88 教育学文献学習ノート(38)-4 本田伊克「20世紀末の『成長・発達』と『学校』新局面において、学力と学習はいかに問われたか」(2010)

(『教育』No.775 2010.8 2026.6.23-通読 2026.6.23-10.23 ノート作成)

 2025.5.25教育科学研究会教育学部会での本田伊克報告「教科研は学力をどう論じてきたか、いくべきか」に沿って、私も教科研での議論を参照しながら学力問題について改めて学習していきたいと考えて、本ブログ50「教育学文献学習ノート(38)-0覚え書き」(2025.6.6)で予告したように、2025.5.25の研究会における本田報告で言及されている「学力」関連諸文献を年代順に検討していく作業を行なうことにしました。現在までに「教育学文献学習ノート」シリーズで以下のものを公表しています。

53 教育学文献学習ノート(38)-1勝田守一「学校の機能と教科づくり」(1960)   2025.6.17

56 教育学文献学習ノート(38)-2勝田守一「教育学とは何か」(1960頃)      2025.8.1

64 教育学文献学習ノート(38)-3中内敏夫『学力と評価の理論』(の一部)    2025.10.25

 その後時間が空いてしまいましたが、作業を続けていきます。2026.7.5には教科研教育学部会例会での本田報告「<#入門>「学力」とは?立ち止まって考える」が行なわれ、そこではまた新たな論点や情報も提示されましたが、とりあえず今回は本田氏自身の先行論文(2010)を取り上げます。

 2025.5.25教科研教育学部会における本田報告「教科研は学力をどう論じてきたか、いくべきか」の「1.学力(論)を検討する意義 (1)1990年代の「学力論」「学習論」の展開と課題」において、本田氏は次のように述べています。

「報告者は、かつて、1990年代後半から2000年までに刊行された『教育』について論じる機会を得た。1996年から2000年の『教育』誌上では学力・学習論が多様に展開された。」

 上記引用の第一文に付された文献註で今回取り上げる本田論文「20世紀末の『成長・発達』と『学校』新局面において、学力と学習はいかに問われたか」が紹介されています。

 そこで本田論文(2010)を読んでみました。

 驚きました……今から16年前、本田さんが宮城教育大学に赴任される前年の論稿ですが、その驚くべきリサーチ・分析力!

 『教育』No.775(2010.8)掲載の本田論文には論文タイトルに先立って<『教育』を読み、戦後教育と教育学を考える(1996年~2000年)>という見出しが付けられています。また同号では本田論文の前に「特集Ⅰ/格差と競争に抗して、子ども・青年・おとながつながりあえる地域と学校を」の諸報告、「特集Ⅱ/教科研大会・フォーラムへの課題提起」の諸提案が掲載されており、全体として同号は刊行後まもなく開催される第49回教育科学研究会全国大会・第49回道民協合同研究集会共同集会(釧路市)への基調提案的な性格を持っていたと思われます。

 私はと言えば、1975年入会以来ずっと教育科学研究会会員ではあったものの、1990年前後から2010年代前半までは夏の教科研大会に参加しておらず、『教育』誌は引き続き定期購読していましたが教科研の研究動向をほとんど把握していませんでした。1980年代後半以降、それまでの自分の主要な実践研究の場を教科研「社会認識と教育」部会から「授業づくり」部会へ、さらに教科研から独立した「授業づくりネットワーク」へと移し、夏休みの大会開催時期が重なることが多いためにほぼ「授業づくりネットワーク」のイベントに参加していました。また、21世紀に入って間もない頃からだったでしょうが、教員免許更新講習や看護師さんたちの実習指導者講習など、夏休みに開催される《アウトプット》側のイベントに追いまくられるようになり、夏休み中の《インプット》《充電》の機会がほとんどなくなってしまいました。これではいけない、もっと意識的に学びの機会をつくらねばと考えて、2013年8月の大阪(英真学園)大会から教科研全国大会に復帰しました。以後は、コロナで中止になった2020年を除いて、リモート参加も含めて毎年参加しています。

 私の話が長くなりましたが、本田論文は私にとっての《教科研空白期》に発表されたものであり、読んでみても自分の記憶にはない情報がほとんどです。

 本田論文では延べ30件の『教育』誌の特集・掲載論文・座談会発言が紹介されています。紹介の内容まで含めて再録すると本田論文全体をなぞることになってしまいます(^^;)ので、ここでは文献情報だけを掲載順に列挙します(本田論文では刊行年月のみ記載されていますが、号数を補いました)。

 久冨善之「競争の教育のゆくえ」 No.650 (2000.3)
    特集「就職難と青年の未来」 No.598 (1996.2)
 特集「不況と教育」 No.640(1999.6)
 特集「中流幻想の崩壊と地域・家族・青年」 No.658(2000.11)
 特集「中教審答申をどう読むか」 No.605(1996.10)
 特集「教課審と私たちのカリキュラム改革」 No.623(1998.2)
 特集「『規制緩和』『行革』で学校はどうなる」 No.624(1998.3)
 特集「スリム化・分権化で学校と地域はどうなる」 No.627(1998.6)
 特集「教育改革…なにがおこっているか」 No.648(2000.1)
 特集「評価される教師たち」 No.643(1999.9)
 特集「『学び』の再建から学校づくりへ」 No.603(1996.8)
 特集「校長の役割とリーダーシップを問う」 No.635(1999.1)
 特集「『安心と自由』が生きる学校」 No.642(1999.8)
 特集「生徒の学校参加・地域参加」 No.638(1999.4)
 三石晃久「子どもの『荒れ』この二十年」(特集「子どもたちの『荒れ』をどうみるか」) No.621(1997.12)
 金田一清子「苦悩する子どもの心によりそって」(特集「『荒れ』をみつめ、子どもと向きあう」) No.629(1998.8)
 特集「書いて変わる 読み合ってかわる」 No.625(1998.4)
 特集「子ども文化・若者文化」 No.598(1996.3)
 特集「情報化・メディア社会と子どもたち」 No.637(1999.3)
 庄井良信「物語共同体(ナラティブコミュニティー)としての授業」 No.644(1999.10)
 奥平康照「授業の中の知と道徳」 No.599(1996.4)
 佐貫浩「政治的教養について」 No.611(1997.3)
 汐見稔幸「学力『低下』問題と新たな学力形成の課題としての総合学習」 No.649(2000.2)
 河内徳子「人権文化の構築を」 No.619(1997.11)
 特集「新しい時代の教科教育」 No.653(2000.6)
  小寺隆幸「<発題>新しい時代の数学教育」
  松下佳代「<発題>学校で数学を学ぶことの意味」
  臼井嘉一「カリキュラム理論と教科論の再構成」
  三石初雄発言(「<座談会>教科教育の転換―中学校数学を中心に―」)
 奥平康照発言(「<座談会>学校像の揺れと模索(教科研研究方針案)」) No.648(2000.1)
 奥平康照「授業と参加と社会づくり」 No.644(1999.10) 

 次に、本田論文の構成を紹介します。
  1.1990年代後半の<教育と社会>新状況と教育改革
  2.子ども・若者の生活世界における変動と教師
   (1)低年齢化する「荒れ」の拡がり
   (2)商品・情報消費を媒介とする子ども・若者文化を生きるという課題
  3.学力と学習はいかに問われたか
   (1)<参加>を鍵概念に、知識伝達の文脈の性格転換を図る
    ①「物語共同体」としての授業論
    ②子どもが主体性を獲得し、自ら価値を選択する過程と力量形成を重視する議論
    ③多文化共生時代の学力像の提起
   (2)教科教育からの問題提起
   (3)やや欠落していた文化階層論的視点

 ここでもう一度自分のために思い出しておきますが、2025.5.25教科研教育学部会本田報告「教科研は学力をどう論じてきたか、いくべきか」を追跡するこの「教育学文献学習ノート(38)」シリーズを通貫する観点は以下の通りでした。

【「(38)-1」にも「(38)-2」にも書いたように、
「本田報告冒頭の、
====================
  本報告では、2000年代から現在まで、教育政策の基調が「学力」から「資質・能力」へと転換している状況に対峙しながら、学校で育てるべき力、目標とすべき力とはどのようなもので、それをどのように育てていくべきかを考えてみたい。
====================
及びそれに続く「1.学力(論)を検討する意義」の冒頭の
====================
  そもそも、学校教育で目指すべき学力像や学力観について考えることにはどんな意味があるのだろうか。
====================
という問いかけに共感する立場から」 
ということを意識することで、本ノート「(38)」のシリーズに一貫性を持たせたいと考えます。】(本ノート(38)-3より)

 この観点から今回検討する本田論文(2010)の全体像を把握しようとして検討の焦点がぼけてしまうことがないように、「1.1990年代後半の<教育と社会>新状況と教育改革」については検討を大幅に省略させていただきます。但し、別の機会に別の検討を行なうための備忘録として、以下の記述のみを転記しておきます。

【かたや労働市場・企業社会においては、雇用形態の非正規化や流動化と、競争・成果主義の激化が進行している。若者たちは、就職「氷河期」のなかで学校から職業世界への移行の流動化・不安定化に直面し、職を得た後も労働にやりがいを見出せず、使い捨てられる不安に怯えながらノルマに追い立てられる日々を過ごすこととなった(特集「就職難と青年の未来」1996.2、同「不況と教育」1999.6)。またバブル経済崩壊後のリストラ、倒産、失業の嵐のなかで生じた経済的格差の拡大と生活困難の拡がりと深まりは、新たな「下層社会」階層拡大と一部の新しい富の偏在を生み出しながら階層の両極分化を進行させつつある(特集「中流幻想の崩壊と地域・家族・青年」2000.11)。
 このような状況にたいして、政策側は「生きる力」をスローガンとした教育課程改訂と、学校・教師間の業績向上をめぐる競争と教育行政機構による目標管理にもとづく「日本型新自由主義」原理・手法を基調とする一連の教育改革をすすめてきた。
 1998年に改訂された学習指導要領に学校教育の基本方針として掲げられた「生きる力」は、「いかに社会が変化しようと自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力であり、また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性とたくましく生きるための健康や体力である」とされていた。これにたいして『教育』は、政策側の提起する「生きる力」は財界や支配層の意向に沿い、社会の変化にたいして従属的に適応する力であるという批判を行った(特集「中教審答申をどう読むか」1996.10、同「教課審と私たちのカリキュラム改革」1998.2)。】(P.98下段-P.99下段)      

 上記部分を備忘録として記録しておくのは、私自身がかつて『「生きる力」論批判』(三重大学出版会 2019)を唯一の単著として上梓したからです。いま手元の『教育』バックナンバーを繙いてみると、上記引用の末尾にある『教育』No.605(1996.10)については読んだ形跡があるのですが、一方No.623(1998.2)については付箋を挟んでいるものの読んだ形跡がありません。私自身は2020年代に入る頃から「生きる力」の批判的検討を開始してその成果を2019年に世に問うたわけですが、その際に1996年中教審答申における「生きる力」提案に対して当時教科研の中でどのような検討が行なわれたかを詳しく調べることはできていなかったと思います。なのでこれについては、自著の自己総括と併せていずれ取り組んでみたいと思います。

 「学力」と「生きる力」の関係というのも大事な論点ではあるのですが(だからこそ本田氏もこの行論の中で「生きる力」に言及したのでしょうが)、本田論文のその後の展開は特に「生きる力」についてさらに検討するという流れになっていないので、ここはあくまでも備忘録にとどめます。

 同じく「2.子ども・若者の生活世界における変動と教師」についても、一般的には重要な論点と認識しつつも、拡散を避けるためにスルーし(^^;)、文字どおり学力について論じている「3.学力と学習はいかに問われたか」に目を転じることにします。

3.学力と学習はいかに問われたか
(1)<参加>を鍵概念に、知識伝達の文脈の性格転換を図る
 この部分は、続いて➀②③の諸論を紹介するための枕の叙述です。

【2.にみたような子ども・青年の成長と発達に関する困難と課題を、総じてアイデンティティ形成と結びつく「参加」の問題に焦点化して引き取る学力・学習(指導)論の展開が、1991-95期に引き続きみられた。政策側が1991年に「新しい学力観」を打ち出し、1998年指導要領改訂では「生きる力」を基本方針とするカリキュラムの全体構造が打ち出される新局面を迎え、『教育』誌上にもこれに対抗的な学力・学習観を打ち出す議論が掲載された。
 これら一連の学力・学習論は、論者によって強調点や課題はそれぞれに異なる。だが、学校知識が伝達-獲得されてきた支配的な文脈(コンテクスト)の画一的、個人主義的、敵対的競争的、抑圧的性格を批判的に問い返す視点から展開されている点、そして、主体性と共同性をもった課題が子どもに獲得されるように、授業実践の文脈の組み替えを指向する点ではおよそ共通の前提に立っている。】 (P.101下段-P.102上段)

 さっそく「2」をスルーしたことの弊害が生じました(^^;)。本田氏は「2」で論じた「子ども・青年の成長と発達に関する困難と課題」を踏まえ、こうした状況を「総じてアイデンティティ形成と結びつく『参加』の問題に焦点化して引き取」ろうとする立場からの「学力・学習(指導)論の展開が、1991-95期に引き続きみられた」というのです。

 本田氏は「1」のタイトルに「1990年代後半」と書いており、「2」でも引き続き1990年代後半の諸論稿を紹介しています。本稿のタイトルに<『教育』を読み、戦後教育と教育学を考える(1996年~2000年>という肩書がついていることから本田論文はシリーズの一環をなすのであろうと思われたため、『教育』バックナンバーを遡って検索したところ、
 No.758(2009.3)に<『教育』を読み、戦後教育と教育学を考える>という特集、
 No.770(2010.3)に<『教育』を読み、戦後教育と教育学を考える(1976年~1995年>という特集
がありました。No.758特集冒頭の佐藤広美氏(当時教科研副委員長)の「『教育』を読み、戦後教育学と教育学を考える」と題する趣旨説明を読んで、私はようやく本田論文(2010)の教科研研究史における位置を把握することができました。正確を期すために佐藤副委員長(当時)による経過説明の全文を以下に紹介します。

【私たちは、ほぼ1年前<=2008年:佐藤年明註>、戦後『教育』55年研究会を立ち上げた。『教育』(国土社)が復刊されたのが、1951年11月であったから、それから後、55年間の『教育』の歩みを検討しようということである。『教育』を通して、戦後日本社会と教育の変化をとらえ、日本の教育学がそれにどのように向きあってきたのか。それを知るためである。
 検討は、やや機械的であったが、5年きざみにして、担当者を決め、順次、年代を追って行ってきた。今回、ここに掲載するのは、その前半部分、第1期1951年から第5期1975年までである。「戦後の成立」から、55年体制、高度経済成長、そして社会の激変と戦後の揺らぎを見せはじめた時期まで。後半部分も、今後掲載する。
 なぜ、『教育』の55年研究であるのか。最大の理由は、1980年代後半以降の新自由主義的教育改革とはいかなる「改革」であったのか、という解明のためである。
 この新自由主義が浸透するにはそれ相応の原因が考えられる。新自由主義は国民の「合意」を得ずして改革はできない。新自由主義は競争と効率とパワーバランスの考え方を中心にする思想であるが、国民がなぜ、この考え方を支持したのか。私たちはその理由を探らなければならない。
 同時に、この新自由主義の席捲の時期は、「近代批判」(ポストモダン)思想からの戦後教育学批判が行われた時期であった。戦後教育学批判と新自由主義思想が同時的に進行した。戦後教育学批判の中心的対象の一つは、もちろん、私たち教育科学研究会であった。教科研は、「教育運動の論理」にとらわれて「思考停止状態」に陥った。学習権論は国家と経済成長の共棲の罠にはまった、など。私たちはこの批判に誠実に応えたいと思った。
 現状の危機認識と私たちの存在根拠を明確にするために、『教育』55年が検討されなければならないと考えた。】(『教育』No.758 2009.3 P.66)

 ちなみに、余談的な位置付けで紹介することは失礼なのですが、『教育』No.758の佐藤広美氏による上記の経過説明のあとにすぐ続く佐藤広美氏の論文「戦後教育学における「倫理的な問い」―1950年代前半の『教育』―」を、私はこの『教育』誌上ではなくて佐藤広美『戦後教育学と戦争体験 戦後教育思想史研究のために』(大月書店 2021)の第3章として再録されたものを読みました。2024年と、そしてごく最近にも再読しています。それは、佐藤広美氏、吉益敏文氏(元教科研副委員長、京都教科研)と私の3人で2024年4月以来リモートで続けている「勝田守一教育学ゼミナール」の中で、最近は教育科学研究会が戦後再建された1950年代初頭の勝田の論文を取り上げているからです。その意味では、1975年に教科研に入会しながら本稿冒頭に書いたように1990年前後から2010年代前半まで大きく《中抜け》していて教科研研究史の認識において欠落している部分も多い私ではありますが、上記のささやかなゼミナールの中で戦後の再建以来の教科研史を辿る作業に参加しつつあるとも言えます。私の研究者としての人生も、大きくみれば末期に足を踏みこんでいると思いますが、いろいろなことに《締め括り》をつけていかなければならない中で、学生時代以来の教科研での(断続的な)研究活動についての総括作業の中に、三重大学退職時に唯一の単著として上梓した『「生きる力」論批判』(2019)の研究的意義と限界の自己総括作業を位置づけなければならないといま自覚しています。
 同時に、《我田》の泥田から少し足を引き抜いて(^^;)本田論文検討という本稿の本旨の方へ少し戻ってみるならば、 本田氏が言う【子ども・青年の成長と発達に関する困難と課題を、総じてアイデンティティ形成と結びつく「参加」の問題に焦点化して引き取る学力・学習(指導)論の展開】についての検討作業が、新自由主義教育政策の展開過程や、教科研自身に降りかかった「戦後教育学批判」への対応という大きな背景をも意識しながら行なわれたのであろうということがわかり、それを当時《教科研を「中抜け」》していた私が辿り直すということは膨大な、至難の作業となってとても無理であろうという予感がします。そう予感しながらも、取り敢えず本論に戻って本田論文の検討を続けます。

 先に引用した枕の叙述に続く①②③の研究動向の紹介については、その見出しと紹介された文献を挙げるにとどめます。
①「物語共同体」としての授業論
 庄井良信「物語共同体(ナラティブコミュニティー)としての授業」論(1999.10)
②子どもが主体性を獲得し、自ら価値を選択する過程と力量形成を重視する議論
 奥平康照「授業の中の知と道徳」(1996.4)
 佐貫浩「政治的教養について」(1997.3)
③多文化共生時代の学力像の提起
 汐見稔幸「学力『低下』問題と新たな学力形成の課題としての総合学習」(2000.2)
 河内徳子「人権文化の構築を」(1997.11)

 「3」の冒頭に戻ると、本田氏はこれらの新たな「学力・学習(指導)論」の特徴を、「青年の成長と発達に関する困難と課題を、総じてアイデンティティ形成と結びつく『参加』の問題に焦点化して引き取る」ものであり、諸論の「およそ共通の前提」は「学校知識が伝達-獲得されてきた支配的な文脈(コンテクスト)の画一的、個人主義的、敵対的競争的、抑圧的性格を批判的に問い返す視点から展開されている点」、及び「主体性と共同性をもった課題が子どもに獲得されるように、授業実践の文脈の組み替えを指向する点」にあるとしています。さらに要約すると、《学校知識の伝達-獲得における画一的、個人主義的、敵対的競争的、抑圧的性格》を批判し、これに対して《授業実践の組み替えにより子どもによる主体的・共同的課題の獲得をめざす》ということでしょうか。叙述を変更して要約したことで本田氏の本意から外れることを恐れますが、私が勝手に要約した《子どもによる主体的・共同的課題の獲得》という部分が気になります。《子どもが課題を獲得する》とはどういうことなんでしょうか。
 そこを《解く》には本田氏が紹介する①②③の諸論の原典にあたることが必要になりますが、とりあえず今回の検討ではそこは回避しておきます。諸論の紹介にほぼ限定して叙述されている①②③の部分を飛ばし、次項に移ります。

(2)教科教育からの問題提起
 この項の冒頭で本田氏は次のように書いています。
【だが、参加を核とするこれら一連の学力・学習論は、授業実践の具体的展開や課題と必ずしも結び合うかたちで展開されていたわけではない。特集「新しい時代の教科教育」(2000.6)は、これらの学力・学習論が提起する知識伝達の文脈性・共同性の問題を、数学教育を中心とする具体的な教科に即して追究する作業を通じて、今日の子どもの実態に適合する教科のカリキュラムと指導系統を創り出す試みとしてきわめて重要である。】(P.103上段)

 これに続いて小寺隆幸「新しい時代の数学教育」、松下佳代「学校で数学を学ぶことの意味」、臼井嘉一「カリキュラム理論と教科論の再構成」の論点が紹介されますが、これらをスルーし(^^;)、この項の末尾の叙述だけを引用します。
【数学教育の場合は、数教協が主に1960、70年代にかけて自主的カリキュラムを生み出してきた。これは、大きくは現代数学に至るアカデミックな数学の発展過程と子どもの数認識発達過程との間に、また、数学者の思考活動と子どもが教科としての数学で行う思考活動との間に相同性を仮定し、子どものなかに形成される数のカテゴリーの系列を予想する発想にもとづいていた。
 だが、自然界に潜む規則性や法則性にたいする直感や感性の乏しさ、概念化や抽象化を行う過程についての具体的なイメージの共有化の難しさなどの問題を抱える現在の子どもたちの生活世界のなかで、何がどの程度、興味・関心として共有されているかをつかんだうえでの教材を教師も研究者もなかなか見つけきれないでいる。そのようななかで、現在の子どもたちが共有する題材と、かつて民間教育研究団体が編み出した教材とのズレが出てきているというわけである(座談会の三石発言)。】(P.104下段)

 ここで本田氏は数学教育に限定して慎重に論じていますが、「アカデミックな数学の発展過程と子どもの数認識発達過程との間」の、また「数学者の思考活動と子どもが教科としての数学で行う思考活動との間」の「相同性」という発想は、世界的な「教育の現代化」の流れにおいても、またそれとは複雑な関係をもつと思われる日本の民間教育研究運動の教科研究においても、重要なkey conceptであったと思われます。民間教育運動では、科学や文化の成果を正当に反映しない教育内容を《法的》に強制しようとする学習指導要領体制への強い反発から、《科学・文化の成果を正当に反映した教育内容を採用すれば子どもたちにとってこんなに楽しくこんなによくわかる学習が展開できる》ということが強調されました。またそうした教育内容、教育課程の自主編成が文部省、教委、管理職等の妨害の中で(少数の人びとの中でではあれ)さまざまな工夫を凝らして展開されたことから、自主編成運動やそれを敢行する実践家が(あまりいい表現ではありませんが)《英雄視》された側面もあると思います。そのような状況では、《どのような科学・文化の成果とどのように子どもたちを出会わせることがふさわしいのか》について多様な実践が行なわれて相互交流の中で実践研究が発展するということは困難であり、典型的な教材、代表的なカリキュラム・プランが提案されてそれの《普及》に実践が焦点化されていった面もあったのではないでしょうか。
 しかしそうした《科学の成果に立った教材・教育内容・カリキュラム》の《成果に立つ》実践運動において、現実の子どもたちの認識や感情や行動との《噛み合わせ》がどの程度丁寧に行なわれてきたのか。本田氏は「自然界に潜む規則性や法則性にたいする直感や感性の乏しさ、概念化や抽象化を行う過程についての具体的なイメージの共有化の難しさなどの問題を抱える現在の子どもたちの生活世界」と、「現在の子どもたちの生活世界」の問題を描き出していますが、それは必ずしも《教育実践研究者たちがすぐれた教材・教育内容・カリキュラムの開発に鋭意努力しているにもかかわらず、子どもたちの側にそれに対する受け皿が形成されていない》という一方的な問題状況ではない(本田氏もそのようには描き出そうとしていない)と私は思います。
 時代や社会の流れとともに子どもたちも変化しつつある。そのことは事実だとしても、教育実践を進める側に自らの活動を構築する基盤となる理論の問い直しが必要だったのではないでしょうか。この問題意識を念頭に置きながら、本田論文の次節=最後の節を見てみたいと思います。

(3)やや欠落していた文化階層的視点
 本節冒頭で本田氏は、
【一方で、「参加」をキーワードとして、教室における学習文脈の性格転換を重視する議論には、「文化階層論」的観点と、そうした観点を踏まえた訓練論の深まりが欠けていたと思う。】(P.104下段-P.105上段)

 本田氏はこの叙述に続いて奥平康照氏の座談会「学校像の揺れと模索」(2000.1)における発言と奥平「授業と参加と社会づくり」(1999.10)について紹介していますが、これをスルーして(^^;)次の本田氏の叙述に移ります。

【このように、教室における知識伝達では、しばしば庶民階層の生活・労働世界とそこで培われる認識・知覚・行動図式と分断された内容および様式が支配的である点を踏まえ、こうした階層の子どもたちの生活意識・実感に根ざすと同時に、かれらの認識世界を広げ深めることに資する内容と様式を備えたカリキュラムが構想・実践される必要がある。
 この点で、小寺や松下の提起する、数学的概念・法則の意味探求を重視する教科指導論および授業論は、新たな概念の獲得や、現在身につけている概念の意味の拡張ないし新たな秩序のもとでの意味づけといった学習活動・経験の意義を感情的、認識的に内面化していない子どもたちの発達をそのままでは促進しないかもしれない。そうした子どもたちにとっては、反復学習を通じて一定の学習事項や手続きを習得し、そこで得られる自らの力量と可能性にたいする信頼を獲得する過程と、概念・法則の意味探究学習とがいかなる内的関連をもって認識世界の拡がりと深まりをもたらすかを問う必要があるだろう。】(P.105上段-下段 下線は佐藤)

 本稿では小寺・松下の所論も奥平の所論もスルーしてしまったので、本田氏のコメントをきちんと検討する基盤が私には欠けているとは思うのですが、それら諸論を踏まえた本田氏の議論の立て方について、少し思うところがあります。
 それは、2010年のこの論文での「庶民階層の生活・労働世界」という本田氏の把握についてです。本田論文から16年も経過した現時点から《断罪》するようなつもりはないのですが、《科学の成果に立ったとする教育内容》を、それを受けとめる子どもたちの世界の《齟齬》を問題にするとき、2010年時点はともかく2026年の今日の時点では、「庶民階層」という子どもの家庭的基盤の把握では十分ではないのではないかと思います。このあたりを分析する専門的力量は私にはないのですが、もしも本田氏が経済的基盤も文化的基盤も(富裕層に比べて)必ずしも潤沢と言えない環境で生育していないというニュアンスで「庶民階層」という言葉を用いている(私の単なる独断的な推論ですが)とすれば、確かにその状況は今日にもあてはまり、また経験的文化的な家庭間の「格差」はさらに拡大し進行しているとは私も思うのですが、たとえばSNSの浸透、電子ゲームの浸透、タブレットの普及等の状況は、(そこにも経済的格差は反映しているとは思いますが)家庭状況の経済的文化的《格差》ということを越えた子どもたちをめぐる共通の、あるいは《もっと多様化した》問題状況としても深刻化しているのではないかと思います。
 このことの事例として挙げるのがふさわしいかどうかわからないのですが、私がこの1年半ほど関わっている児童館での学習支援の経験を書きます。低学年の子どもたちが宿題をするのを横で見てあげることがたびたびあるのですが、たとえば算数の文章題の問題を前に「わからへーん」という子ども。私が問題文を読んであげたりしていっしょに考えようという関わり方をすると、子どもたち自身が実はわかっている場合もあるのです。私の見立てでは、文章題という具体の世界の状況(その文章の表現内容自体にも極めて問題はあると思いますが)から数式という記号操作を抽出して解を得るというその思考プロセスが持つ《自分にとっての意味・意義》ということをすとんと胸に落ちるように理解していない子どもがいるのではないかと思います。だから入口で文章題の文章を読んで理解すること自体が《だるい》《やりたくない》ことになっている。数について学び数を使った思考を手に入れることで自分の世界が新たに開けていくと全然思っておらず、文章題に取り組むことが《苦行》にしか思えない。だから往々にして「答え教えて!」と言ったり、ドリルの裏の回答を見て写したりする。つまり「〇」がもらえる状態で結果を示して先生に確認してもらえばそれでよいという発想です。
 私は学校の授業を見る立場にいないので、教室での学習の過程と結果としてどうしてこういう《学習観》が育ってしまっているのかはよくわかりません。児童館に帰ってくる子どもたちは、帰ってきてすぐに黙々と宿題に取り組む子もいれば、宿題を机の上に出しながらついつい遊んでしまう子どももいれば、帰ってきてから5時前の「おわりの会」までは遊んでその後親が迎えに来るまでに宿題をする子どももいれば、「宿題は家でする」と言って児童館ではずっと遊んでいる子もいます。子どもに聞くと、児童館にいる間に宿題を済ませるように親と約束させられている子どももいるようです。児童館でやった宿題を親が点検して間違いを訂正させるということもあるようです。家庭によって宿題への対応は様々。ここには何時に子どもをお迎えして帰宅できるのかという親の労働実態の違いもあり、また子どもの家庭学習に対する親の価値観や具体的対応の違いもあるでしょう。宿題は児童館ですませて家に帰ったらゲームをする、という子もいました。こうなると親は子どもの宿題にはノータッチなのかもしれないし、あるいはしっかりチェックしているのかもしれません。
 学習に対する学校での対応、児童館での対応、家庭での対応。それらは子どもによって様々です。きちんと学習して力を付けていく子どももいるでしょう。児童館でも「見て」とか「宿題しよ」(^^; 「するのはあんたでしょ」と言いたくなる)と私に声をかけてくる子どもは少数で、多くの子どもは黙々と自分ですすめています。 多くは本田氏の言う「庶民階層」の子どもたちであろうと思うのですが、経済的基盤《だけ》ではない様々な要因に影響される中、一般化しすぎの暴論かもしれませんが、《そもそも学ぶということの意味がつかめないままにいやいや学習に参加している子ども》が存在することは間違いありません。児童館で宿題を見守るだけではどうしてあげることもできないのですが、すごく気になっていることです。

 またまた《我田の泥田》に入ってしまいました。本田論文の末尾の一節に移ります。
【1996~2000年の『教育』誌上で多様に展開した学力・学習論は、2000年6月号のようにカリキュラムの中身、指導系統の見直しの具体的な対案を示す問題提起も含むものであった。だが、ペーパーテストの平均得点ないし平均正答率の経年変化比較という、誰にとっても「目に見える」指標とデータを軸に展開した一連の「学力低下論争」と、「学力の階層差拡大」論が展開されるなかで、多くの人びとに訴えかける力をどれだけ持ち得たか。そうした力を必ずしも持ち得なかったとすれば、それはなぜか。さらに検証していく必要があるだろう。】(P.105下段)

 本田氏が指摘する世紀の変わり目に《押し寄せた状況》とは、(この時に始まったものではないでしょうが)私から見ればまさに《結果が全て。プロセスは関係ない。》という《人間評価思想》ですよね。そして人びとは、その《思想》に全面賛成かどうかはともかく、そこにcatch upしないと《わが子を生きのびさせることができない》という判断に駆り立てられたのでしょう。そうした世間の流れに抵抗し、対抗して、《人間にとっての学びとは何か、学ぶことにどういう意味があるのか》の議論を、競争や他者からの評価という世界とは別に立てていこうとすることは、ユートピア論に過ぎないんでしょうかね? ここを考え続けていきたいと思います。


 教育科学研究会教育学部会における本田伊克報告(2025.5.25)において紹介された参考文献はまだあと10編あります。とにかくこつこつと検討を続けたいと思います。

コメント

このブログの人気の投稿

69 教育科学研究会における現代学校批判の議論において「男性性」という名辞を共通のtoolとして使用することについて再検討を提案します(第2版)

13 教育学文献学習ノート(22)-3-1「太田 和敬ブログ」掲載(2022.3.3)の太田和敬氏投稿「佐藤年明氏の批判に応える 学校選択と公共性」を読んで

72 かつて勝田守一先生が住んでおられた若王子(にゃくおうじ)を訪ねる