38 読書ノート  中野譲『地域を生きる子どもと教師 「川の学び」がひらいた生き方と生活世界』(高文研 2017.8.20刊行)

 (2024.3.5-3.19通読 2024.3.20-21ノート作成)

 私の「佐藤年明私設教育課程論研究室のブログ」に、2024.2.26に以下の投稿をしました。

 37  読書ノート  原田真知子『「いろんな人がいる」が当たり前の教室に』(2021)

 その原田氏の著書の帯に、本書の紹介が掲載されており、書名の「『川の学び』がひらいた」というところに目が行きました。なぜかというと、ここ2年近く学ばせていただいている岸本清明先生の「東条川学習」のことを連想したからです。岸本実践について、またそれを取りあげた私の新潟大学「教育課程及び総合的な学習の時間の指導法A」授業については、同じく私のブログの以下の2投稿で紹介しています。

  17 教育学文献学習ノート(29)岸本清明『希望の教育実践 子どもが育ち、地域を変える環境学習』(同時代社)  (2022.7.20)
 35 2023.10.21京都教育科学研究会第351回例会における佐藤年明報告「岸本清明氏の総合学習実践『東条川学習』(『希望の教育実践』所収)を新潟大生はどう学んだか?」と別添資料を転載します(2023.10.22)

 原田氏の著書の帯に掲載された中野氏の著書の情報は、「川の学び」という一言だけでした。もちろん、全国の教師たちの社会科、理科、総合などの実践資料を探せば、「川」をテーマとする学習の記録は多数出てくることでしょう。現在の私にはそこまでするパワーも財力?もありませんが(^^;)、ここ2年学ばせていただき、2024年度も新潟大学授業で取り上げさせていただく予定の岸本実践について、私個人の教育実践への認識を広げる手がかりになるかもしれないと考えて本書を入手した次第です。岸本実践と中野実践を比較しようとか、ましてや実践の良し悪しを云々しようとかいう不遜な気持ちからではないのです。新潟大学の授業の学習資料に岸本実践以外のものを新たに加えようというつもりでもありません。ただ、岸本実践を読んで「すばらしい!」と感動し、新潟大生にもそれを学んでほしいと考えた私自身のストレートな問題意識に、なんと言うんでしょうか、もう少し《枝葉》を加えてみたい、というんでしょうか。そんな気持ちで「川」の一文字を手がかりに(^^;)入手してみました。

 本書の構成は以下の通りです。

1部 学びの扉をひらく
 1.子ども参加が私の実践を変える
  (1)授業づくりの転機
  (2)遊びで体感していることを授業に結び付ける
  (3)ディベート「今と昔はどっちがいい?」から
  (4)この地域は昔と比べて自然破壊がすすんでいるか?
  (5)山の木調べ
  (6)再ディベート広葉樹林VS杉山
  (7)おわりに
2部 子どもの夢をのせた学びの始まり
 1.われら2の1やさい探偵団
  (1)「キレる」子、いーっぱい
  (2)やさい探偵団発足まで
  (3)探偵団活動始まる
  (4)探偵団―その後
  (5)探偵団―まっこへの苦情
  (6)探偵団から学級へのメッセージ
  (7)畑の何が低学年の子を魅了するのか
 2.子どもたちってどんな学びを求めているの―たまごから見える世界―
  (1)目が離せない学級
  (2)たー君からの出発
  (3)じゅんにこうた、そしてたー君をつなぐものは
  (4)たまご比べ
  (5)三つの飼い方比較
  (6)ヒヨコを飼う障壁―みごとのりこえられるか
  (7)麻生さん、だいじょうぶ?
  (8)その後
コラム①学びは学びの始まり
  (1)応答なしの学級から    (2)で、何すんの?  (3)最初の問い
  (4)ソバってすごいから    (5)ソバのヒミツさぐりから
  (6)かくれたもう一つのテーマ (7)老人って? 私たちに共有できるもの
3部 地域、川と語り合い続ける子どもたち
 1.川の学び(1)―川との語り合い
  (1)変わりゆく地域と子ども
  (2)投げ石
  (3)放課後の変化
  (4)私の授業構想
  (5)昔の川と魚たち
  (6)魚はなぜ少なくなった?
  (7)なぜコンクリート護岸なのか?
  (8)川救出大作戦会議に向けて
  (9)その後
コラム②学びづくりのポイント―「地域とすすめる授業」
  (1)2学期・学びを展開する私のスタンス  (2)複眼的にみるということ
  (3)ゲストティーチャーとしてではなく
 2.川の学び(1)―10年後の卒業生の言葉
  (1)はじめに
  (2)えみからの手紙
  (3)けいしからの手紙
  (4)カズ君との対話
4部 失われた関係と学びを取り戻す
 1.緊張した女子の関係をひらく対話
  (1)4人グループへの接近
  (2)夢は架け橋
  (3)リカへの接近
  (4)友達探しの旅
 2.川の学び(2)―飛ばない鳥たち
  (1)キャピキャピ少女とパーフェクト少女
  (2)学習の見通し
  (3)ディベート対決まで
  (4)私の知らない私とあなた
  (5)教師の介入
コラム③学びへの通路―討論・活動・体験
  (1)ゆらぐ討論のできる身体  (2)活動と討論  (3)体験と討論
5部 荒れ地を耕し、種をまく
 1.荒くれどもと学びを創る
  (1)荒くれどもに対する学びの方針
  (2)いっぱい作りたい! いっぱい食いたい!
  (3)トマトハウス
  (4)畑でパクリ!
  (5)事件
  (6)テーマのある学習へと
コラム④私の授業づくり―学びへの通路をつくる
  (1)詩をつかう  (2)話を聞いてくれない! どうしよう  (3)身体をつかう
 2.あたり前の生活をつくる
  (1)はじめに
  (2)「野菜をつくらないか」からの発信
  (3)いよいよ畑づくり
  (4)マルチはりと定植その後
  (5)アクシデントが子どもを育てる
  (6)まとめ
  (7)このあと
コラム⑤学びと生活指導
  (1)生活指導なのにどうして学び?  (2)集団作りと自治
<本書を推す> 中野実践の位置  竹内常一
<解説> 子どもたちの発達の舞台をつくる―失われた身体・学び・地域を取り戻す  山田 綾
あとがき


 上記の各章は『生活指導』誌に掲載された実践記録であり、各章冒頭の記載から中野氏が以下の学年を担任された年度の実践であることがわかります(本書への掲載は編年順ではありませんが)。
 1991年度(2年) 1993年度(4年) 1994年度(4年) 1997年度(5年)
 1999年度(3年) 2002年度(5年) 2004年度(4年) 2007年度(3年)
 2009年度(5年)

 このうち、「川」を取りあげた実践は、3部1(1994年度 4年)と4部2(1997年度 5年)です。(なお、3部2に1994年度に川の学習をしてから10年後の卒業生達との交流が紹介されています)。本当は本ブログにアクセスして下さった読者の皆様にも中野先生のいきいきした実践記録そのものを読んでいただく方がよほどよいのですが、ここでは私なりに学びとった実践の抄録を書かせていただきます。時々自分のコメントを挟むためにそういう叙述方法が必要なのです。



 1994年度4年生の子どもたちとの学びの記録の発端には、中野先生の以下のような現状認識が示されています。

【村の学校。統廃合し一村一校の学校になっているため校区は県内で一番広い。したがって学校から遠い子どもたちはスクールバスで通っている。
(中略)
 地域は、「自然と清流の村」をキャッチフレーズにしていたが、ゴルフ場建設中に大型台風が直撃し、土石流がおこり死者まで出した。そのために災害復旧工事が進められていた。親水公園計画も同時進行し、大きな自然石で護岸が固められていた。
 今まで川を友として遊んでいた子どもたちは、工事をしていることもあって川から離れ始めていた。それにかわってゲームばやりのご時世を反映し、どこの地域とも変わらぬファミコンが流行した。新しくできたコンビニでのたむろと食べ散らかしたゴミは、川に無造作に捨てられた。地域の方々が定期的にゴミ清掃をしていた。
 私は、自然から切り離された子どもたちに今一度その関係を回復させ、人と人との充実したかかわりのある少年期を豊かにつかませたいと考えるようになっていた。
 学校の「ルール」に過剰に反応する子から、もっと自分たちの生活を創り出す中でおおらかにルールを適応させる力をつけたいと思った。
 そのためには、学びと活動が子どもたちの地域生活を自らの手で変革し、響き合えるようなつながりのあるものに発展するという視点をもって実践化しよう。そういう活動の中でこそ、異質と思われている子との出会いの場が手繰り寄せられ、共鳴し合っていくことができるのではないかと考え、実践化を図った。そしてその対象にこの村に住む子たちが数年前までは貴重な原体験として身体に刻んできた「川」を選んだ。】(P.72-74)


 一つの節を丸々写し取ってしまうのもちょっと、と考えて(中略)を入れたのですが、(中略)部分にはけん・えみ・けいし・みえという学級の4人の子どもたちの簡単なプロフィールが紹介されていました。本書の実践記録にはいずれも市町村名等は紹介されていないのですが(記録中に出てくる地名や竹内常一氏による解説から佐賀県唐津市をフィールドとする実践であることはわかります)、中野先生がどのような地域の現実を踏まえて「川」の実践を子どもたちに提起しようとされたのかを紹介しておきたいと思い、上記の部分を紹介しました。但し、本書のどの実践記録でもそうなのですが、中野先生はまず記録の冒頭で担任した当時の子どもたちのありのままの姿の一端を紹介され、そこから実践を組み立てていったことを明らかにされています。この1994年度4年生の子どもたちとの実践においても、《地域の自然が破壊され子どもたちの生活も自然から離れたものになっているから再び子どもたちを自然と出会わせるのだ》というような直線的な実践展開を図ったわけではないのだということを、実践記録を共感して読んだ一読者として強調したいので、わざわざ(中略)した部分について改めて説明しました。

 実践は中野先生が子どもたちに呼びかけて川へ行くところから始まります。大喜びの子も「授業つぶしてそんなことしていいのですか」(P.74)と躊躇する子もいる中、出かけます。川では石投げしたり水に入る子、一方で入れない子もいます。その日の帰りの会でもう一度行って魚を捕まえたいと男子からの要求。浮かない顔の子もいる中反対意見は出ず、班対抗の魚取り実施へ。
 けいし(冒頭のプロフィールで、【学習中に突然立ったかと思うと私の方にやってきて、「先生、ぼく頭が痛いです。保健室で寝てきます」と結構頻繁に言ってくる。がっくし肩を落としてうなだれて歩く姿は見るのも痛々しい。】(P.73)と紹介されています。)の班はペットボトルで仕掛け作りをしていますが、けいしが穴を4つあけるか5つあけるかで悩みだし、頭を押さえながら保健室へ。残った子どもたちが両方の穴あきペットをつくり、「あんなにしゃべったけいし見たことがなかった。だから、きっとさいごまでやりたかったろうなと思って」(P.75-76)と。
 慎重な女の子たちの班はどうやって安全に川に入るかを相談したあげく、他班に「けん(冒頭プロフィールで【一人で妙にはしゃぐけんがいた。けんは小さい頃に病気にかかりそのせいで今も週に一度は病院にかかっている。少しクラスから浮いていた。】(P.73)と紹介)を下さい」(P.76)と要求。けんは魚捕りが上手なのでその班の子は最初渋ったが人気があるしょう子ちゃんとのトレードが成立。
 こうしていくつかのドラマを含みながら準備が進み、2回目の川行きに。みえの班は石で追い込み口を作ってけんが走り込んで追い込む作戦だが、けんが突進しすぎて川に尻もちをついてしまう。みえが悲鳴を上げ周りの子が驚きますが、みえは次第に落ち着いて「あっ何だかこそばいね」「川って動いている」(P.77)と。けんは川に伏せて寝そべり、他の子もまねをします。【まるで鯉の滝登りをするかのように流れに身をまかせた。(中略)「ウッハ」「キャッハ」という声が流れを包んだ。不思議な一シーンだった。/とにかくこうしてみえは川と出会うことになた。そしてけんもみんなと出会うことになった。】(P.77)と中野先生は書いています。
 ところが上流にいた別の班がアブラメが釣れたと走り込んできたところ、【川底が荒らされ、淵にたまっていた泥がかくはんされて真っ赤に濁った。清流といわれるこの川が真っ赤に濁るなんて。ここまで進んでいるんだと思った。】(P.77)と中野先生は嘆いています。
 その後、家族を巻き込んで川で魚とり、魚釣りや川に入る子どもたちが出てきます。ここ数年なかったこととして、川のことを家で語り始めます。川探検クラブが結成され、その子たちを中心に学級に魚がどんどん持ち込まれます。それぞれに好きな生きものの世話をしますが、大人気はアカハライモリ。しかし1匹のイモリが弱ってしまい、川探検クラブの子どもたちは話し合った末に川へイモリを放しに行きます。
 2回目の川遊びの後、子どもたちは家の人とも語り合いながら昔の玉島川のことを話題にし始め、「なし玉島川はこがん魚の少なかとえ?」(P.81)と疑問を出し、えみが「先生! みんなで昔はどんなだったか調べようえ」(P.82)と提案してみんなが同意。
 そこまで子どもたちとともに川をめぐる活動を進めてきて、中野先生は以下のような計画を立てます。
【その夜、ここからどういう単元の展開が予想されるかシュミ((ママ))レーションをしてみた。なんだかわくわくするような気持にさせられていた。
 昔の川の調査、調査にはどういうグループをつくるのかどの教科を抱き合わせることができるのか。関係のある単元を出してみる。
 *理科(川の上流・中流・下流、川の状態把握)
 *社会(地域学習・気候・森林・環境・農業)
 *算数(統計・グラフ)
 *国語(リサーチ時の説明文の指導・書く・話す・ディスカッション)
 展開としては、➀昔の川の聞き取り→②原因追及(護岸、生活排水、水量、農薬など)→③それ以降は原因追求のポイントを子どもたちの意識と合わせてしぼりこんでいく。
発展させるポイントは、子どもとどういう日常対話をしていくか。(P.82-83 
下線は佐藤)
 もちろん、ここまででの子どもたちとの関わりの中から教育課程を横断するこのような構想を立てられたこともすごいと思うのですが、さらにすごいと私が思うのは、川の汚れの原因追求を教師主導の下で《科学的》に追求して教師が正しいと考えた《結論》へと誘導する学習構想ではなくて、子どもたちとの「日常対話」にもとづいて原因追求のポイントを絞り込むという中野先生の構想です。では、実際にはどのように展開したんでしょうか。
 地域班でリサーチをすることになりました。けんのグループは老人が集まるゲートボール場で、おにぎりを用意してたくさん聞き出そうとします。えみたちは各戸訪問をしました。えみは20軒も回りました。昔の生活、川で泳いだこと、鮎をとったこと、護岸工事で子どもの遊び場がなくなったこと、昔の川はそりゃーきれいだったと涙ながらにはなすおじいさん。
 中野先生は授業中に子どもの声を集めるだけでなく、給食中、放課後、川探検クラブなどで子どもたちの声を聞き、対話します。そして、「これからどういうことを追求したい? 計画立てたい人は集まって」(P.85)と提案します。えみ、けいし、けんた、たけし、あっこ、けんが集まり、「魚が少なくなったわけを調べてみよう」(P.86)という課題を立て、翌日全体で承認されて引き続き地域班で調べることになりました。子どもたちは護岸の様子を注意して、玉島川最上流域、中流域、支流の狩川川、支流の滝川川、野井原川に分かれてリサーチ、工事の様子や魚が棲息している様子を報告し合います。その後意見交換会。子どもたちは、【なぜコンクリートで川をおおうのか?】(P.88)という強い疑問を抱きます。
 えみたちの地域班が、村にお金がないため自然石で護岸を作れずコンクリートにしたと報告します。魚の住処、子どもの遊び場がなくなると反論するけんたと言い合いに。まゆがおとうさんの手紙を紹介し、コンクリート護岸工事には【この村に働く場所をつくる】(P.90)という意味もあると。子どもたちは言葉をなくします。その後【コンクリート護岸は仕方ないVS仕方なくないで討論会をすることに】(P.90)。討論の流れは後者に傾いていき、えみが「自分たちで安全で魚の住める護岸を設計しよう」「そうそればその護岸をつくる工事だってできるし、働き場所もできる」(P.91)と提案。
 中野先生はそれまで、役場保健衛生課に学習の進展を知らせアドバイスも受けていました。そして、ここまでの学習を受けて村の水質を考える会との話し合いが提案された。先生は即断せず、子どもたちに諮りました。子どもたちが先生に「魚の住める護岸」の資料を要求してきたので、先生は水質を守る会との話し合いを提案、子どもたちは興奮しながら引き受けます。中野先生は【スイスやドイツの近自然工法の資料、その方法で日本でも実験されている例に資料、昔からある日本の伝統的な川とのつきあう技術の資料など】(P.92)を子どもたちに提示、図書の先生にも協力してもらい、子どもたちはグループ学習に取り組みます。その結果、次のような質問を用意しました。
➀何のためにブロックやコンクリートの護岸をつくりましたか? 魚や生き物にとってそれは住みやすいものですか?
 ②魚や生き物にとって住みやすいようにどんな工夫をしていますか?
 ③子どもの遊び場についてどう考えますか?
 ④自然の川に少しでももどそうとしていますか?
 等々】(P.94)

 当日、子どもたちは役場へ。緊張してなかなか会議室に入れませんが、けんが「俺はもう行く」(P.94)と歩き出し、それに続いて入室。
【20数名からなる水質を守る会からは、護岸については直接的に聞くことはできなかったが、「ここは日本。スイスやドイツといっしょにはできませんね。日本の気候や川の外国との比較も学習した方がいいよ」との課題も突き出された。また、「何とかみなさんの考えに近づくように私たちも努力しています。たくさんの鮎も放流しています」といった話もしてくれた。
 会の終了後、「何とか私たちの考えもわかってもらえたみたい」といった話も聞かれた。】(P.94)

 この後、【➀この地区の洪水調査、②日本の川と気候調査、③他の地区の先人の工夫などを調べることへ展開していく】(P.94-95)
  その後さらに、次のような活動を行ないました。
【➀小学校の文化祭で「メッセージ・魚と子どもたち」の上演活動。
 ②村民文化祭で、「森林と洪水・魚」というテーマのもと展示会をする。】(P.95)

 また、学習終了後も「川と自然を考える会」を結成して、文化祭への出展、役場ロビーでの調査報告展示、毎回50名以上が参加する「玉島川リバーウォッチング」などの活動を続けています。村でも上流と下流の水質を守る会の交流が始まります。



 前実践から3年後の1997年度・5年生の実践です。
 クラスにはマニキュア、シールピアス、少女誌のモデル募集、ダイエットに夢中のみちこ、さえ、さき、みきのキャピキャピ少女4人組、テストではほぼパーフェクトながら発言しようとせず表情がないけい子(パーフェクト少女)がいて、中野先生は彼女たちを「飛ばない鳥たち」と勝手に名づけていました。この頃も夏の川下りは続いていて、この子たちも流れに乗るスリルに魅了されていました。学級は男女混合班の4サイクル目で、お料理大会・サウナ・友達訪問などの経験を積んで子どもたちは【学習では広がりのある活動的なものを求めはじめ】(P.129)ていました。そこで中野先生は、次のような計画を立てます。
➀集団対抗戦で英知を競うディベートを中心にした学習を位置づけ、気になる女子を引き込む。②ついキレそうになる、ムカつくを連発する彼女たちに討論遊び的な学習を保障し、うっくつした気分を変えさせる。③玉島川下りの参加体験。その川を環境学習の中軸に据え、特に現状把握のリサーチを精力的に取り組ませる。そして、上流に生活する自分たちを見つめさせたいという意図で、川の学習に取り組むことにした。】(P.129)
 2回ほどディベートの予備体験をさせた上で、「七山の川はよい川であるYES?  NO?」(P.129)の論題を提案し、4つの学習班をYES/NO各2班に分けます。【立論しやすいのはよい川でないことはわかっていたので】(P.131)中野先生は、YES側2班にに発言力の高いひろとけい子を置きました。彼らはそれに納得しないものの、他の川と比べる、水を汲んで比べるなどリサーチの計画を立てていきます。NO側1班にはキャピキャピ少女たち。立論後の反駁では川の汚さを例証する1班が優勢でしたが、2班は採取してきた10本のペットボトルの水を並べ、工事箇所の水は確かにきたないがそうでないきれいな水も残っている、うなぎが捕れる場所もまだあると反論。 1回目のディベートの後、中野先生は【私の知らない私とあなた】(P.136)の時間を取ります。紹介されている子どもたちの発言からみて、ディベートに参加している友達の様子、よいところを発表し合う、メタ認知のような活動だったようです。
 2回目のディベートを子どもたちは要求し、それに向けての準備として、【①カメラの要求、②川虫を捕まえる作業、③漁協への聞き込み、④ビデオテープ、長良川・四万十川・玉島川の要求】(P.137)を掲げて精力的に活動しました。
 再ディベート後の【自分なりの「七山の川はよい川であるか?」のレポート】(P.137)では、YESが21人、NOが12人、?が6人でしたが、【これからの川のことを考えると、あまりよくならないだろうという考えの子が多数を占め】(P.137)ました。ここで中野先生は資料を提示します。【玉島川から水が浄水場にいきこまれている資料であった。玉島川の下流は浜玉町の貴重な水資源であること。昨年厚生省のぬきうちの検査でジアルジアが発見されたこと。数年前、洪水で泥水が上流から浄水場に流れ込み、死者まで出したことなど。】(P.138)子どもたちは驚き、次のテーマ「今の七山の大人は川を守ろうとしているのか」(P.138)を打ち出します。そして全員が地域班に分かれて地域に入って調査することに決めました。200件近い聞き込みの結果、6割近くの人が何らかの努力をしているとわかり子どもたちは安心しますが、単元終了後、キャピキャピ娘とけい子を含む数名の子が村民文化祭での展示に向けて取り組み始め、第二第四土曜日に川の調査を開始します。
 異動した中野先生は、【下流の学校の子たちと上流の子たちとを出会わせる夢を見て】(P.138)います。が、この中野先生の「夢」が実を結んだのかどうかは、本書からはうかがい知れませんでした。


 最初に書きましたように、私が別の本の帯広告から本書に関心を持ったことの背景にある岸本清明先生の実践についてここで引き合いに出して、両実践を比較したりすることはしません。
 ただ、両先生の実践から学ばせていただいて、(おそらく日本の教育実践史上すでに多くの方が指摘し尽くされていることと思いますが)《川》という《自然》/《人間の活動のフィールド》が教育実践においても豊かな土壌であり、源泉であることを改めて実感することができました。実感、と言いましたが、私は両先生の実践記録を読ませていただいたに過ぎません。ただ、岸本先生の実践の舞台であった東条川については、私は昨年暮れに岸本先生にご案内いただいてしばしその岸辺に立つことができました。だからどうした?と言われそうですが、私にとっては大事なことです。そのささやかな体験は、私の人生の中での様々な川との出会いと織り合わされて、個人史的には重要な意味をもつと考えます。
 もう一つ一般論を付け加えると、《川の教育学的意味》みたいなものを仮に考えるとしたら、一方では自然科学的・社会科学的な《認識対象》としての多様な接近が考えられますし、他方では地域世界の中での子どもの生活・活動の舞台、そこまで行かなくても接点、という主体の川からの意味づけが考えられるでしょう。《川でなければいけない》とは申しませんが、子どもたちと大人たちが生きていく上でのさまざまなヒントやきっかけや舞台や……を川は与えてくれるのではないかと思います。
 中野実践と岸本実践を直接比較するという視野の狭い作業ではなく、両先生の実践記録から学ぶことでまだ貧しいながら私の中に浮かんできた《川論》みたいなものを新たな手がかりにしながら、新年度の新潟大授業に向けて岸本清明実践の学び直しに取り組みたいと思います。

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