35 2023.10.21京都教育科学研究会第351回例会における佐藤年明報告「岸本清明氏の総合学習実践「東条川学習」(『希望の教育実践』所収)を新潟大生はどう学んだか?」と別添資料等を転載します

  2023.10.21開催の京都教科研例会では、私が上記タイトルで報告を行ないました。今年度前期の新潟大学リモート授業「教育課程及び総合的な学習の時間の指導法A」において全15回中3回を使って「総合的な学習の時間」について学び、その中でかつて1990年代末に兵庫県加東市の小学校で学級崩壊クラスを引き受けて苦闘する中で子どもたちの学習へのパワーを引き出して驚異的な総合学習実践を展開された岸本清明先生のことを取り上げました。私はこの授業に向けて約1年にわたり岸本先生と交流させていただく中、無理を申し上げて(非常勤講師のみである私が行なう授業なので何の謝礼も差し上げられません)zoomでの私の授業に2回にわたりゲストとしてご登場いただきました。私の授業実践の経緯と受講生たちの反応、それに対する担当講師としての私のコメントを下記のレポートに書いています。あわせて、岸本先生が京都教科研例会に出して下さった文書も、お許しを得て転載しました。
 なお京都教科研例会では、岸本先生のご著書『希望の教育実践』からの抜粋と岸本先生がひょうご教育の集いに提出された報告も配付しましたが、それらの岸本先生の実践報告はこのブログ投稿に転載しておりません。

 


1.岸本清明先生との出会い
 「出会い」と書きましたが、本報告執筆時点(2023.8.26-10.17)で私はまだ岸本清明先生に(対面で)お会いしたことがありません。岸本先生とはこれまで1年数ヶ月にわたっておつきあいいただいていますが、それらは全てメールとzoomによる交流でした。本日の京都教科研例会を前に、さきほど阪急西向日駅でで初めて岸本先生にお会いしました(^^;)。いずれ機会をつくって岸本先生がお住まいの兵庫県加東市を訪ねたいと思っています。
 岸本先生は私より3年早い1951年のお生まれで、神戸大学教育学部卒業後兵庫県で長く小学校教員を務められ、2011年に退職されました(岸本『希望の教育実践』所収の著者略歴より)。ちなみに私は、1983.4~1986.9の3年半神戸大学大学院文化学研究科助手として故・杉山明男先生のもとで仕事をしましたが、残念ながらその当時に岸本先生にお会いする機会はありませんでした(ただ神戸大在職時に書いた拙稿「学力の基礎-本書の実践が提起する課題について-」を当時岸本先生がお読みいただいていたことをつい最近になって知りました。奇遇です。)
 私はその後宮城教育大学、三重大学在職を経て2019.2に京都に戻り、その少し前から京都教科研にも参加するようになりました。そして、京都教科研通信337号(2020.3)から、「私の研究ノート」連載を掲載させていただくようになり、今日に至っています。岸本清明先生は、京都教科研通信の読者です。先生は、京都教科研通信351号(2022.5)に「(通信350号を読んで)戦後教育学について」という文章を寄せられ、その中で神代健彦論文「教育的価値論―よい教育ってどんな教育?」(神代編『民主主義の育てかた』所収 2021)についての私のブログ上でのコメント(正確には、京都教科研第332回例会(2022.3) での神代報告レジュメ「戦後教育学、そして教育的価値論をめぐる諸問題」上での、神代氏による佐藤コメント紹介箇所)について、「佐藤氏の意見はよく分かります。」と共感して下さいました。さらに岸本先生は、京都教科研通信連載の拙稿「私の研究ノート」の第15回(通信第352号 2022.6)で私が中村清二論文「民主教育論―身に付けるべき学力として」(神代編前掲書所収)における「概括」概念に言及したことに関わって以下のようなコメントを下さり、私はそれに対して連載第20回(通信357号 2022.11)で先生のコメントを紹介しながら言及しました。京都教科研会員のみなさんはすでに通信でお読みのことと思いますが、以下に岸本先生からいただいたコメントを再録させていただきます。
【「概括」すごい概念ですね。勉強が良くできて性格の良い子を、ずっと観察してきました。その子たちは、「概括」が難無くできていたのだと思います。この学習ではこのことが核なんだな。このことを学ぶことは、私にとってこういう意味があるんだなと瞬時に理解するのです。まさに、一を聞いて、十を知るのです。
 反対に、簡単なことなのに、なかなか理解できない子もたくさん見てきました。その子たちは、自分の既習知識と新たに学ぼうとしていることとをつなげないばかりか、今学ぼうとしている教材の価値も分からなかったのだと思います。
 私は 1998 年に、地元を流れる東条川を教材にした総合学習に初めて取り組みました。その際に、様々な活動をする度に、「自分たちの学んだこと」を一人一人が作文に書き、それを読み合いました。この過程で、半分ぐらいの子どもたちは、自分たちの学びの価値に気づきました。その後、隣のクラスや全校生、市役所の方に対して、自分たちの学びを報告する機会をそれぞれ作りました。その度に、ペープサートや紙芝居、実験など、自分たちの班の得意な方法で報告するようにしました。その過程や他の班の報告を聞く中で、大方の子が自分たちの学びの価値を理解していったのです。つまり概括ができたのです。
 それだけ概括を苦手とする子がいるのだと思います。このクラスでは、作文を書き一人一人の学びを交流する過程で、概括のできている子から学んでいったのだと思います。また、様々な報告会をする過程で、班で自分たちの学びを復習する中で、ほとんどの子どもが概括できたのだと思います。
 それができたので、上っすべりの環境学習にならず、一人一人が真剣に東条川の浄化を考える学びになったのだと思います。
 概括、この言葉を若い先生方に広めたいです。本当にものごとを知ることは、次の学びにつながるだけでなく、己変革という本当の教育の目的が達成できるのですから。
 佐藤先生、ありがとうございました。】

 この岸本先生からのコメントは吉益敏文先生あてに届けられたもので、2022.6.2に吉益先生が私に転送して下さいました。私は通信351号で岸本先生からいただいたコメントを読んで以来お礼の便りを差し上げなければと考えていましたので、新たにコメントをいただいてすぐに返信しようと考えました。しかし、岸本先生が上記コメントに書かれている環境総合学習の内容を自分がまだ知らないでお礼の便りを送っても形だけの儀礼的なものになってしまうと気づき、さっそく岸本清明『希望の教育実践 子どもが育ち、地域を変える環境学習』(同時代社 2017)を入手して、約2週間かけて通読しました。

 同書に収録されている「東条川学習」(1998年度)を発端とする先生の環境学習実践の紹介については、本日岸本先生に例会にご参加いただいているので先生ご本人にお願いし、私は自分が担当した2023年度前期新潟大学教育学部「教育課程及び総合的な学習の時間の指導法A」授業に即して必要な範囲で岸本実践に言及することにします。

 岸本先生のご著書を読了した後に、私の「佐藤年明私設教育課程論研究室のブログ」に以下の投稿をしました。2022年夏時点での私の岸本実践へのコメントはそこに収録しています。

  教育学文献学習ノート(29)岸本清明『希望の教育実践 子どもが育ち、地域を変える環境学習』(同時代社) (2022.7.20)
    https://gamlastan2021.blogspot.com/2022/07/1729.html 
 岸本先生は私の上記投稿を読まれて、丁寧なコメントを送って下さいました。そのコメントも、先生のご了解を得て私のブログに自分の投稿に続けて収録させていただきました。

 さて私は、2022.6.21の岸本先生への最初のメールで「来年も新潟大の授業を担当しますので、もう少し勉強させていただいた上で先生の環境総合学習を紹介させていただけたらと考え始めています。」と書き、その後『希望の教育実践』についてのブログ投稿等で岸本先生との交流を深める中で、2022.9.5のメールで改めて「先生の教育実践をいまの若い学生たちにシェアしようとする試み」にご協力いただけないかとお願いし、さらに2022.12.21に、2023年度前期新潟大学教育学部「教育課程及び総合的な学習の時間の指導法A」の全15回中3回を割いて行なう「総合的な学習の時間」関連学習の実践資料として岸本先生の環境学習実践記録を使わせていただくことをお願いしました。先生からはすぐにご快諾の返事をいただきました。ここまでが2023年度前期新潟大授業に至る前史です。


2.新潟大授業で「東条川学習」の何をどう取り上げるのか?
 岸本先生の『希望の教育実践』(2017)の構成は以下の通りです。目次の中に私が青字で実践が行なわれた年度を記入してみました。
    はじめに
    序章 私の環境学習の舞台
     1 東条川と東条の集落   2 もう一つの舞台「鴨川」
     3 当地方の1960年代頃までの子どもたちの1年間   4 現代農業と子どもたちの暮らし
    【↓ 1998年度】
    第1章 東条川学習の始まり
     1 大変だ。5年生の片方のクラスが崩壊した   2 6年生担任が決まらない
     3 打つ手がことごとく失敗する日々   4 東条川を見て閃いた
     5 ミネラルウォーターはなぜうまい   6 水道水はなぜまずい  7 東条川は汚れているのか
   8 東条川の再調査   9 東条川を汚すもの   10 川を汚さない生活を
     11 自分たちだけで東条川をきれいにできるか   12 隣のクラスは協力してくれるか
     13 保護者の協力は得られるか   14 とてつもない教育をやりとげた   15 全校生に訴える
     おわりに
    第2章 東条川学習の誕生まで-岸本清明・安藤聡彦との対話から
     1 「教育加東」で育つ   2 神戸大学教育学部へ
     3 子どもたちに受けいれられる経験の大きさ   4 農村社会で生きるということ
     5 教員になって   6 職場の外に学びの場を求める
     7 子どもが成長している実感の持てなかった時代   8 「ほんものの教育」への模索
    第3章 東条川学習の発展
     1 私自身の東条川学習の発展
    【↓ 1999年度】
     2 東条川学習の全校実施                                             
     3 東条川学習のカリキュラムができた
     4 PTAと地域も参加
    【↓ 2000-2001年度】
     5 東条川学習の成果
     6 東条川学習の成果をもたらしたもの
    【↓ 2004年度】
    第4章 小規模へき地校での実践                                           
     1 鴨川地区と鴨川小学校   2 山紫水明の学校で、環境学習はなりたつのか
     3 野鳥を教材にした環境学習
    【↓ 2005年度】
     4 サワガニを教材にした2・3年生複式学級での実践                        
    第5章 環境学習の何が大切なのか
     1 総合的な学習の時間が提起された背景   2 総合的な学習が本格的に展開されなかったわけ
     3 なぜ総合的な学習の時間なのか   4 どうして環境学習なのか
     5 なぜ地域に教材を求めるのか   6 総合学習の手法で展開する環境学習が培う力
     7 子どもを育てにくい従来の教科学習の背景   8 ほんものの先生としての再出発
    第6章 環境学習をどう作るか
     1 地域にある素材を一つ選び、教材とする   2 子どもを学習主体とする
     3 学習課題の設定とその追究法   4 地域や行政の人、専門家の参加
     5 子どもが周りに働きかけ、問題解決に向けた行動をする
     6 学んだことを保護者や地域に返す   7 総合的な学習の時間を使う
     8 教員が教育方法を転換する
    謝辞
    補論1 岸本実践における「総合性」-その希望    金馬国晴
    補論2 岸本実践を発展させる
        子どもたちの"目"が語る総合的な学習の在り方  黒田浩介
        私と総合的な学習                小林豊茂
 つまり岸本先生は、同書に記録されている範囲でも延べ6年度(1998/1999/2000/2001/2004/2005)にわたって(職場も異動されながら)環境をテーマとする総合学習に取り組んでおられます。

 私の新潟大学授業「教育課程及び総合的な学習の時間の指導法A」担当初年度だった2022年度には、全3回の総合学習関係授業で、総論講義の後に長野県伊那小と三重県立田小の総合学習を取りあげました。いずれも私自身がかつて何度も参観した学校です。しかし自宅から発信するリモート授業であるため、授業中に伊那小のVTRを流すと受講生のwi-fiがダウンしてしまうというトラブルが発生し、次年度からは授業で子どもたちの映像を見せるということは断念せざるを得ないと判断しました。伊那小の公開学習指導研究会には20年以上も通い、文字による実践記録も多数あってそれを使うこともできますが、この際90分授業2回分程度しか使えない総合学習実践紹介のやり方を根本的に変えようと考えました。これは、『希望の教育実践』に出会わなければ考えつかなかった方針変更です。こう書くと、VTRが使えないからそれに替わる実践書を探したとと受けとめられそうですが、そうではありません。私が『希望の教育実践』を読んで深く感動したからこそ、学生たちにもこの実践に出会わせたいと考えました。授業方法として、膨大な授業VTRの中の一断片を視聴させるという前年度のやり方ではなく、一人の実践者の実践過程、実践の軌跡を追跡するという個人実践史検討の方法を取ることにしたのです。
 1998年度の岸本先生の最初の総合学習実践「東条川学習」は、5年当時に学級崩壊したクラスの担任を6年生で岸本先生が引き受けられたところから始まっています。荒れる子どもたちに罵倒されながら苦しい学級運営を続けた岸本先生は、ある日の放課後に校舎の廊下からふと眺めた東条川を学習対象とすることを思い立ちます。しかし、荒れている子どもたちの現状を考えるとすぐに川に連れていくことはリスクが大きく、どうしようか迷っていたときに、先生はたまたまスーパーでミネラルウォーターを見つけてこれが使えそうだと直感し、3種類のミネラルウォーターを教室に持ち込んで子どもたちに飲ませます。するとある男の子が「順番を変えてもう一度出せ。オレが銘柄を当てたる」と言い出します。学級崩壊の中心にいる子でした。先生はまさか当たるはずがないと思って順番を変えて出すと、なんと50%の子どもたちが当てたのです。
 ここから、(傍観者である私の粗っぽい描写で恐縮ですが)あれよあれよと言う間に子どもたちが水をめぐる活動にのめり込み、学習を通じて成長し様々な力を付けていきます。この、学級崩壊から始まって子どもたちがドラスティックに変わっていく実践に私は強く惹きつけられ、新潟大の学生にも実践記録を読んでほしい、教育実践の結果だけを見て善し悪しを判断したりせず、子どもたちと教師の関わりのプロセスを丁寧に捉えてほしいと思いました。

 それでは『希望の教育実践』をどのように新潟大授業での学習対象とするか?
 『希望の教育実践』をテキスト指定して受講生全員に購入させることもできるでしょうが、2017年刊行の教育実践記録書を現時点で100名規模の受講生に行きわたるだけ確保できるかどうかわかりません。そこで、岸本先生にもお許しを得て、『希望の教育実践』の一部をPDFファイル化して新潟大学学務情報システムにアップロードすることにしました。
 東条東小学校から鴨川小学校に移られてからも含めた岸本先生の環境(総合)学習実践史の全体をカバーしたかったし、安藤聡彦氏によるインタビュー(第2章)や、環境(総合)学習についての一般的知見を述べている部分(第5・6章)なども学生に読ませたいのですが、必読指定して授業で取り上げるまでに受講生に独習させる文献量としては多くなりすぎるため、東条東小学校での「東条川学習」(1998・1999・2000・2001年度)の記録である第1・3章に絞りました。それでも41ページあります。新潟大学教育学部「教育課程及び総合的な学習の時間の指導法A」の授業通信第1号(2023.4.10)に、私は次のように書きました。
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12.第11回(6/26)~第13回(7/10)授業における「総合的な学習の時間」に関する学習の予告と事前学習の
   指示

 本授業では教育課程全般だけではなくその一領域である「総合的な学習の時間」についても取り上げなければならないことになっているため、第11~13回をそれに充てます。第11回授業の冒頭で日本の総合学習・「総合的な学習の時間」について概説的な説明を行なった上で、第11回後半から第13回まで約2.5回分の授業時間を使って一つの総合学習実践を取り上げます。「総合的な学習の時間」の新設以来20数年が経過しており、これまでに全国の小中高で実に多様な実践が行なわれていますが、それらを広く浅く取り上げても学びは深まらないと考え、1人の小学校教師の実践に絞って検討することで総合学習についてできるだけ掘り下げて考えてみたいと思います。この実践検討のメリットは、一つには実践記録が本として出版されていることであり、もう一つは私が著者である岸本清明先生(退職小学校教員)と交流があるので、みなさんが岸本実践の記録を読んで考えたこと、質問したいことを岸本先生にお届けして応えていただくことができるということです(既に岸本先生に了承を得ています)。
必読資料④ 岸本清明『希望の教育実践』(同時代社 2017)より
 必読資料④-1 目次&第1章東条川学習の始まり (P.27~途中のP.45まで)
   必読資料④-2 第1章続き(P.46~P.52)&第3章東条川学習の発展(P.81~P.96)

 講義科目の授業における学習資料としては大量であることはわかっていますが、岸本実践について佐藤が勝手に切り貼りしたりして部分を読んでいただくのではなくて、岸本先生の環境学習(総合学習)実践史の中の「東条川学習」についてはぜひその全体をみなさんに把握していただきたいと思い、第1章・第3章をノーカットで必読資料に入れました(冒頭に奥付=書籍情報と著者紹介と、『希望の教育実践』全体の目次も入れました)。今から10週間のちの第11回授業からこの「東条川学習」のことを取り上げますので、みなさんにはその間に必読資料④-1/④-2を全文通読していただきたいのです。
 なお、必読資料④-1/4-2を読むための参考情報として、以下の参考資料もアップロードしました。
参考資料② 岸本清明「総合学習で授業や学校、地域をも変えよう」(ひょうご教育の集い「生活科・総合学習分科会」報告 2023.1.22)
 この資料の「1私が総合学習に出会うまで」(P.1-3)には岸本先生のプロフィールと必読資料④の第1章の内容の要約が書かれており、必読資料④に先立って読んでおくと必読資料④が理解しやすいと思います。また、第11~13回授業ではこの参考資料②のそれ以外の部分も活用するかもしれません。
 そして、この事前学習の成果を第11回~13回における討論に活かすために、以下の「特別小レポート」を作成・提出してほしいのです。本授業通信の「3」で述べたように、毎回の授業終了後に小レポートを提出していただくのですが、それとは別に、本日の授業で提案して第10回授業(6/19)前日の6月18日(日)23:59を締切とする、以下の「特別小レポート」を提出していただきます。(中略)締切までに38日ありますので、がんばって取り組んで下さい。
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特別小レポート課題:必読資料④を読んで、岸本清明先生に伺いたいこと
  ※資料のページ数を明示して質問して下さい。
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  つまりは、学習した「東条川学習」の実践資料について、実践者の岸本清明先生に対する質問を書いてほしいのです。
 私が現時点で考えている、第11回授業(6/26)の後半から第12回授業(7/3)・第13回授業(7/10)に到る「東条川学習」に関する学習活動の見通しを述べます。
 まず、6/18の「特別小レポート」締切後、そこで出されている様々な質問事項を佐藤がある程度カテゴリ分けした上で一覧表にし、これを岸本先生に送付するとともに、第11回授業で受講生のみなさんに提示します。
 但し第11回授業ではすぐに質問事項についての検討を行なうのではなく、グループに分かれて必読資料④を読んでの率直な感想の交流を行ないます(そこでの討論結果についても岸本先生にお届けします)。
 岸本先生には、第12回授業(7/3)に間に合うように、特別小レポートで出された質問への何らかのお答えをいただけるようにお願いします。但し開講前の4/6時点ですでに受講登録が120名を越えているので、全員の質問に一対一対応でお答えいただくことはできないことは予め了承して下さい。
 岸本先生からのお答えを佐藤が第12回授業でみなさんに提示し、そこから第13回を含めてさらに学習を進めたいと思っていますが、その内容はみなさんからの質問内容にもよるので、現時点では未定です。また、zoom授業であることから岸本先生にも兵庫県からリモートで授業の場に参加していただけるといいなという個人的希望は持っていますが、この点についてはまだ岸本先生に伺ってみていないのでわかりません。
 なお、岸本清明『希望の教育実践』(同時代社 2017)はAmazonで検索したところ現在でも新刊でも購入可能(2200円)です(また古書では127円+配送料247円から出ています)。必読資料④として配付した第1章・第3章だけでなく岸本先生の実践報告書の全体を知りたい方はぜひ入手して読んでみて下さい。
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 「必読資料」
(=授業までに必ず読むよう指示した資料)としてA5版41ページ。これだけでは「東条川学習」については詳細に理解できても岸本清明先生の環境(総合)学習実践の全体像がつかめないため、「参考資料」(=できれば読むことを進めるが義務づけない資料)として岸本先生が2023.1.22全教ひょうご教育の集いに提出されたレポートも同じく新潟大学学務情報システムにアップロードしました(上記2つの文書は本日の報告の別紙資料として配付しました)
 私のこれまでの授業経験の中で、これほど大量の資料の通読を受講生に義務づけた記憶はほとんどありません。「教育課程及び総合的な学習の時間の指導法A」授業では毎回の授業後に授業内容・授業中の討論内容に関連する小レポートを授業翌日の23:59締切で提出させました。また次回授業に向けて必読資料・参考資料をアップロードし、授業までに読むことを指示しました。受講生はそれら課題の隙間を縫い他の授業の受講や課題提出の隙間を縫って、上述の「特別小レポート」課題(岸本実践の資料を通読して質問を提出すること)に取り組むことになります。そこで余裕を持って開講日から38日後を「特別小レポート」提出締切としました。提出先である学務情報システム「フォーラム」の投稿記録を見ると、一番早い提出者で2023.6.8、6.14-18のラスト5日間にほとんどの受講生が提出しています。受講登録者129名中96名、最終的な単位取得者(105名)中では91%が提出しました。多くの授業科目を受講している中、ほとんどの受講生ががんばって岸本先生の実践記録の「授業外学習」をしてくれました。

 資料を読む作業だけでも多くの時間を必要とするので、「特別小レポート」課題はシンプルに実践記録への質問としました。100名近いレポートの質問内容を集約整理する必要があるので資料のページ数を明記して質問することを指示し、多くの受講生がこの指示を守ってくれました。
 2023.6.18の「特別小レポート」提出締切後、96名全243項目にわたる質問項目一覧を、『希望の教育実践』のページ順に集約・整理しました。受講生に対して質問項目一覧ファイルをアップロードし、同じファイルを2023.6.20に岸本先生にもお届けしました。
 このファイルの各質問項目には受講生の氏名を表記しました。岸本先生は(私から新潟大学に対して申請はしていませんが)実質的に「教育課程及び総合的な学習の時間の指導法A」授業の共同担当者であり、受講生について私が知り得ている情報のうち氏名については共有していただいていいと考えました。岸本先生が質問に答えていただく際に、人と人とのコミュニケーションであるにも関わらず質問提出者の名前もわからずに応答していただくのは失礼だと考えてのことです。なお岸本先生には、膨大な数の質問項目に対して全て回答していただく必要はなく、回答のしかたはお任せすると申し添えました。
 岸本先生は早くも2023.6.23に「質問に答えて」というファイルを送って下さいました。さっそく2023.6.25にこのファイルを受講生宛てにアップロードしましたが、その後受講生の質問項目(抜粋)と岸本先生の回答を合わせたファイルを佐藤が作成し、2023.7.2に受講生向けにアップロードするとともに岸本先生にお送りしました。このファイルから受講生の氏名を削除したものが、【別添資料1】受講生の質問(抜粋)+岸本清明先生「質問に答えて」です。ここには全243項目の質問項目のうち、岸本先生の「質問に答えて」と対応する150項目を収録しています。

 受講生の質問150項目のうち、岸本先生の回答文の「1 学級崩壊について」「2 6年生の担任を決めるにあたり」「3 一学期の子どもたち」までの部分に対応する質問が88項目と半数以上を占めています。岸本先生が前学年で学級崩壊したクラスを悩んだ上で引き受けられ、その立て直しのために模索・苦闘される姿が受講生に強い印象を与えたようです。この部分は、私の授業で取り上げたい岸本先生の総合学習実践史の中ではまだ《前史》の部分であるわけですが、私自身が「東条川学習」に強く惹きつけられた大きな理由が、まさにこの実践が学級崩壊との苦闘の中から生まれたことでしたので、私としては「この授業は学級経営に関する授業じゃないから」としてこれらの質問を切り捨てたりはしませんでした。

 ちなみに、岸本先生からの問いかけに応えて第12回授業(7/13)で「学級崩壊を経験したことがありますか?」という問いを小レポート課題に加えたところ、96名のレポート提出者中、「ある」7名(7%)、「ない」48名
(50%)、「ないが…」21名(22%)、無回答20名でした(「ないが…」というのは、自分のクラスではないけれども、隣のクラス、他学年、きょうだいのクラスなどで目撃したというものです)。直接間接を合わせて「体験あり」が29%、「なし」が50%です。教師をめざす学生たちの中には、もしも自分が教師になった時に学級崩壊が起こったら…という怖れ・不安を持っている人もいるようで、そのことが岸本先生の学級崩壊への対応の記録に対する強い関心の背景にあったのだろうと思います。


3.新潟大授業(「総合的な学習の時間」関連の3回)の全体構成
※薄い灰色の箇所は、岸本実践と直接関係しない部分です。
第11回授業(2023.6.26)
   11.「法的拘束力」に「風穴」? ~「総合的な学習の時間」について考える
     11-1.「総合的な学習の時間」・「総合学習」とは何か?
      11-1-1.総合学習・「総合的な学習の時間」における「総合」の概念
      11-1-2.「総合的な学習の時間」のテーマ例としての「現代日本人の『生きる課題』」
     11-2.自らの「総合的な学習の時間」体験を振り返る

     11-3.すぐれた総合学習の先進事例~岸本清明「東条川学習」に学ぶ
      11-3-1.「東条川学習」の概要紹介
      11-3-2-1.「東条川学習」実践資料(必読資料④)を通読した感想の交流
      11-3-2-2.小レポート(特別)における「東条川学習」実践への質問一覧と次週の学習課題(予定)について
第12回授業(2023.7.3)
      11-3-3-1.岸本清明先生のご紹介
      11-3-3-2.岸本清明先生のお話~特別小レポートの質問に答えて
      11-3-4.岸本清明先生の講義への感想(+補足質問)~質問に答えていただいた受講生を中心に~
第13回授業(2023.7.10)
        11-4.「総合的な学習の時間」において教師が果たすべき役割を考える

 岸本先生には、第12回授業にzoomで参加していただくことを依頼しており、さらに授業を進める中でさらに第13回授業にもご参加いただくことをお願いしました。
 「総合的な学習の時間」については、大学の90分授業×3回の時間内では十分なことは学習できないのですが、一方では教育課程関係の授業も「教育課程及び総合的な学習の時間の指導法A」授業全15回中の12回では足りないくらいなので、総合の扱いは3回にとどめています。
 全3回の構成は上記の通りで、第11回の前半部分で「総論」を述べました。総合学習登場以来3次にわたる学習指導要領(第9(高校10)期学習指導要領では「総合的な探求の時間」に名称変更)にざっと言及した後、第7(高校8)期学習指導要領で「総合的な学習の時間」が新設される過程で、「横断的・総合的な指導」の必要性という1996中教審答申の当初の領域設置趣旨が薄められて子どもの「興味・関心」が異常に強調されるようになったことを批判しました。次に総合設置当時に私が構想した(総合に限定せず教育課程全体で取り組むべき)現代的な学習課題について紹介し、最後に受講生自身の「総合的な学習の時間」学習体験を交流しました。



4.「初発感想」の提出
  (「初発感想」とは、今を去る約40年前の神戸大学助手時代に杉山明男先生のゼミに参加して文学の授業研究を学んだ時によく聴いた言葉で、文学作品を一読した段階でまだ内容の学習に入る前に子どもたちに書かせる感想のことでした。)
私の「教育課程及び総合的な学習の時間の指導法A」授業での全3回の総合学習についての学びの中では、岸本実践についての最初の学習として「東条川学習」実践についての感想をグループ討論で交流させ、その後小レポートに書かせました。前述のように第11回授業(6/28)の10日前締切で同実践記録への質問レポートを提出させていました。この「特別小レポート」を一般的な感想レポートではなく質問レポートにしたのは、感想文にしてしまうと「すごい実践だ」等の賛辞で終わりかねないので、質問させることで自分とのつながりを意識させようとしてのことでした。質問事項に関しては第12回授業で岸本先生に選択的に取り上げていただいてお話をしていただく予定だったので、事前の具体的質問提出後の時点で自由な感想がどのように表出されるかという関心もありました。この回の小レポート課題は以下の通りです。
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小レポートNo.11課題:
(1)教科の学習とは別に「総合的な学習の時間」を置くことに意味はあると思うか?その理由
(2)「東条川学習」実践について必読資料④を事前学習し、本日のグループ討論で意見交換し
たことを踏まえて、岸本清明氏の総合学習実践「東条川学習」についての感想
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 (1)は一般論としての問いです。体験交流の中で「総合的な学習の時間」が他教科とか受験指導その他に転用されたという経験を多く聞いていたので、概論的講義で総合学習の意義(と「興味・関心」偏重への佐藤の批判)を話した上で、受講生にとって総合学習が教科とは違う独自の意味を持つ学習領域と捉えられたかどうかを問いました。
 そして(2)では、同じテーマで授業中にグループ討論を行なった上で自分の意見を書かせました。6/29にこの小レポートNo.11のうち(2)を集成したものを岸本先生に送付しました。

 第12回授業(7/3)時に配付した授業通信第12号では、上記(2)について提出された101名のレポート全部を掲載した上で、以下のようにコメントしました。


 この日は岸本先生ご本人をお迎えしてお話を伺う大事な機会でありながら、その前に岸本実践の「紹介者」にすぎない佐藤の見解を強く打ち出しすぎたかもしれません。ただ、「すごい! だけど、できない」というように学生に受け流されてしまうようでは実践報告のしがいがない、という思いは、岸本先生にも共有していただけたのではないかと思っています。

 さて、小レポートNo.11における岸本実践への(質問提出後の)「初発感想」の内容を検討していきましょう。検討と言っても提出されたレポートの全体を客観的に分析することはとても難しいです。どうしても自分にとって主観的に気になる意見を取り上げてしまいます。第11回~13回授業の小レポート提出者数は、それぞれ101名・96名・100名であり、個々に異なる文章から全体の傾向をつかむというのは至難の業です。前述の授業通信第12号(7/3)に私が書いた、私にとって気になった傾向の事例を取り上げてみたいと思います。前出の授業通信第12号の私の文章の一部をもう一度引用します。

「この驚くべき実践の展開に対して、岸本先生の教師としての実践力量、子どもを信じて関わる粘り強さなどに驚き、敬意を払う声が多かったのですが、しかしそこから『実際の話だと信じられない』『うまく行きすぎている』『本当にできるのか?』『自分が教師になってもこのような実践はとてもできない』と、自分とは切り離して他人事と捉える、あるいはそこまで行かなくても自分自身の教師としての力量形成の現状や課題とどう接点を見つけていったらいいのかわからない戸惑いも感じられました。」
 私がこのようなコメントを述べることに繋がった小レポートNo.11の事例を紹介します(【別添資料2】)。念のために申し上げますが、こうした傾向が岸本実践に対する新潟大受講生の感想の《主流》だったわけではありません。数としては101名中の24名=約4分の1です。まあ、無視できる数ではないですね。
 匿名で掲載し、通し番号をつけています。レポート抜粋の末尾に討論グループ(=ルーム)の番号を記載しています。zoomでランダムに編成したルームですが、各ルームでの議論がどのように進んだかが各受講生のレポート内容にも影響していると思います。但しレポートのうち他の受講生の意見を紹介した部分は省略し、当該受講生の意見だけをピックアップしました。
 【別添資料2】のタイトルにあるように、「自分と切り離す傾向」として一括りにしましたが、若干あてはまらないかなという事例も含まれています。
 類似の意見が多いのですが、敢えて以下のように6つにカテゴリ分けしてみました。



 いずれにしても、岸本実践からの学びに取り組み始めた時点での受講生の認識であり、担当講師である私がこの捉え方はよいとかこの捉え方は悪いと言うべきものではないのですが、リアルタイムの授業進行過程での私の捉え方はP.8で紹介した授業通信第12号の通りで、先輩教師の実践との出会いとそこからの学びを建設的なものにしてほしいという強い気持ちがありました。
 なお、小レポートNo.11に示された受講生の「初発感想」は【別添資料2】で紹介したもの以外に77名分があるのですが、検討視点が拡散しすぎるので省略します。


5.近未来の「初任教員」としての自分とつなぐ
 第12回授業(7/3)にゲストとして岸本先生を(zoom経由ですが)お迎えしました。【別添資料1】受講生の質問(抜粋)+岸本清明先生「質問に答えて」の原版(受講生の実名が入ったもの)を7/2に新潟大学学務情報システムにアップロードして受講生に周知してありましたが、授業では岸本先生のお話の進行に合わせて佐藤が「画面共有」で当該ファイルを提示しました。
 この時の受講生の質問に答えてのご講義については、岸本先生からお話ししていただきます。

 ご講義の後、自分の質問に答えていただいた受講生から自発的に感想を発言するよう予め指示してありました。いきなりでは出にくいと思い、zoomのチャットに書き込んだ上で発言するよう指示しました。最初はなかなか書き込みがなかったのですが、最終的に32名が授業終了までの短い時間に書き込んでくれて、受講生の関心の高さを感じました。授業での実際の発言は、残り時間との関係で最初に書き込んだ3名ほどにしてもらったと記憶します。
 この時間には、岸本先生のご講義を踏まえてグループで話し合う時間はありませんでした。この時間の小レポート課題は、以下の通りです。
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小レポートNo.12課題:
本日の岸本清明先生のお話と受講生からの発言を踏まえて、以下のAかBかのいずれかを選んで投稿しましょう。
 A(現時点で教師をめざしている人):自分が教師になって「総合的な学習の時間」の指導に取り組むとき、取り敢えずどのような指導(内容・方法)であれば新人教師でも努力すればできそうだと考えますか?

 B(現時点で教師をめざしていない人):「総合的な学習の時間」に取り組む学校教師に対して、(たとえば自分が親になった場合や、そうでなくても一般社会人として)どのような学習を子どもたちに対して指導してほしいと考えますか?

(補)(A・B共通 岸本先生からみなさんに聞いてみたいことが出されています)
  学級崩壊を経験したことがありますか?
  ※「経験あり」の人の中には、今に到るまで心の傷になっている人もあるかもしれません。ですから、無理に書いていただく必要はありません。1998年度岸本学級について学んだことと関連して、この授業の受講生と私と岸本先生にシェアしてもかまわないと思うことがあったらぜひ書いて下さい。

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 それまでの11回の授業の中で、受講生のうち教員志望者とそうでない受講生(教員免許は取る)とを区別して課題を出したことはありませんでした。私は「4」で紹介したように、教師をめざす受講生に対してはすぐれた教育実践から学ぶことと自分自身の教師としての将来展望をぜひ繋いで捉えてほしいという課題意識を持っています。しかし一方、この課題を免許は取るが現時点で教師になることは考えていない受講生にもぶつけるわけにもいかないし、それらの受講生にも「自分には関係ない小レポート課題だ」と思ってほしくないので、別にBの課題を設定しました。ただ、枕詞として「岸本清明先生のお話と受講生からの発言を踏まえて」と書いているものの、あくまでも岸本実践という個別具体的な教育の事実を踏まえてこの課題に取り組んでほしいということの強調がやや弱かったかなと思います。

 この小レポートNo.12を7/8に岸本先生にお届けするとともに、翌週第13回の授業通信第13号に全員のレポートを掲載しました。その際、前文として以下のような説明を付けました。
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 上記の説明にもあるように、受講生が「新人教師でも努力すればできそう」な「総合的な学習の時間」の指導内容・方法として考案した事柄を①子どもの興味・関心/②身近なテーマ・題材/③地域/④その他にカテゴリ分けしたのは、出てきたレポートを見ての私の跡付けです。敢えて区分しましたけれども、複数カテゴリにまたがっている意見もあります。《新人教師にも可能》という条件から受講生達がそのようなカテゴリにあてはまる提案を絞り出したことはなかなか興味深く、それぞれのカテゴリに属する意見を検討したいのですが、ここではまたもや手前勝手ですけれども、次項での検討に直接結びつく①カテゴリだけに限定して検討することにさせていただきます(【別添資料3】参照)。
 「総合的な学習の時間」における《子どもの興味・関心》と学習活動の内容や教師の指導との関係は大変重要な論点であり、それだけにいろいろな捉え方もあり得ると思います。私が本授業第11回の総合学習に関する概論講義の部分で強く批判した《興味・関心一辺倒の指導論》もその一つです。その授業でも述べたのですが、もちろん子どもの興味・関心のみに従って展開される活動も学校教育の中にあっていいと思うのですが、それを即、総合学習(総合的な学習)と呼ぶことは概念の混乱です。自然・社会の総合性を持つ課題にアプローチしたり、あるいは学習方法において教科等の既存の学習成果を意識的に連携・総合させるような志向をもたない活動まで「総合的な学習」だと言ってしまうことはできないと思うのです。
 それはともかく、私は「総合的な学習の時間」において子どもの興味・関心を無視してよいなどとは毛頭考えていません。ただ子どもたちの興味・関心と教師の指導との関係を丁寧に検討する必要があるということを主張しているのです。第11回授業の短時間の講義で私が述べたことを受講生がどう受けとめたかはわかりませんが、子どもの興味・関心の受けとめ方が「総合的な学習の時間」の指導の重要な《環》の一つであることを意識した受講生もいたかもしれません。小レポートNo.12を私がカテゴリ分けしたところでは、数としては「地域」を取り上げた受講生が35名で、「興味・関心」の20名よりも多いのですが、この2つのカテゴリ相互も関係があり、相互浸透しています。ただ、次項との関係で、数が多い「地域」カテゴリではなくて、「興味・関心」カテゴリに限定して検討します。

 私の関心の焦点は、「自分が教師になっ」た時に「新人教師でも努力すればできそう」な「総合的な学習の時間」の指導の内容・方法について、どうして20名の受講生たちが「子どもの興味・関心」を想起したのかということです。これについては、以下のような意見が出されていました。










































































 

 

(佐藤の報告と新潟大受講生のレポート抜粋に加えて、別添資料1として新潟大受講生からの質問に対するコメントを、そして最後に、2023.10.21京都教科研例会に岸本先生からお寄せいただいた文章を掲載させていただきました。岸本清明先生、ありがとうございました。)

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