47 読書ノート 櫻井歓編『教育学研究者の自己形成と戦後日本の教育学(その2)―奥平康照氏への聴き取り調査の記録―』(科研基盤(C)JP17K04580「日本教育思想史における<教育><哲学><政治>の連関構造」資料集 2023.9)
(2025.2.18-22通読 2.28ノート作成)
本報告書は、今年1月に櫻井歓氏からのメールでそれを作成された旨を伺い、私から送付を希望して落掌したものです(科研費研究の一環ということで冊子代・送料とも無料でお届けいただき、大変ありがたかったです)。そのきっかけは、私が教育科学研究会からの案内メールを見て2024.10.12開催の教科研「道徳と教育」部会例会に参加したい旨、部会事務局の櫻井氏にメールで申し込んだことでした。
部会10月例会当日は、奥平康照氏が「その子のあらゆる可能性に開かれた教育実践 ―原田真知子と大江未知の新しい教育学」と題して報告されました。また、後日2025.1.11付で、奥平氏から10月例会で語りきれなかったこととして「原田・大江の新しい教育学――とくに原田教育実践の特質について」と題するレジュメが櫻井氏を通じて届けられました。
奥平氏の2編のレジュメについては、「道徳と教育」部会内部の資料として配付されたものであり、活字化して一般に公表されたものではないので、その内容をここで紹介して自分の意見を述べることは現時点では差し控えようと思います。ただ、奥平氏が取り上げられた原田真知子実践については、私も(「道徳と教育」部会に参加する以前に)以下の通り本ブログで取り上げました。
37 読書ノート 原田真知子『「いろんな人がいる」が当たり前の教室に』(2021)
2月 26, 2024 https://gamlastan2021.blogspot.com/2024/02/372021.html
また、私は大江未知氏と関西教科研で一緒に活動しており、最近も『教育』誌掲載の大江実践を改めてコピーして集めたりしていて、大江実践(小学校教師の時期の)を総体として捉えてみたいという個人的思いも持っています。ですから、今後もしも上記奥平報告が一般に公表されるようなことがあれば、私も議論に参加してみたいと思います。
ちょっと話を戻しますが、私の櫻井氏との交流は、2022.8.10に私から櫻井氏にメールを送信したことに始まります。2022.8.8の教育科学研究会第60回全国大会のフォーラムB「勝田守一の教育学と現代」にリモートで参加した私は、このフォーラムに参加されていた櫻井氏が櫻井編『教育学研究者の自己形成と戦後日本の教育学―堀尾輝久氏、宮沢康人氏、藤田昌士氏への聴き取り調査の記録―』(2019.8)という、本ノートで取り上げる報告書の前段となるインタビュー記録を紹介され、希望者には分けることができるとおっしゃったのを聞いて、冊子希望のメールを出したのでした。
なお、実は私が櫻井氏の研究内容について注目したのはこの時が初めてではなかったため、2022.8.10の私のメールには以下のように書き加えました。
「なお、今回の件と直接関係ないのですが、2020年の秋にfacebookの私のタイムラインに投稿しました『教育学文献学習ノート(6):『教育』2020.10月号櫻井歓論文「立憲的教養の場としての学校」の「立憲的教養を育む場としての学校」の項における勝田守一「学校の機能と役割」(1960)の紹介と勝田の原著を読んで』のコピーを添付させていただきました。当時、facebook「全国『教育』を読む会」のページにもこの投稿へのリンクを載せましたが、桜井先生と面識がなかったので、こういう文章を書いたということをお知らせしませんでした。2年前に書いたものであり、改めてヴァージョンアップしてお届けするわけではないので、読み誤りや考察不十分な点も含む可能性があり、お届けするのは失礼かもしれませんが、御笑覧いただければ幸いです。」
上記の櫻井論文へのコメントは、その後私のブログにも以下の通り再録しました。 18 【アーカイブ03】教育学文献学習ノート(6):『教育』2020.10月号櫻井歓論文「立憲的教養の場としての学校」の「立憲的教養を育む場としての学校」の項における勝田守一「学校の機能と役割」(1960)の紹介と勝田の原著を読んで 8月 11, 2022
https://gamlastan2021.blogspot.com/2022/08/180362020101960.html
なお、2022年8月に櫻井氏からいただいた堀尾・宮澤・藤田インタビューの報告書について、いただいたままになっていてきちんとコメントさせていただくことができていないことを大変申しわけなく思っており、近い将来にこのブログで取り上げさせていただくことをこの場を借りてお約束します。
ここまでは私と櫻井氏との交流経過の説明でした。
次に奥平氏、大先輩なので奥平先生と呼ばせていただきますが、私は奥平先生と《交流》と言えるほどのものはありませんが、教育科学研究会の活動の中で先輩研究者としてリスペクトしてきました。私の教科研入会は1975年、一方奥平先生の教科研との関わりは1979年高野山大会から(本報告書P.48)と述べられていて、私の方が《先輩》ということになります。ただ、奥平先生は1968年度から1986年度まで大阪市立大学に勤務されていたということであり、私自身は1973年京都大学教育学部入学、1977年修士課程・1979年博士後期課程、1983-86年神戸大学助手としてこの時期は関西中心に活動していましたので、教科研だけでなく日本教育方法学会や関西教育学会等の大会で奥平先生をお見かけしていたのではないかと思います。
教科研大会でも、小柄でもの静かな奥平先生をお見かけしてごあいさつし、会話したことは何度かあったと思います。一番最近では2019年の桐朋中高での大会の時でしょうか。
そういう、個人としてはいささか薄いお付き合いしかなかったのですが、2024.10.12の「道徳と教育」部会案内を見て、奥平先生のお話をじっくり聴けると思い、参加しました。
さきほども述べたようにその「道徳と教育」部会での奥平先生のご報告についてここで紹介・言及することは時期尚早であると私としては思いますので、そこは省略して本報告書(インタビュー記録)の話に入りたいと思います。
一言で言って、めっちゃ興味深い「語り」の記録でした。聞き手である櫻井歓氏・田口和人氏(桐生大学)の話の引き出し方が巧みであることもありますが、奥平先生の何というか、力を抜いたというか、無理に突き詰めて思い出そうとしないというか、そういう意味でちょっと茫漠としたところもある懐古談を、読者としてとても和んだ気持ちで読むことができました。
奥平先生は1939年11月のお生まれで、私がこれを書いている2025年2月現在では86歳になられます。ご実家は浄土宗の法養寺(東京都江戸川区)というお寺で、先生は東京教育大学大学院博士課程在学中に大正大学の聴講生として浄土宗僧侶となるための最低限の単位を取得され、大阪市立大学在職時代に通信教育で残る単位を取られたそうです。そして、市大の勤務の休暇を取って、知恩院で加行(けぎょう)と呼ばれる3週間の行を行なわれたりして、最終的には30歳を過ぎて資格を取られたそうです。そして先生の御父様が80代の高齢になられた段階で僧職を継承されたそうです(P.116-117)。
私が学んだ京都大学教育学部にも上田閑照先生など僧籍を持たれる先生が何人かおられました。私の恩師である稲葉宏雄先生も、岐阜県大垣市のお寺を継いでおられ、現役中は先生のおつれあいが僧籍を取得して僧務を代行されていました。そんなこともあり、奥平先生の仏教僧としてのご経歴にも関心を持ちました。
それとおもしろいのは、本報告書の全5回、延べ約7ヵ月にわたるこのインタビューが、全て奥平先生のご実家である法養寺で行なわれているということです。つまり、奥平先生はお生まれになった江戸川区の法養寺で今もお住まいかまたは僧職としての仕事をされていると私は理解しました。先生が大阪市大に赴任されて大阪に住んでいらっしゃるときに最初のお子さんを亡くされ、その翌年に長女、翌々年に双子の子どもが生まれて、大阪で育てるのは難しいということでおつれあいと3人の子どもたちは東京に戻られ、先生は単身赴任、10年間ほど大阪と東京の往復生活となったそうですが(P.65)、和光大学への赴任で東京に戻られ、それからは江戸川区から町田市まで1時間40~50分ほどかけて通われたそうです(P.102)。つまりは先生のこれまでの人生80数年のうち約10年間を除いては生家である江戸川区の法養寺とその近隣が先生の生活空間であったということになるかと思います。ちなみに私は1954年京都市生まれで、大学院を出て神戸大学に勤務していた1986年、32歳までは京都市在住でしたが、その間住所は市内で3回変わっています。その後宮教大に赴任して仙台市・泉市に2年半、三重大に移って津市に30年住み、6年前に京都市に戻りました。現代日本社会では、統計数字は知りませんが、進学・就職・結婚等に伴って居所を移ていく人が多数で、生まれて以来同じ場所に住み続ける人は少ないと認識しています。大学教員の場合も、初任以来停年退職まで同じ職場という人は少数で、何かの機会に移動する場合が多く、それに伴い居所も移動すると思います。奥平先生のように人生を通じて一時期を除き生まれ故郷で生活されている大学教師・研究者は多くないと思います。それがどうこうということではないんですが(^^;)、私には関心がありました。そのことが奥平教育学にどう影響しているかなどということは、もとより私には知りようもありませんが。
そしてその長くはない大阪生活に関わって、櫻井氏が「関西に行ってのカルチャーショック」ということを話題にされたのに対して、奥平先生はきわめて興味深い考察を述べられています。
この関西人評を聞いて、「関西人みんながそんなんとちゃうわ!」と怒る人ももしかしたらいるかもしれませんが、私は怒る気にはなれず、なかなかおもしろい関西人論だと思います。ここでは関西人への特定の見かたを披露されているようにも見えますが、その語調も含めて、奥平先生が一方的・断定的にものごとを述べる方ではないとこの報告書を通読した範囲でも認識できただけに、《まあ、そういう風にも言えるわなあ》と受けとめられるのです。《関西人評》だけではなくて、インタビューに答える奥平先生の物腰全体にそういう寛容さを感じます。
また、奥平先生の経験内容として興味深かったのは、聴き取り第3回に記録されている東ドイツ・西ドイツ・スイス・中国・スペイン・イギリス・ポルトガル・ラオス・シンガポール・パプアニューギニアなどへの在外研究・出張・学生引率・サバティカルなどいろいろな形での海外経験です。話が逸れますが私自身若い頃にはあまり海外に行くことに関心がなかったのですが(文献研究はしてましたが^^;)、1997年春の家族でのオーストラリア旅行、同年秋のスウェーデン・デンマークへの私費調査旅行以来関心が芽生えました。三重大学で何度か在外研究を申請し、ようやく教育学部で1位(その年の申請は私だけでしたが^^;)に選んでもらって、次は全学の審査にチャレンジというまさにその時に国立大学法人化で在外研究制度がなくなり、涙を呑みました。以降科研費を取得して2000年代にスウェーデンへ数回、また2010年代には教育学部生の研修引率を兼ねてニュージーランドへ数回渡航し、現地の研究者との交流も一定期間続けました。しかしいずれも長くて2週間程度の滞在であり、異国で《生活》しながら研究活動を行なう体験をしたとは言えないため、奥平先生の海外渡航体験を興味深く読ませていただいたわけです。
さてこうして書いてきて、奥平先生のご研究に関するインタビュー内容に全然踏み込んでいないことは自覚しています。しかしそれについては、改めてインタビュー記録をしっかり読みつつ、本報告書も参照しながらこの間収集した奥平先生の論文・著書をきちんと学ぶ作業を今後において行なって、その上で「教育学文献学習ノート」としてまとめる努力をしたいと思います。この間私が収集し得た文献は、以下の通りです。
・奥平康照「集団主義教育理論の人間観 ―集団主義教育における必然性と自由―」
(大浦猛編著『教育学研究全集1 人間像の探究』第一法規 1976.5.10 第5章三)
・奥平康照『シリーズ少年期との対話4 少年期の道徳』(新日本出版社 1987.9.25)
・奥平康照「現代の子ども事件が問いかけるもの」
(教育科学研究会『現代社会と教育』編集委員会編『現代社会と教育2 子どもとおとな』大月書店 1993.5.20)
・奥平康照「学校論の転換 ―現代学校のゆらぎと可能性」
(堀尾輝久・奥平康照他編『講座学校1 学校とはなにか』柏書房 1995.12.1 2章)
・奥平康照「中間集団を介して異質協同公教育へ」 ⇒これは読了済み
(新井保幸他編『教育哲学の再構築』学文社 2006.3.31 第4章)
・奥平康照『「山びこ学校」のゆくえ 戦後日本の教育思想を見直す』 (学術出版会 2016.2.10)
・奥平康照「戦後教育実践史における<教育の生活課題化的構成>の系譜」
(日本教育方法学会編『教育方法47 教育実践の継承と教育方法学の課題 教育実践研究のあり方を展望する』図書文化 2018.10.20 第Ⅰ部4)
櫻井氏による本報告書の末尾には、奥平先生から提供された情報に基づく主要業績一覧が掲載されており、上述の私が収集できた諸文献はその中のほんの一部に過ぎません。ただ私としては、まだほんの数ヶ月に過ぎない私の教科研「道徳と教育」部会参加経験の中で奥平氏、櫻井氏から得た知識や情報とそれへの私自身の関心をたよりにしながら、奥平教育学の一角にアプローチしてみたいと思います。その成果を公表できるのはまだしばらく先になると思いますが、がんばってみたいと思います。
最後に、別件情報ですが、私が本田伊克氏(宮城教育大学・教科研副委員長)とここ数年続けてきている研究会の中で現在学習中である窪島務『現代学校と人格発達 教育の危機か、教育学の危機か』(地歴社 1996.8.1)の第二章「学習の『転換』論のゆくえ」の中に、奥平康照批判があります。その窪島氏の文章だけをここで紹介すると、まだ奥平氏の主張から立ち入って学ぶ段階に到ってはいない本「読書ノート」の記述としてはバランスを欠くと思うので紹介は割愛しますが、これから奥平氏の主張と窪島氏の主張の関係についても検討していきたいと思います。
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