86 【アーカイブ26】自分事宣言
以下に再録するのは、今から10年前の三重大学教育学部在職中に、当時の教職科目「教育課程論Ⅱ」受講生に向けて私が発した「宣言」です。
その経緯については、「宣言」を読んでいただけたらわかると思います。
この後の本ブログへの投稿「88」でこの「宣言」について言及したいのですが、「宣言」は長い文章なのでここに別に再録することにしました。
なお、原文では2025年12月に私とともに被災地石巻を訪問してくれた受講生4名を実名で記載していますが、個人情報ですので再録にあたって削除しました。現地で出会った人たちについては、すでに各方面で有名な方たちですので、実名で記載しています。
自分事宣言
-2015.12.18-20宮城訪問を終えて、教育課程論Ⅱの全受講生の皆さんに-
2015.12.23 佐藤年明
1.
東日本大震災は、私にとって自分事です。
僕は、東日本大震災の当事者です。
今回の宮城訪問を終えて、僕はそう考えることにしました。
皆さんにとって、東日本大震災は自分事ですか?
2.
2日間の宮城石巻訪問が終わりました。実に、実に、実りの多い2日間でした。
僕にとって嬉しかったことは、元雄勝小学校教師の徳水博志さん、鳴瀬未来中教師の制野俊弘さん、亡くなった大川小児童の父親でこの春まで中学校教師だった佐藤敏郎さん、この3人が顔を合わせての学習の場というのは、地元石巻でも大変珍しいことだったということ。僕が徳水君に訪問受け入れを要請したことが発端となって、こちらからお願いした徳水君と制野さんによる講話に加えて、徳水君が佐藤敏郎さんを呼んでくれたことで、この形が実現しました。
僕が要請、と偉そうに書きましたが、もともとは今年8月頃に、前期教育課程論Ⅰについて僕が徳水君にメールで報告したのに対して、彼から「被災地の実践記録を読みVTRを見てあれこれと議論しているだけで、現地に来ることがなければ、結局被災者のことはわからない。」という趣旨の厳しい指摘を受けたことが発端です。
その時の僕の気持ちは二つ。
一つは、そんなこと言われたって三重大学の授業で学生を連れて行くなんてできっこない、ということ。
もう一つは、せっかく昨年来ここまで東日本大震災を取り上げて授業を進めてきたんだから、ここで引き下がらずにやってみようか、という気持ち。
そして結局、僕は後者を選びました。
3.
僕は、三重大生の皆さんを見くびっていたことをお詫びしなければなりません。
実は、半分以上の確率で、皆さんの中から誰も行く人が出てこなくて、宮城訪問は僕の単独行となると予想していました。
しかし、2つの授業の100人あまりの受講生の中から4人ではありましたが、身銭を切って(帰路飛行機組は3万円以上かかっています)、また冬休み前の授業も終わらない中(彼らは21日も朝1コマ目または2コマ目から授業でした)、石巻まで行ってくれました。
もちろん僕からも事前に、せっかくの貴重な機会を大事にしようということは言ってましたけど、彼らは期待にたがわず、3人の先生たちに活発に質問しました。時間が足りないくらいでした。
彼らはきっと心にずっしり重いものを刻んでくれたと思います。まだ卒業して教師になるまで3年以上あるので、じっくり咀嚼してほしいなと思います。
僕にとって、3先生はじめ石巻での出会いと学びが貴重であったのはもちろんのことなのですが、●●さん、●●くん、●●さん、●●さんの4人との被災地での「出会い直し」も、貴重な体験でした。
4.
今回の宮城訪問、3先生には私たちに伝えたいことがいっぱいあり、学生たちも聞きたいことをいっぱい持っていたので、僕が喋る場面はすごく少なかったです。いくつか、「この場面で4人の学生に伝えたい!」と思いつつ、我慢したことがあります。帰ると忘れてしまいそうなので、20日に仙台からの飛行機でセントレアに着き、津エアポートラインでなぎさまちに着くまでに思いつくままにメモを作り、Facebookに投稿しました。翌日の21日まで、投稿は全5回に及びました。その内容を再度整理して、この「自分事宣言」を書いています。
5.
昨年度前期教育課程論Ⅰ以来今年度後期教育課程論Ⅱの現在に至るまで4期連続で、東日本大震災から学びまたそれを教える学習プランを作ることを受講生に提案して続けてきました。その際に、学生の皆さんと彼らが数年後に教えることになる(多くは東海エリアの)子どもたちが、震災の「非当事者」であることを繰り返し強調してきました。その際に、僕自身もかつて(震災よりずっと以前に短い期間ですが)宮城に住んでいて知り合いもおり、震災から半年後に二度被災地を訪ねた経験はあるけれど、やはり震災「非当事者」であることは受講生の皆さんと同じであると強調してきました。
6.
しかし、20日午前の制野俊弘先生のお話の中で、地元で中学校教師を続けてきた制野先生自身の口から、被災した生徒が抱える苦難を前に、自らの「非当事者性」を痛感したという言葉を聞き、愕然としました。
被災地で奮闘する制野先生の口から「非当事者」という言葉を聞いてしまった以上、もはや僕自身が同じ言葉を使って自分を「非当事者」と形容することはできない、とその瞬間思いました。自分に貼る新たなラベルを早急に見つけ出さなければならなくなりました。
7.
この緊急課題について考える前に、僕がなぜ自分と三重大生を「非当事者」と規定したかを書きます。
三重大学のような国立教員養成大学の学生は、小中高と中位以上の良好な成績で過ごし、多くはモデルとなる憧れの教師にも出会い、そしてその延長上に自らの教師への道を描いていると思われます。要するに「揺さぶられていない」のです。(勝手に断定してすみません。反論はいくらでも受け付けます。)
僕が教壇から、「学習指導要領にもなく、教科書にもまだあまり取り上げられていないけれど、東日本大震災について学ぶことは重要だ!」と言えば、多くの学生たちが「はい、重要だと思います」と(表向きは)反応します。学習プランを作ろうといえば、ネットなどで情報を得て、いかにもわかったようなプランを作ることもできるだろうと思うのです。 でも、それではダメなんです。
8.
大体において、教師の教える仕事ってほとんどが「非当事者」としてのものじゃないでしょうか。そしてそれを、いかにもそれらしくまことしやかに教えてしまうことだってできると思うんです。
そうでなくて、当事者となることや当事者とつながることが、どんなに大事で、どんなに重く、どんなに泥臭い、でもどんなに充実した営みなのかを、教員養成学部の学生の皆さんに知ってほしいんです。
だから、敢えて我々の非当事者性を強調し、そして、「だから何も教えられない」ではなく、当事者とつながる努力をしようよ、ということをわかってほしかったんです。
9.
12月19日~20日の2日間で、僕はいっしょに行った4人の学生たちはもはや非当事者ではなくなっていると思っていました。訪問の終盤では僕のメッセージとして彼らにそれを言ってあげようと思っていました。
しかし、制野先生の報告、制野先生自身にもある「非当事者性」という話を聞いて、これまでの自分の思考の構図が瓦解してしまいました。
高速船が津なぎさまちに着岸する直前に、思い至りました。
僕自身が、もう「自分も含めて非当事者」などと自己規定していてはいけないんです。
僕は東日本大震災の当事者です。
もちろん被災者ではありませんが、もうしっかりと被災地・被災者と関わっています。さらに関わろうとしています。だから当事者なんです。
10.
19日2コマの教育課程論特殊講義(学部 受講者1名)の内容を「[番外編]東日本大震災被災地訪問の報告-石巻市大川小学校、同雄勝町、女川町、名取市閖上(ゆりあげ)-」としました。20日2コマの「現代社会の課題と国民的教養」(学部 4名)と4コマ「教育課程特論」(大学院 7名)も同じタイトルで実施しました。また、19日4コマの卒論指導でも、当事者・非当事者の話、僕は「東日本大震災の当事者だ」という話をしました。
もちろん「私は震災の当事者だ」などという発言を軽々にはできないと考えています。ただ、場を選んで、あくまで自分の主観の表明として「東日本大震災は自分事だ」と語ることは許されると思います。
そう、「自分事」。これも被災地訪問で学んできた言葉です。僕はもはや東日本大震災の「非当事者」ではありません。震災は僕にとって「自分事」となりました。どのような意味合いで「自分事」なのかはこれからもっともっと深めていきますが、その前に「自分事」と宣言することは許されると思います。これは自分の判断、価値判断なのですから。
11.
僕が1983年4月~1986年9月の3年半、神戸大学大学院文化学研究科助手として通勤していた神戸で、1995年1月17日に大震災が起こりました。
僕が1986年10月~1989年3月のわずか2年半ですが勤務し(宮城教育大学助教授)、居住していた宮城で、2011年3月11日に大震災が起こりました。
いずれの場合も震災発生時に僕はもうそこに通勤したり居住したりはしていませんでしたが、いずれの地でも僕が親しくさせていただいていた人たちや教え子たちが被災しました。今考えれば、その時点でもう僕にとって二つの震災は「他人事」ではなかったのです。
もちろん、被災された方は他人であって家族親族ではないですが、神戸市灘区の元上司宅へ片付けを手伝いに行ったり、仙台市泉区のもとの自宅の近所へお見舞いに訪れたりして、「他人事」ではないという感じ方はしていました。
それでも、僕自身がM9という想像できない激震や恐ろしい破壊力の津波に現地で対面したわけでなく、その後の被災者苦難の生活もテレビやネット、本でしか知らないことから、そしてまた授業で学生の皆さんがあまり悩むもことなしに震災を「訳知り顔」に語るような状況(こういうことを想定するのは皆さんに失礼な話かもしれませんが)をつくってはいけないという思いから、被災地の人々の苦しみは私たちが簡単に理解共感してしまえるものではない、つまり私たちは震災の「非当事者」という把握を強調してきました。だから、僕にとっての「自分事」の面は後景に退いていたと思います。今度の訪問でそのことを自覚することができました。
12.
12月19日に津なぎさまちに着岸する直前に僕は発想を転換し、自分は「東日本大震災の当事者である(被災者ではないが)」ということを意識的に強調して述べていくことにしました。
そして学生諸君には、(「1」で書いたように)「僕にとって震災は『自分事』。君たちは東日本大震災を『自分事』とすることができると思うか?」と問いかけたいと思います。
「『自分事』にせよ」ではありません。そのようなことを強要することはできません。
でも、「『自分事』にすることができないままに、わかったように震災を語ることはやめよう。」とは言いたいと思います。
13.
震災だけではありません。教師は子どもたちに教えようとするあらゆることを「これは『自分事』なのか?」と自問すべきだと思います。学習指導要領にあるから、教科書にあるからと、「自分事」であるかどうかも吟味せずに教えるというのは、生身の人間としての教師がすべきことではありません。自分にとって大事だ、切実だ、意味がある、と思えることでなければ教えるな、と僕は言いたい。自分にとって「どうでもいいこと」をいかにも大事なことであるかのようなふりをして教えるのは、教師の自殺行為だと思います。
そして、こう考えるならば、「東日本大震災は『自分事』だからこそ子どもたちに教えたい」というのは、あたりまえの発想ということになります。そしてこの発想からすれば、「全ての教師がどうしても震災を教えるべきだ」ということにはならないのです。一人一人の教師が、それぞれの「自分事」を探して、それが震災でないとしてても心を込めて教えたらいいのです。
14.
ところで、東日本大震災が僕にとってなぜ「自分事」なのかを、まだ十分に整理できていません。先ほど書いたように僕自身が神戸にも宮城にも個人として地縁を持っていることは原点だと思いますが、それだけではありません。
宮城について言うと、2年半の在住の中で僕が築くことができた人的つながりはわずかであり、それも離れて27年経った今かなり薄れていますが、京都にいた時からの合唱団の仲間で、僕が1986年10月に宮城教育大学に赴任するより半年前に宮城県小学校教員に採用されて石巻に赴任していた徳水博志君の存在がやはり大きいと思います。
それも宮城に来てから最近までは年賀状交換くらいの関係になっていましたが、震災後に彼の生存が確認でき、同時に彼のおつれあいのお母さんがなくなられ、彼が家を失ったことを知り、また震災直後には家族を連れて郷里の宮崎に戻ろうかとまで考えた徳水君が、やがて雄勝の地で被災地再建と復興教育に取り組んでいく過程を彼からの情報で随時知るようになりました。
2011年10月には秋田大での学会の後仙台に2泊して、徳水君のいる雄勝小学校(石巻市立河北中学校に曲がり中)や大川小学校、雄勝地域を訪ねました。僕の初めての被災地訪問でした。その後同じ10月の中旬にもう一度宮城(名取市閖上など)を訪ねましたが、それ以降は今回まで訪問できずにいました。
このように徳水君との友人関係を軸に、僕の「震災当事者性」は少しずつ形成されてきたと言えます。
15.
震災の年2011年の8月に名古屋で行なわれた日本生活教育連盟大会で徳水君が被災地報告をしました。僕は聴きに行き、終了後徳水君と飲んで別れました。このことが先ほど書いた2011年10月4日の石巻訪問につながります。
昨年2014年8月、東京での教育科学研究会大会で徳水君に再会しました。
昨年度前期に僕は、初めて「東日本大震災から学ぶ」をメインテーマに掲げた教育課程論Ⅰの実践に取り組んだのですが、その中で石巻市雄勝での復興教育実践についての徳水君の実践報告を紹介したところ、「子どもたちを十年後の雄勝復興の担い手に」という教師や地域住民の願いについて「それは大人のエゴだ」と批判する学生の意見が多数出てきたことに、大きなショックを受けました。そのことを授業当時には(あまりにも失礼と考えて)徳水君には報告できず、8月の東京での研究会の彼がいる席上での僕の発言の形で初めて彼に伝えました。会合終了後彼は、他の大学での類似の反応が出たことを教えてくれました。彼はすでにそれへの反論も用意していました。
その後の2014年度後期教育課程論Ⅱから、徳水実践のより詳しい記録を学習してもらうことと、徳水実践を丁寧に取材したDVD『ぼくたちわたしたちが考える復興 夢をのせて 宮城県石巻市立雄勝小学校 震災2年目の実践』(皆さんにも視聴してもらったもの)を授業内容に加えたので、受講生の反応も少し変わっては来ました。
16.
しかし、次の転機は今年の夏に訪れました。
前期の教育課程論Ⅰの様子を徳水君にメールで伝え、10月初めには岩手大学で日本教育方法学会があるのでその後に宮城に立ち寄りたいと伝えました(この訪問は母の死により実現しませんでした)。「2」で書いたように、その時の彼からの返事で、自分の実践の文字記録を読み、VTRを見て討論しているだけでは限界がある、被災地に足を運ぶことが必要だという批判を受けました。
その時に前述のように二つの道の選択を迫られたわけですが、僕は後者を選ぶことにしました。今考えると、ここで僕の「震災当事者性」が次の段階に進んだと思います。
自分一人が教育学研究者として被災地に足を運ぶことはそれまでにもしていました。しかし、大学教師として学生にその行動への参加を呼びかけることはしていませんでした。
呼びかけた結果として、4人の学生の参加という事実が残りました。2つの授業の全受講生数から見れば数パーセントに過ぎません。だけど、量の問題ではないのです。
みんな他コースの学生であり(僕が指導を担当しているのは学校教育コース、人間発達科学コース)、ゆっくり話すのは宮城に行ってからが初めてでした。現地でも、3人の先生のお話を聞いたり見学をすることが中心だったので、そんなに彼らと話せたわけではありません。でも、本当によく来てくれたと思います。帰り道に聞いたところでは、強行軍の結果、貴重なお話なのにと思いながらも睡魔と戦っている場面もあったようです。
でも、ここで皆さんに向かって言うのも変ですが、僕の日頃での授業で例えば何かのVTRを見せた時など、机に突っ伏して寝ている学生も何人もいます(今期のVTR視聴の時には少なかったですが)。「VTRを見たいけどどうしても睡魔に襲われて矢も楯もたまらずに寝た」とは到底思えない姿です。寝に来た、という感じ。
そんな経験もしている僕にとっては、現地に同行した4人の姿は、ちょっと大げさですけど、輝いて見えましたね。
しかしそれは裏返すと、当事者性への歩みについて僕が三重大生全体を見くびっていたことの表れでもあります。それはまた学生の皆さんの当事者性意識を呼び覚ますことへの教師としての僕のこれまでの怠慢も意味しています。これまで教育学部生の皆さんの授業中の嘆かわしい姿も多々目にしては来ましたが、それを目にしながらしかるべき対策が取れなかった自分の怠慢も恥じなければなりません。
17.
「9」で書いたように、僕は宮城訪問に参加した4人の学生たちはすでに当事者になっていると勝手に判断しています。彼ら自身がそういう意識を持ったかどうかは聞いてみていませんが。
とにかく、僕が教壇から震災について話し学生達がそれを聞くという段階から、僕と希望する学生達がともに被災地に立つ、という段階まで来たのです。僕の当事者性は、学生を巻き込んだものになりました。
4人と話していて気づいたんですが、彼らは震災の時中学校3年生でした。来年大学に入学してくる1年生は震災当時中2。僕が退職する2019年度に入ってくる学生だと震災当時小学校5年生です。もちろん東日本大震災についてのような大事件について何らかの記憶はあるでしょうが、テレビ等の間接情報を含めて自分の生活史の中に震災の痕跡が残る世代はもうあと何年かに限られるわけです。そのしばらく下の、現在4歳以下の世代にとってはもはや「私が生まれる前に大きな地震があったそうだけど、よくは知らない」ということになります(もちろん新たな大災害がいつ起こるかわかりませんが)。
そう考えると、当事者性の喚起を狙って行なう震災学習というのは、もう今から何年も何年も先までできることではないんですね。もちろん間接情報だけでは当事者性を確保することは無理、と断言することはできませんが、その人にとって「同時代性」(その時代を自分も生きているという意識)がない場合に、当事者性はなかなか成立しにくいと思います。当事者性の喚起は、すごい歴史性、歴史的限定性がある教育課題なんです。
18.
一方そうなってくると、「当事者」には「歴史の証言者」という意味もあるんですね。普通「歴史の証言者」とはヒロシマ・ナガサキの被爆者の方とか震災被災者の方とかを指して言う言葉なんでしょうが、その同時代を生きた私たち「周辺の人々」が歴史の証言者となることもまた大切であると思います。
歴史の証言者になるとは大げさな宣言のようでもありますが、しかしこの世界に生きる誰もが歴史の「当事者」ですよね。
歴史の証言者になることは誰もがこの時代を生きる当事者であるということなんです。ここには特殊な状況に置かれた、特殊な体験をした人だけが当事者なのではない、と考えるルートが開かれているような気がします。
僕自身はえらく仰々しい決断をして「震災の当事者」宣言をしたような書き方をしましたが、当事者になるというのは、そんなにハードルの高いことではないんだと思います。
19.
ここで再び2015年度後期教育課程論Ⅱの受講生の皆さんに問いかけます。
皆さんにとって、東日本大震災は自分事ですか?
僕の考え方では、東日本大震災を自分の心に思い浮かべることで、すでに東日本大震災は自分事になっていると思います。ただ、一度は思い浮かべたけどその後忘れてしまったり関心がなくなったとすれば、東日本大震災は自分事ではなかったことになります。
東日本大震災に関係する何らかの行動を自分で起こしたとしたら、東日本大震災はさらに強く重い意味で自分事となります。
だけど僕は、「心に思うだけで行動に移していないんじゃ、自分事とは言えない」というような線引きはしたくありません。東日本大震災について、被災地や被災者について、心に思うことはあっても、それを行動に移せない状況にある人はいると思うのです。病床にある人はそうですね。被災地へ支援に行きたいけれどお金がない、時間がない、あるいは親に反対されて行くことができない、という事情がある人もいます。
病気は別としても、それ以外の理由については「言い訳に過ぎない。本当に行こうと思えば障害となっていることを乗り越える努力を懸命にするはずだ」という厳しい批判があるかもしれません。すでに震災に関する行動を積み重ねている人は行動しない人に対してそう言いたいかもしれません。
しかし、他者に対して「本気で行動しようとしているか?」とか「本当に真剣に行動しようとしているのか?」と批判することは、他者の行動の価値をランキングすることであり、自分事の度合をランキングすることを意味します。
すでに震災に関わって行動を続けているNPO団体とかボランティア活動組織の中では、そうした議論が必要な場面がもしかしたらあるのかもしれません(僕にはそういう体験がないためわかりませんが)。しかし、東日本大震災に限らず何かあることに関心を持ち始めたり、そこから少し進んでその関心あることに対して何か行動にでようかどうか考え始めている人、要するに自分事にするかどうかの境界線あたりにいる人に対して上記のような批判をすることは、「生半可な気持ちなら行動に参加するな」と切り捨てることにしかならず、東日本大震災を自分事として行動に立ち上がる人を制限するというマイナス効果しか果たしません。
話を戻して、あることについて関心を持ち始めたら自分事、その関心の延長に何らかの行動を起こせばさらに自分事である、というのが僕の考え方です。
その考えに基づけば、今回の宮城訪問に参加した●●さん、●●くん、●●さん、●●さんは、すでに東日本大震災を自分事にしていると僕は思います。
しかし、ここがもう一つ大事なことですが、僕が4人に対してそう思っているということはどうでもいいのです。自分事なのかどうか、自分事になったのかどうかは、自分自身が決めることですから。語義からしても自明のことですね。
だから、受講生の皆さんは、「東日本大震災は自分事ですか?」という僕からの問いに対して、僕にその答えを表明する義務はありません。もちろん、例えば「私にとって自分事です!」「自分事になりました!」という声が聞けるとしたら、それは僕にとってとてもうれしいことですから、表明する意思のある人は課題レポートでも最終レポートでも口頭ででも、どうぞ表明して下さい。でも自分の心の中で思っているだけでも十分なのです。自分事とは自分についてのことだし、自分が自分に責任を持って決めたらいいことだし、自分が意識していればそれでいいことですから。
そしてもちろん、「授業で取り組んではいるけど、やっぱり東日本大震災は自分事ではない。」「考えてはみたけど、自分事にはならない。」という人もいるでしょう。それはそれでいいのです。自分事にならないまま学習に取り組むことは苦痛も伴うことでしょうから、今からでも自分事にならないかもう一度検討してみてほしい思いはありますが、それは皆さん自身が決めることです。
20.
最後にもう一度皆さんに問いかけます。
皆さんにとって、東日本大震災は自分事ですか?
僕からのお願いです。第10回授業と第11回授業の間の今の冬休みの時期に、上記の問いを自分自身に問いかけて下さい。そして現時点での答えを導き出して下さい。
また現時点でのその答えが今後最終第14回授業を経て最終レポートを完成するまでに変化するのかしないのかを、ぜひ見極めて下さい。
それをすることが、皆さんにとって今期の教育課程論Ⅱを履修し、学習活動に参加したことの自己総括におけるもっとも重要な評価基準になるんじゃないかと思います(皆さんの自己総括ですから僕がとやかく言う必要はないですが)。
但し、このことは皆さん一人一人の一身上の価値判断の問題ですから、教育課程論Ⅱにおける私の成績評価の観点にするつもりはありません。
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