が含まれているにしても、そこには情動と知性の形成のパラドックスについての精緻な理論が含まれていない。そうした見解は、こうした事実についての直観はあっても、学問的基礎を欠いている。」
(P.116-117)

 ⇒ちょっと見えてきた。要するに、子どもの内面のありのままの姿をどのようにして把握するか、理解するかをめぐって、教育学が心理学からの否定的/肯定的影響を受けながら苦闘してきた、その道行きを描きながら、ここではまだ「~ではない」レベルで結論までは述べていない、ということと見た。


第3節 情緒性の病理と治療教育学・臨床教育学を含む教育学の可能性

「にもかかわらず、精神分析にみられるように、精神病理における矛盾の主要な側面は、情緒性と表象の矛盾(無意識の表現としての)であることを考えると、情緒性の形成は正常と病理との隙間をふって、今日おおくは治療と教育とが重なる部分を作り出しているといってよい。
 行動から思考への渡り行きが、意識の発生の道筋であり、その場合の矛盾が、行動=運動と情動の思考に対する動揺性に見られるとすれば、意識面での動揺、つまり意識における平衡の解体は、情動においてもっとも典型的なかたちで示される。このことは、思考の発生を示すもっとも初歩的な時間と空間の具体的表象自身の意識が、情緒的意識においてははっきりと存在しておらず、情緒的意識そのものがこれらを自己のなかで論理的に分離することができず、『混同して』いるといわれることからも言える[Alquité, 1979, 139]。
 それは、ある場合には、病理的といわれる現象をほとんど、正常な範囲のものにさせているかのようにさえ見える。というよりも、今日では、情動に色合いを与える情緒性が他者との関係、とくにその関係認識において機能するよりも、他者との関係を切断するさまざまな病理的感情-いじめ、暴力、うらみ、軽蔑、復讐など-をともなう表現に示される。しかし、情動と情緒性とは、たとえこうした病理的感情でなくとも、それ自体、病理的なものにいたりかねない動揺性を、すなわち、知的意識とはまったく逆な、主観性を本来含んでいる。」
(P.120)

「『構造』は、ふつう対立し葛藤するダイナミズムのなかでの相対的に自立した要因の相互関係を指していう概念である。だが意識の構造は行動から思考への渡り行きを、情動において媒介する弁証法的理論の全体性を必然的に含んでいる。現象学は世界の個別性の内容のなかに、本質的な構造を含んで成立すると言われてきた。しかしその構造はこのようなダイナミズムにおける移行を含んだプロセスへの考察を含まなければ、意識としての意識の記述を超え出ることはできない。
 情動と感情の教育学は、したがって、意識を外化する表出・表現のプロセスの総体性の考察へと歩みを進めなければ、いや外化などという表現を使わずに、意識と表出・表現を矛盾に満ちた内容をもったものとしてつかむ方法(技法)を確立しないでは、その存在意義を具体的に主張することはできない。」
(P.121-122)

 3章の終わりまで来た。今日からFacebookの「ノート」作成・編集機能は使えないと告知されていたにも関わらずまだ画面上では「ノート」機能が生き残っているので、取り敢えず投稿しておこう。

 

 (その4)

(2020.11.2) このまま Facebook の「ノート」として投稿し続けられるかどうかわからないけど、ど んどん行こう!

第4章 情動と感情の表現としてのかたち―場と手段 はじめに 「情動と感情は、なんらかのかたちで表出・表現される。情動や感情は、それ自身の意識 として考察されうると考える読者がいるかも知れない。意識している当人にとっては確か にそうだ。だが情動や感情は、情動の意識そのものとしては、他者によってはとらえるこ とはできない。 それは、かならずなんらかの表出・表現である『かたち』としてしか他者によってとら えることはできない。『喜び』の情動は、生きいきとした、また晴れ晴れとした表情や身 振りに、また『切れた』『むかつく』といわれる『怒り』の情動は、顔の表情だけでなく、 全身の震えや、手足による暴力や、時にはナイフによる殺傷のかたちで表出・表現される。 さしあたっては、表出・表現を区別して使わないが、それは後で説明する。」(P.123) 

 「情動や感情は身体をとおしてのみ表出・表現されるのではない。道具や用具をともなっ て、作られる作品のなかに表出・表現される。(中略) 表出・表現のかたちは、主体が、無意図的にせよ、意図的にせよ、行う行為またはその 結果である。ふつうある人びとの直接的指導や教育的働きかけで行うものではない。(後 略)」(P.124)
「表出・表現されるものごとが、『かたち』になるのは、二つの意味で重要な区別と同一 を含んでいる。それは『こと』と『もの』の表出・表現が『作品』として現前するという 事実だ。表出・表現を作品として考えることは、まずは『もの』として見ることを意味す る。しかし作品は広い意味では『こと』でもある。『喜び』が顔の表情や身振り-口笛 のメロディーをともなうのは、ある意味で、身体的部分の『もの』がそうなったとも見ら れる。しかし、これはなによりも『こと』であり、身体的部分がそうなった『ことがら』 である。それにたいして、ピアノ曲に作曲される場合、もちろん、それは作曲される『こ とがら』を指す。しかしこの場合、曲はなによりも『もの』としての作品に表現される。 曲の場合、演奏という『ことがら』がなければ、作品は人びとに作品として示されえない。 表出・表現の結果が対象化された『物品』として存在する場合、それは『もの』として 考えられる。芸術作品はそのもっとも著しいものだ。個人や集団の行動の結果が、ある『出 来事』として残るのは、それがたんに記憶としてだけではなく、ときに、現実的な人間関 係の『ことがら』として残ることを意味する。  この場合も『作品』ということができるのだろうか。私はあえて、もっとも広い意味で、 これをも作品とする立場に立って、情動と感情の形成にかんする表出・表現を考えてみた い。こう考えると、情動と感情の表出・表現は、『こと』としても『もの』としても、も っとも広い意味での作品としてとらえられる。」(P.124-125)
第1節 情動・感情の表現と作品 「しかし、私たちは会話し、ともに仕事しているある瞬間、現れてはすぐにも消えていく 相手のちょっとした表情や仕草のなかに、その人の魂の輝き-ミンコフスキー Eugéne Minkowski (1885-1972) が人生を生きいきとさせる animer と言った、記憶にいつまでも 止めておくべき表出・表現を見いだす[Minkowski, 1936, 258]。作品というにはあまりには かないものかもしれない。しかし価値からいえば、俗受けするつまらない芸術作品よりも、 ずっと心に止めておくべき表出・表現である。これを人生の瞬間 を生きいきさせた作品 といってはいけないのだろうか。」(P.126)
「情動と感情の表出・表現の大部分は、人間形成の手段としての意味をもつ。しかし、そ のことを前提としても、情動と感情の表出・表現が客観化しうる限りは、その作品の創造 過程を対象として、情動と感情の教育学の成立を考えることができる。これは、『もの』 だけでなく、『ことがら』として表出・表現される作品を考える場合にも意味をもつ。表 出・表現の客観化は、人びとの記憶や思い出のなかに、その表出・表現を意味あるものと して止めおくことを含む。」(P.126)
第2節 作品の性格とその力動性 「感情は情動から出発する。もともと感情の表現は、生理学的表出として機能する。情動 が内面的意識として生物学的基礎をもつのは、表出が生理的反応の身体における広い意味 での影響を指していることを見ても分かる。これは眠さから来るあくびのような純粋な生 理的表出を考えればもっとも理解しやすい。このような生理的表出こそ、もっとも原初的 な表現である。それを仮に表現 expression と区別して、表出 manifestation と言っておく。  表出は、身体機能の作用の連関をとおして、ある機能の作用が他の機能へと連動するこ とを指す。その際、機能の縮減が、機能の局所化と連関とをつくりだす。またその連関が 異なる表出をつくりだす。表出は機能の差違を前提としている。 表出の機能とその連関の差違は、内面と外面との矛盾と両者の連関をつくりだす。表出 は内面の意識が生まれたときから表現への歩みを踏みだす。表現は情動をともなう内面的 揺れの意識から発生する。(後略)(P.126-127)
「情動の洗練は情緒の色合いや味わいの洗練である[薄田、1998]。情動が社会的関係のな かで機能するにつれて、人間的交流の手段と目的との連関をつくりだす。情動は、『情動 的段階』(ワロン)[Wallon, 1925b]から存在するが、理性的段階においても、けっしてな くならない。この段階においては、情動はなによりも感情や情念をとおして存在するが、 純粋な情動として表出・表現されることがときにありうる。 こうして、表出から表現への発展は、情動と感情の形成の場面を、次第に豊かにしてい く。」(P.127)
第3節 情動と感情の形成の場 「情動と感情の形成の場面は三つに大別される。  第1は、情動と感情の表出・表現が客観的作品として創造される場面。【佐藤註・太字は原著。後段の「第2は、…」「第3はの行も同じ。】 (中略)  ここで少し先回りして、情動と感情の形成を指導する学校教育のことを考えてみる。従 来の学校教育で、情動と感情の教育が独立した場面を構成しているという考えは、それほ ど明白ではなかった。美術作品の創作でも、それを情動と感情の表出・表現として考える ことは、その手段としての素材と子どもの内面との切り結びを、主観的な内面の表出・表 現として矮小化するという通念によって、また客観的素材の意味を低く見るという批判的 意見によって、私の見るところ、情動と感情の表出・表現の場面として考えることは否定 されがちだった。 しかし、作品の形成過程として、これらの場面をとらえる考えは、同時に主体の情動と 感情の形成場面としても、それらをとらえることを意味する。このことは、そこで創られ る作品を、そのまま主観的な情動と感情の直接的表出・表現や反映として考えることでは ない。情動と感情の形成と作品の創出との関係は、直接的ではなく、それは間接的であり、 相互連関的で媒介的である。」(P.128-129 下線は佐藤、以下も同じ)
⇒ようやく教育実践の場面に関する叙述が顔を出すようになり、少しは理解の手がかり が出てきた。美術作品創作について、坂元はおそらく美術教育界、あるいは美術に関する 民間教育運動内面での主流意見を紹介しているのだろうが、創作とは「素材と内面の切り 結び」であり、「情動と感情の表出・表現場面」と見ることは否定されてきたという。
第2は、創造された作品を鑑賞する場面。 ここで対象とされる作品は、子ども自身の創造したものである場合と、子ども以外の創 造したものである場合とがある。 鑑賞は子どもの創造をうながす。鑑賞は子ども自身による創造を前提とする。鑑賞は作 品を直観的に我がものとすることによって、また作品の構造と意味とを分析することによ って、また『模倣感情』に訴えることによって、『模倣的再創造』をうながす。それは創 造の場面でも、子どもによって自然発生的に行われる。これは、子どもどうしが、作品を 鑑賞しあうことによって、一種の『模倣的再創造』を行う場合だ。 にもかかわらず、純粋な鑑賞こそ、ここでの主要な場面である。(後略)(P.129)
「鑑賞の性質は、対象とされている作品の質と、それを主体がどのように解釈し、読み解 くかに関係する。臨床心理学においても、文学を読み手の心理分析の同一化の素材として 使う場合と、批判的素材として使う場合とがある。このようにして、作品の鑑賞には、『同 一化的扱い』と、『批判的扱い』とがある。  どちらの方法をとるかは、子どもの年齢、作品の質、取り扱う方向によって定まる。子 どもは、たしかに作品の鑑賞を大人や仲間から勧められて選択することがある。しかし現 代では、マスコミの宣伝や流行が子どもの好みを作り出し、子どもはそれらに沿って、子 ども自身の深部の情動や感情の動き、すなわち『好み』として、作品を日常的に選択する 場合が少なくない。流行現象が決して軽薄なものではなく、それ自身理由のある現象であ ることも少なくない。同時に、マスコミにおける子どもの情動や感情の『物象化』の進展 は、用意される作品を、子ども自身の自主的選択にゆだねない場合も多く作り出す。この ことは、現代の子どもの内面が複雑と屈折とを増幅させ、個性的になりつつある現代では、 リアリティをもつ。」(P.130-131)
第3は、情動と感情の表出・表現された作品が直接に扱われるのではないが、潜在的 ・無意識的に、あるいは狭い意味での作品の扱いとは離れて、情動と感情の表出・表現が、 子どもの一身の『ことがら』として現出される場面。 (中略)  子どもたちの運動の進行は、運動が途中で姿勢となり、情動とつながっている場合があ っても、おおくは、姿勢を作り出すことなく、連続して動くことによって、むしろ情動を 一時停止させ、情動を消去したり、抑制している状態にある。子どもは無心に動いている。 それはことがらであっても、狭い意味での作品ではない。前にも述べたように、一生懸命 に走っている子どもは、スタートラインに並んでいる時と違って、ほとんど情動を感じる 状態にはない。ただ人と比べて遅くなったり、追い越されたりする場合、瞬間的に情動が 動く。  子どもたちが算数の問題を集団で解いている場合、他人がうまく問題を解けるのに、自 分が解けない場合、とまどい、考えをめぐらし、それが集団の思考をきっかけにして解け た場合、情動と感情を楽しく表現する。しかし総じて問題を解くとき、子どもは主として 知性を働かせている。情動はむしろ抑制されているほうが自然だ。情動は部分的に抑揚を 伴って働いている。おそらくそうした状態のほうが多い。とりわけ推論的思考が働いてい るときには、情動は抑制されたり、動いたり、さまざまに安定したり、揺れていることが 多い。問題が解けた暁には、子どもの心に喜びの情動がわきあがる。これはむしろ知性と 結びついた感情に近い。しかし算数の問題を解くことが、宿題として義務づけられている 場合、難しい問題が解けたとしても、義務の遂行にふさわしいかどうかが先行して、よほ どうまく行ったり、問題を解くことが無性に好きな場合以外は、一般に喜びの情動はわき 上がってきづらい。めざす目的との関係で、そこに含まれる情動を、感情が知性や意欲に たいして消極的な関係に導いてしまうことはよくある。情動は意欲を刺激して、問題解決 に集団的・個人的に決定的要因を作り出す場合とそうでない場合とがありうる。そしてこ れらもまた情動と感情とが、ことがらとして表出・表現される場面である。  このような場合、狭い意味での作品が主要な情動と感情の形成の場面と目的である場合 にくらべて、しばしば違った様相を呈する。情動と感情がそこにかかわっている点では、 こうした場面もまた情動と感情の形成の重要な場面であることに変わりはない。これは情 動と感情の教育の場合にも当てはまる。むしろ、こうした場面でこそ、情動と感情の形成 の主要な役割が果たされる。それは人間関係においてもっとも日常的な場面である。逆説 的だが、情動と感情の形成のこのような側面でこそ、直接的な影響力が発揮される。ある 日常場面で、情動と感情が交流されることによって、それが決定的な情動と感情の形成の 機会となることは、当の人間以外は意外と気がつかないことがおおい。 こうして見ると、情動と感情の形成の場面は、形式的には、情動と感情の形成において、 狭い意味でのものを扱う場合と、ことがらを扱う場面とに大別できる。前者はさらに作品 の創作と作品の鑑賞とに分けられる。これは情動と感情の教育の場面においても同じこと だ。 (中略) (2020.11.3)  もっとも、このような分類はあくまで形式的・相対的なものだ。作品としてめざす目標 がはっきりときまっていない場合でも、生活の過程で作品を制作することはいくらでもあ りうる。作品の制作は同時にその過程を子どもが自己吟味していく過程である。そこには 鑑賞の働きも含まれる。また両者の場面が実際には入り交じって展開されることも少なく ない。ことがらの場面も同じことだ。  二つの場面が価値的に軽重を含んでいるのではない。情動と感情の形成の性格の総体性 を整理するための、一応のめやすに他ならない。重要なのは、場面ではなくそこではたら く情動と感情の機能の総体性にある。情動、情緒、感情、情念などの本質的特徴とその矛 盾を意識している状態がなによりも重要なのだ。創作過程で、一定のかたちへと形成され る技法とともに、そのような技法を駆使する知性と意志が、不安定な情動の揺れとともに 表現されるのをとらえる必要がある。場面の選定は、そうした過程での子どもの外的動き と内的動きとを把握する手段に過ぎない。  場面の確定は、情動と感情が含む内容の、ある意味では『とらえどころのなさ』に対す る、一定の整理基準の確定のためにある。それは教師や親が子どもの情動と感情の動きを 形成途上で刻々にとらえる鍵を探るきっかけを与える。このことは、子どもの作品を見る 眼を養い、子どもの表出・表現のかたちを直観的だけでなく、現象的・構造的・本質的に、 また、その動きに即して、弁証法的に把握するためにある。ことがらに関する情動と感情 の形成の場面が、本質的で主要な場面を作り出すことは、最近の思春期不安定症候群の起 源が、とおく幼児のときの家庭の情動関係と少なからず関連している、心的外傷をはじめ とするさまざまな深刻な事態を考えても想像できる。」(P.135)
「人工知能テクノロジーが、時代の申し子であり、これを排斥することがすでにできない としたら、人間にもっとも近い、そしていくらでも人間に近くなりうる、人工知能の存在 のもとで、人間の創造性増幅装置としての機能を考えると、人工知能が言語空間に作り出 す私たちの深部における褶曲やよじれをどう考えるかを、情動と感情の形成の問題として 考察する必要がある[西垣、1994、106]。」(P.135-136)
「究極的にこのことは、情動と感情を統一するはずの自我や人格の統一の位相にも大きく かかわる。明瞭な主語-述語からなる自我の統一の位相は、近代的自我を形成するもっと も強固なかたちだった。情動と感情の制御の問題は、スピノザやデカルト以来、情動と感 情を、理性と近代的自我の統一によって、いかに制御できるかの問題としてとらえられて きた。しかしそのような合理主義的安定の場は、現代の世界ではすでにくずれている。」 (P.136)
「ワロンのいう情動は、もともと器質的機能をもちながら、また響き合いや融即として発 展しながら、その動きとはいったん切れた表象や思考、とりわけ推論的思考の発達と対立 して存在する独自の機能だったし、その発達の根源である真の表象をともなう模倣行為と は切れたところで存在する独自の機能だった。情動は、線型的(リニアル)に連続して、 運動から思考へと発展する筋道の中間点ではない。多様な、矛盾する多形性をもって存在 する、断絶と連続の弁証法的性質をもつ心的機能だ。表現の多型的な場としての人間の意 識の関係もまた、単純に自我の一点に集中されるといったものではおそらくありえない。 むしろ情動に引き続く矛盾の集中場として、ブルジョワ社会や帝国主義やそれらにたいす る闘争のなかで、多くの人びとの情念の基礎が築かれてきたように、狭い自我を離れて、 表現の多様で葛藤する関係場として、内なる他者の多声的形成の場として、考察されるべ きものではないか。」(P.136-137)

 「情動は単純に人を結びつけるのではない。情動は自己同一化した自動作用としての運動 を切り裂き、そのうえで人間を結びつけもする。この矛盾形態において、情動と感情とを とらえようとして、ワロンは新しい制度を共感 compassion の現実化する世界として描こ うとした[Wallon, 1936;1937]。」(P.137)
第4節 情動と感情の表出・表現の手段 「この問題は、『場面』の問題に比べて、教育の場合には、いっそう本質的だ。 場面は、さまざまな人間形成の環境を、制度として、内容的に含んでいる。しかし一定 の制限された場面では、情動と感情の形成の内容は、どのような手段によって、情動と感 情が表出・表現されるかによって決定される。  もちろん表現の場面も、表現する主体が選びうる側面をもつ。自己形成の場合、それは 主導的役割を果たすことができる。しかし、教育の場面においては、教育する側から言え ば、これを選ぶことができない。生徒がことがらとして、身体で瞬間的に自分の情動や感 情を、教師に表出・表現している場合、場面を教師は選べない。そのとき、生徒が身体だ けではなく、ことばええ何かを訴えている場合と、そうでない場合、教師はどのような手 段で応えるのか。  情動と感情が激して、意識がなくなるほどの場合、生徒はことばを発するだろうか。発 するかも知れない。しかしそのことばは、身体的・情動的言語だ。教師はそれにたいして、 どんな応答を行えばよいのか。それはどんな内容をもたねばならないのか。ナイフで刺さ れて亡くなった黒磯の教師が直面したのは、まさにこうしたことがらだった。自分が招い た面がなくはなかったとしても、場面はほとんど選ぶことのできないものだった。 あのようなとき、教師は一人の人間として、どんな情動と感情の表出・表現で対するこ とができたのか。人生にあってはそれしかないという場面が、運命的におそってくる時が ある。教師であっても、いや教師だからこそ、そういった場面はいくらでも起こりうる。 だからこそ、その時のとっさの表出・表現、情動と感情の表出・表現の手段が切に問わ れる。」(P.138-139)
⇒ここに来て第1章冒頭の黒磯市男子中学生の女性教師殺害事件が再び浮上する。著者 の意識のなかではずっと繋がって頭の中にあったのであろうが、読者としては「ここへ繋 がったのか」という感じ。しかも途中の考察過程を頭の中で繋ぐことができない.....
「表出・表現の手段は、言語と非言語のそれに大別される。その役割は、言語の場合と非 言語の場合とでは、質が異なる。  第1に、言語とくに情動的言語だけでなく、理性的、弁別的、推論的、抽象的言語の習 得は、人間にあっては、現代の科学・技術的発展にともなって、いっそう必然的となり、 日々発展している。  他方、現代における情動と感情の形成は、理性的、弁別的、推論的、抽象的言語が日常 において支配的になればなるほど、それに対立する情動の直接的表出・表現を差し迫った ものにする。理性的、弁別的、推論的、抽象的表現は、それ自体『合理的』なものであり、 それによって、人間はたしかに『対話』することができる。だが現代にあっては、合理的 関係のリアリティは、それ自身疎外されていることが少なくない。ふつう人はこのような 関係を、形式的で心が入っていないと言う。スチュワーデスの商品化された感情とその言 語の交換のゆにそれはいくらでも存在する(第5章)。このことは、情動が広い意味にお ける知性にたいしてもつ矛盾を、非言語的表出・表現のなかでいっそう切実なものにする。  それだけではない。このことは、理性的・合理的経験と結合した情緒性の色合いと味わ いをもつ感情や情念の形成を、一層複雑で広大なものにする。これは情動と感情の形成を、 価値や道徳や科学・技術などの形成と結合する可能性と、そこでの問題性をいっそう拡大 する。こうした類の言語の構造と情動と感情の形成との関連は、深くとらえ直す必要があ る。」(P.139-140)
「第2に、にもかかわらず、いやだからこそ、現代における言語のこのような複雑な矛盾 を含んだ『発展』が、非言語的世界や情動的言語の世界、さらには沈黙的世界を、言語的 世界へと、連続的または順接的に、さらには階層的に、つないでいるのではない。それは ミンコフスキーが言ったように、『無造作に退けている』。同時に、理性的言語の出現と 『発展』とが、非言語的世界や情動的言語や、さらには沈黙的世界をも退けているばかり でなく、本質的に変化させている。  これは、非理性劇言語が理性的言語に『抵抗する』とか、理性的言語が非理性的言語を 『抑圧する』といった単純な論理では解けない事実だ。両者が、抑制・抑圧の関係だけで なく、結合と統一と連続の世界をも作り出していると見なければ、現実のリアルな把握に は到らない。」(P.140-141)
「そうではなくて、教育実践における異化の問題やポリフォニック(多声的)な共感や共 鳴が、理性の世界とけっして無関係ではないという論理をいっそう明確にするために、生 活における理性的言語の表層における支配が、非言語的世界と非理性的言語の世界や沈黙 の世界にとんな影響を与えてきたかを、無意識と言語の関連問題として、追求する必要が ある。これが、ミンコフスキーのいう『感情的知性』を現代に生かすことだ。それは、こ うした観点から、情動と感情の表出・表現の手段としての言語の世界をいっそう深くとら えることを意味する。」(P.141)
「言語をとおして向かいあう人間関係は、情動と感情の表出・表現を含む。しかし、人間 の行動によってつながる場合はともかく、言語による関係は、知的対話を除いては、想像 によってしか主観的に相手の情動的意識をとらえることはできない。感情の場合には、そ こに知性が入りこんでいるから、知性の面での対話が可能だ。しかし数学や物理や生物の 現象を法則的に扱う会話のなかに喜びや楽しさがあるとしても、それは感情に含まれる情 緒的意識そのものの対話ではない。知的対話に情緒的意識がともなっているとしても、情 緒的意識自身は、あくまでも個人のものであり、いわば孤絶している。数学や物理の現象 の学習そのものが交流されているのであって、情緒的意識は知性と結びあった感情のなか に溶け込んでいる。  情動や感情を表出・表現している言語、-詩や夢は、それを経験した人の情動的内容 はこちらから想像によってしかとらえることはできない。子どもの詩的なことばから、彼 が何を内面的に意識しているかは、他者はその実体自身をとらえることはできない。それ ができると考えるなら、子どもの内面の意識に他者は簡単に入り込むことができる。それ はまやかしの把握に過ぎない。  言語は当の人間のことばの連鎖のなかで、話し相手のなかに、現実における意味を表現 し、その意味をすこしずつ差異化しながら、他者に対して対応を可能にする。それは他者 と『相対する』こと、『出会う』こと、いや他者として『向き合う』ことだ。なによりも ことばをとおして。『僕は今日気分が悪い』『僕はむかつく』という一人の子どもが教師 やまわりの生徒に発することば、またはひとりごとは、それ自身としては、情動の意識の 内容自身をまわりにはっきりと分からせることはない。しかし、そのことばにたいして、 周囲の教師や生徒が発する、『どうしたの?』とか『何を言っているの?』とか、ある場 合には、先の黒磯の女教師の最初のことばのように『トイレにそんなに時間はかからない でしょう?』とかのことばは、逆に、当の子どものことばや意識にも示されない無意識を、 鏡として映すことがありうる。言語と無意識とは関係のなかでしか相互に構造化されはし ない。ことばにおける『意味するもの』は『意味されるもの』と同じではない。先の女教 師の場合で言えば、『トイレにそんなに時間はかからないでしょう!』という『意味する もの』は当の生徒の『トイレにいた時間の長さ』として『意味されるもの』、つまり現実 そのものを決して意味しはしなかった。逆に、そのことばは、当の生徒の疎外された意識 の表出・表現、すなわち、着席した後のノートに彼がシャープペンシルの先端をノートが 破れるばかりの力を込めて字を書いた行為それ自身に、映し出されていたのではないか。」 (P.142-143)
「言語でさえも、情動や感情の表出・表現の意味は、それに向かい合う他者の側の行為を とおしてしか、相手の意識に達することはありえない。そうだとするなら、さきの『トイ レにそんなにじかんはかからないでしょう』といった、学校における『理性的言語』の表 層における支配は、現代における人間関係がつくりだしている非言語的世界や非理性的言 語や沈黙的世界を、関係のなかで読み解く技法、と言うよりも、それらをとおして、言語 の世界に働きかける技法をいっそう切実なものにする。」(P.143)
⇒坂元の言わんとすることを私は十分理解し得ていないレベルだが、そのレベルから見 ると、ある意味で中学校1年生の男子生徒にバタフライ・ナイフで刺殺された塚越佳代子 教諭に対して、坂元は死者に鞭打つ言葉を投げかけていると読めなくもない。もちろん充 分に慎重な表現が選ばれていることは理解できるが、私には坂元が塚越教諭の「トイレに そんなに時間はかからないでしょう」という生徒への発話が問題であったと指摘している ように読める(しかもその意味はわからないが、坂元は塚越教諭の発話を1回目に引用す る時には、「トイレにそんなに時間はかからないでしょう!」、そして2回目の引用では、 「トイレにそんなに時間はかからないでしょう」と記載している)。この件に関して、ま ず本節冒頭で引用した箇所を再度引用する。
「情動と感情が激して、意識がなくなるほどの場合、生徒はことばを発するだろうか。発 するかも知れない。しかしそのことばは、身体的・情動的言語だ。教師はそれにたいして、 どんな応答を行えばよいのか。それはどんな内容をもたねばならないのか。ナイフで刺さ れて亡くなった黒磯の教師が直面したのは、まさにこうしたことがらだった。自分が招い た面がなくはなかったとしても、場面はほとんど選ぶことのできないものだった。  あのようなとき、教師は一人の人間として、どんな情動と感情の表出・表現で対するこ とができたのか。人生にあってはそれしかないという場面が、運命的におそってくる時が ある。教師であっても、いや教師だからこそ、そういった場面はいくらでも起こりうる。 だからこそ、その時のとっさの表出・表現、情動と感情の表出・表現の手段が切に問わ れる。」(P.138-139)
「情動と感情が激して、意識がなくなるほど」の状況で生徒が発する「身体的・情動的 言語」。「教師はそれにたいして、どんな応答を行えばよいのか。」と坂元は問う。塚越教 諭が「直面したのは、まさにこうしたことがらだった。」と坂元は指摘する。そして坂元 は「自分が招いた面がなくはなかったとしても、場面はほとんど選ぶことのできないもの だった。」と述べる。坂元のコメントを敢えて前後逆転させると、ことの流れから見てこ うした状況に塚越教諭が直面することは不可避だったものの、その状況に到る原因の一端 は塚越教諭にあると述べているように読める。凶悪な殺害事件の被害者とは言え、教育の 現場で発生した事件の経緯と原因については冷静に冷徹に分析すべきであるということ か。こういうときに「教師は一人の人間として、どんな情動と感情の表出・表現で対する ことができたのか。」と坂元は問う。教師にとって「そういった場面はいくらでも起こり うる」のであり、「だからこそ、その時のとっさの表出・表現、情動と感情の表出・表現 の手段が切に問われる。」と課題を提起する。  冥界の死者からすれば、あるいは死者の遺族からすれば、残酷な言葉ではあろう。しか し、(通俗的な表現だが)塚越教諭の死を無駄にしないためにも、この不幸な事件から冷 静に教訓を導こうというのが坂元の提起の趣旨であろうと推測する(もっとも坂元は先の 一節をもっていったん栃木の事件への言及からは離れて「表出・表現の手段」に関する一 般的考察に行論を転換しており、塚越教諭の行動への対案を提示するようなことはしてい ない。  もう一度上記の再引用部分を注意深く読むと、坂元は生徒の「身体的・情動的言語」に 言及し、さらにそれに対する教師の「とっさの」「情動と感情の表出・表現の手段」を問 うている。咄嗟の対応という誰にとっても難しい条件を介しての検討課題であるが、教師 として、人間としての「情動と感情の表出・表現の手段」を残された我々が真摯に考究す ることで塚越教諭の悲劇を繰り返さないようにしたいという坂元の願いの表れだろうか。 しかし、そうだとしてもなおのこと、私には坂元が塚越教諭の「情動と感情の表出・表現 の手段」に誤り、失敗があったという批判を含んでこの事件の考察を行なっていると思え るのだが、どうだろうか?  そこで第1章を読む時には引用を省略したこの事件の経緯についての坂元の描写に戻っ てみることにしよう。4ページにわたる長い描写と考察だが、長さを嫌って私が抽出した り要約したりして紹介することは、上記のように坂元の考察にやや疑問を感じながら読ん でいる一読者である私の作業としては公平を欠くと思うので、関連部分を全文引用する。 第1章の学習ですでに引用した部分の末尾から重ねて引用する。
「結論的に言えば、それは、子どもの身体と精神の状態の著しい変化をあらわしており、 とりわけ、両者を媒介している情動 émotion の危機的変化である、と結論づけてよい。 しかし私たちはそこに、子どもの現実だけでなく未来を見ようと努力したい。  本章では、全国を揺るがした近年の一事件をとおして、以上のことを説明しながら、ま ず情動とはなにかについて、具体的に追ってみる。  1998 年1月28日、午前11時40分ごろ、栃木県黒磯市立北中学校1年生の男子生徒が、 休み時間に注意されたので、かっとなって、英語担当の塚越佳代子教諭(26 歳)を、バ タフライ・ナイフで刺して死に至らしめた事件が、大きく報道された。  この生徒は1998年2月25日、教護院送致の保護処分がきまったが、これまで新聞報道 などで判明したことをおおよそまとめると、彼が、殺害の直接の『引き金』としたのは、 塚越教諭の次の二つのことばだったと、すくなくとも私には考えられる(『朝日新聞』お 1998 年、1月29日)。  まず、生徒が教室に帰ってきたとき、塚越教諭が『トイレにそんな時間はかからないで しょう』ということばを発したこと。  この生徒は2時間目の国語の授業が終わると、『気分が悪い』といって保健室にむかっ た。養護教諭が熱を計ったら、一度目は35度台だったが、二度目は37度台になった。平 熱だと教諭は判断したので、保健室に行っていたおなじクラスの友人4人と一緒に教室に 帰した。4人の生徒のうちの2人は5分遅れて教室に帰ったが、この生徒を含むあとの2 人の生徒は、途中でトイレによったため、教室へ帰るのが 15 分遅れた。後から分かった ところでは、酪農家に生まれたこの少年は、1997 年5月頃から右膝を痛め、激しい運動 を禁止されたこともあって、それ以来いらいらする様子が多く見られたという(『朝日新 聞』1998 年2月3日)[黒沼、1998]。またこの日、生徒は気分が悪くて、じじつトイレ で嘔吐したといわれる。  つぎに、塚越教諭が授業が終わった後で、あらためて遅れて教室にもどったこの生徒を 含む先の2人を廊下に呼びだして、『トイレにいくなら、先生に言ってから行きなさい』 と注意のことばをさらに発したこと。 この生徒はそのとき、学生服の右ポケットからナイフを取り出し、向き合う塚越教諭の 左の首筋あたりにそれを当てた。  『あんたなにやってるのよ。』-これが塚越教諭の最後のことばだった。その直後、 この生徒は『ざけるんじゃねぇ』と叫びながら、塚越教諭の腹を刺した。七か所ほどが夢 中のうちに刺されていた。生徒はさらにうつぶせになった教諭を、上から靴でなんどもけ った。  もうすこしその時の状況を再現してみると、塚越教諭はこの生徒に、最初『先生、なに か悪いこと言った?』と尋ねた。そのとき、この生徒は『言ってねえよ』と返答したが、 それにたいして、教諭は『ねえよっていう言い方はないでしょう』と言い返した。生徒は 『うるせぇな』そういいながらナイフをだして、先のように教諭の首筋にそれをあてたが、 教諭はひるまず『あんたなにやっているのよ』と先のことばを言ったのである(『朝日新 聞』1998年1月31日)。  何度も教諭を刺した後、生徒は我に返ったように泣き始めた。警察の車に乗せられるま で泣き通しだった。『さびしそうな泣き顔だった』と、見ていた生徒は言っていたという (『朝日新聞』1998年2月1日)。  この生徒は、あとで宇都宮家裁で取り調べを受けた際、自分がナイフを出したとき、塚 越教諭がすこしもひるまなかったので、『馬鹿にされている』と受け取って、刺したと取 調官に言ったという(「宇都宮家裁の決定要旨」『赤旗』1998 年2月 25 日)。また教室に 戻って、塚越教諭から最初注意を受けた後で、生徒は着席すると、ノートを音を立てて大 きく開き、シャープペンシルの芯をださないまま、ノートが破れてしまうほどの力を込め て、なにか字を書いていたという。そして授業が終わる直前、生徒は『ぶっ殺してやる』 とかすかな声でつぶやいたのを聞いた同級生がいた(「キレた13歳」『週刊朝日』1998 年 2月13日)。 (中略―佐藤註・ここで既に第1章検討の際に引用した尾木直樹批判に論旨が移るので、 その部分を省略する)  さて以上の状況を通観して、この生徒の『情動』と『感情』をわけて考えると、それら の動きには、ふたつの契機(モメント)があったと想像できる。 (2020.11.5)  第1に、この生徒がかなり以前から、精神的だけでなく、肉体的にも調子が悪く、いら いらしていたという事実が判断できること。これは後にも述べるように、情動と感情とを 区別する観点から言うと、当人の『感情』に重点をおきながらの状況判断だと言える。と くにテレビドラマで俳優がバタフライ・ナイフを素早く使っているのを見て、生徒が格好 いいと思い、事件の1週間ほど前にバタフライ・ナイフを買い求め、級友にも自慢できる ので、翌日から毎日学校へもってきていた。しかしそれで他人を刺す気はなかったと彼は 言っている。  第2に、当の塚越教諭がとっさにひるんで、なにか恐怖のサインを示すか、または彼に 対する本能的な逃避行動をとっていたなら、あるいは、彼が『切れて』、刺すことはなか ったかも知れないという判断をしたら、どうかということ。これは当人の『情動』に重点 をおきながらの状況判断である。彼が教師から『馬鹿にされている』と瞬間的に感じたこ とについては、この生徒が普段そのような状態にあったことも考えられるが、その生徒の 生活史的・心理学的・精神病理学的・生物学的諸資料、とりわけ学校での学習状況資料を、 もっと調べてみなければ即断はできない。もしもちょっとしたことで馬鹿にされる事実が 始終あり、『感情』を抑制することができない傾向にあったとすると、ナイフを所持した ことも、あるいは周囲に対する、無意識の自己示威と自己防衛の、『あいまいな象徴主義』 (第5章)がそこにはあったかも知れない。」(P.36-39 )
 塚越教諭を殺害した生徒の「『情動』と『感情』」を「わけて考える」?という坂元の 分析に対して、私の誤解ではないかという懸念を抱きつつも解釈してみる。
 「感情」面では坂元は生徒の精神的肉体的不調、それにより「いらいらしていたという 事実」に着目する。  事実経過の説明と解釈の中で坂元は、生徒が「殺害の直接の『引き金』としたのは、塚 越教諭の次の二つのことばだった」という生徒の行動への解釈を示している。その1つ目 が、「トイレにそんな時間はかからないでしょう」である。そして坂元はその後に、「ま たこの日、生徒は気分が悪くて、じじつトイレで嘔吐したといわれる。」という伝聞事実 を挙げている。またその少し前には、生徒が2時間目終了後に「『気分が悪い』といって 保健室に」行ったが、養護教諭が検温したところ「一度目は35度台だったが、二度目は37 度台になった」にもかかわらず?「平熱だと教諭は判断し」、生徒を教室に帰した。生徒 は他の1人と途中トイレに寄り、そこで嘔吐したとされる。生徒の立場に寄り添って考え れば、気分が悪いと訴えて保健室に行ったのに、養護教諭からは平熱と判断され、それで も事実気分が悪くてトイレで嘔吐した後遅れて教室に帰ったら、塚越教諭からは(どうし て遅くなったかを問われた生徒がトイレに寄っていたと説明したことに対してであると推 測されるが)「トイレにそんな時間はかからないでしょう」と遅れた理由を否定する決め つけをされた。これに対して生徒の内面では《何もわかってないくせに決めつけやがって》 という怒りがわき上がったことが想像できる(但し、Wikipedia「栃木女性教師刺殺事件」 には、「教室に戻る途中にトイレに寄って友人と雑談していたため、およそ10分ほど遅れ て教室に入り」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%83%E6%9C%A8%E5%A5%B3%E6%80%A7%E6%95%99 %E5%B8%AB%E5%88%BA%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6 とあり、嘔吐の件には言及さられていなくて、生徒がさぼって遅くなったかのようにも受 けとれる)。しかしこの時、生徒はまだ塚越教諭に対する直接行動に出なかった。引用中 の『週刊朝日』記事を出典とする部分を再録すると、「塚越教諭から最初注意を受けた後 で、生徒は着席すると、ノートを音を立てて大きく開き、シャープペンシルの芯をださな いまま、ノートが破れてしまうほどの力を込めて、なにか字を書いていたという。そして 授業が終わる直前、生徒は『ぶっ殺してやる』とかすかな声でつぶやいたのを聞いた同級 生がいた」。生徒の怒りは授業中には自分のノートに対する破壊的・自棄的行為にとどま っていたが、終了間際には「ぶっ殺してやる」というつぶやきを発するに到る。しかしま だ周囲に聞かせることを意識した発語ではなかったと思われる。  事態が転換したのは、授業終了後に塚越教諭が「あらためて遅れて教室にもどったこの 生徒を含む先の2人を廊下に呼びだして、『トイレにいくなら、先生に言ってから行きな さい』と注意のことばをさらに発した」時だった。塚越教諭『先生、なにか悪いこと言っ- 35 た?』-生徒『言ってねえよ』-塚越教諭『ねえよっていう言い方はないでしょう』-生徒『うるせぇな』のやりとりの後、生徒はバタフライ・ナイフを取り出し、塚越教 諭の首筋あたりにあてる。塚越教諭が「あんたなにやっているのよ。」と発語した直後、 生徒は「『ざけるんじゃねぇ』と叫びながら、塚越教諭の腹を刺し」、さらに計7箇所ほ どを刺し、「さらにうつぶせになった教諭を、上から靴でなんどもけった。」(坂元が事件 の時系列に沿って書いていない部分も敢えて私の推測で時系列順に並べ直してみた。)
 坂元は、塚越教諭の二つのことばを、生徒の殺害行動の「直接の『引き金』」としてい る。引き金、つまり生徒の行動の起因(の一つ)になったということ。生徒と塚越教諭の やりとりの中で発生した殺害事件である以上、教諭の言動の側に全く起因がないとは考え にくい。それを坂元は、塚越教諭の二つの発話に求めた。だがよく読むと坂元は、「彼が、 殺害の直接の『引き金』としたのは」と書いているのであって、不幸な事件の原因追及の 作業の対象を、(少なくともここでは)塚越教諭に向けていない。  さらに言うと、上記の事実経過から確認できる塚越教諭の発話のうち、「ねえよってい う言い方はないでしょう」「あんたなにやっているのよ。」という、生徒のその場での言 動を咎めた発話については、取り上げていない。特に「あんたなにやっているのよ。」に ついては生徒からバタフライ・ナイフを首筋に当てられた状態で、刺される直前の発話で あるが、そのを坂元は敢えて取り上げていない。  今から 22 年前の事件であり、当時から現在までこの事件をめぐって多数の言説が世間 に飛び交ったと思われる。前掲の Wikipedia「栃木女性教師刺殺事件」は、塚越教諭の名 前は出さず、「女性教諭(当時 26 歳)」と記載した上で、この教諭について以下のように 述べている。
「刺殺された教諭の『先生なにか悪いこと言った?』といった高圧的な言動を取り上げ、 思春期の子どもたちへの配慮を欠いた感情的な叱責が、多感で悩みを抱えた少年を発作的 で衝動的犯罪に走らせたとする意見が、一部の心理学者やライターなどによって唱えられ た。はては、夫の郷里での勤務という家庭事情や本人の勝気で強烈な職業意識の結果、育 児のストレスが悪いかたちで教育現場に持ち込まれたという極端な議論まで現れた。しか し、被害者への客観的評価や全体的情報がないまま、事件直前の言動をことさら否定的に とりあげ、子どもたちの反発をうけて当然の嫌悪すべき教師像をつくりあげているとの反 論もなされている。ちなみに、刺殺された教師は指導に厳しい面もあったが、全体的には 生徒の評判が悪いわけではなかった。」
 Wikipedia は中立的に書いているが、殺人を犯した生徒だけではなくて、殺された教諭 (やその親族など)も一部言説によりバッシングを受けたことが予想される。今ほどネッ ト中傷が激しい時代ではなかったと思われるが、亡くなってしまってコメントも反論もで きない教諭の無念はいかばかりであろう。こう考えると、坂元が塚越教諭の最後の2つの 発話についてコメントしない理由も推測できる。Wikipedia が「高圧的」と評し、一部言 説が「配慮を欠いた感情的な叱責」と責め立てたその言動について、発話の当事者が発言 できない以上無責任な第三者の論評に加わらないでおこうと坂元は判断したのではないか 私の勝手な解釈であるが。
 さて、坂元が生徒の「情動」と「感情」を分けて考察している部分の1つ目の「『感情』 に重点を置きながらの状況判断」のところを考察していたのに、事件の時間的経緯を追い かけて、さらに坂元が塚越教諭を責めるようなコメントはしていないことに気づくという 大脱線をしてしまった。  話を戻して坂元の「『情動』に重点を置きながらの状況判断」を見よう。坂元は、「当 の塚越教諭がとっさにひるんで、なにか恐怖のサインを示すか、または彼に対する本能的 な逃避行動をとっていたなら、あるいは、彼が『切れて』、刺すことはなかったかも知れ ないという判断をしたら、どうか」と書いている。  まずここでは、塚越教諭がそのような行動をとるべきだった、そうすれば死ななくてす んだのに、というような死者に鞭打つコメントを坂元が述べているのではないことを確認 しておきたい。  それでは、ここでの「判断」の主体は誰なのか? 坂元を含むこの事件について考えよ うとしている第三者であろう。この「判断」とは要するに、塚越教諭の言動によっては生 徒が教諭を殺害するという行為を回避できたかもしれないという推測である。その意味す るところの一つは塚越教諭の咄嗟の対応への批判であるが、坂元の考察はその方向には向 いていない。意図的にそこには向けなかったのであろうというのが私の推測だ。意味する ところの二つ目は生徒の行動を修正する新たな状況が立ち現れる可能性もあったのではな いかという推測(教師が“挑発”しなければ生徒もあそこまでしなかっただろうという情 状酌量論にもなり得る)である。坂元は「たら、れば」は論じていないが、この考察の方 向に踏み込んでいる。ただ坂元は、ナイフにひるまない塚越教諭を見て「馬鹿にされてい る」と感じ、刺したという生徒の供述について、生徒が普段から「馬鹿にされている」と 感じていたのかどうかについて、「即断はできない」と慎重であり、「感情」を抑制でき ない傾向があったならばそれとナイフ所持、「周囲に対する、無意識の自己示威と自己防 衛」の関連も認められるような推測をしているとも読めるが、先の「自己防衛の、」に続 いて、「『あいまいな象徴主義』(第5章)がそこにはあったかも知れない」と、第5章を まで読んでいない私にとっては謎の予告をしているので、この部分での坂元の見解につい ての私のコメントは保留しておく。
 第1章に戻って長々と検討をしたけれど、結局坂元の言いたいことの核心部分はわから ないままである。次に進むことにしよう。  そうだった。坂元は死者に鞭打つ言葉を投げかけていたのかどうかに引っかかって、第 1章の記述に戻ったのだった。  私なりの答えは出た。坂元はもちろん、死者を鞭打とうとはしていない。加害生徒との 対応関係において、塚越教諭の行動に対して批判的視点を持ってはいると思われるが、死 して反論できない教諭に対して「そうではなくてこうすべきだった」と無責任に論じる批 判言説の一翼に、坂元は加わろうとしていない。  第4章に戻ろう。
「ジャック・ラカンが、他者の言語構造のなかに、自己の無意識を見たという事実は、実 践的には、子どもだけでなく、大人の感情形成の場合にも多く経験できる。ある他者とた またま会ったときの当人のあることばが、ひどくいらいらした感じや情動をひきおこし、 自分に迫ってくる感じに襲われる時がある。多くの子どもが神経を過敏にし、他者の視線 だけでなく、そのことばに傷つくことは、現代のいじめや暴力の原因をさかのぼるまでも なく、現代の私たちの周囲にはいくらでもある。  他者のことばのあるものは、それを言われた人間人格のもっとも深い箇所をつく。自尊 心を深く傷つけられ、業績の無意味さを印象づけられ、人生のもっとも肝腎のところにか かわる事柄としてそれはつきささってくる。  ことばとその意味は、それを発している当の人間よりも、それを受け取る人間にとって、 相手がどんな存在であるかを、秤にかける働きをする。だが、当の人間はそれをその場で すぐにも明らかに表現し返すことはそれほど多くない。  それを返せばいっそう自己が傷つくことを知っているからだ。そういう場合、一種の擬 態や演技によってそのことを隠す。しかし情動は深い内面の揺れによって彼をとらえて離 さない。ことばの秘密は、たんに当面する両者の関係だけにつながってはいない。当の人 間人格や、そこから生まれる一定の内面的傾向性が身体的揺れにまで転化する形になり、 それまでの彼をめぐる関係がそこに具体化する。言語関係と非言語関係とを一応分けて考 えても、人間においては、ある意味でことばの方が決定的だ。ことばはそれ以外のシンボ ル-身振り、仕草、表情-のように、いっそう秘匿的なように見えて、じつはその意 味を隠すことは難しい。  ことばは抽象化されているので、かえって隠されている身体的意味をあらわにする。こ とばは、人間の人生経験そのままに、敏感さの程度にそくして、人生の機微にかかわる言 語の深い意味と情動的言語としてのかたちへ具体化される。このことは、情動的意識その ものである夢のイメージが、感情の形成や治療に大きな役割を果たす場合を考えれば明ら かだ。  夢はたんにイメージだけから成り立ってはいない。夢から覚めたときの身体的調子や夢 の残像の意味する情緒的意識の調子を夢はともなっている。夢は全体としてそうした夢の 残存をとおして情動を治療する。また他者のことばが当人の情動や人格全体に平常突きさ している部分に強い影響を与える。とくに明け方の夢は、他の時間帯の夢と比べていっそ う『醒め際の夢』として、現実の情動と深く連関しているように感じられる。それは現実 の身体的・情動的治療に決定的な意味をもつ[Binswanger,1947]。  なぜ他者のことばが、自己のなかの『他者の視線』として働き、それが、身体的・情動 的意味を大きく働かせることになるのか。      *  このことは、無言と沈黙の表出・表現を考えれば、逆にいっそうはっきりとする。 非言語的手段は、手段として、音、形、仕草、身振り、表情、リズムなどだ。ほとんど 動かないで、しかも無言のままにいる場合、人間関係は表情とりわけ視線によって行われ る。これは対峙の情動のもっとも凝縮したかたちだ。」(P.143-145)
⇒いったん第1章に戻ったためか、私には上記の長い引用部分が、黒磯の事件の加害生 徒の情動を塚越教諭の(二つの)発語がどう動かした?かの解釈に読めてしまう。もっと も後半部分では「夢」とか「無言と沈黙」とか、この両者の関係との関連性が直ちには読 めない検討事項も出てくるが。
「情動と感情の形成における『手段』としての言語世界と非言語世界との関係について語 ってきた。市民社会においては、ことばは『物象化』されやすいコミュニケーションが支 配的となる。そして、ことばが含む非言語的・身体的・情動的意味も、そうした『物象化』 によっていっそう大きくなる。  ここでは、情動と感情の表出・表現の『手段』と『場面』とが、重なり合っていること を確認できる。市民社会的利害関係の特徴は、互いに交際している人びとが、表出・表現 する場合、相手を市民社会的利害において平等であるが、自己の利害の手段を満足させる ために、見たり、遇したりするところにある。その限りにおいて、市民社会は人間関係を 合理的にし、ある意味で平等にするが、同時に『物象化』された社会関係を多くの場で形 成する。」(P.147)
⇒「物象化」。久々に聞く言葉。意味を正確に知ろうとして『哲学事典』を引いても『新 明解国語辞典』を引いても載っていない(後者には「物象」は載っている)。やむを得ず Wikipedia で検索すると「人と人との関係が物と物との関係として現れること。」とあった。言葉の意味は一応わかったが、坂元がここでなぜ3回も「物象化」に言及しているのかは......わからない。
「それ以前の人間関係は、本質的には、『合理的』なものではなかった。市民社会的関係 以前には、融即(溶け合い)の響きの交感が存在したし、今でもある場面では、そのよう な状態がすくなからず見られる。だが現代において、それらが純粋に見られるという意見 にはにわかに賛成できない。祭の場面や祝祭的な哄笑の場面では、それらがときに見られ るかも知れない。しかし家族関係、そくに母子関係においてさえも、メラニー・クライン Melanie Klein (1882- 1960)が述べたように、相互の対象関係において、疎外された善悪 の幻想的区別が乳児の時からすでに存在しており、ことはそれほど単純ではない。  これは市民社会的関係によって促進されたものだ。とくに『物象化』された関係からそ れが来ていることを、社会学的に証明する必要があるが、そのことについては後章にゆず る。また自我の分裂症的傾向と社会関係の『物象化』との関連についても、現代の子ども の表現をとおしてみた新しい関係の創出、制度の変革を関連づけて考察しなければならな い。これも後章の課題として残しておく。」(P.147)
 第4章を終わる。黒磯事件への坂元の突っ込んだ言及があったことで、本書を自分なり に解きほぐして理解していく道筋が一瞬開けたようにも思ったが、「物象化」に出くわし て、またわからなくなってしまった。次は、先に第1章に戻って理解しようとして最後に 行き詰まったところを打開してくれるかもしれない第5章である。

 

 

 (その5)

 (2020.11.11)  (その4)を投稿した 11 月5日から今日までの間に、Facebook で予告通りの改変がお こなわれたらしく、既存の「ノート」は自分の「プロフィール」の中に保存されているが、 もはや新しい「ノート」作成のボタンは消失している。  とりあえずは、長くて恐縮だが通常の投稿としてアップしてみる。

 第5章 日本の子どもの情動と感情の表出・表現 はじめに 「『子どもをつかむ』とは、子どもをめぐる状況と彼らの内面から言って、まず、『子ど もの情動、感情、情念をつかむ』ことを意味する。その場合、情動のなかに、経験の意味 が含まれる。情緒的意識自身は、直接他者にはうかがうことができない。にもかかわらず、 情動は、情動、感情、情念の表出・表現として、他者のまえに意味をあらわす。『子ども をつかむ』とは、情動や感情の面から言って、それらの表出・表現の『かたち』の意味に 迫ることだ。」(P.149-150)
「子どもの日常使用している言語だけでなく、ある種のイメージや操作-遊びの行為と 言語、夢の言語、描画の線と色の言語、音楽のメロディとリズムの言語、科学的思考の操 作と言語など、子どもの生活の内面の表出・表現としてのかたちを、意味をもっとも素朴 に表す行動や表象や論理を媒介する情動の表出・表現として、力動的に把握する必要があ るのだ。その場合、情動が含み込む情緒的意識そのものは、共鳴や融即や伝染などを別に して、つかむことはできない。  ある表象が意味を持つという時、そこに含まれる情動の内容である情緒的意識の意味と して、直接つかむことはできない。表象に対立する情動の意味は、表象を表出・表現して いる当の人間との関係をとおして、表象の具体的かたちをとおして、つかむことができる。 表象とは一般に『心に思い描かれるもの、思考行為の具体的内容をなすもの』と『とりわ け過去の知覚の再現』とに分けられる[Laplanche et Pontalis, 1967, 414. ラプランシュ/ポ ンタリス、1978、401]。このことは、後に述べるように、いじめが原因で自殺した子ども たちの遺書のことばとして表出・表現されたものを見れば分かる。自殺した子どもがその 遺書を書いたときの情緒的意識は、再現のしようがない。いやもともと再現のしようのな いものだ。遺書のことばでさえも自殺した時の意識そのものを再現しているわけではない。 しかし、そこに遺されたことばから、またそこに遺された表象のかたちから、意識を読み とろうとする私たちは、無意識的にその構造化された意味を、象徴詩に似たことばや、夢 や狂気に似たことばとして、つかむしかない[Alquité, 1979, 3-120]。」(P.150)
「さきに私は情動のなかに経験の意味が含まれていると言った(149ページ)。それは情 動のなかに、行動から情動を経て思考に到る、意識と無意識との総体の端緒的契機と、そ こでの矛盾が含まれていることを示す。意味はこうした総体をつらぬいて、情動と感情の 形成を前に、向き合う人間相互を客観的にさせる(第3章)。そうでなければ、互いに向 き合う人間の情動と感情の教育的関係は成り立たない。意味が客観的内容をもたないなら、 それは主観的で恣意的な関係に堕してしまう。」(P.151)
「さしあたって、いじめや自殺をめぐる言語や前言語の分析からはじめる。その分析は、 情動、感情、情念などにとって、なによりも『象徴的』であることを意味する。この作業 は、子どもの表現の慣習的部分と同時に、もっとも新しい、おそらく日本の子どもがこれ まで表現しなかった『作品』をとおして、子どもの内面の意味構造を探ることを意味する。」(P.151)
第1節 子どもの言語世界における「象徴主義」 「象徴主義とは、ある内面の感情を、まったく別のしるし(シンボル)で、しかも多型的 に表現するスタイルであった(序章)。象徴主義は、感情の表現の仕方としては、普通そ の感情を直接的に表現することばとは違った新しい表現形態を、一義的に使用するのでは なくて、多義的に使い、多型的なかたちで用いる。」(P.153)
「象徴主義とは、ヨーロッパの文学・芸術史において、ボードレール Charles Baudelaire (1821-1867)の詩に代表されるように、自己の内面を何かのしるしに代表させながら、主 観的表現の域を脱して、状況それ自身である客観的世界を誰にも分かるように表現する新 しい文学・芸術様式だった。(中略)  ところで象徴主義は、精神分析に固有の方法として、19世紀末から20世紀初頭にかけ てフロイトによって新しく見直された現実認識の方法でもあった。精神分析における象徴 主義は、広い意味では、『無意識的思考、葛藤、欲望を間接的かつ形象的に示す表現様式』 であり、精神分析においてあらゆる代理形成はすべて象徴的だった。もちろん狭い意味も そこには含まれていた。それは『象徴と無意識に属する象徴されるものとの関係の恒常性 を主な特徴とする表現形式』を指し、『この恒常性は同一個人においても、個人と個人と の間においても認められるのみならず、ひじょうに多様な分野(神話、宗教、民間伝承、 言語活動など)および互いにかけ離れた文化圏の間にも認められる』ものだった[Laplanche et Pontalis, 1967, 476. ラプランシュ/ポンタリス、1978、226]。  象徴主義がヨーロッパの前世紀末以来、精神分析とむすびついて広がった理由には、多 様な要素がある。主なものは、市民社会における『物象化』の進行をとおして、個人間の 直接的・情動的関係が商品によっていっそう媒介的となり、人格と人間相互の関係が商品 化され、日常的な欲望や葛藤を、間接的に抑制・抑圧されるかたちで表現せねばならない 事態が広がっていったことだ。精神分析そのものの発展が、従来一般に存在していた象徴 主義を、社会の病理的問題の解決法として、ひろく精神治療の分野で考察・使用させるよ うにしたのであり、そこにはこのような背景があった。」(P.154-155)
「私たちがある不安や怒りを強迫的に感じる場合を考えてみる。そこでは、しばしば心気 症的状態や不安神経症的状態が私たちをとらえる。その場合、事態のリアルなイメージを 取り結ぼうとしても、その余裕はない。そこで自己治療のために、情動の揺れや心気症的 状態を、客観的イメージ、とくに象徴的イメージを、身体の状態に即して創り上げること をとおして、本能的に静めようとする。登校拒否に陥りそうな子どもは、一時学校から逃 れるために、状況と距離を置く学校とは別な具体的イメージを創って安定しようとする。 子どもはもっとも自分が愛されていると信じている空想の妖精と会話し、その妖精の住む 世界に誘われ、そこに行こうとするイメージを創り出す。そうした空想的・象徴的世界で は、ずっと自分は賢くなることもできるのだと子どもは想像する。それによって一時的に せよ、情動の揺れや心気症的状態を収めていく。現実の学校イメージではそうはおかない のに、それとは異なる妖精の国という象徴的イメージの場合、ゆったりとした身体的トー ンがもたらされる技法が身につき、治療の役割を成功裏に果たしてくれる。」(P.156)
「『母親の乳房』に象徴される他者にたいする関係は、自我の統合の自己への取り入れ(摂 取) introjection と、対象と他者への投影(投射) projection とから成り立っており、乳 児の段階の問題だけでなく、現代における自我と人格の同一化作用 identification の矛盾と 危機とを示す[坂元、1985-1986、1。2000、4]日本の子どもたちの自己肯定感が、諸外国 の子どものそれに比べて極めて低いと言われるのは、おそらく自我の統合の自己への取り 入れと他者への投射(投影)とがするどく分裂しているだけでなく、『よい母親』との関 係に象徴される、さまざまな『人に投げかける』諸関係が、その対象だけでなく、早くか らの業績競争によって過度の攻撃的内容に転化され、そのうえ、『人に見せる』のではな く、『人を見つめる』諸関係が、競争に負けた場合には、抑うつ的になるために、その反 動として、攻撃的態度をいっそう衝撃的で暴力的なものにし、それを親密な人びとに向け る結果となるからだろう。」(P.158)
「なお、私の以前の論文では、『物象化』が『資本論』(第3巻)から引用され、さらに ルカーチ György Lukács (1893-1971)の『歴史と階級意識』によりながら、その物質的 土台ばかりでなく、人間の態度や意識の問題へと発展させられていた。[ルカーチ、1975、 162-192]。またその発想が子どもの人間関係や意識における現象形態として取り上げられ ていた。それは、人間関係に商品が介入し、そればかりか人間関係の代わりを商品関係が 担い、最後には人間人格をも商品化する現象としてとらえられており、教育作用もまたそ の例外ではないとされていた。それらは現代資本主義の病弊としてなによりも認識されて いた。そこでは『物象化』が、資本主義経済と不可分の現象ととらえられていた。  『物象化』とは、マルクスによれば、資本制経済がその存在構造においてある『取り違 え』(Quidproquo)の上に成立するシステムであることを表す重要な概念である。それでは どのようにして、何と何とが取り違えられるのか。それは『人間自身の労働の社会的性格』、つまり『総労働に対する生産者たちの社会関係』を『物』の性格、あるいは『物』の関係として、人間の眼に反映させてしまうという『取り違え』である[マルクス・カテゴリー事典委員会編、1998、441、446(『物象化』の項)]。  資本制経済のもとでは、あらゆる有用な物やことがらが、商品となり、感情までがサー ビス労働になる。デパートの店員やスチュワーデスの顧客に対する微笑がマニュアルによ ることは誰でもよく知っている。それらは商品であるから、そのなかに当然『価値』(交 換価値)を含んでいる。ところがその価値は、個々の顧客と店員やスチュワーデスの関係 によって決まるのではなく、また彼女たちが働いているその会社の経営手腕によって最終 的にきまるのでもなく、あらゆる商品が交換される市場全体、全世界を覆っている市場で 働いている労働者の行う労働とその結果の分配、つまり『社会的総労働』の関係の-先 に述べたように『総労働に対する生産者たちの社会関係』-によって決まるのだ。これ をマルクスは物の価値を決定するのはその社会がつくりだす社会関係の総体が、その商品 に割り当てる、まるで神秘にしかみえない『抽象的労働』の一定量がつくりだす『抽象的 価値』であると考えたのである。だから、商品、つまり物のうらに、あらゆる社会的関係 がかくされているのに、人びとはふつうその商品に実体化された値段やその物をめぐる関 係でしかものごとを見ないという『取り違え』がおこるとしたのである。物の奧に人間関 係が隠されているという通俗的な『物象化』の説明が正しいとしたら、このような意味で なのだ。 (2020.11.12)  ところで、このような現象を、ガベル Joseph Gabel は、一方でルカーチの『物象化』 論が、とりわけ持続する生きた時間意識を『空間化』し『量化』する現象としてとらえた ことに注目した。そして、そのもっとも顕著な例を、労働時間が実際に商品の使用価値を 作り出す仕事の時間持続でありながら、それが結果として賃金形態をとり、しかも剰余価 値を隠蔽する事実をもっとも明らかにするものとして取り上げた。それがガベルのとらえ た時間意識の『空間化』であり『量化』であった。ルカーチのことばを借りれば、『商品 構造の本質は、人間と人間との関わりあい、関係が物象性という性格をもち、こうしてま た『幻想性』をもつようになり、そしてこの対象性が、その厳密な、見かけ上は完結した、 合理的な独自の法則のなかに、みずからの根源的本質である人間関係のすべての痕跡を覆 い隠している……』とするものだった[ルカーチ、1975、162]。  しかし、先に見たように、子どもや大人の内面の『分裂的要素』をとらえる場合、これ を『物象化』に即してとらえるガベルの観点からすれば、かつて私が展開した考察はやや 狭いと言わねばならない。現在ではそれは、ガベルの言うように、時間の『空間化』が『生 きられる時間の喪失』をともなうという『人格の分裂的現象』をとらえたミンコフスキー の意見にしたがって一層よく自覚される必要がある。つまり、『取り違え』の意識的現象 形態は、『分裂性』を伴わないわけにはいかないのだ[ガベル、1980、107]。  『物象化』は、いうまでもなく、商品経済、とくに資本主義経済のもとでもっとも顕著 にあらわれる。しかし、『空間化』について言えば、労働が『もの』として対象化される 時から、人間の内面は、『ことがら』として存在していた主体性が『もの』として対象化 され、『空間化』されることをまぬがれない。時間は時計が発明されてから量化された。 それは『生きられる時間』を、『もの』にように対象化した。その意味で、資本主義制度 のもとでそれは最も典型的に見られる。しかし資本主義制度以外でも、時間の量化や物化 という事実は避けることができない。ルカーチは、『物象化』の現象が、発展したギリシ ャ社会においても、ひとつの役割を演じていたと述べている[ルカーチ、1975、205]。ギ リシャ世界は、近代におけると同様の空間化された合理性による世界の認識と同時に、時 間の持続による非合理的認識を同時にともなっていた。これは『物象化』現象のいっそう 広義の取り上げ方だ。」(P.159-161)
⇒坂元は以前の論文=「現代における子ども・青年の発達の危機について(上)」(『教 育』1985.10 No.458)において「物象化」をマルクス『資本論』及びルカーチ『国家と階級 意識』に基づいて捉え、「その物質的土台ばかりでなく、人間の態度や意識の問題へと発 展させ」ていたという。しかしその「物象化」理解を、ガベル『虚偽意識』におけるルカ ーチ解釈を手がかりにさらに発展させようということらしい。ガベルの観点からは、「か つて私が展開した考察はやや狭い」と坂元は言う。  しかしその発展のさせ方が私にはわからない。 物象化=「持続する生きた時間意識を『空間化』し『量化』する現象」?? わからな い!
「1990 年代に入ってからの、日本の子どもの生活綴方の表現は、家族や家庭の問題をリ アルに描くのではなくて、もっぱら学校や学級での仲間の情動や感情や情念の葛藤を、主 観的で曖昧な象徴主義的表現で短く描く場合が稀でなくなった[坂元、1996]。それは、お そらく『生きられる時間』や『生きる時間』の持続の喪失だった。それ以後、家族ととも に労働する苦しみや、家族から離れて単身出稼ぎに上京した父のいない家族の悲しみの生 活は厳然として存在していても、ある時期までは、家族の絆として持続されていた。それ は労働から解放されたときの祭りや、父が久しぶりに家へ帰ってきたときのささやかなひ とときの団らんに表現された。苦しみにつけ、喜びにつけ、また悲しみにつけ、家族の共 生関係を記す『生きられる時間』や『生きる時間』のそれは持続だった。その持続は、そ の後、学校での人間相互の疎外関係の描写とともに、多くは姿を消してしまったかのよう だ。一見幸福な時間を持続していたはずの家庭関係こそ、大河内清輝君の遺書にみられる ように、空間化され『物象化』されて『取り違い』を引き起こすものにいやおうなく変貌 させられていった。と同時に、空間化された学校時間のなかで、瞬間的に切れ切れに感じ られる情動や感情が、子どもの時間意識を彩っていった。そのとき、きれぎれの感覚は、 極度に揺れる感覚・情動となっていったのだ。  自己表現が、『不安と怒り』や『攻撃性』に見られるように、極度に揺れ、人間関係に おける原初的意識である情動や、それにともなう身体の揺れのあらわれとなった。行動の 揺れが同時に意識の揺れとして、相即的に矛盾をもちながら進行していった。というより も、二つの揺れが分裂し、散乱して進んでいった。そのもっとも象徴的な表現が大河内君 の遺書ではなかったか。だから『物象化』の進行は、『曖昧な象徴主義』による『取り違 い』と情動や感情の『分裂』として、もっとも激しく子どもの心をおそったと言うべきだ。」(P.163-164)
「ここで『新しい荒れ』という表現がマスコミに登場したことについて触れておく。(中 略)この事態をこれまでの状態の継続・増加ではなく『新しい』と判断することができる かどうか、現象的に言えるとしても、1970 年代後半からの子どもと社会の危機の新しい 歴史を分析することなしに、単純に『新しい』といえないと思う。もし多くの教師たちが 直感している『新しい』事態が起こっているとすれば、従来の学校秩序では考えられない 生徒の行動と情動の揺れ、とくに原始的な行動と情動の揺れであり、それが『荒れ』と言 われるのは、従来の学校秩序にたいするある種の『攪乱 désordre 』を意味していると しか考えられない。それは人間としての、もっとも原初的な攻撃性や他者へのぶつかりを 経過する、二歳過ぎの子どもが時に示す、狂気にも似た、自我形成のざわめきの姿を思い 出させるものではないか。私は、かつてそのような状態を保育園の二歳児を受けもった保 母さんから聞いたことがある。そして私自身も自分の孫のケースで、ほとんど同じことを 経験したことを思い出す。だが『従来の学校秩序』とは何であったのか。  そのような状態が、思春期だけでなく、あらゆる子どもの時期の自己同一化作用におけ るするどい原初的葛藤と危機を示す状態なら、従来までの秩序は、学校の秩序として、通 り過ぎることがからくもできる状態として存在していた、ということでもある。それが『物 象化』の進行のなかで、現在ではもはや通用しなくなってきているということではないか。 もしも、そうした状態が『新しい』と言えるのなら、情動と身体の揺れが、あらゆる小・ 中学校の段階で、現代の学校秩序と対立するほど、子ども自身の自己同一化作用の危機が 普遍化してきた証拠ではないか。それは『新しい』とあえて言うよりも、従来の状況のい っそうの進展といえるのではないか[坂元、2000b]。  攪乱は言語にならない意識のかすかな光が揺れているのにも似て、行動にしか表せない 前言語的表現の揺れとしてあらわれる。そこには乳幼児期や思春期のもっとも原初的な反 抗と動揺とが含まれている。それが、学校のこれまでの秩序にたいして、小学校低学年と 高学年での反抗状態としておそらく噴出している。」(P.164-166)
「黒磯の中学生の刺殺行為は、『情動表現』あるいは『衝動表現』と言うべきなのだ。こ れを『感情表現』というからには、この生徒が平生からさまざまな思考をともなって物事 を感じていた状態を指さなければなるまい。あのときの状態はそれとはまったく違った状 態だった。現代の『荒れ』は、一時期のそれと違って、より怒りのエネルギーは低く、一 見冷静と見えるほど、怒りの動機もエネルギーも、低緊張のうちに行われていることさえ ある。激烈な怒りの緊張過度と低緊張とがほとんど現象的には同じ状態を示す例だ[cf., Wallon, 1925b; 1984]。あえていえば、衝動と情動とのあいだにある状態だ。  『荒れ』や『学級崩壊』といわれる事実は、このように理由づけられる状態ではないか も知れない。しかし混乱が自我統一の分裂的状況のかたちをともなって進行しているとす れば、エネルギーの高低にかかわらず、情動がもっとも身体的な揺れに近いところで起こ り、子どもたちがおかれている客観的状況が本質的に『取り違え』られ、それが認識でき ないところまでにいたっているのではないか。  象徴主義の曖昧性は、情動と知性との間にあるイメージの定着の曖昧性でもあり、その 源泉である情動が身体の運動へと還ることでもある。その極端な場合が大河内君と黒磯の 中学生のおそらく全く逆の例だった。前者は抑うつ的情動が自殺へ導いた例であり、後者 は攻撃的情動が殺人へ導いた例である。このような裸にも似た情動の揺れと『取り違え』 の状態は、逆に運動や姿勢から情動へ移行し、またイメージが情動へと退行していく段階 のプリミティヴィズム(原始状態)がいっそう明瞭になる過程でもある[東京都立大学「現 代と教育実践」研究グループ、1995、10-11、参照]。子どもたちが、『荒れ』や『崩れ』 の過程をとおして、情動の揺れやイメージの『取り違え』を内面的ではなく、外面の姿勢 や行動のそれとして表出しているとしたら、ワロンが述べたように情動は人間的発達の一 段階であると同時に、その段階を通過したり、その段階へ退行するような危機にさらされ たとき、くりかえしあらわれる過程だと言わねばならない。逆説的に言えば、情動の融即 や伝染など、響き合いの欲求を誰よりもはっきりと表現している事態である『荒れ』と一 見見える状況のなかに、『響き合い』の原始的形態とその欲求が雑然と共存している状態 とも言える。そうであるなら、子どもたちの一種のいらだちは一見病的に見えても、多く の差違を含んだ能力や学力をもつ生徒の集団が、交流を明確に共有する可能性を潜在的に 含んで噴出していると見るべきではないのか。『荒れた』クラスでの騒然としたおしゃべ りや行動の同じグループ毎の共有と異なるグループ間の切断と対立はその現れではないの か。そこには『荒れる』ことによる共通項がある。」(P.166-168)
⇒子どもたちの「荒れ」に発達に繋がる肯定的側面を見いだす努力?
「揺れる情動を示す『情動的段階』(ワロン)がそれ以前の『衝動的段階』(ワロン)と 接しており、最初はほとんど区別さえできないくらい、混じり合っているとすれば、『祝 祭的空間』の現出は、子どもの感覚のなかに、他者の運動や情動が表現に投影(投射)さ れた、その後に現れる一種の『投影(投射)的段階』だったと言えるかも知れない[cf., Wallon, 1925b; 1984]。  運動と情動の混じり合い。要するに、運動から情動、情動から思考への道行きと、そこ での断絶の弁証法のもっとも端緒的な混乱がここには示されている。これは人間発達のも っとも『豊かなるつぼ』ではないか。それを従来の学校的秩序への反抗や忌諱として、子 どもが表現しているとすれば、そこから教育実践と学校改革は出発するしかない。」(P.168)
第2節 子どもの前言語的表現の世界 「学業成績の世界を見てみる。筆者は大学生のコンパにつきあったことが在職中何度もあ り、彼らの一見なんでもない日常的言動のなかに、競争をめぐって、大学へ入るまでと入 ってからの、意外に深い心の傷跡をかいま見ることがよくあった。彼らはコンパの時ほと んどたのしく振る舞った。しかし酒が入ってくるにしたがって、鬱積した感情は私に向け られた。ある場合、それが学生に対する筆者の見かけの評価にたいする激しい不満となっ て表明された。ある学生は、ゼミナールでよく発言し、ゼミナールを『しきって』いるも う一人の学生にたいして、長い間嫉妬と羨望の感情をひそかに保持していた。それは時に ゼミナールの進行中に、まったく発言しない『沈黙』として表現された。だが卒業間際に なって、相手の学生が、自分よりも卒業論文の評点が下であったことが分かったとき、そ の学生は彼に対するコンプレックスがはじめて解消したように、ほとんど喜びに近い表情 をあらわした。安堵と勝利の輝きをいっぱいにしたその表情は私には驚きだった。保育園 や幼稚園で私が何度か見た、何かができることについての、園児どうしの嫉妬や羨望を含 んだ数々の情動や感情の見え隠れするドラマを見るようだった。」(P.169)
⇒坂元の「見かけの評価」とはどういうことだろう? ある学生を鼓舞するために実際 の教師としての判断以上に誉めるとか、評価していても厳しく指導するとか、そういうこ とだろうか?
「子どもどうしは、対立する自我のあいだで交流がおこると同時に、嫉妬や羨望の感情が 生まれる以前に、いや、自我形成がおこる以前にさえも、自己同一化作用の途上で、他者 を『見る』自己と、他者に『見られる』自己の二重化、すなわち『他者を支配する自分』 と、『他者に支配される自分』との二重化がおこる[Wallon, 1934, 249-256, ワロン、1965、 218-224]。これは、子どもの発達における嫉妬と同情の情動と自我意識の萌芽形態だ。こ の時期は同時に、感覚-運動に象徴される外部受容性感覚が旺盛に働く時期でもある。と くに3歳以前では、こうした傾向ははっきりあらわれる。3歳以前においても、融即や伝 染である情動交流が自然発生的に外部受容性感覚と混じり合って引き起こされうる。異年 齢集団をかかえている小さな保育園や、意図的にはやくから情動交流を多様な場面(動物 の飼育、身体を動かす音楽、自然のなかでのあそび、など)で組織している幼稚園では、 こうした情動交流がひんぱんにおこる。これは業績比較にたいする無意識的抵抗となって 現出される事態だ。だがこうした場面は幼児のなかでも日々少なくなっている。反対に、 子どもの業績についての比較と競争の感情は激しさをましている。  これは業績競争をはやくから幼児に植えつけてしまう大人の側と、大人が作り出してい る社会と文化の状況に主な責任がある。強迫的前言語的うながしが大人から絶えずなされ る。言語で直接行わなくても、前言語的関係のなかで、大人の表情や視線をとおして、要 求が子どもになされるとき、子どもは要求に応えようとして、無意識に強迫させられる。 『物象化』された世界のなかで、業績が奨励され、それが幼児の目に映り、二重化してい く自我にたいして、発達の一定の段階で必要な情動交流を希薄にする作用が強く働く。幼 児期ですでに、家庭や地域社会だけでなく、保育園や幼稚園をとおして、対象への達成感 覚を、人間関係の対抗=分散関係へと変形する力が強く働く。  精神分析でいえば、超自我が形成されない段階で、母親や父親にたいする対象関係がよ り広い社会関係にまで広がっていく社会的基礎が、ものごとを『物象化』していく関係を とおして強烈に働くとも言える。自己のなかに対象を受け入れ(摂取)、自己の外に自己 を投影(投射)していく、二方向の同一化作用が物を媒介して拡大され、それらが矛盾し、 葛藤し、分裂していく。これは人間関係の社会化が乳幼児の自己同一化の対象を広げてい る事実だ。しかも、『物象化』された関係と、そこでの業績比較が、二方向の機能にたい して、原点となるべき矛盾作用をとおして、『よい母親の乳房』と『わるい母親の乳房』 (クライン)に象徴化されるように、乳幼児が切実に内に感じる情動をめぐって経験され る。」(P.170-171)
「情動の矛盾・葛藤・分裂は、乳幼児の場合、言語の領域だけでおこるのではない。まる で夢の領域で経験するように、前言語的世界で、もっとも原初的遊びをとおしてもおこる。 そのような遊びの世界は、現代における商品化をともなった、遊びの世界の夢想化、仮想 的現実化 virtual realisation として、遊びの場と手段をいっそう『物象化』している。遊び の場として典型的なのは、景色や情景としてのディズニーランドやピューロランドであり、 遊びの手段として、『たまごっち』に象徴されるコンピュータ遊具である。このような世 界の現出は、『物象化』と『社会化』とが同時に進行していることを示している。乳幼児 の前言語的世界における交流(コミュニケーション)の性質は、情動を散乱させ『取り違 い』を多く行いながら、同時に、多くの治療的場面における分析をいっそう社会化する契 機をはらんでいる。  情動の反響、伝染、融即に見られるように、原始時代の日常で人類に起こっていた現象 は、人間の魂のもっとも原初的なしるし、火の玉のような、あるいは、異人のかたちを借 りた、目に見える魂の存在をとおしてだった。それはもののけの世界であった。しかし現 代における『物象化』は、逆説的だが、ものの世界に、まず乳幼児を、ついで少年や青年 までも巻き込んで、子どもの無意識の世界を投影(投射)する機会を日々増大している。」 (P.172)
「本質的問題は、競争による多くの不安を人間関係のなかにはらんでいる現代の子どもの 生活が、両価的(アンビヴァレンツ)側面を含んでいることだ。彼らは不安な関係をおそ れて、自己の内面にこもる傾向をもつと同時に、他者とできるだけ『もの』を介して関係 を結び、不安からのがれ、不安を解消しようとする。ものを仲介しないでは情動の揺れを 自己の内側に裸のままに感じて、防衛できない不安と嫌悪をもつ多くの子どもたちは、逆 にものや仮想的世界をとおして、不安な受動性や攻撃性をそこに投影(投射)する。精神 分析家が臨床をとおして観察しているように、原風景(子どもが目にした父母の性行為) における無意識の不安を、遊ぶおもちゃや、そのなかの映像の投げ倒しやぶつけ合いによ って表現したり、箱庭療法に見られるように、ものの配置に自己の不安な内面を無意識の うちに表現したりする。ポケモンの世界もその例外ではなかった。その意味で、これらの 現象はものと人間との関係を介する治療場面として、精神分析で盛んに取り入れられる理 由となっている。ディズニーランドやピューロランドもまた、競争の結果に象徴されるス トレスに満ちた子どもたちの、皮肉にも束の間の心の治療に役立っていないとは言えない のだ。  こうした現象は、商品による『物象化』によって、内部受容性感覚や自己受容性感覚に つながる情動が、ものに投影(投射)される機会を増大している証拠でもある。内に閉じ こもることと、ものを介して関係をできるだけとろうとすること、この二方向に分裂して いる子どもの両価的(アンビヴァレンツ)傾向は、情動を『物象化』しているというより、 情動を多くの物に投影(投射)しつつ、そのようなかたちで象徴的な前言語的世界を無数 に作り出すことによって、人間に対する好悪や安心と不安を象徴していると言ってよい。 そうした場面で、悪い人間や不安を引き起こす人間が示す象徴が優勢になるとき、それ を受け止める側の象徴は、極端な攻撃性や悪質な攻撃性として現れ、時には破壊的暴力や 殺人にまで到ることもある。しかしその象徴は普通なかなか見えにくい。だが攻撃性には 必然性があり、単純な禁止によったり、道徳的な教訓によっては防止できない。攻撃性は 強迫的な原始的不安を表現し、攻撃的行為によって、子どもが次の安定した段階に到るこ とができると考える思想からは、攻撃性は正常で正当な意味を含んでいる。それは揺れ動 き象徴を周囲に放つ現代の人びとにおいては必然的である。現代日本においては、それら が治療の場面で利用されるだけでなく、社会的犯罪にまでいたる状況だ。」(P.173-174)
「さまざまな情動のなかで、攻撃性ほど意識がはっきりとせず、行動と情動とが混じり合 っている状態もない。怒りは動機としての意識がほとんどの行動のなかに埋没して、行動 としての揺れを無意識に引き起こす。(中略)  多くの子どもたちが現在感じている『いらつく、むかつく、うっとうしい』情動の状態 は、『怒り』の表現形態だ。それはことばにすることがひどく難しく、怒りとしてすぐに も行動や表情として現すほかはないような、情動と自動作用の混合状態だ。それはつねに 表出を抑圧されている。」(P.175) (2020.11.13) 「重大なのは、攻撃性が弱者に向けられている事実だ。『物象化』された社会での競争は、 必然的に社会の階層化を反映して、地域においても、学校やその他の場面においても、子 どもたちの属する集団や、そこでの利害関係における情動や感情の領域(ゾーン)化を引 き起こすことを、かつて指摘したことがある[坂元、1985-1986]。全体的な情動の分散と 散乱と分裂とは、我が国では『取り違え』を含んで、微妙に見えなくさせられ、見え難く させられながら、学校のクラスにおける自然発生的な仲間の集合に見られるように、そし てそれらの仲間の間におこる集合・離散や、いじめと無視など、日常的に進行する生活と 情動の『領域化』とその日常支配(強弱)における差別の基層の進行を反映している[坂 元、1985-1986]。『いらつく、むかつく、うっとうしい』の三つに象徴される情動のかた ちは、情動が元来もっている融即の状態ではなくて、部分的に『領域化』された分裂状態 のなかで、分裂的にはたらく情動の様相だ。それを隠している強烈な統制は、我が国の場 合、家庭や地域や学校での子どもたちの支配と従属の論理に貫徹された-一方でいじめ ながら、『仲間』のなかでは支配の順序にしたがって、一見かばうと言ったあいまいな権 力的象徴行為において、またそれが金銭の授受を含んで、ほとんど日常的には見えない-形で進行している。  逆説的に言えば、情動のなまなましい分裂は、情動の状態を犯罪にも近づけるが、同時 に、治療の場面に持ち出して、自我の同一化作用の契機にすることを促進しているのでも ないか。それは夢のような象徴的イメージが、治療のすぐれた材料となることを皮肉にも 示している。」(P.175-176)
第3節 夢における感情表現 「夢はいうまでもなく、夢を見ているときの状態をそのまま再現しているわけではない。 それは夢自身を想起する(後で思い出す)働きのなかから生まれる。とくに子どもの夢を 分析する場合、このことが忘れられがちだ。夢の本質である想起のなかには、現実と彼の 身体との関連が表現されている。夢はその原因と条件とを身体的起源にのみもっているの ではないが、まずは身体的起源に由来することが少なくない[ユング、1992、24]。夢をそ れを想起する当人の身体状況と関連させない夢理論は、どんなに夢をめぐる相互コミュニ ケーションによる夢の社会化を説いたとしても、夢の解釈のなかから夢を見ている当人の 自己形成、とくにその情緒性を意識化することはできない。」(P.179)
「夢は、その他の原因と条件をもつ場合でも、情動の表現としては、身体的状況を経過し ていることが少なくない、というのが真実だ。そして現代の夢は、世界の『物象化』のな かで、情動の関係が直接的でもなく、またエネルギーの点で強度なものでもなく、つまり 情動の興奮度が高いままでもなく、さまざまな過緊張(ヒペルトニー)を一方でともない ながら、他方で、情動の低まりと結びついた緊張低下(ヒポトニー)さえもともなう状態 におそらくなっている。言い換えれば、情動の切実なカタルシスがほとんど必要とされな いほどの低エネルギーのイメージをもつ『幻想の創造』へと転化される傾向をもつにいた っている。フロイト風に言えば、現実原則と快感原則との葛藤が必ずしもはっきりしない かたちで幻想が生まれるというよりも、その幻想のイミテーションが、『物象化』された 世界のなかで、画一的に見本化されて子どもたちに提供されているなかでの夢(昼間の夢 想と夜の夢)という構造になっている。」(P.179)
「問題はあくまで夢に代表されるような幻想と現実の関係にある。それは、現実の困難を 『なつかしい夢』によって癒す場がほとんどなくなってしまうほど、現実の方に『幻想の 創造』が『憎しみ』の情動をもって表現されてしまう状態だ。現代の子どもの見る夢はフ ロイトが言った意味とは違う意味で、多くは孤絶した内向的性格をもっているのではない か。昼間の現実に対する言述さえもが、象徴的になっている葛藤のなかで、情動のもっと も純粋な安定と不安定の間の揺れの様相を呈しているように思われるのだ。夢は、昼間の 関係があまりにも競争と不自由な境遇に満たされているので、閉じられた空間の、しかも 人間発達の相対的安定の前期段階(少年期)と後期段階(成人期)とこれまで言われてき た自然的性質がいずれも不安定になり、そのあいだをさらに不安定に揺れている。子ども の夢は、その意味で、現代では早くから、実際、労働のなかで幾多の不安をかかえている 大人の夢に近づいているのではないか。」(P.180-181)
「夢は、幻想の原風景的意味をもつために、もっとも純粋な情動の内容と様相を呈してい る。現代の子どもたちの夢は、過去があまりにも安定していないために、回想的な夢を見 る老年期(70 歳以後)の夢とはおそらく異なっている。しかし、老人のおかれている状 況もまた現代では、過去の回想のなかでの揺れとほとんど同質の揺れを含んで表現される のではないか。大人の夢が揺れているのと、子どもの夢の揺れとがおそらく同質性を示し ていることがここでも仮説的に言えそうだ。  以上のことは夢が現実の言述を含まないわけにはいかないという逆説を含んでいる。と いうのも、夢は眠ることによって『一時的に死ぬ』という側面と、もう一度醒めることに よって『再生する準備をする』という意味の双方を含んでいるからだ。また夢は幻想のな かに、純粋な情動によって彩られた幻想的な部分と、現実の感情によって彩られた部分と を同時に含まざるをえないからだ。現代人の夢が孤絶した人間のそれであると同時に、昼 間の『物象化』された関係のなかで自動的に経過している安定した部分への反動を含んで いることは言うまでもない。そのような『物象化』された関係に順応していく部分を夢は また孤絶した形で含んでる。それが自体愛のかたちで現代の夢が現象する理由にちがいな い。」(P.182-1-182)
 第5章を終わる。夢に関する記述は興味深かったのだが、それでも全体として、ほとん ど理解できなかった。(^^;)

 

 

 (その6)

 (2020.11.19) 第6章 情動と感情の表現と教育 はじめに 「本章では、情動と感情の表現についての『意図的教育』の実際について扱う。しかし『意 図的』と言っても、そこに『無意図的』要素が混入し、両者が連続するのを避けることは できない。そのことについては、現代社会の特質として教育学または教育科学のあり方を 根本的に再考すべき条件が胚胎しているためだが、それについて述べるには、ゆうに一書 を必要とする。結論的に言えば、形成と教育とは、区別されるどころか、現代社会のもと では連続しつつある。したがってここでは『連続』とだけ言っておく。  意図的教育的働きかけを強調するのは、一般に情動の表出が意図的要素を含むことが少 ないから、これを意図的なものにしていくという通俗的意味からではない。形成と教育の の連続は、現代が情動と感情の万人の意図的表出・表現の時代に入っているという意味か らである。このことは、情動と感情の形成が、現代において、それは人間形成における、 とりわけ情動と感情における表出・表現の権利の日常問題として提出されている。」 (P.185-186)
「意図的な『教える-学ぶ』という関係が、『話す-聞く』『語る-聞き取る』という関 係を含んで、情動と感情の表出・表現の無意図性から意図性への転換・連続を内在させて いること」(P.186)
第1節 専門家の表現から万人の表現へ  全くの偶然。P.191-192 に、吉永小百合主演の『夢千代日記』への言及がある。私は昨 日、(2020.11.18)湯村温泉の温泉街にある夢千代館を訪ねた。  もっとも坂元の関心の中心は吉永が後に取り組んだ原爆詩朗読にある。
「専門家の表出・表現から万人の表出・表現へ。それぞれの表出・表現する主体の人間形 成の全体へのかかわり、そのなかに自己自身の生き方の感情的・情念的あり方が、こめら れていることのひろがり。そしてその表出・表現の意図性の自覚。そうしたことになかに、 現代の表出・表現のもつ情動と感情の形成が意図的教育へと連続する核心がある。」 (P.193)
第2節 感情表現の日本的特性 「感情的・情念的表現の万人性の実現のために、ここで認識との関係における感情表出・ 表現の日本的構造の問題をいくらか見ておかねばならない。」(P.193)
「最近、中教審においても、『生きる力』を子どもに育てることの必要性がしきりに強調 されるようになった。また、神戸須磨区の中学生の連続殺傷事件をきっかけに、『こころの教育』についての答申を首相が強調する場面が報道された。これは、いじめや自殺や暴力、さらには年少殺人など、生きる根元的な力が、子どもたちの人間形成に欠如しているように見えることへの、文部省や内閣の側の対応を、ともかくも表現している。  このような考え方は、感情表出・表現の立場から見ると、なんども文部省側からいわれ てきたある種の構造を象徴している。子どものなかに形成されていく力を、まずは知識・ 技能のそれとして見るとともに、知識・技能をまず身につけさせることを、学校教育の主 要な仕事としてとらえる考え方である(「基礎・基本」の強調)。しかし、学力の中核を になう力の形成だけでは、学校教育の肝腎は形づくられない。そこで、より根元的な魂を 入れておかないと、仏つくって魂入らず、という状態だとの認識が、いつも政府側の文書 では強調されてきた。道徳教育の強調とか、心の教育の強調とか、情操教育の強調とかだ。 いわゆる『人間教育』の強調というかたちで、より根元的な教育の部分を、どこか別枠の 時間で行わなければ、学校教育の全体が成り立たないという考え方である。  中教審のいう『生きる力』の提唱にしても例外ではない。こうした主張にたいしてその 内容を一応批判しつつ、一種の二元論によって、学校教育の構造を組み立てていこうとす る点では、民間教育の側がそれほど変わらない傾向をもつとすれば、大きな問題だ。 教育における『生きる力』の強調は、民間教育運動からすれば、形式のみを問題にする かぎり、私なども1970年代から言ってきた[坂元、1979]。『分かることを生きる力に結び つけ、地域に根ざす教育を』という教育科学研究会のスローガンも一時期強調された。い まさら中教審が『生きる力』を言ってみても、中身こそが問題だとして、冷ややかに見が ちだ。」(P.193-194)
⇒坂元の民間教育の「それほど変わらない傾向」=「一種の二元論」批判とは、具体的 には何をターゲットとしていたのだろう?  拙著『「生きる力」論批判』(2018)では、「Ⅴ.『生きる力』に関する先行研究」の中の 「Ⅴ-8.(2002.11.25/2008.4.30/2018.2.15)梅原利夫による『生きる力』対案の提起」で、 次のような梅原批判を行なっている。
「要するに、中教審の『生きる力』の構成要素に問題があるのであって、『生きる力』を 教育目標とすること自体には問題はないという考え方である。  (中略)より根底的な問題は、梅原もまた人間が生きること、子どもが生きることを『力 の束』という視点から捉えていることである。確かに構成要素は異なるが、人間が生きる ことについてのこの把握の仕方は中教審答申と同一である。  梅原は、上記に続く行論で、中教審『生きる力』論の社会観、および自己責任の過度の 強調を批判し、さらに『中教審の「生き方」の探究の項では、自分の生き方を主体的に考 える態度が強調されて』いるとし、これに対して『私たちの望む生きる力では、自分の生 き方だけを考えるのではなく、地球や世界レベルの人類的な未来と自分の生き方をつない で自覚的に考え行動しうる世界観の確立』という展望を持つ必要があるという見解を対置 している。ここでは『生きる力』と『生き方』が特に区別されずに論じられており、両者 の関係も明確ではない。 (中略)  要するに梅原の『生きる力』論の基本姿勢は、『生きる力』は中教審に先立ってもとも と民間の教育実践の中で提起されてきたものであるというものであり、『生きる力』の内 実・構成については中教審の社会観・人間観を批判しつつ、民間教育運動の立場からその 内容を積極的に提起する、というものである。  この梅原の立場について、教育科学研究会をはじめ民間教育研究団体の中でどの程度の 合意があるのだろうか。私のような異論を唱える人は他にもいるのだろうか。(後略)」(拙著P.186-187)
 結局私の梅原批判の要点は、梅原が「人間が生きること、子どもが生きることを『力の 束』という視点から捉えていること」であり、生きることを捉える枠組み自体は中教審答 申と同一であること、である。  坂元論に戻って、「二元論」とはいったい何か。上の引用からまとめなおすと、 ・「子どものなかに形成されていく力を、まずは知識・技能のそれとして見る」 ・「知識・技能をまず身につけさせること」が「学校教育の主要な仕事」 ・「しかし、学力の中核をになう力の形成だけでは」「仏つくって魂入らず」 ・「いわゆる『人間教育』の強調というかたちで、より根元的な教育の部分を、どこか別 枠の時間で行わなければ、学校教育の全体が成り立たないという考え方」
 つまりは、《知識・技能の形成》と《人間教育》の二元論、ということになろうか。坂 元はこうした二元論が民間教育の側にあると指摘して警鐘を鳴らしている。  佐藤は梅原の「力の束論」の枠組みはそのままに中身だけを入れ替えるという中教審「生 きる力」論批判のその枠組設定自体を批判している。坂元は民間教育が二元論を批判的に とらえていないことを批判している。両者は、民間教育運動における「生きる力」把握に 問題ありとする点では共通している。坂元は梅原の名を挙げて批判しているわけではない が、坂元の民間教育批判と佐藤の梅原批判は、行論としては軌を一にしていると思える。 (2020.11.20)
「こうした議論には人間形成についての二元論があると言ったが、それはなにも今に始ま ったことではない。それは、日本文化のかなり早くからの-近代以後だけでなく、中世 や近世の外来文化の摂取以来、多くの人びとによって指摘されてきた-構造であること が明らかだ。  一方で知識・技能のように外から合理的につけ加えうる部分を、『ざえ』(「才」)とし てとらえ、その習得の重要性を言いつつ、他方でそれに芯を入れるものとして、『魂』や 『心』を言うとき、今問題にしている情動や感情や情念をかたちによって付与する考え方 だ。そこには、本書で一貫して追求している情動や感情や情念と認識との総合-矛盾と 葛藤と分裂を問題にする一元論が採られていない。」(P.194)
 ここから坂元は中世近世を振り返る。そして、私にとって別の意味では興味深い「近年 の藤岡信勝の思想構造」(P.196)の考察へと進む。  藤岡は1970年代学力論争で鈴木秀一とともに坂元批判を行なった。その後1980年代に かけて藤岡は教育科学研究会の教授学部会→授業づくり部会の中心となり、やがて授業づ くりネットワークを立ち上げて教科研から独立していく。私は藤岡の「歴史授業の三つの モデル」論文(久津見宣子・山本典人・有田和正の小学校歴史授業分析)の批判的検討を 日本教育学会発表(故・小嶋昭道と共同)及び『教育』No.499 投稿論文「社会科授業実 践分析における『モデル化』の実践的意味-藤岡信勝論文「歴史授業の三つのモデル-久 津見、山本、有田実践の比較分析-」の検討-」(1988))」して行なった。藤岡は私の批 判に対しては、検討の礼とともにこうした批判をされる意味がわからないとのコメントを 返されただけであったが、この批判を機に私は藤岡から授業づくり部会への参加を誘われ、 それまでの教科研社会と認識部会に基盤を置く自分の教科研活動をシフトさせた。そして、 独立した授業づくりネットワークには現在も関わりを持っているし、自由主義史観研究会 についても初期までは参加していた。
それはともかく、私としてはここで坂元の藤岡批判を聞くのではなく、民間教育運動における「生きる力」へのスタンスについての坂元の疑問・批判をもう少し掘り下げてほしかった。
第3節 感情表現とそのリアリティ 「ここで、情動と感情の教育についてさらに考察を進めていくには、「教える-学ぶ」関 係をとる場合の、情動と感情のリアリティが、現代においてどのようになっているかをつ ぶさに点検する必要がある。その場合、先の感情表出・表現の日本的特性とも言うべき二 元論が、感情表出・表現のリアリティを一見確保しているように見えて、知性と情動・感 情との矛盾と統一のリアリティをいっそうあいまいにしていることを自覚する必要があ る。」(P.197)
「『異化作用』が、現在の学校の現実からいえば、フィクションであっても、それがもつ 子どもにとっての意味が、悲しみやつらさを乗り越えていく喜びの情動を含んでおり、目 的意識的活動の自己決定と自主的参加をうながすものであり、全校生徒の融即(溶け合い) や伝染や響き合いを含んでいること」(P.198)
「子どものリアリティに突きささっていくとは、子どもの情動や感情や情念の分裂と拡散 とにんたいして、自主性を取り戻すことを意味する。なぜなら、分裂した世界を、自己の リアリティによって一元化するには、まず自己の身体から出発するしかないからだ。身体 こそもっとも自己が一元性を取り戻すことのできる対象である。身体にもっとも密接に関 係する情動や、そこに知性が統合される感情をとおしての、共同や協同については簡単に 言うまい。感情表現の探求は、現代では感情の画一性を前にして、個人の身体の孤絶性と 孤独性をも前提とした個の自立を考えないわけにはいかない状況だ。  もっともこう言うことによって、教師にたいする子どもの日常的『演技』、また子ども にたいする子ども自身のふだんの『演技』が、『一時的な不愉快な断絶』を、身体をとお して集団的にできることを早くから予防する先取り的努力であることを見ないわけにはい かない。子どもは、学校のなかで孤立しているにもかかわらず、表面的に人に合わせる術 を十分心得ている。それらを懸命に駆使しながら生きている。それはある場合には、完全 なフィクションであり、リアリティなどひとかけらも含んでいない状況だと言ってもよい。  しかし、感情表出・表現万人性の進行のなかに、『嘘の誠』とでも言いうるリアリティ がある。(中略)それは情動の揺れをともなっているから、つねに真実であるとは限らな い。だが教師は、子どもたちの『演技』や『嘘の誠』が、人間関係のなかで、万人の表出 ・表現性を帯びつつ進行しているものとして、情動と感情の全身の揺れで受け止めようと するときにのみ、辛くもリアリティを保ちうることを知らねばならない。子どもが曖昧な 象徴によって、互いにさぐり合いながら生きているなかに、『嘘の誠』の根拠がある。万 人の表出・表現を意図的に保証する教育の方向は、子どものさぐり合いのなかにこそ、身 体の孤独をとおして実はつながり合いたいという、誠の表出・表現を逆にみなければなら ない。そうでなければ、一見マイナスに見えるフィクションが、真のリアリティへと展開 する論理を見失う。  リアリティとは、人間存在の全体性をとおしての世界と現実の『具体的認識』であり、 『人と人との間の現実性 une realité interhumaine 』(ラガシュ)であると考えねばな らない。[エスナール、1983、50]。演技やフィクションによって、たがいにさぐり合って いる、またときには、いじめや暴力や『むかつき』の表現を行っている子どもの情動や感 情のなかに、人間関係としての真の現実=リアリティを見なければならない。」(P.198-2 00)
「表出・表現のリアリティは、個々のことばの確実に真実なことがらだけから成り立って いるのではない。そこに部分的に『嘘の誠』がはさまれていても、全体の表出・表現の交 流のなかに、現代の矛盾は反映されているとき、それをあえて表出・表現のリアリティと 言うのだ。リアリティは、真の感情が背後に隠されているときにあらわれるかも知れない のだ。それは、現実にたいしてもう一つの隠された現実である、夢のリアリティに似てい る。」(P.201-202)
「現代においては、リアリティは多面的な内容を含んでいる。リアリティは、現代社会と 子どもの病理的傾向のなかで、その根拠を失って来つつあるようにさえ見える。子どもの 表現のどこが現実性を実際もっているのかということにたいして、疑問の声さえあがって いる。信じることができないという意味で、リアリティがないとの嘆きはあちこちで聞く。 しかし事柄は逆の様相を呈しているのではないか。  現実性(リアリティ)には、フロイトの言うように、二種類のものがある。一つは、心 理的病的状況に陥っている患者が幻想のように語り、動作する『変形された内面的現実性』 である。それは夢の場合でも、幻覚の場合でも、その表出・表現をとおして、ある主観的 現実性が示されている。これにたいして、もう一つの現実性は、そうした『内面的現実性』 の奥底にある脱主観化された『物質的現実性』である。これは、もし『内面的現実性』が、 その病的状況をあいまいにではなく、明確に身体的表出や表現として-象徴的にではな く、生理的・物質的に示すなら-『物質的基礎』をもった現実性として明らかにされる ことができる[エスナール、1983、13-14]。それは実体をもった物質的現実であり、意識 や無意識をも含んだ人間そのものの運動である。ワロンが行動や運動から出発した人間の 客観的姿である。  このことは、現実性が病的になればなるほど、明らかになることを意味しない。現象的 には、精神疾患の明確な表れは、患者の表すことばと身体表現に、その病理的基礎をはっ きりと与える。しかし、進行している社会の病理状況が、正常と異常との境界を広めてい るとするなら、一見不明確にみえる現実性の奥底に、驚くべき物質的基礎を内在させて、 進行していると言えるのではないか。その秘密を知る鍵を私たちがもたないからその状況 を、現実性のないものとあたかも見なしているに過ぎない。  こう考えると、表現のリアリティの落とし穴を、もっと深く考察しないわけにいかない。」(P.202-203)
第4節 感情表現のリアリティの落とし穴 「表現のリアリティの落とし穴と言ったが、これは表現を実体的・客観的に含む現実性を、 表現にたいする意味の現実性と混同してはならないことを言いたいためだ。そして意味の 現実性を客観的にとらえる鋭い感受性と科学的手続きを身につける必要性を強調したいた めだ。」(P.203)
「なによりも感情を歴史的にとらえる知性と批判的態度とが感性的にとぎすまされていな ければならない。感性と感情に流されてはならない。どうかする感情や昇華する感情だけ で情動と感情の教育のリアリティを構成することの危険性がここにははっきりとある。情 動と感情の教育が、知性によって情動と感情を異化する必要性があるのは、感情の表出・ 表現のリアリティの落とし穴に陥らないためだ。と同時に、表出・表現を実体的・客観的 的に含む現実性と、表出・表現にたいする意味の現実性とを単純に同一化しないことが重 要だ。
 (中略)物事にたいする異化の感情が知性と道徳性と結びついていく高度の水準が、そこには要求されている。(中略)現代では、まず自己の既成の専門性を疑ってかかることが要求されている。教師ほどこのことが決定的に必要になっている職業はない。どんな感情も、かつてのリアリティを、事実とともに過去のものとしてしまい、そのなかで新しい意味と情 動とが付与されていく。その付与された部分も含めて、情動と感情の表出・表現とその鑑 賞を冷静に見つめる時代に現代はなっている。」
(P.206)
「いまや『感情管理』の様相は、『情動知 emotion knowledge 』、すなわち二元的な情動と 知識とを自己のなかに『自然に』結合する技法を、いっそう職業的にコントロールするこ とを要請されるようになっている。」(P.208)
 第6章を終わる。残り2つの章となったが、概念を概念で形容するというか、いくつも の概念を渡り歩きながら論理を進行していく文章に、文法的にはなんとか流れがわかるも のの、内容的にはとてもついていけないでいる。重要と思われるので引用はしているがコ メントはつけられていない多くの箇所は、その表れである。

 

 

(その7=最終) 

 (2020.11.25 本書を読了) (2020.11.26) 第7章 情動と感情の教育の内容と方法 はじめに 第1節 情動と感情の教育の内容と方法の条件 第2節 情動と感情の表現の歴史性と非歴史性(前略)非歴史性とは、人類の一人として自然と共生してきた永遠に変わらぬ状態に還 ることによって、苦楽をともにしながら、生死を迎える一回限りの人生の普遍性を示して いる。  情動と感情の教育の内容と方法を考える場合、その歴史性と非歴史性とを同時に、しか もどのように対立する事実とするかは、深く考えねばならない問題だ。歴史は自然史とと もに、情動と感情を変えてきた。事実はすべて歴史的であり、非歴史意識もまた歴史的事 実なのだ。だからこそ、急速に変化する人間中心の現代世界にあって、ふたたび人間のも つ非歴史的意識に目を向けないでは、どんなに歴史が進行しても、地球が存在する限り、 人間のもつ自然性を生死必然のものとして、また自己の人生を一回限りのものとして、す べての人びとがその苦楽をともにするという、とくにアジアにおける仏教が追求してきた、 ヨーロッパの伝統にはない、そしてたんなる分別によってでは分かちえない、人間と自然 の存在の共通のあり方に眼を向けないでは、情動という人間固有の普遍的な性質を、アジ アに位置する我が国で形成することはできない[鈴木・上田編、1997]。歴史的意識(思惟) は非歴史的意識(思惟)によっていっそう深まる。知的認識の場合はいうまでもなく、情 動と感情の意識を捉えるときには、このことがいっそう要請される。しかし基本は、あく までも現代において、私たちが世界史をいかに生きていくかということだ[上原、1970]。」 (P.214-215)
「これまで、運動から姿勢、姿勢から情動、情動から心像(イメージ)、心像(イメージ) から推論的思考、推論的思考から感情や情念の表出・表現のおおよその道筋をたどってき た。その歴史性(歴史意識)と非歴史性(非歴史意識)とを、現代において矛盾し対立す るものとして、情動と感情の教育のなかで生かしていかねばならないことを述べてきた。」 (P.215)
第3節 体育-遊び表現における「姿勢-動作性」 第4節 写真表現における瞬間的「美的イメージ」の創造 第5節 描画表現における「美的イメージ」の創造(前略)こうして、情動と感情の教育の内容と方法に、描画の素材と方法が位置してい るのは、長い間につくられるイメージをとおして、運動や姿勢を抑制し、運動や姿勢と連 係することが、運動と情動とイメージと感情との切断と連続という人間発達の弁証法に合 致しているからである。」(P.231)
第6節 情動と感情と推論的思考の表現 「ここで、情動と感情の表出・表現が、推論的思考を含む科学的認識につながる地点を考 えてみる。もしも思考がゆたかな情動の表出・表現とその制御に依拠しないなら、思考は どこか現実に対応しない、固い、具体的生活との接触を欠いたものになってしまう。情動 と思考との間には複雑な関係がある。これは推論的思考の場合も同じことだ。」(P.231)
「表象からその発達が始まる状況的・実際的知能と推論的知能とは、情動の働きを抑制し たり、消去したりすることによって、現出する。しかし、情動と感情の豊かな発達が、こ うした思考の働きを促進する側面を同時に発見しなければ、情動と思考の切断と連続の弁 証法を、表出・表現の内容と方法へ具体化することはできない。この問題意識は本書の中 心テーマの一つだ。」(P.232)
「誰でも幼児期に、一度は月の明るい晩に自分が歩くと、その影も一緒に動くだけでなく、 月もいっしょに遠くの空を移動していくのを発見して、驚いたことを思い出す。これはあ らゆるものが自分と同一に動くとするアニミズムの思考だ。自分の思うとおりに外界が動 いて行くと感じるのは、自己感覚の投影(投射)としての外部受容性感覚が動きをとらえ ている事態である。アニミズムは子どもの想像力を刺激する。外部受容性感覚と内部受容 性感覚や自己受容性感覚とが、そのなかで対立しながらつながっている。アニミズムが情 動と感情と推論的思考との形成に関係をもつのは、アニミズムが一方で、子どもの主観的 ・情動的意識とイメージとのほとんど完全な融合であるにもかかわらず、そこになぜ自分 の外部にある月が、自分と一緒に歩いてくれるのか、という不思議さへの推論が、すでに 働きはじめていることを示している。」(P.233)
「発見は変化の中からしかありえないと先ほど言った。それはある意味で情動の抑制から 生まれるとも書いた。しかし、変化しないこと、反復することもまた、発見でないことは ない。そこには死の意識が関係している。  死は意識がもはや変化しない、またすることのできない状態だ。死後の転生を信じない 人には、変化するのは意識ではなく、死後の物質的変化だけだ。死によって、意識が無化 するのは、もっとも大きな変化だ。意識が永久に変化していくものとすれば、それは死者 にたいする他者の意識のなかでしか起こりえない。他者によって自己が忘却のかなたに捨 て去られるとして、それがどうしたというのか。  未練は残る。しかし人は心細さのなかでしか、生きていくしかないことがある。それが 人生というものだ。  これも一つの発見だ。発見をまったく含まない、また『心細さ』をまったく味わわない 『反復』がもしもあるとすれが、それこそ、後に問題にする、心の『分裂的状態』だろう (終章)。  推論的思考を、情動の抑制をとおしれ、しかし情動や感情を透かして、変化することの できないときの『心細さ』と『未練がましさ』の深い感情とともに、このように思索する ことを学びたい。それを子どもに伝えたい。」(P.238-239)
第7節 生活綴方表現における生活の「意味記憶」 「ここで、子どもの内面とその表出・表現との関係をとおして、生活綴方の現代的リアリ ティについて考えてみる。  生活綴方は、子どもが日常生活で行動したこと、感じたこと、考えたことを、ありのま まにつづったひとまとまりの文章である。またそれを書かせることを通して行われる教育 のことである。そこには、これまで本章で考察してきた行動(運動)-姿勢(態度)-情 動-思考-感情-情念-といった内外の状況と心理の連鎖が、生活を描く一続きの書きこ とばとして表現される。  私は、戦後のこうした子どもの文章を『子どもの作文で綴る戦後50年』[日本作文の 会編、1995]をとおして、一通り読んでみた。  正直言って最初私には、敗戦直後から1960年代までのものが、とりわけ興味を引いた。 しかし、現在に近づいて来るにしたがって、いじめや自殺や殺人や学校の『荒れ』などの ことが気になり、日常のさまざまな記述を上の空で読んでしまっている自分にふと気づき、 はっとすることがたびたびだった。これはおもわず『読み飛ばされて』しまった部分であ る。  大岡昇平は、こうした類の記述部分について興味あることを語っている。私のことばで 言い直せば、読み手が個人ではなく、集団の一人として、紋切り型に文章を読んでしまう 仕方である。言語をまるで道具のように使い、言語と現実との緊張などどこ吹く風と読み 過ごしてしまう習慣のことである。言語による現実そのもののリアリスティックな『写し 替え』が可能だと考えられたのは、こうした領域が存在するからだと大岡は述べている。 これは、私がかりに後で『日常言語使用』と呼んでいるものに近い[大岡、1975、1982、7]。  そうしたなかで、私には、遊びをテーマにした綴方が年代をとわず、紋切り型の表現で はなく、すぐれて興味を引く表現を残していて面白かった。私は表現のかたちに気をつけ て読んでいった。作品の一部を引用する。」(P.239-240)
⇒私自身、自らの教育学・教育実践研究の中で生活綴方には関心を持ちながらも、系統 的に綴方の作品や作品研究を追跡してこなかったので、本書の他の箇所でも指摘されてき た子どもたちの綴方作品の質?の変化(1970 年代以降か? 坂元の表現では「1960 年代 までのもの」と区別される「現代に近づいて来る」時期からの作品)という事実は、不明 にして知らなかった。  この部分で面白いのは、坂元が作品の変化という指摘の仕方ではなく、自分の「読み方」 を問題にしていることである。ただ、長い間に渡って膨大な綴方作品群を読んできたであ ろう坂元が、どうして「現代に近づいて来る」時期の作品を「上の空で」「紋切り型に」 文章を読んでしまうのか?綴方作品の何が坂元にそうさせるのかは……わからない。
「これらの作文集を読みながら、私は子どもたちが自分の行ったことをそのまま順序にし たがって書きついでいき、そのときの行動が記憶にあざやかに残っていて、しかも、数学 の公式を再現するようには書いていないことを強く感じていた。明らかに書き手の選択は 行われている。ワロンがプルーストにしたがって言ったように[Wallon, 1982, 309]、忘れ るべきことは忘れて、そのなかから、『失われた時』をもう一度よみがえらせる体(てい) の記述になり、それが行動の順序にしたがって書かれている。行動そのものが生活のなか で躍動してそれが記憶されていたのだ。」(P.241-242)
(前略)労働では途中で本来の作業を止めるわけにはいかない。ところが遊びではこの ような素朴な作業がいくらでも自由に挿入できる。  こうした生活の日常描写が、曖昧な象徴主義とどんなに違っていることだろうか。こう した描写が現代において書かれているとしたら、すぐにも退屈してしまうほど、そこから はおそらく子どもたちの生活の複雑な矛盾が見えてこないだろう。というのも、現代では、 このような行動と情動とが即応しながら進行する素朴な関係は、低学年の生活からも多く は失われているからだ。私たちは、小学校の低学年から中学年にかけて、このような行動 的綴方を書くことが、本来の綴方の目的であり、生活に対する思考を、そして生活を批判 的に見つめる思考を、そして生活を変えていく思慮深さを養うためにこそ、大切であると これまで言ってきた。  それは、生活のなかに矛盾が存在すれば、子どもの行動を情動や感情とともに書いてい く綴方をとおしての記憶の訓練のなかから、必ずそれを感情や思考の矛盾として発展させ るモメントがでてくると考えてきたからだ。とりわけ小学校高学年ぐらいからこのことを 目指すようにと言ってきた。  そのために、生活綴方における情動や感情の矛盾・葛藤をリアルに表現し、それをクラ スのみんなのなかに差し出すこと、それを文集に構成することの重要さを強調してきた。  そこには、生活の矛盾を、社会の矛盾の認識として、みんなのものにする生活綴方にお ける生活思考と生活認識を育てることの目的がはっきりとあった。生活綴方は、けっして 外界の認識を経験的なものから科学的なものにしていく過程といった、外部受容性の認識 の発達だけを目的としてはいなかった。生活綴方は主体的な内面の表現をとおして、外界 の矛盾を描くという、外界と内面との結合した記述を強調してきたが、それはなによりも そうした矛盾を探り出すためであった。」(P.242-243)
「今となっては、問題の内容もさることながら、このように生活を綴ってきたことの意義 が新しい状況のなかで、再確認されねばならない時にきているのではないか。私は先の作 文集を読みながら、なぜこんなに日本の子どもたちは、戦後多くの矛盾をかかえながらも、 自己の生活の進行を、たんたんとその生活の順序にしたがって、『ことば』と『もの』や 『ことがら』を、一対一対応の順序で、日本語の規則とその固有の表現にしたがって、書 いてきたのであろうかと、あらためて思った。  高度成長以後のある時期までの生活綴方の表現形式は、そのような日常生活のリアリズ ムであった。その範囲内での事柄の描写のなかに、ときに労働のつらさや、基地での事故 の悲惨や、公害にたいするいきどおりや、出稼ぎにいく父への哀惜や、いとしんで育てた 牛が安値で買われていく悲しみや、またそれとは反対に、自然への賛歌や祭りへの期待と 喜びなどが、つぎつぎと綴られていった。  やがて学校の勉強への呪詛にも似た子どもたちの情動と感情や、子どもの人間関係にお ける気遣いや嫉妬や憎しみなどの記述が、じょじょに増えていった。私の記憶の中では、 1990 年代に入ってからの生活綴方は、毎年参加していた恵那の『生活綴方研究集会』(東 濃民主教育研究会主催)においてさえも、こうした表現がおよその主流となっていった。 いやそうした表現すらじょじょに書きづらくなり、表現は全体として衰弱していくように 見えた[坂元、2000a]。問題や生活の矛盾を含まない、あまり面白くもない『日常言語使 用』が、習慣的に行われることがあたりまえになっていくようになった。そのなかで、情 動や感情の矛盾が裸のかたちでなく、事実への反省や思考をともなって記述されるかたち は、急速に減っていった。  そのなかでも、恵那の綴方研究会で問題になった、いまでも強烈に記憶に残っている作 品を思い出すことができる。それはバスで遠くの親戚のうちへ、弟と従兄弟と一緒に行こ うとして数々の失敗や冒険をけろりとやってのける小学校中学年の女の子の綴方であった り、思春期の競争意識を無化しようとする演技を鮮烈に描いて、それでもクラスのなかで 互いに心を通わせようとして懸命に努力している中学生の綴方であったりした。  そうした作品にしても、子どもの情動や感情を、書きことばにして、それを記憶にのせ て、忘れるべき記憶と残さねばならない記憶とを、なぜ区別しなければならないのだろう か。これこそ、生活綴方において、現実を書きことばにして残す根拠ではないか。生活綴 方において、映像の世界ではなく、あえて書きことばで、情動と感情の矛盾から出発し、 それらをいったん客観化して抑制し、事実の矛盾としてそれを見つめ、それを書きことば で表現する根源的理由はいったいどこにあるのだろうか。」(P.244-245)
「忘れようとする記憶を残す作業は、フィクションを映像としてとる劇映画での事実の再 構成を除いては、おそらく書きことばを通してしか可能とならないのではあるまいか。ど んなに事実を映像によって、ドキュメンタリーとして描いたとしても、その映像のドキュ メンタリーに、ことばで説明を書き加えねば、ドキュメンタリーは終極的には成り立たな い。もちろん、映像に加えられることばの多少はあくまで相対的だ。よしんば映像だけで、 現実を残す意味が分かったとしても、そこにことばの説明がなにもないとしたら、映像は 無言のまま経過してしまう。ことばで記憶を再生しない限り、『無意図的記憶』(プルー スト)の再生さえも、忘れてしまうところを思い出す『再構成された記憶』として、現在 へともどってきはしない。残されて反省の対象とはならない。  それは自己の行動の記憶をよみがえらせることを通して、歴史的吟味にかける作業を意 味することではないか。生活綴方が、そのような矛盾をさけ、どんなに器用なものであれ、 たんなる出来事の『日常言語使用』の連鎖になるなら、それは象徴化された現代の危機に 対処することはおろか、綴方の記録としてさえも残らないだろう。曖昧な象徴主義が現代 の子どもの表現だとしたら、その情緒的意識を真の象徴主義でしか表現しえない現実の意 味へと高める『新しい表現の理性化の創造』において表現を具体化するしかないのではな いか。それこそ、現代における新しい生活綴方教育の内容と方法の革新の追求でなければ ならない。  私は辛抱強く、先の綴方集をよみながら、現代における子どもをめぐる事態の深刻さを いっそう感じながら、日常的ことばを行動の順序にしたがって続けて書くことのできた子 どもたちのかつての生活の幸福さを静かに思い描いていた。それは、今後の子どもたちの 生活表現を発展させるための方法の探求のどんなに困難であるかを、象徴するかのようだ った。」(P.245-246)
第8節 歴史認識における「主体的持続性」 「情動や感情を価値と結びつけ、それらの創造を現在の『生きる時間』と『生きられる時 間』のなかに、自己の歴史として現実化するために、歴史的事実を自己の主体的持続性へ と変えなくてはならない。それは自己が生きてきた時代の問題にとどまらない。自己が生 きていなかった時代や、自己がそれに参加しなかった歴史にたいしてさえも、主体的持続 性を保持しなければならない。  そのことは、自己のなかからただちにその事件や時代を価値判断することを意味しない。 そのような直接的意味で、主体性を言っているのではない。それは自己の生のなかに、も ういちど、過去の歴史的事実の『意味』を、長期間-おそらく一生かかって、リアルに 取り戻すことだろう。一時間の歴史の授業はそういう意味を創造する一契機に過ぎない。」 (P.247)
「私は最後に情動と感情の教育の内容と方法を主として自己形成の問題として選択した。 読者のなかには、それは自己形成であって、他者に対する教育ではないと言う人がいるか も知れない。しかし、自己が経験しなかった事柄にたいしてでさえ、自己が経験したリア リティが、情動と感情を通過した理性の創造的獲得がそこになければ、歴史における主体 的持続性など、教育実践において、口にもできないだろう。情動と感情の教育の内容と方 法の本質は、この一点に凝集されている。」(P.255)
終章 情動と感情の教育の未来と教育改革 はじめに 「子どもと大人の表出・表現の問題点を考察しながら、情動と感情の教育についての未来 を予視する地点にようやくたどり着いたと思う。  それは現代の子どもの生活綴方を読みながら、じょじょに感じさせられてきたことでも あった。前章で触れたように、かつての、とくに1960年代以前の、日本の子どもたちが、 綴方で表現していた『けなげさ』への帰らぬ感動が、私をとらえて離さなかった。他方で、70年代から80 年代・90 年代にいたる作品にたいしては、別な感想と感慨が私にはあった。 そのなかで、子どもの遊びを描いた作品にたいする興味だけが変わらずにあった。これは 一種の救いだった。  綴方を読み進んでいくなかで、感動がさめていったというのではない。現代日本におけ る子どもの非人間的事態にたいする感想を表現する手段を私が欠いていて、いらだたしさ がすこしずつ高まっていった。それは私自身の感性の摩滅を証しているかのようでさえあ った。  こうした感覚は 1990 年代の後半に入っていっそう著しくなった。この数年、神戸市須 磨区連続殺傷事件からはじまる多くの殺傷事件にかかわる少年のことを考えるにつけて、 氷のような冷たい感性が浮かんでは消え、事態をできるだけ冷静に見ようとして、しかし 情動は空をきり、透明になり、思考を徹底しようとしても、論理をすなおにたどることが できず、身体感覚の不調と不確かさばかりが高まり、自分がまるで分裂するかのような感 じになる。そしてそれが子どもの状態の反映であり投影(投射)であるとも感じられてく る。」(P.257-258)
⇒P.239-240 へのコメントでも書いたが、坂元は生活綴方に見られる1970年代以降の子 どもたちの変化を大人として突き放してとらえるのではなく、「子どもの非人間的事態に たいする感想を表現する手段を私が欠いていて」、それに対して「いらだたしさ」の高ま りを意識し、「それは私自身の感性の摩滅を証しているかのよう」だという。1990 年代に 入ると、殺傷事件を起こす少年について考えると、「氷のような冷たい感性」を意識し、 冷静になろうとしながらも「情動は空をきり、透明になり、思考を徹底しようとしても、 論理をすなおにたどることができず、身体感覚の不調と不確かさばかりが高まり、自分が まるで分裂するかのような感じ」になるという。そしてそのことを「子どもの状態の反映 であり投影(投射)であるとも感じ」るというのだが、読者から見ると子どもたちの状況 の想像を絶した、痛ましい変化が、教育学研究者であり一人の(正直な)人間である坂元 の人格を揺さぶり、狂わせかねないのではないかという心配さえ抱かせる。子どもたちの 変化へのそのような言わば「共振状態」は何故に坂元のなかに生じるのか? 「子どもた ちがおかしくなったのは大人の責任」というような単純で短絡的な思考であるはずはない。 終章まで来てまた大きな疑問が生じてしまった。それは、集大成期を迎えていたであろう 坂元教育学への私の根源的な興味にも繋がりそうである。
「ところで、現代生活綴方の典型的表現を、大河内清輝君と神戸須磨区の少年の脅迫文に 見るなどということは、いかにも無謀なことだろう。(中略)しかし、特殊な例のなかに、 特殊な例のみを見て、普遍的な事実と特殊な事実とを、完全に切り離すことも、ある個別 的ケースを直ちに一般的・普遍的ケースにしてしまうことも、いずれも弁証法的考察とは 言えない。後にも強調するように、私たちは、特殊性を媒介として、普遍的・一般的事実 が存在していることを、もっとねばり強く追求する必要がある。したがって、後者の場合 にも、特殊であることを前提としてなおも、現代の子どもの一般的傾向をそこに見てみる 必要性を、私はずっと考え続けてきた。したがって、このような現代文をまさに子どもの 生活表現として排除することができなかったばかりか、それらを中核にしてまずは、現代 の子どものリアリティを見ないわけにはいかなかった。  その場合、情動を中心に人間の全体性を回復する試みを、内観のみに止めてはならない。 子どもや大人のおかれている客観的事態を緻密に分析し、それを追体験しながら、なによ りも『生きる時間』と『生きられる時間』とを考察しなければならない。変革の契機を万 人のものとすることがそこから要求される。それは内なる声をとおして教育改革を志向す る実践感覚と響き合っている。」(P.258-259)
第1節 人格の「分裂性」について 「以上の感じは、次のように感受性を鋭くすることだと言ってもよい。神戸須磨区連続殺 傷事件のあの少年の内面を、その情緒的意識は想像によってとらえることなどできないに もかかわらず、それでもあえて想像をとおして自己のそれとして再体験してみること。い や想像などと言ってはいけない。自分に分からないことの内容を認めたうえで、自己のな かにそれとの同一性がないかどうかをなんども吟味してみること。そうしてみれば、あの 少年は、情動のエネルギーや緊張が低く、ほとんど緊張低下(ヒポトニー)のもとで、情 動がほとんど無化したかのようだったことが感得されてくる。にもかかわらず、情動の落 ちつく先は、緊張がおさまる安心の世界をほとんど経験することのないまま、無意識の幻 想と身体の深い性的衝動(リビドー)として、まるで裸のままに彼の行動を突き動かして いったように見える。それは『分裂的性格』が感情過敏と感情鈍磨との両極に裂かれるさ まを示しているようにさえ見える[Minkowski, 1927, 26-27. ミンコフスキー、1988、30-31]。 それは『自己分割』と『自己分裂』の内面的世界のようにも思われる。さらにそれは、 すでに述べた(第5章)、『物象化』された現代世界のなかでの、自己同一化作用の全体 的または部分的な『取り違い』と『分裂状態』を示しているようにも思われる。」(P.259) 「(前略)人格とは、時間によって分割された自己であると言ってもよいほどのものであ り、固定的なものではない。したがって、時間が『空間化』されることは、人格のあり方 にとって、決定的事態である。『物象化』もまた、もう一度この観点から再吟味されねば ならない。」(P.264) (2020.11.27) 「現代の『分裂性』こそ、まさに自己同一化の結びにくさへの否定的『こだわり』、極端 に言えば、未来への『こだわり』の『放棄』にほかならない。それにこだわっていては生 きていけない内面の苦しみ、またはそれの喪失にほかならない。それは、レインが言うよ うに、自己が他者にたいして空想している世界の虚構化(フィクショナイズ)された『現 実』の断片化のなかで、また制限され『物象化』された関係の一部分で、『部分的役割』 の人生を果たしていることへの悲しみや自己欺瞞にたいする忘却とまじりあった感覚(麻 痺)だ。いや、そうした忘却の状態をも嫌悪する潜在的状態だ。もしもそうした忘却の状 態が嫌悪されるなら、『分裂性』の苦しみへの嫌悪は、自己欺瞞の放棄をいっそう激しく し、自己への激しい嫌悪の行き所を見失って、苦しみを他者へと投影(投射)し、情動を そのまま他者への攻撃性へと転じるだろう。『変更』を絶対に求めず、認めない固い心の 芯は、攻撃性をさらに犯罪への無意識のうちに誘う。  このような状況が、とりわけ 1990 年代にはいって、我が国において普遍的に見られる ようになったその根底には、おそらく、ずっと言ってきた、世界における『物象化』のい っそうの進展があるにちがいない。ベルリンの壁の崩壊やソ連の崩壊に象徴される『東西 冷戦』の『終結』に見られる状況のなかで、アメリカ主導による市場原理のグローバリズ ムの支配に、我が国も巻き込まれ、そればかりでなく、これまで二度の石油危機の『乗り 切り』によって、創られた経済の『一時的繁栄』と『バブル』の崩壊が、いっそうこのよ うなグローバリズムの支配を子どもの日常生活に浸透させ、時間意識の『空間化』とある 種の『取り違え』を、世界的・地球的規模にまで広げたことを指摘しないわけにはいかな い。その結果、子どもをめぐる未来は、地球的・世界的見通しなしには明らかにすること ができないにもかかわらず、このようなシステムへの適応が、いっそうこうしたグローバ リズムの支配のもとで、かけ声だけの転換をともなって言われ、実際は、堅い固定的シス テムが子どもの周囲を空間的意識とともに支配している。事態はなにも変わらないのでは ないかという一種のあきらめに似た情動や感情が学校だけでなく、社会的に部分的に存在 している。そうしたなかで、子どもの時間意識のなかに、『未来を見通そう』とする本能 のようなものがうごめいているにもかかわらず、それに対する絶望や放棄もまた『分裂的』 に存在している。私の周りからは、小学生からすでに『長生きはしたくない』と本当に実 感しているかと思われる『つぶやき』が聞こえてくるのもその一例だ。それが極端に現れ れば、自己への嫌悪と他者へのいらだちや攻撃性、さらに軽い感覚で犯罪や殺人へといた る子どもたちの日常感覚がいつ実行されても不思議ではない状況である。  しかし日本の多くの子どもたちが、犯罪をすぐにでも犯そうと思うようになっていると いうのではない。だが、あの須磨の事件の直後、『自分はそうは実行しない』と言いきっ たおおくの中学生たちが、『でも彼のことはよく分かる』と述べた世論の動向について考 えると、周囲の他者や日本の状況にたいする自己欺瞞を強いられている彼らの『嫌悪感』 と『不承認感情』の『普遍性』に思いをはせないわけにはいかない。このような内面状況 が普遍的だとすれば、そこをくぐらない教育実践など、現代では全くリアリティを欠いて いる。」(P.266-268)
「次のように言ってもよい。他者にたいして『不承認』しかできない自己、あるいは一歩 さがって、他者にたいして『部分的承認』をかすかに行うことしかできない自己、そうし た孤絶した自己から他者への連帯への橋架を、どのような日常的実践として、また世界に おける恒常的システムとして、創造することができるのだろうかと。  これこそ情動から出発する教育学の創造の根源的課題だ。一方で分裂的観念にとらえら れ、疎外された『他者不承認』の自己にこだわりながら、他方で自己の行動や運動の衝動 性のなかに沈み、『物象化』された社会関係のなかで、仮の演技をもはやそれとさえも感 じることができないほど、深くその関係に組み込まれている己れから、目的意識を含む未 来の姿への虚偽としての硬化した『観念的イメージ』を捨てさっていくこと。そしてさま ざまな情動を経験しつつ、情動を身体の奥深くとどめることによって、この世における苦 しみを見せまいとする状態からふたたび出発しなおすこと。そしてそこからの解放の道筋 をみんなであらためて探ること。そこからしか道は開けないのではないか。」(P.269-270)
「誤解をおそれずに言えば、まず蓄えねばならぬのは知性や意志と結びついた『感情』で はない。それはさまざまな裸の『情動』である。情動から出発しなければならないのは、 こういう意味なのだ。」(P.271)
第2節 人間的情動を蓄えること 「だから情動を蓄えることは、いうまでもなく、快さの感覚だけを子どもに経験させるこ とではない。子どもはこの世に生まれたときから、不快を運命的に背負っている。呼吸の 困難、飢え、寒さと暑さへの耐乏。それらを過ごすためには緊張が必要だ。また緊張を解 消する保護の温かい手段を用意しなければ快はえられない。緊張から痙攣を、痙攣から緊 張の解消を、経験しないかぎり、楽しみの大本となる快への志向性は生まれない。」(P.271)
「『世界にパンを』の問題で言えば、現代日本の子どもが、少数を除いて、途上国の厳し い現状や世界とのつながりの認識に欠けているのは、たんに知識が足りないというだけで はない。一般に共感する情動が虚偽の様相をとっていることがその底辺にある。虚偽意識 は『共感が人に合わせる演技』として表される。そのことは自己の真実が周囲から承認さ れていない情動の動きと無関係ではない。  (中略)自己が認められないことにたいして、怒りの情動を体験することと、認められ ていない人びとに対する情動の動きを行動に表すこととの接点は紙一重だ。」(P.275)
第3節 地球レベルでの社会的自我(ソシウス)の形成-「ミゼラブル」な感情の共有 「現代日本の多くの子どもたちは、情動や身体と表象を含む思考との葛藤・分裂を日常的 に経験している。くりかえすが、これは彼らの表現が象徴主義的になっていることの原因 である。器質的なものが無意識の状態として、一方で自動作用や情動の諸々の揺れとなり、 他方で表象を含む思考は冷たい断片となって分裂する。これは怒りや嫉妬の情動が、まる で被害妄想のように、いらだちとなって表出される状況でもある(第6章)。ことばを換 えて言えば、自己のなかに真性の社会的自我(ソシウス)が形成されえない状態である。 しかしそうした情動の分裂さえも、もっとも苦しい開発国の生活のなかでの健気な情動と 交流されるとき、新たな社会的自我(ソシウス)として、社会的に自我の統合へと発展す る可能性を秘めている。」(P.277)
「このことをもうすこし切実な実践をとおして、情動と感情の教育学の創造の問題として 考えてみる。  社会的自我(ソシウス)の形成は、相対する相互の「食い違い」の認識から始まる。そ れは、自己の『分裂性』に固執していては、リアルな状況に対処できないことでもある。 社会的自我(ソシウス)は、情動が環境にたいして一定の傾向をもって表現されるとき、 外なる現実の環境を内に取り込む、もっとも素朴な感情を基底として形成される。比喩的 に言えば、基本的情動が、状況のなかで『振動』する柔軟な性質として身につく性質がそ うした感情であるといってもよい。しかし硬化した『分裂性』に満ちた情動では、こうし た事態に応答することさえできない。(中略)  そのとき認識は情動の動揺を静める役割をはたす。他方で、情動の動揺そのもののなか に、硬化する感情にたいする抵抗要素が含まれる。子どもたちの『嘘の誠』の告白をとお しても、クラスでのバランスを保とうとする交流のなかにも、現実へのリアルな対応がほ の見えることからも、それはうかがえる(第5章)。  事態の『食い違い』への対処にとまどっている状態を認める心の揺れこそ人間的だと言 わねばならない。そこには、情動の流れが、環境とともに振動する『同調性』を妨げてい る要素がすでに存在している。だが情動の揺れが、両者のコミュニケーションをさらに進 めざるをえない『欠如態』としてそこでは感得される。それは他者が自分にとって『親密 な未知性』としてあらわれることを意味する[木村敏、1990、23]。未知なるものは、普通 敬遠されがちだ。しかし、木村が言うように、旅行の途中でたまたま見た、まったく未知 の茅葺きの田舎屋に直観的に親密な感じをもつのと同じく、はじめて出会った人間に、親 密性を感じ取れる自然な情動の柔軟性を持ち合わせていれば、おおきな歴史的状況の違い のなかで、一致できる姿を感じ取ることができる。このような実践的環こそ、情動を感情 へと発達させる現代教育の実践方向だ。だから目標と価値意識の硬化を『食い違い』の意 識によって『異化』する国際レベルでの実践例がいっそう求められる。」(P.277-278)
(前略)「ミゼラブル」とは、不幸な状態に対する共感の状態をまず指している。さら に極貧そのものである状態を指している。しかし、このことばが同時に『価値をもたない』 という意味をもつことに注目したい[cf., Petet Robert; misérable]。(中略)  一見豊かに見える工業国における人格の分裂的状態、生きた生命への接触の欠如は、な によりも『ミゼラブル』な事実ではないのか。一見『異質である』ことのなかに、実は共 通の事実が、情動や感情として横たわっているとき、共感は理性を伴って、情動に左右さ れやすい状態をむしろ抑制して、人間を結びつける。私たちは、自己のなかに、生きた人 間や自然の生活・生命との接触の欠如を真に感じるとき、深い『ミゼラブル』な感情を体 験する。悲しみや苦しみを通しての連帯というよりもむしろ、今では『ミゼラブル』な状 態にたいする情動と感情の多義性の自覚をとおしての連帯こそ、現代の課題にふさわしい のではないか。」(P.281-282)
第4節 現代の「分裂性」のもつ根源性と未来の教育展望 「ひとつだけ、私たちはつぎのようなA・ゲーレン ArnoldGehlen(1904-1976)の『制度論』 がもつ現代的意味に触れておく。それは、彼が『制度』を、人間が自由に物事を決定・選 択していく場合の、さまざまな『負担を軽減する Entlastung 』仕組み(システム)として 考えたことだ[ゲーレン、1985]。制度 institution とは、語義から言って、なによりも『安- 65 定性』を意味する[フルキエ、1997b、394]。これは人間の解放を選択する場合の『制度』 のもつ意味を明確にする端緒である。もちろん『負担』が『実践』によって『縮減』され ていくことと関係しているとしても、実践はやはり私たちに重荷(受苦) Leiden, passion を課す。にもかかわらず、制度改革は、そうした実践のはてに、それを軽減するシステム を創造する。それはけっして、たんに功利的思考から来るのではない。実践と制度との関 係は『永久革命の課題』を含む。」(P.285)
「ここで私たちは、現代における教育実践の軸と制度改革の軸をどのように交差させるか という、根元的な問題にぶつかる。それは、現代の子どもの疎外状態を、なによりも『分 裂的』ととらえる新しい地平をさらに発展させて、真の意味での『同調的』な人格形成を 可能にする制度をどのように創造するかという課題として立てられる。『分裂的状態』と は、固定した観念と現実とに、個人と集団とがとらえられることを意味する。  変革されるべき制度とは、なによりも、このような分裂的・固定的幻想をともなって、 言語や前言語の体系に集約して示される。それは私たちを、永遠に固定した社会のイメー ジに閉じこめる。制度は私たちを疎外しながら、私たちの存在を決定する。これは現代の 『物象化』されたシステムが、私たちを物質的に動かしているだけでなく、象徴的言語を 介して、無意識に私たちを『取り違え』をともなってしばっていることである。だが、そ れが部分的にせよ、揺らいでいることこそ、重要なのではないか。秩序の揺らぎこそ、新 しい『荒れ』とか『学級崩壊』と直観されている事態ではないか。しかし、私たちはこの ような『感覚的術語』をもう周囲に広げることを止めたいものだ。『分裂性』は、その意 味で、現在、二重にそうなっている。あくまで固定的な態度をとるという意味での分裂、 しかし固定的態度をつることと柔軟な態度をとることとの分裂という意味での分裂。この 二つの分裂性がいたるところに支配している。  分裂性がこのように認識されていることは、現在起こっている個別的な事態のなかに、 それを否定する契機が、特殊性として多くの人びと-子どもや大人に認識され始めよう としていることの証拠である。私たちは完全に分裂しているのではない。暴力を振るい他 者を殺傷した生徒にたいする否定と肯定との混じり合った感情の揺れは、現代の分裂性が、 個別性と普遍的とを媒介する特殊性として起こっていることを示している。ヘーゲルの言 うように、この特殊性こそ現状を個々に支配している矛盾(個別性)の否定的現れなのだ ルカッチ、1970]。  だから分裂は、たんなる存在への不安意識ではなく、分裂意識としてとらえられるとす れば、それによって成立している現制度は、その変革をたんに自然的安定(自然のシステ ムによる安定が必要なのは言うまでもない!)としてだけでなく、社会的に豊かなシステ ムとしても、『同調性』を定立する可能性を私たちが手に入れる契機を潜在的に含んでい る。  それは、現在の学校や地域の空間に、未来も過去もない、祝祭的な空間と時間を作り上 げることからしか、はじまらないだろう。(後略)(P.286-287)
(前略)一定の気質が社会的危機の中で、多数を占めるのが真実だとしたら、社会的病 理状況を、さまざまな個人の性質の相違を越えて、主要な矛盾の性質類型を前面に押し出 すことは、荒唐無稽なことではない。」(P.288)
「未来にこだわりながら、未来のあり方が分からない『分裂性』。それを主要な人格のあ り方として、幾度となく再生産している日本の諸制度。とりわけ子どものそうした性質を 再生産している教育制度。こうした事態こそ、逆説的に言えば、未来の教育を真性の意味 で創造する土壌を用意していると言うべきだろうか。」(P.288)
あとがき 


 本書を通読し、注目した箇所、気になった箇所、なるほどと思った箇所を抜き書きする 作業を終えた。大部の本書。まだ開始したばかりではあるが、これまでの「教育学文献学 習ノート」づくりの作業のなかでも、上記のうち「なるほどと思った箇所」がとりわけ少 なかった。同意、納得ができなかったという意味ではない。理解できなかったのだ。生活 綴方の作品の実際を紹介して考察した部分などわずかの箇所を除き、私にはほとんど理解 できない文章を抜き書きする作業が続いた。  坂元忠芳氏は、(私の勝手な思いであるが)私を教育科学研究会の研究活動に導いて下 さった恩人である。1975 年7月、京都大学教育学部で開講された坂元氏の発達論集中講 義に参加して学び(当時のノートは残念ながら保存していないが)、翌8月の教科研伊豆 長岡大会に初めて参加した。分科会は「能力・発達・学習」を選んだ。当時は温泉地の旅 館での開催で、宿泊は分科会別の大部屋だった。何も知らずに早く参加申込をしたために、 幸運にも分科会世話人の方々と同じ部屋になった。その中に坂元氏もおられた。当時始ま りつつあった鈴木秀一・藤岡信勝両氏との学力論争において、旅館の部屋でのリラックス した懇談の中で坂元氏が準備されつつあった反論の構想の一部についてもお聞きしたよう に記憶する。

 いま手元にある坂元氏の著作を挙げてみる。 (もっとも早く学んだのは学生サークルでテキストにしていた『できる子できない子』(草 土文化 1975)だったと記憶するが、残念ながら手元に残っていない。) 子どもの能力と学力  青木書店 1976 子どもの発達と生活綴方  青木書店 1978 学力の発達と人格の形成  青木書店 1979 教育実践記録論  あゆみ出版 1980 子どもとともに生きる教育実践  国土社 1980 教育の人民的発想―近代日本教育思想史研究への一視角―  青木書店 1982 子どもと学力  新日本出版社 1983 小学生の心とからだ-「子どもらしさ」を育てる  岩波書店 1984 現代の子どもと生活綴方  青木書店 1985 子どもの悲しみと教育  新日本出版社 1989 対話の教育への誘い  新日本出版社 1991 新しい学力観の読み方  労働旬報社 1993
 学力論、発達論、教育実践論関係など熟読したものもあれば、恥ずかしながらほとんど ページを開いていないものもあるけれども、全体として多くのことを学ばせていただいた のは間違いない。  これらの著作からやや時を置いて 2000 年に出版された本書は、おそらく出版からあま り時期を置かずに研究費で購入したと思われるが、たぶん何度か繙こうとしながら難解さ 故に退散してしまったと思われる。いま手元にあるのは 2018 年に Amazon 古書で購入し たもの。三重大学退職を前に、図書館に返却する大量の図書の中で退職後も持っておきた い本を選んで改めて私費購入していた中の一冊である。しかしその後も、本格的に読み始 めることなく、書架に眠らせていた。通読するに到った経過は、この「学習ノート」(そ の1)冒頭に書いたように、本年9月16日の京都教科研例会で『教育』2020.9月号(No.896) の特集2「能力・発達・学習と教育実践」を取り上げ、前田晶子(鹿児島大学)論文「情動 ・感情の教育学と『かたち』」を中心に議論したことである。前田論文の主旨は、坂元忠 芳『情動と感情の教育学』を今日的に再評価することであった。例会までにはとても間に 合わなかったが、その後2ヶ月あまりをかけて本書を読み終えられたことには、正直ほっ と?している。  しかし、読後感は前述のようにかなり虚しいものであった。もちろん自分の非力のせい である。  私は学生時代に教育学研究を志して以来現在まで、人間そのもの、子どもそのものに対 する関心の強さでは人後に落ちないつもりであるが、どういうわけか、心理学に対しては 無関心というか、はっきり言えば嫌悪感があり、約 40 数年の研究人生の中で一度もまと もに学んでこなかった。中学高校時代以来数学が苦手であり、数理的な思考を自分から遠 ざけようとしてきたために、心理学の中の統計的データ処理をきちんと学ぶ意志がどうし ても持てなかった。それとは別に学生院生時代にソ連東欧のマルクス主義教育学に関心を 持ったことと関連して、ヴィゴツキー、レオンチェフ、ルビンシュテイン等々のソビエト 心理学の翻訳書や、ワロン、ピアジェの翻訳書はかなり入手し、つまみ食いした(それら 文献のほとんどは、京都橘大学を去る際にヴィゴツキー研究に取り組んでおられる若い同 僚に差し上げた)。それらの文献に紹介されている子どものリアルな姿の実例には大いに 興味を持ったが、それを明らかにするための研究方法を含めてきちんと学問的に理解しよ うと努力することはなかった。  坂元氏は内外の教育学、心理学に深く通じておられ、本書ではワロンを初めとする多数 の心理学研究の成果や、あるいは心理学を越えて様々な思想が紹介され、それらを縦横に 駆使しながら独自の「情動と感情の教育学」が語られている。私が悲しいかなその大半部 分が理解できない大きな原因は、自分の心理学に対する無知にあると思う。  坂元氏は1931年のお生まれというから、今年で89歳になられる。私が一番最近にお見 かけしたのは、2013 年 8 月に英真学園高校で開催された教育科学研究会大阪大会の会場 でであった。私としては教科研に入会した 1975 年当時には直接にお話しさせていただく 機会もあったが、そこからはあまりにも時が過ぎたので、英真学園ではお声をかけること ができなかった。それからまた7年が経過している。現在坂元先生の著作集の編集が進ん でいると聞く。  私としてはまもなくできあがるのであろう著作集にも関心はあるが、取り敢えず本書通 読を手がかりに前述の12文献のいずれかから再読or初読を開始したいと思う。  1970 年代半ばに駆け出しの教育学研究者だった私は、坂元先生の学力論・発達論・人 格論・教育実践論を追いかけていた。しかしもしかしたら、いろいろ学ばせていただいた と言いながら、最初から最後まで通読したのは、今は紛失してしまった『できる子できな い子』(1975)、『子どもの悲しみと教育』(これは出版された 1989 年に1週間で読了して いる)、そして本書くらいかもしれない。しかし、『教育』誌上で読んだ多くの論文もあ り、いっぱい学ばせていただいたことは間違いない。  今回本書を読了しての悔いは、1970-80 年代に坂元教育学から受けた大きなインパクト と今回の読後感が十分繋がらないことである。大きな原因は先に述べたように私の心理学 への無理解だと思うが、しかし本書は心理学書として書かれたのではない。題名は『情動 と感情の教育学』である。教育学の立場から現代の子どもたちの「情動と感情」について 論じることが本書の中心課題であったと思われる。  もう一つ、私が本書にとっつきにくかった大きな理由は、40 数年の教育学研究生活の なかで私は子どもへの関心を持ち続けてきたけれども、その主要な角度は「認識」であっ たということ。本書が論じている感情や情動に関心がなかったわけでは決してないけれど も、そうした側面への自分なりの切り込み方を見つけられなかった。教育の場面で言うと、 私の関心は授業であり、学習であり、授業外の子どもたちの諸活動やそこでの人間関係に ついては、これまた関心はありつつも自分の切り口を見つけられずに来た。  その私が『情動と感情の教育学』を読んでも、自分なりのとっかかりが見つからないの は当たり前かもしれない。  ただそんな私でも「感じ取れた」ことがある。坂元氏は本書出版当時 69 歳。既に東京 都立大学を退職されていた。私のような後進が不遜な物言いをするが、すでに坂元氏は年 齢的・生活史的には研究者としての円熟期・集大成期を迎えられていたと思われる。しか し終章に書かれているように、戦後初期から生活綴方を重要な媒体としながら子どもの現 実を見つめてこられた坂元氏は、1970 年代以降の子どもたちの大きな変化、とりわけ暴 力や殺人など非人間的行動に走る子どもたちに心を痛め、その変化の意味を冷静に捉えよ うとしつつも、その作業に没頭しておられた。そしてその苦闘の中で坂元氏は、教育学研 究者としての円熟期を迎えるどころか、自分自身が人間的に傷つき、壊れていく危険さえ 感じておられたのではないか。本書の冷静な論述の合間から、私にはそうした鬼気迫る坂 元氏の姿が見える。  私自身、子どもが大好き、というのが教育学部で学ぶことを決めた大きな理由の一つで ある。学生サークル「芦生(あしゅう)グループ」で京都府北部の僻地の子どもたちと交 流し、思い切り遊んだことが、教育学部の講義室で学んだことよりはるかに大事な「私の 大学」(ゴリキー)となった。途中、小さな子どもたちと関われる小学校教師になりたい という思いに揺れたこともあったが、結局大学院に進学し、教育学研究者・大学教師への 道を進んだ。しかし、教育実習校訪問や現場の先生方との共同研究で小学校のクラスを訪 問することは仕事であると同時に大きな楽しみだった。自分自身も何回か機会を得て小学 校で授業を行なった。そのビデオ記録は大事に残している。  しかし本務は大学教師としての仕事なので、大学生との講義やゼミでの交流にも力を入 れ、次第に楽しむようにもなった。ただ、大学生に対して、私は彼らの人生に深く関わる というようなことが大学教師の仕事ではない、という考えを持っていた。芦生グループで 自分の全人格をかけて小学生と思いっきり遊んでいたのとは違う。学生との関わりは授業 での指導、ゼミでの研究相談などに限定される。彼らは既に大人で自分の価値観も持って いる。学習指導の枠を超えて人生に関する価値観を押しつけるようなことはよもやあって はならない、と考えた。こういう教師生活を送ったことも反映して、昨年刊の拙著『「生 きる力」論批判』では、自らが子どもの人生に深く影響を与え得るかのような教師の誤解 ・思い上がりを痛烈に批判し、「自惚れるな学校教育!」と吼えた。自分でも、「醒めた 教育観」の持ち主であると自認している。  そういう私であるので、「坂元氏にとっての子どもとは一体何か?」に思いを馳せると、 大学教師・教育学研究者として心揺さぶられるものがある。こういう読み方は全294ペー ジにわたる大著である本書のほんの一部分しか「わがものとして」「わがこととして」理 解できなかった私の狭い見方に過ぎないとは思うのだが。

 

 

 

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