77 教育学文献学習ノート(22)-4 神代健彦編『民主主義の育てかた 現代の理論としての戦後教育学』(2021) 第4章 「公害教育論-生存権・環境権からのアプローチ」(古里貴士)
(2021.7.10刊行 2021.8.?通読 2022.9.5-16/2026.3.23-4.30 ノ-ト作成)
神代編『民主主義の育てかた』には神代「はじめに」と第1~9章の計10編の論文が掲載されています。教育科学研究会内外の中堅・気鋭の教育学研究者たちの論文集。私がこれまでに読んできた教育学文献の中でも、もっとも魅力的・刺激的だったものの一つです。
これまでにこの「教育学文献学習ノート」で以下の4編を検討させていただきました。
(22)-1 神代健彦「はじめに」/中村清二「第8章 民主教育論-身に付けるべき学力として」 (2021.9.3投稿)
(22)-2 神代健彦「教育的価値論-よい教育ってどんな教育?」 (2021.9.10投稿)
(22)-3 大日方真史「『私事の組織化』論-教師の仕事にとって保護者とは?」 (2022.3.1投稿)
上記に続いて古里貴士論文を取り上げようとして作業を始めたのは2022年秋のことでした。しかし、途中までノート化を進めた段階で、自分には古里氏の研究内容について何事かをコメントする力量がないと判断し、作業をいったん断念しました。
古里貴士氏とは、私が三重大学に在職中の時期に中部教育学会理事会で何度か同席したことがあり、また教科研などの場でお会いしたこともあるかと思いますが、本論文を学ぶまでの段階で親しく研究交流を行なってきたわけではありません。ただ、古里氏もfacebookを利用されており、私の投稿に「いいね!」を付けて下さったり(私もたまに)しています。
ところで、今年8月8日-10日に開催される「第64回教育科学研究会全国大会関西大会@大阪暁光高校」の大会実行委員会に加わっている私は、大会第1日(8/8)午前の教科研講座の一つとして、「地域で人と人のおもろい出会いと交流を創り出す」という企画を提案し、準備をすすめています。東京八王子市の団地と里山の境界線で30年間続けられている「みなみ野自然塾」(代表・荒井嘉夫さん)と、兵庫県加東市の高橋武男さんが起業して刊行された地域誌『地元人』(スタブロブックス 2025)という、東西の二つの地域での《人と人のおもろい出会いと交流を創り出す取り組み》が教科研講座の場で出会うことで何が起こるかを楽しみにしています。
「みなみの自然塾」も、『地元人』も、いずれも学校教育との接点はあるのですが、主として学校外をフィールドとして展開されてきた活動です。2つの活動の出会いを思いついたのは私ですが、準備をすすめながら学校教育内の教育実践に焦点をあてた研究に取り組んできた私の力だけでは二つの活動のおもしろさ、良さを十分に引き出せないのではないかと考えるようになりました。そこで2026.1.8に古里氏に対して「学校のことというより広く地域(づくり)に関する講座にしたくて、社会教育がご専門の古里さんのお知恵・お力をお借りできないかと考えました。」とメッセージを送ったところ、ありがたいことに古里氏にも同講座の企画にご協力いただけることになりました。
古里氏が私のお願いを承諾してくださったときに、私自身の中で明確にしなければならないもう一つの懸案があると考えました。それは上述したように今から約3年半前に自分が古里論文から学びコメントする作業を開始しながらも完成しないままに断念したことです。完成していない文章でしたので、もちろんそのことを当時古里氏にお知らせしてはいませんでした。また今回古里氏に教科研講座へのご協力をお願いしたことと、私の古里論文へのコメント作業断念とは、直接の関係がありません。しかし、自分の中では二つのことを別々に処理したままではいけないという思いが強くなりました。それで古里氏へのメールで3年半前の経緯を説明した上で、「もう一度古里論文へのコメント作業に取り組んで、近い将来に投稿したいと思います。」と決意表明を書きました。
それからさらに3ヶ月以上経過してしまったのですが、作業を再開して改めて古里論文から学びを深めていきます。
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本書の執筆者紹介(P.271)では古里氏の「専門は社会教育論、研究テーマは高度成長期地域公害教育史」とあり、私が研究してきたことと「近い」とは言えません。ただ、タイトルの「公害学習論」については、私の記憶にヒットする部分がありました。「奇形ガエル」そして、「中内敏夫集中講義」……。古里論文の叙述から学ぶ前に、そのことを取り上げさせて下さい。
私は、京都大学教育学部・大学院在学中(1973s-1982s)に確か2回、中内敏夫先生の集中講義を受講し、そのうちのどちらかで「奇形ガエル」実践の話を聴いたと記憶しています。実践者の和爾貴美子さんというお名前や、実践記録名『学級を変えた奇形ガエル』も覚えています。当時、雑誌の実践報告か単行本で和爾実践を読んだと思います。しかし同書は、ネット検索しても在庫情報がなく、現在は入手できません。
そこで、中内敏夫『教材と教具の理論』(有斐閣 1978)の、「Ⅱ 教材つくりの理論 1 目標選択と教材つくり-ひとつの典型を手がかりに 三 「公害学習」の教材つくり」の一部を抜粋します。
【 公害学習論の特徴と歴史 「公害学習」とよばれる教育実践が60年代の後期に出発して、すでに約10年が経過した。だが、この民間の教育運動は白紙の領域にかきこまれたものではない。巨大開発が、地域にさまざまの物的・精神的「公害」をまきちらしはじめたとき、これに対処する教育の動きは、府県や市町村の当局側からもあわれたのだった。いわゆる「公害学習」運動は、これとの競合者として民間からおこされたものであった。こうして公害学習は、まず第一に、民間教育-60年代中期の<公害に負けない体力づくり>をめざす官製公害教育に対抗し、この期の新しい人権概念としての環境権確立の一翼をになう民間教育運動としておこされたという特徴をもつ。当局側の「公害と教育」対策と「公害学習」の決定的なちがいは、そこに、住民運動が介在するか否かである。こうして「公害学習」は、さらにつぎのような特徴をもつことになる。すなわち、
第二に、公害学習は、教師が公害発生地の「住民の学習にまなぶことなしになりたちえない」性質の教育実践であり、「生きた現実を生きた民衆が究明する過程そのものを方法とせざるをえない。
第三に、したがってまた、「大人としての住民が目前の現実の解決のためにおこなう学習(自己教育)と、子どもの認識の系統的発達をそだてる教授の対象としての学習は同一視されるべきものではない」ことを十分認識したうえで、なおかつ、「既存の文化財、科学と文化の体系の系統的教授を中核とする教室での授業といちじるしくことなって、生きた教材を対象とせざるをえ」ない。(国民教育研究所編『公害学習の展開』草土文化、1975年、P.17-18)】(中内、P.86)
⇒まず、中内氏がまだ和爾実践に言及する前のここまで、特に上記第2点目の指摘を読んで、私には自分の言葉で「公害学習」を語る資格はないな、と思うのです。なぜかと言うと、私は30年間(1989-2018年度)にわたって三重県に暮らしていたにもかかわらず、四日市公害反対闘争やそれと連動して展開されたであろう「公害学習」に対して、ほとんど積極的に関心を持つことがなかったからです。公害反対闘争から続く市民運動や教育実践に取り組んでこられた教師とも知り合いであったにも関わらず。このノートを書き上げたら、懺悔の気持ちとともにその方にも今さらながらの自分の学びについてお知らせしないといけないと思っています。
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引用を続けます。
【このようにして全国におこりはじめた公害学習をすすめる教師や住民たちが、はじめて全国レベルで一堂に会したのは1971年、第20次全国教研東京集会での初の「公害と教育」分科会においてのことであった。田中裕一指導「水俣病の授業研究」(69年、熊本県)、今村公子指導「公害のない町づくり」(71年、三重県)、藤岡義隆指導「奇形魚の発見と瀬戸内海における生態系破壊の実態調査研究」(73年、広島県)、吉田貴美子指導「奇形ガエルにみる公害学習」(75年、千葉県)、それに、下北や鹿島地区の教師の実践など、この分野で今日までに知られている公害学習の著名な実践は、現代教育学のあり方にたいしていくつかの理論問題を提起しているが、以下、教材つくりの分野に限定して、その実践の特質を整理してみよう。
参加する 前述のように、公害学習は、教師が公害発生地の「住民の学習にまなぶこと」、つまり公害闘争への(佐藤註:次の2文字に傍点)参加なしには「なりたちえない」という構造をもつ。(中略)
公害闘争への参加は、こうして公害学習成立の最初のステップであるが、もちろん、その参加の契機も形態も、地域の住民による公害闘争の段階や教師の主体的条件のちがいによってさまざまである。公害学習をしている教師の数多くはどこかで地域公害闘争に接触しているが、出発の時点においてはこの連関のまったくないばあいもある。千葉県市川市でおこなわれた「奇形ガエルにみる公害学習」の実践がその例である。
この実践を指導した女教師の公害学習は、たまたま近くの江戸川で子どもが採集した奇形ガエルが子どもの手でクラスにもちこまれてきたところから出発している。この教師は、住民運動や公害闘争に敏感に反応してこれにとりくむいわゆる「公害教師」ではない。彼女はむしろ作文教師として子どもの綴方をこよなく大切にし、「子どもに真実をみつめる目を育てる。ちょっとした変化に気づかせる」指導をその日々の教育目標にしてきた。その彼女に、子どもがもちこんできた奇形ガエルは、ただならぬ存在として映った。
ここから彼女の公害学習がスタートし、市当局と市在住の科学者、マスコミをまきこんだ町ぐるみの反公害運動へと事態は展開する。子どもがもちこんできた奇形ガエルという地域の公害のちょっとした露頭に教師自身が、目をおおうのではなく、また、無関心でいるのでもなく積極的に反応したということ、この事実がここで決定的に大切である。それは、ジャーナリズムにあおりたてられて、外形的に公害闘争にとびこむかたちよりも、平凡でありながらよりラディカルで根源的な(佐藤註:次の2文字に傍点)参加の形態といえる。
公害学習成立の第一ステップとしての参加の能力は、それゆえ、わずかな異常に敏感に反応する教師のフレッシュで敏感な心の能力といってもいい。】(中内、P.88-90 下線は佐藤。以下も同じ。)
⇒書き写しながら、さらに約40年前の学習記憶が蘇ってきました。私が和爾(上記引用中では吉田)実践を知ったのは中内集中講義を通じてであり、上記引用文からも感じ取れる情熱を込めた中内先生のご紹介を通じてだと思うのですが、特に私が関心を持ち、現在まで微かに和爾実践を記憶に保持してきた理由は、引用中の下線部分だと思います。子どもたちとの日常を大切に過ごしてきた一教師が、子どもがたまたま持ち込んだ奇形ガエルから地域に起こりつつある公害問題に気づき、子どもたちと共に探究していく。この、(ドラマと言ったら安っぽくなりますが)ドラスティックな実践展開にすごく魅力を感じたんだと思います。私は学生の頃から子どもたちが《あることを知ることで周囲の世界が変わって見えてくる》という認識活動のドラマにとても関心があって、和爾実践もそのような目で見ていたんだと思います。
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【 記録する (中略)
千葉県の「奇形ガエルの公害学習」の実践は、作文指導としてはじまりながら、その実践がふかまってくると、密接不可分の構成要素として地域の民間の科学者がその体系のなかに一定の座を占めるようになっている。】(中内、P.90-91)
【 発明する (中略)
子ども自身が公害闘争の子どもなりの共同参加者であり、記録・調査活動の共同研究者であるという関係は、千葉県の「奇形ガエルにみる公害学習」にも、呉市民の会の公害学習にも共通してみられるこの系譜の教育実践の特色である。】(中内、P.95-96)
以上、全国各地の先進的公害学習実践の成果を縦横に撚り合わせつつ展開された中内氏の「公害学習論」の中から和爾実践に直接言及された部分だけを抜き出したので、中内「公害学習論」からの学び方としては邪道ですが、私が古里貴士論文から学ぶためのウォーミングアップとして取り組んでみました。
古里貴士論文の構成は、以下の通りです。
はじめに-なぜ「公害と教育」をいま問うのか
1. 公害教育論は何を論じてきたのか
1-1.公害教育論が生成してくるまで-その若干の前史
1-2.学校をとりまく公害問題
1-3.「地域・自治体をつくること」と「教育をつくること」-その結節点としての教師
1-4.公害を生存権の問題としてとらえる-教師の公害認識
1-5.参加する・記録する・発明する-住民運動と教材づくり
1-6.環境権的視座から地域の再建と教育の再建をとらえる
2.公害教育論の現代的意義とは何か
2-1.「環境教育の連続・非連続」問題
2-2.生存権・環境権という視座からのアプローチ
2-3.「調査」を中心とする実践としての科学
はじめに-なぜ「公害と教育」をいま問うのか
東日本大震災発生から1年後の福島県の保育士の報告を受けて、古里氏はこう述べます。
【これらの出来事は、当たり前であるが故に、見過ごしてしまいがちな事実を私たちに教えてくれます。私たちをとりまく自然環境が人間の活動により破壊されることで、子どもたちの生命や健康が脅かされてしまう可能性があること、子どもたちの成長と発達のためには、豊かな自然環境が必要であること。たとえ自然環境が破壊されたとしても、子どもたちはその再生を待ってはくれないこと。
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そして、いったん自然環境が破壊されてしまうと、大人たちは、環境破壊によって脅かされた子どもたちの生命と健康を守りつつも、その中で子どもたちの成長と発達を最大限保障するという困難な現実と向き合わざるを得なくなることです。
(中略)福島原発事故によって、私たちが直面ぜざるを得なかった問題、すなわち自然環境の破壊の中で、子どもたちをはじめとするあらゆる人びとの生命や健康、成長、発達をいかに保障するのかという問題と向き合う中から生成されてきたのが、公害教育論です。】(P.98)
⇒「公害教育論」は「自然環境の破壊の中で、子どもたちをはじめとするあらゆる人びとの生命や健康、成長、発達をいかに保障するのかという問題と向き合う中から生成されてきた」のであり、その「公害教育論」が指し示した課題の意義を福島原発事故がもたらした事態の中で我々は改めて捉え直さなければならないということであると思います。だからこそ古里氏は本論文を東日本大震災への言及から書き始めたのだと思います。
【「公害」という言葉が「自然環境の破壊」という意味を含む言葉として限定されて用いられるようになって、すでに100年ほどの歴史を持つということになります。しかし、「公害」を「教育」が向き合うべき課題としてとらえ、「公害」と「教育」を結びつけて研究を蓄積し始めるようになったのは、もっと後の時代、具体的には日本が未曾有の高度経済成長を迎えていた1960年代半ば以降のことでした。公害教育研究を当初からけん引してきた藤岡貞彦によれば、「わが国において、環境学習は環境破壊に抵抗する教育、すなわち公害教育として出発した。それは、1960年代半ばのことであった」(藤岡1985「日本における環境学習の成立と展開」 福島要一編『環境学習の理論と実践』あゆみ出版:133)とされます。1960年代半ばから公害教育の実践が取り組まれ、それを跡付ける形で公害教育論は生成されます。
今では「公害教育」や「公害学習」という言葉がよく使われますが、当初よく用いられていたのは「公害と教育」という言葉でした。藤岡は「公害学習」と「「公害と教育」問題」を、厳密に区別しています。藤岡によれば、「公害学習」という言葉が「主として教授学習活動をともなう教室を場とした教育実践」を指すものであるのに対し、「「公害と教育」問題」は「子どもの身心発達における疎外の基本的要因たる環境破壊の諸相を教育問題としてとらえなおしその解決をもとめる社会的実践の対象」であると説明しています(藤岡1975a「公害学習の成立」 国民教育研究所編『公害学習の展開』草土文化:30-31)。 すなわち、「公害学習」が教育実践そのものを意味しているのに対し、「「公害と教育」問題」は、環境破壊が子どもの心とからだの発達に対して与える負の影響を解決すべき教育上の問題としてとらえなおしたものであり、「「公害と教育」問題」という言葉が、より広い意味で用いられていることがわかります。
本稿では、藤岡によるこの説明をふまえて、環境破壊によって子どもを含むあらゆる人びとの生命や健康、成長、発達、生活が脅かされる問題を教育に関わる問題(すなわち「公害と教育」問題)としてとらえなおし、その問題解決を目指して生成された教育理論の総体を、公害教育論としたいと思います。】(P.98-100)
⇒公害学習は1960年代からあった。「それを跡付ける形で公害教育論は生成され」た。その「生成」の時期はいつなのか?
藤岡貞彦氏が1975年の論文で 「公害学習」と「「公害と教育」問題」を峻別している。「「公害と教育」問題」は、「環境破壊が子どもの心とからだの発達に対して与える負の影響を解決すべき教育上の問題としてとらえなおしたもの」であると古里氏は捉えて、「「公害と教育」問題」の「問題解決を目指して生成された教育理論の総体を、公害教育論としたい」と述べます。
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私としてはまず、「公害学習」と「「公害と教育」問題」と、そして「公害教育論」の3つが概念として区別されていることを押さえておきたいと思います。これは、教育課程や学習活動の内容に関する一般論として述べられていることではありませんが、教育課程を研究してきた者として注意深く耳を傾けるべきことであると考えました。
教室実践としての「公害学習」の理論化を「公害教育論」とするのではなく、より広く「「公害と教育」問題」に対応する「教育理論の総体」を「公害教育論」とする、と古里氏は述べます。
現実の学校の教育課程について研究してきた私は、教育課程における《学習指導要領の「法的拘束力」》という文科省による統制を批判しつつも、現実に学習指導要領によって予め《決定》されている教育課程が存在するという事実認識に基づいて、教育課程への権力的拘束を批判しつつそれを何らかの意味で《打破》(無視とか省略とか入れ替えとかの消極的抵抗を含めて)する教育実践への日本の良心的教師たちの取り組みから学んできました。しかしそういう私の教育実践研究には、《学校教育という枠組みの内部で教育実践のありようを考える》という視野の狭さがあったのではないかと反省するのです。
現実社会には現実社会の《問題》があり、その《問題》は学校教育において《学習内容化》することが可能かどうかに拘わらず厳然と存在する。教師自身が学校内での教育活動にとどまらず、《社会問題解決のための社会活動》に参加し→活動に参加する市民とともにまずは(もちろん、その活動経験の時期が決定的問題でないことは中内氏も指摘していますが)「〇〇問題」の総体の把握に(簡単なことではないでしょうが)努力し→その過程で教育専門家の立場から《「〇〇と教育」問題総体》の把握にも努力し→研究者等とも協力共同して「〇〇教育論」を試論的に提起し→この「〇〇教育論」全体を踏まえながら、学校における教師の独自の役割として、中内氏が言うように「生きた現実を生きた民衆が究明する過程そのものを方法と」しつつも、かつ「『大人としての住民が目前の現実の解決のためにおこなう学習(自己教育)と、子どもの認識の系統的発達をそだてる教授の対象としての学習は同一視されるべきものではない』ことを十分認識したうえで」子どもたちとの学習活動の組み立てを構想し、実践していく…
現代日本の学校教育において、現実の学校における教師の多忙な業務や自主的活動への管理統制強化を思えば、上記のことは到底実現できない絵空事になってしまうかもしれません。しかし、一方で《与えられた教育課程の中で仕事を進める》という現実的対応を取りながらも、その一方で《現実社会の問題群を意識的に把握し、その中から教育問題を設定して学習内容を構想する》という発想を(せめて発想だけでも)持ち得る教師であるかどうかということは、きわめて重要なことだと私は思います。
1. 公害教育論は何を論じてきたのか
1-1.公害教育論が生成してくるまで-その若干の前史
【冒頭で、児童憲章(1951年)の中の一節である「児童は、よい環境の中で育てられる」という言葉を紹介しました。(中略)児童憲章には、総則部分に続いて、12の個別的な条文が並んでいますが、その中で、子どもと自然の関係を取り上げているのは、第五条の「すべての児童は、自然を愛し、科学と芸術を尊ぶように、みちびかれ、また、道徳的心情がつちかわれる」です。ここでは、子どもが愛すべき対象として、自然は位置づけられており、子どもの生命や健康、成長、発達を保障する上での自然環境の重要性については、触れられていません。
しかし、児童憲章がつくられていた当時、子どもの生命や健康、成長、発達を保障する上で自然環境が重要であることが全く認識されていなかったかというと、そうではありませんでした。
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例えば、(中略 佐藤註:中央児童福祉審議会試案(1950)の一部を紹介して)この解説からは、子どもたちが生活を送るためには、自然環境がきちんと守られる必要があるということが、児童憲章制定の時点で、すでに理解されていたことがわかります。(中略)
このように、児童憲章として成文化されるまでにはいたらなかったものの、1950年代初頭には、すでに子どもが生きていく上で、自然環境が重要な役割を果たすことは理解されていました。しかし、一方で、児童憲章草案準備会での委員の発言のような、貧困の解消と自然環境の保障を対立させてとらえ、前者を優先させる発想もこの時期には見られました。これはその後、環境問題の解決を図るにあたって、経済と環境との対立をどのように克服していくのかということが常に重要な課題とされたことを考えると、非常に示唆的なものでした。】(P.100-102)
⇒児童憲章(1950)には、「子どもと自然の関係」について、自然は「子どもが愛すべき対象として」位置づけられているが、「子どもの生命や健康、成長、発達を保障する上での自然環境の重要性については、触れられてい」ないという弱点がある。しかし憲章制定過程の議論を辿ると、「成文化されるまでにはいたらなかったものの、1950年代初頭には、すでに子どもが生きていく上で、自然環境が重要な役割を果たすことは理解されてい」たことがわかる。一方で「貧困の解消と自然環境の保障を対立させてとらえ、前者を優先させる発想」もあった。そしてこの意見対立は、「その後、環境問題の解決を図るにあたって、経済と環境との対立をどのように克服していくのかということが常に重要な課題とされた」と古里氏は指摘します。子どもと自然の関係を問題にする際に《経済と環境の関係》をめぐる議論が持ちこまれる、そして、高度経済成長期に公害が深刻化していく中で、公害を取り上げる学校教育(公害教育)においてもこの対立が持ちこまれる、ということとして捉えておきたいと思います。
1-2.学校をとりまく公害問題
1-3.「地域・自治体をつくること」と「教育をつくること」―その結節点としての教師
【こうした「公害と教育」問題に向き合う中から、公害教育論は、特に1970年代に集中的に生成しました。安藤聡彦によれば、「この時期の公害教育研究の特徴は、社会教育学、教育課程論、地理教育論など、教育研究の諸領域に属する研究者たちが「公害と教育」問題にそれぞれ独自の視角からアプローチし、その問題性を論究したところにある」(安藤聡彦2017 「公害教育運動の再審」 『環境教育学研究』26号、東京学芸大学環境教育研究センター:4)とされています。そのため、(中略)「公害教育」という言葉(概念)を用いて一つの体系だった理論が生成・蓄積されたのではありませんでした。むしろ、多様な領域の教育研究者それぞれが、「公害と教育」問題という共通する問題に対し問題意識を持って研究に取り組み、「公害と教育」問題に向き合う実践事例を分析することを通じて、さまざまな理論を生成・蓄積しています。】(P.105)
⇒「公害教育論」が「1970年代に集中的に生成」したとは、一定の理論体系を持つ学問分野として成立したという意味ではなく、多様な分野から多様な理論構成が並行的に試みられたということのようです。
【「公害と教育」問題に向き合う実践事例を対象とするにあたって、公害教育論の生成に関わった研究者たちは、二つのことに注目しました。
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一つは、公害による被害や公害の発生が懸念されるような地域開発のあり方を告発し、異議を唱える人びとによって住民運動(公害反対運動)が行われていることです。(中略)
もう一つは、公害によって生命や健康、成長、発達が破壊されるという現実が、それまでの教材や教育内容の見直しの契機となり、自主的で創意的な教材づくりや教育内容編成へ展開していくことへの注目です。また、地域の現実を深く掘り下げることで、子どもたちの認識が地域にとどまらず、日本の認識や世界認識、資本主義の認識へと広がっていくような授業が可能となることにも注目しています。
これは、公害をめぐる「地域実践と教育実践」(例えば、藤岡1970)への注目でした。公害教育論の特徴は、「教育」を学校の内側の行為として狭くとらえるのではなく、公害によって子どもを含むあらゆる人びとの生命や健康、成長、発達、生活が破壊されるという地域の現実や、そうした問題の解決を目指す住民運動(公害反対運動)による公害予防・解決の過程に注目し、そうした地域実践と教育実践を結び付けてとらえようした((ママ))点にありました。これを「地域実践と教育実践の統一」と呼んでいます。】(P.106)
⇒「公害によって子どもを含むあらゆる人びとの生命や健康、成長、発達、生活が破壊されるという地域の現実」、すなわち人間の、子どもたちの生存と生活の根本を揺るがす地域の現実に対する異議申し立て、解決要求として住民運動(公害反対運動)が取り組まれ、そのさなかに生きている子どもたち自身の課題として、それまでの教育課題や教室での学習内容が見直され、「自主的で創意的な教材づくりや教育内容編成へ展開していく」、そして「子どもたちの認識が地域にとどまらず、日本の認識や世界認識、資本主義の認識へと広がっていくような授業が可能となる」 、そのような教育実践を志向する先進的な教師たちの取り組みがあったとすれば、それは画期的なことです。
教育課程と教育実践に関心を持っている私は、そうした試みが《学習指導要領の「法的拘束力」》が強制されているもとでどのようにしなやかにしたたかにそれに対抗しながら展開されていったのかに興味がありますが、古里論文や中内氏の著書が紹介している公害学習問題の記録を自分自身で直接入手して検討する作業を行なえていないので、残念ながら自分自身の疑問に答えることができません。
古里論文は、そうした実践(地域実践と教育実践の統一)を担った教師の存在、彼らの認識に注目します。
1-4.公害を生存権の問題としてとらえる―教師の公害認識
古里氏は藤岡貞彦「公害学習の成立」(国民教育研究所編『公害学習の展開』草土文化 1975)に依りながら、以下のように述べます。
【藤岡が、「公害と教育」問題を「子どもの心身発達における疎外の基本的要因たる環境破壊の諸相を教育問題としてとらえなおしその解決をもとめる社会的実践の対象」と定義していることはさきほど説明しました。これは、環境破壊の(佐藤註:次の2文字に傍点)現実を、教師が教育に関わる(佐藤註:次の2文字に傍点)問題としてとらえなおす(認識する)ということを意味しています。 何かが起こるということは、何かを問題ととらえるということとイコールではありません。そのため、まずは環境破壊の現実を、教師が問題としてとらえることを公害学習の出発点として位置づけたのでした。
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「すぐれた教育実践の一般化」(中内1978:62)としました。中内は「すぐれた実践」を、「現代の環境の変化に対応し、これを子どもの人権の確立をふくむ文化像へと再構成していく教育実践の現代的形態」(中内1978:76)と説明しています。そして、その「すぐれた教育実践」を、住民運動(公害反対運動)に参加する教師たちの教育実践の中に見出したのでした。】(P.109)
私自身も中内氏から学んだ者の一人として、古里論文で言及されている中内氏の主張を少し立ち入って検討してみます。
【民衆誌的方法 教育科学の研究対象は、人格の発達の世界である。そして、その研究方法は、人格の発達を、手段ではなく目的としてとりくむすぐれた教育実践の一般化という方法である。
(中略)教育の目標(内容)選択や教材つくりが、右にのべたような意味での環境と主体の文化選択の問題、一般に、人間の生き方とか、時代観とよばれている問題の一種であることは、万人のみとめるところといえるだろう。
現代は、子どもや青年、さらには老人にとってどのような時代か。この問題がわれわれの問題と理論構成の出発点になる。なぜかというに、この時代のしくみを正しくとらえることができれば、いわゆる<すぐれた教育実践>といわれるものが、現代においては、どのような条件をそなえているものとしてあるのかがわかってくるからである。さらにまた、そのような条件をみずからの実践にひきうけることを、実践の主体、つまり教師集団や親の側に要請してくるような文化の力学の働いている場所、つまり<すぐれた実践>の、潜在・顕在のかたちでのあり場所を予測することも可能になってくるであろう。】(中内『教材と教具の理論』 Ⅱ教材つくりの理論 一どのような実践を一般化するか P.62-63)
⇒私が中略した部分で中内氏は「すぐれた教育実践」の「すぐれた」とはなにかについて戦後の議論においてもあいまいさが残っていると指摘しながら、《なにがすぐれた教育実践なのか》を考える手がかりを多く示しています。すなわち、教育実践とは「人格の発達を、手段ではなく目的としてとりくむ」ことであり、「環境と主体の文化選択」 「人間の生き方とか、時代観」 に関わる営みであり、現代という「時代のしくみを正しくとらえること」 をめざすものだということです。私なりにまとめてしまうのは気が引けますが、要するに《現代を生きるものにとって何が望ましくすぐれた価値であるかを追求する営み》を指しているのかなと思います。
次に古里論文における中内氏からの二つ目の援用部分(=中内が「すぐれた実践」を、「現代の環境の変化に対応し、これを子どもの人権の確立をふくむ文化像へと再構成していく教育実践の現代的形態」と説明したこと)をもう少し立ち入って見てみましょう。
【ここでは、その典型例として、「新全国総合開発計画」から「第三次全国総合開発計画」にいたる政府の地域開発のしごとに、これに抗していのちとくらしを守ろうとする人権運動としての住民運動の側から参加し、そこでさまざまの教育実践をくりひろげてきた教師集団の教材つくりのしごとを選ぼうと思う。
この教師たちの実践こそ、民衆誌的環境の日本型変動にとりくむすぐれた教育実践の典型を示しているものと考える。実際に調べていくと、この教師たちの運動参加の動機はさまざまであった。また、その教師としてのしごとには、十分深められていない部分の残っていることも事実である。けれども、<中央>からもちこまれてくる巨大工業・巨大科学と地域住民の生存権の対峙というこの運動の内包する関係式のなかに子ども・青年の発達にとりくむ工作者としてくみこまれることになるこの教師たちの立場は、その立場に忠実になるにつれて、その心づもりや意図、さらにはその教育技術の水準の高低の問題を超えて、<すぐれた実践>つまり、現代の環境の変化に対応し、これを子どもの人権の確立をふくむ文化像へと再構成していく教育実践の現代的形態を、その行動や意識のうちに典型的なかたちでつくりださずにはおかない性格のものになっているからである。】(中内、同書 Ⅱ教材つくりの理論 二教師と住民運動 P.75-76)
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⇒新全総・三全総に抗して展開された教育実践についても、中内氏の記述の底流にある「民衆誌的方法/民衆誌的環境」についても私自身はより深めてとらえることができないのですが、古里論文での援用の繰り返しになりますけれども、教育実践とは「現代の環境の変化に対応し、これを子どもの人権の確立をふくむ文化像へと再構成していく」という壮大な営みであると中内氏がとらえていることがわかり、その意味を考えさせられます。
古里論文の叙述に戻ります。先の引用に続く部分です。
【中内は、次のように記しています(中内1978:82)。
巨大科学と工業を動員する地域開発が、「思想信条の違いをのり越え」いのちとくらしを守るの一点で結ばれる住民団体によって否定的に―生存権によって―媒介され発展させられる事態がおこってきたということ、しかも、これに教師が参加しはじめた、ということの意味するものを重視したい。というのも、このことは、巨大科学・工業と公教育を人権概念抜きにブリッジしたところにうまれた「教育の荒廃」を、両者の結びつきを断つことによってではなく、生存権の概念を入れて否定的につなぐ(真につなぐといってもよいが)ことによって克服しようとする教育実践と教育学(その一領域としての教材つくり)創造の基盤が現実の側からさし出されてきたことを意味するからである。
中内が「教育の荒廃」と呼んでいるのは、全国的に巨大開発と工業化が国家主導で進められ、それを支える人的能力開発政策が公教育に求められ、その結果として生じている孤立したエリート候補と落ちこぼしを生むような選抜体制と乱塾ブーム、青少年非行と家庭の解体、子どもの自殺といった現実のことです。これは言い換えれば、人格の発達を「手段」としている現実でもありました。それに対し、中内は、いのちとくらしを守ることで結びついている住民運動(公害反対運動)を、中央から持ちこまれる巨大開発・巨大科学への地域住民の生存権の対峙ととらえました。そして、教師が住民運動(公害反対運動)に参加することによって、巨大科学・工業と公教育(学校教育)を一直線につなぐのではなく、生存権を媒介として否定的につなぐことのなかに、「教育の荒廃」を克服する教育実践と教育学を創造する基盤を見出そうとしたのでした。
特に、中内が注目したのが、教材つくりの手順でした。(後略)】(P.109-110)
⇒(後略)以降の部分は、私が本ノートP.3-4で言及している内容(参加する・記録する・発明する)と重なるので改めての紹介は省略します。
本ノートP.2の中内氏からの引用にある「60年代中期の<公害に負けない体力づくり>をめざす官製公害教育」について、古里論文では詳細な検討は行なわれていませんが、公害の現実を否定することなく子どもたちをそれに対応させようとする官製公害教育こそ、「巨大科学・工業と公教育を人権概念抜きにブリッジ」 する、言わば《反・教育的》な営みだったと思われます。それは子どもたちに公害の現実に《適応》して生きることを強いる非人間的行為であり、古里氏の叙述によれば「人格の発達を『手段』と」することに他なりません。そうした非人間的行為への批判と怒りを基盤として、公害が蔓延する社会と学校とを「一直線につなぐのではなく、生存権を媒介として否定的につなぐ」 ことが提起されたのだと私は解釈しました。
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1-6.環境権的視座から地域の再建と教育の再建をとらえる
【環境権の考え方は、1970年に開催された国際社会科学評議会・環境破壊常置委員会主催の国際シンポジウムでまとめられた「東京宣言」を契機に日本に広がりました。「東京宣言」では、「環境権」を「人たるもの誰もが健康や福祉を侵す要因にわざわいされない環境を享受する権利と将来の世代へ現在の世代が残すべき遺産であるところの自然美を含めた自然資源にあずかる権利」(淡路ほか2006:100)と説明しています。
その後、環境権の「環境」は、自然的環境に限定されるのか、それとも社会的・文化的環境まで含むのかといったことが論点となります。例えば、大阪弁護士会環境権研究会は、環境権を「よき環境を享受し、かつこれを支配しうる権利である。それは、人間が健康な生活を維持し、快適な生活を求めるための権利である」とした上で、社会的な諸施設(例えば、道路や公園、教育施設、医療施設、電気、ガス、水道など)を私たちの生活をとりまく社会的環境として、環境権の対象の一つとすべきとしています。社会的環境を環境権の対象とすることは、「積極的な施策を求める権利としての環境権」を考える上で重要だと考えたからでした(大阪弁護士会環境権研究会1973:85-87)。このことは、「東京宣言」が環境権を「健康や福祉を侵す要因にわざわいされない環境を享受する権利」と消極的に定義したのに対して、「よき環境」を求める積極的な権利として、一歩踏みこんだとらえ方をしていることを意味しています。】(P.113)
なお、古里氏は上記の叙述の末尾に註を付けて、以下のように補足説明しています。
【環境権の考え方が広がったのが1970年以降であるため、日本国憲法には環境権に関する条文が存在しない。しかし、生存権について定めた25条と幸福追求権について定めた13条によって環境権は構成しうると考えられている。】(P.113)
⇒《権利としての環境》を自然環境のみならず社会環境にも広げて主張するということは、私には当然のことと思えるのですが、これを権利論として構成する際には憲法との関係で新たに位置づけることが必要なわけですね。
私が生まれてから32年暮らし、その後32年留守にした後に7年前に戻ってきたここ京都市では、これまでにいろいろな街壊しの計画(加茂川上流ダム、鴨川フランス橋、大文字山ゴルフ場など)があり、その多くを市民の運動で阻止してきたと故郷に戻ってきてから聞きましたが、最近では仁和寺とか聖護院とか史跡名勝の直近に新たなホテルやマンションの建設が計画されています。時々walkingで通る左京区役所西側の旧かんぽホテル跡地には、周辺住民の反対にも拘わらず巨大マンションができあがってしまいました。
私が住んでいる一乗寺のマンションの白川通りを挟んで西向かいにはずっと市民農園があったんですが、最近になって農園は更地にされて「事業用貸地」の看板が立てられました。それから数ヶ月経った現在も、一度は測量が行なわれていましたがその後も特に動きがなく、敷地は雑草の花園状態で、今は以前に落ちた種から育ったらしいオレンジ色のポピーが空地のあちこちに咲いています。
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しかし、いつ建物が建ち始めるかわかりません。その空地のさらに西側にマンションがあるのですが、2階建ての低層建築なのでその向こうには左大文字や西山連峰の稜線が見えます。今は白川通の中央分離帯のケヤキ並木がどんどん芽吹いてきて緑のカーテン状態で、その隙間から山が見えている状態です。秋から冬にケヤキが落葉すると、枝の間から西山連峰がよく見えます。一年を通して遠くの山と近くの街路樹が織りなす風景にとても癒やされています。ですから白川通りの西側に新しい建物が建って遠くの山が見えなくなってしまうことを密かに恐れています。この近辺の建築制限がどうなっているかわかりませんが、私が住むマンションは5階建てだし、もしもそれに近い高さの建物が空地に建ってしまったら西山連峰の景観は全く見えなくなってしまいます。
しかしちょっと考えて見ると、うちのマンションの東側には戸建て住宅が並んでいるんですが、9年前にうちのマンションが建つまではこの土地は駐車場だったと聞くので、その頃は東側の家々から西山の景観が見えていたと思います。今はうちのマンションのせいで全く見えないでしょう。うちのマンションが建つときに近隣に反対の声があったかどうかは知りませんが、もしかしたらうちのマンションが建ったことで今の私と同じように西山の景観を楽しんでいた住民のその楽しみを奪ってしまったかもしれません。
こういうことを想像してみると、私はたまたまマンションの3階に住んでいて木々の緑や山々の景観に癒やされながら生活していますが、仮にこの《環境》が維持されなくなる場合にそれに反対することを《権利》として主張できるかどうかとなると、考え込んでしまいます。白川通りの向かい側の土地の地主さんは、市民農園では収益が悪いと考えて「事業用貸地」とすることを考えたんでしょう。土地の税金も払っているわけだから、地主が有効活用を考えるのは当然です。建築上の基準をクリアして商業施設ができるとすれば、それに反対することは難しいと思います。
しかし、その土地に3階よりも高い建物が建つと、わが家からは西山連峰が見えなくなります。このことの私にとっての経済的損失を証明することは難しいでしょう。もしもマンションを売却することになったとして向こうに西山が見えるのと見えないのとでは住環境として印象の差はあるでしょうが、それを予めお金に換算することはできないと思います。ただ、経済的損失云々は横に置くとしても、精神的な損失は大きいでしょう。毎日窓から眺める景観が大きく変わるわけですから。これを《自然環境が社会環境によって改変された》と説明することもできると思います。しかし、《権利》の問題として《改変阻止》《以前の環境の保全》を要求できるかどうかとなると、やはり考え込んでしまいます。
私の家から見える景観は、もちろん私の所有物ではありません。公共の財産と考えることはできるでしょうが、その《公共》の範囲はかなり限定されてしまいます(新しい建造物に遮られずに従来通り景観を楽しめる近隣住民もいますから)。一方、精神的には現在の景観は私の日常生活の中に根づいていて、私にとって確実に大きな価値を持っています。だけども、社会的にある他者の行為によってその景観が変更され、私にとっての景観の精神的価値が激減したとして、その《精神的価値の復元》を《権利》の問題として社会的に要求できるものなのかどうかがよくわからないのです。
古里論文から離れて自分の周辺事ばかりあれこれと考えてしまいましたが、私は自然と社会とを含めた《環境》を人間の《権利》の問題と捉える視点をとても重要であると考えると同時に、その《権利》は憲法が保障する生存権と幸福追求権に支えられているにしても、《権利》の根拠やその具体的行使に関わってはさまざまな難しい問題が派生するだろうということを考えた次第です。
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2.公害教育論の現代的意義とは何か
2-1.「環境教育の連続・非連続」問題
【ところで、現在では公害教育という言葉よりも、環境教育という言葉の方が一般的です。(中略)結論を言うと、残念ながら、公害教育論の蓄積してきたものが、いまの環境教育に十分に引き継がれてきたとはいいがたい状況にあります。(中略)それでは、現在の環境教育論の形成に必ずしも十分なかたちで継承されてこなかった公害教育論が持っている現代的意義とは、どのようなものなのでしょうか。】(P.116-117)
2-2.生存権・環境権という視座からのアプローチ
【ひとつは、生存権や環境権といった「権利」という視座からアプローチしている点です。
1-1で記したように、環境問題の解決を図るにあたって、経済と環境との対立をどのように克服していくのかということが、常に重要な課題とされてきました。それを象徴しているのが、「持続可能な発展(開発)」という言葉の登場です。「持続可能な発展」や「持続可能な開発」は、いずれもSustainable Developmentの略語で、この言葉が世界中に広がるきっかけとなったのは、1987年に「環境と開発に関する世界委員会」(通称:ブルントラント委員会)の報告書『地球の未来を守るために』(原題はOur Common Future)でした。この報告書では、「持続可能な発展(開発)」という言葉を、「将来の世代の欲求を充たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発」(環境と開発に関する世界委員会1987:66)と定義しています。それは世界の貧しい人びとにとっての「必要物」の概念と現在と将来世代の人びとの欲求を充たせるだけの「環境の能力の限界」という二つの概念によって構成されたもので、1970年代の南北問題を背景とする経済成長と環境保全の対立の中から生まれたものでした。】(P.117-118)
⇒「持続可能な発展(開発) Sustainable Development」。
門外漢としてですが、私はこの言葉を目にするたびにひっかかりを感じてきました。以下は、古里論文のガイドに従ってこの概念・理念の成立史をさらに詳細に辿るという方向には行かずに、あくまでも素人の私による用語の検討に留まってしまう考察ではありますが……
「持続」を辞書で引くと、「その状態が、途中でとぎれずにずっと続く(ようにする)こと。」(『新明解国語辞典』第四版 1990)とあります。
sustainableを『ランダムハウス英和大辞典』(1979)で引くとsustainの形容詞形であるとしか書かれていないのでsustainを引いてみると……
1.下から支える;(建物などが)…の重さに耐える
2.(重荷・責任などを)負う、耐える
3.(傷・損失などを)こうむる、経験する、受ける;(屈服したり負けたりしないで)耐え忍ぶ
4.(試練・苦難のもとにあっても人・心・気持を)くじけないようにさせる、こらえさせる;元気づける、励ます
5.(行為・過程を)持続する
6.飲食物と生活必需品を供給する;養う、扶養する
7.(財産や資金を提供して、維持する
8.(主義・学説などを援助または承認して)指示する
9.(主義や主張する人を)正当と認める、是認する、承認する
10.(ある陳述などを)確認する、確証する、立証する
11.(役を)巧みに演じる、りっぱにこなす
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このようにsustainは大変広範囲の意味を指す語ですが、「持続する」という語義の他にも多くの項目で《何事か大切なことがらをいろいろな困難に抗して保つ、維持する、なくなってしまわないように努力する》というニュアンスが感じられます(もちろんそれに該当しない意味項目もありますが)。そこに-ableが付いて形容詞になっているわけですから、 大切なものを維持し継続することが可能な、という語感かと判断します。古里論文が紹介する「環境と開発に関する世界委員会」報告書では、「現在の世代の欲求」と「将来の世代の欲求」の両方を充たす、つまり両者をともに成立させる=《世代を越えて欲求実現を持続させること》と考えているようです。
そこで問題になってくるのは、《現在の地球上の人間社会に生きる我々(、と将来の世代の人びと)にとって、いったい何こそが残すべき大切なもの、途切れなく維持していかなければならないものなのか》ということですが、これについてはおそらく百家争鳴ではないかと思います。人間社会の広範な合意としてsustainableであるべきものを決定するとすれば、各方面から多様に提起される価値判断について、何らかの方法で優先順位を決めていかなければなりません。そして、そのような優先順位決定のための、多くの人びとが納得し支持するような民主主義的な手続き・ルールの設定が必要になります。多くの人が《人間にとって譲ることができない大切なものがある》とそれぞれにいくら叫んでも、百家争鳴状態のままでは社会変革は実現できません。
さらにやっかいなことに、sustainableの後にはdevelopmentが被修飾語として続きます。
developmentの意味について前出の『ランダムハウス英和大辞典』は以下のように記載しています。
1.発育、発達、成長、発展、進展;開発、拡張
2.発達した状態、発達の結果、発展の所産
(以下3~8は個別の専門分野で使用される場合の語義なので省略します。)
「1」の意味の中に個体の状態に関することと社会の状態に関することの両方が含まれています。Sutainable Developmentは地球の未来に関する概念なので、メインは自然と社会に関することであろうと思います。つまりこれからの人間社会の「発展」や新たな「開発」のあり方を自然との関係に焦点をあてて想定し展望しようとする概念であると思われます。
ところで、人類の未来を考える上でそのような想定を行なうことはあたりまえなのでしょうか。つまり、人間社会が《限りなく発展していくこと》を私たちは望んでいるのでしょうか?
発展途上国を中心に地球全体の人口増大は依然として続いている一方で、日本を含むいわゆる「先進国」では人口減少が進んでいます。そのことの原因とか各国政府や社会のそれへの対応の状況について私は専門家ではないので踏みこむことはしませんが、人口、つまり人間集団の規模は、これからも拡大していかなければならないのでしょうか?人口減少、あるいは人口現状維持状態であってはいけないのでしょうか?
農山漁村地域では、過疎化の進行により、限界集落化、さらには自治体の消滅も起こりうると、危機意識を伴って叫ばれています。もちろんそうした状態を放置してよいと私は考えるものではありません。ただ一方で、(全国的な人口増状態ではなくなってきているためか、かつてほど声高には言われないようですが)都市部における人口集中とその弊害は決して解消されてはいません。保育所に入れない待機児童の存在とか殺人的な満員電車での通勤とか、過度の人口集中に伴う数多くの問題が持続しています。もっとも、都市部でも大団地の「高齢化」によって地域の小中学校の児童生徒減と空き教室増大とか、都市でも空き家が増えているとか、単純に《過疎と過密》というような対比ができないようなまだら的な現象が起きており、課題は複雑化しています。
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そういう状況の下で単純化した議論をすることはできないとは思うのですが、それでも私は、《人間社会の人口は増えていくのがよいのか?》という基本的な疑問を持っています。Sustainable Developmentに言うdelopmentが《人口増》という量的指標に還元されるものではないことはもちろんわかっていますが、それにしても《一人の人が、大人が、子どもが、家族が地域社会で安心して快適に生活していける状態》を想像するとき、(もちろんその《状態》は非常に多様なものであるとは思いますが)いろいろな人びとが暮らしていく上で、いくつかのレベルで重層的に構成されている社会のそれぞれのレベルにおいて、その構成員が多ければ多いほどよいとは考えられないのです。もちろん、かと言って少ないほどよいわけではないでしょう。だけども、(現実的発想ではないかもしれませんが)社会の構成員が著しくは増えもしないし減りもしない、構成員数が安定している状態でもよいのではないかと思います。人口は《生まれる人-死ぬ人》ですから、それを一定に保つなど現実的ではないと言われそうですが、それでも《どんどん増える必要はないのではないか?》と思うのです。
人口が増えすぎることについては、世界的に問題視されて久しいと思います。しかし一方で「少子化」が指摘される日本では「人口増」が政策的に打ち出されています。人口が増えず逆に減少していくと、いずれ近い将来には人間社会が消滅するのではないか?という危機感を持つ人も多いのかもしれません。しかしそれは性急な未来予想ではないでしょうか。すごい無責任な対案的予想かもしれませんが、人口は増えたり減ったり、あるいは中期長期のスパンでは漸減するかもしれないが、《その状態で社会を維持していこう》と考えることがどうしてできないのでしょうか?
developmentには減る、縮小する、後退する…などのニュアンスはないと思います。しかし、人間社会の人口や経済活動の規模、その他量的に示される指標における前進、増大なしには、人間社会は維持できないのでしょうか? 末期医療に関わってQOLということが言われますが、人間社会の動態をqualityから見れば、quantityにおける停滞や後退を直ちに危機であると見なす必要はないのではないかと思うのです。
……長々と素人考えを述べてしまいました。しかし、私のような環境問題とか開発問題の素人である立場の人間もまた《これからの人間社会はどのように続いていくべきか》について意見を述べてよいし、また今の時代には述べることが求められているのではないかと思います。
いま、《続いていく》と述べました。先に議論した人口動態が今後どうなっていくかにかかわらず、私はもちろんのこと《人間社会が縮小を重ねてやがて消滅してもよい》と考えているわけではありません。私があずかり知らない何十年、何百年、何千年の地球においても、人類が存続していくことを願っています。ただ、《存続する》というのは《人が、人びとが存在して、生きている》という事態だけを示すわけではないので、《どのように存続してほしいのか》《現在の人間社会にあるもの、ことの中の何がこそ持続してほしいのか》が明らかにされなければならないと思います。
先に引用したように、古里論文では、「持続可能な発展(開発)」の理念は「1970年代の南北問題を背景とする経済成長と環境保全の対立の中から生まれたもの」であったと述べています。私の推測では、1970年代当時の「南北問題」つまり先進国と開発途上国の格差とは、例えば先進国の巨大資本が開発途上国の資源を不当に搾取して富を得る一方、開発途上国の人びとは飢えに苦しむ、また先進国が途上国資源の開発によって経済的利益を得る一方、途上国の自然が荒廃する、というような構図だったのではないかと思うのですが、その後この対立構図は変化し、《遅れて経済発展を遂げつつある途上国がかつての先進国に倣って行なう資源開発や産業振興が例えば二酸化炭素放出増大を生み、それを先進国側から批判されても途上国側は自国の権利を楯に応じない》というような問題状況も生じています。開発・産業振興と環境汚染をめぐる対立はより複雑化しています。
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そしてまたこうした国際的な対立・軋轢の一方で、国内的にも経済と環境をめぐる対立があります。古里論文は、続けて以下のように述べています。
【そうした経済成長と環境保全の対立をいかに克服するのかという課題に向き合おうとするとき、いったいどこに軸足を置いて、社会のあり方を構想するのかということが、常に問われます。例えば、1967年に、公害対策の総合的推進を図り、国民の健康を保護することと生活環境を保全することを目的として、公害対策基本法が制定されました。これは、各国に先がけてつくられた公害対策に関する関する法律で、外国の法制や経験をもとに法制や対策を策定する日本政府の伝統からいうと「異例」(宮本2014:185)だったとされています。しかしながら、公害対策基本法には、「生活環境の保全については、経済の健全な発展との調和が図られるようにする」といういわゆる「調和条項」が盛り込まれていました。これは、企業の利益が保持される範囲でのみ、環境を保全するという「調和論」の立場にたつことを意味していました。調和条項自体は、1970年の公害対策基本法改正時に削除されましたが、1970年代末には、不況からの脱却のために廃棄したはずの「調和論」を復活させており(宮本2014:522)、現在でもこうした「調和論」の発想は、克服されてはいません。】(P.118)
⇒法律の条文解釈方法について知らない私の素人解釈ではありますが、「調和」とは前出の『新明解国語辞典』によると「一つの物・が他の中に置かれた(を他と比べてみた)場合、互いの性質、特に、色・形・音などが、衝突しないで、新しい・美しさ(よさ)を見せること。」であることからすると、先の公害対策基本法の条文は結局、「生活環境の保全」が「経済の健全な発展」を害しないことは求めているけれども、「経済の健全な発展」が「生活環境の保全」を害することはやむなしとしていて、全く両者の《調和》を追求していないのではないかと私は思います。《調和》の語は、「生活環境の保全」にブレーキをかけるための方便としてのみ使われているのではないでしょうか。
【それに対し、公害教育論がもつ権利論的な視座、すなわち、子どもを含むあらゆる人びとの生命、健康、成長、発達が権利として保障され、また健康な生活を維持し、快適な生活を求めることが権利として保障されることに基本的な価値を置き、そこから社会と教育のあり方を展望することは、重要な意味を持っています。2015年に国連で採択されて以降、日本においても広く紹介されてきている「持続可能な開発目標」(SDGs)に関わる重要なフレーズ「誰一人取り残さない」(leave no ene behind)の実現を図るとき、経済成長と環境保全を天秤にかけて、企業の利益が保持される範囲でのみ、環境を保全するのではなく、あらゆる人びとの生存権・環境権の保障という立場にたつことが、有効な視点を与えてくれるのです。】(P.118)
⇒「誰一人取り残さない」。とても重みのある言葉です。同時に、相当の覚悟無しには使えない言葉ではないかとも思います。NHKの受信料に関するCMの最後に、この言葉が出てきます。NHKの番組発信姿勢には共感する点が多いのですが、このフレーズについては首をかしげる面があります。NHKはその事業活動において、テレビを持たない人、受信料を払っていない人を「取り残さない」ことはできないと思うのです。NHKは国家予算と受信料収入で放送局を運営していますが、そのNHKの事業活動の恩恵に属さない人は確実に存在します。もちろん未達成である努力目標として掲げているということはわかるのですが、やはり「誰一人取り残さない」は無理があると思います。
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「誰も取り残さない」は日本政府が発する文書にも現れるようですが、これにはより強く欺瞞を感じます。政治の文脈でこの表現が使われるならば、逆に《取り残す》とはどういうことなのでしょうか。ある人に対して施策を及ぼさないということでしょうか。どの施策を誰に対して適用するのかということは、素人が考えても非常に複雑なルールや手続きを要することだと思います。そうなると《取り残しが決してないような施策実現を必ず致します》というようなことを真の言行一致として実現することはとてつもなく難しいことだと思われます。そしてまた、政府当局者の《目指してはいるんだ(現実には達成してないけど)》という言い訳の口実にも使えそうな気がするのです。
2-3.「調査」を中心とする実践としての科学
【公害教育論のもつ現代的意義の二つ目は、「地域実践と教育実践の統一」の結節点としての教師たちが、地域の調査に積極的に取り組んでいることに注目し、そうした実践的な活動と科学的にものごとをとらえることを結びつけて論じている点です。
最近、ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド著(上杉周作、関美和訳)『FACTFULLNESS』(日系BP社、2019年)が大ヒットしました。(中略)こうした書籍が刊行される背景には、「Post-truth(ポスト・トゥルース)」や「Alternative facts(オルタナティブ・ファクト)」といった言葉に象徴されるように、インターネット上を中心に事実に基づかないフェイクニュースが拡散され、しかもそれが人びとの感情を強く揺さぶり、事実よりも感情への訴えかけが政治において優先される状況の拡がりがあります。
必ずしも科学的な根拠のない情報が、科学的な装いのもとに広がり、それが真実を見づらくさせるということは、今にはじまったことではありません。公害教育論が生成・蓄積されてきた1970年代には、すでに起こっていたことでした。水俣病問題の解決に取り組んだ宇井純は、公害には、公害発生→原因究明→反論提出→中和という「起承転結」があることを指摘しています。すなわち、長い苦心のすえに原因がはっきりしたとしても、必ず発生源や第三者と称する人びとから、反論が出され、その反論の数が多く、しかも繰り返して唱えられるため、多数の反論と真実が並べられたときに、どれが真実なのかわからなくなるという段階をたどるというのです。これを宇井純は、「正論と反論が中和して真実がわからなくなる過程」と表現しています(宇井1968:46)。】(P.119-120)
⇒「中和」という宇井氏の表現は、興味深いですね。水俣病のような公害問題の場合、公害の発生により地域の自然と人間をはじめとする生き物の健康・生存が脅かされていることを当事者やその支援団体、専門研究者や法曹関係者が告発して社会に訴えると、公害発生企業やその支援勢力がそれに反論する。その際にテレビ・新聞などのマスコミをはじめとして社会に情報を発信したり社会の様々な人びとからの発信を媒介する役割を果たす社会機関が、どちら側の情報をどの程度の量発信するかによって、世間の人びとの問題に対する受け止めも変わってきますよね。マスコミ各社も資本主義社会の企業の一員であることを考えると、《批判側の主張紹介の抑制》とか《両論併記》的な判断も起こりうると思います(私が中学生の時に1年上の先輩が、「公害問題を告発している朝日新聞社は自社の新聞印刷に伴う廃液垂れ流しによる公害には口をつぐんでいる」と憤慨していたことを思い出しました。ネット検索してみると、そのような事件が1971年に発生したという投稿があります。)。
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賛否両論や多様な情報が世の中に溢れてくると、専門家や当事者ではない素人の人びとにとっては、《いろいろな考えがあってどれが正しいかわからない》という思考停止状態も起こりかねません。
さらに現代日本社会のように、若者層は既存マスコミ(テレビ・新聞など)の情報に関心を持たずネットに氾濫する情報を主たる情報源としており、また(先に指摘したような弱点は抱えつつも社会的責任を果たすべきだという社会の批判と要求に一定程度規定されてそれなりの《公正性》を保とうとはしている既存マスコミとは違って)匿名を武器に検証可能性のないフェイク情報や謀略的情報が大量に流される中でそれに無批判に同調してしまう人々も存在し、しかもそれが社会のごく一部分ではなく選挙での議席獲得に繋がるような大きな社会的勢力を形成することもある状況は、「中和」という言葉から来る静的なイメージ、判断しかねて何らかの動きにつながらないというイメージ(私が勝手に持っているだけのイメージかもしれませんが)を越えて、事実に基づかない主張により若者を中心に社会の一定の層が何らかの方向へ動員されるという、より危険な状況にあるのではないかと思われます。
【こうした「中和」と呼ばれる問題は、公害に限ったことではありません。例えば、地球温暖化問題については、「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)が2018年に公表した『1.5℃特別報告書』によれば、世界の平均気温は、18世紀後半に始まった産業革命以前と比べて約1℃上昇していて、地球が温暖化していることは疑いようがなく、地球温暖化は人間活動の影響が主な原因である「可能性がきわめて高い(95%以上)」と結論づけています。一方で、地球温暖化懐疑論と呼ばれるとらえ方が、陰謀論のようなものも含めて、インターネット上で多く紹介され、また本も多数出版されていることから、地球温暖化という一つをとっても、一体何を信じてよいのかかわからなくなってしまうのです。こうしたことは、2011年の東日本大震災で起きた福島第一原発事故後の被曝をめぐっても、また新型コロナウィルスが広がったときにも、同様のことが発生しています。】(P.120)
⇒地球温暖化を露骨に否定しているトランプ大統領。トランプの政権維持基盤として、MAGAのスローガンを支持する強力な支持層がいるということですが、トランプが対イラン戦争を仕掛けて以降は、くるくる変わる無責任なトランプの言明をそのまま信じて支持していいのかについて岩盤支持層の中にも変化が起きているということも聞きます。しかしいずれにしても、ある言説について、《事実に照らして正しいから》とか、《その言説への批判に対してきちんと応酬しているから》ではなくて、《自分が信奉・信奉する人がそれを言っているから》という理由で判断する動向が、残念ながら人間社会において無視できない力を持っているようです。
ただ、翻って考えて見ると、トランプや高市などの権力者に対して批判的な立場の例えば私のような人間でも、《誰がそれを言っているかによって信じる》という傾向はないわけではありません。事実による検証ということがフェイク情報などによって揺さぶられ困難になる社会状況のもとでは、情報の確実な検証方法が(特に素人には)わからず、《信頼できる情報源》とその人が(勝手に)判断できるところから得た情報に依存する、ということはあり得ると思うのです。
【公害教育論が注目してきたのは、すでにある科学的な知見を獲得することに力点があったのではなく、教師とともに住民自らが、地域を調査し、新たな科学的な知見を獲得する学習でした。さきほど紹介したように、中内敏夫は、そこから参加・記録・発明という教材づくりの三つのステップを明らかにしているのですが、同時に中内は、それが「学習過程における子どもの活動として」同じ三つのステップを含んで成立しているとも指摘しています(中内1978:98)(佐藤註ママ)科学は以前より複雑化、高度化しており、だからこそ科学論争のような装いを帯びたとき、一体何を信じればよいのかがわからなくなるのですが、そうであるからこそ、人びとが自ら調査し事実を明らかにすることを通して学習することに価値を見出した公害教育論の知見に学ぶところは多いのです。】(P.120)
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教材つくりのしごとを文化・科学革命の遂行と不離一体のものにしている公害学習になると、このような、文化と発達の二元論が必然化する前提そのものがとりはらわれる。そこには、教材つくりのしごとをもって、学問・文化と生活の折衷といったしごとではなく、公害ととりくむ民衆運動のなかにあらわれる発達課題としての一般的な観念や方法のもつ一般的な生活性を地域の子どもの生活にあわせて特殊化するしごとであるとする、新しい一元的教材観が姿をみせている。そして、かれらの実践は、その教材つくりのしごとが、教師のしごととして次の三つのステップを、さらにその学習過程における子どもの活動として同じ次の三つのステップを、おのおのの内部にふくんで成り立っているものであることをも明らかにしている。
参加し、
記録し、
発明する。】(P.97-98)
⇒上記の叙述で中内氏は全体として、教師の学習指導活動の構成部分としての「教材つくり」について述べていますが、その末尾で「学習過程における子どもの活動」の「三つのステップ」 に言及しています。私自身は子どもの学習活動をめぐる問題に関心があるのですが、そこへ行く前に中内氏が教師の仕事に関わって強調する「一元的教材観」に言及する必要があると考えました。
中内氏は戦前の1920-30年代の民間教育運動において成立したとする「『教材』の通説的な定義」について、算数と国語の例を挙げて説明していますが、これら教科の教材研究の歴史に疎い私から見ると、ここで紹介されているような
《学問の系統と子どもの発達/生活とを踏まえた教材つくり》
という考え方は、戦前どころか戦後の民間教育研究運動同隆盛期においても、そしてまた現在まで続く学習指導要領下の教材つくりにおいても、《一般的な常識》として承認されているように思われます。
もちろん、子どもの学習の具体的事実と教師の具体的指導経験を丁寧に振り返れば、《学問の系統》と《子どもの発達/生活》が容易に《統一》されて教材つくりに結実するほど事態は甘くないということはまじめな教育実践者にとっては自明なことでしょうが、考え方としては中内氏の言うこうした「二元論的な論法」 は現在に至る前で教育界に広く浸透していると思われます。
中内氏の主張の検討を教材つくりにおける「一元論」一般にまで広げるときりがないので、上述の引用の中で取り上げられている公害学習に対象を限定します。これについて中内氏は、「学問・文化と生活の折衷といったしごとではなく、公害ととりくむ民衆運動のなかにあらわれる発達課題としての一般的な観念や方法のもつ一般的な生活性を地域の子どもの生活にあわせて特殊化するしごとであるとする、新しい一元的教材観が姿をみせている。」 と述べています。ここを読むと「新しい一元的教材観」とあり、一方で前述のように中内氏が1920-30年代頃から二元論的教材づくり観が広まったとしていることを考えると、そこから中内氏の著書出版(1978年)までの50年前後の期間において二元論的教材観を批判する一元的教材観はすでに成立していてそれが「公害学習」運動の中でより「新しい」ものに発展したのか、それとも「公害学習」運動自体が全く新しいものとしての一元的教材観を生み出したのか、どちらなのかここでは判断できないのですが、先に《広げるときりがない》と書いたばかりなのでこの点は保留します。
さて、中内氏が注目する「公害学習」運動の一元的教材つくり観ですが、もう一度説明の核心部分を引用すると、「公害ととりくむ民衆運動のなかにあらわれる発達課題としての一般的な観念や方法のもつ一般的な生活性を地域の子どもの生活にあわせて特殊化するしごと」 とあります。
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つまり、《一方に公害による地域破壊の現実への科学的批判分析があり、他方に子どもの生活とそこにおける子どもや関心がある》というような二元論ではなくて、公害反対運動自体の中に発達課題(一般的観念・方法)が存在し、そこには「一般的な生活性」 があって、それを「子どもの生活にあわせて特殊化するしごと」 が教材つくりであると…。
う~ん、わかりにくいですね。中内氏が二元論ではなくて「一般-特殊」という概念枠を教材つくりの基本視点として導入していることはわかるのですが。
もっとも、別の方向から考えて見ると、騒音・煤煙・汚水その他の自然環境と人間生活を蝕む公害に苦しみながら生活しているという点では、大人と子どもは全く同じ状況下に置かれており(健康上子どもへのマイナスの影響の方がより深刻な場合もあるでしょう)、公害を認識し考える立脚点を《子どもだから》という理由で大人のそれと遠ざけるのが不自然であることはわかります。
ただ、子どもの学びの過程が大人と全く同じではないこともまた自明です。だとすると中内氏は、一元的教材づくりを行なう教師の指導のもとで学ぶ子どもたちが果たしてどのような学びを経験すると考えたのでしょうか? この関心を持ちながら中内氏の著書の続く箇所(四 教材論の立場)を見てみたいと思います。
【リアリズムの立場 「公害学習」運動にみられる教材つくりのしごとは、参加・記録・発明の三つの契機をふくんでいる。そして、せまい意味での教材つくりの部分に相当するこの「発明」の部分のしくみは、「公害学習」運動のばあい、「記録」の内容である科学的概念や芸術的形象や言語のもっている一般的生活性を、子どもの生活や発達段階上の特質にあわせて特殊化するという目標に優位をおいた一元的方法である点に特徴をもつ。ところで、この記録のしごと(したがってその内容である科学的概念、芸術的形象、言語等々とよばれているもの)は、わたくしたちをとりまいているこの大自然、この社会的現実、この人間的現実をカテゴリーや諸種の形象をつかって限定し、うつしとり、これとの交通関係をきりひらいていくしごとである。それゆえ、この記録のしごとに優位をおく教材つくりは、これを発達思想史のうえからみると、子どもの人格と能力発達の源泉は宙からまいおりてきたり、子どもの内部から自然に湧き出してくるといった性質のものではなく、この現実の側にあるのであり、その個性化(佐藤註:「化」に傍点)、私化(佐藤註:「化」に傍点)が発達の本質であること、そして、子どもの発達が無限であるというのは、この自然と社会と人間の現実が窮まるところのない奥ゆきとひろがりをもつものであることが原因で発生しているものであると判断するリアリズムの立場に属するものといえよう。またこの立場は、教材解釈についていえば、正しい意味でのこのしごとが既成の学問「分野」に対して受動的なものではなく、逆にこの分野をつきぬけて限りない探求の深みに入っていくといわれる(例えば武田常夫『授業の発見』)のは、教材が無限の現実を映し出しており、解釈者はそのしごとを通してこのきわまりのない空間におよぎ出してゆくことになるからだとみる立場だといえる。】(P.99-100)
⇒中内氏は「公害学習」運動の教材つくりの三つの契機の中の「発明」について、「『記録』の内容である科学的概念や芸術的形象や言語のもっている一般的生活性を、子どもの生活や発達段階上の特質にあわせて特殊化するという目標に優位をおいた一元的方法である点に特徴をもつ」と述べています。「発明」は、科学的概念・芸術的形象・言語の「一般的生活性」を子どもの生活・発達段階の特質に併せて「特殊化する」という「一元的方法」 であって、学問文化と子どもの発達という二元的要素を突き合わせるものではないと。また「子どもの人格と能力発達」は「子どもの内部から自然に湧き出してくる」ものではなく、「現実」の「個性化(佐藤註:「化」に傍点)、私化(佐藤註:「化」に傍点)が発達の本質」であるとし、「子どもの発達が無限である」ことの根拠は「自然と社会と人間の現実が窮まるところのない奥ゆきとひろがりをもつものであること」であるとして、これが上記引用部分の冒頭に冠された「リアリズムの立場」 であるとしています。
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中内氏の言う「現実」にはもちろんのこと「人間の現実」 も含まれていて、従って中内氏は人間の内面世界における「現実」というものを否定してはいないだろうと思われますが、一方で中内氏の「子どもの人格と能力発達」は「子どもの内部から自然に湧き出してくる」ものではないという叙述を見ると、中内氏は発達を子どもの内面世界における《自己運動》的には捉えず、子どもの人格の活動における外部世界との交渉からの規定性に重きを置いて子どもの発達を捉えているようにも見えます。私のこの把握が妥当かどうかを検証することが必要であるということを念頭に置きつつ、中内氏の続く行論を主として《子どもの学習活動をどう捉えているか》という視点から見ていきたいと思います。
【子ども自身が公害闘争の子どもなりの共同参加者であり、記録・調査活動の共同研究者であるという関係は、千葉県の「奇形ガエルにみる公害学習」にも、呉市民の会の公害学習にも共通してみられるこの系譜の教育実践の特色である。】(P.95-96)
⇒先の引用に続く中内氏の叙述を見ていくのですが、その前にこのように考察を進めようとする根拠として、別の部分の一節を取り上げました。
【本章は、「公害学習」運動が、現代日本のすぐれた教育実践の原型をなすものであるとの認識から出発している。そこで、この前提からいうと、右のような性格をもつ三つの契機は、いわゆる「公害学習」教材つくりの分野だけのものではない。基礎教科の教材もふくめて、現代日本のすべての教材つくりのなりたちを指導しうる指導原理でありうるものということになるだろう。一種の総合学習の教材という感じのつよい「公害学習」教材だけではなく、(佐藤註:次の2文字に傍点)よい―というのは人間発達にとって陶冶性豊かな―ものをつくろうと思えば、理科や社会科、さらには読み方や数学教育の教材つくりにあたっても採用しなければならない指導原理であるはずである。じっさい、さいきん、社会科の授業をつくる会や歴史教育者協議会に集まっている教師たちが試みている精力的な教材つくりのしごとは、公害を直接あつかったものではないにもかかわらず、おのずとこの三つの契機を含むものになっている。】(P.100)
⇒上記と1つ前の引用を私なりに重ね合わせると、教材つくりの三つの契機は単に「公害学習」運動だけではなく全ての教材つくりの「指導原理でありうる」 わけですから、「公害学習」運動において共同参加者・共同研究者であった子どもたちは、学校における教材つくり一般においても同じ立場に立ちうるということになるでしょうか。
【参加・記録・発明の三つは、あらゆる分野で日本の子どものためのよい教材づくりを成り立たせる根本の契機である。それだけではない。この三つの契機は、同時に、検定教科書や戦前以来不動の大量の副教材類を、どのような観点から分析し、解釈すればよいかという、教材解釈の視点ともなりうるだろう。検定教科書の使用をなかば義務づけられている学校現場では、教材研究といえば多くは教材つくりではなく「教材解釈」なのだが、ここに解釈とは、リアリズムの立場からいうと教材のつくり手がまえもってたどっている(佐藤註:次の3文字に傍点)つくりの階梯を逆にたどりなおして現実に参加し、これを記録し、発明する(もしくは、それぞれをし直す)ことである。】(P.101)
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しかし、そうではあっても教師が子どもたちの感情に蓋をすることはできないでしょう。特にクラスの子どもの中に家族や親しい知人に水俣病患者の人がいるような場合はそうでしょう。また逆に子どもの中に親や親戚などにチッソ社員や関係者がいた場合は、クラスに水俣病への怒りが溢れる中でいたたまれない気持ちになったり、あるいは「自分には関係ないことだ!」と反発したりもするでしょう。大事な学習を行なったことでクラスの人間関係に亀裂が入るようなことを教師は望まないだろうと思うので、学習の中での学級集団への配慮については気を遣うことと思います。
そうした感情面以外に、水俣病患者が置かれている状況を知ることで、その救済のために誰が何をすべきなのかについて、子どもたちも考えるでしょう。そこから《自分たち自身にできることがあるのか?》を考える子どももいるかもしれないし、被害者救済がなかなか前進しない状況を知って、《いろいろ学習して考えて見ても、結局は問題を解決することはできないんだ》と絶望的になる子どももいるかもしれません。
教科書の中だけのことを机の上だけで学習するのではなく、現実の自分たちを取り巻く生活の中で生じているシビアな問題の学習に取り組むと、出口が見えない閉塞感や絶望感に子どもたちが陥ってしまう可能性もあります。そういう時に教師が「どうしたらいいのかな? 先生もわからないよ」と投げ出してしまうような姿勢を見せれば、社会問題の学習に取り組んだことが却って教師や大人への不信感につながることにもなりかねません。
一方、《大人たちは公害反対の市民運動に取り組んでいるんだ。君たちもいっしょに参加しよう!》と教師が子どもたちに呼びかけることは、これはやってはならない扇動行為だと私は思います。クラスでの学習を真剣に進めたとしても、公害反対の市民運動の内容やそこに参加することの意味、運動参加に対する批判や圧力とそれに対抗する方法や覚悟などを、小学校や中学校の子どもたちが十全に理解できるとは思えません。そうした状況で正義感や怒りだけをたよりに子どもたちが社会運動に参加することは望ましいことではないと私は思います。もちろん例えば親が参加している社会運動に子どももいっしょに加わるということを一律に否定するつもりはありませんが、《教師がクラスの子どもたち全体に対して社会運動への参加を勧誘する》ということは、やはり望ましくないと思います。
私は、たとえば教師自身が公害反対の市民集会とか街頭デモとかに一市民として参加したという経験を子どもたちに話すこと(=田中裕一氏の(5)にも関係するでしょう)は(もちろん田中氏の言う(4)や(6)の配慮を加えながら)はあっていいと思います。教師がどんな人間として生きて行こうとしているか、その生きざまを子どもたちに対して開示することは、重要なこと、有意義なことだと思います。しかし一方で、子どもたちの信頼や尊敬を得ている教師ならばなおのこと、子どもたちが《自分も先生のような行動をするんだ》と直線的に判断したりせずに自分のあり方をじっくりと考えてほしいということはしっかり子どもたちに伝えてほしいし、また子どもがhidden curriculum的に《先生は僕たちに対して自分の考えや行動に同調してほしいと思っている。そうすれば喜んでくれるに違いない。》という受けとめ方をしてしまわないように(教師の意図とは別に子どもたちの中に発生するhidden curriculumですから、教師はどうすればそれが防げるのか、なかなか思いつきませんが^^;)注意することも必要だと思うのです。
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以上で脱線ばかりしてきた古里論文へのコメント作業を締めくくります。古里論文の行論を辿りながらも、古里氏の論旨と関係のない事柄も多く書きました。学術論文からの学び方としては失礼な点もあったかと思います。ただ、本ノート冒頭に書きましたように、3年半前にいったん開始しながら、自分自身の力量のなさを自覚して中断してしまった古里論文からの学びと学習ノート化の作業を今年3月に入って再開したことで、私自身としては新たに多くの学びを得ることができて、感謝しています。
特に教育課程に関する研究を続けてきた者として、「法的拘束力」があるとする学習指導要領によって教育内容を(それに伴う教科書や関連教材も)《上から与える》という日本社会・学校教育のシステムを批判してきながらも、《それではそのシステムを廃したとして、教師はどのように教育内容や教材、その指導過程を構成していくのか》について、無意識のうちに《教師にとって目の前の問題ではない》と判断して横に押しやってきた自分がいることを「公害学習」実践や公害教育論からも学びによって自覚することができました。公害反対市民運動や「公害学習」実践に取り組んできた全国の先進的な教師たちの取り組みを、直ちに現代の残念ながら管理主義的色彩が強い学校現場において直接的に学んで取り入れることは難しいでしょう。しかし逆に考えると、公害反対の闘いに市民とともに参加しながら自主編成による教育内容・教材・学習活動の創造に取り組んだ教師たちが、現実との対峙の中で何を考えどう行動したかを知り、学ぶことは、閉塞的な現状に閉じ込められがちな学校現場でなお教師としての良心を失わずに仕事をしている人たちにとっては、《直接的に取り入れる》というのとはまた違った励ましになるのではないかなあと思うのです。
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